吉本 山口組。 吉本せい(吉本興業創設者)の生涯や山口組との関係は?通天閣を買収?

吉本せい(吉本興業創設者)の生涯や山口組との関係は?通天閣を買収?

吉本 山口組

しかし、入江は氷山の一角にすぎない。 テレビもスポーツ紙も報じない、ズブズブの交際が水面下で行われているのだ。 そもそも吉本芸人と裏社会との醜聞は、枚挙に暇がない。 '87年、間寛平(69歳)や坂田利夫(77歳)ら、吉本所属タレントが一和会系白神組の組長の誕生パーティに出席していたことが発覚。 '95年頃には横山やすしが山口組系二次団体の幹部と兄弟盃を交わす写真が撮影されている。 '07年には、「週刊新潮」で、吉本の創業家当主・林マサが、中田カウス(69歳)が五代目山口組の渡辺芳則組長との関係を強調して会社を乗っ取ろうとしていると訴えた。 '09年には何者かにカウスが頭部をバットで殴打される事件まで発生している。 紳助が残したメール 近年で最もインパクトが大きかったのは、'11年8月に発覚した島田紳助(63歳)の「黒い交際」問題だろう。 山口組系二次団体「極心連合会」の橋本弘文会長(72歳)や、大阪府警が極心連合会の相談役と見なしていた元プロボクサーの渡辺二郎氏(64歳)らとの親密交際が発覚。 本誌も紳助と渡辺氏の間の大量の携帯メールを公開した。 その中に、当時はあまり注目されなかったメールがある。 '06年6月26日に紳助が渡辺氏に送ったものだ。 〈KのスケジュールKに調べさせています ほかいますかね?誰がいいですかね 長時間となるとむつかしいですよね! S Jは無理でしょうねえ 会社とおさないと とおしても今そんな仕事してませんもんね Mさんもきいてみますが高いでしょうね 今余興高いですよ びっくりしますよ〉 〈K・S無理きいてくれそうで 会社も内緒でいけそうですが ないようと時間ですわ〉 (2通ともメール原文では実名).

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山口組組長 田岡一雄と美空ひばりの関係は芸能界の裏側 現在も続く日本の裏側

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フジテレビ夏のイベント「お台場新大陸2014」の制作発表に登場した、お笑いコンビ・雨上がり決死隊の宮迫博之(左)と蛍原徹(右)。 (写真=時事通信フォト) 吉本興業と山口組との関係は古い。 特に、三代目の田岡一雄組長との付き合いは、つとに知られている。 増田の本の中に、こんなエピソードがある。 後に林正之助が会長になった時、彼は芸人たちに、こう訓辞を垂れたというのである。 「ヤクザとは一切関わってはいかん。 飯や酒の席はもちろん、電話で話すのもいかん。 目を合わせてもいかん。 同じ空気を吸うてもいかん。 考えられるあらゆる局面でヤクザと接してはいかん!」 自分のこれまでのヤクザとの付き合いを棚に上げて、そういい放ったそうである。 「あんた、僕が双子やというのを知らんかったのか?」 しばらくして、山口組三代目の田岡組長が死去したという報道が、大阪の夕刊紙の一面に掲載された。 これも山口組とのつながりが噂される漫才師・中田カウスが夕刊紙の一面を携えて、林に会いに行った。 カウスは田岡の葬儀の写真がデカデカと載った一面を見せ、こう聞いた。 「まことに申し上げにくいんですが、ここに写っているのは会長ではないんでしょうか?」 新聞を一瞥した正之助は、ニコリともせずこういってのけたという。 「カウス君、あんた、僕が双子やというのを知らんかったのか? これは僕やない。 弟ですよ。 しゃーないやっちゃ。 あいつにも、きつういうとかんとあかんな」 この話を思い出したのは、フライデーがスクープした吉本の芸人たちの「闇営業」が話題になっているからだ。 記事のタイトルは、「宮迫博之ほか吉本興業人気芸人が犯罪集団に『闇営業』」(『フライデー』6/21号)。 闇営業というのは、所属事務所を通さないで、相手側と直取引することである。

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天下を獲った吉本興業と山口組 「100年の関係」 (2011年8月27日)

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もくじ (文字クリックでジャンプ出来ます)• 暴力団同士の抗争に発展した浅草田島町殺傷事件 昭和15年8月15日、浪曲師として人気者だった広沢虎造の映画出演をめぐって暴力団同士の抗争に巻き込まれてしまった吉本。 彼は映画出演に関して吉本がマネージメントを担当していましたが、吉本を通さずに出演を引き受けてしまったため、山口組を刺激してしまったのだ。 と言うのも、広沢に出演を依頼したのは興行の世界に進出した籠寅一家(合田一家)という暴力団。 吉本と関係があった山口組はライバルのルール違反に黙っているわけにはいかなかったようです。 山口組は広沢を撮影現場に送らなかったため、抗争に発展。 籠寅一家が山口組を襲撃し、 浅草松竹座近くの街頭で白昼の切り合いが行われたそうです。 山口組の2代目・山口登がこの襲撃の傷で1年後に死亡。 双方一人ずつ死者を出した事件でした。 吉本せいの弟・林正之助と山口組の関係 姉が亡くなってからは弟の正之助が吉本の実権を握っていました。 しかし正之助の身内による2億円の使い込み事件が起きたことから、正之助は身を引くことで責任をとりました。 その後任を任されたのが弟の林弘高です。 しかし、弘高の就任直後の昭和43年1月11日、正之助が恐喝容疑で兵庫県警に逮捕されてしまったのです。 Sponsored Link 恐喝容疑は、マーキュリー・レコード会社をのっとり、ヤンマー音響会社所有の工場の地上権、借地権を地価の20分の一という安さで買収した時に山口組の力を借り、組にお金が流れたという。 裏社会との関わりは避けては通れないのか 前述したとおり、警察のOBを雇れることで、近づいてくる裏社会の人間を近寄らせない効果はあったかもしれませんが、大きな組織に対してはそれなりに付かず離れずの関係を保っていたのは確かなようです。 しかし、組同士の抗争に発展した浅草田島町殺傷事件は、せいが望んでいたものではなく、彼女の力ではどうすることもできなかったのでしょう。 吉本といえば、そうした組織との関係は現代でも度々問題視されていますが、まさか創業者の時代から関わりがあったことに正直驚きました。

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