福岡 大 ワンダー フォーゲル 部 ヒグマ 事件。 福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件!メモの内容や生き残りは?

農大ワンゲル部しごき事件

福岡 大 ワンダー フォーゲル 部 ヒグマ 事件

福岡大学ワンダーフォーゲル部の合宿として部員達は北海道の日高山脈へと出向く。 しかしカムイエクウチカウシ山 標高2000m規模 へとさしかかった九ノ沢カール地帯へとさしかかった時、彼らの周囲へ体長2m程のヒグマが姿を現したのだそうな。 当初ヒグマはワンゲル部員へ向けて襲いかかってくるような様子はなく、ただ周囲をうろついてはこちらの様子を伺うにとどまっていたとのこと。 もしもこの時点で大学生らが早々に『 撤退 』と『 下山 』を決定していたならば、その後の惨劇も避けられたやもしれません。 しかし一行はこういった選択をせず『 登山行を継続する 』道を選んでしまいました。 結果、ヒグマは徐々に部員たちとの距離を縮めはじめます。 そして大学生がテント外に置いていた荷物を漁るまでに到ってしまった・・・。 この一度ヒグマの手中に落ちた荷物を、こともあろうに隙をみてヒグマから若者たちは獲り返してしまいます。 ヒグマは一度自分の獲物と認知した物に対して強い執着心を持つことで知られている動物。 結果としてその後の彼らはヒグマからの執拗な追撃をうける状況へと陥ってゆくのです。 部員たちも彼らなりに追い払いの行為や退避行動をおこなったそうですが、結果として5人居た部員のうちの3名が順次ヒグマの持つ鋭い爪牙の犠牲となりその若い命を落としてゆくこととなりました。 辛うじて逃げ伸びることが出来た2名でさえも、当時の状況を知るに「 いつ命を落としてもおかしくなかった 」ことが判ります。 当時の状況は以前「 ウィキペディア 」にもその詳細な記事文が掲載されていたのですが、先日改めてこの項を開き直してみるといつの間にか「 記事削除 」の扱いに変わっていました。 古い事件とはいえたかだか40年程前の出来事・・・・。 実名が連記されていた記事文や被害者の手にてよる遺書的メモの内容なども詳細に掲載される形での公開文であったことを記憶しています。 投稿者らは後になり遺族への配慮などを思いかえして「 記事削除 」とされたのかもしれませんね。 勿論この事件のヒグマもハンターの手によって駆除されました。 どの事件でも大抵は加害クマは駆除されるという結末を迎えます。 被害を出したクマを駆除したからそれでお終い・・・・。 でも本当にそうでしょうか? いや きっとこの「 あいらぶヒグマ(羆)ちゃん 」の中に幾つか綴ったヒグマ被害の記録を読んだ皆さんならば気づいて貰えたはずです。 ヒグマが暮す山や森と人間が暮す街が隣り合わせである限り・・・。 ヒグマが生息する山や森に人間が登山や山菜獲りなどの目的で分け入ってゆく限り・・・。 ヒグマ被害と言う事象が起こるといった可能性は今後もこの世の中から、北海道から完全に消えることなどあり得ないはずですよね。 「 起こるかもしれない事 」 これを無視してはいけないのだもの・・・。 過去の悲しい史実をきちんと活かそう。 僕らは「 知る必要 」がある。 僕らは「 学ぶ必要 」がある。 共に学びましょう。 それがヒグマ事件を掲載する僕からのメッセージです。 福岡大学ワンダーフォーゲル部がうけたヒグマ被害。 この加害クマの剥製は中札内村にある札内川園地、そこに開設されている日高山脈山岳センター内にその姿をみることが出来ます。 「 日高山脈山岳センター 」 札内川園地・日高山脈山岳センター 北海道河西郡中札内村南札内713番地 0155-69-4378 10時~17時( 6月~9月は20時まで ) 園地内にはこの山岳センターの他にキャンプ場やテニスコート、パークゴルフ場などが開設されています。 