今回は、家庭料理の基本として、肉じゃがはもちろん、鶏のから揚げや照り焼き、魚の煮付け、炊き込みご飯、筑前煮、豚汁、ちらし寿司、おでん、豆ご飯、親子丼、肉野菜炒め、ほうれん草のおひたしなど、和食をメインに13品をご紹介。 さらに、料理が苦手な初心者さんでも簡単に作れるように、美味しく仕上がるポイントやコツも合わせて紹介するので、失敗なく作れちゃいますよ。 2017年04月21日更新 お子さんのいるご家庭は甘~い味付けで。 大人用にお酒のお供やご飯のおかずにするなら、ちょっぴり濃いめの味付けで。 柔らかジューシーな鶏の照り焼きは、誰にでも喜ばれる万能料理なので、たくさん作って冷凍、お弁当のおかずにしても良いですね。 美味しく仕上げるには、鶏肉の下準備がポイントです。 まずは、臭みの原因の余分な脂や皮を切り落としましょう。 そして、たれの染み込みをよくするためにフォークや串などで皮目を何度かつきます。 焼き方にも注意。 必ず、皮目から焼きます。 ちなみに、切り身のお魚を焼く場合は、「海の魚は身から!川の魚は皮から!」と覚えておきましょう。 砂糖を入れるとフライパンに焦げ付きやすくなるので注意! 砂糖の代わりにはちみつを使っても。 忙しいお母さんがささっと作ってくれる肉野菜炒め。 ピリッとさせたいときは七味を足したり、あらびきコショウを足したり。 シンプルな料理こそ、美味しく作るのは難しいもの。 この2つのポイントをきちんと押さえれば、お店で食べるようなおいしい野菜炒めを家庭でも作ることができます。 炒める具材は、お好みでOKですが、秋冬には甘みも食感も楽しめる白菜がおすすめです。 「野菜の切り方」のコツは、大きさを合わせて火通りを均一に近づけること。 「炒め方」のコツは、合わせ調味料をあらかじめ準備しておいて、中火~強火の強めの火加減でサッと炒めること。 野菜の水分が出ないよう一気に炒めましょう。 熱を逃がさないよう、フライパンは振らずに炒めてくださいね。 一見ハードルの高そうな魚の煮付け。 切り身の魚よりも旨味がしっかりと出るので、魚好きの方にはおすすめの料理です。 フライパンや普通の鍋でも作れますが、圧力鍋で煮ると骨まで食べられるようになるので、魚の骨が苦手な方はお試しくださいね。 面倒な場合は、ウロコ取りなどの下処理を行ってくれるお店もありますので、頼んでみても。 煮汁は、サゴ、メバル、金目鯛、ブリなど、魚の煮付けの基本となる味付けなので、どんな魚にも応用できます。 一緒に合わせる野菜は、長ねぎやごぼう、レンコン、筍、など甘辛く炊いて美味しいものを。 魚自体に味を染み込ませようとすると、煮すぎて身が硬くなってしまうこともあるので注意くださいね。 おでんの作り方はいたって簡単。 だし汁を作り、そこに好きな具材を入れるだけ。 「火加減」で大切なのは、沸騰させないこと! コトコト1時間くらいゆっくりと煮込みましょう。 「具材を入れるタイミング」は、大根やこんにゃくなどじっくり味を染み込ませたいものは、はじめから。 そのままでも美味しい、焼ちくわ、さつま揚げ、ごぼう天などの練り物は、おでんのだし汁を楽しみたいときは最後に。 だし汁に練り物の旨味を加えたいときは、はじめから入れましょう。 「味を染み込ませる時間」は半日ほど置いた方が味が染み込んで美味しいので、前日の夜に作って、翌日の夜に食べるくらいがおすすめです。 真っ白なごはんに、ヒスイ色のグリーンが爽やかな豆ご飯。 豆ご飯というと、グリンピースをイメージされる方も多いと思いますが、大阪ではえんどう豆の一種、「うすいえんどう」を使います。 筍ご飯と同じように、大阪では「春の風物詩」となっているんですよ。 控えめな塩味にえんどう豆の美味しさがつまった豆ご飯は、ちょっと懐かしさを感じる家庭料理としておすすめです。 大阪の豆ご飯では、和歌山産の「うすいえんどう」を使いますが、さやつきのえんどう豆でも作れます。 ポイントは、豆を後から混ぜるのではなく、はじめから炊き込むこと。 