主君が言うように、王はかねてよりアリシア王女を次期王に指名することを考えてきた。 だが、その想いを知る者はナイゼルしかいない。 なぜなら、前例がない。 ハイルランドの長い歴史の中で、女王が統治した時期がまったくないわけではないが、どれもが臨時的なものだ。 ゆえに枢密院をはじめとする貴族たちも、アリシアが夫に迎えるものこそ、次期王位継承者だと疑いなく信じている。 王は、表面上は皆の思い込みを否定しなかった。 明らかに王妃教育には不要な学問をアリシア王女が学ぶのも、臨時的に女王となる可能性もゼロではないからという、かなり消極的な理由で説明された。 というのも、つい最近まで、主君は諦めかけていたのだ。 問題だったのは、当事者であるアリシアだ。 分け隔てなく臣下に接し、素直でまっすぐな性格で皆に愛される彼女は、王族としては申し分なかった。 だが、なにぶん無垢すぎだ。 穢れを知らず、疑うことをせず、愛らしい薔薇のような姫君。 それは彼女の美徳だが、王の器とみるには頼りない。 加えて、せっかくの勉学も好かぬとあれば、何も無理矢理に茨の道を進ませるのはどうかというものだ。 だが、彼女は変わった。 具体的には、クロヴィスを補佐官に指名した頃だ。 子供らしく、楽しければそれでいいという彼女の行動原理は、がらりと変わった。 嫌いな勉学も必死で取り組み、聡明な瞳を見開いてあらゆるものに目を向け、少女としてではなく王女として人と接するようになった。 具体的に彼女の空色の目が何を見据えているのか、そこまではわからない。 しかし、アリシアの中に一本の芯のようなものが通ったのは確かだ。 「ご自身を次期王にとのアリシア様の申し出に、陛下はなんとお答えに?」 「今は頷けぬと」 やはりなと、ナイゼルはさして驚かなかった。 もしアリシアは王子であったなら話は簡単だったが、彼女は王女だ。 王がアリシア姫を次期王位に指名するには、まずは彼女にその器が備わっていることを、彼女自身が証明しなくてはならない。 もちろんそれは、第一には臣下として仕える貴族を納得させるためだが、同時に隣国エアルダールに対してでもである。 女帝は前々から、息子のフリッツ王子とアリシア姫との縁談を望んでいると匂わせてきた。 恐らく彼女は、自分がエアルダールを統治する間、フリッツ王子をハイルランド王に据えることを狙っている。 そのあとは、自分の退任と共にフリッツをエアルダールに呼び戻し、ハイルランド王は二人の子に継がせる。 宰相としてエアルダールの息がかかる者をつければ、完璧だ。 そんな狙いがぷんぷんするからこそ、王はアリシア姫とフリッツ王子を引き合わせようとしない。 「シアを後継者に指名するのは、あれにその価値があることを証明した後だ。 あの従姉妹殿を文句なしに黙らせるのは、相当に骨が折れるだろうな」 ほくほくと嬉しそうに語るくせに、王の言葉はきわめて冷静で的を射ている。 彼はいつもそうだ。 心優しく、穏やかで、いたずら好き。 人格者であり賢王と名高い主君を、ナイゼルは心から尊敬し慕っている。 だが、ときたまに、王がどこまで遠くを見通しているのかと、空恐ろしさを覚えるときがある。 苛烈な性格で知られる隣国の女帝が本格的にハイルランドを手に入れようと動かないのは、現状での優先度が低いことももちろんのこと、それ以上に彼女がジェームズ王を認めているからだ。 連想されるのは、巨大なチェス盤。 性格も、統治の仕方も、全く異なる二人の王は、実はその性質でよく似ている。 恐らくはナイゼルの考えが及ぶよりずっと先まで見通し、互いの手の内を読み合いながら、静かに駒を動かしあっている。 何やら背筋のあたりがぞくりとしたのを振り払うように、ナイゼルはあえて軽い調子で肩を竦めた。 「あなたもお人が悪い。 可愛い子には旅をさせよとは言うものの、陛下の助けもないとは、あまりに重い試練ではありませんか」 「いやいや。 