札幌を基準に考えるとすれば現在地までの距離はおよそ 240km。 高速道路の利用を敬遠し、一般道を辿り移動して来るとなれば、ノンストップでも4時間は覚悟といったところでしょう。 やはり訪ねた施設に記されているヒグマ絡みの史実は とても悲しいお話 なわけで・・・・。 ここいら辺 ちょっと今回の僕は複雑な心境です (T T ) ううむ・・・。 目的であった過去に大学生を殺めて( あやめて )しまったヒグマの剥製は山岳センターの玄関口で早速お会いすることができました。 「 それを展示ですか? 」 といった感情を言葉にする方も来館者の中にはいらっしゃるのだと施設管理の方が教えてくれました。 「 ? 」 を投げかけた方の心中や御考えにも頷ける部分があると感じます。 しかし同時に ヒグマは時に人を襲うことがあるという現実。 過去には眼前に広がる山々の中でもそのような事故が起きたという歴史。 これらを踏まえて頂くことで、今から山へと分け入ろうとする方々にも山に対する備えばかりではなくヒグマの存在に対しても「 心構え 」や「 装備 」、「 知識 」などの充実を図っておいて欲しい。 ひいては野生動物を愛で、山を楽しみ、無事故で山を下りてきて頂きたいのだといった願いをこめて「 教訓的意義 」に重きを置いての展示。 こういった意義を唱えつつ展示を継続されているのですよと語るスタッフらの思いにも大きく頷くことができますよね。 「 悲しい歴史のものだから・・・ 」 と奥に仕舞い込み何も見せず隠してしまうことは容易いことだもの。 でも「 正しく学ぶ 」ためにはやはり「 事実 」は隠してはいけないし、しっかりと後世に伝えることが大切であるに違いありません。 そういったわけで展示継続の道を選んでいる施設がわの考え方に僕も強く賛同しています。 僕だってこの地を酔狂に訪ねたわけではないんだ。 ちゃんと大きな「 学び 」を貰い持ち帰ることができたということを皆さんへも伝えたいです。 傍らに立つ僕の身長は168cmです。 「 意外と小さい 」という感想は僕も持ちました。 福岡大学のワンダーフォーゲル部を襲った加害クマはその史実を確認するに「 体長は2mほど 」との記載が残されていることが多いようです。 ですが現実に目の前にある加害クマの剥製はそんな記録数値よりも「 小さい 」と感じています。 ヒグマに襲われた際、大学生らだって生き残りをかけてそれこそ死に物狂いで抵抗を試みたはず。 「 若い男性の力をもっての必至の抵抗 」 にも関わらずパーティーの何名かは命を落とす結果となりました・・・。 ヒグマの持つ「 力 」を侮ってはいけない。 せいぜい僕らが優位にたてるヒグマのサイズというのは赤ちゃん小熊のレベルなのかもしれません。 相手が今までの想像を超えた強さをもっていると感じ学習して頂けたのであれば、きっと読者の方々は相応の「 備え 」や「 策 」を持ち出し始めるはずです。 そんな行動や工夫の全てがきっと皆さんを自然や野生の 「 恐ろしい部分 」 から守ってくれると思います。 山を舐めるな! これは登山家らの間でよく語り継がれている有名な台詞。 その「 山 」の文字の中には「 野生動物 」という意味も含まれていることを決して忘れないでください。 僕らだって山の中、このクマと出逢ってしまったとしても相手を侮ってしまったかもしれません。 知らなければ、またいつか誰かがヒグマを侮ってしまう・・・・。 皆で伝えましょう、そしてヒグマとの共生や共存が少しでも安全な物と出来るように工夫してゆきましょう。 施設内には福岡大学ワンダーフォーゲル部の遭難報告書の展示もありました。 展示物の中には彼らの残した遺書や遺品の展示も見られましたよ。 しっかりと時間をとったうえで足を運んで頂きたい施設だと思うんだ。 彼らの「 無念 」さがきっと貴方の心に響くはずです。 山岳センター玄関口には登山情報も掲示されていました。 そこには今現在もヒグマ出没の情報が読み取れます。 