これまで世界保健機関(WHO)に新型コロナ感染者はゼロと報告していた北朝鮮。 だが、感染者は4万8528人、死者も少なくとも267人出ていると産経新聞(4月26日付)が報じた。 情報源は、韓国の脱北者団体という。 *** 北朝鮮の感染症対策当局は、「入国者全員の検査と隔離を行い、あらゆる物品を徹底的に消毒。 国境を封鎖し、先制的かつ科学的措置を講じた」とし、「これまでの誰一人として新型コロナに感染していない」と発表している。 が、そもそも、中国と国境を接している北朝鮮で、コロナ感染者が一人も出ていないこと自体、不自然であった。 産経によれば、韓国の脱北者団体の「北朝鮮人民解放戦線(北民戦)」が、新型コロナの現況をまとめた朝鮮労働党幹部向けの報告書を入手したという。 報告書は4月10日付で、そこには隔離されている患者や死者は、全て新型コロナの「疑い例」として扱われていると書かれているそうだ。 北朝鮮北東部の咸鏡北道(ハムギョンプクト)で隔離者1万3750人、死者41人、北西部の新義州(シニジュ)で隔離者2426人、死者51人と、中国に近い地域での感染者が目立つ。 平壌も隔離者が125人、死者が5人、平城(ピョンソン)は隔離者が461人、死者は23人が報告されている。 北朝鮮全体で感染者が4万人以上、死者267人は、韓国を上回っている。 北朝鮮の医療体制は脆弱なので、感染拡大を受けやすいようだ。 「幹部向けの報告書というのは、北朝鮮の保健省が金正恩へコロナの現況を報告するために作成したものだそうです」 と解説するのは、北朝鮮に詳しいジャーナリスト。 「金正恩に報告書を届ける際、ある人物が報告書を撮影。 その画像から数字のデータだけ抜き出して北民戦の幹部に送ったとのことです。 撮影した人物は、数年前から北民戦に様々な情報を提供していて、信頼できる人物だそうです。 あわせて読みたい関連本•
次の概要 [ ] 南朝鮮民族解放戦線(南民戦)準備委員会は、2月に李在汶(イ・ジェムン; 이재문、1934年 ~1981年)を中心とする維新政権に反発する人士によって地下組織として結成された。 地下組織となったのは、当時の韓国政府が韓国中央情報部(KCIA)を使って反政府運動を「事件」として徹底的に取り締まっており 、首班格の李在汶自身も()の一員としてKCIAからされていたからである。 南民戦は1977年1月に半合法的な戦術組織として「韓国民主闘争委員会」(韓闘)を組織し、維新体制を批判する印刷物や機関誌『民衆の声』を配布するといった抵抗運動を行なった。 また、韓闘は青年学生委員会を組織して『民主救国学生連盟』、『民主救国教員連盟』、『民主救国農民連盟』を相次いで立ち上げ、主に体制を批判するの配布による宣伝広報を組織的におこなった。 しかし一方で、南民戦は慢性的な活動資金不足に悩まされていたため、韓闘は「彗星隊」( 혜성대)という別働隊を組織し、社会的地位のある個人や公的機関に対する・の行為を繰り返し行なった。 結局、活動資金獲得のための行為がきっかけとなって、に南民戦は李在汶を始めとする組織の首班がKCIAによってされた。 摘発は同年11月まで続き、最終的には84人の関係者が逮捕された。 裁判において、は南民戦を「以降で最大の地下組織」とし、「と同様にと、、によって社会を混乱させ、韓国国家を変乱させようとした赤色()集団」であると規定した。 一方の被告(南民戦関係者)側は「維新政権を打倒しようとする反独裁運動の団体」であると主張したが 、にで有罪判決が下され、主犯格の李在汶と申香植( 신향식)に、その他関係者にまたは15年以上のの判決が下された。 その後、李在汶は11月にで獄死し、申香植は10月に死刑が執行された。 その他無期懲役者については、までに釈放されている。 なお、のも南民戦に参加していたが、KCIAの摘発時点でへ出国していたために難を逃れている。 事件の余波 [ ] 南民戦の摘発()から12日後、釜山直轄市(現:)と隣接する(現)で大規模な反維新政権が発生した(:同年~)。 民主化抗争が生じた主な原因は、・導入()にともなう生活苦にあえぐ中で、地元の国会議員・がが生じたためであった。 