そこに秘められたドラマを、あなたは、まだ知らない。 「革命」は思いもよらぬ場所から始まるもの。 3年前、福島県・いわき市に突如として現れた巨大な建物。 中にはスポーツウェアのショップにレストランまで。 その建物を抜けると現れるのは整備されたグラウンド。 アマチュアチームとしては異例の環境。 ここが、日本サッカーに革命を起こさんとする、いわきFCの本拠地。 昨シーズン彼らが戦ったのは、東北2部リーグ。 J1から数えると実質6部に相当する。 そこでは18勝無敗、驚異的な得失点差127という成績で、東北1部リーグへの昇格を決めた。 だからこそ、彼らが本気になるゲームは、格上のチームと対戦できる練習試合にある。 この日の相手、アルビレックス新潟は遥か上のランク、J2で戦う強豪。 勝負の行方に、練習試合としては異例ともいえる1300人の観客が集まった。 アップを終えた選手たちを見て、目を見張った。 上半身にまとった筋肉。 まるでラガーマンのように鍛えられた肉体。 この、サッカーの常識を覆すようなカラダに、いわきFCの強さの秘密がある。 試合が始まると、その肉体がより一層の輝きを見せる。 ボールを奪えばすぐに前を向き、相手の強烈なスライディングにも倒れない。 そして、トップスピードに乗れば、いともたやすく相手を抜き去る。 この日も格上相手に2ゴールを奪う圧勝劇だった。 強さの秘密はこんなデータにも表れている。 それは試合中に倒された数。 相手に倒された数、新潟が22に対し、いわきはおよそ半分の12。 90分間、止まらない。 倒れない。 ここに、いわきFCが起こさんとする革命の意味が凝縮されている。 圧倒的なフィジカルを生み出すいわきFCの練習は、ほぼ決まって室内から始まる。 練習の6割以上が筋力トレーニングで徹底的に体を苛め抜いていく。 中でも特に重視しているのが、片手や片足でのトレーニング。 片側に負荷をかけた状態が、バランスや身体コントロールの向上につながっていく。 みっちり体を苛め抜いた選手たちは、ここでようやく外に出る。 しかし、ボールを使った練習は30分だけ。 一本もシュートを打たない日もあるという。 さらに、この身体づくりには、もう一つ秘密がある。 いわきFCは選手それぞれの遺伝子を検査し、それに合わせた筋トレを行っている。 遺伝子のタイプは大きく分けて3つ。 パワーを出すのが得意な型と、持久力に力を発揮する型、そして、その中間のタイプだ。 パワー型は重い負荷で回数を少なく、逆に持久型は軽い負荷で回数を多くする。 こうすることで、最も効率的に能力をUPさせることができるという。 だから、チームに入ってわずか半年でこれだけ肉体が変化する。 科学に基づいたトレーニングが、選手の身体を大きく強く育て上げるのだ。 日本サッカーのフィジカルに革命を起こさんとする いわきFC。 このチームを作り上げたのが球団社長・ 大倉智。 かつて低迷していた 湘南ベルマーレ の代表を務めJ1昇格の立役者となった男だ。 大倉は元Jリーガー。 柏レイソルがJリーグに昇格した年にプロとしてのキャリアをスタートさせた。 しかしその後、Jリーグは衰退。 満員だった観客は少しずつ離れていった。 「頑張っているのに、なぜ?」大倉に大きな疑問が生まれた。 その後、3チームを渡り歩き、将来を意識しだした29歳の時、一枚の新聞記事が運命を変えた。 知識もコネも、何もないまま飛び込んだ スペイン。 そこで見たのがサッカーの原点だった。 スペインから戻った大倉は、 セレッソ大阪 の強化部長を経て、湘南ベルマーレの代表に就任。 彼が掲げた積極的なサッカーは「湘南スタイル」と呼ばれ、チームの代名詞となった。 しかし3年前、その地位を捨てていわきFCに身を移した。 周囲からは驚きをもって「都落ち」とも揶揄された。 だが、大倉は言う。 「ゼロからだからこそ意味がある」あのスペインで見たような感動を与えられるチームを大倉は今も追い求めている。 10月、いわきFCは大きな戦いに挑んでいた。 全国社会人サッカー選手権。 それぞれの地区に分かれた社会人リーグのNo. 1を決める戦い。 初戦を順調に勝ち上がった、いわきFC、2回戦の相手は、沖縄SV。 元日本代表・ 高原直泰 (たかはらなおひろ)が、選手兼任監督を務める強豪。 