概要 [ ] 気味の妻との夫、そして夫の恋人とをめぐる3人の奇妙な三角関係を描く。 題名は、詩人の「キラキラヒカル」という詩による(第1詩集『倖せ それとも不倖せ』に収録)。 ストーリー [ ] 親のすすめで、医師の男性・睦月と見合いをすることになった笑子。 しかし、その席で2人は互いの秘密をしてしまう。 笑子はであること、睦月は者であることを。 初めは戸惑う2人だが、結婚を決めたのだった。 2人なりに穏やかな生活を営むが、早く子供をと望む周囲の声に笑子は追いつめられていく。 一方で笑子と、睦月の恋人・紺との間には「睦月を愛する者同士」としての奇妙な友情が育まれていく。 3人の幸せと、現実との折り合いとの間で苦悩した結果、笑子は睦月の同僚の産婦人科医にある突飛な相談を持ちかける。 登場人物 [ ] 岸田笑子 イタリア語の翻訳の仕事をしている。 アルコール依存気味で情緒不安定でもあり、精神科の通院歴がある。 家事はほとんどしないが、睦月から要求された唯一の家事である「シーツのアイロンかけ」だけは律義にこなしている。 岸田睦月 笑子の夫で医師。 結婚はしたものの、男子大学生の恋人・紺がいる。 心のバランスを崩しやすい笑子を懸命に支えている。 紺 もともと近所に住んでいた睦月と、中学生時代に恋仲になる。 睦月の結婚後も笑子に嫉妬するでもなく、むしろ性別を超えた友情を築く。 瑞穂 笑子の友人。 夫と3歳の息子と暮らす。 笑子に早く子供を作るように促す。 一向に笑子夫妻に子供が出来ないことを不審に思い、睦月を問いただし、睦月が同性愛者であることを知って激怒する。 柿井 睦月の同僚で産婦人科医。 生家も産婦人科であり、女性の身体に畏怖心があり、同性愛者となる。 脳外科医の男性の恋人がいる。 早く子供をと望む周囲の声に疲れた笑子から、ある突飛な相談を受ける。 樫部 柿井の恋人の脳外科医。 自分の心の問題は脳にあるのではと考えた笑子が一度受診する。 羽根木 笑子の元恋人。 奔放な笑子について行けなくなり別れを切り出す。 睦月の父 開業医。 時々睦月・笑子宅を訪ねてくる。 一人息子の睦月が同性愛者であることを気にしており、笑子との結婚にも最後まで反対していたが、笑子の人柄自体は気に入っている様子。 睦月の母 睦月が同性愛者であることを承知の上で結婚してくれた笑子には優しい。 睦月に人工授精を執拗にすすめる。 映画 [ ] きらきらひかる 監督 脚本 松岡錠司 原作 製作 出演者 音楽 主題歌 撮影 編集 岸真理 製作会社 配給 公開 上映時間 103分 製作国 言語 夫を演じたが、新人俳優賞を受賞している。 ポスターに書かれたは「 先生、私と睦月と紺、みんなの子供作れますか?」。 映画版では、わがままを言う笑子を睦月がひっぱたいてしまう、紺が笑子に嫉妬するなど、原作とは異なる描写や設定が見られる。 スタッフ [ ]• 監督・脚本:• 製作者:• 企画:堀口壽一• プロデュース:、梅川治男• 音楽:• 撮影:• 美術:遠藤光男 キャスト [ ]• 岸田笑子:• 岸田睦月:• 藤島紺:• 香山千秋:• 岸田雄造:• 岸田ゆり子:• 伊藤瑞穂:• 座間律子:• 柿井悟:• 加山忠志:• ウェイトレスA:• ウェイトレスB:• 樫部:• 評価 映画 [ ]• 第10位• 第7回(1992年度)• 最優秀主演女優賞 薬師丸ひろ子• 最優秀助演男優賞 筒井道隆 脚注 [ ]• 『キネマ旬報ベスト・テン全史: 1946-2002』キネマ旬報社、2003年、336-339頁。 外部リンク [ ]• - (英語)•
次の『生涯未婚率』という統計がある。 5年に一度の国勢調査により導き出される『50歳の時点で一度も結婚歴がない人の割合』を示す数字。 今から30年前、1990年の調査以降この割合が急増しているという。 1990年に男性5. 結婚をしなくなっていく日本人たち。 その一方で結婚に違う意味・意義を見出していく人たちもいる。 この本が書かれたのはそんなこの国の価値観が大きく変わる分岐点となった1991年のことでした。 『私たちは10日前に結婚した。 しかし、私たちの結婚について説明するのは、おそろしくやっかいである』、イタリア語の翻訳をしているという笑子、内科医の睦月、お見合いで結婚したという二人。 結婚しないという価値観が生まれ出す時代に、『普通』に結婚した二人。 説明が難しいのは、『グラスにウイスキーをたらたらと注ぎたした。 