ごはんと豆の風味がよくなじみ、美味しく仕上がります。 炊飯器でも作れますが、おすすめは土鍋やストウブなど、鍋で炊く方法。 フタを開けた瞬間のごはんと豆の香りをぜひ味わってください。 メインの料理も大切ですが、小鉢料理が作れると一気に食卓が充実します。 その副菜の代表料理といえば、ほうれん草のおひたし。 基本の作り方をマスターすれば、他の野菜で作ることもできます。 春なら「菜の花、たけのこ、キャベツ」、夏なら「モロヘイヤ、オクラ」、秋なら「きのこ、小松菜」、冬なら「ほうれん草、水菜、ブロッコリー、白菜」など季節の食材で試してみてくださいね。 特に水気の絞り方は重要で、切る前はもちろん、切った後にも必ずもう一度しっかりしぼってください。 ひとかたまりごとに手にもって、ぎゅっと水けをしぼり出しましょう。 ひたす時間は、1時間以上を目安に。 常備野菜としてもおすすめですよ。
次の日本は南北に長くのびた列島で、海や川、山、平野などさまざまな地形があります。 地域 ちいきごとの気候や風土にもずいぶんちがいがあり、その土地ならではの四季折々の海の 幸 さち・山の 幸 さちにめぐまれています。 これまで、そうした自然の味をいかした料理を作り、たいせつに食べてきました。 食材をむだなく使うために調理や 保存 ほぞんにくふうをし、四季を味わうために料理の 器 うつわ、 盛 もり付け、部屋のかざりに気を配り、お正月などの行事に合わせた特別なごちそうを作り出してきました。 このように自然のめぐみを 尊重 そんちょうしつつ、 暮 くらしの中で伝えられてきたくふうの上に、海外の食材や料理をじょうずに取り入れて、1つの文化をはぐくんできました。 これが、和食の文化として 評価 ひょうかされ、無形文化 遺産 いさんに指定されました。 和食は、「ごはん」、「 汁 しる物」、「おかず」、「つけ物」の組み合わせが 基本形 きほんけいです。 「ごはん」を中心に、「 汁 しる物」と「おかず」の何品かが加わります。 たとえば、ごはんにみそ 汁 しる、またはすまし 汁 じるなどの 汁 しる物が1品付くことを「 一汁 いちじゅう」。 そして大きなおかず(たいてい肉や魚が使われ、これを主菜といいます)に加え、 和 あえ物やおひたしなどの小さなおかず(副菜)が1~2品付くことを「 二菜 にさい」、「 三菜 さんさい」などといいます(つけ物は 三菜 さんさいには含まれません)。 これらを合わせたものを「 献立 こんだて」といい、平安時代の終わりごろから 現在 げんざいにいたるまで長く引きつがれてきました。 具がたくさん入ったみそ 汁 しるやたきこみごはんはおかずの役目もはたしますので、おかずの数を気にするより、主菜を魚や肉類を中心にしたものにするとよいでしょう。 副菜にいろいろな野菜類を組み合わせるなど、身近にある季節の野菜や海産物、肉などのいろいろな食材を取り入れることを心がけると自然に栄養バランスのよい食事になります。 また、カレーライスやどんぶり物など、一皿にごはんとおかずを 盛 もり付けた料理や、すしや、うどん・そばなどのめん料理も、 基本 きほんの形とは少しちがいますが、和食といえます。
次の雑学クイズ問題 肉じゃがは誰がきっかけで誕生した? A. 東郷平八郎 B. 大久保利通 C. 伊藤博文 D. 山本五十六 答えは記事内で解説していますので、ぜひ探しながら読んでみてくださいね! 【雑学】肉じゃがの歴史と由来!元々はビーフシチューだった!? 日本の家庭料理の定番! 皆さんは「おふくろの味」を思い浮かべると、どんな料理が浮かんできますか? 筆者はおふくろの味といえば「煮物料理」を思い浮かべます。 その中でも おふくろの味の定番といえば「肉じゃが」ですよね! 地方によると思いますが、筆者の家庭で食べていた肉じゃがにはバターが入っていました。 食べるとバターの風味が口の中に広がって「ああ、我が家の肉じゃがだな」と安心するものです。 今回はそんな家庭の定番料理 「肉じゃが」からの雑学です。 