人気テレビアニメ『鬼滅の刃』の特番『竈門炭治郎 お誕生日会』が14日、ABEMAで放送された。 キャストの花江夏樹(炭治郎役)、鬼頭明里(禰豆子役)、下野紘(我妻善逸役)、松岡禎丞(嘴平伊之助役)が出演し、キャラクターとしての炭治郎の魅力を分析した。 家族想いの少年・炭治郎は、人喰い鬼に家族を惨殺されたことで、唯一生き残ったが鬼になってしまった妹の禰豆子を人間に戻すため、家族を殺した鬼を討つために旅に出る。 そんな彼の勇気ある行動や言動などをキャストはファン目線で絶賛。 炭治郎の名セリフを紹介するコーナーで松岡は「君の顔に文句はない。 こぢんまりしていて色白でいいんじゃないかと思う!! 」と第14話で自身が演じた伊之助と絡むシーンをあげ「ここはちょっと、僕的にはマイナスポイント」と物申したいことがあると告白。 「これはどこかで言おうと思っていたのですが、炭治郎は(人)たらしの素質を持っている。 男にも女性にもこれ言うでしょ? だって、あのカナヲのシーンとか…」と説明。 また、鬼頭も炭治郎の印象的なセリフとして第26話の「頑張れ!! 人は心が原動力だから 心はどこまでも強くなれる!! 」と美女・カナヲの手を握るシーンをあげ、「本当に…たらしだなぁ~って」とイジリ。 すると、炭治郎を演じた花江は「いやいやいや、たらしじゃないのよ! 本心で言っているの!」とフォローした。
次のスポンサーリンク 「二倍」という使い方によっては国も落とせるほどの個性を持ったヴィラン・トゥワイス。 「二倍」は詳細な情報を理解しているものなら、何でも複製できるという強個性なので、ヒーローや公安からも要注意人物としてマークされていました。 また、発言した事と逆の事を言い足す面白いキャラで、読者からも親しまれていました。 しかし、 トゥワイスがそのような話し方になったのには悲しい理由があり、ヴィランに転落したのも不幸が重なったからでした。 彼は非常に仲間思いで、作中でもヴィラン連合を大切にしている描写がいくつかあります。 今回は、そんなトゥワイスの基本的な情報や、ヴィランになった訳、ホークスに漏らした情報などについて解説していきます。 スポンサーリンク 【僕のヒーローアカデミア】(ヒロアカ)トゥワイスの個性は? トゥワイスの個性「二倍」は、一つのものを二つに増やせるというものです。 この個性で増やすには、 増やすものの詳細な情報が必要になります。 人間を増やすの場合には身長や胸囲などを測って把握し、正確にイメージできなければいけません。 二倍にした人間は、オリジナルと同じ人格を持ち、オリジナルと同じ個性が使えるという非常に優れた個性です。 ただし、増やした人間は一定の攻撃を喰らうと消えてなくなってしまいます。 「二倍」は二つの対象まで複製することが可能ですが、後に作った複製は最初に作った複製よりも耐久力が低くなります。 他の難点は、 「二倍」で複製した人間には自分の意思があるため、トゥワイスの意に反した行動を取ることです。 応用性にも富んでいて、オリジナルが酷い出血をした時に、その複製の血を輸血するといったことも可能です。 トゥワイスは、過去に自分の複製に酷い目に遭わされたため、自分のコピーを作ることを止めていました。 しかし、 異能解放軍との戦いで上記のトラウマを克服し、無数に自分の複製を作り出せるようになり、ホークスら公安に最大の危険人物としてマークされています。 スポンサーリンク 【僕のヒーローアカデミア】(ヒロアカ)トゥワイスを受け入れた敵連合 ヴィラン連合は ヒーロー達には容赦なく攻撃しますが、意外と強い仲間意識を持った集団です。 ムーンフィッシュは自身の欲求を抑え与えられた任務を優先しており、トガはマグネが殺された際に怒りを露にしています。 マグネも死ぬ直前の発言からすると、連合の居心地は悪くなかったようです。 中でも トゥワイスは最もヴィラン連合という集団を大事にしていたと思われ、連合に参加したのも義爛に「仲間に信頼されることだ」と勧められたからでした。 覚醒して自分の複製を無限に作れるようになった時にも、「 落っこちた先で見つけたこの場所」と言っています。 