この、とろっと深い金色をみると、私はうっとりしてしまう』というアルコールに異常な興味を持つ妻に対して、『睦月は女性を抱くのが好きじゃない。 だから、キスもしてくれない。 つまり、そういうことなのだ』という夫。 そう、これは『アル中の妻にホモの夫。 まったく、脛に傷持つ者同士』の結婚だということ。 そして、さらに話をややこしくするのが『夫には当然「男」の恋人がいる』という点。 『僕たちは、恋人を持つ自由のある夫婦なのだ。 結婚するときに、きちんとそう決めた』と、二人の中では全てを割り切った上での結婚ということになりますが、30年経った現代でも、なかなかにスルッと理解出来る人も少ないと思える複雑な 夫婦+1 の関係が描かれていきます。 笑子視点と、睦月視点が章によって交互にテンポよく切り替わっていくこの作品。 『たまには紺くんと会った方がよくない?。 きっと淋しがってるわ』と語る笑子。 流石の睦月も『変な感じだ。 妻が、夫の恋人の心配をしているのだ』と妻が自身の恋人・紺の気持ちを慮ることに若干の違和感を感じてしまいます。 また一方で睦月も『彼女をおいつめているのは僕なのだ、と思った。 ひどくせつなかった』と自身の立場を責めます。 絶妙な視点の切り替わりによって、それぞれの場面で、お互いが相手のことをとても思いやっているのがよく伝わってきました。 そんな彼らの周囲も彼らの関係に気を揉みます。 笑子の精神状態が落ち着かないのを心配した友人の瑞穂は『子供つくればおちつくって。 私も主人の出張が淋しかったけど、佑太が生まれてから全然平気だもん』。 そんな言葉に逆に『何のために結婚したのだろうか。 子供うむためじゃない』と逆に思い詰める笑子。 一方の睦月も実母から『あなたが笑子さんから女の幸福をとりあげてるんだと思うと、お母さん辛いのよ』と子どもを作るよう迫られます。 生涯未婚率が上昇する一方で、笑子と睦月は『普通』に結婚をしています。 『普通』だけど説明が難しいとても複雑な関係。 でも、それは周囲の人たちから見ればという視点であって、笑子と睦月、そして睦月の恋人である紺の三人にとっては、なんだか妙に安定したとても良い関係性が続いている現実があります。 江國さんは、この作品を『シンプルな恋愛小説です』と一言で説明します。 何をもって『シンプル』なのか、何をもって『普通』と捉えるのか、この作品が世に出て30年が経過して、世の価値観も大きく変化しました。 生涯未婚率が急上昇しているのも、『結婚』とは何なのかと、昔の人たちのようには、大人になったら結婚するものと単純には考えない人が増えたからでもあるのだと思います。 そして、結婚してもこの作品で描かれるように、その形は決して同じではない、他人から見ると、理解できない形の中に、本人たちは意義を見出している、意味を感じている、そういう考え方もあるのかもしれない、みんなで色んな形を自然に認めあっていく時代になっているのかもしれない、そう感じました。 考え方としては自分の中でも整理がついた気はします。 でも、どこか心の中の引っ掛かりは消えない、少なくとも今の私はそう感じてしまいます。 幸せを感じるってどういうことだろう、幸せの形ってどういうものだろう、幸せって誰のためにあるのだろう、色んなことが頭に思い浮かびます。 希望を持って「きらきらひかる」、希望があるから 「きらきらひかる」、そして明日へ、希望ある未来へ、色んな思いに満たされた、そんな作品でした。 きらきらひかるを久しぶりに手に取った。 中学生の頃、学校の図書館ではなく市の図書館で初めて借りた本は江國香織さんの本だった。 今まで児童図書ばかり読んでいた私にとって、文章が詩的で、SEXやお酒などの大人の文化が美しく描かれ、教訓とか感動とかを押し売りしていない水の様に清らかな物語は衝撃だった。 自分が日常で感じた思いを物語として表現するという小説の形があるのだと初めて知った。 それから多分、その頃出ていた江國さんの本は全て読んだ。 ただ、きらきらひかるは私にとって特に難解なもので、いまいち理解出来ていなかった記憶がある。 同性愛者で医者の優しい睦月とその妻である少し精神異常でアル中の笑子、そして睦月の恋人の若くて天真爛漫で自由な青年紺くん。 そんな3人の恋愛模様が描かれている。 初めて読んでから10年以上経って、この物語の良さや深みがようやくわかってきたような気がする。 とはいえ、やっぱり私は笑子と睦月と紺くんの三人の関係をどうしたって受け入れられないのだなぁと思った。 ただ、初めて読んだ中学生の頃と違い三人の気持ちを理解は出来るようになった。 