福岡堅樹選手のプロフィール 福岡堅樹、トライ王で日本4強だ 中村がゲキ「ランキングを意識しながらやってほしい」 — スポーツ報知 SportsHochi 名前:福岡堅樹 (ふくおか けんき) 生年月日:1992年9月7日生まれ 出身地:福岡県古賀市 出身高校:福岡県立福岡高等学校 出身大学:筑波大学 所属:パナソニックワイルドナイツ 福岡堅樹選手ですが5歳から玄海ジュニアラグビークラブにてラグビーを始める。 中学校時代にはラグビーと陸上部を掛け持ちしていたそうです! 足の速さは陸上部で鍛えられたのだろうか? ラグビー以外では3歳からピアノを習っており、中学3年生まで習っていたそうです。 高校時代にはバンド活動も行うなどしていた。 スポンサードリンク 福岡堅樹選手の50m走や100m走のタイムは? 2019年ラグビーワールドカップに出場している福岡堅樹選手ですが、随所に足を絡めたプレーが目立つ。 現在3トライを奪う活躍も見せている選手ですが、気になる50m走のタイムや100m走のタイムはどれ位なんだろうか? 調べて見たいと思います。 福岡堅樹選手の50m走のタイムは 『5秒8』だそうです。 速いですね! 因みに陸上選手の桐生祥秀選手の50m走のタイムは 『5秒61』だそうです。 福岡堅樹選手と桐生祥秀選手とそんなに変りないタイムです。 参考までに他の選手のタイムも見てみましょう。 色々調べて見たところ、高校時代に手動計測で 『11秒2』のタイムが出たそうです。 このタイムは高校時代なので、恐らくもっと好タイムが出ると思われます。 10秒台も出るかも知れませんね! 100m走の日本記録がサニブラウン選手の 『9秒97』ですので、もし福岡堅樹選手とサニブラウン選手が走ったら、かなりいい勝負をするのではないでしょうか? 二人のレースを一度見てみたいものです! 福岡堅樹選手が俊足を活かしたプレーシーンを見てみたいと思います。 途中で後ろをチラッと振り返る余裕も見せています。 こういったトライは非常に見ていて楽しいですし、感動して涙が出そうになります。 ベスト8に進出している日本代表ですが、これからは強豪相手がズラリと並びます。 福岡堅樹選手の俊足を活かしたプレーで、相手をかき乱して欲しいですね! 地面を蹴る力が非常に強い福岡堅樹選手ですが、暑い日の試合でスパイクの中が蒸れて、ステップを踏んだ瞬間に足の裏の皮が剥けてしまったというエピソードがあるらしいです。 あれだけのスピードで走るんですから、かなりの力が足にかかっているのでしょう。 高校2年生と高校3年生の時に、靭帯を断裂する怪我を負ったそうですが、走るスピードは落ちなかったそうです。 普通の人間なら靭帯断裂した後は、怖くて思いっきり走る事が出来ないと思いますが、福岡堅樹選手は強いメンタルを持っているのでしょう、怪我を物ともせず走り続けています。
次のついに決断されたのねー。 ラグビーワールドカップをきっかけにファンになってさ、あのスピードを生で見たくて仕方なかったから、正直このニュース聞いた時、まじかーって思った笑笑 でも、福岡選手も苦渋の決断やったと思うし、将来お医者さんになるっていう夢はずっと前から言うてはったことやからさ、なんか納得した部分もあるのね笑笑 元々父が福岡選手のファンで、ラグビー見るたびに「福岡、福岡」言うてて一緒になって応援し始めたのがわたしの福岡推しの始まり。 プレーではね、テレビで試合を見てて福岡選手にボールが回ったらワクワク感というか何かしてくれるっていう期待感が半端ない選手なんよ。 素人目で見ても。 あと、彼から学ぶことがたくさんあったのよね。 年下なのにすごいな、しっかりしてるなって尊敬してた。 なんやったら、今時こんなしっかりした考えする若者おるんやって思ったのが第一印象やし。 笑 あと、「この人は侍??