私はさりげなーく、おぜん立てする気だったのだよ? なんたって、愛娘の晴れ舞台だ。 親としては、手助けしてやりたいものじゃないか」 しかし、王女は凛と咲く一輪の青薔薇のごとく、揺るぎなく宣言した。 自分の道は、自分で切り開きたいのだと。 先ほど王に抱いた畏敬の念とは別の感情で、ナイゼルの体は打ち震えた。 使節団の慰労式典で、クロヴィスを庇い立った王女の気高く美しい姿が、まざまざと瞼の裏に蘇る。 空色の髪に王冠がきらめく様を、是が非にもこの目で見たい。 「シアには、優秀な補佐官もついておる。 あれが何をするのか、私も興味深いのだ。 まずは、愛しい我が子のお手並み拝見といったところかの」 王女アリシアと、その補佐官クロヴィス。 なぜかナイゼルは、彼らが進むその先に、歴史の転換点があるような興奮を覚えたのであった。
次の主君が言うように、王はかねてよりアリシア王女を次期王に指名することを考えてきた。 だが、その想いを知る者はナイゼルしかいない。 なぜなら、前例がない。 ハイルランドの長い歴史の中で、女王が統治した時期がまったくないわけではないが、どれもが臨時的なものだ。 ゆえに枢密院をはじめとする貴族たちも、アリシアが夫に迎えるものこそ、次期王位継承者だと疑いなく信じている。 王は、表面上は皆の思い込みを否定しなかった。 明らかに王妃教育には不要な学問をアリシア王女が学ぶのも、臨時的に女王となる可能性もゼロではないからという、かなり消極的な理由で説明された。 というのも、つい最近まで、主君は諦めかけていたのだ。 問題だったのは、当事者であるアリシアだ。 分け隔てなく臣下に接し、素直でまっすぐな性格で皆に愛される彼女は、王族としては申し分なかった。 だが、なにぶん無垢すぎだ。 穢れを知らず、疑うことをせず、愛らしい薔薇のような姫君。 それは彼女の美徳だが、王の器とみるには頼りない。 加えて、せっかくの勉学も好かぬとあれば、何も無理矢理に茨の道を進ませるのはどうかというものだ。 だが、彼女は変わった。 具体的には、クロヴィスを補佐官に指名した頃だ。 子供らしく、楽しければそれでいいという彼女の行動原理は、がらりと変わった。 嫌いな勉学も必死で取り組み、聡明な瞳を見開いてあらゆるものに目を向け、少女としてではなく王女として人と接するようになった。 具体的に彼女の空色の目が何を見据えているのか、そこまではわからない。 しかし、アリシアの中に一本の芯のようなものが通ったのは確かだ。 「ご自身を次期王にとのアリシア様の申し出に、陛下はなんとお答えに?」 「今は頷けぬと」 やはりなと、ナイゼルはさして驚かなかった。 もしアリシアは王子であったなら話は簡単だったが、彼女は王女だ。 王がアリシア姫を次期王位に指名するには、まずは彼女にその器が備わっていることを、彼女自身が証明しなくてはならない。 もちろんそれは、第一には臣下として仕える貴族を納得させるためだが、同時に隣国エアルダールに対してでもである。 女帝は前々から、息子のフリッツ王子とアリシア姫との縁談を望んでいると匂わせてきた。 恐らく彼女は、自分がエアルダールを統治する間、フリッツ王子をハイルランド王に据えることを狙っている。 そのあとは、自分の退任と共にフリッツをエアルダールに呼び戻し、ハイルランド王は二人の子に継がせる。 宰相としてエアルダールの息がかかる者をつければ、完璧だ。 そんな狙いがぷんぷんするからこそ、王はアリシア姫とフリッツ王子を引き合わせようとしない。 「シアを後継者に指名するのは、あれにその価値があることを証明した後だ。 あの従姉妹殿を文句なしに黙らせるのは、相当に骨が折れるだろうな」 ほくほくと嬉しそうに語るくせに、王の言葉はきわめて冷静で的を射ている。 彼はいつもそうだ。 心優しく、穏やかで、いたずら好き。 人格者であり賢王と名高い主君を、ナイゼルは心から尊敬し慕っている。 