今夏7月~9月にかけて放送され、視聴者に感動を与えたTBS日曜劇場「ノーサイド・ゲーム」。 このドラマでトキワ自動車のラグビーチーム・アストロズのメンバーにクボタスピアーズOBの5人が出演していたのはご存じでしょうか。 業務に通じる面が多くモチベーションアップにつながりました。 髙橋:3月末にオーディションが行われ、4~5月に練習期間があり、5月下旬から本格的な撮影が始まりました。 その間、俳優陣はアストロズの選手陣に演技指導を、逆に選手陣は俳優陣にラグビー指導を行いました。 このドラマの福澤監督が元ラガーマンで、本物のラグビー選手が演技をすることにとてもこだわっていました。 「元トップリーグ選手やラグビー経験者が熱演した」というのが、このドラマの大きな特徴だったのではないでしょうか。 井上:アストロズのメンバーだけで30人、それに俳優陣、スタッフ・・・と、現場には常に60人ほどいましたが、関わる人数はそれ以上!スケジュール調整となると、スタッフ側もとても複雑だったと思います。 最後の1ヵ月は週4日のぺースで土日も含めて撮影に入っていましたね。 端本:私は営業担当ですが、見積書の作成だったり、お客様からの問い合わせ応対だったり、さまざまな面で職場の方に厚くフォローして頂き、撮影に参加することができました。 皆さんが温かく撮影に送り出してくれたことにとても感謝しています。 髙橋:序盤は映像に映るだけで周りの方から反響がありましたが、回を重ねるごとに、「セリフは?」「もっと映らないの?」という激励の声もいただきました。 仕事の面で普段と変わらない業務量をこなすことができたのも、現役時代のように職場の皆さんが万全のサポート体制を作ってくださったお陰です。 井上:撮影が長かったこともあり現場にPCを持っていき業務を行っていましたが、何より職場の皆さんのフォローがあったからこそ、今回のドラマ出演に挑戦できました。 現役時代、「ラグビーと業務の両輪を回す社員選手」という立場にあった頃から、その状況を受け入れる土壌を作ってくれていた皆さんが、今回も協力してくださりありがたいです。 岩爪:皆さんから「ラグビーシーンがリアルで迫力があるね」という言葉を多くもらいました。 元トップリーグ選手に求められている役割として、リアルなシーンを提供し、発信するというねらいがあり、私たちもその使命を持って撮影に臨んでいたので、ありがたいお言葉でしたね。 貴重な経験をさせてもらい、このご縁に感謝しています。 髙橋:撮影時に驚いたことの一つが、ワンプレーにつき、寄り、引き、全体と何度も撮影するということです。 普通のラグビーの練習ではありえないことなので、一番苦労した点ですね。 また、これは裏話ですが、端本さんは浜畑選手(廣瀬俊朗さん)の関西弁を全面的に監修していました。 端本:そうなんですよ。 大阪出身の私は撮影当初、標準語を話すことができず苦労したのですが、スタッフ陣から半ばあきらめられ、唯一関西弁をゆるされた存在でした。 その状況を知った監督が「いいねぇ、主人公は関西弁のイメージでいくつもりだったんだよ!」と受け入れてくださり、さらに浜畑さんの関西弁を監修する立場へ。 というのも、浜畑選手役の廣瀬さんは関西出身の元日本代表選手なのですが、関東での活動が長く、関西弁を忘れていたんですよ 笑 岩爪:端本さんの関西弁が正しかったかはわかりませんが、第1話は、少なくとも端本さんのオリジナリティあふれる関西弁だったと思います 笑。 また彼の無表情はラグビー選手ならではの迫力の演出にも貢献していましたね。 バックスのサインプレーはほとんど髙橋さんが考えたものでしたし。 それぞれの個性を発揮できたのではないでしょうか。 私は業務でラグビーに関わっているので、クボタスピアーズの活動経験を活かすことができました。 たとえばアストロズの地域貢献のシーンでは、制作側から助言を求められスピアーズの活動事例をお伝えすることができましたね。 そうそう!アストロズのミーティングルームには実はクボタスピアーズのOBの写真が飾られていたのですよ。 髙橋:最終話のゲームシーンのために4泊5日のラグビー合宿といった形で福島県を訪れ、メンバーの団結が一層深まりましたね。 岩爪:私は第3話の相撲部屋のシーンが印象的で、力士と実際に取り組みをして砂まみれになれた経験が貴重でしたね。 タックルやモールの技術の向上をめざしてフォワード選手メインで撮影に臨んだのですが、もともと相撲好きな私は純粋に嬉しかったです。 端本:私は第1話の雨の中のシーンが印象的でした。 撮影は20時から始まって翌2時頃まで続いた長丁場!6月でまだ寒く皆でブルブル震えながらプレーしていました。 髙橋:あの時は実際も雨が降っていたのですが、雨粒が映像にうまく映らないため、追加でクレーンから雨を降らせていました。 君嶋GM(大泉洋さん)の熱い長ゼリフのとき、撮影に10時間ほど要し、私たちは立っているだけだったのですが、役者とはつくづく大変だなぁと感じましたね。 岩爪:その時は夕方のセットだったので日付の感覚がなくなっていましたよね。 端本:時差ボケというのでしょうか、セットと実際の時間帯が違うことはよくあり、1週間ほど体調が悪かったりしたことも 笑 髙橋:試合前のロッカールームのシーンで現役時代を思い出し、グッときたこともありました。 試合に出場できない選手のために!