武士???」とも笑笑 YouTubeとかでさ、彼を取り上げた番組を見て、ここまで計画性を持って人生を生きているのってすごいなーって思ったの。 夢に対してもちろん努力もしてるし、自分の生き方に自信を持っているのもすごいなーって。 そんな今、この時、一瞬一瞬をここまで一生懸命楽しんでる福岡選手を見てると、「わたしも頑張らなきゃ」ってなんだか背筋が伸びる気持ちになってたのね。 医者の道もきっとわたしが想像する以上に大変やろけど、ほんまにいいお医者さんになってほしいな。 そういえば、まだワイルドナイツとの契約って残っているのかな??? また来期のトップリーグは出られるん??? もし、もう少しだけラグビー選手としての福岡選手を応援できるのであれば、感動をもらった分、最後まで声援を送り続けたいなと思います。 がっつり目が合い、アイコンタクトもらえた瞬間を激写してくれていました。 感謝でしかない このあと、わたしの興奮はおさまらず、ずーっとそわそわしてパエリアが喉を通るペースがいつもより大分遅くなっていたんだとか笑笑 今回の事はご本人にとっても前向きな決定だと思うし 残りの契約どうするのかなというお話は明日なので いちファンとしてはせめて引退試合があったらなって。 私は嘘をつくのが下手なので 言葉にしていることは全て率直な気持ちです。 晩酌しながらラグビー見るのが去年W杯を知って以来 毎晩の楽しみなんだよね。 こんなにラグビーを好きにならせてくれて感謝しかない。 インスタなんてやるつもり全然なくて 使い方すら分からなかったのに 選手や、同じファンと繋がりたくてやっと始めて その頃からフォローして下さってる方が 私みたいなのに飽きずにフォロワーでいてくれて 現在もたくさんの方にフォローして頂いて みなさんに出会えた事。 随分、電車に乗れなかった私を動かしてくれた 堅樹には感謝しかない。 こんな機会をくれたのは 選手のファンになったからこそ。 豊スタ観戦の日、妹が家から出ず待機してた!って 電話があったのね。 あの日のpostにも書いたけど。 ストレスで過呼吸起こすようになって一人で外出出来ない時期があってね。 もう突然起こるから。 全身に力が入らなくなって立ってられずその場に座り込んでしまうんだな。 30分もすれば治るけどね。 妹はそれ知ってたからいつ電話かかってくるか分からんから自宅待機してたってさ 笑 姉ちゃんもう治ったから電車乗ったんだよ〜 笑 そんな私の重たい腰を動かしたのが堅樹だよ 笑 ありがとうしかない。 豊スタで堅樹がフィールドに出てきた時 野太い声で「福岡さーん!」って何度も聞こえたぜ。 私も参加したかったわ 笑 まあでもこんな日だからちょっと自粛するわよね。 どう考えてもこのインスタ おふざけだって思われるからね。 あとね。 今自分のインスタ最初の見たけど 笑 親父にも感謝。 親父がラグビー面白いぞって言わなかったら アイルランド戦のあの日、唐揚げしながら 見なかったかもしれない。 はあ、福岡堅樹選手の ラグビー選手としての 引退、もしかして決まってしまいました? 来年の東京オリンピック出場を断念 されたとのこと。 受験勉強に六年間の授業、研修 今だと自分で線引きをされたんですね。 最高のインパクトを世界に与えて 引退されるんですね。 みなさんも沢山写真UPされる でしょうから撮り貯めた宮崎合宿のを。 いつも右脚に氷を巻いてるイメージ がありました、心配でした。 だけど練習では必ずトライまで 誰も追いかけてきてなくても されてたのを覚えています。 生観戦は叶いませんでしたが ワールドカップ2019では 凄まじいインパクトを世界に与えて。 なんかもう悲しいというか母みたいな 気持ちで、お疲れ様でした としか 言えないです。 果てしなく遠く厳しい道を選んだ 福岡選手をみんな忘れませんし これからも応援📣📣します。 