回想でも自分のようなイカれた人間に居場所はない、ヒーローは善良な人間しか助けないと発言していますから、 死柄木達に大変感謝していたのは間違いありません。 スポンサーリンク 【僕のヒーローアカデミア】(ヒロアカ)愛の力で過去のトラウマを克服? 異能解放軍・スケプティックはトゥワイスを引き入れるため彼のマスクを取り、トゥワイスの複製にトガを殺させようとしました。 トゥワイスは暴れて助けようとするも、スケプティックが操作した人形に腕を折られてしまいます。 その時、 これだけダメージを負っているのに消えないのは、自分がオリジナルだからだと確信します。 こうして 自分が本体だから複製を作っても問題ないと思えるようになり、自分のコピーを無数に作り出しめます。 覚醒の直前に目の前でトガが殺されかけ、自分を受け入れてくれたヴィラン連合の面々を思い出していたため、トゥワイスは「 愛と勇気が塗りつぶしてくれたよ!」と言っています。 スポンサーリンク 【僕のヒーローアカデミア】(ヒロアカ)トゥワイスが漏らした敵情報とは? ホークスはトゥワイスをマークしながら、情報収集をしていました。 トゥワイス本人からは幹部の情報を入手し、それ以外の調査と合わせて幹部の数や部隊編成の内容を把握しています。 そして、 各隊の隊長や補佐役は並みのヒーローの実力を軽く凌駕しており、死柄木弔は京都の山で4ヶ月かけて強化されている途中だと知りました。 しかし、 死柄木は病院で強化されていたので、トゥワイスには偽りの情報が伝えられていたのか、病院にいる死柄木は本物ではないのか しかしミルコは驚異に思っていた 、トゥワイスが嘘をついていたかのどれかのようです。 何にしろ、死柄木が強化されていたのは本当だったので、トゥワイスのやらかしだったことに違いはありません。 ホークスを仲間だと思っていたからこそ親身になり情報を伝えましたが、 それが仇となり最後はホークスに倒されてしまいました…。 スポンサーリンク まとめ 「二倍」は情報を理解していれば対象を増やせるという優れた能力ですが、一定のダメージを負うと崩れてしまう難点があります。 トゥワイスは、過去のトラウマから自身を複製できませんでした。 ですが、 異能解放軍との戦いで覚醒し、無限に自信をコピーできるようになります。 そして、国が落とせるほどの個性の使い方ができるようになり、ヒーロー達から危険視されるようになりました。 ヴィラン連合はトゥワイスを受け入れ、トゥワイスもヴィラン連合を大切にしていました。 仲間の危機を救おうとしたのも、覚醒した理由のひとつです。 トゥワイスは、幹部の情報や死柄木弔が強化中であることをホークスに漏らしています。 そして仲間だと信じたのが仇となり、ホークスに倒されたしまいました。 人気キャラだったので退場したのは残念ですが、 ヒーロー作品を成り立たせるヴィランとしては素晴らしい終わり方だったと思います。 最後までお読みいただき有り難うございました。
次の年末である。 実家住みの私に帰省という言葉はほぼ関係ないが、家を出ている弟達はこの時期に帰ってくる。 一緒に食事に行くし、前回の帰省からの報告会じみた事もほぼ強制的に行われる。 果てしなく憂鬱だ。 憂鬱になる度炬燵の中の猫を揉んで気を取り直すが、予定が差し迫って来るにつけてテンションは右肩下がりになる。 私はそろそろアラサーとなる長子だが、実家を出た事がない。 オタ活の為でもあり、資金が貯まるより前に勤続が困難になって転職するという事が続いたからでもある。 そのせいで貯金はほぼない。 現在の職場は5年で契約打ち止めの一時凌ぎ。 持病の安定と資格取得などを進めて次の仕事への準備をする期間として働いている。 家を出るとしたら恐らくその先の事になるだろうが、私にしか懐いていない飼猫の事もあり、なあなあで実家に居座り続ける未来しか見えない。 因みに腐女子で夢女で喪女なので、結婚などと言った展望もない。 そんな体たらくなので、新卒で上場企業に勤め、恋人もいるという弟達の顔を見るのは辛い。 雑談という形の報告会も正直参加したくない。 単純に苦痛だ。 自分が社会的弱者である事を再確認させられるのは誰だって嫌だ。 そうじゃなくても私は嫌だ。 私から報告できる事は最近ハマった漫画が物凄い大手ジャンルで、暫く零細ジャンルで活動していた身なので供給が多くてかなり動揺している事くらいしかない。 