この記事にはが含まれているおそれがあります。 問題箇所をしして、記事の改善にご協力ください。 議論はを参照してください。 ( 2012年8月) :顔写真のをお願いします。 ( 2015年11月) 長渕 剛 出生名 長渕 剛 別名 永渕剛、長渕剛(ながぶち ごう) 生誕 1956-09-07 (63歳) 出身地 学歴 芸術学部中退 ジャンル 職業 担当楽器 活動期間 (昭和52年)- 現在 レーベル (1977年) (東芝EMI) ( - ) ( - ) ( - ) (2014年 - ) (2015年 - ) 事務所 Office REN(オフィス・レン) 共同作業者 、 公式サイト 長渕 剛(ながぶち つよし、本名: 同じ、 - )は、の男性・・・・。 デビュー時の芸名は 長淵 剛で、名の読みが「 ごう」。 Office REN(オフィス・レン)所属。 身長172cm [ ]。 この節は更新が必要とされています。 この節には古い情報が掲載されています。 編集の際に新しい情報を記事にさせてください。 反映後、このタグは除去してください。 ( 2015年8月)• 大学祭の前座で初めての舞台を経験。 のへと進学。 「 永渕剛(ながぶち つよし)」の芸名で、場末のでオリジナル曲を歌い続ける。 この時はまさに地獄の環境で、毎夜のようにビール瓶や灰皿が飛び、泥酔した客や極道から「演歌やらんかい演歌!! 」と罵声や蹴りを浴びつづける日々だった。 ここで根性が鍛えられたと本人は述べており、後年披露するリアリティに満ちた悪漢の演技も、ここでの観察によるものである。 そして、ライブハウス()での活動が本格化する。 主催の、第12回(通称ポプコン)に出場。 八曜社発行「俺らの旅はハイウェイ」参照)。 2月25日、前年のポプコン入賞を機に、より、シングル『』でデビュー。 当時の芸名の読み方は「 ながぶち ごう」で、編曲は。 しかし曲はヒットしなかった。 『』で15回ポプコンの入賞、10月5日から同曲で再デビュー。 芸名の読み方も本来の「 ながぶち つよし」に戻された。 そして同年暮れから、やらとコンサート活動を本格化させる。 南こうせつのオールナイトニッポン(ニッポン放送、木曜1部 1978年4月 - 1979年3月)内で「裸一貫ギターで勝負」のコーナーを担当する。 3月5日、初のオリジナルアルバム『』をリリース。 7月26日、での吉田拓郎のコンサート「」に特別出演。 「帰れコール」(長渕自身は「帰れって言うんだったらお前らが帰れ」と言っていた)を浴びながらも(吉田拓郎は「そんなに言われてなかったよ」と言っていた。 また、実際に「帰れコール」をしたのは一部の観客だけだったとも言われている)堂々と歌い、最終的には大きな喝采を浴びた。 長渕自身「あのステージがなかったら今はなかった」と話している。 4月から9月まで、『』水曜日第2部、10月から翌年9月まで、金曜日第1部の、それぞれパーソナリティを務める。 11月29日、新宿厚生年金会館でワンマンコンサート開催。 チケットは発売3時間でソールドアウト。 6月5日、元々アルバム『』の収録曲であった『』が、ファンからの熱い要望によりシングルカット。 同年8月にはのチャート1位に。 この曲のヒットにより、一躍トップシンガーの仲間入りを果たす。 またこの他、当時などが結成していたグループ「Do! 」とのジョイントバンド「チョコレッツ」を結成し、翌まで活動していた。 3月23日、徳島県・徳島文化センターより、全国ツアー『LIVE'81』(全49ヵ所)をスタート。 このツアーより初めて(リズム隊を含めた)をつけたり、初のピアノによる弾き語りや、アコースティックギターだけではなく、バンジョーやエレキギターを持つなど、新たな試みが数々と披露された。 8月、当時アイドル歌手だったと結婚。 『』で意気投合したことがきっかけとなり結婚した。 ハワイでの結婚式の仲人は、自ら恩師とすると夫妻(当時)だった。 9月25日、『コンサートツアー'81〜'82』(全90ヵ所)が、沖縄県・那覇市民会館よりスタート、翌年の6月まで続くロングツアー。 6月6日、『コンサートツアー'81〜'82』のファイナルを、日比谷野外音楽堂で『SUPER LIVE IN HIBIYA』として開催。 自身初の野外公演でもあり、この模様はの「ザ・ライブ」にて6月20日、27日の2週に分けて放送された。 7月28日、8月4日、『青春は手品師』(アルバム『』に収録)が、ドラマ『物語』(系列)の主題歌になる。 珍しくの作詞によるもの。 ドラマには長渕本人もちらっと出演している(貞治の父親役)。 10月12日、『コンサートツアー'82〜'83』(全45ヵ所)がスタート。 このツアー中の11月29日に初の公演、翌年の2月21日のファイナルも再びこの会場で行われた。 石野真子と離婚。 原因は長渕の石野に対する度重なる家庭内暴力とされている [ ]。 7月25日、埼玉県所沢市の西武ライオンズ球場にて『SUPER LIVE 西武球場』を開催。 2万人の観客を集め、雨の中でのコンサートとなった。 7月29日、にてとジョイントライブを行う。 8月25日、『SUPER LIVE 西武球場』が公演からわずか1ヵ月後、2枚組のライブアルバム『』としてリリースされる。 同時に『LIVE'83 JUST HEAVY GAUGE』ツアー(全47ヵ所)がスタート。 8月26日、初の主演テレビドラマ『』(TBS系列)が放映開始、俳優としても本格的に活動を始める。 同番組の主題歌であるシングル『』をリリース。 ドラマ『』(TBS系列)の挿入歌『人間(ひと)の駱駝(らくだ)』(歌:大塚ガリバー)の作曲を手掛ける(編曲: )。 ちなみに作詞は、、の両名。 ただし、現在ではこの楽曲の収録がなされたLPは入手が相当困難である。 3月15日 - 4月9日にかけて、全国10ヵ所にて3年ぶりの弾き語りコンサートを、ファンクラブ『TSUYOSHI CLUB』結成記念イベントとして開催。 4月20日、主演したテレビドラマ『』(TBS系列)放映開始。 7枚目のオリジナルアルバム『』を発売。 当時は収録曲の「TIME GOES AROUND」を自身のラジオ「」で絶賛していた。 10月11日から翌年3月まで、『』木曜日のパーソナリティを務める。 3月30日に発売されたシングル『』に伴い、自身初のプロモーションビデオを制作。 4月5日、主演したテレビドラマ『』(TBS系列)放映。 8月26日、『』ツアーをスタートさせるも、翌年1月のでの公演を最後に、過労によりダウン。 一時は重度の状態に陥り、予定されていた残りのコンサートがすべて公演中止となる。 6月7日、主演したテレビドラマ『』(TBS系列)が放映開始。 と、ラーメン店を営む恋人同士役をつとめる。 10月22日、ギター弾き語りアルバム『』リリース。 11月11日には大阪城ホールより『LIVE'86〜'87 』(全11ヵ所)がスタート。 このツアーはアルバムのテーマと同様、ギター1本で歌うスタイルで、またアリーナ級や体育館等の会場ではセンターステージを組んで行われた。 12月20日、出演した映画『』が劇場公開。 と再び恋人同士役で共演し仲を深めた。 2月25日、『LIVE'86〜'87 』の追加公演が、ツアー初日の会場でもある大阪城ホールにて『LAST CRIME』と題して開催された。 4月10日、主演したテレビドラマ『』(TBS系列)が放映開始。 8月5日、アルバム『』をリリース。 同年末のにてアルバム大賞を獲得。 8月28日、ゲスト出演したテレビドラマ『』(TBS系列)放映。 9月、テレビドラマ『』映画『男はつらいよ』での共演をきっかけに、と2度目の結婚。 志穂美は芸能界を引退。 2月5日、アルバム『乾杯』に収録されていた『』を8年振りに新録しリリース、ミリオンセラーとなる。 6月19日、コンサート会場として、初めて BIG-EGG に進出。 10月7日、主演したテレビドラマ『』(TBS系列)放映開始。 10月26日、同ドラマのタイトル曲となる『』をリリース、ミリオンセラーを記録する。 12月3日、出演したテレビドラマ『うさぎの休日』 NHK 放映。 3月11日、主演した映画『』が劇場公開開始。 3月25日、アルバム『』リリース。 ミリオンセラーとなる。 12月23日、主演した映画(原案・監督も兼任)『』が劇場公開。 監督は当初が務めたものの途中降板、長渕自身が引き継いだ。 ドラマ『とんぼ』『うさぎの休日』の演技が評価され、第26回・選奨を受賞。 12月31日、に初出場を果たし、第1部の最後に・から生中継で、「ベルリンからのメッセージ」と題して『親知らず』『いつかの少年』『乾杯』の3曲を歌った。 全てタイトル・歌詞のテロップが示され長渕の終了後、予定通り20時55分からニュース、21時から第2部が開始されたが、長渕が出演する際にNHKのスタッフを批判していたため、「予定外の曲を披露」「長渕の暴挙により時間が押して、大物歌手の出番がカットされた」「NHKへの出入り禁止」など、様々な報道が当時された。 その後NHKには、1991年3月ので「ベスト5アーティスト賞」を受賞し 、同年末「プライム10 音楽達人倶楽部」にそれぞれ出演している。 また2014年12月6日放送のSaturday 長渕LOCKS! 10月10日、主演したテレビドラマ『』(系列)が放映開始。 「週刊」号ではイメージが合わないことを理由に、レモンの使用を拒否した。 10月25日、シングル『』リリース。 ミリオンセラーとなる。 12月14日、本格海外レコーディングアルバム『JAPAN』リリース。 『西新宿の親父の唄』(アルバム『JEEP』収録)が、『-'92巣立ち』の挿入歌となる。 東京ドームでのセンターステージライブに関して、本人は「あまり覚えていない」と語った。 65,000人の熱気のど真ん中で、あまりにインパクトがあったとのこと。 また「東京ドームという場所は、本来ライブをやるべき場所じゃない(音響面で最悪、自分の声が数秒後跳ね返ってくる)。 ドームでライブをやる必要性がある時はやるけど」と語っている。 『』(1992年10月28日)をリリースし、80万枚のヒット。 9月22日、シングル『』リリース。 ミリオンセラーとなる。 10月15日、主演したテレビドラマ『』(TBS系列)が放映開始。 同ドラマの打ち上げパーティー終了後にに暴力を振るってしまう。 11月1日、アルバム『Captain of the Ship』がリリースされるが、この頃楽曲の歌詞盗作疑惑が持ち上がり、本人が謝罪した。 詩人・に関連したもの。 8月10日、シングル『』をリリース。 9月9日、『Captain of the Ship』ツアーをスタートさせるも、による体調不良によりわずか3公演しかできず、残りの日程は全て公演中止となった [ ]。 9月23日、がリリースしたアルバム『』に収録された楽曲「」の歌詞の内容を巡り、作詞・作曲した桑田と一触即発の関係に陥る。 事の詳細に関してはも参照。 また、女優のとの不倫報道が大きく報じられる [ ]。 12月1日、ベスト・アルバム『いつかの少年』リリース。 1月24日、違反で現行犯逮捕された。 については否認し、尿検査も陽性反応がなかったため2月3日に処分保留のまま釈放。 3月16日にとなる。 12月26日、自身3度目となる東京ドームでのライブを行う。 1月1日、再起後の最初のアルバム『』リリース。 東芝EMI所属として、最後になるオリジナルアルバムである。 1月24日、『とんぼ』の続編に当たるテレビドラマ『』が放映。 2月27日、(現在の略称FLME)に移籍。 7月2日、シングル『』リリース。 7月10日、主演したテレビドラマ『』(系列)放映開始。 9月3日、アルバム『』をリリース。 鹿児島県の演歌歌手、日高正人シングル『想い人』発売。 日高の歌に感動した長渕が83年に書き下ろしていた曲で、日高の病気が原因で半分お蔵入りとなっていた曲。 5月1日、主演した映画『』が劇場公開開始。 12月22日、セルフカバー・アルバム『』リリース。 、最愛の母・マス子が急性により他界。 6月27日、8年ぶりのロサンジェルスレコーディングアルバム『』リリース。 5月9日、アフガン抗争に向けて発した反戦歌『』リリース。 しかし事実上の放送禁止。 NHKをはじめとするテレビ局や各種メディアには採り上げられることが少なく、予想よりも話題にならず。 それでも「指きりげんまん」以来のベスト20位入り。 6月26日、自身の選曲によるベスト・アルバム『』、『』各2枚組リリース。 4月、ニッポン放送『』放送開始。 9月までパーソナリティを務める。 5月1日、シングル『しあわせになろうよ』リリース。 空手道団体のから分派した、の発足に際し、同会の会歌『新極真会の歌』(編曲は瀬尾一三と共同)を特別に製作する。 ちなみに同年にで開催された、「第8回全世界空手道選手権大会」の入場者にのみ、同歌のCDが配布されており、店頭販売はされていない。 しかし、一般の方から多くの問い合わせがあり、一般発売(通販限定)することになった。 5月14日、長渕剛通算19枚目となるアルバム『』が発売され、男性アーティスト初のオリジナルフルアルバム首位通算10作目獲得をした。 12月31日、13年ぶりにNHK紅白歌合戦に出場する。 に楽曲提供した『狼たちの遠吠え』では、歌う森のバックで長渕がコーラス&ギターセッションで参加し、話題になった。 4月28日、初の『Hey ANIKI! 』がリリース。 8月21日、鹿児島県の特設ステージで、全国から約7万5千人の観衆を集めてのオールナイトコンサートを敢行し、大成功を収めた。 このコンサート会場で売られていたオフィシャルは地元企業の商品であった。 には、コンサート会場跡地に記念碑が建てられる。 記念碑名は 「叫びの肖像」。 ちなみに、コンサート会場であった桜島からの音は海を越えたでも聞き取れたという。 11月14日、ファンクラブ特別イベント「Thank You LIVE 2004」をスタート。 12月1日、シングル『金色のライオン』リリース。 ののテーマソングとなる。 CM曲に長渕の曲が採用されたのは1988年の明治チョコバーBODY(『STAY DREAM』)、1991年のキリンラガービール(『乾杯』)等がある。 8月24日、東映『』の主題歌として書き下ろした『CLOSE YOUR EYES』リリース。 自身の主演映画作品以外での主題歌使用はこれが初めて(テレビドラマでは以前に「逆流」「友よ」「指きりげんまん」等あり)。 また、カップリングの『YAMATO』と合わせて、両A面シングルとなっている。 2月8日、東芝EMIより東芝所属時代のオリジナルアルバムが「24bitリマスタリングアルバムシリーズ」として再発売。 2月21日、100周年記念ライブ。 の立正中学校・高等学校の創立100周年記念式典で長渕が熱唱。 バンドメンバーも勢揃いして、約2時間に及ぶステージで全14曲を演奏。 3月8日、東芝EMIより東芝所属時代のベスト&ライブアルバムが「24bitリマスタリングアルバムシリーズ」として再発売。 