実は肉じゃが誕生の歴史には、 知られざる逸話が隠れているのでした! 肉じゃがの誕生は東郷平八郎がきっかけ!? それでは、さっそく肉じゃが誕生の歴史を解説します。 肉じゃがが日本に誕生したきっかけは、東郷平八郎の命令だったとされています。 東郷平八郎といえば、日露戦争の時に当時最強と言われていたバルチック艦隊を撃破し、英雄となった有名な人物ですよね! そんな東郷平八郎は、若いころはにイギリスへ留学していたそうです。 今でこそ外国の料理が普通に食べられますが、当時の日本とイギリスとでは、食文化にかなりの違いがありました。 留学先であるイギリスで東郷平八郎が好んで食べていたのが「ビーフシチュー」であったとされています。 留学を終えて帰国した 東郷平八郎はビーフシチューを日本でも食べたいと考え、艦上のシェフにビーフシチューを作るように命令しました。 しかし、シェフは当然ビーフシチューの存在を知らず、更にビーフシチューに必要な「赤ワイン、デミグラスソース、バター」の入手が困難でした。 頭を悩ませてなんとかビーフシチューを再現しようとして、醤油と砂糖を使って完成したのが、現在も日本で食べられている「肉じゃが」の原型でした。 苦労して完成した肉じゃがはビーフシチューとは全く別物でしたが、味はなかなかの好評で日本で親しまれる味となりました。 病気を治すのにも活躍!? 肉じゃがは単なる家庭料理の定番ではありません。 当時の日本で蔓延していた病気を治すのにも大活躍した料理なのです。 昔の海軍では、栄養のある食べ物を満足に食べる事ができないため、 慢性的にビタミンが不足していました。 そもそも、ビタミンという言葉すらない時代だったため、食べ物からビタミンを摂取するという方法を知らなかったのです。 その結果、 脚気や壊血病を患ってしまい、命を落とす水兵もいたそうです。 医療も発達していなかったため、解決することが出来ずにたくさんの水兵が亡くなったそうです。 しかし、 栄養が豊富に含まれている肉じゃがが海軍で食べられるようになってからは、病気を患う人が減っていき、病気を治す画期的な料理として庶民の間にも広まっていくのでした。 当時はなぜ肉じゃがが病気に効くのかはわかっていませんでしたが、後に高木兼寛という人物によって解明されたのでした。 当時の日本では洋食は「バタ臭い」と言われ、不味い料理とされていましたが、醤油と砂糖で味付けすることにより日本風にアレンジされ、日本人好みの料理になったのでした。 また、 カレーライスと同じ材料で作れる手軽さから、一気に家庭料理の定番として根付いていった側面もあります。 当時の海軍の肉じゃがレシピ ちなみに「海軍厨業管理教科書」から、当時の肉じゃがのレシピは以下の内容だったようです。 油入れ送気 2. 3分後生牛肉入れ 3. 7分後砂糖入れ 4. 10分後醤油入れ 5. 14分後こんにゃく、馬鈴薯入れ 6. 31分後玉葱入れ 7. 34分後終了 注目記事 それでは雑学クイズの正解発表です、答えはもうお分かりですよね? 雑学クイズ問題解答 雑学クイズ問題の答えは 「A. 東郷平八郎」でした! この問題以外にも、思わず人前で披露したくなる楽しい雑学クイズ問題を用意しています。 全て解けたら雑学王かも!? 日本の定番料理、肉じゃがからの雑学でした! 他にも、こんな雑学がお勧めです。 まとめ 肉じゃがが誕生したきっかけは東郷平八郎の命令とされている。 東郷平八郎がイギリス留学で食べたビーフシチューの味を忘れられず、再現するように命令した結果、完成したのが肉じゃがである。 当時の日本海軍では慢性的なビタミン不足により脚気や壊血病が蔓延していたが、肉じゃがを食べる事により解決した。 栄養満点であり、食材が手軽であることから海軍から日本の家庭へ普及していき、日本の定番料理として定着した。
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