試合は辛くもPK戦でいわきFCの勝利。 一方、敗れた沖縄SV・高原、いわきFCの印象を問われると、気になることを口にした。 「フィジカルだけでは勝てない」高原の言葉は、すぐに現実のものとなった。 準決勝の相手、四国代表の松江シティはいわきFCとぶつかり合うことを避け、パスを回していく。 すると相手の戦術に自慢のフィジカルが影を潜め何もさせてもらえず敗戦。 いわきFCのフィジカル革命に立ちはだかった壁。 この現実を跳ね返し、次のステージに上がるためにチームが出した答えは・・・ 「魂の息吹くフットボールをより突き詰める」 相手がパスを回すなら、そのパスに追い付くくらい走ればいい。 さらなるフィジカルとスピードを求めて男たちは再び動き始めた。 大地に根を張り倒れない雑草軍団。 いわきFCのサッカー革命はまだまだ続く。
次の将来的なJリーグ入りを目指して立ち上がったいわきFCは、「日本のフィジカルスタンダードを変える」という理念を掲げている。 DNS Dome Nutrition System の全面的なサポートから選手たちにはハイレベルなサプリメントが支給され、トップアスリートへと変身している。 選手たちの体は明らかな違いを見せている。 実際にほぼすべての選手が体重増に成功。 本格的な摂取を始めてわずか半年間ながら、試合で見せるパフォーマンスにも違いが出てきており、一様に「当たり負けなくなった」「身体のキレが出てきた」と手ごたえを語る。 久永「大学の時はあまり筋トレが好きではありませんでした。 全く筋トレをする機会がなくて、正直、腕立て、腹筋くらいしかしてこなかった。 いわきFCに来てからは週3回、ウエイトトレーニングを行っているので、筋トレをしてこなかった自分の身体は全てが変わりました」 菊池「フィジカル練習の時間はアップとか体幹も含めたら、1時間半くらいです。 久永「食堂の食事はお肉、魚や小鉢が4つくらいあり、いろんな種類の食べ物が出てきます。 牛乳、フルーツ、野菜などはバランスよく出してくれている。 個人で体脂肪を増やしたくないという人はご飯の時間帯で調整したりしています」 菊池「食堂で出されているメニューを食べる以外にも、『プロテインドリンク プロエックス』を飲んだり、忙しい人でも栄養を摂ることが出来る『ミールゼリー ジェルエックス』などのゼリーや、チョコレート味の『ミールバー バーエックス』を食べたりしています」 久永「僕は『ビタミン スーパープレミアム』、『ジーエムエー スーパープレミアム』と『EPA』、そして『ジョイント スーパプレミアム』というサプリを含めた4種類を毎食後に飲みます。 寝る前には『ホエイプロテイン スロー』というプロテインを飲みます。 スローはゆっくり吸収されるので、寝る前に適しています」 菊池「僕は『ホエイプロテイン ジープラス』を毎日飲んでいます。 練習の後に飲むのがマストですが、個人的に体重が増えにくいだとか、単純にお腹が空きやすいという人はこれをおやつのタイミングで飲んだりしています。 久永「野球でも大谷 翔平、日本ハム 選手が体重を増やしているというニュースを目にしました。 スポーツは違うけど、世界と比べたら日本人はまだまだ小さい。 その分、当たり負けしないようにと思っています」 菊池「日本のスポーツのフィジカルスタンダードを変えることがこのチームのテーマの一つ。 そのためには筋トレしてサプリメントを飲んで体を大きくして、当たり負けをしないこと。 久永「このチームに入った時は体重が65キロくらいだったんですけど、今は69キロあります。 体重が増えすぎたら走れないかなと最初は心配しましたが、筋肉量を増やしながら体脂肪を減らしますし、今まで以上に、試合でも当たり負けしない身体になっています」 菊池「自分もここに入ったときは73キロだったんですけど、今は77キロくらいあります。 自分の身長-100キロが理想の体重と言われているんですが、近づいてきています。 いわきFCに入るようになった経緯を教えてください。 菊池「学生時代から仲がいいんです。 でも1月の終わりくらいになっても卒業後の進路が2人とも決まっていなくて。 2人で後輩たちの練習に混ざりながら、俺たちどうすんの? って話していたんです。 