メモ きせわた【着せ綿・被綿】 1 「きくのきせわた」に同じ。 2 物の上にかぶせた綿。 3 〔植〕シソ科の多年草。 高さ約80センチメートル。 茎は四角、葉は楕円形で縁に粗い切れ込みがある。 秋の初め、上部の葉腋に淡紅色の唇形花が群がって開く。 【広辞苑】 きくのきせわた【菊の被綿】 菊の花に綿をおおいかぶせたもの。 重陽 ちょうよう の節句の行事で、前夜、菊の花に綿をおおって、その露や香を移しとり、翌朝その綿で身体を拭うと長寿を保つという。 きせわた。 きくわた。 きくのわた。 【広辞苑】 科名 シソ科メハジキ属 学名 Leonurus macranthus Maxim. キセワタ 標準 Leonurus macranthus Maxim. var. villosissimus Krestovsk.
次の日本には、 五節句と呼ばれている 季節の節目にあたる日があります。 きっと、上巳の節句(桃の節句)や端午の節句は、すぐに思い浮かぶかのではないでしょうか。 菊の節句は、本来 「 重陽 ちょうよう の節句」と言われるものです。 「菊」というだけに、季節は秋?という想像はつくかと思います。 重陽の節句とは? 重陽の節句は、端午の節句などと同様に 五節句の1つとされており、 旧暦9月9日もしくは、その日に行われる 節会 せちえを指していいます。 重陽の意味 それではここで、普段はなかなか耳にすることのない 「重陽」の 意味をみていきましょう。 「重陽」の二文字を、一文字ずつに分解してみると、こんな意味を持ってることが解ります。 まず 「重」ですが、 「かさなる」という意味があることは、言わずと・・・かと思います。 では何が重なっているのかというと、重陽の節句は旧暦9月9日ですから、数字の 「9」が重なっています。 次に 「陽」の持つ意味ですが、これには、 陰陽説が関係しています。 万物を、陰と陽の2つの気からなるとする陰陽説では、奇数は「陽の気」を持つとされています。 中でも 「9」は、 陽の極数(最大奇数)となっています。 一文字ずつの意味が解ったところで、それぞれの意味を合わせてみてください。 もう、お分かりではないでしょうか? そう! 重陽は、 「陽(の極数) が2つ重なっている」という意味です。 古くには、陽の極数が重なる日は、陽の気が強すぎて 不吉とされており、それを祓うための行事として 節会が行われていました。 ただ、時の流れと共に、陽の重なりを 「吉」とする考えに転じたため、 お祝い事として行われるようになりました。 重陽の節句の由来 もしかしたら、重陽という言葉に陰陽説が関係していることもあって、中国から伝わった風習なのかな?と、感じているかもしれません。 確かに、重陽の節句は 「高み(丘や山) に登り、 茱萸 しゅうゆ をつけて、菊花酒を飲む」という古代中国の風習が伝わり、日本に定着したものです。 その昔、中国の汝南に 桓景 かんけいという人がいました。 貧しいものの、幸せな暮らしをしていたのですが、ある日突然、 汝河 じょがあたりで疫病が流行り、桓景の両親を含む多くの人が命を落としました。 そして、東南山に住む大仙人、 費長房 ひちょうぼうの話を聞くと、場所も解らぬまま費長房を訪ねる旅に出ました。 野を越え、山を越え・・・ やっと見つけた「費長房仙居」と書かれた門は、硬く閉ざされていました。 桓景は、その場にひざまずくと、その姿勢を崩すことなく時を過ごしました。 門が開かれたのは、三日目のことです。 桓景の気持ちが解った費長房は、彼に一振りの青龍剣を与え、日々、朝から晩まで修行をさせました。 ある日、桓景が修行をしていると、費長房がやってきて、 「今年の 九月九日、汝河に病魔がまた現れる。 おまえは故郷に戻り、民を救いなさい。 おまえに 茱萸の葉と 菊花酒を与える。 民を 高い所に避難させ、何を逃れるように。 」 と、いいました。 桓景は、家に戻ると、皆にその話をします。 そして、 9月9日には、 近所の 山に登り、難を避けるために 茱萸の葉を皆の体につけさせ、 菊花酒を一口ずつ飲ませました。 桓景は?