睦月は二人のことをとても愛し、笑子と結婚しながらも紺くんという昔からの恋人を大切にした。 (結果的に、笑子と紺くんも同様に自分以外の二人を愛すことになるのだけど。 ) 睦月がとてもとても自分を愛しているのを笑子自身も感じ取り、肉体的な愛情の結びつきがなくても、笑子は睦月を愛し睦月が夜勤明けに買ってくるドーナッツを嬉しそうに食べたし、このままの関係がずっと続くことを七夕の短冊に願った。 睦月は誠実な男だから確かに二人を心から愛したけど、彼はそもそもそのことで二人を苦しめているとは感じなかったのだろうか。 あの紺くんでさえ、病院で笑子が三人の子を人工授精でつくろうとしていた話を聞いた時、感情的になった。 睦月は紺くんのこともずっとずっと苦しめていた。 確かに睦月は誠実で、深く二人を愛したけれど誠実であるということは残酷だと感じた。 私はやっぱり女だから、笑子の味方をしてしまう。 笑子があんな風に三人の子をつくりたいと願う程、三人の絆を強固にしようとした姿は痛々しく感じた。 「睦月の人生の中で、私はどうしたって紺くんにおいつけない」その言葉は、三人の絆を強くしたいと願った最大の理由なんじゃないだろうか。 それでも三人はお互いを傷つけない代わりに、少しずつ自分を傷つけていたにも関わらず、最終的には三人の生活を今までより少しだけ親密に続けることを決めた。 愛している人の愛しているものを愛す。 愛している人の愛しているものは当たり前だけど、たいてい趣味がいいものだ。 自分が愛した人だから価値観を理解することが出来る。 または、あまりにも誰かを愛するとその人を取り巻く人間関係まで受け入れたくなるものなのかと知れない。 そんな風に三人は三人とも見返りの愛情とか束縛とかを全てを捨てて愛を与えながら生きる道を選んだように思えた。 ただ、それは今の感情によって成立するもので、とても壊れやすいものだと思う。 三人が三人共、自分以外の二人のことを同じように愛し、愛されたいという欲望を捨てなければならない。 ただでさえ、二人の男女が愛し合うことも難しいのに…。 なんとなく私にはそんな風な関係に見えてしまった。 もちろん。 三人は三人ともこの関係を心から望んでいることはもちろん分かるのだけどね。 そしてもう一つの私が心うたれた点は、銀のライオンたちの優しさだ。 銀のライオンは笑子のいう「普通とは違う人」のこと。 毛色が違い孤立した美しいライオンたちは、笑子、睦月、紺くん、柿井さん、樫部さんのこと。 アル中で同性愛者で、医者の変人で突拍子もない思い突きを平気で行い、躁鬱気味。 特に好きな場面は三人が睦月と笑子の家を訪れる場面。 睦月が想像していたように上手くいかないことを誰もがなんとなく想像していたに違いない。 しかし、実際は5人はよく食べよく飲みよく笑った。 居心地のいい空間を作ったのは笑子だ。 それは笑子が最初から自分を取り繕わなかったからだと思う。 不自然な食卓と間のずれた会話。 それでいてのびのびとした姿。 そんな彼女を見て、普段は社会の中でなんとかうまく取り繕い生きていた銀のライオンたちはのびのびと息を吸うことが出来た。 普通でなくていい、そのままの自分でいいという関係を笑子が自然に作り上げたと感じた。 また彼等は他人と理解し合えないということを自分自身で痛いほどわかっているからこそ他人に強要や世間の価値観の押しつけをしていないように思った。 やっぱり、すこしだけ歪んでいるからこそ、世界に優しくできるんだなぁと思った。 初めて読んだ中学生の頃に、人を愛するという気持ちや世間の常識が荒波の様に迫ってくること、人の感情は変化していくこと。 そういうこを理解する方が難しかったのだと思う。 誰かを愛するということは至極美しく、至極悲しいことなのだと、それでもやはり不意に恋に落ちてしまうものなのだと。 江國香織の本をもう一度、じっくり雨の日やお風呂の中で読んでみたいと思う。 お互い結婚したくなかったから結婚した、アル中の妻と同性愛者の夫。 そしてその夫の自由奔放な恋人。 アル中の妻は小さな子供のようにふるまい、今にも崩れそうな不安定さで生きているが、自分の心に嘘がない。 同性愛者の夫は医者で、限りなく優しく、そのために鈍感。 夫の恋人はまた幼く、わが道を行く、風変わりな少年。 不思議な関係は江國香織によって瑞々しく描かれ、 そして不可能なはずのハッピーエンドがもたらされる。 その後、別の本に続編が描かれ、 結論としてこのハッピーエンドを覆すものとなったわけだけれど それでもこの本を読み終わった後の何とも言えない幸福感は この結末になって本当に良かったと思わせてくれた。