こういった情報を軽んじることなく、貴重な資料情報として活用したうえ山を楽しんでください。 怖い話ばかりが続いてしまったかもしれませんね・・・・。 でも毎年北海道の山へは沢山の登山家や山菜採りの方々が入山しています。 営林署職員や送電線管理の方々なども多数入山されている。 相対的にみればヒグマの事故に遭われるかたというのは 本当に極わずか なのです。 しっかりとした事前工夫を施した方らがヒグマ事故に遭われる確率はとても低いと言えることでしょう。 互いに正しいルールに基づき、注意を怠らないことが大切なのではないでしょうか? ヒグマとの付き合い方って知識を充足させたり、備えを万端にしたり、ルールを覚えるまではやっぱり難しいですよね。 でもいつか既に身につけている交通ルール同様に、対ヒグマのルールも長い経験の蓄積を通して身につけてゆくことが出来ることでしょう。 文字通り 交通事故 と ヒグマ事故 の両方に気をつけて下さいねってことだ。 この道路では実際にヒグマが絡む乗用車の事故がありお亡くなりになった方が居たそうです。 鹿ばかりではなくヒグマも道路に飛び出すことがある・・・ とにかく気をつけるしかありません。 「 自分も直接訪ねてみようかな・・・ 」 そんな思いが浮かんだ時は可能であれば「 乗用車利用 」が良いかもです。 バイクで行くのはちょっと僕自身も遠慮してみたよ。 最近はヒグマの頭数が増えていて道路への飛び出しなど直接的な路上コンタクトが増えているとも聞いていたからね。 皆さんも参考にしてみてくださいな。 今回の中札内村へのクマ出張も実りの多いクマ旅になりました。 色々と教えてくれたセンタースタッフの方には大変感謝しております。 次回は田中義剛さんの経営する花畑牧場へ遊びに行く際にでも利用してみるとするか・・・。 今回は日帰りで足を延ばしていたので中札内の話はここでお終いです。 帰宅路で回った 帯広で食べた豚丼 の画像で最後を締めることといたしましょう。

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【ゆっくり解説】歴史に残る『福岡大学ワンゲル部ヒグマ事件』の恐怖

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目次ページ• ヒグマ襲撃事件の真相や原因とは?  そもそもヒグマ襲撃事件はなぜ起こったのか? 1970年に福岡大学のワンダーフォーゲル部というクラブ活動のメンバーが北海道の山脈に向かっていました。 福岡から北海道の山脈での移動なので飛行機で向かっていたと思われていますが1500 M 以上のふもとでの活動を想定する彼らの装備は盤石とは言えなかったようです。 計画の時点で予定の時間を大幅に超え頂上に到着した時点ではあまり時間を無駄にできずに早急に下山するという計画が成り立っていたと思われます。 最低限の装備しか揃えていなかったので寝泊まりできるテントを設置し体力の回復に従事するようにメンバーらはテントで休息を行っていました。 一定時間休息を行っているとそこに一頭のヒグマが彼らの麓に近づいてきました。 メンバーの一人がヒグマの姿をキャッチすると記念写真をとるかのような余裕を持っていたんですがそこからヒグマが彼らの食料の入った荷物を物色するかのように動き出しました。 荷物の中には食料が入っていますのでこれを奪われたら自分たちの食料がなくなり やばいと感づいてヒグマを威嚇しながらなんとかその場を切り抜けました。 一度は自分たちの活動区間からヒグマを追い返したメンバーたちではあったのですが彼らが再びテントで休息をしている時にまた先ほどのヒグマが現れたのです。 そこからヒグマは最初のような安易な行動を取ろうとせずに攻撃的に彼らのテントを打ち破ったり穴を開けていくなどをして最初の行動とは全く別物の攻撃的な態度に変わっていました。 