チームも決まってないし、就活もしていなかったので、とりあえずどこかでサッカーをやるしかないのかなと思っていた程度でした。 でも本当にどんなんだろうねって話をしているときに、いわきFCの方から話をもらったんです。 決まっていないなら、ぜひ取るからって言ってもらえて。 久永も決まっていないことを強化部の人に話したら、ぜひ見たいということで2人で練習に参加したんです。 それで2人とも入ることになりました。 菊池「ネットとかで知っていました。 実はまだ誘われる前から2人で入った妄想とかしていたんです。 まだ呼ばれてもいないのに、いわきFCに入ってJリーグに上げようぜって 笑 」 久永「家も探してしました。 話をもらってない段階で、家を決めていました」 菊池「その話をもらった時に久永にすぐに『話をもらったんだけど』って話をしたら、『マジ! 』ってなって。 それですぐに2人で練習に参加しました」 久永「でも決まってない時期は結構大変でした。 いろんなチームに練習参加したりしていたんですが、なんかうまくいってなかったので」 菊池「僕はサッカーを辞めることも考えました。 普通に地元で働くというのは選択肢としてありました。 サッカーをやりたかったんですけど、チームが決まらないということで、諦めるしかないかなと思った。 久永「決まったときな喜んでくれました。 でも遠いねって言われましたね。 地元が山口県なんですけど、高校で京都 京都サンガF. U-18 に行って、大学で東京に来て。 そして次に福島だったので、また遠くなったねって。 あいつらも山口県出身なんですよね。 原川とは中学も同じチームでした。 あとは田中陽子 ノジマステラ神奈川相模原 も一緒だったんですよ、チームが。 久保も選抜とかで一緒で。 そこから京都U-18にみんなで入りました。 今でも連絡を取り合っていますよ。 帰ったときは一緒にサッカーもしています。 菊池「2011年大会ですね。 1回戦の那覇西戦で3点を決めました。 10番をつけてプレーしていました。 似合わないってよく言われましたけど 笑。 今はこのチームで成長したい。 このチームのビジョンに賛同してこのチームに入ったので、少しでも達成できるようにしたい。 もちろんJ1とかJ2に入ったらうまい選手が一杯入ってくるし、それで別にプレーできなくてもそれまでの過程を築けたということを大切にやっていきたいですね」 外部サイトに飛びます 取材・文 児玉幸洋.
次の将来的なJリーグ入りを目指して立ち上がったいわきFCは、「日本のフィジカルスタンダードを変える」という理念を掲げている。 DNS Dome Nutrition System の全面的なサポートから選手たちにはハイレベルなサプリメントが支給され、トップアスリートへと変身している。 選手たちの体は明らかな違いを見せている。 実際にほぼすべての選手が体重増に成功。 本格的な摂取を始めてわずか半年間ながら、試合で見せるパフォーマンスにも違いが出てきており、一様に「当たり負けなくなった」「身体のキレが出てきた」と手ごたえを語る。 久永「大学の時はあまり筋トレが好きではありませんでした。 全く筋トレをする機会がなくて、正直、腕立て、腹筋くらいしかしてこなかった。 いわきFCに来てからは週3回、ウエイトトレーニングを行っているので、筋トレをしてこなかった自分の身体は全てが変わりました」 菊池「フィジカル練習の時間はアップとか体幹も含めたら、1時間半くらいです。 久永「食堂の食事はお肉、魚や小鉢が4つくらいあり、いろんな種類の食べ物が出てきます。 牛乳、フルーツ、野菜などはバランスよく出してくれている。 個人で体脂肪を増やしたくないという人はご飯の時間帯で調整したりしています」 菊池「食堂で出されているメニューを食べる以外にも、『プロテインドリンク プロエックス』を飲んだり、忙しい人でも栄養を摂ることが出来る『ミールゼリー ジェルエックス』などのゼリーや、チョコレート味の『ミールバー バーエックス』を食べたりしています」 久永「僕は『ビタミン スーパープレミアム』、『ジーエムエー スーパープレミアム』と『EPA』、そして『ジョイント スーパプレミアム』というサプリを含めた4種類を毎食後に飲みます。 