そして宮崎であきちゃん、キャサリンさん、 のりこさん、 友達と出会わせてくれてありがとう。 最後にまだまだ怖かったはずなのに 2017年に熊本でルーマニア戦で すごーいくるりんぱトライを決めて くれて感動しました🥺ありがとう。 選手 ごめん、まだ色補正まで追いついて ないから明るさだけしてます。 レタッチも先週から習い始めたから 私もラグビーをしっかり楽しみます。 またねー!徳ちゃんさんが寂しがる と思うからたまにはコーヒー部 復活してあげてね。 GO KENKI! SEE YOU AGAIN! コラム風post。 物事には限りがある。 夜が訪れるのは宇宙に限りがあるから。 選手を初めて知った時から 既に最後も見えていた。 しおりさんを見直していて気付いた。 「楽しむ」気持ち。 堅樹がテレビに頻繁に出演するようになった時 受けた印象は 「楽しんでいる」という事だった。 彼は、この大観衆すら 沸かせてやろうと言っていたのだ。 そうだ、彼は今その一瞬を楽しんでいるのだ。 時々実は私、なぜ彼がこんなに好きなんだろうと ふと立ち止まる事がある。 元々特定の日本人を好きになることはほとんどない。 なんの共通点があるんだろうと 急に我に帰ると、フッと冷めてしまうこともある。 試合中とテレビとのギャップ。 しっかりしてそうで髭が整ってない 笑 おしゃれにこだわりがない。 ゲームが好き。 漫画やアニメが好き。 ピアノも弾ける。 文武両道での一番を目指す変態的な思い 褒めてる 彼が持つこれらのすごさに惹かれた訳ではないと 今日、今さら気付いた。 自分を全力で動かすだけのパワーを持っている その強さ。 これが好きで私の心が動いたのだ。 だから時々彼を見ると この薄汚い心で見ているのが辛くなる事もあった。 メディアイメージのため作られていたかもしれないが 彼は輝きすぎていたのだ。 今思えば、それは彼の強さから来る輝きだった。 普段は柔らかい表情を見せることが多いのに プレー中の表情には本人が持つ気の強さが窺える。 それをギャップ萌えと表現するのだろう。 だが私はそのギャップには恐らく落ちていない。 表舞台から消えても 私が飽きるまで応援し続けようと思う。 そして一番最初に目を奪われたのは 堅樹の裏太ももである。
次の福岡堅樹 ラグビー選手/日本代表 ラグビー選手、福岡堅樹にはある夢があった。 開業医の祖父の影響で、幼いころから医師になりたいと考えていた。 高校生になった福岡は、志望大学を筑波大学医学部に設定した。 国内有数のラグビー部と医学部の両方を有する国立大、筑波大学は、福岡にとって最高の環境に違いなかった。 しかし、高校3年生の花園(全国高等学校ラグビーフットボール大会)を終えた秋。 筑波大の合格圏内は難しいという判定だった。 現役で受験をするも、センター試験の点数はやはり同大医学部の合格基準に届かなかった。 浪人して翌年の再挑戦でも、残念ながら前期二次試験で不合格となった。 国立大の後期試験を前に、福岡には3つの選択肢があった。 もう一年浪人し、ラグビーから離れて勉強に集中すること、レベルを下げてラグビー部のない筑波大以外の国立大医学部に進むこと、そして筑波大学の別の学部に進み、ラグビーを続けながら未来の自分に医師になる夢を託すこと。 彼が選んだのは、3つ目の選択肢。 彼は、ラグビーをあきらめたくなかったのだ。 後期試験で同大学の情報学群を受験した福岡は無事合格。 情報学を学びながらラグビー部の一員として活躍している。 2016年春の卒業を前に、福岡は何を見るのだろう。 50mを5秒8で走るその足は、世界でもなかなか見られない。 2013年にはそのスピードが評価され、日本代表にも選出された。 リオデジャネイロ、東京と今後の夏季オリンピックで、その足は試合を大きくかき回すと期待されている。 