この瞬間からなぜ大学生のメンバーは危険と察知せずにその場に居続けたのか? しかも彼らはヒグマが凶暴性になっていることに気付き始めていたにもかかわらずなぜテントをたたみすぐにでも山を下りなかったのか? 当然最初の頃とは比べ物にならないほど凶暴性になったヒグマに対して見張りを交代制で周辺につけることを決めたメンバーたちはまた凶暴化したヒグマに遭遇するのではないかという緊張感と危機感があったと言われています。 そして再度またヒグマと遭遇。 ここからが大学生メンバーとヒグマのバトルが始まり本格的に生死を分けるところまで追い込まれていくわけであります。 リーダーからの指示で5名いるメンバーのうち二人がヒグマとのマッチアップの危険性を察知し先に下山して助けを呼びに行くなどの行動をとったのでありますが ヒグマとのバトルは予想以上に激しいものに化してそこからメンバーのうち一人が地面に叩きつけるなど相当激しい激戦を繰り広げられていました。 二人は先に下山し残った3名のメンバーは後に下山するということを伝えそれに先駆け作戦通りの実行を行って言ったのではあるんですがなんせヒグマとのバトルやヒグマとの監視活動によって体力が限界に到達して下山するはずだったものが疲れて全員テントの中で眠ってしまったと言われています。 彼らが目を覚めた時には下山活動を行う予定で それまでヒグマの姿や気配は全くなかったと言われていますがいざ目を覚めて下山しようとした時にまたヒグマと遭遇してしまいました。 今度のヒグマは相当攻撃的になっており最初からテントを崩壊するつもりで彼らの周りをうろうろしていたと言われています。 メンバーの3人はテントの周りをウロウロするヒグマを目の前にしてもこれでは一向に埒が明かないと思った判断はテントを捨ててそのまま下山して逃げるという選択をしたんですがメンバー達はヒグマの目をかいくぐってなんとかその隙から逃げようと思っていたに違いありません。 ついにテントを諦めヒグマから逃げようとする3人に対してヒグマは彼らの後ろをすぐに追いかけてきて3人も足を早めて逃げたと言われています。 しかし逃げ足の速さであれば当然人間より動物の方が早くヒグマはすぐにメンバー3人に追いつくことができて最初に襲ったのがメンバーの中の一人でした。 その後にヒグマに襲われたメンバーは悲鳴と共にダメージを負って必死でヒグマと対等にやりやっていたと思われます。 なんとか体にダメージを負っている状態で足を引きずりながらもヒグマから逃れることができたメンバーはその後他の大学のサークルの一味と合流することができあまりにも事の重大さに気づき先に下山しているメンバー2人の助けが来るように火を起こしたり警笛を鳴らすような行動を取り始めました。 なかなか下山できないメンバー3人ではありましたが時間だけが過ぎて行って夜はヒグマ空の気配を消すために存在が設置されにくい岩場に隠れて一夜を過ごしました。 スポンサードリンク ヒグマに襲われた福岡大学ワンダーフォーゲルのメンバーとは? この事故で ヒグマに襲われた大学生のメンバーは福岡大学ワンダーフォーゲル部のメンバーだと判明しており福岡から北海道の日高山脈を訪れて頂上を目指すことを目的としてこの場を訪れたと言います。 そのメンバーとはご覧の通りです。 竹末一敏(経済学部3年 20歳 リーダー) 滝俊二 (法学部3年 当時22歳 サブリーダー) 興梠盛男(工学部2年 19歳) 西井義春(法学部1年 当時19歳) 河原吉孝(経済学部1年 18歳) 元々これらのメンバーに登山経験や技術スキルなどはあったのでしょうか? 年齢も年齢では各熟練している年齢ではないですし経験やスキルもそれほどプロレベルに達したものではなかったに違いありません。 そのような人たちが標高2000 M の山で覆われなおかつ夏は真夏のように暑く冬は凍るような気温と寒さで覆われる日高山脈などあまりにも無謀でレベルが高い場所だと思います。 