未来 の ミライ 結末。 映画「未来のミライ」細田守監督新作映画が発表!あらすじ内容と軽い考察【公開日は7月20日】

未来のミライ映画結末ネタバレと感想評判!細田守最新作は少年が未来の妹と大冒険!

未来 の ミライ 結末

映画『未来のミライ』解説と考察 解説:くんちゃんの家に起こる不思議な現象はなぜ起こるのか くんちゃんが不思議な世界に行ったりミライちゃんがなぜか過去に来たりと謎の現象が起きている世界でしたが、これの元になっているのは家の庭に生えている樫の木が原因でした。 くんちゃん宅の樫の木は図書館で本を探すときのようにインデックスが出来ており、家系の現在過去未来全ての出来事がカードのような形になって収められているのです。 インデックスの中は球体状になっていてそこには系統樹が張り巡らせ、一本の枝から更に枝分かれするような形で記録が残されているのだとか。 そこから行きたい場所を見つけるのは困難ですが、くんちゃんはなぜかその不思議な空間に迷い込んでしまったことで過去の家系を旅する冒険をしてしまったというのがこの作品のお話でした。 考察:樫の木の索引の第一発見者はミライちゃん説 未来からくんちゃんのいる場所に来たミライちゃんは将来のお話をしていたり索引の使い方をくんちゃんに教えていたり何かと知っている素振りを見せていました。 そんなミライちゃんは実は索引を初めて発見した子なのではないかと思います。 というのも過去に行っても家系の人の中には索引のことを知っているような人は誰もいませんでしたし、唯一知ってそうだったのは未来のくんちゃんくらい。 母親も当然知らないわけでやはり現状知っているのはミライちゃんとくんちゃんくらいです。 これなら第一発見者がミライちゃんだったことも正解です。 ただこの先の家系に樫の木から過去現在未来に行けるなんてことが知れたらタイムパラドックスが起き放題になりそうなのでくんちゃんとミライちゃんだけしか知らないでおいたほうが良さそうですね。 考察:同時に二人は存在できないという謎と矛盾 未来のミライちゃんが来たときにはひな壇のお片付けに奮闘していたわけですが、その時赤ん坊のミライちゃんはいなくなっていました。 ミライちゃんいわく「同じ時間に二人で存在出来ない」とか言っていたことを覚えています。 この設定は終盤でくんちゃんが赤ん坊のミライちゃんを妹と認めた時に大きくなったミライちゃんがやってきた場面でも守られていましたが、くんちゃんに関しては矛盾があったんです。 その矛盾というのはくんちゃんが大きくなったくんちゃんと出会った場面。 本来なら二人は同時に存在出来ない設定があるわけですからくんちゃんが大きくなったくんちゃんと出会うというのもおかしな矛盾です。 これに関して考えたのは「未来から過去へ行く場合は二人は存在できない」、「過去から未来なら二人は存在できる」というパターンです。 このルールなら一応矛盾を避けられるので無理やりですがこういうことにしておきましょう。 解説:くんちゃんの家で飼われるペットが犬な理由 くんちゃん宅で飼われているペットは犬のゆっこだったことはわかると思います。 そしてゆっこはくんちゃんと元気に遊ぶ姿がよく見られましたが、お母さんが好きな動物は猫でした。 母が猫好きであることはくんちゃんが不思議世界に迷いこんだ際に出会った少女(小さい頃の母)がお母さんかお婆ちゃんかの靴に猫が飼いたい旨の手紙を何度も入れて根負けさせようと頑張っていたことからも明らかです。 それならばくんちゃんの家で買われるのは本来犬ではなく猫が飼われるはずでは?と思うのになぜか飼われているのは犬のゆっこです。 この答えが明らかになるのは終盤の話。 未来のミライちゃんとくんちゃんが過去を巡っている最中に血を流した小さな鳥の雛を抱える少女(母)がいました。 