千と千尋の神隠し大好きなんだけど、ハクは最後約束通り八つ裂きになったってのが公式ホームページ出てたって噂に真っ向から噛み付きたい派。 ハクが八つ裂きにされたのはこの瞬間と言われています。 髪ゴムが光ったのはハクの涙だそうです。 もう一度最後の別れのシーンまでを振り返ってみましょう。 千と千尋の神隠しの終盤、千尋の両親を人間に戻す方法と湯婆婆の姉の銭婆から盗み出した「契約印」の魔法で体を食い荒らされたハクを助けるために銭婆に「契約印」を返し、ハクのしたことを千尋が謝ります。 しかし、銭婆は助ける事ができないと告げ、自分たちの力でなんとかするしかないと言います。 その頃、ハクも正気を取り戻しており、ハク自身も千尋とその両親を元に戻してもらうために、ねずみとなった坊を連れ帰ると交渉します。 ここで、湯婆婆もすんなりとは応じてくれず、 「それでお前はどうなるんだい?その後あたしに八つ裂きにされてもいいんかい?」 この言葉にハクが解答するシーンはありません。 「それはちょっと・・・」とは言わないのは明白です。 ハクは決意を決めた顔をしています。 その後、ハクも約束通り、坊ネズミがいる銭婆の所へ。 そして、千尋のおかげでハクは自分の名前「コハク川」を取り戻します。 そして、油屋に戻り、何匹もの豚の中から自分の両親を当てろ。 と湯婆婆に最後の試練を与えます。 結果、その中に両親はいないことを当て、湯婆婆との契約は解消し、最初にくぐったトンネルへハクと共に向かいます。 しかし、冒頭部分で海となっていた場所の手前で、立ち止まります。 ハクは千尋に語りかけます。 「私はこの先には行けない。 千尋は元来た道をたどればいいんだ。 でも決して振り向いちゃいけないよ、トンネルを出るまではね」 千尋にハクはどうするの?と聞かれ、 「私は湯婆婆と話をつけて弟子をやめる。 平気さ、ほんとの名を取り戻したから。 元の世界に私も戻るよ」 と言います。 そして、千尋は「またどこかで会える?」と聞き、 「うん、きっと」「きっと」 と答え2人は別れます。 そうなんです。 「必ず!」とはハクは言っていません。 よって、自分が八つ裂きにされる運命を悟っている発言なんです。 よって、ハクは最後、湯婆婆との約束通り八つ裂きにされてしまった事が濃厚になります。 ハクは嘘はついていない。 (輪廻転生説) 八つ裂きにされてしまうというのは人間としての例えであり、実際ハクは千尋と違い「コハク川」という川という自然の産物となります。 「もう会えない!」とは言わないのは、千尋に対する優しさだけではなく、「もしかしたら会えるかもしれもしれないという意味も込められています。 八つ裂きにされてしまっても、自然の中で輪廻転生することが考えられます。 輪廻転生(りんねてんせい、りんねてんしょう)• 輪廻のこと。 転生のこと。 1と2をあわせた言い方。 転生輪廻(てんしょうりんね)とも言い、死んであの世に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくることを言う。 ヒンドゥー教や仏教などインド哲学・東洋思想において顕著だが、古代ギリシアの宗教思想(オルペウス教、ピタゴラス教団、プラトン)など世界の各地に見られる。 輪廻転生観が存在しないイスラム教においても、アラウィー派やドゥルーズ派等は輪廻転生の考え方を持つ。 引用元: コハク川としての魂は次のものへと継承されていくと考察します。 植物 など如何なるものへと転生し、再び千尋と再会できる可能性はあると考えたハクは、 「きっと」と伝えています。 また、自分の名前をすでに思い出しているハクは、より次の「自分」へと転生できるのだと思います。 もし、千尋がハクの正体に気付かなければ、本当に八つ裂きにされ、自分をわからないまま、暗い闇の中へ葬られていたかもしれませんね。 公式(ブログ・宮崎駿監督)のその後について 千と千尋の神隠しで、ハクと千尋が最後に分かれた後、ハクが八つ裂きにされるっち「デマ」が流れとるね。 ジブリやったらそんな断定はせずに、視聴者にいろいろな解釈をさせたかったんやないかな。 一個人の解釈を「ジブリの解釈」のように流すのはおかしいやろ。 ジブリは公式に発表しとらんけ。 油屋の世界観やルール• 宮崎駿監督のコメント この2つが、ハクが八つ裂きにされたことの信憑性を高めています。 公式のブログでは、 「すべてのことはルールに従わなければならない」という世界観により湯婆婆の言葉通り八つ裂きにされる運命をハクは受け入れている。 