自粛とは「 自分から進んで、行動や態度を改めて慎むこと」という意味です。 読み方は「じしゅく」です。 近年よく聞かれるのは、大きな災害などで多数の犠牲者が出る事件があった後などに、エンタメ性の強いテレビ番組やコマーシャルなどを「自粛」する流れです。 同じように、一般の人たちの間でも、祝い事や旅行などを「自粛」する人たちもいます。 多くの人々が悲しみに暮れ、娯楽もないところに避難している人たちがいる。 それなのに関係ないところでぬくぬくと過ごしている人間が楽しい気分になっている場合ではない、不謹慎だから慎むべき。 そのような意見がよく聞かれるので、こういった自粛が行われるのです。 しかしこのような自粛ムードに対する意見は様々で、辛い時だからこそ明るい番組が見たい、楽しい話題が必要だと思う人たちも少なくありません。 そういった声は被災地からも聞こえてきます。 非常時だからこそいつもの番組で日常の気分を取りもどしたいという意見もあります。 センシティブな状況でどのような配慮が必要なのかということは、良く見極めねばなりませんね。
次の自粛の意味を辞書で引くと「自分から進んで、行いや態度を慎むこと」 『デジタル大辞泉』 とあります。 自ら進んで、ですから強制ではありません。 しかし、同調圧力の強い日本では、周囲が自粛していることをすると強い反発を呼ぶ場合もあります。 これについては後に詳しく説明しますが、このことから、自粛という言葉には「周囲からの評価に基づいて」言動を慎むという面もあることがわかります。 「自分から進んで」という意味と矛盾しています。 「本心では慎む必要はないと思っているが、周りの人がうるさいから慎んでおこう」という、何とも日本的な心情が透けて見えるようです。 また、新型コロナウイルスによるパンデミックもそうですが、多数の死者が出た大きな災害など、非常に深刻な事態のときに、華やかなエンターテインメント的なショーやテレビ番組、コマーシャルなどを送り手の判断で中止することも「自粛」と呼ばれます。 外出自粛の意味とは、自粛の意味を踏まえると、「自ら進んで、外に出るのをやめること」となります。 そして、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、各自治体から外出自粛の要請が出ています。 では、外出自粛を要請するとは、どういう意味でしょうか。 ちょっと意地悪く解釈すれば「お願いはするけど、結果として出た損失は補償できない、その代わり罰則を付けた強制もしない」という意味と考えられます。 その状況で一人一人の市民はどう判断すれば良いのでしょうか。 日本では年間3000人以上の交通事故死者数が出ていますが、「一切の自動車をなくそう」という運動は起こりません。 経済や利便性のためにはある程度の人命が損なわれるのはしかたがない、と国も市民も思っているのです。 何をどの程度自粛するのか、正解はありません。 ただ、今回は医療崩壊が懸念され、自分が感染しても適切な治療を受けられない可能性があります。 さらには、他の人にも感染させるリスクがあります。 外出自粛の指針は示されていますが、罰則はなく市民の判断にかかっています。 自粛ムードの意味とは、非常に深刻な事態にあるときに、華やかなこと、楽しいことをするのは、不謹慎だ、という風潮になることです。 非常に日本的で興味深い現象なのですが、東日本大震災のあとにもそのような「自粛ムード」が蔓延しました。 また、昭和天皇が崩御される前後にも、日本中が自粛ムードに包まれました。 そして今、パンデミックの脅威の中で日に日に自粛ムードが高まる一方、その緊張感に耐えられず、あるいは慣れてしまって、自粛の緩みも見え始めています。 また、個人や企業の活動が抑制された結果、経済の縮小も懸念されます。 日本人は同調圧力に弱いため、一方の極端に走ったあと、反動で逆の極端に走ることがあります。 自粛ムードが崩れると、たまったストレスを発散して一斉に外出が活発になることも、あり得ないことではありません。 パンデミックとの戦いは長期戦が予想されます。 あまり強い緊張を伴わない、持続可能な自粛を心掛けましょう。 自粛の類語・同義語を挙げていくと面白いことに気付きます。 先に述べたように、自粛という言葉には「他人の評価を気にする」ような、自分の意見の弱さ、主張の弱さのニュアンスがあります。 