従業員のために!と高揚する思いを思い出しました。 岩爪:自分たちが経験したラグビーを演技で表現するのはスムーズでした。 たとえば第6話で本波選手(天野義久さん)が引退する場面は感情移入をしっかりできました。 最終話の君嶋GMが「ラグビーが大好きだ」といったシーンは、第1話に対応するドラマの見せどころでもありましたが、本当に大好きだ、と言ってもらっているようで、ジンときましたね。 髙橋:そのシーンはクランクアップ間際で、撮影もクライマックス。 夜中の1時半頃に昼のライトを当てて行い、体力的にも極まったシーンでしたね。 端本:子どもの頃、テレビでラグビーのスター選手を観て育った自分が、実際企業でラグビーをさせてもらい、そこで培った経験をドラマで活かすことができ、ラグビーで人の気持ちを動かすことができたのなら、こんなに嬉しいことはありません。 私の取り組みでラグビー人口の増加に貢献できれば素晴らしいと感じますね。 岩爪:日本を元気にしたい、と福澤監督が撮影前に言っていましたが、まさにスポーツにもドラマにも「観るものを元気づける」という共通点があることを実感しました。 企業スポーツは、周りの方々のためにプレーする意義があることを感じました。
次の「泣けた!」「胸が熱くなる」「日曜夜が待ち遠しくなった」と毎週日曜よる9時のTBSドラマ『』が話題だ。 原作は、「半沢直樹シリーズ」「陸王」「」などで知られる人気作家・さんの書き下ろし小説。 大手自動車メーカー「トキワ自動車」のエリート社員、さん演じる君嶋隼人が工場に左遷され、低迷中のラグビーチーム「アストロズ」のゼネラルマネジャーとしてチームと自身の再起に挑む企業ドラマだ。 ドラマの見どころはたくさんあるが、その中でもとくに注目なのがラグビーシーンの数々。 演じるのは元日本代表を含む、本物のアスリートたち。 そこで本連載では、アストロズ選手たちのリレーインタビューをお届けする。 第1回は、キャプテン岸和田徹を演じるさん。 中学から大学まで実際にラグビーに打ち込んだ経験を持つ高橋さんのドラマにかける思いとは?(文/向風見也) ——『ノーサイド・ゲーム』は、大泉洋さん演じる君嶋がGM(ゼネラルマネージャー)になるところから始まります。 これまでの日曜劇場の主人公には硬派なイメージが強かった印象がありますが、今回の君嶋は熱さに加えて柔軟さがあります。 決めるべきところはきっちりと決め、くだけたシーンではこちらもついほくそ笑んでしまう。 ——大阪の強豪校だった啓光学園(現:常翔啓光学園)ラグビー部でボールを追いかけていた高橋さんが演じるのは、アストロズの岸和田徹キャプテンです。 岸和田徹は諦めない人間です。 ラグビー素人の君嶋がGMとなり、部員たちはそれを廃部の前兆と捉えている。 岸和田はその空気を感じながらも、キャプテンとして諦めずに輪の真ん中に立っています。 役者を始めた頃から「いつかラグビーを題材にしたドラマに呼ばれるのであればその中心で演じ、盛り上げたい」と思ってきました。 そんななか、出演していいた『光より前に〜夜明けの走者たち〜』という舞台をドラマの伊與田英徳プロデューサーが観に来られた。 その数カ月後にオーディションへ呼んでいただき、理想とする役をもらうことができました。 責任感と感動と、いろいろな思いが一気に湧いてきましたね。 ——作品とラグビーに対する真摯な思いが伝わってきます。 オーディションの最中も、少しでもいい役をもらいたいという強い思いを持続させていました。 その後出演が決まり、アストロズメンバーの役名が告げられるときに福澤監督がこう言ったんです。 「お前がキャプテンだ!」って。 鳥肌が立つのを通り越し茫然としてしまいました。
次の名前 天野義久(あまの よしひさ)• 生年月日 1972年11月12日(46歳)• 出生地 東京都• 身長 183㎝ 天野義久さんは、現在は 俳優として活動されていて、「龍馬伝」や、「陸王」などに出演されていました。 引退したシーンはみんなが泣きましたね。 ラグビーの経歴・代表時代のポジションは? 天野義久さんのラグビーの経歴は、こちらです。 ポジション・・・ フランカー・ナンバー8 国学院久我山高等学校から、明治大学に進学し、大学時代に2度の優勝も経験されています。 その後、オーストラリアに留学を経験。 帰国して、サントリーに入社しました。 現役を引退し、コーチとして日本A代表チームや、23歳以下代表コーチも務めました。 名前 廣瀬俊朗(ひろせ としあき)• 生年月日 1981年10月17日(37歳)• 出生地 大阪府• 身長 173㎝ 「ノーサイドゲーム」で、俳優デビューということですが、かなりセリフも多く、選手の中でもメインの存在ですね。 浜さんの愛称でなくてはならない存在になっています。 ラグビーの経歴・代表時代のポジションは? 廣瀬俊朗さんの、ラグビーの経歴はこちらです。 ポジション・・・ ウイング・スタンドオフ 5歳でラグビーを始め、その後小・中学校も吹田ラグビースクールに在籍していました。 北野高校から、慶応義塾大学に進学し、ラグビー部で活躍するとともに、高校日本代表やU19日本代表を歴任。 卒業後は、東芝ブレイブルーパスに入団し、2007年に日本代表に選ばれます。
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