宮崎駿監督の公開当時のコメントでは、 千尋と最後に別れるシーンで、手を繋いでいた千尋の手が離れ、ハクの手だけが名残惜しく画面に残っています。 これは2人の永遠の別れを表現している。 この2つのコメントにより、ハクの行く末の「八つ裂き説」はかなり有力になりますね。 千尋とハクの5年後 近所の小川。 元々きらきら笑っていたはずの小川をこんな姿にしたのは人間。 私も無関係じゃない、どこかで繋がっている。 「千と千尋の神隠し」の「ハク」のその後を想像した。 5年後の設定があるとすれば、千尋はすでに14歳になっています。 もちろん、油屋での出来事も覚えており、ハクとの再会を夢見て日々の生活を過ごしていました。 しかし、ハクとの思われる人物との再会は果たせずにいます。 冒頭部分で紹介した、輪廻転生説が正しければ、 ハクは別の自然界の転生しているとします。 流れている川や自然の全てに、ハクを感じるようになります。 5年の歳月を経て、また少し大人となった千尋は、すでにハクと実は再会していたことに気付く千尋。 常に共にあることを感じ、油屋でのことを胸に刻み日々を過ごしていきます。 「千と千尋の神隠し」では千尋の成長を描くキッカケに過ぎません。 結局、自分の力で成長していくことがわかるのも、5年後になるということ意味しています。 まとめ 今回は千と千尋の神隠しハクの最後の結末・公式の情報や5年後のその後について紹介・考察していきました。 宮崎駿監督の作品は視聴者自身が考えるような結末やメッセージが込められた作品が多いです。 各々でそれを読み解いていくのが、ジブリ作品の醍醐味でもあります。 他の意見や考えがあれば、ぜひコメントいただけると嬉しいです! 「千と千尋の神隠し」関連記事.
次の千と千尋の神隠しの考察に、ハクは兄説があるというのを、知人から聞かされました。 その時は話を合わせておきましたが、実際私は違うと思います。 ハクが自分の名前を思い出したとき、千尋に 「わたしの中に落ちたんだよね」みたいなことを言っていました。 ということは、千尋が川に落ちた時点で、既にハクは川だったということですよね?そこで既に、矛盾というか、兄説は揺らぐと思います。 服の袖がどうのこうのというのは、先に伸びた腕は幼かった千尋の手で、袖が写った腕は、今の千尋がイメージしている景色ではないかな? しぶきがでかすぎるというのは、溺れたことある私の想像ですが、落ちた瞬間何がなんだかわからなくなった衝撃をわかりやすく描いているだけなんじゃないかな。 千尋にとって、ハクは頼れる存在で。 千尋は、助けてもらったから自分もハクを助けたいと思っていて。 ハクのことを尊敬していて。 その不思議な関係が、兄妹に似ているので、そう見えてしまうのも仕方がないですが、その説はなんかちょっと違うような気がします。 ハク自体が、子供の霊が川の神になった姿だというのは、あり得るかもですが、兄ではないと思います。 皆さんは、ハクは千尋の兄説、どう思いますか? ハクが千尋の兄という暗喩(メタファー)だとするとつじつまが合うということですが、解釈としてはアリです。 ハクが千尋の兄説は私は違うと思います。 ハクは宮崎監督がアニメーターになることを決めたほど影響をうけた「白蛇伝」の白蛇からとった名前だと思います。 (これも解釈です)「白蛇伝」は人間と冥界の異類同士の恋物語です。 実写リメイクしたチャイニーズゴーストストーリーで有名ですね) 映画というのは、正しい正しくない、ということではないんです。 解釈にも正しい正しくないということはないです。 哲学に似ているんです。 あなたが一番しっくりと来る解釈を受け止める、または手に入れればよいのです。 千と千尋には普通の映画にあるような暗喩が使われています。 ところが、さらにその暗喩はもっと奥にある暗喩を隠すために敷かれている、という構造をもった、とても不思議で落ち着かない映画です。 世界の映画史にもおなじような構造をもった映画はたった一つしかありません。 スペイン映画「ミツバチのささやき」です。 私も絶対にないと思います。 だって作中で、自分が琥珀川で千尋を助けたと明言してる訳ですから。 あとこれは私の解釈ですが、油屋の世界は、三途の川に隔たれた、あの世の世界だと思ってます。 あの世の物を口にしたら、亡者になってしまう上に、生者がいられるにも時間制限付き ものを食べなかったら消える というは、日本神話に出てくるあの世の設定にも酷似していますし なので、現実の琥珀川が埋め立てにより無くなったことで、死んだ川の主であるハクが油屋の世界に来ると同時に、概念であった存在が擬人化したのだと思ってます。 千尋を助けたのは、ハクが優しいからもあると思いますが、せっかく昔に助けた子が結局助からないというのはどうなのか?と、自分自身にも思う所があったからだと思ってます。