というと、青龍剣を身に着けて家に戻り病魔が来るのを待ちました。 すると病魔が、不気味な風とうなり声と共に、村に上がってきました。 しかし、村は、もぬけの殻です。 皆が山のほうに集まっているのを見つけて、麓まではたどり着いたものの、菊花酒と茱萸の香りのせいで山に登ることができません。 仕方なく村に戻ると、家の中に座っている一人の男を見つけます。 そう、桓景です。 病魔が桓景に襲いかかろうとしたところを、桓景は、青龍剣で応戦します。 なかなか決着がつかず、病魔が逃げ去ろうとした時、桓景の投げた青龍剣が病魔の腹に突き刺さり、病魔は倒れ伏しました。 これ以降、汝河の両岸に住む民は、病魔に侵されることが無くなりました。 平安時代に、重陽の節句が日本に伝わると、宮中行事として行われるようになります。 「重陽の節会」というその行事は、別名を 「菊の宴(観菊の宴) 」といいました。 お酒に菊の花を浮かべた菊酒を酌み交わして長寿を祈ったり、菊の花を愛でるということが、行われたそうです。 ちょうど重陽の節句の頃に咲き誇る 菊の花は、その香りが 邪気を祓い長寿をもたらすとされていました。 時は流れて江戸時代になり 「五節句」が定められると、重陽の節句は庶民の間にも浸透していきます。 当時の庶民の間には、元々農業の収穫期を迎えるこの時期に、 収穫祭を行う風習がありました。 収穫祭事が主に旧暦9月9日に行われていたために、 重陽の節句は徐々に 収穫祭事に吸収されていったと考えられています。 五節句の中で最も重要視されていた重陽の節句が、現代において馴染みが無いのは、このことが原因のひとつなのかもしれません。 菊の着綿(きせわた) 日本で古くに行われていた 重陽の節句にまつわる風習に、 「菊の着綿」というものがあります。 どのような風習だったのか?というと・・・ まず、重陽の節句の前夜に、庭に咲く菊の花に綿を被せて、菊の夜露と香りを綿に移します。 そして、翌日(重陽の節句の日)に、その綿で体や顔を拭きました。 なぜそんなことをしたのか?というと、当時はそうやった綿 で顔を拭くと老いが去り、体を拭くと長寿になると言われていたからです。 重陽の節句の食べ物はなに? 他の節句と同様に、重陽の節句にも 行事食があります。 秋の収穫時期と重なっていたというだけあって、 秋の味覚が並びます。 食用菊 えっ?菊を食べるの? と、思う方もきっといらっしゃることでしょう。 食用菊は、奈良時代に中国から伝わり、江戸時代には、一般的な食べ物となっていました。 菊の花びらをゆでて、 おひたしや 酢の物にしたり、花を丸ごと 天ぷらにするなどしていただきます。 食用菊には血行を良くして、 肩こりや冷え性を改善するという効能があります。 最近では、 コレステロール値を下げ血栓を予防する効果もあるといわれています。 栗ご飯 日本には重陽の節句が伝わる以前から、秋の収穫祭において 栗ご飯を炊いて祝う風習がありました。 栗は、 栄養価が非常に高い食べ物です。 特に、ビタミンC(風邪予防や美容に効果あり)とビタミンB1(疲労回復に効果あり)が、豊富に含まれています。 他にも、鉄分や食物繊維、血をつくるといわれる葉酸などの栄養素が詰まっています。 実のところ「栗」と「粟」どちらが正しいのか?は定かではありません。 ただ、重陽の節句が伝来する以前の日本を考えると、「粟ご飯」説もあながち間違いではないだろうと思います。 秋茄子 9月には、9の付く日が、「9日・19日・29日」と3回あります。 これらを 「三九日(みくんち・さんくにち・みくにち) 」と呼び、かつては 秋の祭が行われる日でもありました。 また、これら 9の付く日に茄子を食べると、 中風 ちゅうぶ を病まぬという言い伝えがあり、茄子料理を食べていたと言われています。 余談ですが、ナスと聞いて 「秋茄子は嫁に食わすな」という言葉が浮かんだりはりていませか? これは、茄子に 体を冷やす効果があるため、「嫁の体が冷えて、子供が出来ないと困る」というところから来ているもので、決して嫁いびりの言葉ではありません。 