3月19日、「桜島オールナイトコンサート」を記念したモニュメントが建立され、除幕式に参加。 4月23日、作品にも度々登場し、長渕音楽の原点ともいえる父・邦治(くにはる)が他界。 享年77。 6月29日、アミュ広場でゲリラライブ。 来場は約7000人程。 ライブ状況は『』で生放送された。 7月1日、で空手の新保道場開きにてライブ。 7月2日、ラジオの第二スタジオでスタジオライブ、観客は抽選で選ばれた約50人。 司会はの、ゲストミュージシャンはMC般若で公開生放送された。 7月14日、『長渕剛3daysドキュメント』放映-TV『』• 7月22日、7月2日公開放送で未放送のアンコール部分をラジオで特集して放送。 8月30日、がプロデュースする『日本元気プロジェクト KANSAI SUPER SHOW「太陽の船」』のイベントテーマソング『太陽の船』を手がけることが発表され、同曲が公開された。 10月9日、10月16日放送の『』「」に出演。 六本木のカラオケBOXにて、観客3人(、、)の前で2時間半12曲のライブを行う。 バラエティ番組に出るのは『』以来のことだが、この出演は第1回「長渕ファン王決定戦」のスペシャルを再放送を観て心を動かされた本人からの「最後に(俺が)出たら面白いだろう」という要望によるもの。 この翌週、ランキングに、長渕のなど数作品が再浮上した。 現在も上田は長渕と交流があり、『』()などでその旨を語っている。 、制作、系列 で放送の『』で、と対談。 過去にさんまとは「」で対談を行ったことがあり、放送でもその点について触れていた。 「は吸うのか噛むのか」などで言い合う珍妙なトークを行い、最後は2人で『とんぼ』をデュエット。 ハーモニカ(TOMBO・メジャーボーイ)をさんまにプレゼント。 ただしギター弾き語りは行われず、『とんぼ』は(ちなみにさんまの『真っ赤なウソ』の編曲者でもある)のキーボード演奏によるものであった。 5月4日、で行われた「どきどきフリーマーケット」のにゲスト出演し、「」をはじめ、自身の曲のライブを行った。 その模様はを通じて公開されていたが、オンエア後もライブは継続され、フリーマーケット終了30分前まで続いた(これは、観覧していたファンの度重なるアンコールに答えた本人の力が大きい)。 5月16日、4年ぶりのオリジナルアルバム「」リリース。 全12曲新曲(桜島DVDに収録されていたものの未CD化だった「夕焼けの歌」を含む)、先行シングルなしという昨今の音楽業界の常識からすれば型破りなアルバムにも関わらず、オリコン初登場4位。 6月6日〜7月11日、自身初となる女性限定ライブ「Lady's Night2007-Acoustic-」ツアー。 9月7日〜12月9日まで自身2年ぶりとなるツアー「2007 ARENA TOUR 〜Come on Stand up! 〜」ツアーが行われた。 10月12日より放送開始の、TBS系列テレビドラマ「」の主題歌に、長渕による作詞作曲『』が起用された。 歌を歌うのはで、TOKIOにとっては、に続く大物歌手による楽曲提供となった。 5月14日、21日、過去に発表された楽曲の中からラブソングを中心にリマスタリング、セルフカバー、リミックスを施して選曲したベスト・アルバム「」、「」を発売。 1月14日、(レーベルはナユタウェイヴ・レコーズ)への移籍を発表。 6月9日、デビュー30周年記念として、プレミアムBOXセット『30th Anniversary BOX from TSUYOSHI NAGABUCHI PREMIUM』(DVD3枚組、CD3枚組)をリリース。 初週2. 1万枚を売り上げ、2010年6月21日付週間DVDランキング総合第1位となった。 価格は3万1500円と高額ながら、それまでの総合首位を記録していた『・アンソロジー(初回生産特別価格盤)』を抜くミュージックDVD作品最高額総合首位記録となり、更に最高額首位の『DVD-BOX2(最終巻)』と同額の歴代タイ記録となる。 8月14日、スペシャルドラマ『』に俳優として出演。 本格的な俳優復帰は、に主演した映画『』以来で、11年ぶりとなり、ドラマ出演はに主演した『』以来で、13年ぶりとなった。 4月7日、に際し、被災地復興支援のため、FMでラジオ「」をスタート。 被災地向けの番組のため、局(ベイエフエム)と系、局でネットされるという、従来のラジオネットワークの枠に拘らないユニークな配信になる。 放送開始の回ではの「津波は天罰」発言を痛烈に批判をした。 4月16日、()の被災地を訪れ、避難所や自衛隊基地を慰問し、激励した。 また8月、原発事故で避難生活を余儀なくされたの小学生20人を自身の故郷、鹿児島に招待した。 後は、を求める姿勢を鮮明にしている。 8月12日に福島県で行われた全国ツアー「RUN FOR TOMORROW」の福島公演では、「止めてくれ 原発を止めてくれ 今すぐ」と絶叫するように歌った。 「週刊」5月24日号の表紙を飾り、これまでと違いレモンを持って撮影に臨む。 本人は「早く素直になればよかったな、と(笑)素直になるって気持ちいいなと思うね」と述べた。 7月2日、ベストアルバム「」発売。 7月21日、『』にスペシャルゲストとして出演し、様々なニュースに対し持論を述べ、当時国会で議論が白熱していたの話題になった際には「を思い出してほしい。 若き自衛隊員がどれだけのことをやってくれたか。 彼らを死なせるのか。 彼らを死なせていいのか。 いまのこの流れでいくと、理屈はわからないんですけどね、感覚論としてね、戦争が近づいている気がするの。 もう紛れもなくそこに近づいている気がしますよ。 それをね、僕たちはどうやって阻止すべきかってことを非常に真剣に考える局面がありますよ」といった意見を述べた。 8月22日、静岡県のの麓の特設ステージで、全国から約10万人の観衆を集めてのオールナイトコンサートを敢行し、大成功を収めた。 4月1日、の校歌を作曲する(作詞:)。 11日に行われた開校式ではサプライズで登場し、校歌のほか「涙は大切な君の友達だから」「乾杯」を歌唱する。 シングルを立て続けに発売。 同年7月3日から8月21日まで Don't~ と同名のツアーを開始。 翌年に上映される監督の映画「太陽の家」に主演。 1999年の映画「英二」以来20年ぶり。 音楽 [ ] 使用ギターはレコーディングでは製(J-45、J-200等)、ライブでは製(NTP-012、TDP-512、TDP-515-6等)のエレアコを主に使用する。 エレクトリックギターは楽曲によってはライブでたまに使用する。 「アコースティックギターは弾くものじゃなく、叩くもの」という持論を持っている。 「叩く」といってもそれはあくまで「ギターを弾く力強さ」を「叩く」と表現しているのであって、例えばの影響が見られる奏法の「家族」、ライブバージョンの「逆流」や「シリアス」等で、ギターの弦を弾(はじ)いた直後に、手の平の腹部分でブリッジ付近を叩くように弾く奏法のことを言っているわけではない。 スタジオ録音作品はもちろんだが、ライブではいっそう、力強いピッキングでかきむしるような激しいコードストロークが聴ける。 使用(ブルースハープ)はTOMBOの「メジャーボーイ」。 現在一般的なハーモニカホルダーの形(テンホールズハーモニカ専用で、ハーモニカをセットする部分が狭くなっている)は彼が考案したものとのこと。 その時その時の人生をなすりつけたのが自身の音楽であるとしており、「30代での被害者意識も、その後の自責の念も、そのまま全部歌にしてきた」「つまり、己の弱さを歌にしてきたようなものだ。 その弱さを歌に叩きつけ、そこから這い上がるためにさらに歌を書いていく。 あとはお前ら聴く側が自由に受け止めてくれ!というのが長渕剛の音楽だ」という。 人物 [ ] 経歴 [ ] 鹿児島県警のの父親(長渕邦治)と母親(マス子)の次男として生を受けた。 兄(邦人)がいたが、生後100日程度の乳児期に病死しており、5歳年上の姉との2人姉弟だった。 子供のころのあだ名は「レオン」。 出生後まもなくで生死の境をさまよっていた。 幼い頃は体が非常に弱く、よくを起こし、病院通いが欠かせなかった。 音楽が楽しみで、同郷の、、、等のを好んで聴いていた。 中学3年の正月に3000円のを購入し、鉄弦を張り思いのままに好みの楽曲をコピーしていた。 鹿児島南高校の情報処理科の2期生として入学し、伊敷町から自転車で1時間近くかけて通っていた。 最初のうちは成績も良かったが、徐々に落ちていき、卒業するころには、下から数えた方が早い成績まで落ちたという。 上京後、初めて住んだ場所は、世田谷区の新代田のアパートである(このことは、自身も後に楽曲の中で歌詞にしている)。 8月、と結婚。 結婚式はハワイの教会で、仲人は吉田拓郎と浅田美代子夫妻(当時)だった。 当時、のライブハウスに飛び入りで現れた際、ステージのMCで、「俺は将来、を嫁さんにする」と発言していたが、様々な見解の相違を表面化させ、長渕のが決定的理由 [ ]で5月に離婚。 に『』()、『』(1987年)で共演したと再婚。 『親子ゲーム』の撮影中に志穂美が左手小指の付け根を骨折し、病院に向かう志穂美に長渕が付き添ったことが馴れ初めだった。 入籍のみで済ますつもりだった長渕だが、初婚である志穂美は「芸能人としてでなく、普通の人としてひっそり式を挙げたい」という希望から、に志穂美の師匠・が修行した寺の近くにあるのにて、双方の両親と親しい知人のみ出席して挙式。 志穂美は長渕の強い意向で芸能界を引退し、「クセのある男なので専業主婦したい」とこれ以降は芸能活動を行っていない。 に長女・を授かったのを皮切りに、2男1女を授かった。 結婚後、妊娠中の志穂美にもDVを振るっていたことが週刊誌に取り沙汰されたが 、出産後はの経験者だった志穂美がある程度やり返すようになり、敵わないと悟った長渕はを稽古するようになった。 なお、自身の息子(長男)も空手を嗜んでおり、ユースでは国内トップレベルの選手とのこと。 に、違反容疑で内偵を進めていた警視庁薬物対策課による家宅捜索を受け 、1グラムが自宅から発見された。 長渕は大麻吸引を認め、その場で違反でされたが、については否認し尿検査も陽性反応が出なかった。 この事件の捜査過程で、としていたことも明るみに出て [ ]、国生には記者会見で「薬物に対する(国生の)身の潔白と、長渕との関係も志穂美を交えて話し合い、関係を清算した」と発表されるなど歌手生命の危機に陥るも、志穂美の内助の功を得て復帰。 その後は度々トーク番組やバラエティー番組に出演するようになった。 のちに波乱万丈だった30代の頃を 「お金にまつわることや、まぁよくいる利権として群がる輩たち。 具体的には話さないが、騙された。 あの時期、裏切られたこと、たくさんあったな!はらわたが煮えくりかえるほど人を恨んだこともあった。 信頼する人間に欺かれると、自分のすべてをはぎ取られたように自暴自棄になる。 でも、しばらく経つと、思うんだ。 裏切る人間を近くに置いたのは誰よ?とね。 俺が選んだんじゃねえか!って。 若い時にヒット曲が生まれて、周りに人がたくさん集まってくると、自分が特別に思えてしまう。 有頂天になる。 人生に勝った気分になって、猿回しの猿のような己に気付かない。 そんな、どこまでも天狗になった自分の鼻をバーン!と蹴り折られたのが30代だったのかもしれない」「裏切った奴と街でばったり出会った時に、よっ、久しぶり!貴様!元気か?と笑える、本当の意味で強い人間になりたいと思った」と回想している。 2008年に長渕は事務所スタッフに暴行を働き辞められていたが 、2014年3月には元マネージャーから暴行による約200万円の賠償請求する訴えを起こされた。 これについて長渕の代理人弁護士は「事実無根」と反論している。 長渕は2003年にパーソナリティを務める『』で学校で暴力を振るってしまった、という高校生リスナーからのメールに答える形で「殴った自分が正しいと思えればいいんじゃないか。 我慢ならない時、あまりにもひどいじゃないかという時、俺は一発やっていいと思う。 これは『肉体言語』だよ。 『暴力』じゃないの。 ただし、要は殴り方なんですよ。 俺も時として『肉体言語』がポーンと出ることはあるよ。 でも反省はしてないし」と持論を展開している。 愛犬はホワイト・スイス・シェパードの「レオ」(平成27年11月26日永眠)、「アエラ」(令和元年6月22日永眠)、「パオ」とトイプードル「チビ」。 愛犬を歌った曲もある。 メールを打つときは絵文字も多用している。 を好み、その後 H2を購入する。 その時の取材で「H1は鉄が走っている感じ、あれは軍用車。 H2はオシャレに乗れていい」と語っていたが、桜島のコンサートを機にH1を購入。 1999年頃、自宅の近所にマンションが建設された際、自宅前にある道の車の往来が急に増え、さらに自分の子供がトラックに轢かれかけ「子供飛び出し注意」の巨大な看板(電飾、キャスター付)を自宅前に設置する。 に弱く一切飲まず、このことを語っている楽曲もいくつか存在する。 以前は喫煙者であったが、50代に差しかかってからで・肉体改造を成功させ、今までの生活習慣などを規則正しくした。 肉体改造などを行ったことについてはライブツアー期間中に体調を崩したことが影響しており、「自己流では、俺自身が理想とする音楽活動、ステージパフォーマンスはできない!体力的にも、見栄えも。 かっこいい衣装を探す前に、優秀なスタイリストに頼む前に、己の身体を作るのが先だ!そう確信した」としている。 自宅には高度なトレーニングマシンがあるという。 自身の詩画展、第一回「俺の太陽」(1999年)、第二回「赤鬼」(2000年)、第三回「情熱」(2004年)、第四回「情熱」(2005年)、第五回「殺気 黒い血が流れる日」(2013年)を全国各地で開催した。 その収益金の一部をで家を失った子供達等のために寄付した。 関連の開業キャンペーンの 風は南からの 風の書体をデザインしている。 その書体は、現在に展示している。 [ ]、、、、、、 、 、 、 、 、 らと交流があり、、、、、、、らも長渕の音楽性に影響を受けたという。 また、とは、大学時代の同じバイト仲間であり、現在も交友がある。 学歴 [ ]• (現:鹿児島県)生まれ。 鹿児島県育ち。 情報処理科卒業。 芸術学部中退。 家族 [ ] 妻は元の。 長女は女優の(あやね)。 長男はのWATARU こと航(わたる)。 次男は元ドライバーで、現在はのReN こと(れん)。 