この時の鳥がやられたのは猫の攻撃によるものであり、母は猫に鳥を攻撃されたのを見て猫が嫌いになってしまったのです。 ちなみに鳥の巣はくんちゃんが住んでいる家にもまだ残っている描写もありました。 動物を飼わないという選択肢もありそうですが、お母さんは少女のときから動物と打ち解けやすい性格をしていた話もあったりするので飼わない選択肢はなかったのかもしれません。 考察:映画『未来のミライ』は結局どういう話なの? 映画『未来のミライ』はただ見ているだけでは勝手に始まってくんちゃんがぐずって気づいたら映画が終わってたレベルで何が言いたかったのかよくわからなかったという方もいるんじゃないでしょうか。 実際私自身も初めて見たときは「ミライちゃんの出番少なくない?」とかその程度の感想しか沸かず今まで見てきた細田守監督作品の中でも何が伝えたいのかよくわかりませんでした。 ただ改めて考えると案外テーマ性を感じる部分があり、その一つはくんちゃんにミライちゃんを本当のお姉ちゃんだと認めさせるというものがあります。 元々くんちゃんはお母さんとお父さんから愛情を込めて育てられており、充実した毎日を送っていました。 しかしそんなくんちゃんに妹のミライちゃんが生まれたから状況が一変。 両親はミライちゃんに夢中でくんちゃんのわがままは聞いてくれず、くんちゃんもミライちゃんに愛情を奪われたことで嫌っています。 その嫌い具合は半端なく赤ん坊のミライちゃんを叩きつけようとしたり現実で考えても中々タブーな行為をしていたから驚きでしょう。 そしてくんちゃんはミライちゃんのことを「好きくない」と何度も何度も言い、未来のミライちゃんが自宅にやって来てもくんちゃんはミライちゃんのことを「好きくない」と言い「妹でもない」と言います。 しかし最後には謎の世界で赤ん坊のミライちゃんを守り、「ミライちゃんはくんちゃんの妹だ!」といった感じのセリフを言って妹であることを認めました。 これは散々ミライちゃんのことを好きじゃないし妹でもないと言っていたのに最後にミライちゃんを妹と認めて守ったわけですから「くんちゃんにミライちゃんを本当のお姉ちゃんだと認めさせる話」というのがテーマとして成立しています。 解説:映画『未来のミライ』はくんちゃんの成長物語がテーマ わがままなくんちゃんにミライちゃんを妹と認めさせるのがテーマの1つでした。 またこの映画にはくんちゃんの成長物語という側面も各所で見られたと思います。 その場面は不思議空間に何度も行ったくんちゃんが色々な物を目で見て、それから現実世界で経験を踏まえて新しい自我が芽生えるという描写が何度もあることからもわかります。 一番わかりやすいのは自転車に乗れるようになったこと。 くんちゃんは1人で自転車に乗れなかった上に乗るのを拒否していましたが、謎世界で出会った青年に「遠くを見る」というアドバイスを貰ったおかげでやる気になり見事自転車に乗れるようになりました。 このようにくんちゃんは色々なものを見ることで成長していったわけですから成長物語と言えます。 とは言っても見ていて生々しい感じに出来ない子描写があったと思いますが。 考察:くんちゃんが赤ん坊のミライちゃんを助けた理由 謎の世界で両親の名前を忘れてしまったくんちゃんは遺失物係の場所で唯一名前を覚えていたミライちゃんの名前を出していました。 そんなくんちゃんは赤ん坊のミライちゃんが歩いて電車に入ろうとするのを見て追いかけて助けています。 この理由は親元のわからない者はどこかよくわからない世界に電車で送られるという設定があったからですが、もう一つの理由はくんちゃんが両親からいわれたセリフにあります。 映画の冒頭のちょっとしたセリフなので忘れがちだと思いますが、両親がミライちゃんをくんちゃんに初めて紹介した時にこういったセリフを言っていました。 