『幽霊』の登場人物やあらすじ、内容は? 登場人物 アルヴィング夫人 金持ちだった夫の遺産で孤児院を建設。 ひとり息子のオスヴァルが大好き。 かつて夫のもとから逃げ出すも、家に戻されるという事件がありました。 オスヴァル アルヴィング夫人の息子。 画家です。 幼くしてパリへ渡り、孤児院開設記念式典を機に実家へ帰ってきました。 マンデルス 牧師です。 孤児院の建設に関する書類の整理などのお手伝いをしています。 アルヴィング夫人の脱走事件の際には夫のもとへ戻るよう説得したのは彼です。 キリスト教的な、父や夫、息子に対する義務を重んじます。 レギーネ アルヴィング夫人の召使。 父親は指物師のエングストランです。 あらすじ、内容 ここからは大いにネタバレを含みます。 ご注意ください。 夫の名誉の証として建てた孤児院開設にともなう記念式典を目前に控え、息子のオスヴァルがパリからアルヴィング夫人の家へ帰ってきます。 マンデルス牧師は、かつてアルヴィング夫人が夫のもとから逃げ出したことや、息子を若くして海外へやり、夫や息子への義務を投げ出したと話します。 そして、それへの反論としてアルヴィング夫人は夫の本当の姿を話し始めます。 夫は家の外で遊びまわっており、ふしだらな生活を送っていたこと。 当時の召使ヨハンナにまで夫が手を出していたこ と。 そして、実はその間に生まれたのが今の召使レギーネであること。 そんな話をしていると、食堂から声が聞こえてきます。 なんと、 オスヴァルがレギーネに手を出していたのでした。 それをみて夫人は言います。 「幽霊」がかえってきたのだと。 さらに、そこへ悲報が。 なんと、 孤児院で火事が起きたのです。 ふしだらな夫の遺産を残すまいとして偽善にお金をかけてきた夫人。 火事の後に残ったすべての権利をマンデルス牧師に譲渡します。 そしてオスヴァルとレギーネに、ふたりが腹違いの兄妹であることを告げます。 レギーネは家を出ていき、母子二人の時間が訪れます。 オスヴァルは、母親に自分が不治の病であり、まもなく死を迎えるはずであること、病によってもう絵が描けなくなってしまったことを話します。 そして、生きる喜びだったレギーネまでも失った彼は 、昇ってくる太陽に背を向け、太陽太陽とつぶやきながら母親の前で最期を迎えるのでした。 『幽霊』の感想は?どうだった? 鳥肌がすさまじい作品です。 特に最後のシーンは、自分が空を飛べるのではないかと感じるほど鳥肌が立ちました。 そして、やはりぼくごときが完全な理解ができるような単純な作品ではないとも感じます。 不倫や近親相姦などが描かれ、当時の世間にすんなりと受け入れられなかったのも納得ですし、それでもなおしっかりと評価を得て今に伝わっているところにこの作品のすごさが見える気がします。 『幽霊』読んで何を思った?考察は? 「幽霊」とはなにか 作品の題にもとられている 「幽霊」ですが、これは何を指しているのでしょうか。 オスヴァルがレギーネに手を出しているのを見て、アルヴィング夫人は幽霊がかえってきたと述べます。 そして、以降の夫人の台詞から「幽霊」の特徴をまとめるとこんな感じです。 わたしたちはみな幽霊に取りつかれている• 父母から遺伝するものである• あらゆる滅び去った思想や信仰• 生きているのではなく、しがみついているだけなのに追い払えない そして、オスヴァルを診察したパリの医者は、 オスヴァルに生まれながらの虫食いがあること、親の罪は子が償いをさせられるということを伝えます。 ここからぼくが考えた「幽霊」は、• 本質を伴わない、見せかけだけの受け継がれてきた信仰や慣習• 未来を滅ぼしてしまう です。 「幽霊」によってオスヴァルは命を落とすことになり、アルヴィング氏の遺産は火事で失われます。 意味を持たない慣習や信仰にとらわれ続けると破滅を招くことになる、というのが描かれているのではないでしょうか。 おわりに いかがでしたか。 実のところ考えれば考えるほど「幽霊」がなにかわからなくなってしまい、現時点での自分の考えを書いてみることにしました。 身近に潜む因襲の幽霊。 1世紀以上を経てもなお、イプセンの示す世界の問題点は打破されていないように思えます。 みなさまがこの作品を通して何を考えたか、「幽霊」とは何であると考えるか。 ぜひぜひ教えてください! シェアやコメントお待ちしております!それでは!.