だが、ときたまに、王がどこまで遠くを見通しているのかと、空恐ろしさを覚えるときがある。 苛烈な性格で知られる隣国の女帝が本格的にハイルランドを手に入れようと動かないのは、現状での優先度が低いことももちろんのこと、それ以上に彼女がジェームズ王を認めているからだ。 連想されるのは、巨大なチェス盤。 性格も、統治の仕方も、全く異なる二人の王は、実はその性質でよく似ている。 恐らくはナイゼルの考えが及ぶよりずっと先まで見通し、互いの手の内を読み合いながら、静かに駒を動かしあっている。 何やら背筋のあたりがぞくりとしたのを振り払うように、ナイゼルはあえて軽い調子で肩を竦めた。 「あなたもお人が悪い。 可愛い子には旅をさせよとは言うものの、陛下の助けもないとは、あまりに重い試練ではありませんか」 「いやいや。 私はさりげなーく、おぜん立てする気だったのだよ? なんたって、愛娘の晴れ舞台だ。 親としては、手助けしてやりたいものじゃないか」 しかし、王女は凛と咲く一輪の青薔薇のごとく、揺るぎなく宣言した。 自分の道は、自分で切り開きたいのだと。 先ほど王に抱いた畏敬の念とは別の感情で、ナイゼルの体は打ち震えた。 使節団の慰労式典で、クロヴィスを庇い立った王女の気高く美しい姿が、まざまざと瞼の裏に蘇る。 空色の髪に王冠がきらめく様を、是が非にもこの目で見たい。 「シアには、優秀な補佐官もついておる。 あれが何をするのか、私も興味深いのだ。 まずは、愛しい我が子のお手並み拝見といったところかの」 王女アリシアと、その補佐官クロヴィス。 なぜかナイゼルは、彼らが進むその先に、歴史の転換点があるような興奮を覚えたのであった。
次の作者: やしろ• 第二王子の婚約者だったはずの侯爵令嬢デボラは、舞踏会で身に覚えのない罪状を並べ立てられ一方的に婚約の破棄を宣言される。 第二王子の隣りには可憐な男爵令嬢。 わめく取り巻きたち。 婚約者の地位に執着のなかったデボラは、ご希望通りに婚約破棄は受けて差し上げましょう、と意気揚々領地へ帰る途中に襲撃を受け西の森へと迷い込む…… 迷い込んだ先の森で魔女を師と仰ぎスローライフを楽しもうとしたりそうは問屋が卸さなかったり、なんやかんや世界を股にかけるかもしれない侯爵令嬢のお話。 *R15、残酷な描写ありは保険です• 異世界[恋愛] 連載:全18部分• 女主人公 婚約破棄 ふわっとファンタジー 魔法っぽいなにか• R15 残酷な描写あり• 作者: ナツ• 齢5歳のアナベル・マーティンは我儘放題の伯爵令嬢。 そんなアナベルは階段から落ちてしまい意識を失ってしまう。 その時夢で見たのは産まれる前のアナベルの記憶... 前世というものだった。 目が覚めたアナベルは自身が前世プレイしていた乙女ゲームの悪役令嬢に成り代わったと知って焦る。 BadEndしかないじゃん!• 異世界[恋愛] 連載:全12部分• 乙女ゲーム 悪役令嬢 ギャグ? 転生 女主人公• R15 残酷な描写あり• 作者:• 四年前、山原瑠璃子は当時十六歳の時に高校からの帰り道で異世界トリップし、紆余曲折を経てメイベル王国の王、マルセル・ヴィ・メイベルの寵妃となった。 それから二年。 マルセルの寵妃として名を馳せた瑠璃子は、マルセルの女癖の悪さにほとほと嫌気が差してメイベルを出奔し、旅の一座に加わって一路東方の大国を目指していた。 その道中で出会った謎めいた青年との邂逅が瑠璃子の人生を大きく左右する事となる。 異世界[恋愛] 完結済:全35部分• 年の差 異世界トリップ 妾妃 寵妃 国王 独占欲 執着 R15 ベリーズF大賞2• R15 残酷な描写あり• 作者:• 田舎貴族の娘であるアイラは恩人の侯爵夫人に呼び出され、不眠に悩む王の寝かし付けをして欲しいと頼まれる。 子供の寝かし付けは得意だが大人で試したことはない。 無理と解っていたがどうしてもと乞われ、断ることができずに城へ上がった。 