作品 [ ] 詳細は「」を参照 シングル [ ]• (1977年)• (1978年)• (1979年)• (1979年)• (1980年)• (1980年)• (1980年)• (1981年)• (1981年)• (1982年)• (1983年)• (1983年) - 『』(1983年、)テーマ曲• (1984年) - テレビドラマ『』(1984年、TBS系列)主題歌• (1985年)• (1985年)• (1986年) - テレビドラマ『』(1986年、TBS系列)主題歌• (1987年) - テレビドラマ『』(1987年、TBS系列)主題歌• (1987年)• (1988年)• (1988年)• (1988年) - テレビドラマ『』(1988年、TBS系列)主題歌• (1989年) - 『』(1989年、)テーマソング• (1989年) - 映画『』(1989年、東映)テーマソング• (1990年)• (1991年) - テレビドラマ『』(1991年、)主題歌• (1992年)• (1993年) - テレビドラマ『』(1993年、TBS系列)主題歌• (1994年)• (1995年) - テレビドラマ『』(1996年、)主題歌• (1996年) - 『』(1994年 - 2012年、フジテレビ系列)1996年4月-6月のエンディング・テーマ曲• (1997年) - テレビドラマ『』(1997年、テレビ朝日系列)テーマソング• (1998年) - テレビドラマ『』(1998年、テレビ朝日系列)主題歌• (1998年)• (1999年)• (2001年)• (2002年)• (2003年)• (2004年) -• (両A面)(2005年) - 映画『』(2005年、東映)主題歌• (2006年)- KANSAI SUPER SHOW「太陽の船」イベントテーマソング。 (2009年)• (2009年)• (2010年)• (2010年) - 映画『』(2010年、)日本版主題歌• (2011年)• (2012年)• (2013年) - 『』(2013年、NHK)主題歌• (2014年) - イメージソング。 (2014年) - 紅白歌合戦出場曲、配信限定シングル• (2015年)• (2017年)配信限定シングル• (2017年)配信限定シングル• (2018年)配信限定シングル• (2018年)配信限定シングル• (2020年)feat アルバム [ ]• (1979年3月5日)• (1979年11月5日)• (1980年9月5日)• (1981年10月1日)• (1982年9月1日)• (1983年6月21日)• (1984年8月18日)• (1985年8月22日)• (1986年10月22日)• (1987年8月5日)• (1989年3月25日)• (1990年8月25日)• (1991年12月14日)• (1993年11月1日)• (1996年1月1日)• (1997年9月3日)• (1998年10月14日)• (2001年6月27日)• (2003年5月14日)• (2007年5月16日)• (2009年8月12日)• (2010年11月10日)• (2012年5月16日)• (2017年8月16日) 公演 [ ] 年 形態 タイトル 公演規模・会場・セットリスト 収録作品 コンサートツアー 長渕剛コンサートツアー'79 1980年 長岡市立劇場 新潟県民会館 琉球新報ホール 山梨県民会館 山形市民会館 仙台市民会館 姫路市民会館 広島郵便貯金ホール 津山文化センター 松戸市民会館 渋谷公会堂 小田原市民会館 千葉市民会館 福井文化会館 金沢観光会館 富山市公会堂 横浜青少年ホール 八戸市公会堂 岩手県民会館 秋田県民会館 岐阜市民会館 豊橋勤労福祉会館 静岡市民文化中ホール 松山市民会館中ホール 丸亀市民会館 徳島郷土文化会館 高知県民会館 和歌山市民会館 堺市市民会館 大宮 長野市民会館 那覇市民会館 八王子市民会館 渋谷公会堂 渋谷公会堂 名古屋市民会館 千葉市民会館 1981年 調布グリーンホール アルバム『』 1981年 コンサートツアー 長渕剛LIVE'81 渋谷公会堂 徳島文化センター 福岡市民会館 伊勢観光文化会館 長野市民会館 新潟市民会館 長岡市民会館 福井文化会館 札幌厚生年金会館 旭川市文化会館 釧路市民会館 宇都宮市文化会館 岩手県民会館 秋田県民会館 弘前市民会館 高知県民ホール 今治市民会館 和歌山県民会館 京都会館 神戸国際会館 足利市民会館 福岡サンパレス 鹿児島文化センター 宮崎市民会館 那覇市民会館 立川市民会館 松戸市民会館 倉敷市民会館 岩国市民会館 郡山市民会館 宮城県民会館 大阪フェスティバルホール 姫路市民会館 岐阜市民会館 静岡市文化会館 名古屋市民会館 川崎産業文化会館 小田原市民会館 渋谷公会堂 渋谷公会堂 別府観光会館 小倉市民会館 広島郵便貯金会館 - コンサートツアー 長渕剛 CONCERT TOUR'81 那覇市民会館 下関市民会館 熊本市民会館 銚子市民会館 千葉県文化会館 群馬県音楽センター 徳島文化センター 丸亀市民会館 新浜市民文化会館 松山市民会館 札幌厚生年金会館大ホール 京都会館 和歌山県民会館 堺市民会館 新潟県民会館 富山市公会堂 上越市文化会館 金沢居工業大学体育会館 青森市民会館 北上市民会館 石巻市民会館 茨城県民文化センター 渋谷公会堂 福山市民会館 島根県民会館 岡山市民会館 広島郵便貯金ホール 鶴岡市文化会館 山形県民会館 福島県文化センター 東京厚生年金会館 桐生産業文化会館 高槻市民会館 大阪フェスティバルホール 神戸国際会館 浜松市民会館 豊橋勤労福祉会館 四日市市民会館 松本市民会館 山口市民会館 福岡サンパレス 長崎公会堂 鹿児島県文化センター 神奈川県民ホール - 1982年 コンサートツアー 長渕剛 CONCERT TOUR'82 沖縄市民会館 大分文化会館 佐世保市民会館 小倉市民会館 久留米市民会館 川崎産業文化会館 小田原市民会館 宇都宮文化会館 山梨県民会館 武雄市文化会館 宮崎市民会館 国分市民会館 八王子市民会館 埼玉会館 名古屋市民会館 大津市民会館 姫路文化会館 観音寺市民会館 今治市公会堂 高知県民会館 高松市民会館 鳥取市民会館 倉敷市民会館 防府市文化福祉会館 岩国市民会館 福井県民会館 金沢厚生年金会館 長岡市立劇場 柏崎市民会館 静岡市文化会館 西宮市民会館 足利市民会館 函館市民会館 室蘭文化センター 旭川文化センター 釧路市民文化会館 岩手県民会館 日比谷野外音楽堂 - 1982年 - コンサートツアー 長渕剛 CONCERT TOUR'82 - '83 時代は僕らに雨を降らしてる 1982年 大分文化会館 長崎市公会堂 沖縄市民会館 那覇市民会館 豊橋勤労福祉会館 四日市市文化会館 神戸国際会館 大阪フェスティバルホール 大阪フェスティバルホール 京都会館 千葉文化会館 大宮市民会館 金沢観光会館 富山市公会堂 上越市文化会館 倉敷市民会館 島根県民会館 広島郵便貯金ホール 広島郵便貯金ホール 日本武道館 新潟県民会館 新潟県民会館 群馬県民会館 宇都宮文化会館 茨城県民文化センター 郡山市民文化センター 山形県民会館 徳島市立文化センター 高知県民文化センター 高松市民会館 松山市民会館 福岡サンパレス 福岡サンパレス 1983年 和歌山県民会館 姫路市文化センター 北海道厚生年金会館 神奈川県民ホール 小田原市民会館 武雄市文化会館 熊本市民会館 鹿児島県文化センター 鹿児島県文化センター 宮城県民会館 岩手県民会館 青森市文化会館 秋田県民会館 愛知県民会館 - 1983年 単発コンサート SUPER LIVE IN 西武球場• 長いのぼり坂• 巡恋歌• 夏の恋人• 君は雨の日に• Don't Cry My Love• 冷たい外国人• 俺らの旅はハイウェイ• 銀色の涙とタバコの煙• 涙のセレナーデ• 僕のギターにはいつもHeavy Gauge• 俺らの家まで• いかさまだらけのルーレット• どしゃぶり Rainy Day• 賞金めあての宝さがし• 愛してるのに• 時代は僕らに雨を降らしてる• 恋人時代• 乾杯 アルバム『SUPER LIVE IN 西武球場』 ビデオ『SUPER LIVE IN 西武球場』 1983年 - コンサートツアー LIVE'83 - '84 JUST HEAVY GAUGE 1983年 札幌市民会館 旭川市文化会館 千葉県文化会館 八王子市民会館 大阪フェスティバルホール 大阪フェスティバルホール 京都会館 九電記念体育会館 那覇市民会館 浜松市民会館 山梨市民文化会館 岡山市民会館 徳山市民会館 広島郵便貯金会館 広島郵便貯金会館 岩手県民会館 山形県民会館 宮城県民会館 青森市文化会館 宮崎市民会館 佐世保市民会館 大分市民会館 滋賀県民文化センター 宇都宮文化会館 長野市民会館 富山市公会堂 石川厚生年金会館 弘前市民会館 秋田県民会館 徳島市文化センター 松山市民会館 高松市民会館 高知県文化ホール 徳島市文化センター 新潟県民会館 長岡市立劇場 福井市文化会館 名古屋市民会館 名古屋市民会館 神奈川県民ホール 沼津市文化ホール 静岡市文化ホール 神戸国際会館こくさいホール 大阪フェスティバルホール 和歌山県民会館 鹿児島市文化ホール 鹿児島市文化ホール 1984年 日本武道館 日本武道館 1984年 宮崎市民会館 熊本市民会館 那覇市民会館 大阪フェスティバルホール 大阪フェスティバルホール 大阪フェスティバルホール 八王子市民会館 千葉県文化会館 埼玉会館 長岡市立劇場 新潟県民会館 長野県民会館 金沢市観光会館 弘前市民会館 岩手県民会館 浜松市民会館 群馬県民会館 名古屋県民会館 名古屋県民会館 奈良文化会館 茨城県立文化センター 宇都宮市文化会館 北海道厚生年金会館 神奈川県民ホール 広島郵便貯金会館 広島郵便貯金会館 倉敷市民会館 島根県民会館 徳島市立文化センター 高松市民会館 松山市民会館 高知県民文化ホール 仙台市民会館 静岡市民文化会館 大分市文化会館 福岡サンパレス 鹿児島市民文化ホール 鹿児島市民文化ホール 大阪城ホール 1985年 日本武道館 日本武道館 1985年 千葉県文化会館 長崎市公会堂 熊本市民会館 那覇市民会館 八王子市民会館 浦和市文化センター 小田原市民会館 大阪フェスティバルホール 大阪フェスティバルホール 渋谷公会堂 渋谷公会堂 渋谷公会堂 静岡市民文化会館 茨城県立文化センター 宇都宮市文化センター 宮城県民会館 宮城県民会館 岩手県民会館 八王子市民会館 宮崎市民会館 大分文化会館 山口市民会館 和歌山県民文化会館 神戸国際会館こくさいホール 京都会館 浜松市民会館 浦和市文化センター 松山市民会館 高松市民会館 高知県民文化ホール 徳島市立文化センター 名古屋市立公会堂 名古屋市立公会堂 横浜文化体育館 広島郵便貯金会館 広島郵便貯金会館 長野県民文化会館 松本社会文化会館 新潟県民会館 長岡市立劇場 群馬県民会館 山梨県民文化ホール 島根県民会館 倉敷市民会館 徳山市文化会館 鹿屋市文化会館 鹿児島市民文化ホール 鹿児島市民文化ホール 豊田市民文化会館 福岡サンパレス 福岡サンパレス 熊本市民会館 1986年 八戸公会堂 青森市民文化会館 郡山市民文化会館 北海道厚生年金会館 大阪城ホール 大阪城ホール 日本武道館 日本武道館 ビデオ『HUNGRY TOUR 1986. 22 THE 4DAYS LIVE』 ビデオ『明日へ向かって 1985-1986 長渕剛の記憶』 1986年 - コンサートツアー LIVE'86 - '87 STAY DREAM 豊田市民文化会館 金沢市観光会館 長野県県民文化会館 鹿児島県総合体育センター 鹿児島県総合体育センター 神戸ワールドホール 徳島市文化センター 香川県県民ホール 愛媛県県民文化会館 福岡国際センター 長崎市公会堂 宮崎市民会館 京都PULSEプラザ 徳山市文化会館 広島サンプラザホール 岡山市総合体育館 国立代々木競技場 国立代々木競技場 青森市文化会館 岩手県民会館 仙台市体育館 新潟市産業センター 名古屋レインボーホール 名古屋レインボーホール 大阪城ホール 札幌月寒グリーンドーム 大阪城ホール 大阪城ホール 横浜アリーナ 横浜アリーナ アルバム『長渕剛LIVE'89』 - コンサートツアー LIVE'90 - '91 JEEP 山梨県民文化ホール 群馬県民会館 宇都宮市文化会館 豊田市民文化会館 滋賀県立文化産業交流会館 徳島市文化センター 福井フェニックスプラザ 金沢観光会館 神戸国際記念ホール 神戸国際記念ホール 和歌山県民文化会館 名古屋レインボーホール 名古屋レインボーホール 香川県民ホール 愛媛県民文化会館 浜松アリーナ 大阪城ホール 大阪城ホール 岡山市総合体育館 広島サンプラザホール 新潟県民会館 新潟県民会館 長野県民文化会館 山形市総合スポーツセンター 室蘭新日鉄ホール 札幌月寒グリーンドーム 仙台市体育館 国立代々木競技場 国立代々木競技場 国立代々木競技場 国立代々木競技場 国立代々木競技場 徳山市文化会館 福岡国際センター 鹿児島県立体育館 鹿児島県立体育館 熊本市民会館 郡山市民会館 青森市文化会館 岩手県民会館 横浜アリーナ 横浜アリーナ ビデオ『カラス LIVE from '90 - '91 JEEP TOUR』 コンサートツアー LIVE'92 JAPAN 愛媛県民文化会館 徳山市文化会館 香川県民ホール 香川県民ホール 福井フェニックスプラザ 名古屋レインボーホール 名古屋レインボーホール 日本武道館 日本武道館 日本武道館 日本武道館 日本武道館 日本武道館 山梨県民文化ホール 神戸国際県民ホール 神戸国際県民ホール 京都会館 和歌山県民文化会館 大阪城ホール 横浜アリーナ 横浜アリーナ 岩手県民会館 広島市民文化センター 仙台サンプラザホール 仙台サンプラザホール 山形市総合スポーツセンター 浜松アリーナ 宮崎市民会館 鹿児島アリーナ 鹿児島アリーナ 岡山市総合文化体育館 福岡国際センター 群馬県民会館 宇都宮市文化会館 名古屋レインボーホール 広島サンプラザホール 静岡市民文化会館 青森市文化会館 真駒内アイスアリーナ 新潟県民会館 新潟県民会館 長野県民文化会館 大阪城ホール 大阪城ホール• 勇気の花• すっからぴんのからっけつ• パラシュート• ひまわり• くしゃみじゃなくてよかったよ• 涙色の流星• He・la-He・la• 10年前の帽子• 女よ、GOMEN• SUPER STAR• 西新宿の親父の唄• HOLD YOUR LAST CHANCE 2001• 少年よ、君は強くなる• とんぼ• しゃぼん玉• 泣いてチンピラ• コオロギの唄• 三羽ガラス• 勇気の花• ろくなもんじゃねえ• ファイティングポーズ• シェリー• JEEP• 俺らの旅はハイウェイ• He・La-He・La• 俺の太陽• 泣いてチンピラ• 女よ、GOMEN• 花菱にて• Myself• 友への手紙• くそったれの人生• しゃぼん玉• 静かなるアフガン• NEVER CHANGE• 夏祭り• 東京青春朝焼物語• 僕のギターにはいつもHeavy Gauge• 巡恋歌• とんぼ• HOLD YOUR LAST CHANCE アンコール• ひまわり• SHA-LA-LA• 明日へ向かって• STAY DREAM DVD『9. 主演は 太字。 