そのような プロでも非常に険しい場所になぜ素人同然の人間がチャレンジしようと思ったのか? ただの若気の至りか。 もしそうだとするとヒグマ襲撃事件以前に日高山脈にチャレンジすること自体が無謀だったということを言わざるを得ません。 ヒグマは北海道にしか現れなく九州の福岡から来たような彼らはヒグマなど初めて見るような光景だったに違いありません。 なので最初は物珍しそうな動物と勘違いしてヒグマを天然記念物のような目線で見ていたメンバーですがそうこうしてるうちにヒグマが彼らの食料を取ろうとして彼らと激しいバトルになり中には体ごと倒されるぐらいダメージを背負ったメンバーがいたわけです。 なかなか下山することができない状況下の中で今後そのヒグマの恐ろしさを体験することになります。 スポンサードリンク 福岡大学ワンダーフォーゲルメンバーを襲ったヒグマとは? ヒグマは主に北海道に生息する動物で体長は約2 M 以上体重は200キロから300キロオーバーする生き物ではあります。 当然走るスピードは人間の2倍と言われており中には50 km を超え鋭い牙と爪で人間を襲ってきます。 人間には持っていない聴覚という要素があり数十 km 先の感覚を捉えることができて獲物を仕留めるという性質があります。 主に北海道ではツキノワグマというヒグマが有名で全国的にも多く生息しています。 オスとメスで性格や凶暴性は違ってきますが主にオスが人間に襲いかかり攻撃を仕掛けてくると思われます。 今回の大学生襲撃事件のポイントもおそらくヒグマ独特のノウハウを生かしテントに置いてあった食料やカバンに詰めて行った食料の匂いを嗅ぎつけて彼らに近づいていったと思われます。 ここからがメンバーとヒグマによる生死を分けるバトルが始まります。 彼らが逃げる後を追ってきたヒグマは同じルートで逃げるのではなくメンバー1人1人が個別にルートを替えて逃げました。 最初に襲われたのはメンバーの一人の河原さんです。 ヒグマと遭遇した時の対処法はコレ! ヒグマの特性や遭遇した時の対処法などをここでピックアップしていきたいと思いますが、まあなかなか普段のライフスタイルの中でヒグマに遭遇するなんてことはあまりないと思いますがもしこのような同じようなケースで遭遇したらあなたはどうしますか? ヒグマの餌を狙う時のカテゴリーは主に鳥類や虫類、昆虫などを好んで食べると言われています。 ヒグマの性格上あまり一匹一匹細かく餌を取って食べるという性質ではなくどちらかと言うと一気に大量の獲物を狙いそこから餌として獲得する傾向が強くあります。 となりターゲットになる獲物も何科に属しているものか複数いるターゲットを狙う性質があります。 それによって一度の獲物獲得ができ効率化が図れると言うことを表しているポイントではないでしょうか。 つまり人間のような思考を使いただの馬鹿な動物ではないということです。 そして積極的に摂り類屋哺乳類を餌にターゲットとして狙うことはめったにありません。 そして彼らのウィークポイントの最大の一つとして一度でも獲物として新鮮な部分を味わえばそれ以降積極的かつ攻撃的な狩りを行う性質があります。 彼らも生きていくためには必死なわけですからやはりどんな賢い考え方をして食料となる獲物を狙うのかというところを常に考えてるわけであります。 これによって人間においても一度人間の味を覚えてしまえば当然人間をターゲットにして狙ってくる危険性が非常に高い動物なのです。 遭遇した時の対処法として一番効果的なのが近づいてきたとしても決して足早に逃げるというようなことはしないでどちらかと言うと大声を出したりするのではなく彼らと同じような空気感でいるような認識をして何があろうとも火をつけて攻撃したり逃げたりしたりしないほうがいいということです。 スポンサードリンク ヒグマ襲撃事件の福岡大学ワンダーフォーゲルメンバーが書き込んだノート メモ とは? メンバーたちはヒグマと戦っている時に書き残した一通りのノートつまりメモがあると言われています。 