ティアラ(アルバニア)からマケドニアに入国し、プリティシュナ(コソボ)に行くためマケドニアを出国しました。 オフリド湖 オフリド湖については、個別に記事にしていますのでこちらを参照お願いします。 オフリド湖のバスについて 私の場合、オフリド湖の横にある街であるストゥルーガに行き、そこからタクシーで約20分移動してオフリド湖に行きました。 バックパッカーの王道ルートです。 バスはありません。 ストゥルーガで降りると、白タクが待ちぶせしているのですが、私がバスを降りたときは1台しかおらず、見事に他の人に取られてしまいストゥルーガの何もないバス停で約30分待ちぼうけをする羽目になりました。 そのためバスを降りてから、すぐにタクシーの運転手を見つけて乗りたいことを伝えたほうがいいでしょう。 他にもオフリド湖まで行きそうな旅行者がいれば、タクシーをシェアすればお得に移動できます。 またオフリド湖からスコピエのバスは夏であれば1時間に1~2本のペースで出ています。 バスの時間は上記のページで調べることができるのでバスターミナルやインフォーメーションセンターで確認する必要はありません。 チケットはその場で買いましょう。 オフリドのバスターミナルは徒歩で行くと約30~40分掛かるため、タクシーで行くことをオススメします。 タクシーだと100ディナール(220円)が相場です。 オフリド湖の宿泊先について 私はオフリド湖では安いコンドミニアム(SOBI)に泊まりましたが、正直居心地はよくなかったです。 夏のハイシーズンで1泊2,500円程度で、booking. comで予約しました。 オフリド湖にはあまりホテルが多くなく、基本的にSOBIと呼ばれるスタイルの部屋に泊まることになります。 またSOBIに関しては古びたところが多いため、快適な部屋は高いお金を払わないと期待できないと思います。 また値段は高くなりますが、オフリド湖で泳ぐ予定であれば旧市街に近い場所がオススメです。 スコピエ スコピエについても個別で記事にしていますので詳しくはこちらを参照してください。 スコピエのバスについて スコピエのバスターミナルは中心地から徒歩20分ほどのところにあります。 電車駅と近く、バスでイスタンブール、プリティシュナ、ソフィアなど様々な近隣諸国へ行くことができます。 バスの時間はインターネットで簡単に調べることができます。 またスコピエではGoogleマップのルート検索でバスも出てきます。 しかも値段まで付いています。 これを使えば簡単にスコピエの色んな場所へ移動することができます。 またタクシーもバスターミナルなどにいる一部のタクシーを除いては基本的にメーターを使ってくれ、約20分の移動でも120ディナール(260円)程度なので安いです。 スコピエの宿泊について スコピエは首都なのでホテルもホステルも多いですが、私はAirbnbでアパートの一室を借りました。 スーパーホストの部屋で、バスターミナルまで車でピックアップに来てくれたため非常にスムーズにチェックインできました。 部屋は上記のリビングルーム以外にもベットルームがあり、1泊3,300円ほどです。 中心地から少し離れたところにありますが、バスとタクシーがあるので困ることはありませんでした。 マケドニアのビザ マケドニアに関しては日本人であればノービザで90日間滞在ができます。 マケドニアの通貨、両替、ATM マケドニアの通貨は、マケドニア・ディナール(MKD)となっています。 但しホテルやバス代などの支払い、また一部お店ではユーロも利用できます。 但しスコピエ旧市街やオフリドにも両替所があり、レートを提示していない店がほとんどです。 このような店の場合、レートが非常に悪い可能性があり、ごまかされる可能性もあるので、できるだけ足を運ばないようにしましょう。 またATMもスコピエ、オフリドどちらとも沢山あるので、クレジットカードや国際キャッシュカードで引き出すのも良いでしょう。 マケドニアの物価 マケドニアの物価はアルバニアよりも気持ち程度高く、コソボよりは安価です。 スコピエの中心地にあるレストランで食事をしても2人・ソフトドリンク込みで1,300円程度でした。 マケドニアのSIMカード マケドニアでSIMカードを買ったので、その情報も掲載しておきます。 マケドニアにはvip、One、T-mobileのSIMカードがある マケドニアには有名なところでvip、One、T-mobileのSIMカードがあり、旅行者であってもパスポートをお店で提示すれば、すぐに購入することができます。 私は街を歩いているときにたまたま発見したvipでSIMカードを購入しました。 ちょっとイヤらしいお姉さんを広告に出しているのが特徴です。 店のお姉さんはいたって普通でした。 購入はパスポートの提示だけで、1GBプランを300デナール(660円)で購入することができます。 期間は30日間です。 購入後はアクティベーションをしないといけないため、その場でスタッフに今すぐ利用したいことを伝えましょう。 アクティベーション申し込みした10分後から利用ができます。 マケドニアにもLTE(4G)が来てるようですが、まだまだ2G(GSM/Edge)のエリアも多いです。 速度は3Gであっても0. 1Mbps以下のエリアもありますが、TwitterやFacebookを利用する分には問題ありません。 マケドニアのSIMカードはお手頃 マケドニアには、オフリド首都のスコピエであれば大抵のカフェやレストランにWiFiがありますが、それでもSIMカードがあればバスの移動中にもインターネットができるので便利です。 