テレビドラマ [ ]• うさぎの休日(1988年、)• 少年「おかめさん」(2002年、TBS)- トラックの運転手 役• (2010年、TBS)- 秋吉部隊長 役 映画 [ ]• HOT JAM'80 我らが熱き日々(1980年、)• (1986年、)- 倉田健吾 役• 長渕剛の(1979年 - 1980年、)• 長渕剛のひたすら60分(1980年、ニッポン放送)• 長渕剛の(1985年、TBSラジオ)• (2003年、ニッポン放送)• (2011年4月 - 、・・・・(以上系)、()、・・・(以上)、から各局ネット)• (2014年10月 - 2015年6月、をキー局に38局フルネット) - CM [ ]• 、(ナレーション)(1986年)• 、チョコバー「body」(1988年)• 、携帯電話「A1403K」(2004年)• 「」(2014年)• - にある霊園。 20歳の頃にメジャーデビュー前に「霊園ソング」を製作。 レコーディングは1回で済ませ、ギャラは1万円で請け負った。 なお、本人は一切出演していない。 音楽 [ ]• (日本テレビ、1979年1月28日)「いつものより道もどり道」「俺らの家まで」• (日本テレビ、1979年7月22日)「風は南から」「訣別」「夏まつり[のちの夏祭り]」「祈り」「ポーラースター」• (TBS、1980年7月31日)「順子」• (TBS、1980年8月7日)「順子」 - 「HOT JAM'80」の会場(静岡の日本平)からの中継• 「ホットジャム'80我らが熱き日々」(TBS、1980年8月17日)「巡恋歌」「順子」「静岡の夜は静岡」「逆流」• 「ザ・ライブ」(長渕剛Live at 日比谷野音)(日本テレビ、1982年6月20日)「Hurry Up」「順子」「花いちもんめ」• 「ザ・ライブ」(長渕剛Live at 日比谷野音)(日本テレビ、1982年6月27日)「賞金めあての宝さがし」「碑」「乾杯」• (、1983年5月2日)「恋人時代」• (、1983年6月)「いかさまだらけのルーレット」「恋人時代」「冷たい外国人」「DON'T CRY MY LOVE」• (フジテレビ、1983年9月23日)「GOOD-BYE青春」• (TBS、1983年10月13日)「GOOD-BYE青春」 - スポットライトでの出演• (フジテレビ、1983年10月24日)「GOOD-BYE青春」• (TBS、1983年11月3日)「GOOD-BYE青春」• (フジテレビ、1983年11月14日)「GOOD-BYE青春」• 「長渕剛スペシャル 最高の夜だぜ」(TBS、1985年2月18日)「俺らの旅はハイウェイ」「孤独なハート」「言わんこっちゃないさ」「GOOD-BYE青春」「どしゃぶり Rainy Day」「COME BACK TO MY HEART」「SHA-LA-LA」「LONG LONG TIME AGO」「Time Goes Around」「ファイティングポーズ」「WAKE-UP! IT'S MORNING」「賞金めあての宝さがし」「HOLD YOUR LAST CHANCE」• DX(フジテレビ、1985年4月24日)「微熱かナ」「久しぶりに俺は泣いたんだ」• DX(フジテレビ、1985年7月31日)「愛のこころ」「勇次」• (フジテレビ、1985年7月)「勇次」• (TBS、1986年8月7日)「SUPER STAR」• DX(フジテレビ、1986年4月30日)「スターダスト・トレイン」「Don't Cry My Love」• (フジテレビ、1986年9月1日)「SUPER STAR」• DX(フジテレビ、1987年3月4日)「Stay Dream」• (TBS、1987年6月18日)「ろくなもんじゃねえ」• (フジテレビ、1987年9月9日)「ろくなもんじゃねえ」「泣いてチンピラ」• (TBS、1987年12月24日)「ろくなもんじゃねえ」• (TBS、1987年12月31日)「ろくなもんじゃねえ」「LICENSE」• DX(フジテレビ、1988年1月27日)「乾杯」• (TBS、1988年2月18日)「乾杯」• (TBS、1988年3月3日)「乾杯」• DX(フジテレビ、1988年5月18日)「Never Change」• (TBS、1988年12月1日)「とんぼ」• DX(フジテレビ、1989年3月8日)「とんぼ」「激愛」• DX(フジテレビ、1989年12月13日)「しょっぱい三日月の夜」• SUPER(フジテレビ、1990年2月28日)「お家へ帰ろう」「いつかの少年」「とんぼ」• DX(フジテレビ、1990年7月25日)「巡恋歌」「カラス」「Jeep」• (、1991年12月13日)「He・La-He・La」「とんぼ」「シリアス」「しゃぼん玉」「MOTHER」• (、1990年12月31日)「親知らず」「いつかの少年」「乾杯」• LIVE JAPAN '93(WOWOW、1993年12月31日)「JAPAN」「女よ、GOMEN」「愛してるのに」「MOTHER」「He・La-He・La」「西新宿の親父の唄」「RUN」• 栄光のミリオンスターBIG3 夢の競演(フジテレビ、1994年1月2日)「RUN」「ガンジス」「心配しないで」• 長渕剛スペシャル(フジテレビ、1995年12月31日)「友よ」「HOLD YOUR LAST CHANCE」「夏祭り」「俺らの家まで」「傷まみれの青春」「家族」• (フジテレビ、1996年1月15日)「家族」• (フジテレビ、1999年10月17日)「とんぼ」「巡恋歌」「HOLD YOUR LAST CHANCE」「乾杯」• (フジテレビ、1999年10月18日)「とんぼ」「Stay Dream」• 人間じゃ(NHK-BS2、1999年10月23日)• (日本テレビ、2002年6月21日)「JEEP」「静かなるアフガン」• BSスペシャル スーパーライブ 長渕剛 9. 7 in 横浜スタジアム LIVE〜野外大爆発!32,475人燃える〜(NHK-BS2、2003年1月30日)「三羽ガラス」「ろくなもんじゃねえ」「ファイティングポーズ」「シェリー」「泣いてチンピラ」「俺らの道はハイウェイ」「女よ、GOMEN」「花菱にて」「Myself」「くそったれの人生」「しゃぼん玉」「Never Change」「俺のギターにはいつもHeavy Gauge」「巡恋歌」「とんぼ」「勇次」「Hold Your Last Chance」「Sha-La-La」「Stay Dream」「明日へ向かって」• (テレビ朝日、2003年4月25日)「しあわせになろうよ」• (NHK、2003年5月1日)「勇気の花」「He・La-He・La」「とんぼ」「しあわせになろうよ」• (、2003年11月3日)「狼たちの遠吠え(森進一のバック)」「しあわせになろうよ」• (フジテレビ、2004年2月29日)「泣いてチンピラ」• (テレビ朝日、2004年12月3日)「金色のライオン」• わたしはあきらめない(NHK、2004年3月10日)「Stay Dream」• 長渕剛スペシャル 情熱- ROAD TO SAKURAJIMA -(MBC南日本放送、2004年3月11日)• (テレビ朝日、2004年12月3日)「金色のライオン」• (テレビ朝日、2006年10月10日)「愛してるのに」• (テレビ朝日、2006年10月17日)「愛してるのに」「お家へかえろう '04」「激愛」「KAGOSHIMA 中央 STATION」「ろくなもんじゃねえ」「COME BACK TO MY HEART」「東京青春朝焼物語」「MYSELF」「夕焼けの歌」「STAY DREAM」• (フジテレビ、2010年11月20日)• (、2011年7月13日)「乾杯」「TRY AGAIN for JAPAN」「お家へかえろう」• PREMIUM 長渕剛 Part. 1(、2011年10月6日)「12色のクレパス」「STAY DREAM」「Success」「TRY AGAIN」• PREMIUM 長渕剛 Part. 2(、2011年10月13日)「乾杯」「TRY AGAIN for JAPAN」「いつものより道もどり道」「西新宿の親父の唄」「しあわせになろうよ」「お家へ帰ろう」• (、2011年12月31日)「ひとつ」• (、2012年1月28日)「ひとつ」• (、2012年2月24日)「ひとつ」• SP-愛おしきあなたへ-(、2012年3月11日)「しあわせになろうよ」「ひとつ」「愛おしき死者たちよ」• 東北の空には歌がある-長渕剛 震災から500日の軌跡-(、2012年11月4日)「ガーベラ」「カモメ」「日本に生まれた」「明日をくだせえ」「お家へ帰ろう2011」「ひとつ」「愛おしき死者たちよ」「Stay Alive」「Run for Tomorrow〜明日の為に〜」• (、2014年7月12日)「とんぼ」「順子」「逆流」「Myself」• ライブスペシャル-オールタイム・ベストライブ-(、2014年7月19日)「親知らず」「カラス」「明日をくだせえ」「Tomorrow」「逆流」「Myself」「とんぼ」「走る」「RUN」• (、2014年12月31日)「明日へ続く道」• 4K総合 596ch 、2015年7月26日)「RUN」「とんぼ」「ヒロイン」「乾杯」「プロポーズ」「二人歩記」「Thank You Woman」「俺の太陽」「Please Again」「富士の国」• インタビュー ここから スペシャル(、2016年1月11日)• 100年インタビュー 音楽家 長渕剛(、2016年1月19日)• (フジテレビ、2016年12月7日)「乾杯」• (フジテレビ、2017年4月16日)「Loser」「福島県立小高産業技術高等学校 校歌」「涙は大切な君の友達だから」「乾杯」• (、2017年7月15日・16日)「とんぼ」「Stay Dream」「Black Train」• (フジテレビ、2017年8月19日)「マジヤベエ!」「夏祭り」「巡恋歌」「プロポーズ」「Can you hear me? (、2017年8月19日)「Black Train」• 」EN-2「俺らの家まで」「さようならの唄」• (、2017年8月26日)「Loser」• PREMIUM BIRTHDAY LIVE AT 大阪城ホール(、2018年2月24日)• 『BLACK TRAIN』ONE NIGHT PREMIUM LIVE AT 日本武道館(、2018年3月2日)• 書籍 [ ] 著書 [ ]• 『俺らの旅はハイウェイ』八曜社、1981年、• 『君はギターの弦を切ったことがあるか』長渕剛、面谷誠二共著、八曜社、1984年、• 『長渕剛詩集』、1988年、• 『前略、人間様。 :長渕剛詩画集』、2001年、• 『情熱:長渕剛詩画集』、2004年、• 『長渕語・録』、2014年、 写真集 [ ]• 長渕剛 文、広瀬飛一 撮影『「人間」:あなたに会えてよかった』、1992年、 題材とした書籍 [ ]• 『あいつの本音:長渕剛からまで13人』、1981年、• 黒土三男『とんぼ』、1989年、• 矢吹光『長渕剛vs桑田佳祐』、1995年、• 『いのちの器』双葉社、1995年、• 寺尾陽子『生きててよかった:移植を拒否して心臓病とたたかう27歳の勇気の記録』リヨン社、1995年、 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 詳細は「略歴」の年譜参照。 2014年11月14日閲覧。 」 1990年12月31日放送• カドカワムック『別冊カドカワ 総力特集 長渕剛』角川マガジンズ、2010年12月17日、94頁。 1991年3月• 1991年12月13日放送• TOKYOFM、SCHOOL OF LOCK、 2014年12月6日. 2015年8月31日閲覧。 「[3号連続企画第1弾]歴代表紙コレクション・1」『週刊ザテレビジョン』2011年10月7日号。 2014年7月1日. 2014年12月9日閲覧。 30)• 2016年10月31日閲覧。 サーチナ 2010年6月16日• スポーツ報知 2015年2月25日• 2012年8月13日閲覧。 2016年9月2日閲覧。 RealSound 2014年10月24日. 2014年10月26日閲覧。 1 2013年3月4日. 2014年12月9日閲覧。 日刊ゲンダイ. 3 2013年3月4日. 2014年12月9日閲覧。 日刊ゲンダイ. 2 2013年3月4日. 2014年12月9日閲覧。 , 2010年, 147, p. 『最強を極める空手入門』p. 2010年10月24日. 2014年10月26日閲覧。 2007年2月16日 対談記事より。 2010年7月3日 での記事より。 2005年5月13日 芸能面での記事より。 NEWSポストセブン 2013年11月25日. 2014年10月26日閲覧。 2014年4月14日. 2014年10月26日閲覧。 長渕剛 HP. 2014年10月26日閲覧。 2015年1月2日閲覧。 オフィシャルウェブサイト. 2014年10月26日閲覧。 参考文献 [ ]• 編集部『長渕剛:民衆の怒りと祈りの歌』2015年11月• 『長渕剛論 歌え、歌い殺される明日まで』毎日新聞出版、2016年7月 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• (公式サイト)• (公式サイト)• (公式サイト)•