これに類する言葉は「 人目などを はばかる」「節制する」「節度を守る」などがあります。 ところが自粛にはその一方で「自分を抑える力」というニュアンスもあるのです。 こちらの意味に類する言葉は「自重」「自制」「我慢」などです。 いずれも自分の欲望や衝動を強い意志の力で押え込む、という意味です。 さらに、自粛に関連する言葉に、2017年に流行語になった「忖度」があります。 意味は「他人の心情を推し量ること、また、推し量って相手に配慮すること」 『ウィキぺディア』 ですが、特に自己保身的に上司や権力者の心情、立場、利益などに配慮する場合に使います。 いずれも、自己主張することを美しいとしない、日本人の特徴を良く表す言葉です。 自粛は、言動を慎むことですから、逆の意味は、言動を慎まない、ということになります。 類する単語としては「軽率」「軽はずみ」「勇み足」「無分別」などが考えられます。 他人の評価を気にするという意味に注目するなら、逆の意味は、人の意見に耳を貸さずに自分の主張を通そうとする、ということになります。 単語としては「奔放」「身勝手」「我侭」「頑固」「独り善がり」などです。 自分の意見を強く主張することには良い意味もあるはずですが、日本語では「初志貫徹」などわずかしかありません。 協調を尊ぶ日本人の心情を良く表しています。 「自粛要請」は、慎むことをお願いすること、ですから、逆の意味は、望ましいこととして勧めること、でしょうか。 「推奨」「奨励」などが考えられます。 自粛の類語・対義語を考えてみたら、意外にも協調を重んじ自己主張を嫌う日本人の特徴が見えてきました。 また、先に述べた通り、ちょっと意地悪な見方なのですが、国や自治体が「自粛を要請」するときには「損失の補償はできない代わりに罰則もない」という「お願いはするけど責任は取りたくない」という積もりもありそうでした。 自粛ムードを全く無視して密閉・密集・密接な場所へ出かける人も困りますが、あまりにも深刻に考え過ぎて、自粛疲れで参ってしまうのも良くありません。 過度なストレスは免疫力を下げるといいますから、感染予防の意味でも緊張し過ぎは本末転倒です。 ネットでは「不謹慎狩り」も行なわれているようですが、余裕を失っては危機は乗り切れないでしょう。 みんなで力を合わせて乗り越えていきましょう。
次の「別の日に変えられることができるのかどうか、そこが判断につながるのではないか」 『news23』の番組内で司会の小川彩佳キャスターから 「何をもって不要不急と判断していいのか、その目安というのはどういったことになるのでしょうか」と問われると、小池都知事は以下のように回答した。 今日この時間に必ず出ていかなければいけないのか否か、別の日に変えられることができるのかどうか、そこが判断につながるんじゃないでしょうか。 結婚式とかですね、そもそも卒業式・入学式、学校そのものが工夫をされたりしてますよね。 そういう形で、行動そのものを自分で判断して、今日この時間に行かなくちゃいけないかどうか、これをご判断いただきたいと思います。 続いて、星浩キャスターから次のような質問が飛んだ。 卒業式とか謝恩会とかのシーズンですよね。 その辺はおそらく(行くべきか、自粛するべきかの)ボーダーラインだと思うんですけれど、おそらく近所の買い物とかは大丈夫(だと思いますが)、ただ、こういう時期ですので親の介護とか病院への見舞いとかはギリギリ(判断が難しい)のところだと思うんですが、もし可能であればその辺りについて東京都の方から目安を示していただけると皆が分かりやすい。 すると小池都知事は次のように答え、具体的な目安を作ることについて慎重な姿勢を示した。 『3つの密』ということで、密集、密閉、密接。 この場面を避けていただきたいということを申し上げているわけです。 一つの目安だと思うんですが、これも有識者会議の方で、国の方でおまとめ頂いた目安ではありますが、(目安を設けると)逆に「それじゃあ外に行ったらいいんだね?」という話になってきて、目安を設けることが逆の行動を作ってしまう可能性があります。 でも、皆様には分かりやすい説明をしていかなければと思います。
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