このノートには一体何が書かれていたんでしょうか? 下山に遅れ限界に達していて疲れを癒す為にテントで眠ってしまった3人をターゲットにしたヒグマはそこからヒグマvsメンバー3人の壮絶な戦いが始まり結果は残念ながらメンバー3人の無残な姿で幕を閉じています。 そして時間が経ち救助隊が到着した時にはメンバー3人の姿はあまりにも変わり果てていました。 ヒグマは鋭い牙や爪を武器にターゲットを仕留める性質があるのでメンバー3人は当然衣服をちぎられ中には全裸の状態で倒れているメンバーの姿もあったようです。 そして悲惨な状態の影には顔が半分食いちぎられていたりメンバーの一人のダメージを見てみると腸や内臓がヒグマの爪によって剥がされているなどもうどうにもならないような遺体で発見されました。 後に剣士の結果によるとヒグマにやられた3人のメンバーは頭蓋骨の骨折と動脈破損による大量出血という死因が出たそうです。 今回の焦点になっているこの彼らが書き残したノートつまりメモなんですが一体どのようなことが書かれていたのかは大体想像できるが遺体が発見された時にあまりにも目を覆いたくなるような状態だったのでこのノートに書かれていることも相当内容が濃いと思われます。 26日午後5時。 夕食後クマ現れるテント脱出。 鳥取大WVのところに救助を求めにカムイエク下のカールに下る。 17:30 我々にクマが追いつく。 河原がやられたようである。 オレの5m横、位置は草場のガケを下ってハイ松地帯に入ってから20m下の地点。 それからオレもやられると思って、ハイ松を横にまく。 するとガケの上であったので、ガケの中間点で息をひそめていると、竹末さんが声をからして鳥取大WVに助けを求めた。 オレの位置からは下の様子は、全然わからなかった。 クマの音が聞こえただけである。 竹末さんがなにか大声で言ってた、全然聞きとれず、クマの位置がわからず。 ガケの下の方に2、3カ所にたき火が見える。 テントにかくまってもらおうと、ガケを5分ぐらい下って、下を見ると20m先にクマがいた。 オレを見つけると、かけ上って来たので一目散に逃げる。 前、後ろへ横へと転び、それでも振りかえらず前のテントめがけて、やっと中へかけこむ。 しかし、誰もいなかった。 しまった、と思ったが、もう手遅れである。 シュラフがあったので、すぐ一つを取り出し、中に入り込み大きな息を調整する。 しばらくすると、なぜか安心感がでてきて落着いた。 それでもkazeの音や、草の音が、気になって眠れない。 鳥取大WVが、無事報告して、救助隊が来ることを祈って寝る。 27日 4:00 目が覚める。 外のことが、気になるが、恐ろしいので、8時までテントの中にいることにする。 テントの中を見まわすと、キャンパンがあったので中を見ると、御飯があった。 これで少しホッとする。 上の方は、ガスがかかっているので、少し気持悪い。 もう5:20である。 また、クマが出そうな予感がするので、またシュラフにもぐり込む。 ああ、早く博多に帰りたい 7:00 沢を下ることにする。 にぎりめしをつくって、テントの中にあったシャツやクツ下をかりる。 テントを出て見ると、5m上に、やはりクマがいた。 とても出られないので、このままテントの中にいる。 8:00頃まで・・・・(判読不能)しかし・・・・・(判別不能)を、通らない。 他のメンバーは、もう下山したのか。 鳥取大WVは連絡してくれたのか。 いつ、助けに来るのか。 すべて、不安でおそろしい・・。 またガスが濃くなって・・・・ まさに当時の状況をメモ書きしていたに違いありません。 本当に悔やまれる事件でもありました。 メンバー3人にはお悔やみ申し上げます。 最後までご覧いただきありがとうございました。 その他のタメになる関連記事は下をスクロール! スポンサードリンク.