次のこの記事にはが含まれているおそれがあります。 問題箇所をしして、記事の改善にご協力ください。 議論はを参照してください。 ( 2012年8月) :顔写真のをお願いします。 ( 2015年11月) 長渕 剛 出生名 長渕 剛 別名 永渕剛、長渕剛(ながぶち ごう) 生誕 1956-09-07 (63歳) 出身地 学歴 芸術学部中退 ジャンル 職業 担当楽器 活動期間 (昭和52年)- 現在 レーベル (1977年) (東芝EMI) ( - ) ( - ) ( - ) (2014年 - ) (2015年 - ) 事務所 Office REN(オフィス・レン) 共同作業者 、 公式サイト 長渕 剛(ながぶち つよし、本名: 同じ、 - )は、の男性・・・・。 デビュー時の芸名は 長淵 剛で、名の読みが「 ごう」。 Office REN(オフィス・レン)所属。 身長172cm [ ]。 この節は更新が必要とされています。 この節には古い情報が掲載されています。 編集の際に新しい情報を記事にさせてください。 反映後、このタグは除去してください。 ( 2015年8月)• 大学祭の前座で初めての舞台を経験。 のへと進学。 「 永渕剛(ながぶち つよし)」の芸名で、場末のでオリジナル曲を歌い続ける。 この時はまさに地獄の環境で、毎夜のようにビール瓶や灰皿が飛び、泥酔した客や極道から「演歌やらんかい演歌!! 」と罵声や蹴りを浴びつづける日々だった。 ここで根性が鍛えられたと本人は述べており、後年披露するリアリティに満ちた悪漢の演技も、ここでの観察によるものである。 そして、ライブハウス()での活動が本格化する。 主催の、第12回(通称ポプコン)に出場。 八曜社発行「俺らの旅はハイウェイ」参照)。 2月25日、前年のポプコン入賞を機に、より、シングル『』でデビュー。 当時の芸名の読み方は「 ながぶち ごう」で、編曲は。 しかし曲はヒットしなかった。 『』で15回ポプコンの入賞、10月5日から同曲で再デビュー。 芸名の読み方も本来の「 ながぶち つよし」に戻された。 そして同年暮れから、やらとコンサート活動を本格化させる。 南こうせつのオールナイトニッポン(ニッポン放送、木曜1部 1978年4月 - 1979年3月)内で「裸一貫ギターで勝負」のコーナーを担当する。 3月5日、初のオリジナルアルバム『』をリリース。 7月26日、での吉田拓郎のコンサート「」に特別出演。 「帰れコール」(長渕自身は「帰れって言うんだったらお前らが帰れ」と言っていた)を浴びながらも(吉田拓郎は「そんなに言われてなかったよ」と言っていた。 また、実際に「帰れコール」をしたのは一部の観客だけだったとも言われている)堂々と歌い、最終的には大きな喝采を浴びた。 長渕自身「あのステージがなかったら今はなかった」と話している。 4月から9月まで、『』水曜日第2部、10月から翌年9月まで、金曜日第1部の、それぞれパーソナリティを務める。 11月29日、新宿厚生年金会館でワンマンコンサート開催。 チケットは発売3時間でソールドアウト。 6月5日、元々アルバム『』の収録曲であった『』が、ファンからの熱い要望によりシングルカット。 同年8月にはのチャート1位に。 この曲のヒットにより、一躍トップシンガーの仲間入りを果たす。 またこの他、当時などが結成していたグループ「Do! 」とのジョイントバンド「チョコレッツ」を結成し、翌まで活動していた。 3月23日、徳島県・徳島文化センターより、全国ツアー『LIVE'81』(全49ヵ所)をスタート。 このツアーより初めて(リズム隊を含めた)をつけたり、初のピアノによる弾き語りや、アコースティックギターだけではなく、バンジョーやエレキギターを持つなど、新たな試みが数々と披露された。 8月、当時アイドル歌手だったと結婚。 『』で意気投合したことがきっかけとなり結婚した。 ハワイでの結婚式の仲人は、自ら恩師とすると夫妻(当時)だった。 9月25日、『コンサートツアー'81〜'82』(全90ヵ所)が、沖縄県・那覇市民会館よりスタート、翌年の6月まで続くロングツアー。 6月6日、『コンサートツアー'81〜'82』のファイナルを、日比谷野外音楽堂で『SUPER LIVE IN HIBIYA』として開催。 自身初の野外公演でもあり、この模様はの「ザ・ライブ」にて6月20日、27日の2週に分けて放送された。 7月28日、8月4日、『青春は手品師』(アルバム『』に収録)が、ドラマ『物語』(系列)の主題歌になる。 珍しくの作詞によるもの。 ドラマには長渕本人もちらっと出演している(貞治の父親役)。 10月12日、『コンサートツアー'82〜'83』(全45ヵ所)がスタート。 このツアー中の11月29日に初の公演、翌年の2月21日のファイナルも再びこの会場で行われた。 石野真子と離婚。 原因は長渕の石野に対する度重なる家庭内暴力とされている [ ]。 7月25日、埼玉県所沢市の西武ライオンズ球場にて『SUPER LIVE 西武球場』を開催。 2万人の観客を集め、雨の中でのコンサートとなった。 7月29日、にてとジョイントライブを行う。 8月25日、『SUPER LIVE 西武球場』が公演からわずか1ヵ月後、2枚組のライブアルバム『』としてリリースされる。 同時に『LIVE'83 JUST HEAVY GAUGE』ツアー(全47ヵ所)がスタート。 8月26日、初の主演テレビドラマ『』(TBS系列)が放映開始、俳優としても本格的に活動を始める。 同番組の主題歌であるシングル『』をリリース。 ドラマ『』(TBS系列)の挿入歌『人間(ひと)の駱駝(らくだ)』(歌:大塚ガリバー)の作曲を手掛ける(編曲: )。 ちなみに作詞は、、の両名。 ただし、現在ではこの楽曲の収録がなされたLPは入手が相当困難である。 3月15日 - 4月9日にかけて、全国10ヵ所にて3年ぶりの弾き語りコンサートを、ファンクラブ『TSUYOSHI CLUB』結成記念イベントとして開催。 4月20日、主演したテレビドラマ『』(TBS系列)放映開始。 7枚目のオリジナルアルバム『』を発売。 当時は収録曲の「TIME GOES AROUND」を自身のラジオ「」で絶賛していた。 10月11日から翌年3月まで、『』木曜日のパーソナリティを務める。 3月30日に発売されたシングル『』に伴い、自身初のプロモーションビデオを制作。 4月5日、主演したテレビドラマ『』(TBS系列)放映。 8月26日、『』ツアーをスタートさせるも、翌年1月のでの公演を最後に、過労によりダウン。 一時は重度の状態に陥り、予定されていた残りのコンサートがすべて公演中止となる。 6月7日、主演したテレビドラマ『』(TBS系列)が放映開始。 と、ラーメン店を営む恋人同士役をつとめる。 10月22日、ギター弾き語りアルバム『』リリース。 11月11日には大阪城ホールより『LIVE'86〜'87 』(全11ヵ所)がスタート。 このツアーはアルバムのテーマと同様、ギター1本で歌うスタイルで、またアリーナ級や体育館等の会場ではセンターステージを組んで行われた。 12月20日、出演した映画『』が劇場公開。 と再び恋人同士役で共演し仲を深めた。 2月25日、『LIVE'86〜'87 』の追加公演が、ツアー初日の会場でもある大阪城ホールにて『LAST CRIME』と題して開催された。 4月10日、主演したテレビドラマ『』(TBS系列)が放映開始。 8月5日、アルバム『』をリリース。 同年末のにてアルバム大賞を獲得。 8月28日、ゲスト出演したテレビドラマ『』(TBS系列)放映。 9月、テレビドラマ『』映画『男はつらいよ』での共演をきっかけに、と2度目の結婚。 志穂美は芸能界を引退。 2月5日、アルバム『乾杯』に収録されていた『』を8年振りに新録しリリース、ミリオンセラーとなる。 6月19日、コンサート会場として、初めて BIG-EGG に進出。 10月7日、主演したテレビドラマ『』(TBS系列)放映開始。 10月26日、同ドラマのタイトル曲となる『』をリリース、ミリオンセラーを記録する。 12月3日、出演したテレビドラマ『うさぎの休日』 NHK 放映。 3月11日、主演した映画『』が劇場公開開始。 3月25日、アルバム『』リリース。 ミリオンセラーとなる。 12月23日、主演した映画(原案・監督も兼任)『』が劇場公開。 監督は当初が務めたものの途中降板、長渕自身が引き継いだ。 ドラマ『とんぼ』『うさぎの休日』の演技が評価され、第26回・選奨を受賞。 12月31日、に初出場を果たし、第1部の最後に・から生中継で、「ベルリンからのメッセージ」と題して『親知らず』『いつかの少年』『乾杯』の3曲を歌った。 全てタイトル・歌詞のテロップが示され長渕の終了後、予定通り20時55分からニュース、21時から第2部が開始されたが、長渕が出演する際にNHKのスタッフを批判していたため、「予定外の曲を披露」「長渕の暴挙により時間が押して、大物歌手の出番がカットされた」「NHKへの出入り禁止」など、様々な報道が当時された。 その後NHKには、1991年3月ので「ベスト5アーティスト賞」を受賞し 、同年末「プライム10 音楽達人倶楽部」にそれぞれ出演している。 また2014年12月6日放送のSaturday 長渕LOCKS! 10月10日、主演したテレビドラマ『』(系列)が放映開始。 「週刊」号ではイメージが合わないことを理由に、レモンの使用を拒否した。 10月25日、シングル『』リリース。 ミリオンセラーとなる。 12月14日、本格海外レコーディングアルバム『JAPAN』リリース。 『西新宿の親父の唄』(アルバム『JEEP』収録)が、『-'92巣立ち』の挿入歌となる。 東京ドームでのセンターステージライブに関して、本人は「あまり覚えていない」と語った。 65,000人の熱気のど真ん中で、あまりにインパクトがあったとのこと。 また「東京ドームという場所は、本来ライブをやるべき場所じゃない(音響面で最悪、自分の声が数秒後跳ね返ってくる)。 ドームでライブをやる必要性がある時はやるけど」と語っている。 『』(1992年10月28日)をリリースし、80万枚のヒット。 9月22日、シングル『』リリース。 ミリオンセラーとなる。 10月15日、主演したテレビドラマ『』(TBS系列)が放映開始。 同ドラマの打ち上げパーティー終了後にに暴力を振るってしまう。 11月1日、アルバム『Captain of the Ship』がリリースされるが、この頃楽曲の歌詞盗作疑惑が持ち上がり、本人が謝罪した。 詩人・に関連したもの。 8月10日、シングル『』をリリース。 9月9日、『Captain of the Ship』ツアーをスタートさせるも、による体調不良によりわずか3公演しかできず、残りの日程は全て公演中止となった [ ]。 9月23日、がリリースしたアルバム『』に収録された楽曲「」の歌詞の内容を巡り、作詞・作曲した桑田と一触即発の関係に陥る。 事の詳細に関してはも参照。 また、女優のとの不倫報道が大きく報じられる [ ]。 12月1日、ベスト・アルバム『いつかの少年』リリース。 1月24日、違反で現行犯逮捕された。 については否認し、尿検査も陽性反応がなかったため2月3日に処分保留のまま釈放。 3月16日にとなる。 12月26日、自身3度目となる東京ドームでのライブを行う。 1月1日、再起後の最初のアルバム『』リリース。 東芝EMI所属として、最後になるオリジナルアルバムである。 1月24日、『とんぼ』の続編に当たるテレビドラマ『』が放映。 2月27日、(現在の略称FLME)に移籍。 7月2日、シングル『』リリース。 7月10日、主演したテレビドラマ『』(系列)放映開始。 9月3日、アルバム『』をリリース。 鹿児島県の演歌歌手、日高正人シングル『想い人』発売。 日高の歌に感動した長渕が83年に書き下ろしていた曲で、日高の病気が原因で半分お蔵入りとなっていた曲。 5月1日、主演した映画『』が劇場公開開始。 12月22日、セルフカバー・アルバム『』リリース。 、最愛の母・マス子が急性により他界。 6月27日、8年ぶりのロサンジェルスレコーディングアルバム『』リリース。 5月9日、アフガン抗争に向けて発した反戦歌『』リリース。 しかし事実上の放送禁止。 NHKをはじめとするテレビ局や各種メディアには採り上げられることが少なく、予想よりも話題にならず。 それでも「指きりげんまん」以来のベスト20位入り。 6月26日、自身の選曲によるベスト・アルバム『』、『』各2枚組リリース。 4月、ニッポン放送『』放送開始。 9月までパーソナリティを務める。 5月1日、シングル『しあわせになろうよ』リリース。 空手道団体のから分派した、の発足に際し、同会の会歌『新極真会の歌』(編曲は瀬尾一三と共同)を特別に製作する。 ちなみに同年にで開催された、「第8回全世界空手道選手権大会」の入場者にのみ、同歌のCDが配布されており、店頭販売はされていない。 しかし、一般の方から多くの問い合わせがあり、一般発売(通販限定)することになった。 5月14日、長渕剛通算19枚目となるアルバム『』が発売され、男性アーティスト初のオリジナルフルアルバム首位通算10作目獲得をした。 12月31日、13年ぶりにNHK紅白歌合戦に出場する。 に楽曲提供した『狼たちの遠吠え』では、歌う森のバックで長渕がコーラス&ギターセッションで参加し、話題になった。 4月28日、初の『Hey ANIKI! 』がリリース。 8月21日、鹿児島県の特設ステージで、全国から約7万5千人の観衆を集めてのオールナイトコンサートを敢行し、大成功を収めた。 このコンサート会場で売られていたオフィシャルは地元企業の商品であった。 には、コンサート会場跡地に記念碑が建てられる。 記念碑名は 「叫びの肖像」。 ちなみに、コンサート会場であった桜島からの音は海を越えたでも聞き取れたという。 11月14日、ファンクラブ特別イベント「Thank You LIVE 2004」をスタート。 12月1日、シングル『金色のライオン』リリース。 ののテーマソングとなる。 CM曲に長渕の曲が採用されたのは1988年の明治チョコバーBODY(『STAY DREAM』)、1991年のキリンラガービール(『乾杯』)等がある。 8月24日、東映『』の主題歌として書き下ろした『CLOSE YOUR EYES』リリース。 自身の主演映画作品以外での主題歌使用はこれが初めて(テレビドラマでは以前に「逆流」「友よ」「指きりげんまん」等あり)。 また、カップリングの『YAMATO』と合わせて、両A面シングルとなっている。 2月8日、東芝EMIより東芝所属時代のオリジナルアルバムが「24bitリマスタリングアルバムシリーズ」として再発売。 2月21日、100周年記念ライブ。 の立正中学校・高等学校の創立100周年記念式典で長渕が熱唱。 バンドメンバーも勢揃いして、約2時間に及ぶステージで全14曲を演奏。 3月8日、東芝EMIより東芝所属時代のベスト&ライブアルバムが「24bitリマスタリングアルバムシリーズ」として再発売。 3月19日、「桜島オールナイトコンサート」を記念したモニュメントが建立され、除幕式に参加。 4月23日、作品にも度々登場し、長渕音楽の原点ともいえる父・邦治(くにはる)が他界。 享年77。 6月29日、アミュ広場でゲリラライブ。 来場は約7000人程。 ライブ状況は『』で生放送された。 7月1日、で空手の新保道場開きにてライブ。 7月2日、ラジオの第二スタジオでスタジオライブ、観客は抽選で選ばれた約50人。 司会はの、ゲストミュージシャンはMC般若で公開生放送された。 7月14日、『長渕剛3daysドキュメント』放映-TV『』• 7月22日、7月2日公開放送で未放送のアンコール部分をラジオで特集して放送。 8月30日、がプロデュースする『日本元気プロジェクト KANSAI SUPER SHOW「太陽の船」』のイベントテーマソング『太陽の船』を手がけることが発表され、同曲が公開された。 10月9日、10月16日放送の『』「」に出演。 六本木のカラオケBOXにて、観客3人(、、)の前で2時間半12曲のライブを行う。 バラエティ番組に出るのは『』以来のことだが、この出演は第1回「長渕ファン王決定戦」のスペシャルを再放送を観て心を動かされた本人からの「最後に(俺が)出たら面白いだろう」という要望によるもの。 この翌週、ランキングに、長渕のなど数作品が再浮上した。 現在も上田は長渕と交流があり、『』()などでその旨を語っている。 、制作、系列 で放送の『』で、と対談。 過去にさんまとは「」で対談を行ったことがあり、放送でもその点について触れていた。 