もし体を冷やすことが気になる場合は、生姜やねぎ、唐辛子などをあわせたり、油で揚げたりすることで、防止することができます。 茄子は、約94%が水分でできており、 食物繊維はきゅうりの2倍も含まれています。 他にも、ビタミンB群、ビタミンC、カリウム、鉄、カルシウムと豊富な栄養素を含んでおり、 生態調節機能に優れていると言われています。 近年では、茄子の色素に含まれるポリフェノールが、 アンチエイジングや生活習慣病予防に効果があると注目されています。 重陽の節句の行事食は、なんだか体にいいものばかりですね。 どれもとっても、長寿を祈った重陽の節句にふさわしい食べ物ということができるのではないでしょうか。 重陽の節句!今年はいつ? 重陽の節句以外の節句もそうですが、新暦が施行されてからは、旧暦の月日を新暦に当てて行われています。 ということで、 今年(2019年) の重陽の節句は 9月9日(月)です。 ちなみに、今年の旧暦9月9日は、新暦で 10月7日(月)になります。 この頃になると、ちょうど菊の盛んな時期になりますから、「旧暦で重陽の節句を祝う」というのも、風情があっていいかもしれません。
次の暑さがひと段落して秋の気配を感じ始めると、やっぱりお茶はあたたかいのがおいしいなあ、おやつは甘いもんがええなあ、と思います。 秋の和菓子は、特に色美しく、愛らしい姿をしているものが多いように見受けます。 和菓子は京都人の毎日の暮らしに密接に結びつき、生活と心を豊かにしてくれています。 毎月のお菓子を紹介しながら、その奥にある京都の知恵と文化を探れたらと思います。 中国では、大変おめでたい日とされていますが、日本では、知ってる人も少なくなってきました。 「九」が「苦」を連想させるので、すたれてきたのではないかとも言われています。 中国には「菊水信仰」があります。 山の奥に咲く菊が川に流れて、その菊のエキスを含んだ水を飲むと、邪気を払い寿命を延ばすというものです。 そこから生まれたのが「着せ綿」です。 菊の上に真綿をのせて、菊の露を含んだその綿で体を拭くとよいとされているのです。 そんな「着せ綿」をお菓子にすると、赤い菊の花の上に真っ白いふわふわとした綿がのり、こんな愛らしい形になりました。 九月の「実り」は、栗のいがが、まだ緑色をしていますが、十月になると、茶色になって供されます。 「ぼたもち」ともいいますが、「ぼた」とは、稲を脱穀した時のわら屑に混じる二級米のこと。 最初からつぶれてるお米を「ぼた」と呼びます。 そのようなはんぱもののお米を利用して作ったのが「ぼたもち」。 「牡丹」に見立てて作ったともいわれますが、美しい花の名前を用いて、秋のお彼岸には「萩のもち」、転じて「おはぎ」と呼ぶようになったと思われます。 そんな「おはぎ」を専門にする「今西軒」は、創業明治三十年。 二代目が昭和の初めに苦労しながら研究を重ね、「おはぎ」を始めたところ有名に。 物のない時代に小豆や砂糖をケチらずに使ったのが良かったのではと言われています。 三代目は、現在八十歳。 四代目を継いだ現当主は三代目の孫にあたり、おじいさんから直々に秘伝を授かる毎日です。 つぶあん、こしあん、きな粉の三種類ある「おはぎ」は、自家製の「あんこ」をたっぷりと使っているのが特徴で、特に「こしあん」の色は、美しい紫色になるように、と先代がこだわった色を目指しています。 「きな粉」も国産のものを使って、美しい黄色と風味の良さにこだわっています。 「一からの手作り」にこだわり、「品の良い甘さ」の「おはぎ」は、お客さまによっては「これは和菓子ですね」とおっしゃるそうです。 『「おはぎ」で商わせてもらってるのだから、ご家庭で作られるものと同じではダメですよね。 やはり、それ以上のものを作るという「こだわり」を大切にしています』と、四代目の頼もしいお言葉です。 協力:大極殿本舗・六角店「栖園」 京都市中京区六角通高倉東入る南側 「今西軒」 京都市下京区揚梅通諏訪町西南角 (五条烏丸西入る一筋目下る) 過去の菓子暦へ.
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