次の千尋とハクは恋愛関係なの? ジブリ作品の特徴 ジブリ作品に多く見られる特徴として、見た人の想像に任せるという見せ方が多いのですが、 千と千尋の神隠しの場合も千尋とハクの恋愛部分がまさにそうなっています。 ^^ この手法は決して投げやりなわけではなく、無限の可能性を作ってくれるという面が大きいですよね。 ですが、日本人は比較的答えを求めてしまうもの・・・。 (笑) というわけで、今回は千尋とハクが恋愛関係だったかに迫っていこうと思います! スポンサーリンク 千尋とハクには好意がある? 上記で言った通り、ジブリ公式からの明確な答えは無いのであくまで個人の考察&願望になるのですが、 千尋とハクには少なからずお互いに好意は持っていたと考えています〜! (まぁハクはイケメンですしね笑) ただ、それ以上にあったのが「家族愛」「友情」「尊敬」「信頼」と言った別の形の愛だったのではないでしょうか? ハクからすると千尋は、以前川辺で出会い、溺れているところを助けてあげた人間の女の子ですよね。 昔自分が助けた、可愛い人間の女の子が異世界に迷い込んでしまったから助けてあげたい、といった感情だったんじゃないかなと。 ハクは神様なので、恋愛感情というよりも、人間として好き、といった感情を千尋に抱いていたんじゃないかと思われます〜! そして千尋からするとハクは、なぜか自分を助けようとしてくれる、イケメンでかっこいい同い年くらいの男の子、といった認識なのかなと。 まだ小学生くらいですし、恋愛としての好きとはちょっと違うんじゃないかなと感じてしまいました。 ですが!物語の最後で千尋はハクに「また会える?」と聞いていますよね? 違う世界でお互い苦難を乗り越えたことで、千尋はハクに少なからず惹かれていたのかな〜と感じてしまいました。 ^^ 物語の最初と最後とでは、千尋のハクに対する印象は違っているんじゃないかと考えていますが、いかがでしょうか? それでも千尋はまだ幼いので、限りなく友情に近い恋愛感情だと思いますが。 ^^; 昔、川で出会った時からちょっとだけ惹かれ合い、別の世界で再会した二人の間には特別な感情はあったと思います。 正直言うと、お互い好きでも結ばれることは非常に難しい、というのも前提にあると思います。 それでも、二人は人種などを越えた、お互いにかけがえのない大切な存在になったんじゃないでしょうか。 結論としては、千尋は物語のラストでは限りなく友情に近い、恋愛的な気持ちは少なからずあり、 ハクはそれ以上に人間としての好きといった別の感情のほうが強かったという感じかなと。 人の気持ちって複雑ですし、千尋はまだ幼いので、この結論の方が個人的にしっくりきますね。 千と千尋の最大の感動シーンなのですが、果たして千尋とハクは本当に再会できたのでしょうか? こちらに関しても、まさにお好きに想像してください、といった内容になっていますよね。 ^^ というわけで、またあくまで個人の考察&願望になるのですが、 恐らく再会できるのではないかと! というのも、ハクは最後には千尋に名前を呼ばれたことで自由を取り戻すことができましたよね。 ハクは神様なので「千尋に会いに行こう」と思えば、いつでも会いに行けるのかなと感じました。 ^^ 千尋とハクの間には絆がありますので、再会したいと思えば、また二人を結びつけてくれるのではないでしょうか? その時には、千尋はハクを忘れているかも知れませんしハクはまた姿を変えているかも知れませんね。 例えば、たまたま千尋が立ち寄って眺めた川が、初めてハクと出会った川だったとか。 千尋がハクに会いたくなったら、またこの川に行ってハクに呼びかければ会えるような感じがします。 あの異世界で会った時の二人とは状況が違うかも知れませんが、どんな形であれ二人はまた会えると信じています!(笑) スポンサーリンク まとめ 千と千尋の神隠しでは、千尋とハクが恋愛関係だったのかを考察させていただきました! ハクは神様なので、人間として好きという感情だったんじゃないかと思われますが、 千尋に関しては、ラストでは少なからずは恋愛的な感情もあったんじゃないかと思われます。 ^^ ただ、恋愛以上に家族的な愛や友情・信頼といった、別の気持ちのほうが大きかったのではないでしょうか。
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