「は吸うのか噛むのか」などで言い合う珍妙なトークを行い、最後は2人で『とんぼ』をデュエット。 ハーモニカ(TOMBO・メジャーボーイ)をさんまにプレゼント。 ただしギター弾き語りは行われず、『とんぼ』は(ちなみにさんまの『真っ赤なウソ』の編曲者でもある)のキーボード演奏によるものであった。 5月4日、で行われた「どきどきフリーマーケット」のにゲスト出演し、「」をはじめ、自身の曲のライブを行った。 その模様はを通じて公開されていたが、オンエア後もライブは継続され、フリーマーケット終了30分前まで続いた(これは、観覧していたファンの度重なるアンコールに答えた本人の力が大きい)。 5月16日、4年ぶりのオリジナルアルバム「」リリース。 全12曲新曲(桜島DVDに収録されていたものの未CD化だった「夕焼けの歌」を含む)、先行シングルなしという昨今の音楽業界の常識からすれば型破りなアルバムにも関わらず、オリコン初登場4位。 6月6日〜7月11日、自身初となる女性限定ライブ「Lady's Night2007-Acoustic-」ツアー。 9月7日〜12月9日まで自身2年ぶりとなるツアー「2007 ARENA TOUR 〜Come on Stand up! 〜」ツアーが行われた。 10月12日より放送開始の、TBS系列テレビドラマ「」の主題歌に、長渕による作詞作曲『』が起用された。 歌を歌うのはで、TOKIOにとっては、に続く大物歌手による楽曲提供となった。 5月14日、21日、過去に発表された楽曲の中からラブソングを中心にリマスタリング、セルフカバー、リミックスを施して選曲したベスト・アルバム「」、「」を発売。 1月14日、(レーベルはナユタウェイヴ・レコーズ)への移籍を発表。 6月9日、デビュー30周年記念として、プレミアムBOXセット『30th Anniversary BOX from TSUYOSHI NAGABUCHI PREMIUM』(DVD3枚組、CD3枚組)をリリース。 初週2. 1万枚を売り上げ、2010年6月21日付週間DVDランキング総合第1位となった。 価格は3万1500円と高額ながら、それまでの総合首位を記録していた『・アンソロジー(初回生産特別価格盤)』を抜くミュージックDVD作品最高額総合首位記録となり、更に最高額首位の『DVD-BOX2(最終巻)』と同額の歴代タイ記録となる。 8月14日、スペシャルドラマ『』に俳優として出演。 本格的な俳優復帰は、に主演した映画『』以来で、11年ぶりとなり、ドラマ出演はに主演した『』以来で、13年ぶりとなった。 4月7日、に際し、被災地復興支援のため、FMでラジオ「」をスタート。 被災地向けの番組のため、局(ベイエフエム)と系、局でネットされるという、従来のラジオネットワークの枠に拘らないユニークな配信になる。 放送開始の回ではの「津波は天罰」発言を痛烈に批判をした。 4月16日、()の被災地を訪れ、避難所や自衛隊基地を慰問し、激励した。 また8月、原発事故で避難生活を余儀なくされたの小学生20人を自身の故郷、鹿児島に招待した。 後は、を求める姿勢を鮮明にしている。 8月12日に福島県で行われた全国ツアー「RUN FOR TOMORROW」の福島公演では、「止めてくれ 原発を止めてくれ 今すぐ」と絶叫するように歌った。 「週刊」5月24日号の表紙を飾り、これまでと違いレモンを持って撮影に臨む。 本人は「早く素直になればよかったな、と(笑)素直になるって気持ちいいなと思うね」と述べた。 7月2日、ベストアルバム「」発売。 7月21日、『』にスペシャルゲストとして出演し、様々なニュースに対し持論を述べ、当時国会で議論が白熱していたの話題になった際には「を思い出してほしい。 若き自衛隊員がどれだけのことをやってくれたか。 彼らを死なせるのか。 彼らを死なせていいのか。 いまのこの流れでいくと、理屈はわからないんですけどね、感覚論としてね、戦争が近づいている気がするの。 もう紛れもなくそこに近づいている気がしますよ。 それをね、僕たちはどうやって阻止すべきかってことを非常に真剣に考える局面がありますよ」といった意見を述べた。 8月22日、静岡県のの麓の特設ステージで、全国から約10万人の観衆を集めてのオールナイトコンサートを敢行し、大成功を収めた。 4月1日、の校歌を作曲する(作詞:)。 11日に行われた開校式ではサプライズで登場し、校歌のほか「涙は大切な君の友達だから」「乾杯」を歌唱する。 シングルを立て続けに発売。 同年7月3日から8月21日まで Don't~ と同名のツアーを開始。 翌年に上映される監督の映画「太陽の家」に主演。 1999年の映画「英二」以来20年ぶり。 音楽 [ ] 使用ギターはレコーディングでは製(J-45、J-200等)、ライブでは製(NTP-012、TDP-512、TDP-515-6等)のエレアコを主に使用する。 エレクトリックギターは楽曲によってはライブでたまに使用する。 「アコースティックギターは弾くものじゃなく、叩くもの」という持論を持っている。 「叩く」といってもそれはあくまで「ギターを弾く力強さ」を「叩く」と表現しているのであって、例えばの影響が見られる奏法の「家族」、ライブバージョンの「逆流」や「シリアス」等で、ギターの弦を弾(はじ)いた直後に、手の平の腹部分でブリッジ付近を叩くように弾く奏法のことを言っているわけではない。 スタジオ録音作品はもちろんだが、ライブではいっそう、力強いピッキングでかきむしるような激しいコードストロークが聴ける。 使用(ブルースハープ)はTOMBOの「メジャーボーイ」。 現在一般的なハーモニカホルダーの形(テンホールズハーモニカ専用で、ハーモニカをセットする部分が狭くなっている)は彼が考案したものとのこと。 その時その時の人生をなすりつけたのが自身の音楽であるとしており、「30代での被害者意識も、その後の自責の念も、そのまま全部歌にしてきた」「つまり、己の弱さを歌にしてきたようなものだ。 その弱さを歌に叩きつけ、そこから這い上がるためにさらに歌を書いていく。 あとはお前ら聴く側が自由に受け止めてくれ!というのが長渕剛の音楽だ」という。 人物 [ ] 経歴 [ ] 鹿児島県警のの父親(長渕邦治)と母親(マス子)の次男として生を受けた。 兄(邦人)がいたが、生後100日程度の乳児期に病死しており、5歳年上の姉との2人姉弟だった。 子供のころのあだ名は「レオン」。 出生後まもなくで生死の境をさまよっていた。 幼い頃は体が非常に弱く、よくを起こし、病院通いが欠かせなかった。 音楽が楽しみで、同郷の、、、等のを好んで聴いていた。 中学3年の正月に3000円のを購入し、鉄弦を張り思いのままに好みの楽曲をコピーしていた。 鹿児島南高校の情報処理科の2期生として入学し、伊敷町から自転車で1時間近くかけて通っていた。 最初のうちは成績も良かったが、徐々に落ちていき、卒業するころには、下から数えた方が早い成績まで落ちたという。 上京後、初めて住んだ場所は、世田谷区の新代田のアパートである(このことは、自身も後に楽曲の中で歌詞にしている)。 8月、と結婚。 結婚式はハワイの教会で、仲人は吉田拓郎と浅田美代子夫妻(当時)だった。 当時、のライブハウスに飛び入りで現れた際、ステージのMCで、「俺は将来、を嫁さんにする」と発言していたが、様々な見解の相違を表面化させ、長渕のが決定的理由 [ ]で5月に離婚。 に『』()、『』(1987年)で共演したと再婚。 『親子ゲーム』の撮影中に志穂美が左手小指の付け根を骨折し、病院に向かう志穂美に長渕が付き添ったことが馴れ初めだった。 入籍のみで済ますつもりだった長渕だが、初婚である志穂美は「芸能人としてでなく、普通の人としてひっそり式を挙げたい」という希望から、に志穂美の師匠・が修行した寺の近くにあるのにて、双方の両親と親しい知人のみ出席して挙式。 志穂美は長渕の強い意向で芸能界を引退し、「クセのある男なので専業主婦したい」とこれ以降は芸能活動を行っていない。 に長女・を授かったのを皮切りに、2男1女を授かった。 結婚後、妊娠中の志穂美にもDVを振るっていたことが週刊誌に取り沙汰されたが 、出産後はの経験者だった志穂美がある程度やり返すようになり、敵わないと悟った長渕はを稽古するようになった。 なお、自身の息子(長男)も空手を嗜んでおり、ユースでは国内トップレベルの選手とのこと。 に、違反容疑で内偵を進めていた警視庁薬物対策課による家宅捜索を受け 、1グラムが自宅から発見された。 長渕は大麻吸引を認め、その場で違反でされたが、については否認し尿検査も陽性反応が出なかった。 この事件の捜査過程で、としていたことも明るみに出て [ ]、国生には記者会見で「薬物に対する(国生の)身の潔白と、長渕との関係も志穂美を交えて話し合い、関係を清算した」と発表されるなど歌手生命の危機に陥るも、志穂美の内助の功を得て復帰。 その後は度々トーク番組やバラエティー番組に出演するようになった。 のちに波乱万丈だった30代の頃を 「お金にまつわることや、まぁよくいる利権として群がる輩たち。 具体的には話さないが、騙された。 あの時期、裏切られたこと、たくさんあったな!はらわたが煮えくりかえるほど人を恨んだこともあった。 信頼する人間に欺かれると、自分のすべてをはぎ取られたように自暴自棄になる。 でも、しばらく経つと、思うんだ。 裏切る人間を近くに置いたのは誰よ?とね。 俺が選んだんじゃねえか!って。 若い時にヒット曲が生まれて、周りに人がたくさん集まってくると、自分が特別に思えてしまう。 有頂天になる。 人生に勝った気分になって、猿回しの猿のような己に気付かない。 そんな、どこまでも天狗になった自分の鼻をバーン!と蹴り折られたのが30代だったのかもしれない」「裏切った奴と街でばったり出会った時に、よっ、久しぶり!貴様!元気か?と笑える、本当の意味で強い人間になりたいと思った」と回想している。 2008年に長渕は事務所スタッフに暴行を働き辞められていたが 、2014年3月には元マネージャーから暴行による約200万円の賠償請求する訴えを起こされた。 これについて長渕の代理人弁護士は「事実無根」と反論している。 長渕は2003年にパーソナリティを務める『』で学校で暴力を振るってしまった、という高校生リスナーからのメールに答える形で「殴った自分が正しいと思えればいいんじゃないか。 我慢ならない時、あまりにもひどいじゃないかという時、俺は一発やっていいと思う。 これは『肉体言語』だよ。 『暴力』じゃないの。 ただし、要は殴り方なんですよ。 俺も時として『肉体言語』がポーンと出ることはあるよ。 でも反省はしてないし」と持論を展開している。 愛犬はホワイト・スイス・シェパードの「レオ」(平成27年11月26日永眠)、「アエラ」(令和元年6月22日永眠)、「パオ」とトイプードル「チビ」。 愛犬を歌った曲もある。 メールを打つときは絵文字も多用している。 を好み、その後 H2を購入する。 その時の取材で「H1は鉄が走っている感じ、あれは軍用車。 H2はオシャレに乗れていい」と語っていたが、桜島のコンサートを機にH1を購入。 1999年頃、自宅の近所にマンションが建設された際、自宅前にある道の車の往来が急に増え、さらに自分の子供がトラックに轢かれかけ「子供飛び出し注意」の巨大な看板(電飾、キャスター付)を自宅前に設置する。 に弱く一切飲まず、このことを語っている楽曲もいくつか存在する。 以前は喫煙者であったが、50代に差しかかってからで・肉体改造を成功させ、今までの生活習慣などを規則正しくした。 肉体改造などを行ったことについてはライブツアー期間中に体調を崩したことが影響しており、「自己流では、俺自身が理想とする音楽活動、ステージパフォーマンスはできない!体力的にも、見栄えも。 かっこいい衣装を探す前に、優秀なスタイリストに頼む前に、己の身体を作るのが先だ!そう確信した」としている。 自宅には高度なトレーニングマシンがあるという。 自身の詩画展、第一回「俺の太陽」(1999年)、第二回「赤鬼」(2000年)、第三回「情熱」(2004年)、第四回「情熱」(2005年)、第五回「殺気 黒い血が流れる日」(2013年)を全国各地で開催した。 その収益金の一部をで家を失った子供達等のために寄付した。 関連の開業キャンペーンの 風は南からの 風の書体をデザインしている。 その書体は、現在に展示している。 [ ]、、、、、、 、 、 、 、 、 らと交流があり、、、、、、、らも長渕の音楽性に影響を受けたという。 また、とは、大学時代の同じバイト仲間であり、現在も交友がある。 学歴 [ ]• (現:鹿児島県)生まれ。 鹿児島県育ち。 情報処理科卒業。 芸術学部中退。 家族 [ ] 妻は元の。 長女は女優の(あやね)。 長男はのWATARU こと航(わたる)。 次男は元ドライバーで、現在はのReN こと(れん)。 作品 [ ] 詳細は「」を参照 シングル [ ]• (1977年)• (1978年)• (1979年)• (1979年)• (1980年)• (1980年)• (1980年)• (1981年)• (1981年)• (1982年)• (1983年)• (1983年) - 『』(1983年、)テーマ曲• (1984年) - テレビドラマ『』(1984年、TBS系列)主題歌• (1985年)• (1985年)• (1986年) - テレビドラマ『』(1986年、TBS系列)主題歌• (1987年) - テレビドラマ『』(1987年、TBS系列)主題歌• (1987年)• (1988年)• (1988年)• (1988年) - テレビドラマ『』(1988年、TBS系列)主題歌• (1989年) - 『』(1989年、)テーマソング• (1989年) - 映画『』(1989年、東映)テーマソング• (1990年)• (1991年) - テレビドラマ『』(1991年、)主題歌• (1992年)• (1993年) - テレビドラマ『』(1993年、TBS系列)主題歌• (1994年)• (1995年) - テレビドラマ『』(1996年、)主題歌• (1996年) - 『』(1994年 - 2012年、フジテレビ系列)1996年4月-6月のエンディング・テーマ曲• (1997年) - テレビドラマ『』(1997年、テレビ朝日系列)テーマソング• (1998年) - テレビドラマ『』(1998年、テレビ朝日系列)主題歌• (1998年)• (1999年)• (2001年)• (2002年)• (2003年)• (2004年) -• (両A面)(2005年) - 映画『』(2005年、東映)主題歌• (2006年)- KANSAI SUPER SHOW「太陽の船」イベントテーマソング。 (2009年)• (2009年)• (2010年)• (2010年) - 映画『』(2010年、)日本版主題歌• (2011年)• (2012年)• (2013年) - 『』(2013年、NHK)主題歌• (2014年) - イメージソング。 (2014年) - 紅白歌合戦出場曲、配信限定シングル• (2015年)• (2017年)配信限定シングル• (2017年)配信限定シングル• (2018年)配信限定シングル• (2018年)配信限定シングル• (2020年)feat アルバム [ ]• (1979年3月5日)• (1979年11月5日)• (1980年9月5日)• (1981年10月1日)• (1982年9月1日)• (1983年6月21日)• (1984年8月18日)• (1985年8月22日)• (1986年10月22日)• (1987年8月5日)• (1989年3月25日)• (1990年8月25日)• (1991年12月14日)• (1993年11月1日)• (1996年1月1日)• (1997年9月3日)• (1998年10月14日)• (2001年6月27日)• (2003年5月14日)• (2007年5月16日)• (2009年8月12日)• (2010年11月10日)• (2012年5月16日)• (2017年8月16日) 公演 [ ] 年 形態 タイトル 公演規模・会場・セットリスト 収録作品 コンサートツアー 長渕剛コンサートツアー'79 1980年 長岡市立劇場 新潟県民会館 琉球新報ホール 山梨県民会館 山形市民会館 仙台市民会館 姫路市民会館 広島郵便貯金ホール 津山文化センター 松戸市民会館 渋谷公会堂 小田原市民会館 千葉市民会館 福井文化会館 金沢観光会館 富山市公会堂 横浜青少年ホール 八戸市公会堂 岩手県民会館 秋田県民会館 岐阜市民会館 豊橋勤労福祉会館 静岡市民文化中ホール 松山市民会館中ホール 丸亀市民会館 徳島郷土文化会館 高知県民会館 和歌山市民会館 堺市市民会館 大宮 長野市民会館 那覇市民会館 八王子市民会館 渋谷公会堂 渋谷公会堂 名古屋市民会館 千葉市民会館 1981年 調布グリーンホール アルバム『』 1981年 コンサートツアー 長渕剛LIVE'81 渋谷公会堂 徳島文化センター 福岡市民会館 伊勢観光文化会館 長野市民会館 新潟市民会館 長岡市民会館 福井文化会館 札幌厚生年金会館 旭川市文化会館 釧路市民会館 宇都宮市文化会館 岩手県民会館 秋田県民会館 弘前市民会館 高知県民ホール 今治市民会館 和歌山県民会館 京都会館 神戸国際会館 足利市民会館 福岡サンパレス 鹿児島文化センター 宮崎市民会館 那覇市民会館 立川市民会館 松戸市民会館 倉敷市民会館 岩国市民会館 郡山市民会館 宮城県民会館 大阪フェスティバルホール 姫路市民会館 岐阜市民会館 静岡市文化会館 名古屋市民会館 川崎産業文化会館 小田原市民会館 渋谷公会堂 渋谷公会堂 別府観光会館 小倉市民会館 広島郵便貯金会館 - コンサートツアー 長渕剛 CONCERT TOUR'81 那覇市民会館 下関市民会館 熊本市民会館 銚子市民会館 千葉県文化会館 群馬県音楽センター 徳島文化センター 丸亀市民会館 新浜市民文化会館 松山市民会館 札幌厚生年金会館大ホール 京都会館 和歌山県民会館 堺市民会館 新潟県民会館 富山市公会堂 上越市文化会館 金沢居工業大学体育会館 青森市民会館 北上市民会館 石巻市民会館 茨城県民文化センター 渋谷公会堂 福山市民会館 島根県民会館 岡山市民会館 広島郵便貯金ホール 鶴岡市文化会館 山形県民会館 福島県文化センター 東京厚生年金会館 桐生産業文化会館 高槻市民会館 大阪フェスティバルホール 神戸国際会館 浜松市民会館 豊橋勤労福祉会館 四日市市民会館 松本市民会館 山口市民会館 福岡サンパレス 長崎公会堂 鹿児島県文化センター 神奈川県民ホール - 1982年 コンサートツアー 長渕剛 CONCERT TOUR'82 沖縄市民会館 大分文化会館 佐世保市民会館 小倉市民会館 久留米市民会館 川崎産業文化会館 小田原市民会館 宇都宮文化会館 山梨県民会館 武雄市文化会館 宮崎市民会館 国分市民会館 八王子市民会館 埼玉会館 名古屋市民会館 大津市民会館 姫路文化会館 観音寺市民会館 今治市公会堂 高知県民会館 高松市民会館 鳥取市民会館 倉敷市民会館 防府市文化福祉会館 岩国市民会館 福井県民会館 金沢厚生年金会館 長岡市立劇場 柏崎市民会館 静岡市文化会館 西宮市民会館 足利市民会館 函館市民会館 室蘭文化センター 旭川文化センター 釧路市民文化会館 岩手県民会館 日比谷野外音楽堂 - 1982年 - コンサートツアー 長渕剛 CONCERT TOUR'82 - '83 時代は僕らに雨を降らしてる 1982年 大分文化会館 長崎市公会堂 沖縄市民会館 那覇市民会館 豊橋勤労福祉会館 四日市市文化会館 神戸国際会館 大阪フェスティバルホール 大阪フェスティバルホール 京都会館 千葉文化会館 大宮市民会館 金沢観光会館 富山市公会堂 上越市文化会館 倉敷市民会館 島根県民会館 広島郵便貯金ホール 広島郵便貯金ホール 日本武道館 新潟県民会館 新潟県民会館 群馬県民会館 宇都宮文化会館 茨城県民文化センター 郡山市民文化センター 山形県民会館 徳島市立文化センター 高知県民文化センター 高松市民会館 松山市民会館 福岡サンパレス 福岡サンパレス 1983年 和歌山県民会館 姫路市文化センター 北海道厚生年金会館 神奈川県民ホール 小田原市民会館 武雄市文化会館 熊本市民会館 鹿児島県文化センター 鹿児島県文化センター 宮城県民会館 岩手県民会館 青森市文化会館 秋田県民会館 愛知県民会館 - 1983年 単発コンサート SUPER LIVE IN 西武球場• 長いのぼり坂• 巡恋歌• 夏の恋人• 君は雨の日に• Don't Cry My Love• 冷たい外国人• 俺らの旅はハイウェイ• 銀色の涙とタバコの煙• 涙のセレナーデ• 僕のギターにはいつもHeavy Gauge• 俺らの家まで• いかさまだらけのルーレット• どしゃぶり Rainy Day• 賞金めあての宝さがし• 愛してるのに• 時代は僕らに雨を降らしてる• 恋人時代• 乾杯 アルバム『SUPER LIVE IN 西武球場』 ビデオ『SUPER LIVE IN 西武球場』 1983年 - コンサートツアー LIVE'83 - '84 JUST HEAVY GAUGE 1983年 札幌市民会館 旭川市文化会館 千葉県文化会館 八王子市民会館 大阪フェスティバルホール 大阪フェスティバルホール 京都会館 九電記念体育会館 那覇市民会館 浜松市民会館 山梨市民文化会館 岡山市民会館 徳山市民会館 広島郵便貯金会館 広島郵便貯金会館 岩手県民会館 山形県民会館 宮城県民会館 青森市文化会館 宮崎市民会館 佐世保市民会館 大分市民会館 滋賀県民文化センター 宇都宮文化会館 長野市民会館 富山市公会堂 石川厚生年金会館 弘前市民会館 秋田県民会館 徳島市文化センター 松山市民会館 高松市民会館 高知県文化ホール 徳島市文化センター 新潟県民会館 長岡市立劇場 福井市文化会館 名古屋市民会館 名古屋市民会館 神奈川県民ホール 沼津市文化ホール 静岡市文化ホール 神戸国際会館こくさいホール 大阪フェスティバルホール 和歌山県民会館 鹿児島市文化ホール 鹿児島市文化ホール 1984年 日本武道館 日本武道館 1984年 宮崎市民会館 熊本市民会館 那覇市民会館 大阪フェスティバルホール 大阪フェスティバルホール 大阪フェスティバルホール 八王子市民会館 千葉県文化会館 埼玉会館 長岡市立劇場 新潟県民会館 長野県民会館 金沢市観光会館 弘前市民会館 岩手県民会館 浜松市民会館 群馬県民会館 名古屋県民会館 名古屋県民会館 奈良文化会館 茨城県立文化センター 宇都宮市文化会館 北海道厚生年金会館 神奈川県民ホール 広島郵便貯金会館 広島郵便貯金会館 倉敷市民会館 島根県民会館 徳島市立文化センター 高松市民会館 松山市民会館 高知県民文化ホール 仙台市民会館 静岡市民文化会館 大分市文化会館 福岡サンパレス 鹿児島市民文化ホール 鹿児島市民文化ホール 大阪城ホール 1985年 日本武道館 日本武道館 1985年 千葉県文化会館 長崎市公会堂 熊本市民会館 那覇市民会館 八王子市民会館 浦和市文化センター 小田原市民会館 大阪フェスティバルホール 大阪フェスティバルホール 渋谷公会堂 渋谷公会堂 渋谷公会堂 静岡市民文化会館 茨城県立文化センター 宇都宮市文化センター 宮城県民会館 宮城県民会館 岩手県民会館 八王子市民会館 宮崎市民会館 大分文化会館 山口市民会館 和歌山県民文化会館 神戸国際会館こくさいホール 京都会館 浜松市民会館 浦和市文化センター 松山市民会館 高松市民会館 高知県民文化ホール 徳島市立文化センター 名古屋市立公会堂 名古屋市立公会堂 横浜文化体育館 広島郵便貯金会館 広島郵便貯金会館 長野県民文化会館 松本社会文化会館 新潟県民会館 長岡市立劇場 群馬県民会館 山梨県民文化ホール 島根県民会館 倉敷市民会館 徳山市文化会館 鹿屋市文化会館 鹿児島市民文化ホール 鹿児島市民文化ホール 豊田市民文化会館 福岡サンパレス 福岡サンパレス 熊本市民会館 1986年 八戸公会堂 青森市民文化会館 郡山市民文化会館 北海道厚生年金会館 大阪城ホール 大阪城ホール 日本武道館 日本武道館 ビデオ『HUNGRY TOUR 1986. 22 THE 4DAYS LIVE』 ビデオ『明日へ向かって 1985-1986 長渕剛の記憶』 1986年 - コンサートツアー LIVE'86 - '87 STAY DREAM 豊田市民文化会館 金沢市観光会館 長野県県民文化会館 鹿児島県総合体育センター 鹿児島県総合体育センター 神戸ワールドホール 徳島市文化センター 香川県県民ホール 愛媛県県民文化会館 福岡国際センター 長崎市公会堂 宮崎市民会館 京都PULSEプラザ 徳山市文化会館 広島サンプラザホール 岡山市総合体育館 国立代々木競技場 国立代々木競技場 青森市文化会館 岩手県民会館 仙台市体育館 新潟市産業センター 名古屋レインボーホール 名古屋レインボーホール 大阪城ホール 札幌月寒グリーンドーム 大阪城ホール 大阪城ホール 横浜アリーナ 横浜アリーナ アルバム『長渕剛LIVE'89』 - コンサートツアー LIVE'90 - '91 JEEP 山梨県民文化ホール 群馬県民会館 宇都宮市文化会館 豊田市民文化会館 滋賀県立文化産業交流会館 徳島市文化センター 福井フェニックスプラザ 金沢観光会館 神戸国際記念ホール 神戸国際記念ホール 和歌山県民文化会館 名古屋レインボーホール 名古屋レインボーホール 香川県民ホール 愛媛県民文化会館 浜松アリーナ 大阪城ホール 大阪城ホール 岡山市総合体育館 広島サンプラザホール 新潟県民会館 新潟県民会館 長野県民文化会館 山形市総合スポーツセンター 室蘭新日鉄ホール 札幌月寒グリーンドーム 仙台市体育館 国立代々木競技場 国立代々木競技場 国立代々木競技場 国立代々木競技場 国立代々木競技場 徳山市文化会館 福岡国際センター 鹿児島県立体育館 鹿児島県立体育館 熊本市民会館 郡山市民会館 青森市文化会館 岩手県民会館 横浜アリーナ 横浜アリーナ ビデオ『カラス LIVE from '90 - '91 JEEP TOUR』 コンサートツアー LIVE'92 JAPAN 愛媛県民文化会館 徳山市文化会館 香川県民ホール 香川県民ホール 福井フェニックスプラザ 名古屋レインボーホール 名古屋レインボーホール 日本武道館 日本武道館 日本武道館 日本武道館 日本武道館 日本武道館 山梨県民文化ホール 神戸国際県民ホール 神戸国際県民ホール 京都会館 和歌山県民文化会館 大阪城ホール 横浜アリーナ 横浜アリーナ 岩手県民会館 広島市民文化センター 仙台サンプラザホール 仙台サンプラザホール 山形市総合スポーツセンター 浜松アリーナ 宮崎市民会館 鹿児島アリーナ 鹿児島アリーナ 岡山市総合文化体育館 福岡国際センター 群馬県民会館 宇都宮市文化会館 名古屋レインボーホール 広島サンプラザホール 静岡市民文化会館 青森市文化会館 真駒内アイスアリーナ 新潟県民会館 新潟県民会館 長野県民文化会館 大阪城ホール 大阪城ホール• 勇気の花• すっからぴんのからっけつ• パラシュート• ひまわり• くしゃみじゃなくてよかったよ• 涙色の流星• He・la-He・la• 10年前の帽子• 女よ、GOMEN• SUPER STAR• 西新宿の親父の唄• HOLD YOUR LAST CHANCE 2001• 少年よ、君は強くなる• とんぼ• しゃぼん玉• 泣いてチンピラ• コオロギの唄• 三羽ガラス• 勇気の花• ろくなもんじゃねえ• ファイティングポーズ• シェリー• JEEP• 俺らの旅はハイウェイ• He・La-He・La• 俺の太陽• 泣いてチンピラ• 女よ、GOMEN• 花菱にて• Myself• 友への手紙• くそったれの人生• しゃぼん玉• 静かなるアフガン• NEVER CHANGE• 夏祭り• 東京青春朝焼物語• 僕のギターにはいつもHeavy Gauge• 巡恋歌• とんぼ• HOLD YOUR LAST CHANCE アンコール• ひまわり• SHA-LA-LA• 明日へ向かって• STAY DREAM DVD『9. 主演は 太字。 テレビドラマ [ ]• うさぎの休日(1988年、)• 少年「おかめさん」(2002年、TBS)- トラックの運転手 役• (2010年、TBS)- 秋吉部隊長 役 映画 [ ]• HOT JAM'80 我らが熱き日々(1980年、)• (1986年、)- 倉田健吾 役• 長渕剛の(1979年 - 1980年、)• 長渕剛のひたすら60分(1980年、ニッポン放送)• 長渕剛の(1985年、TBSラジオ)• (2003年、ニッポン放送)• (2011年4月 - 、・・・・(以上系)、()、・・・(以上)、から各局ネット)• (2014年10月 - 2015年6月、をキー局に38局フルネット) - CM [ ]• 、(ナレーション)(1986年)• 、チョコバー「body」(1988年)• 、携帯電話「A1403K」(2004年)• 「」(2014年)• - にある霊園。 20歳の頃にメジャーデビュー前に「霊園ソング」を製作。 レコーディングは1回で済ませ、ギャラは1万円で請け負った。 なお、本人は一切出演していない。 