あと推しが死んだ。 つらい。 そして多分この概念をオタクでない奴らに話しても理解されない。 追い討ちをかけるようにつらい。 それでも参加しなければならない。 部屋で引きこもっていたいが、私のいない場所で繰り広げられる家族団欒も、己の異物感に拍車をかけプレッシャーになるので、そういうわけにもいかない。 弱者として弄られる事をよしとしてヘラヘラとその場に居なければならない。 その時を思って加速する憂鬱の中、私は不意に気付いてしまった。 自分が竈門炭治郎に抱いていた掴めない感情が、恐怖によく似ている事に。 竈門炭治郎は大ヒット漫画「鬼滅の刃」の主人公だ。 底抜けの優しさと頭の固さ、犬並みの鼻の良さを持っている。 ラスボスであるところの鬼舞辻無惨によって鬼にされた妹を人間に戻すために、鬼を討伐する政府非公認組織鬼殺隊で戦う。 言語能力を失うほどめちゃ面白い話なので、未読の方はぜひ読んで欲しい。 物語は既に終盤に差し掛かっており、9月に読み始め本誌に追いついた私も毎週地獄を味わっているが、その件については割愛する。 しかし継国兄弟のしんどさについてはその内言語化したい。 あそこの辛さには、私が囚われ続ける柵を幻視してしまうので。 しかしとりあえず今回の話は竈門炭治郎だ。 竈門炭治郎の構成要素の一つに、長男というワードがある。 竈門炭治郎が自分を鼓舞する時に口にした言葉であり、竈門炭治郎自身を表す物だ。 竈門炭治郎はその言葉を自分自身に投げ掛け、自己を奮起させて見事に鬼を討ち果たす。 そういう話が漫画の中にあるし、アニメでも放送された。 少し前に長子の呪いの話が出回ったが、竈門炭治郎はそれを自己バフ扱いしているのだ。 竈門炭治郎を普通のジャンプ主人公だと思いつつ流行物だから惰性で読み続けていた私は、「なんかこいつ少し雰囲気違うな」と思い始めた。 別にジャンプが嫌いなわけではない。 ただ「元気で優しくてまっすぐな主人公らしい少年」というのが得意でないのだ。 過去や出生の秘密や背負う物があったりするとしても、ただ苦手。 最近の漫画の主人公は一見そうでも読み進めているうちに裏とか弱さとかが見えて来るので、最初さえ乗り越えられれば何とかなる。 世界観を好きになれば主人公がよく分からなくても読む気になるし。 しかし連載中のジャンプ漫画は大体そこを乗り越えられないままなので、本誌を買っても鬼滅の刃しか読まなかったりする。 実際読んでいない。 ヒロアカは時々読むけど。 相澤先生は好きなので。 何故苦手なのか。 簡単に言えば、非現実的すぎるからだ。 読んでて「こんな奴いるかよ」が先に立ってしまう。 ストーリーに集中できず、読むのをやめてしまう。 そうやって離脱した作品が幾つもある。 漫画は現実ではない。 現実に無いストーリーを楽しむ物だ。 分かっているが、受け付けない。 受け付けなくなったので、読める漫画が凄く減った。 昔から漫画を溺れる程読み続けてきたので辛いところがあるが、こればっかりはどうにもならない。 そんな中で、竈門炭治郎が私が忌避してきた物語の主人公達と違ったところは何か。 限りなく小市民だった。 これに尽きる。 語彙が多くない。 難しい名言を引用したりしない。 詩的な言い回しをしない。 すぐ強くならない。 判断が中々出来ない。 人混みや街並みに酔う。 仲良くして、みたいな事を言われて「無理だな」って思う。 恥を晒す善逸にドン引きした顔は普通に好きだった。 全て受け入れるわけじゃないところが好感を持てた。 特に痛みを我慢してたけど、それはそれとして痛いものは痛いって回想とか、嗚呼、この子は人間だなって思える。 そこに在ることを感じる。 3巻時点で既に常人離れした優しさが垣間見えていたし、やっぱりジャンプの主人公だなと思う所は多々あったが、その辺りで私は鬼滅の刃を最後まで読むことを決めた。 そしてハマった。 アカウントも作った。 夢小説も書いた。 書いている。 そしてキャラクターの理解で躓いている。 その一人に、勿論竈門炭治郎がいた。 竈門炭治郎は優しい。 人に影響を与えて改心させるほど優しい。 敵である鬼さえ慮る。 