次の歌詞 <日本語歌詞1> きらきらひかる おそらのほしよ まばたきしては みんなをみてる きらきらひかる おそらのほしよ きらきらひかる おそらのほしよ みんなのうたが とどくといいな きらきらひかる おそらのほしよ <日本語歌詞2> おほしさまぴかり ぴかぴかぴかり あちらのそらで こちらのそらで おほしさまぴかり ぴかぴかぴかり フランス語歌詞と直訳 <フランス語歌詞> <直訳> Ah! vous dirai-je Maman, Ce qui cause mon tourment. Si vous tardez plus longtemps, On regrette ces moments. maman un faux pas Me fit tomber dans ses bras. ローマ神話における森の精霊、シルヴァヌスが由来とされている。 英語歌詞と直訳 <英語歌詞> <直訳> Twinkle, twinkle, little star, How I wonder what you are! Up above the world so high, Like a diamond in the sky! Twinkle, twinkle, little star, How I wonder what you are! きらきらひかる 小さなお星様 あなたはいったい何者なの 世界の上でそんなに高く まるでお空のダイアモンドみたいに きらきらひかる 小さなお星様 あなたはいったい何者なのかしら When the blazing sun is gone, When he nothing shines upon, Then you show your little light, Twinkle, twinkle, all the night. Twinkle, twinkle, little star, How I wonder what you are! 燃える太陽が沈んで 輝くものは何もなくなったあと 小さな光を放ちだす 夜じゅうずっと きらきら きらきら きらきらひかる 小さなお星様 あなたはいったい何者なのかしら Then the traveler in the dark, Thanks you for your tiny spark, He could not see which way to go, If you did not twinkle so. Twinkle, twinkle, little star, How I wonder what you are! 闇夜の中の旅人は あなたの小さなきらめきに感謝します あなたの光がなかったら 行くべき道が分からない きらきらひかる 小さなお星様 あなたはいったい何者なのかしら In the dark blue sky you keep, And often through my curtains peep, For you never shut your eye, Till the sun is in the sky. Twinkle, twinkle, little star, How I wonder what you are! あおい夜空に留まって たびたびカーテンごしにのぞいてる あなたは決して眠らない 太陽がお空に昇るまで きらきらひかる 小さなお星様 あなたはいったい何者なのかしら As your bright and tiny spark, Lights the traveller in the dark, Though I know not what you are, Twinkle, twinkle, little star. Twinkle, twinkle, little star, How I wonder what you are! あなたの明るさと小さなきらめきが 闇夜の旅人を導きます あなたが何者か わからないけど きらきらひかる 小さなお星様 きらきらひかる 小さなお星様 あなたはいったい何者なのかしら 解説 もとはジャン・フィリップ・ラモーが作曲したシャンソンです。 モーツァルトにより変奏曲が作られています。 日本ではきらきら星のほかに、ABC(アルファベット)の歌のメロディでおなじみです。
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