子供の「生きていく力」の育て方 「生きている意味が分からない」 「別にいつ死んでもいいと思っている」 うつ病ではないのに、このようなことを述べられる子供を連れた親御さんが受診されることがしばしばあります。 「別に生きてても苦しいことばっかりだし」 「やりたいこと、楽しいことなんてない」 本当にそう思っているのでしょうか。 そう思うことで自分の精神状態を保っているのかもしれません。 生まれてすぐにそういう考え方が芽生えたわけではなく、生まれてから10~20年前後の人生の中でそう思うようになってしまったのでしょう。 親や周囲が求めることを出来る子供は、「できる子供」「いい子」と表現され、それがうまくできない子供は「できない子」「ダメな子」と言われます。 ちょっとした要因やきっかけとなる出来事、持続する環境要因がその子供の性格や能力、生きる力に影響します。 子育てにとって大切なのは、子供の生きる力、能力の開発にとって最適な場を提供できるかということなのです。 親の役割 親の役割を果たし、最終的に目指すものは子供の自立です。 適切、不適切に関わらず、情報、刺激があふれている現代で、果たしてどれだけの子供たちが、適切な情報を選択し、不適切な刺激や情報を拒否して処理できているでしょうか。 社会が複雑になり、以前よりはるかに情報処理能力や問題解決能力が必要とされているのにも関わらず、子供たちはそれを学ぶ機会を充分に与えられていないことが多いのです。 「子供がかわいそうだから」「子供が心配だから」「人様に迷惑をかけたら困るから」「立派になってほしいから」 愛情や、親の責任という大義名分や、様々な理由から子供に干渉しすぎて、子供の育つ力を妨げていませんか。 子供へのその関わりは、誰のためでしょう。 子供の未来を見据えた、子供のためになっているでしょうか。 」 子供のためなのか、自分のためなのか いろんな周囲の価値観や、非難、攻撃があふれている中での子育ては大変です。 親もそんな周囲の刺激から、身を守りながら問題処理していかなければなりません。 皆から自分が攻撃を受けないためだけに、今だけに焦点をあてて、干渉しすぎていないか見つめなおしてみましょう。 子供のためといいながら、自分のためになっていませんか。 大切なのは子供自身の「体験」 子供たちが社会的スキルをみにつけるのに大切なのは「体験」です。 親の命令に従って、親の思い通りに動くことは有益な体験になりません。 自分で考えて、自分で判断した行動した結果から学ぶのです。 最初は失敗も多いはずです。 失敗を経験し、次に成功できた体験をする、その繰り返しが、自分の人生を自分の力で切り開き、自立できるようになるのです。 「保護者」から「支援者」へ 赤ちゃんのころはすべて親が守って、保護して、教えてあげなければなりません。 しかし、子供は成長します。 子供の成長に合わせて「保護者」から「影の支援者」になりましょう。 「保護者」から「支配者」になっていませんか。 与えつづける親から、欲するものに取り組む子供に寄り添い、一緒に乗り越えるサポートをする親になりましょう。 そうでないと子供が生きづらくなる 問題を自分で解決する体験が少ない子供にとって、この世は生きていくのに苦痛で仕方がない世界になります。 当たり前のことが、当たり前にできないことはとってもつらいのです。 生きるということが当たり前のことではなく、日々が苦痛の連続になるのです。 喜びや楽しいこと以上に苦痛が続けば、「生きている意味が分からない」「いつ死んでも構わない」という思いが出てくるのも少しわかる気がします。 ただし、親御さんが精神的な病気を抱えていたり、発達障害の素因をもっていらっしゃる場合や、子供が発達障害やADHDの素因をもっている場合は、よりいっそう子育てへの支援・工夫が必要になります。 ではどうすればいいのでしょうか。 カテゴリー•
次の公開日: 2018. 09 更新日: 2018. 09 「愚息」の意味と使い方、類語、「愚女・愚妻・豚児」の意味とは? 「愚息」という言葉をご存知でしょうか。 「愚息がお世話になっています」「愚息をよろしく」などと使います。 小説などで使われていることが多い表現ですが、意味についてしっかりと理解しているでしょうか。 日常会話ではそこまで多く使われていないため、初めて聞いたという方も多いかと思います。 「愚息」は見ただけでは、マイナスなイメージを持ってしまいますが、一体どのような意味なのでしょうか。 正しく使うためには、きちんと意味を覚える必要があります。 そこで今回は「愚息」の意味や使い方、類語、「愚女・豚児」の意味について解説していきます。 「愚息」を適切に知って、上手く使えるようにしましょう! 「愚息」の使い方と例文 「愚息」は決して「私の息子は愚かである」と悪口を言っているのではなく、「おろかな自分の息子」「馬鹿な自分の息子」という意味で、謙虚・謙遜を表しています。 