その優しさは最早人間離れしていたが、鬼滅の刃の世界観をすっかり好きになっていた私はそれを竈門炭治郎の個性として受け入れたし、好きだった。 勿論今でも好きだと思っている。 聖人じみたその優しさを尊いと思う。 バブみすら感じる。 竈門炭治郎に頸を斬られる鬼になりたいと思う夜もある。 竈門炭治郎がいるかまどベーカリーの常連客になってパンのカロリーをどう消費するかとパン代をどう稼ぐかだけ考えながら竈門炭治郎のファンサもとい接客を浴びて竈門炭治郎がかまどベーカリーを去るその日まで通い続けたい。 最終的に死後竈門炭治郎に線香をあげに来られたい。 「1日も欠かさずに来てくれた常連さんだったんです」と少し目を潤ませてくれるだけでいい。 その後忘れ去られてもいいからそれを見て成仏したい。 ただ、多分私は今後もずっと、竈門炭治郎が竈門炭治郎である限り、彼に恋をする類の夢小説は感情移入して読めないし、竈門炭治郎の関わるカップリングの二次創作を読む都度そこはかと無い違和感を抱き続ける様な気がしている。 ここで今の私の精神状態をおさらいする。 私は自分に負い目がある。 罪悪感と劣等感から血の繋がった家族を苦手に思っている。 長子として独り立ちさえできていない自分を恥じているし、それをむざむざと感じなければいけない年末に向けて落ち込み続けている。 そういう状態だからこそ、竈門炭治郎という存在に抱いている自分の感情を分析できたのだと思う。 竈門炭治郎は作中で幾つかの人間関係を取り持っている。 煉獄家の不和が些か遅かったとは言え解消される一因を持ち込んだのは竈門炭治郎だし、妓夫太郎と梅の兄妹の死際の兄妹喧嘩を仲裁した。 時透無一郎が家族の記憶を取り戻すきっかけを作り、不死川実弥と不死川玄弥が瀬戸際で和解出来たのも竈門炭治郎がそれを気にかけ言葉を掛けたからと言えるのではないだろうか。 お分かり頂けるだろうか。 竈門炭治郎、数多くの家族や兄弟の仲を取り持っているのである。 そしてその中でほぼ一貫しているスタンスが、私を恐怖させるのだ。 家族は愛し合うものである。 竈門炭治郎の根幹にはそれがある。 私は家族を愛している自信がない。 特に弟達について、大切に思っていると断言できない。 幼い頃は掛け値なしに大好きだったし、今は社会的地位において全く敵わない弟達も、昔は私より幼かった。 愛でることが出来たし、やってやれることも多かった。 遊びに連れ出し、幼児言葉を通訳し、宿題を教えた。 先に社会に出たので、お年玉をやったことだってある。 今は何も出来ない。 私は弟より弱い。 年収も低い。 そもそも非正規雇用だ。 劣等感を抱いているから弟の成功体験が妬ましいし、自信に溢れた立ち姿が憎らしい。 笑って話を聞きながら、どこかで呪っている。 躓いてくれ、折れてくれと願っている。 そういう自分を悍しく思いながらも、止めることが出来ない。 親についてもそうだ。 私は長子として手がかからないことを求められ、出来うる限りそれに応えようとした。 折れてしまっただ私の事も二人は受け入れてくれているが、長く長子であろうとしてきた心が私自身を許さない。 それを両親が私に掛けた呪いだと思わなければ、自己嫌悪に呑まれて死にそうになってしまう。 自分が矮小だと言うことは分かっている。 主人公である竈門炭治郎とわざわざ比べて凹んでいると言う話でない。 そんな私であっても、恐らく竈門炭治郎は見捨てないだろうと言うことだ。 勿論竈門炭治郎は二次元の存在なので、実際に巡り合うことなどない。 でも擬似的に会う事は出来る。 出来てしまう。 それが私が普段浸かっている夢小説という文化の醍醐味であり恐ろしさだ。 竈門炭治郎がもし私の横にいたら。 多分彼は、人の感情を嗅ぎ当てるその驚異的な嗅覚で持って、私の葛藤を知った上で、過去の思い出にしがみつく様な私の家族への想いを探り当て、言うだろう。 貴女はちゃんと家族の事が好きだよ、大丈夫だよ、そう言ってくれるだろう。 一度知り合いになったら、竈門炭治郎は私の為に尽力してくれるだろう。 私と家族の中を取り持ってくれる。 励ましてくれるし、背中を押してくれる。 私は少しずつ、ちゃんと家族のことを見つめられる様になる。 竈門炭治郎はささやかな報告を自分のことの様に喜んで、良かったなあと笑ってくれる。 