音楽 [ ]• (日本テレビ、1979年1月28日)「いつものより道もどり道」「俺らの家まで」• (日本テレビ、1979年7月22日)「風は南から」「訣別」「夏まつり[のちの夏祭り]」「祈り」「ポーラースター」• (TBS、1980年7月31日)「順子」• (TBS、1980年8月7日)「順子」 - 「HOT JAM'80」の会場(静岡の日本平)からの中継• 「ホットジャム'80我らが熱き日々」(TBS、1980年8月17日)「巡恋歌」「順子」「静岡の夜は静岡」「逆流」• 「ザ・ライブ」(長渕剛Live at 日比谷野音)(日本テレビ、1982年6月20日)「Hurry Up」「順子」「花いちもんめ」• 「ザ・ライブ」(長渕剛Live at 日比谷野音)(日本テレビ、1982年6月27日)「賞金めあての宝さがし」「碑」「乾杯」• (、1983年5月2日)「恋人時代」• (、1983年6月)「いかさまだらけのルーレット」「恋人時代」「冷たい外国人」「DON'T CRY MY LOVE」• (フジテレビ、1983年9月23日)「GOOD-BYE青春」• (TBS、1983年10月13日)「GOOD-BYE青春」 - スポットライトでの出演• (フジテレビ、1983年10月24日)「GOOD-BYE青春」• (TBS、1983年11月3日)「GOOD-BYE青春」• (フジテレビ、1983年11月14日)「GOOD-BYE青春」• 「長渕剛スペシャル 最高の夜だぜ」(TBS、1985年2月18日)「俺らの旅はハイウェイ」「孤独なハート」「言わんこっちゃないさ」「GOOD-BYE青春」「どしゃぶり Rainy Day」「COME BACK TO MY HEART」「SHA-LA-LA」「LONG LONG TIME AGO」「Time Goes Around」「ファイティングポーズ」「WAKE-UP! IT'S MORNING」「賞金めあての宝さがし」「HOLD YOUR LAST CHANCE」• DX(フジテレビ、1985年4月24日)「微熱かナ」「久しぶりに俺は泣いたんだ」• DX(フジテレビ、1985年7月31日)「愛のこころ」「勇次」• (フジテレビ、1985年7月)「勇次」• (TBS、1986年8月7日)「SUPER STAR」• DX(フジテレビ、1986年4月30日)「スターダスト・トレイン」「Don't Cry My Love」• (フジテレビ、1986年9月1日)「SUPER STAR」• DX(フジテレビ、1987年3月4日)「Stay Dream」• (TBS、1987年6月18日)「ろくなもんじゃねえ」• (フジテレビ、1987年9月9日)「ろくなもんじゃねえ」「泣いてチンピラ」• (TBS、1987年12月24日)「ろくなもんじゃねえ」• (TBS、1987年12月31日)「ろくなもんじゃねえ」「LICENSE」• DX(フジテレビ、1988年1月27日)「乾杯」• (TBS、1988年2月18日)「乾杯」• (TBS、1988年3月3日)「乾杯」• DX(フジテレビ、1988年5月18日)「Never Change」• (TBS、1988年12月1日)「とんぼ」• DX(フジテレビ、1989年3月8日)「とんぼ」「激愛」• DX(フジテレビ、1989年12月13日)「しょっぱい三日月の夜」• SUPER(フジテレビ、1990年2月28日)「お家へ帰ろう」「いつかの少年」「とんぼ」• DX(フジテレビ、1990年7月25日)「巡恋歌」「カラス」「Jeep」• (、1991年12月13日)「He・La-He・La」「とんぼ」「シリアス」「しゃぼん玉」「MOTHER」• (、1990年12月31日)「親知らず」「いつかの少年」「乾杯」• LIVE JAPAN '93(WOWOW、1993年12月31日)「JAPAN」「女よ、GOMEN」「愛してるのに」「MOTHER」「He・La-He・La」「西新宿の親父の唄」「RUN」• 栄光のミリオンスターBIG3 夢の競演(フジテレビ、1994年1月2日)「RUN」「ガンジス」「心配しないで」• 長渕剛スペシャル(フジテレビ、1995年12月31日)「友よ」「HOLD YOUR LAST CHANCE」「夏祭り」「俺らの家まで」「傷まみれの青春」「家族」• (フジテレビ、1996年1月15日)「家族」• (フジテレビ、1999年10月17日)「とんぼ」「巡恋歌」「HOLD YOUR LAST CHANCE」「乾杯」• (フジテレビ、1999年10月18日)「とんぼ」「Stay Dream」• 人間じゃ(NHK-BS2、1999年10月23日)• (日本テレビ、2002年6月21日)「JEEP」「静かなるアフガン」• BSスペシャル スーパーライブ 長渕剛 9. 7 in 横浜スタジアム LIVE〜野外大爆発!32,475人燃える〜(NHK-BS2、2003年1月30日)「三羽ガラス」「ろくなもんじゃねえ」「ファイティングポーズ」「シェリー」「泣いてチンピラ」「俺らの道はハイウェイ」「女よ、GOMEN」「花菱にて」「Myself」「くそったれの人生」「しゃぼん玉」「Never Change」「俺のギターにはいつもHeavy Gauge」「巡恋歌」「とんぼ」「勇次」「Hold Your Last Chance」「Sha-La-La」「Stay Dream」「明日へ向かって」• (テレビ朝日、2003年4月25日)「しあわせになろうよ」• (NHK、2003年5月1日)「勇気の花」「He・La-He・La」「とんぼ」「しあわせになろうよ」• (、2003年11月3日)「狼たちの遠吠え(森進一のバック)」「しあわせになろうよ」• (フジテレビ、2004年2月29日)「泣いてチンピラ」• (テレビ朝日、2004年12月3日)「金色のライオン」• わたしはあきらめない(NHK、2004年3月10日)「Stay Dream」• 長渕剛スペシャル 情熱- ROAD TO SAKURAJIMA -(MBC南日本放送、2004年3月11日)• (テレビ朝日、2004年12月3日)「金色のライオン」• (テレビ朝日、2006年10月10日)「愛してるのに」• (テレビ朝日、2006年10月17日)「愛してるのに」「お家へかえろう '04」「激愛」「KAGOSHIMA 中央 STATION」「ろくなもんじゃねえ」「COME BACK TO MY HEART」「東京青春朝焼物語」「MYSELF」「夕焼けの歌」「STAY DREAM」• (フジテレビ、2010年11月20日)• (、2011年7月13日)「乾杯」「TRY AGAIN for JAPAN」「お家へかえろう」• PREMIUM 長渕剛 Part. 1(、2011年10月6日)「12色のクレパス」「STAY DREAM」「Success」「TRY AGAIN」• PREMIUM 長渕剛 Part. 2(、2011年10月13日)「乾杯」「TRY AGAIN for JAPAN」「いつものより道もどり道」「西新宿の親父の唄」「しあわせになろうよ」「お家へ帰ろう」• (、2011年12月31日)「ひとつ」• (、2012年1月28日)「ひとつ」• (、2012年2月24日)「ひとつ」• SP-愛おしきあなたへ-(、2012年3月11日)「しあわせになろうよ」「ひとつ」「愛おしき死者たちよ」• 東北の空には歌がある-長渕剛 震災から500日の軌跡-(、2012年11月4日)「ガーベラ」「カモメ」「日本に生まれた」「明日をくだせえ」「お家へ帰ろう2011」「ひとつ」「愛おしき死者たちよ」「Stay Alive」「Run for Tomorrow〜明日の為に〜」• (、2014年7月12日)「とんぼ」「順子」「逆流」「Myself」• ライブスペシャル-オールタイム・ベストライブ-(、2014年7月19日)「親知らず」「カラス」「明日をくだせえ」「Tomorrow」「逆流」「Myself」「とんぼ」「走る」「RUN」• (、2014年12月31日)「明日へ続く道」• 4K総合 596ch 、2015年7月26日)「RUN」「とんぼ」「ヒロイン」「乾杯」「プロポーズ」「二人歩記」「Thank You Woman」「俺の太陽」「Please Again」「富士の国」• インタビュー ここから スペシャル(、2016年1月11日)• 100年インタビュー 音楽家 長渕剛(、2016年1月19日)• (フジテレビ、2016年12月7日)「乾杯」• (フジテレビ、2017年4月16日)「Loser」「福島県立小高産業技術高等学校 校歌」「涙は大切な君の友達だから」「乾杯」• (、2017年7月15日・16日)「とんぼ」「Stay Dream」「Black Train」• (フジテレビ、2017年8月19日)「マジヤベエ!」「夏祭り」「巡恋歌」「プロポーズ」「Can you hear me? (、2017年8月19日)「Black Train」• 」EN-2「俺らの家まで」「さようならの唄」• (、2017年8月26日)「Loser」• PREMIUM BIRTHDAY LIVE AT 大阪城ホール(、2018年2月24日)• 『BLACK TRAIN』ONE NIGHT PREMIUM LIVE AT 日本武道館(、2018年3月2日)• 書籍 [ ] 著書 [ ]• 『俺らの旅はハイウェイ』八曜社、1981年、• 『君はギターの弦を切ったことがあるか』長渕剛、面谷誠二共著、八曜社、1984年、• 『長渕剛詩集』、1988年、• 『前略、人間様。 :長渕剛詩画集』、2001年、• 『情熱:長渕剛詩画集』、2004年、• 『長渕語・録』、2014年、 写真集 [ ]• 長渕剛 文、広瀬飛一 撮影『「人間」:あなたに会えてよかった』、1992年、 題材とした書籍 [ ]• 『あいつの本音:長渕剛からまで13人』、1981年、• 黒土三男『とんぼ』、1989年、• 矢吹光『長渕剛vs桑田佳祐』、1995年、• 『いのちの器』双葉社、1995年、• 寺尾陽子『生きててよかった:移植を拒否して心臓病とたたかう27歳の勇気の記録』リヨン社、1995年、 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 詳細は「略歴」の年譜参照。 2014年11月14日閲覧。 」 1990年12月31日放送• カドカワムック『別冊カドカワ 総力特集 長渕剛』角川マガジンズ、2010年12月17日、94頁。 1991年3月• 1991年12月13日放送• TOKYOFM、SCHOOL OF LOCK、 2014年12月6日. 2015年8月31日閲覧。 「[3号連続企画第1弾]歴代表紙コレクション・1」『週刊ザテレビジョン』2011年10月7日号。 2014年7月1日. 2014年12月9日閲覧。 30)• 2016年10月31日閲覧。 サーチナ 2010年6月16日• スポーツ報知 2015年2月25日• 2012年8月13日閲覧。 2016年9月2日閲覧。 RealSound 2014年10月24日. 2014年10月26日閲覧。 1 2013年3月4日. 2014年12月9日閲覧。 日刊ゲンダイ. 3 2013年3月4日. 2014年12月9日閲覧。 日刊ゲンダイ. 2 2013年3月4日. 2014年12月9日閲覧。 , 2010年, 147, p. 『最強を極める空手入門』p. 2010年10月24日. 2014年10月26日閲覧。 2007年2月16日 対談記事より。 2010年7月3日 での記事より。 2005年5月13日 芸能面での記事より。 NEWSポストセブン 2013年11月25日. 2014年10月26日閲覧。 2014年4月14日. 2014年10月26日閲覧。 長渕剛 HP. 2014年10月26日閲覧。 2015年1月2日閲覧。 オフィシャルウェブサイト. 2014年10月26日閲覧。 参考文献 [ ]• 編集部『長渕剛:民衆の怒りと祈りの歌』2015年11月• 『長渕剛論 歌え、歌い殺される明日まで』毎日新聞出版、2016年7月 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• (公式サイト)• (公式サイト)• (公式サイト)•
次のもくじ• barks. その内容とは『ミュージシャンの長渕剛さんが、清原和博容疑者と共に覚せい剤を使用していた』というもの。 さらに2人をよく知る関係者からの「帝国ホテルのスイートルームに2人で篭ってシャブをキメていた」との証言もあり、ネット上では『長渕剛さんの逮捕も間近』として大きな話題となっています。 長渕剛さんといえば、プロ野球引退セレモニーで自身のヒット曲「とんぼ」を熱唱するなど、清原和博容疑者とは公私共に非常に仲が良いことでも知られています。 このため清原容疑者が逮捕された直後には、すでに「長渕もやってたんじゃないの?」という疑惑が持ち上がっていたほどです。 清原和博容疑者の逮捕後、本人と繋がりがあったとされるプロ野球選手や芸能人の名前を挙げていた週刊誌は数多くありましたが、あくまでも『イニシャル』や『匿名』での報道というスタンスが一般的でした。 もちろんこれは、後に『名誉毀損』として訴えられることを避けるための出版社側の対処なのですが、今回に限っては週刊新潮が『長渕剛』という実名を載せたことで、世間からは「裁判を起こされても名誉毀損にならないだけの証拠をもっているのでは?」と見られているようです。 実際に、長渕剛さんが所属する事務所も「事実無根」「長渕も激怒している」としたうえで、裁判を起こすことも辞さないと公言しており、今後の警察の動きにも注目が集まっています。 【関連記事】 一般ネットユーザーのシビアな意見 実名ではっきり書かれたったってことは、Xデー間近なのか。 長渕剛さんは、ファンの人たちの間では「熱い男」として知られているようですが、そのキャラクターがかなり強烈であるため、一般の人たちからすると「ちょっと危ない人」というイメージがあるようです。 そのため、長渕剛さんに『覚せい剤使用疑惑』が持ち上がった際にも、長渕さんをよく知らない多くの一般人は「覚醒剤をやっていてもおかしくない」と感じてしまったのかもしれません。 さらには、記事を書いた週刊新潮へも怒りのコメントが集まっているようです。 長渕のファンでもなんでもない奴が長渕を語らないで貰える?確かに過去のことはあるけど、今の長渕はホントしっかりした人だろうが。 東日本大震災の後の長渕の行動みても、シャブやってる人間があんな賢明な行動出来るわけないだろ このように、長渕ファンの方々は「長渕剛という人間を知らないくせに!」と、かなりご立腹のご様子。 また、長渕さんのことを悪く言われて反撃するファンがいる一方で「下手にコメントをすれば面白がって反論する奴らが増える」と、静観しているファンの方も多いようです。 確かに長渕剛さんには、かつて大麻取締法違反で逮捕されたという過去がありますが、対する週刊新潮も、過去9年間で75件も『名誉毀損』で訴えられ、敗訴しています。 またネット上では、ASKA容疑者や酒井法子さんが覚醒剤使用の疑いで逮捕された際『他の芸能人の芋づる逮捕』がなかった点も指摘されていますが、今回の清原容疑者の件では、警察も「2020年の東京オリンピック開催に向け、覚醒剤使用の疑いのある人物の逮捕に本腰を入れている」ともいわれています。 果たして今後、長渕剛さんやその他の芸能人の『芋づる逮捕』はあるのか、今しばらくは清原容疑者関連のニュースからは目が離せないようです。
次の