不眠が原因で死の淵にある王と出会い、ちょっとおかしな騎士に付きまとわれながらも役目を全うしようと頑張るアイラだったが、やがて不安に直面して……• 異世界[恋愛] 完結済:全42部分• 身分差 王族 騎士 伝承 抱き枕 恋愛• R15• 作者:• 『ラインヒルデ・エミーリア・フォン・ヴィッテルスバッハ、貴女は自分の犯した罪について、どう思っているのか?』 『殿下、わたくしはその方に、何もしておりません』 毒殺に丸焼き、一家揃って仲良く処刑、邪神に頭から食われるなど、ラインヒルデは『ツンデルお嬢様』としてこっちの界隈では有名な、恋愛ゲームのキャラクターだ。 ツンデレ、ではない。 ツンデル、である。 そんな彼女に生まれ変わった私はどうにかして生き残ろうと、準備万端調えた上で、婚約破棄付きの断罪のち投獄後行方不明という、一番希望がもてそうな末路に自分から突っ込んでいったんだけど……。 9 余話「もうツンデない私とトーマさんの新婚生活」を追加しました!• 異世界[恋愛] 完結済:全18部分• 乙女ゲーム 悪役令嬢 女主人公 お嬢様 ツンデル• R15 残酷な描写あり• 作者:• ソニア・カーネリアンは救国の魔女の一人娘。 しかし盟約に従い招かれた婚礼の儀で、王子から婚約破棄を言い渡され、悪の魔女だと糾弾されてしまう。 そして侮辱の仕返しに王子の騎士を手に入れて……。 電子版もあります。 よろしくお願いします。 異世界[恋愛] 完結済:全94部分• 悪役令嬢 婚約破棄 魔女 主従 憎悪 ざまぁ要素 ファンタジー チート 女主人公• R15 残酷な描写あり• 作者:• 37歳の時、交通事故で死んだ幸薄い女が転生した先は漫画の世界だった。 しかも、悪役令嬢というキャラクターに。 しかし、まだ王太子殿下と婚約はしていないので、何とか悪役令嬢の役目を回避しようと一進一退を繰り返しながらも頑張るネガティブな性格の公爵令嬢のお話です。 異世界[恋愛] 連載:全41部分• 悪役令嬢 恋愛 転生 貴族 王族 漫画の世界 主人公がネガティブ• 作者:• その日、私、クリスティーヌは風邪にうなされながらある事を思い出していた。 それは前世の記憶で、所謂乙女ゲームの世界とこの世界は同じであったのだけれど…… 「えーと、この婚約破棄、偽物だったはず。 でも、これは本物が欲しい」 多少家が没落してしまうのだが、その方が私に都合がいい。 異世界[恋愛] 完結済:全52部分• 乙女ゲーム 悪役令嬢 婚約破棄 溺愛 恋愛 ネット小説大賞八• 作者:• とある王国に美しい公爵令嬢がいた。 どの御令嬢よりも気高い志を持ち、いくら婚約者である王子が目の前で他の女と戯れようが、彼女は耐えてきた。 これは……国のためなのだと自分自身に言い聞かせながら。 そんな少女に告げられる婚約破棄。 『どうやら私は婚約していた王子に捨てられたようだ』 知らぬ間に婚約破棄された挙句、人身売買されるという不幸続き。 異世界[恋愛] 完結済:全14部分• 異類婚姻譚 女主人公 中世 魔法 ハッピーエンド• R15 残酷な描写あり• 作者:• 】 歴史あり、誇り高きハイルランド王国。 その建国を祝う<星祭>の夜、王妃アリシアは城に乗り込んできた革命軍に胸を貫かれ、命を落とした。 愛する王は寵姫と逃げ去り、臣民には見放され、絶望の中に<傾国の毒薔薇>として虚しく死んだはずのアリシアは、なぜか、もう一度おなじ人生をやり直していた。 そのさなか、アリシアは前世で自分を亡き者にした謎の美青年、クロヴィスと偶然の再会を果たした。 異世界[恋愛] 連載:全143部分• 身分差 年の差 女主人公 西洋 逆行 一種のタイムリープ? やりなおしの人生 一回目はバッドエンド 主人公奮闘 未来を変える 王位継承闘争 シリアス傾向? 悪役救済• R15.
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