疲れたら休ませてくれる。 鼓舞してもくれる。 真っ直ぐ立てる様になって、家族と掛け値なしに笑える様になる。 そして私は、竈門炭治郎の助けを得て、一般的に望ましくない感情を家族に抱いてしまう醜い私を殺害するのだ。 嫉妬も憎しみも全て葬り去る。 ただ、真っ直ぐ人を愛する為に、それ以外を捨てる。 普通に怖い。 竈門炭治郎のせいではない。 流されやすい私が悪いが、それでも怖い。 完全なる善意である竈門炭治郎の発言を否定できない事によって、私は現状の私を形成する殆どのパーツを破棄することになるだろうと言うのが容易に想像がつく。 なにせ竈門炭治郎の家族は美しい時間だけを残すものになってしまった。 断絶したことによって完成してしまった美しい家族愛だ。 余人に否定されても揺るぐ事はない。 竈門炭治郎の家族観はあそこにしかない。 竈門炭治郎は長子の呪いも持たない。 むしろそれによって力を増す。 だから呪いが分からない。 理解しようとはしてくれるだろう。 でも分からない。 だって竈門炭治郎には感情がわかる。 根底に残る愛に似た物を、こんなに綺麗なものを君も持っているんだよ、だから大丈夫だよ、と言えてしまう。 そしてその方向性は竈門炭治郎が持つ家族観によって定められてしまう。 それが事実であるからこそ否定する事が出来ない。 竈門炭治郎の様な善性を信じる生き物は通常人類にも居て、何度かそういう働きかけを受けた事はあるが、奴らは私の感情を見透かしているのではなく統計と自分の願望で物を言っているので簡単に切り捨てられる。 竈門炭治郎は違う。 事実によって物を言う。 加えて人は美しい物を尊びたがる生き物だ。 だから見せられればそれを大事にしたくなる。 それまでの生き方を投げ捨てても、縋りたくなる。 きっと私もそうしたくなる。 そして今度は竈門炭治郎の呪いにかかる。 家族は寄り添う物であるという呪いに。 折れるまでその呪いに従い続けて、そしてまたどこかで亀裂が入る。 色んな物を信じて、心砕かれてきた今までと同じ様に。 そしてその時、私は多分、竈門炭治郎を恨むだろう。 ひと時の甘美な思い出を握り締めたまま、竈門炭治郎を苦々しく思い、そんな自分をそれ以上に憎しみながらどこか遠くへ逃げていく。 けれど死が耳に届けば竈門炭治郎が自分の事のように悲しむ事は分かっていて、そうなればより一層苦しむ事になるのが分かっている為に生きるしかない。 そうして竈門炭治郎と二度と関わらずに済む事を祈りながら、私は世界の片隅で年老いて死んでいくのである。 そんな自分がありありと想像できる。 そんな馬鹿馬鹿しい想像の末に、私は竈門炭治郎が怖いと心のどこかで感じていた理由を理解した。 竈門炭治郎は少年の姿をした神である。 私の結論はそれだ。 ただの矮小なる一人類がそのガワに親近感を覚え近付こうとすれば身を焼かれる。 隙があるかと思えばそれは慈しさ故の物でしかなく、実質竈門炭治郎の権能に他ならない。 竈門炭治郎の深い優しさを知る為に齎される僅かな人間味に引っかかれば、その底の無い沼のような、手を伸ばせば焼け落ちる太陽のような竈門炭治郎という人間の畏ろしさを知る事となるのだ。 なので私は竈門炭治郎に恋は出来ない。 竈門炭治郎を一生理解できないし、理解しようとすると形成してきた自我がやられてしまうので考えないようにするしかない。 竈門炭治郎を模した偶像を一人の少年として愛でるしかない。 そして多分竈門炭治郎がそんな私に理解を示す事もないし、あって欲しくないと思う。 このまま別次元の生き物であって欲しい。 私の気が狂ってしまう。 だからといって別に二次創作の竈門炭治郎が地雷とかそう言う事じゃない。 読めるし見れるし寧ろ好きだ。 ただ私の中の竈門炭治郎観と言うのがほぼそれで固まってしまったので、私が私である限り竈門炭治郎に恋は出来ないし、誰かに恋をさせるというのもとても難解な事であるのだ、という話だ。 私は今のまま美しくない私を肯定して生きていきたい。 だから竈門炭治郎とは距離を置いた程よい関係を築いていきたいと思う。 そういうオチのないただの心情書き殴りでした。
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