「花かつみ」は郡山市の花ですが、自然界で自生しているのを見たことがありません。 残念ながら鉢に入っている姿しか対面していません。 郡山市役所内で「花かつみ」の鉢植え展示会がありました。 「花かつみ」は、みちのくの歌枕として歌われています。 歌に歌われた「花かつみ」は、実際にはどんな花なのかは定かではありませんが 郡山では、花かつみ=ヒメシャガではないかとしています。 日和田町にあるは、芭蕉が奥の細道を訪ねたことで有名になり、地元でも 300年を記念して、郡山市の花であるハナカツミを植栽し、群生するまでになっています。 最近ではシャガやフジの木、フジバカマなどが植栽され、また山ノ井の清水の復元、そして門構えのあずま屋が設置され、地区民を始め、東京方面からも観光客が立ち寄るほどの公園になっております。 郡山市の花『ハナカツミ』 陸奥(みちのく)の 安積の沼の 花かつみ かつ見る人に 恋ひやあたらむ 古今和歌集の恋歌に詠われ以来、安積沼の花かつみは多くの歌人に次々と詠まれてきました。 かの松尾芭蕉も「奥の細道」の中で、 「等窮ガ宅ヲ出テ五里計、檜皮ノ宿ヲ離レテアサカ山有。 路ヨリ近シ。 此アタリ沼多シ。 カツミ刈比モヤ、近ウナレバ、イヅレノ草ヲ花カツミトハ云ゾト、人々ニ尋待レドモ、更知人ナシ。 沼ヲ尋、人ニトヒ、「カツミカツミ」ト尋アリキ……」 と、「かつみ、かつみ」とその幻の花を日が暮れるまで尋ね歩いたと残しているのは有名な話です。 郡山市では、市制施行50年をむかえた昭和49年、「ハナカツミ」(学名 ヒメシャガ)を市の花に制定しました。 この「ハナカツミ」には、幻の花ゆえ、花菖蒲などの他の花を指すという説もありますが、相生集(天保12年)に「花の色はさながら菖蒲のごとし、葉ははやく繁りて、其末四面に垂れ、尋常のあやめなどの生えた姿に似つかず。 」とあることなどから、ヒメシャガを指すのではないかと考えられるとのことです。 参考文献:「現代花かつみ考」 永田敏弘氏.
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次の私の家の家紋は「蔦〔つた〕」の紋です。 子供の頃、家で仏壇を購入したのですが、その正面上部に家紋を入れるようになっていて、その時に家紋が蔦であることを私も教えられたのでした。 しかし、ひと口に蔦紋と言いましても何十種類も存在し、それぞれ細かな違いがあり、正確な名称は覚えておりません。 私が家の家紋を見るのは、この仏壇と、父方の墓石に刻まれたものを見る時くらいで、今日まで他に使う機会がなかったのです。 私が着物を着ないせいかもしれません。 いいえ、それ以上に、この「よく分からない蔦紋」を「使いたい」と思わなかった。 我が家の紋がもしも「三升」であったらなら、私はその紋を事あるごとに使ったことでしょう。 歌舞伎を見ていて、やはり三升は特別に格好いい紋だと思うのです。 簡潔でありながら他と見間違えぬ唯一絶対の存在であるという点が格好いい。 さすが老舗という感じがいたします。 やはりそういうものは「早い者勝ち」と思う。 もちろん、複雑な造形であっても、菊の御紋や葵の御紋には威厳がございます。 一概には言えませんが、家紋は植物を素材としたものが多いように思います。 動物には「動物園」というものが存在しますから、珍しい動物であってもわりと実際に見たことがあるものです。 昔の日本人だったら見られなかった象、虎、ライオンなど、私でも見たことがあります。 しかし、これが植物ということになりますと、この年齢になっても、まだ見たことがないものがあるのです。 たとえば、猿之助さんの家紋は「澤瀉〔おもだか〕」ですが、私は澤瀉を1度も見たことがありません。 (澤瀉屋の「瀉」の「つくり」は正式には「ワかんむり」) その辺に生えているのに、名前も知らぬまま通り過ぎてしまう植物がたくさんあるものです。 