何かの挨拶をしたり、自慢したいことがある場合に、自分や自分の息子のことをへりくだって相手をたてるために「愚息」を用いることがあります。 例えば、「愚息をよろしくお願いいたします」「愚息の就職については大変お世話になりました」などと言います。 いくら本当のことでも「私のできた息子は.... 」「私の優秀な息子は... 」などと言ってしまうと、感じが悪いですよねえ.... それを避けるために「愚息」を使います。 「愚息」は耳で聞いても分かりにくかったり、あまり使用されていないということもあって、話し言葉としてはあまり使わず、 書き言葉として使うことが多いです。 ビジネスシーンや手紙など改まった場面で使います。 「愚息」は口語的にもうすこし砕けた言い方だと、「ぐうたら息子」「ドラ息子」「ばか息子」などと表現することができます。 が、これらはかなりカジュアルな表現なので、ビジネスシーンなどかしこまった場面では使用を避けるべきでしょう。 例文 ・うちの愚息が毎日お世話になっております。 ・先日は誠に申し訳ありません。 愚息に代わってお詫び申し上げます。 ・いかがお過ごしでしょうか。 おかげさまで愚息も元気にしております。 これからも愚息をよろしくお願いいたします。 ・我が家の愚息も元気に育って、今年の春に中学生になります。 ・愚息がご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません。 略儀ながら書面をもってお詫び申し上げます。 ・ゴルフやスキーなどスポーツに関しては、今年高校生になる愚息に全く敵わなくて〜。 我が家の愚息はあんぽんたんで困っていますよ〜。 ・どこを探しても愚息が見つからないのです。 申し訳ありませんが、一緒に探してくれませんか? 「愚息」の対義語は「愚娘」ではなく「愚女」 娘のことをへりくだっていう言い方は「愚娘」ではなく 「愚女(ぐじょ)」になります。 「愚女」には「おろかな女」という意味もあります。 「愚嬢」とは書かないので注意しましょう。 ちなみに、嫁のことをへりくだって言う場合は 「愚妻」です。 「愚妻(ぐさい)」は「おろかな妻」ではなく「愚かな自分についてきてくれる良い妻」というニュアンスです。 同じ意味で「荊妻(けいさい)」や「山妻(さんさい)」などもあります。 これらは、高齢男性が手紙で用いることが多い語です。 「愚夫」という言葉は本来はありませんが、間違って使うことが増えてきたことから今では一般的に使われています。 「愚夫(ぐふ)」は「無知な夫。 愚かな夫」という意味で、自分の夫をへりくだる場合に用います。 例文 ・愚女でございます。 ほんの少しの間で良いので芸を見てください。 ・あいつは愚女で、毎日のようにおかしなことを言っているから放っておいた方が良い。 ・愚妻がいつも大変お世話になっております。 今後ともよろしくお願いいたします。 「愚息」の類語「豚児」 「豚児(とんじ)」は 「自分の子、特に息子の謙称」です。 「出来の悪い子供」という意から「豚児」という言葉ができました。 「なぜ豚?」と思うかもしれませんが、「豚」という漢字には「自分の子に添える謙称」という意味が含まれます。 「豚児」は多くは息子について使うことが多いですが、娘に対しても使うことができます。 ただ「豚」は動物のブタのイメージが強く、「豚児」と言うと強烈な印象を受けるので、使用する際は注意しましょう。 「愚息」と「豚児」はほとんど同じ意味ですが、一般的には「愚息」を使うことが多いです。 「豚児」の他には、「坊ち」「坊っちゃん」「息子」「坊や」「小僧」「男児」「坊主」「倅(せがれ)」「息男(そくなん)」「童男(おぐな)」「ジュニア」などが「愚息」の類語に当たります。 例文 ・当日は豚児を参上させますので、よろしくお願いいたします。 ・まだまだ未熟な豚児ではありますが、何卒お願いします。 ・私をだらしない夫と思っているようですが、時々家に帰って、愚息の面倒を見ていますよ。
次の「生まれる」の敬語は「生まれます」です。 丁寧語の形で敬語にするのが一般的です。 「たくさん勉強をすると多くのアイデアが生まれます」「もうすぐ次男が生まれます」などの使い方をします。 丁寧語 「生まれる」は敬語にする場合は「生まれます」と、丁寧語の形にすることが多いです。 「アイデアが生まれました」「子供が生まれます」などの使い方をします。 尊敬語 「生まれる」の尊敬語は「お生まれになる」です。 「イエス様がお生まれになった日」「お釈迦様がお生まれになった場所」「もうすぐ王女様か王子様がお生まれになる」など、「その赤ちゃんに対して尊敬語を使うべきだ」という非常に限定された場面でしか使いません。 「もうすぐ部長のお子さんがお生まれになる」「先輩の赤ちゃんがお生まれになる」は、間違いという訳ではありません。 