そこまで高くなく簡単に買えるのでSIMフリーのスマートフォンを持っていればSIMカードを購入することをオススメします。 マケドニアの治安 私はマケドニアに1週間程度滞在していましたが、特に危ない目にはあってません。 しかしスコピエで会った現地大学生は、夜6時以降は気をつけたほうがいいといっており、マケドニアにはジプシーもいます。 夜の移動は気をつけたほうがいいでしょう。 マケドニアの英語 マケドニアは観光地にいる店員や若い人であれば英語をそれなりに話せる可能性が高いです。 まとめ:マケドニアは思った以上に快適だった アルバニアと比べればマケドニアは、道路も整っており移動も楽ですし、スコピエに関しても旧ユーゴスラビアの中では大きな都市でオシャレなレストランやカフェも沢山あります。 またオフリド湖も夏に関しては泳ぐことが可能で、リゾート地化しています。 物価に関してはタイよりもおそらく安くコストパーフォーマンスの良い国です。 もしマケドニアに訪れることがあれば貧乏旅行をせずにレストランなどを楽しむべきです。
次の催行欄の見方• 催行決定 : 催行(出発)が決定しています。 申込多数 : ご出発の1ヶ月前頃に催行決定とさせていただく予定です。 (今後のキャンセル状況によっては催行中止になる場合もございます。 空白 : 現在募集中です。 残席わずか : ご予約いただける席が4席以下になっています。 キャンセル待ち : 現在確保している席は満席です。 増席、またはキャンセル待ちを承ります。 お問い合わせください : 詳細はお問い合わせください。 残席わずか:ご予約いただける席が4席以下になっています。 キャンセル待ち:現在確保している席は満席です。 増席、またはキャンセル待ちを承ります。 お問い合わせください:詳細はお問い合わせください。 予めご了承ください。 利用予定航空会社 ターキッシュエアラインズ,カタール航空 利用予定ホテル <オフリド>ベルベデーレ 又は同等クラス <ベラット>グランド・ホワイト・シティ 又は同等クラス <サランダ>インターナショナル 又は同等クラス <ティラナ>アーク 又は同等クラス <プリズレン>ツェントラム 又は同等クラス <プリシュティナ>ロイヤル 又は同等クラス 食事回数 朝食:6回・昼食:6回・夕食:6回 食事回数に機内食は含まれておりません。 最少催行人員 10名 (最大20名) 添乗員 全行程同行してお世話します。 予めご了承下さい。 各観光地も急遽、閉館となる場合がございます。 修道院や教会等は内部だけではなく敷地内や人物(修道士)の撮影も禁じられている場合もございますので予めお含みおき下さい。
次のマケドニア王国は紀元前7世紀頃、古代ギリシア人によって建国された国家です。 前5世紀頃よりギリシア北方で国力を急速に拡大し、前4世紀にはやといったギリシア有力ポリスを屈服させるほどの影響力を持ちました。 事実上ギリシア世界の統一を果たした国といってよく、古代ギリシア史を学ぶ上で非常に重要な存在です。 この記事の内容• マケドニア王国はギリシア北部の平原に成立した王政国家で、現在のギリシア共和国マケドニア地方およびマケドニア共和国の一部にあたります。 首都は5世紀末まではアイガイで、それ以降はペラです。 現ギリシア共和国マケドニア地方の町ヴェルギアには、アイガイのものとされる遺跡が存在しています。 紀元前1150年頃、北方から侵入してきた民族や、南西マケドニアから到来したドーリス系ギリシア人が融合し、マケドニア人という民族を構成したと考えられています。 紀元前808年、王国最初の王朝アルゲアス朝が成立し、やといった他の都市国家とは異なる独自の制度の元、国家運営を行なっていました。 (言語や宗教は他のギリシア諸国と共通) ギリシア世界ではたびたび自衛戦争(例:)や内戦(例:)が勃発しましたが、マケドニア王国は基本的に深入りせずどっちつかずなスタンスをとり、他の国が戦争に明け暮れている間、領土拡張や国内整備により国力の向上に力を入れていました。 そうして着実に国力をつけていき、やがてはアテナイやテーバイといった有力ポリスを服属させるほどの発展をとげ、ギリシア世界の盟主たるポジションを手に入れたのです。 紀元前338年のでのアテナイ・テーバイ連合軍への勝利、紀元前337年のスパルタを除く全ギリシアのポリスが加盟したの結成が、マケドニアのギリシアにおける支配者的ポジションを確立しました。 ギリシア統一を果たしたマケドニアは、その後小アジア、エジプト、シリアと東方広しに伸張し、東地中海全域に覇権を広げる大帝国を創り上げました。 しかしアレクサンドロス3世の死去を受け、その後継者の座を巡るが勃発。 最終的に国土はギリシアのアンティゴノス朝、エジプトのプトレマイオス朝、シリアのセレウコス朝の3つに分裂してしまいます。 その後マケドニア王国は、イタリア半島の統一を果たし東地中海へと進出を始めていた共和政ローマとの覇権争いに突入します。 第三次マケドニア戦争でアンティゴノス朝が打倒され王朝が断絶し、第四次マケドニア戦争の敗戦でマケドニアはローマ属州と化してしまいました。 マケドニア王国の歴史はここで幕を閉じたのです。 マケドニア王国は滅亡しましたが、この王国の故地はおよそ465万人が暮らす マケドニアという地域となっています。 地理や文化的観点から、ギリシャ人にとって、マケドニア王国の歴史は自国の歴史の一部という自意識が強いです。
次の