お母さん「何かあったら、守ってあげてね」 お母さんのこの言葉を思い出したくんちゃんは今まさに赤ん坊のミライちゃんが電車でどこかに連れていかれてしまうことに対して守ってあげなきゃという意識が働きいて助け出したわけですね。 考察:ミライちゃんが過去のくんちゃんの元に来た理由は? 制服姿でくんちゃんの前に仁王立ちしながら現れた未来のミライちゃんは口と鼻にくじらのクッキーを挟んでやってきて、くんちゃんに対してひな壇を片付けてほしいと頼んでいました。 そんなミライちゃんが未来からやってきた理由はミライちゃんも言っていましたが、「好きな人と将来結婚出来ない」とか「1日遅れたら1年、2日遅れたら2年婚期が遅れる」というものです。 結論から言うとミライちゃんが来た理由は「婚期を遅らせたくなかった」というのが正解だと思います。 ただひな壇の片付けが遅れたらなんで婚期が遅れてしまうのか?という疑問が湧くのも見た人の率直な意見でしょう。 これにはひな壇人形にまつわる迷信があります。 その迷信は分けると複数ありますが、今回の意味で言うと「早く雛人形を飾れば早く嫁に行ける」といった意味です。 これは早く雛人形を飾れば嫁入りも早く若いうちに結婚出来るという迷信ですが、逆に考えると遅く飾ったら嫁入りも遅れると捉えられます。 また片付けも早く済ませれば嫁入りも早く済ませられるという意味に捉えられ、遅ければ嫁入りも遅くなるのです。 この片付けの遅れによる嫁入りの遅れは1日で1年、2日で2年と劇中でも言われていた通りの遅れが迷信として信じられているため、今回のお話をキレイに当てはまります。 このことから細田守監督はこの雛人形にまつわる実際に存在する迷信を取り入れていたわけですね。 考察:ミライちゃんの痣に込められた意味とは? 生まれたときからついていたと言われるミライちゃんの痣はくんちゃんが赤ちゃんミライちゃんの手のひらを初めて覗き込んだ時には既についていたものです。 お母さん含む大人たちはその痣について「将来ミライちゃんが気にしないかな・・・」と心配する様子を見せていましたが、果たしてこの痣にはどんな意味が込められていたのでしょうか。 単純にこの意味を考えた場合第一に考えられるのはくんちゃんが未来のミライちゃんを見分けられるためにつけられた設定というのが考えられます。 実際のところくんちゃんは赤ちゃんの時のミライちゃんの痣の事を知っており、その後に制服姿でやってきた未来のミライちゃんを見て「もしかして未来のミライちゃん?」と気づいていました。 またラスト終盤でも謎の世界で迷子になったくんちゃんは痣のついた赤ちゃん、つまりミライちゃんを見つけて守ろうとしており、その後に痣を見て未来のミライちゃんが来てくれたことを判別していました。 つまりミライちゃんの痣はくんちゃんがミライちゃんであることを判別するためにつけられたものだったのです。 解説:ミライちゃんの痣は医学的には「いちご状血管腫」の可能性? 「いちご状血管腫」、またの名前を「乳児血管腫」と呼ばれるものは生まれたばかりの赤ちゃんに数人に1人の割合で見られる体の表面の赤い痣のことを言います。 この痣は毛細血管が増殖した良性の腫瘍なわけですが、赤ちゃんそれぞれによって酷さはかなり変わるものです。 劇中のミライちゃんにもこのいちご状血管腫が生まれた時からあり、それなりに酷かったもので成長しても残っていたというのが医学的な意味だと考えられます。 ちなみにこのいちご状血管腫はこの記事を書いている私の兄弟の赤ちゃんにもありました。 頭に1センチくらいの大きさで真っ赤な斑点がくっきりとみられて手術か治療はしているみたいです。 ネットで画像検索をすると参考写真が見られますし、実際の写真もミライちゃんみたいな赤い痣のお子さんがいますよ。