次のスポンサーリンク(当サイトとは関係ありません) 経済的、物質的に何不自由のない妻の座を、あえて捨てるという勇気ある選択をする人がいる。 最近、わたしと同世代の二人のクライエントさんがそれを決めて実行した。 夫に暴力を振るわれたわけでもなく、周囲からその選択を勧められるような要素はない。 頼れる人も、あてにできる確固たる自活の手段もなく、年齢も若くない。 明らかに、現状に甘んじている方が簡単なのに、「一体どうなるのか、こわくて不安でたまらない。 」と言いながら、最終的に彼女たちが静かにその決断をしたときの、凜とした気高い様子には、尊敬の念を覚えた。 もし、わたしが同じ立場に置かれたら、同じ決断ができただろうか。 そのうちのひとりは、独り暮らしを始めた小さな新居でこう言った。 自分で、完全に状況をコントロール出来る。 他人の決断や選択に怯えなくてもいい。 自分の決断と、その結果に100%責任をもつ自由。 自由満喫中。 自由は肩がこらない!! じーんとくる。 「経済的に保証された妻の座」は、「居心地のいい実家」や「つまらない職場」とも置き換えられる。 客観的に見れば恵まれているとも言えるその環境で、「でも、今のままではだめなんだ」とたましいが叫ぶ。 そんな状況にある人たちへのエールをこめて、イプセンの「人形の家」をいっしょに読み直してみたい。 Contents• イプセンの「人形の家」 「人形の家」は、ノルウェーの劇作家、ヘンリック・イプセンの代表作とされる戯曲で、今から140年も前の1879年に書かれ、同年、デンマーク王立劇場で上演された。 裕福な弁護士ヘルメルの妻で、お嬢様育ちの奥様ノーラが、夫と三人の子供を残して家を出ていく決断をしたという話。 イプセンがこの戯曲で示したのは、何よりも自分自身が何者なのか、まずそれを確かめるのが人間の義務であり、そういう人間になるべきだ、ということだと言ってよかろう。 (「 」の訳者、原千代海) 日本における初演は、「人形の家」が誕生してから30年余り後の1911年。 それでも今から100年以上も前! 文芸協会が主催で、会長の坪内逍遥の私邸で公演されたそうだ。 以下は、ウィキペディアに載っている、貴重な当時の写真。 坪内逍遥邸で行われた『人形の家』初演(1911年) 「人形の家」より抜粋したノラの台詞 以下は、ノラと弁護士の夫ヘルメルの会話、クライマックスの部分の抜粋。 自分につきつけられている問いかけのように、はっとさせられる箇所がいくつもあり、140年間も世界中で読み継がれているのももっともだと思える。 引用は原千代海訳版の「 」より。 8年間・・・いいえ、もっとよ。 知り合ってからあたしたち、真面目なことについて、真面目な言葉を交わしたことは、一度だってなかったわ。 どんなことでも突っ込んで、真面目に話し合ったことが一度もない、って言っているのよ。 あなたは一度も、あたしをわかってくださらなかった。 あたしはとても間違った扱いを受けていたのよ、トルヴァル。 最初はパパに、それからあなたに。 だからあたしも、同じように考えた、そして、もし、考えが違えば、あたし、隠したわ、だってパパには気に入らなかったでしょうからね。 」 「それからあたしは、この家にやってきた。 パパの手からあなたの手へ移ったっていう意味よ。 あなたは何でも好み通りにやってきたわ。 だからあたしも、あなたと同じ趣味を身につけたの、それとも、そんなふりをしたか、よくわからないわ、多分、両方ね。 いま、振り返ってみると、あたしここで、乞食みたいに暮らしていたような気がするの。 あたしはあなたに、いろんな芸当を見せて暮らしたわ、トルヴァル。 でも、そうさせたのは、あなたよ。 