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日高福岡大ヒグマ事件

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更に、 福大のパーティーが無能で無ければ事件は起こらなかった、 違うかな?、 知らないと言う事は無能なんです、 場所は北海道の日高です、 ヒグマに遭遇する可能性は大です、 時代は昭和のなか、 ヒグマの習性や危険性は熟知されてる時代です、 にも関わらずヒグマと食い物の取合いなんぞ愚の骨頂です、 出会せば速やかに食い物与えて現場の離脱、 子供でも解るんでは?、 其でも食い物の取合いに終始したんでしょ、 此を無能者或いはバカと呼ばずにどう呼べば良いのですかね?、 ヒョットして質問者さんも同じ思考方向の仲間なんですか?、 繰り返しときますが、無能者や知識の無い人間は山に入ってはダメなんです、 養護する余地は有りません。 あれ?感情的になってるけど、誰も批判なんかしてないと思うけど? 調査って言うのは、知らないでは不足だって話だよ。 いつできたか知らんけど。 マサカリ担いだ金太郎って歌もあるじゃん。 木彫りのくまが、鮭を咥えたのとかもあるじゃん。 鉄砲だって昔からあったじゃん。 武器もないじゃん。 準備不足じゃん。 関係ないならそんな大昔の話をも落ちださないで欲しいわ。 卒業生として、無関係のあなたにね。 怒られるよ。 もう終わった話で掘り返されたくないと思うけど?親族は。 福大のワンゲルとどんなご関係なのかしら?ご親戚なの? 事前調査って言うのは、危機管理も含めて事前調査なのよね。 そこに気づいていなかったのは、落ち度でしょ?だから、それが原因で調査不足というのですよ。 99%調べていたとしても、100%以上を考慮していないとだめなのよ。 それにクマは昔の方が、お山にいて当然の動物。 もっと古いマサカリ担いだ金太郎って童話にも熊出てくるでしょ? 熊を知らない時代でもないし、福岡市動物園にもいたはずよ。 生息している動物くらいの知識がなかったのは、調査不足です。 あなたがどういってもね。 ヒグマを知らなくても熊ぐらい誰でも知ってた生き物です。 熊本だって近いじゃない?身を守る道具を持参していないで、 キノコ狩りに行って襲われている方、今でもいるじゃない? 熊知ってるよね?残念だけど、危険回避できなくて、危ないよって言われても 大丈夫大丈夫と言って行ってみたら襲われちゃった方も沢山いると思うよ。 危機回避しなかったわけじゃん。 誰のせいでもないよ。 責任は本人だけの行動予測不足。 以上で終わるんだよ。 熊は逮捕できないしね。 私は福岡大学の人達と何の関わりもないです あなたが何を言おうと、当時はヒグマについて知られていなかったということは事実です ヒグマについて知らなかったのは福岡大学の人達だけではないです 北海学園大学の人達や鳥取大学の人達もヒグマについて知らなかったです 北海学園大学の人達や鳥取大学の人達も、ヒグマに襲われても山を登り続けたらしいですし、ずっと山にい続けていたらしいです あなたの認識が間違っているのですよ 当時はヒグマについて知られていなかったのですから、ヒグマについて事前調査をする術がないではないですか 当時はヒグマだけでなく熊についても知られていなかったです 福岡大学の人達には落ち度はなかったということは事実です 当時の事情を何も知らないあなたが福岡大学の人達を批判する資格はないです.

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