「スピードを活かして自分の役割を果たし、代表チームで結果を残したいです。 4年後の東京オリンピックの時期には、日本代表チームの核となっていたいですね」 そんな福岡だが、大学進学時に最大の選択を迫られた。 筑波大学でラグビーをプレーするか、別の大学の医学部で医師になる夢のどちらかを選ばなくてはいけない状況にあったのだ。 しかし、彼は片方の夢を捨てるのではなく、どちらの夢も叶える方法を導き出した。 「僕は、筑波大学の情報学群に入学し、ラグビー部で活躍する道を選びました。 しかし、『医師になる夢』をあきらめたわけではありません。 まだ先のことになりますが、ラグビーの選手として世界の舞台で活躍した後、もう一度医学部へ入学し直して医学の道を目指したいと考えています」 そして今、福岡は大学4年生の冬。 学生の本分である勉強、具体的に言えば卒業論文に取り組んでいる最中である。 大学卒業後の2016年春には、プロの選手としてデビューし、プレーを見せていく。 そして未来の2019年のワールドカップと2020年の東京オリンピック。 どちらも日本国内で行われる大会だ。 2020年、アスリートとして肉体的にはピークに近い28歳になる。 彼のターニングポイントは、おそらくその時期となるだろう。 それまではラグビー選手として、プレーを極め、その後、医師への道へシフトして第2の人生を歩むというのが福岡の構想だ。 一人前の医師を目指すには、28歳からさらに数年の学びが必要となる。 それは険しい道となるに違いないが、ずっと夢に見ていた道。 その夢を叶えてみせると、福岡は強く語る。 自身のけがを通じて医師になる夢を見る 福岡が医師に執着する理由はなんだろう。 ひとつは、彼の祖父が開業医をしており、その姿を幼少時から見続けていたことがある。 もうひとつは、福岡自身がラグビーのプレーで何度もけがを経験し、治療してきたことにある。 高校2年生の時、左足の前十字靭帯を切断。 さらにその後右足の靭帯を損傷してしまったため、計2年ほど治療を受けていた。 その際の整形外科の先生に感銘を受けたのだと言う。 「前十字靭帯は一度切ってしまうとスピードが落ちたり感覚が戻ってこないと聞いていたのですが、その先生は『リハビリをすれば、前と同じようにスピードが戻るから』と心から安心できる説明と治療をしてくれました。 きちんとリハビリを受ければ、必ず元の舞台に立てるのだと信じさせてくれる言葉と治療をいただきました。 先生はとても尊敬できる方です」 これまで、世界の舞台で活躍したスポーツ選手が医師に転向するケースは、ほとんどいない。 「その意味では僕がパイオニアになれるのかなと思っています。 選手経験を治療に活かしたい。 まだまだ先の話で構想段階ではあるのですが、将来夢を叶えるためにがんばりたいですね」 医学部の志望先など、具体的な部分まではまだ考えていないということだったが、モチベーションを保つためにも、医学に意識を向けるようにしているという。 例えば、浪人時代に手術を受けたときのエピソードがある。 右膝前十字靭帯の断裂時に入れたボルトを取りのぞく簡単な内視鏡手術だった。 全身に麻酔をかけ、意識をもうろうとさせた状態で行うのが一般的な手術である。 しかし、福岡は下半身の麻酔だけに留め、意識のある状態で手術を行った。 「手術の手順に興味があったので、担当医に頼んでモニターで自分のひざが手術されている様子を見せていただきました。 映像で自分の体内の様子を見るのは不思議な気分でしたね(笑)。 先生も手術の説明を逐一してくれて、とても勉強になりました」 一般の人が生きた人体を診る機会はほとんどない。 福岡の医学への興味を深めるとてもいい機会だった。 「医師になりたいという僕の夢について、先生には手術前から何度もお話していました。 