あなたとパパは、あたしに対して大きな罪を犯したのよ。 あたしがろくでもない者になったのは、あなた方のせいなのよ。 」 「あたしは、あなたの人形妻だったのよ、実家で、パパの人形っ子だったように。 それに子供たちが、今度はあたしの人形だった。 あたしはあなたが遊んでくれると、うれしかったわ、あたしが遊んでやると、子供たちが喜ぶように。 それがあたしたちの結婚だったのよ、トルヴァル。 しかし、遊び時間は終わったんだ、これからは教育の時間だ。 それに、どうしてあたしに、子供を教育する資格があって? あたしには、そんなことできないわ。 それより、もっと、先にしなくちゃならないことがあるのよ。 自分を教育しなくちゃ。 それを手伝ってもらうなんて、あなたはそういう人じゃないのよ。 あたし独りでやらなくちゃならないことね。 だから、あなたと別れるのよ。 」 「自分のことや、世の中のことを知ろうというんですもの、それには独りきりにならなくちゃ。 だから、もうこれ以上、ここにいるわけにはいかないのよ。 自分のものだけ持っていくわ。 あなたからは何もいただかないつもりよ、いまだって、これからだって。 わかっているのは、こうしなくちゃならない、ってことだけよ。 あたしは、何よりもまず人間よ。 」 「世間の人たちは、あなたに賛成するでしょう、トルヴァル。 でも、あたしは、もう、世間の人の言うことや、本に書いてあることには信用がおけないの。 自分自身でよく考えて、物事をはっきりさせるようにしなくちゃ。 」 「あたし、気づいたのよ、この8年間、あたしは他人とここで暮らして、そして三人の子供を産んだ。 ああ、考えてもたまらない! この身をずたずたに引き裂きたいわ。 」 ユング派分析家のコメント 今日の女性たちは、自分たちの母親の時代に比べると、自分自身の道を選択してもよいという許可を多少、得やすいが、それでもほとんどが、他人から自分に与えられる要求に縛られているように感じている。 したがって、女性は自分自身になるという自分の権利に対して、男性よりももっと多くの勇気や思い切りのよさを必要とするのかもしれない。 「人形の家」のノラのように、女性は、他者が自分に要求することと自分自身への義務とをはかりにかけねばならない。 結局、殉教者は、よい母親にもよいパートナーにもなれない。 女性が聖人になることにはつねに代価が伴い、本人も周りの人もそれを支払うことになるのである。 (ジェイムズ・ホリス「 」より) ホリスの言う「殉教者」とは、自分を犠牲にして周りに尽くす人を指すが、日本の妻や母親たちにはよくあるタイプではないだろうか。 「家族のために犠牲になった」かわいそうな自分や、「自分を後回しにして、家族のために尽くした」立派な自分を折につけてアピールし、控えめなようでいて、実はうらみがましかったり恩着せがましかったり押し付けがましかったりする。 そうした殉教者的な態度では、実際のところはよい母親にもよいパートナーにもなれないのだということをホリスは指摘している。 短歌に詠まれた人形の家 三十年の家庭をすててノラになる従妹と食すひいなの会席 (菊田弘子歌集「ヘルベチアの空へ」所収) 「人形の家」のノラは、8年の結婚生活を捨てるが、実際には、20年、30年、もっとそれ以上に続いた結婚生活にピリオドを打つ人もいる。 再度ホリスを引用して終わりにしたい。 たんに結婚生活が50年間続いたというだけで、それを賞賛すべきではないだろう。 もしかすると彼らは、変化を恐れ、正直であることを恐れ、苦しんだかもしれない。 長く続き、繰り返された価値観は、それだけで自動的に美徳となるわけではない。 (ジェイムズ・ホリス「 」より).