また、動物であれば、「龍は架空の生き物」というように、想像上の動物と、現実に存在する動物との区別を私たちは知っていますけれども、こと植物になると、どこまでが現実でどこからが想像なのか、はっきりと知らなかったりします。 全体像を把握していない、誰にも掴みきれないほど広く豊かな世界が植物にはあると思うのです。 きのこ1つ取っても、信じられないような不思議な色かたちをしたものがございます。 そうしてある日突然、こんな花が存在したのか、と驚いたり、この花は存在しなかったのか、と驚いたりするのです。 玉三郎さんの定紋が「花勝見〔はなかつみ〕」であることはずっと前から知っていたのですが、この花勝見という植物がどのようなものなのか、ずっと知らないままでした。 知らないことはすぐに調べれば良いものを、ぼんやりした私は愚かにもそのままにして過ごしてきてしまったのです。 ところが、松尾芭蕉の『おくのほそ道』に「かつみ」の話が出てきて、私は初めてこれが「かつて存在し、今は誰にも分からなくなった幻の花」の名前であることを知ったのでした。 郡山〔こおりやま〕を過ぎて檜皮〔ひわだ〕の宿(現在・郡山市日和田〔ひわだ〕町)を出はずれたところに、歌枕の安積山〔あさかやま〕があります。 「安積山かげさへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに」という歌が万葉集にあり、歌にまつわるエピソードも収録されています。 この歌、風流の尊さ、風雅の力を象徴する歌として有名なのです。 葛城王〔かつらぎのおおきみ〕が陸奥に派遣された時、国司の対応が無礼だったので王が機嫌をそこね、せっかくの宴席がしらけてしまった。 その時、かつて采女〔うねめ〕だった風流を解する娘子〔むすめご〕がこの歌を口ずさんだところ、王の心がほぐれて機嫌がなおった。 そんなエピソードです。 歌の力、風流の力が、かたくなになった人の心を和らげる。 安積山は風流を尊んだ人たちゆかりの歌枕なのです。 さらに芭蕉は、近くの沼に「かつみ」と呼ばれる草がないかと人にたずねて歩きます。 これも古今集に「・・・あさかの沼の花かつみ・・・」という歌があり、風流人として知られた平安朝の歌人・藤原実方〔さねかた〕のエピソードがあるのです。 端午の節句が近づき、実方は都の風習にしたがって軒端〔のきば〕に菖蒲〔しょうぶ〕を葺〔ふ〕かせようとしたのですが、当時、土地の人たちの間にその風習はなく、菖蒲もなかった。 そこで、「あさか沼」の「かつみ」を代用に葺けと命じたという話です。 芭蕉は実方の故事を思って、「かつみ、かつみ」と日が暮れるまでたずね歩きます。 「かつみ」は、実方の時代は真菰〔まこも〕のことだったらしいのですが、時代が下った芭蕉のころは、その正体が分からなくなっていたらしい。 正体の分からない草「かつみ」をたずねまわって一日過ごしたわけです。 土地の人はもちろん知りません。 当然見つかるわけもないのですが、端午の節句が近い五月はじめの一日を、「かつみ」にこだわり、「かつみ」を追い求めて過ごす、芭蕉はそんな風流に身をまかせる自分を演じているのです。 『芭蕉の言葉』佐佐木幸綱:著より 芭蕉の『おくのほそ道』はたいへん素晴らしい書物であると思いますが、原文だけを何度読み返してみても、現代人にはその素晴らしさが理解できないのではないかと感じます。 その素晴らしさを解説してくれる素晴らしい本として、 『おくのほそ道行』森本哲郎:著、笹川弘三:写真、平凡社:刊 『芭蕉の言葉』佐佐木幸綱:著、稲越功一:写真、淡交社:刊 この2冊をお勧めいたします。 写真も美しい。 昔は欲しい古本を入手するのも大変でしたが、今は「 Amazon」や「日本の古本屋」などで簡単に手に入る時代となりました。 ぜひお手元に。 「かつて存在し、今は誰にも分からなくなった幻の花」という「花かつみ」が、玉三郎さんにとても合っていると私は思ったのです。 知る前は、よく分からなかったのですけれども。
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