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映画「未来のミライ」ネタバレあらすじと結末

未来 の ミライ 結末

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映画「未来のミライ」ネタバレあらすじと結末

未来 の ミライ 結末

この映画がなんと 2018年の米アカデミー賞の長編アニメ映画賞にノミネートされて、大きな話題になりました。 これは日本からはジブリ作品以外では初めての快挙です。 この他にも『未来のミライ』のアメリカでの高評価を証明する出来事が連発していて、同じ年の ゴールデングローブ賞のアニメ映画賞にもノミネートされ、日本の作品としては初めて同賞にノミネートされる作品となりました。 『未来のミライ』は 日本国内での評価が低かったんですね…。 なので、海外での本作の絶賛状態を見つめる日本人は複雑な空気感に包まれていたりも…。 では、なぜ『未来のミライ』はこんなにも 海外で高評価され、日本では低評価になるという極端な真逆の反応で迎えられたのでしょうか。 決して『未来のミライ』だけ突出して海外での評価が高かったわけではありません。 要するにその時点の海外では、熱心なアニメファンや業界人くらいしか知らないマニアの嗜む映画でした。 例えば、『サマーウォーズ』(2009年)や『おおかみこどもの雨と雪』(2012年)は、アメリカのいくつかの地方の映画祭+限定公開にとどまっており、一般人が観る機会はほとんどありませんでした。 ところが『バケモノの子』(2015年)から 状況が変わり始めます。 『バケモノの子』は、アメリカでの公開シアター数は 「123」で、『未来のミライ』では 「780」のシアターで公開されたのです(この記事で紹介しているシアター数のデータは全て「Box Office Mojo」からの引用)。 無論、ディズニーなど大手大作はもっと凄いですよ(『インクレディブル・ファミリー』は4410シアター、『スパイダーマン:スパイダーバース』は3813シアター)。 でも、『未来のミライ』のこれはじゅうぶんな進歩です。 つまり、もともとの評価の高さに加えて、『未来のミライ』は インディペンデント映画から大衆映画に向けて少しステージを上げたことが、今回のアメリカの映画賞のノミネートにつながったのではないかと私は思います。 米アカデミー賞は、カンヌ国際映画祭などとは違って、少数の審査員の合議で決まるのではなく、大勢の会員の多数決です。 言うなれば、 たくさんの人に映画を観てもらうことが票の獲得にダイレクトにつながります。 よく米アカデミー賞の長編アニメ映画部門のノミネート状況を見て、「他の日本のアニメ映画監督作ももっと評価されるべき」と不満を漏らす人もいますが、 実際は評価はされているんですね。 むしろ日本よりもアニメ映画を芸術として評する傾向の強い海外は、日本のアニメ映画監督の才能にいち早く気づいています。 あとの問題は 「シアター数」なのです。 なるべく多くの人に観てもらえれば、日本のあの監督もこの監督も長編アニメ映画賞は夢じゃないと私は思っています。 まあ、多くの劇場で公開するというのが、またビジネス的に大変なことなのですが…。 とくに日本映画市場は内向きで、国内でじゅうぶん儲かっているので、あまり海外にまでチャレンジしようとしないのかもしれません。 『未来のミライ』は東宝とGKIDSが頑張ったのでしょう。 では『未来のミライ』の中身について、海外ではどう具体的に高評価につながったのでしょうか。 海外の批評家のコメントをピックアップして参考にしながら分析したいと思います。 この点に関して考えるとき、日本では 「きっと作画が良かったのだろう」と推察する声もあります。 確かに本作のアニメーション技術は 「日本のアニメ映画の最高水準」として『君の名は。 』と肩を並べて評する意見もありました。 そもそも今は3DCGアニメーションの最盛期。 その時代に膨大な時間と作業量をかけて手書きでアニメーションを作っているだけで称賛はされます。 本作は間違いなくその粋を集めたものです。 でも、さすがに「作画が良かった」だけではここまでの評価になる理由には弱いです。 他にもそういう精密な手書きアニメーションを堪能できる映画はあるわけですから。 だとしたら、本作の高評価の理由は他にあるのか。 私が海外の批評家の感想を漁りながら、なるほどねと思ったのは 「日本的でありながら、普遍的である」という意見。 本作は日本が舞台なので、当然のように日本の要素もあります。 「雛祭り」も物語のキーアイテムになってきますし、日本の戦争の話だって出てきます。 