しかし、生まれる、は受動的な言葉ですので、子供に対して尊敬語を使う形になります。 目上の人の子供であったとしても、子供に対して尊敬語を使うのはやや過剰です。 尊敬語や謙譲語は人間関係の中で尊敬やへりくだる形の表現をする際に使う言葉です。 大人同士が会話する場面で使います。 通常子供には丁寧語以外の敬語を使いません。 「生まれる」の敬語での使い方 「生まれる」は「もうすぐ赤ちゃんが生まれます」「疑問が生まれました」などの使い方をします。 謙譲語では「生まれさせていただく」「生まれさせていただいた」などの言い回しになりますが、使う場面はほぼありません。 尊敬語では「お生まれになる」です。 「お生まれになる」は生まれて来る「赤ちゃん」を尊敬する形の表現になります。 このため、イエスキリスト、釈迦、など、存在自体が尊いような人か、王子や王女など赤ちゃんの段階で社会的な地位が定まっているような相手に対してしか使いません。 生まれる瞬間 「アイデアが生まれる瞬間」「金メダリストが生まれる瞬間」など、「生まれる」は「瞬間」という言葉と組み合わせて使われることがあります。 「生まれる瞬間」を敬語にすると「生まれる瞬間です」になります。 「金メダリストが生まれる瞬間です。 皆さま、ご注目ください」などの使い方をします。 疑問が生まれる 「その発言から疑問が生まれた」などの言い回しをすることがあります。 「ふと疑問が生まれた」「彼の行動から疑問が生まれた」などの使い方をします。 「ふと疑問が生まれた」を敬語にすると「ふと疑問が生まれました」になります。 「湧いた」という場合もあります。 「ふと疑問が湧きました」などの言い回しをします。 新商品が生まれる 新しいものができることを「生まれる」と表現します。 「皆様のアイデアで新しい商品が生まれます。 ご意見をお寄せください」などの使い方をします。 愛情が生まれる 「愛情が生まれる」など、新しい感情が芽生えたときにも「生まれる」という言葉を使います。 「猫は嫌いだったけれど、ずっと一緒にいると愛情が生まれました」「もともと好きで結婚したわけでは無かったのだとしても、人柄に触れるにつれて愛情が生まれることもあります」などの使い方をします。 「生まれる」の別の敬語表現例や言い換え 「子供が生まれる」という場面で「生まれる」を使う場合は、目上の人の子供であったとしても「お生まれになる」は使わないのが一般的です。 「もうすぐ子供が生まれるとお聞きしました。 おめでとうございます」「子供が生まれるそうですね。 おめでとうございます」「お子さんが生まれるとお伺いしました」などの言い方をします。 生まれることもある 新しい感情が湧いて来た、という場面でも「生まれる」という言葉を使います。 「一緒にいるうちに愛情が生まれる」は、「一緒にいるうちに愛情が生まれることもある」というような言い回しをすることが多いです。 「生まれることもある」は敬語にすると「生まれることもあります」です。 「ペットは飼っているうちに可愛いという感情が生まれることもあります」「残業はつらいですが、一緒に激務を乗り越えると同僚との間に友情が生まれることもあります」などの使い方をします。 誕生する 子供や新商品などが「生まれる」、という場面で使う「生まれる」は「誕生する」に言い換えることができます。 「もうすぐ新しい商品が生まれます」は「もうすぐ新しい商品が誕生します」に言い換えることができます。 「もうすぐ赤ちゃんが生まれます」は「もうすぐ赤ちゃんが誕生します」に言い換えることができます。 湧く・感じる・生じる 「感情が生まれた」という意味で「生まれる」を使う場合は、「湧く」「感じる」「生じる」などの言葉に言い換えることができます。 「愛情が生まれる」は「愛情が湧く」「愛情を感じる」「愛情が生じる」に言い換えることができます。 敬語にするとそれぞれ「愛情が湧きます」「愛情を感じます」「愛情が生じます」になります。 「生まれる」の過去形の敬語 「生まれる」は敬語にすると「生まれます」になります。 「アイデアが生まれます」「もうすぐ赤ちゃんが生まれます」などの使い方をします。 「お生まれになる」はあまり使わない表現です。 「アイデアがお生まれになる」はアイデアを尊敬する形になるので不自然です。 また「部長の赤ちゃんがお生まれになる」という表現は「部長」を尊敬しているのではなく「赤ちゃん」を尊敬している形の表現になるため不自然です。 「生まれた」の尊敬語「お生まれになった」であれば目上の人に使っても問題ありません。 「先輩は此処でお生まれになったんですね」「貴方は冬にお生まれになったそうですね」などの使い方をします。 「生まれる」の敬語表現を押さえて使いこなせるようになりましょう。
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