だが、韓国当局は南民戦の摘発直後であることから「騒動」の背後に南民戦の残党がいると考え、発令と投入による強硬的な「騒動」鎮圧行動に出た。 その結果、韓国の政局は不安定な状態に陥った上、「騒動」の収拾を巡り政権内部で穏健派と強硬派間の対立が深まり、のへとつながっていった。 事件の再評価 [ ] 、政権が過去の歴史見直し政策の一環で設けた「民主化運動関連者の名誉回復と補償審議委員会」は、南民戦の活動を民主化運動の一環だったと認め南民戦事件の関係者29人を「民主化運動関係者」と承認した。 民主化運動と認められたのは、下記の理由からである。 29人は、維新体制の的統治に抵抗することを目的として南民戦に参加・活動した。 29人の抵抗行為は維新体制の権威主義的統治に抵抗した行為と認められる。 ただし、同時期の公安事件であるとがの結果と認められたのに対し、南民戦事件は再審が行われておらず1980年の大法院判決が有効のままとなっている。 そのため、裁判所の上今なお南民戦は「韓国国家を変乱させようとした赤色(共産主義)集団」のままであり、が定める「」のままである。 また、民主化運動として認定された南民戦の活動の中に活動資金獲得のための犯罪行為も含まれているため 、韓国のからは南民戦の「民主化運動」認定に反発の声が上がっている。 団体名称と団体旗 [ ] 南民戦(南朝鮮民族解放戦線)はの「ベトコン」()とよく似た正式名称を用いていたが、「ベトコン」が「解放民族戦線」と称していたのに対し、南民戦は「民族解放戦線」を名乗っていた。 また、KCIAによると南民戦には団体旗があった。 南民戦の旗はを参考にして、のデザインを組み替えたものとなっていた。 ベトコンの旗の基になった 脚注 [ ]• ニュースタウン2015年2月27日付記事• 当時の韓国では()を機に反維新体制運動が活発化しており、KCIAは()、、(共に)と立て続けに「反国家勢力」の摘発を行なっていた。 なお、これら3事件はいずれもにだったと確定している。 2003年11月21日付記事• 1980年12月24日付記事• 2015年10月30日付記事• 2006年3月15日付記事• 2011年03月16日付記事• 국가변란이 민주화냐(【南民戦の真相】国家変乱か民主化か)]. 2014年12月30日付記事• 関連項目 [ ] 維新体制下でKCIAに違反で摘発されたその他事件• (冤罪事件).
次の北朝鮮の感染症対策当局は、「入国者全員の検査と隔離を行い、あらゆる物品を徹底的に消毒。 国境を封鎖し、先制的かつ科学的措置を講じた」とし、「これまでの誰一人として新型コロナに感染していない」と発表している。 が、そもそも、中国と国境を接している北朝鮮で、コロナ感染者が一人も出ていないこと自体、不自然であった。 産経によれば、韓国の脱北者団体の「北朝鮮人民解放戦線(北民戦)」が、新型コロナの現況をまとめた朝鮮労働党幹部向けの報告書を入手したという。 報告書は4月10日付で、そこには隔離されている患者や死者は、全て新型コロナの「疑い例」として扱われていると書かれているそうだ。 北朝鮮北東部の咸鏡北道(ハムギョンプクト)で隔離者1万3750人、死者41人、北西部の新義州(シニジュ)で隔離者2426人、死者51人と、中国に近い地域での感染者が目立つ。 平壌も隔離者が125人、死者が5人、平城(ピョンソン)は隔離者が461人、死者は23人が報告されている。 北朝鮮全体で感染者が4万人以上、死者267人は、韓国を上回っている。 北朝鮮の医療体制は脆弱なので、感染拡大を受けやすいようだ。 「幹部向けの報告書というのは、北朝鮮の保健省が金正恩へコロナの現況を報告するために作成したものだそうです」 と解説するのは、北朝鮮に詳しいジャーナリスト。 「金正恩に報告書を届ける際、ある人物が報告書を撮影。 その画像から数字のデータだけ抜き出して北民戦の幹部に送ったとのことです。 撮影した人物は、数年前から北民戦に様々な情報を提供していて、信頼できる人物だそうです。 北民戦の幹部がその数字のデータを産経新聞に提供したようです」.
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