次の影響を与えたもの• ・・・・・・・・・・・ サイン ヘンリック( ヘンリク) ・イプセン(Henrik Johan Ibsen、 - )は、の、、。 近代演劇の創始者であり、「近代演劇の父」と称される。 以後、世界でもっとも盛んに上演されている劇作家とも言われる。 代表作には、『ブラン』『』(1867年に執筆。 1874年にに劇音楽の作曲を依頼する。 )『』『野鴨』『ロスメルスホルム』『』などがある。 自身はノルウェーを嫌い、長くやで生活したため、ノルウェーの国民作家という意識は薄かったが、現在は国の象徴、そして世界史上最も重要な劇作家の一人として尊敬され、長らくノルウェーの最高額面の1000紙幣にその肖像が描かれていた。 執筆言語 [ ] イプセンの執筆言語は「 」、「 」、「デンマーク・ノルウェー語 」、「 」、「 」などと言われる場合があるが、これは19世紀までノルウェーでは宗主国の言語であるデンマーク語が書き言葉として使用されていたためである。 言語学者のクヌート・クヌーツェンは19世紀後半に書き言葉を徐々にノルウェー化することを提唱し、この言語はやがてリクスモール、のちにと呼ばれるようになった。 イプセンはこのデンマーク語がノルウェー式に変化しつつある時代のリクスモール(のちの)で著作を執筆していた。 21世紀に使用されているとは大きく異なるため、ノルウェーで上演を行う時も戯曲テクストを現代の観客にわかるよう変更する必要がある場合が多い。 世界への影響 [ ] イプセンの劇は同時代の多くの人にスキャンダラスと考えられた。 当時は家庭生活や礼儀についての的価値観がヨーロッパで大きく広まっており、それらに対するいかなる挑戦も不道徳的で非常識とされていたためである。 イプセンは生活状況や道徳問題についての批評的な眼や疑問を紹介するため、主に現代劇に基礎を置いた。 ヴィクトリア朝の演劇には、悪の力に立ち向かう高潔な主人公が期待されており、あらゆる劇は善が幸福をもたらし、不道徳は苦痛のみをもたらすという、道徳的にふさわしい結末で終わった。 イプセンはこの考えと当時の信仰に挑み、観客の持つ幻想を破壊した。 日本の運動はイプセン劇の上演から始まったといえる(参照: 、)。 『人形の家』の主人公ノラ(ノーラ )は当時の「新しい女」として語られた。 その作品群は今日でも演劇界に影響を与え続けている。 中国においても、『』第四巻六号(6月)がイプセン特集を組むなど、期に熱狂的に紹介され、に大きな影響を与えたほか、の形成にも直接の影響を与えた。 2007年にはノルウェー政府によりが創設された。 作品 [ ] ノルウェー語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。 カティリーナ( Catilina, 1850年)• ノルマ、または政治家の恋( Norma eller en Politikers Kjaerlighed, 1851年)• 聖ヨハネ祭の夜( Sancthansnatten, 1852年)• ソールハウグの宴( Gildet paa Solhoug 1855年)• オーラフ・リッレクランス( Olaf Liljekrans, 1856年)• 王位請求者たち( Kongs-Emnerne, 1863年)• ブラン( Brand, 1865年)• ( Peer Gynt, 1867年)• 青年同盟( De unges Forbund, 1869年)• ( Et dukkehjem, 1879年)• 幽霊( Gengangere, 1881年)• ( En Folkefiende, 1882年)• 野鴨( Vildanden, 1884年)• ロスメルスホルム( Rosmersholm, 1886年)• 海の夫人( Fruen fra havet, 1888年)• ( Hedda Gabler, 1890年)• 棟梁ソルネス( Bygmester Solness, 1892年)• 小さなエヨルフ( Lille Eyolf, 1894年)• ( John Gabriel Borkman, 1896年)• 訳 『イプセン戯曲全集』(全5巻) 1989年• 『イプセンの手紙』 未來社 1993年• 原訳は『野鴨』『人形の家』『ヘッダ・ガーブレル』『幽霊』が、で刊行。 1996年• 訳 『イプセン戯曲選集 現代劇全作品』 1997年• 新版『イプセン現代劇 上演台本集』 2014年• 毛利訳は『人形の家』、『ゆうれい』、『野がも』、『ヘッダ・ガブラー』が、論創社 シリーズ刊行予定• 【笹部博司の演劇コレクション】A6版(文庫本)2008年• 『野鴨』『ちっちゃなエイヨルフ』『ロスメルスホルム』• 『ジョン・ガブリエルと呼ばれた男』『民衆の敵』『ヘッダ・ガブラー』を刊行 演劇企画製作会社「メジャーリーグ」 での上演台本 脚注 [ ]• Bowdoin College 2007年1月23日. 2007年3月27日閲覧。 ; on Ibsen's relationship to , see Moi 2006, 1-36• 2010年. 2019年3月7日閲覧。 The Guardian. 2019年3月10日閲覧。 Erica Wagner. www. newstatesman. com. The New Statesman. 2019年3月10日閲覧。 Chicago: University of Chicago Press. 129. , Ibsen's Hedda Gabler: Philosophical Perspectives Oxford University Press, 2017 , 194 - 214, DOI: 10. 003. 0010, p. 206. Erica Wagner. www. newstatesman. com. The New Statesman. 2019年3月10日閲覧。 「日本では、長く(ノラ)と呼ばれてきたが、劇中、なんども(ノーラノーラ)と繰り返し呼ばれ、いわばこの劇の弾んだリズムを作るもとにもなっているから、原語どおりの長母音の発音が望ましい。 」論創社版(2020年4月刊)毛利三彌訳『人形の家』p155注4 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 () この項目は、(・・・・・・・・・・・)に関連した です。
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