それもあって、先生が『手術の様子を見てみるか?』と声を掛けてくださったのだと思います。 医療の技術が素晴らしいだけでなく、そういった機会を与えてくれたという意味でもよい先生に巡り合えました。 こうした経験があるからこそ、僕も患者さんに信じていただけるスポーツに通じた医師になりたいと考えています」 また、情報学群での学びも、医師への夢につながるテーマを選んだ。 「卒業論文には、ゼミの先生と相談して、医学にも活かせる生物画像処理という分野の研究テーマを選びました。 ある細胞の画像のなかにいくつの細胞があるかを識別したり、細胞の密度を計測する方法を探りました。 画像に写った細胞は良好な状態なのか、何か損傷があるか判別するのです」 日本ではこうした医学に画像処理を活かす研究はまだ遅れているという。 情報学群に入学したことは、決して回り道ではない。 ポジティブ思考への切り替えとイメージトレーニングが強さを生む 福岡がそうした道を選べた理由のひとつに、ポジティブな思考への切り替えの早さが挙げられる。 福岡がはじめて大きなけがをしたのは、高校2年生の8月。 直後に高校日本代表の合宿や遠征を控えた時期だった。 8~9ヵ月が復帰のめどと言われる靭帯の故障で、その年度の試合出場は難しいとされていた。 高校生のラガーマンにとって、大切な試合に出られない。 それでも、福岡は絶望しなかった。 3年の花園の予選には間に合う。 ああ、最悪の事態にならずに済んでよかった。 彼は前向きにそう切り替えたのである。 「試合でコートを駆ける仲間の姿を、走れない足を抱えて見ているのは非常につらいものがありました。 しかし、出られないことを嘆くのではなく、自分がもしそのプレーの場にいたならば、どんな動きをればよいのか、試合を観ながら常にシミュレートし、イメージを高めていきました」 走る自分の姿を想像し、モチベーションにつなげていたのだ。 そんなポジティブな行動が、コートへの復帰をスムーズにしたに違いない。 イメージトレーニングは充分できていた。 リハビリにより、身体づくりも万全だった。 あとはただ、上を目指して動き出せばよかったのである。 代表として活躍する今も、その延長線上にいる。 日本のラグビー界における発展のチャンスは今 2015年のワールドカップ イングランド大会で、日本はプールBで3勝を上げた。 勝ち点が及ばず、残念ながらグループリーグ敗退となったが、国内外に対して日本のラグビーを大きくアピールできた年であった。 「ラグビーの大きな発展の機会をつくることができた今が、もっとも大事な時だと思います。 この流れを続けていくためには、協会も選手たちも『自分たちがラグビー界を変えていくんだ』という強い想いをもってプレーし続けていくことが必要です。 もっともわかりやすい指標は、やはり日本代表が世界に勝つということ。 僕も今後世界を舞台に大きな活躍を見せて、日本のラグビー界の未来へつなげて行けたらと思います」 特に、オリンピックはほかの業界からの注目も大きい。 「4月以降、ラグビーのプロとして働くようになったら、練習漬けの毎日となるかと思います。 しかし、ラグビーと並行して医学部受験の勉強も進めていきたいです」 気分転換をするような気持ちで並行したい、と福岡は言うが、両立は決して容易くない。 しかし、彼は見事に両立して見せるだろう。 今後の人生を形成するための要素は、そこかしこに落ちている。 福岡はそれをあますところなく拾いながら進んできた。 何年も抱き続けてきたふたつの夢のうち、ひとつはもう手の届くところに見えている。 一度に二兎を追わず、ひとつずつ。 まずはラグビーという夢をつかみとるのだ。
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