寝る前には『ホエイプロテイン スロー』というプロテインを飲みます。 スローはゆっくり吸収されるので、寝る前に適しています」 菊池「僕は『ホエイプロテイン ジープラス』を毎日飲んでいます。 練習の後に飲むのがマストですが、個人的に体重が増えにくいだとか、単純にお腹が空きやすいという人はこれをおやつのタイミングで飲んだりしています。 久永「野球でも大谷 翔平、日本ハム 選手が体重を増やしているというニュースを目にしました。 スポーツは違うけど、世界と比べたら日本人はまだまだ小さい。 その分、当たり負けしないようにと思っています」 菊池「日本のスポーツのフィジカルスタンダードを変えることがこのチームのテーマの一つ。 そのためには筋トレしてサプリメントを飲んで体を大きくして、当たり負けをしないこと。 久永「このチームに入った時は体重が65キロくらいだったんですけど、今は69キロあります。 体重が増えすぎたら走れないかなと最初は心配しましたが、筋肉量を増やしながら体脂肪を減らしますし、今まで以上に、試合でも当たり負けしない身体になっています」 菊池「自分もここに入ったときは73キロだったんですけど、今は77キロくらいあります。 自分の身長-100キロが理想の体重と言われているんですが、近づいてきています。 いわきFCに入るようになった経緯を教えてください。 菊池「学生時代から仲がいいんです。 でも1月の終わりくらいになっても卒業後の進路が2人とも決まっていなくて。 2人で後輩たちの練習に混ざりながら、俺たちどうすんの? って話していたんです。 チームも決まってないし、就活もしていなかったので、とりあえずどこかでサッカーをやるしかないのかなと思っていた程度でした。 でも本当にどんなんだろうねって話をしているときに、いわきFCの方から話をもらったんです。 決まっていないなら、ぜひ取るからって言ってもらえて。 久永も決まっていないことを強化部の人に話したら、ぜひ見たいということで2人で練習に参加したんです。 それで2人とも入ることになりました。 菊池「ネットとかで知っていました。 実はまだ誘われる前から2人で入った妄想とかしていたんです。 まだ呼ばれてもいないのに、いわきFCに入ってJリーグに上げようぜって 笑 」 久永「家も探してしました。 話をもらってない段階で、家を決めていました」 菊池「その話をもらった時に久永にすぐに『話をもらったんだけど』って話をしたら、『マジ! 』ってなって。 それですぐに2人で練習に参加しました」 久永「でも決まってない時期は結構大変でした。 いろんなチームに練習参加したりしていたんですが、なんかうまくいってなかったので」 菊池「僕はサッカーを辞めることも考えました。 普通に地元で働くというのは選択肢としてありました。 サッカーをやりたかったんですけど、チームが決まらないということで、諦めるしかないかなと思った。 久永「決まったときな喜んでくれました。 でも遠いねって言われましたね。 地元が山口県なんですけど、高校で京都 京都サンガF. U-18 に行って、大学で東京に来て。 そして次に福島だったので、また遠くなったねって。 あいつらも山口県出身なんですよね。 原川とは中学も同じチームでした。 あとは田中陽子 ノジマステラ神奈川相模原 も一緒だったんですよ、チームが。 久保も選抜とかで一緒で。 そこから京都U-18にみんなで入りました。 今でも連絡を取り合っていますよ。 帰ったときは一緒にサッカーもしています。 菊池「2011年大会ですね。 1回戦の那覇西戦で3点を決めました。 10番をつけてプレーしていました。 似合わないってよく言われましたけど 笑。 今はこのチームで成長したい。 このチームのビジョンに賛同してこのチームに入ったので、少しでも達成できるようにしたい。 もちろんJ1とかJ2に入ったらうまい選手が一杯入ってくるし、それで別にプレーできなくてもそれまでの過程を築けたということを大切にやっていきたいですね」 外部サイトに飛びます 取材・文 児玉幸洋.
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