でも、それらは、エキゾチックな日本文化をこれ見よがしに見せつけるものでもなければ、ナショナリズム丸出しで歴史を語るものでもないんですね。 日本らしい要素はあくまで背景に過ぎません。 本作のメインとなっているのは 「4歳の子ども」。 これだけです。 この子どもの視点が中心になっています。 つまり、あの「くんちゃん」は「日本人」ですらない「4歳の子ども」なのです。 だから本作の物語は海外でも共感されます。 国も、宗教も、人種も、ジェンダーも、誰であれ「4歳の子ども」だった時期はあるのですから。 初めての妹への感情は「不思議…」から嫉妬へと移行し、たどりついたのは未来の東京駅。 終盤に登場するあの未来の東京駅は、多様性の宝庫です。 いろいろな年齢や人種の人が雑多に行き交い、濁流のように流れています。 そんな中でまだアイデンティティを持っていない「くんちゃん」がぽつんと取り残され、「自分で自分自身を証明する必要があります」と 社会における自分の立ち位置を示すことを促される。 これは非常にSF的なテーマでありながら、全世界の人間に共通する(そして皆が無意識のうちに経験している)もの。 あの東京駅は、私たち人間がそこから多様に成長していく 出発点を「くんちゃん」らしく具現化したものですよね。 子どもの心の発達を視覚的に描くアニメーション映画といえば、ピクサーの『インサイド・ヘッド』がありましたが、本作はそれに匹敵する、いやそれ以上に難しい領域に手を出した野心作だったといえるのではないでしょうか。 本当の4歳の子どもを描く大変さそのテーマ性ゆえに、本作の主人公である「くんちゃん」は、あまりにもリアルに4歳の子どもです。 私は本作を観た時、 「アニメっぽくないアニメーションだな」と思ったものです。 どういうことかというと、「アニメ(Anime)」…つまり日本のアニメーションっぽくないということ。 そうしないと物語を進めづらいからそうするのでしょうけど、この「子ども(知能は若干大人寄り)」が日本のアニメではデフォルトです。 でも、『未来のミライ』の「くんちゃん」は 本当に4歳そのまんま。 なので本当に手が付けられない感じが映像で、しかもリアルに手書きアニメーションで表現されている。 公共の場所で泣きわめく子どもとうっかり遭遇しちゃったような、どこはかとない気まずささえ本作を鑑賞していると感じます。 4歳の子どもを描くと言えば、思い出されるのが他でもない宮崎駿監督の 『となりのトトロ』です。 主要人物の子どものひとり「メイ」は同じく4歳。 『未来のミライ』の「くんちゃん」と同じように年齢相応に描かれていました。 海外の批評家でも、『未来のミライ』は児童の目の高さで児童の物語を語るという姿勢が宮崎駿に通じていると評する声もありました。 でも、『となりのトトロ』では「サツキ」という12歳にしてはちょっと大人びた精神を持つもうひとりの子どもをリード役にしていたので、それでバランスがとれていたんですよね。 一方、『未来のミライ』はオール「くんちゃん」。 くんちゃん独断場です。 この部分が、従来の子ども描写を定番とするアニメに慣れた日本観客を遠ざける一因になった…のかもしれません。 ただの4歳の子どもだけでリアルを保ったままどうやって物語にするのか…そこを本作は工夫していたのが個人的には上手いなと思っている点。 まあ、日本の低評価の原因として、「くんちゃん」の声が4歳っぽくないというのは確かに違和感にはなるところ。 日本のアニメ映画はここから始まる本作は、日本では試写を観た一部の人のネガティブな感想がまとめサイトなどで誇張・拡散して、バンドワゴン効果的な炎上しやすい土壌ができあがっていたのも、低評価の最初の引き金だった側面も否めません。 かなり新鮮だったはずです。 加えて、2018年の潮流だった 「家族モノ」でもありました。 批評家の意見として 「『万引き家族』や『ROMA ローマ』のような詩的で野心的な家族物語」「その中でも2018年らしい今の家族の映画だった」というコメントもあり、とにかく上手い具合に全てがハマったのでしょう。 もちろん、本作がイマイチだと感じた人は合わなかったというだけですし、気にすることもなし。 映画なんてそんなものです。 本作は、日本の評価と海外の評価は別物だということを学べた良い機会になりました。 この経験を元に、日本の映画会社さんはぜひ国内評価を気にすることなく、日本のアニメ映画をどんどん海外で、なるべくたくさんの劇場で公開していってください。 『未来のミライ』がそれを証明したのですから。

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