四 大 公害 病。 四大公害病:高度経済成長期の負の遺産

日本4大公害病の特徴を解説!テストに出るポイントまとめ!

四 大 公害 病

概要 [ ] 人体に有害な物質が、水(や河川水)、空気中の浮遊物、ガス、食物などを通じ摂取されることによって、引き起こされる。 狭義には、に定義されるが原因となる。 が原因の、が原因の中毒や中毒、大気や川のヒ素汚染による慢性などがあげられる。 近年は広義で、が原因の等の吸引によるやや、からの汚染による人的被害も、公害病と呼ばれることがある。 四大公害病 [ ] 日本では、特に期、つまり後半からに、公害により住民へ大きな被害が発生した。 このうち被害の大きいものを「四大公害病」という。 他古くはに発しに至る日本の多数の公害と改善の歴史があることにも留意されたい。 (昭和31年)頃からで発生した奇病。 によるやを原因とし、魚類のを通じて人の健康被害が生じた。 新潟水俣病() (昭和39年)頃から流域で発生した奇病。 有機水銀による水質汚染や底質汚染を原因とし、魚類の食物連鎖を通じて人の健康被害が生じた。 (昭和35年)から(昭和47年)頃までの高度経済成長期にで発生した都市公害。 主にによる大気汚染を原因とする。 から前半に流域で発生した奇病。 による水質汚染を原因として、などを通じて人々の骨に対し被害を及ぼした。 その他の公害病 [ ] による健康被害 工場や自動車から大気中に排出されたや(VOC)が、紫外線でを起こし、が発生する。 この光化学オキシダントが人の目や呼吸器などを刺激して、健康被害が発生する。 多くのが一般環境中に放出されており、複合的にが表れるとも考えられている。 砒素焼きをしていたの旧土呂久鉱山のまわりに慢性ヒ素中毒患者が発生した。 に告発され、も認定し、鉱業権をもった企業への裁判もあった。 で発生した工場及び自動車の排ガスによる大気汚染の被害があった大規模公害。 の工場からの硫黄酸化物などの排出や自動車排気ガスの大気汚染による健康被害。 第1次訴訟から第4次訴訟にわたり延べ726人が原告となった日本最大の公害訴訟。 事件 1970年代、との日本化学工業で、従業員に肺がんや鼻中隔穿孔などの健康被害が多数発生した。 (各当該項の記事参照)• 関連項目 [ ]• - 人の健康に被害を及ぼしたものは、過失がなくても賠償責任を負う(、)。 - 48年()法律第111号。 一般に「公健法」と略される。 - 昭和44年()法律第90号。 一般に「救済法」と略される。 公健法の施行に伴い、廃止された。 外部リンク [ ]• :環保企108号(昭和49年9月28日) -• - この項目は、に関連した です。 などしてくださる(/)。 この項目は、に関連した です。 などしてくださる()。

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【四大公害病まとめ】公害病の種類とは!?原因や対策・場所・死者数・覚え方など

四 大 公害 病

前回の記事()で、日本の高度経済成長について詳しくまとめてきたね。 中には無視できない「国民への悪影響」も高度経済成長の途中で生まれてしまった。 その最たるものが、水俣病(みなまた)などで知られる 4大公害病というやつ。 今回は高度経済成長で生まれた負の側面について見ていくよ。 公害病って? そもそも公害は、「主に企業が、近隣住民の健康や日常生活に何かしらの悪影響を与えること」をいう。 健康や日常生活への悪影響で典型的なものは• 空気の汚染• 水の汚染• 土壌の汚染• 地盤沈下• うるさい• くさい• 揺れる• まぶしい ってとこだ。 中国で都市全体にもやがかかったような映像、テレビとかで見たこと無いかな? あれは工場から出る有害な物質によって引き起こされた現象だ。 いわゆる「大気の汚染」に当たる公害ってわけだね。 で、 公害病は「公害による有害物質によって引き起こされる病気」のこと。 軽いものは、大気汚染による喘息(ぜんそく)だったり目への刺激といった症状だけど、重いものになると、水銀やカドミウムなど人間にとって猛毒となる物質によって引き起こされる中毒症状が出る。 4大公害病のまとめ 高度経済成長期は、工場がバンバン作られていってそれが経済発展につながったけど、当時はまだあんまり「公害」ってものが問題視されていなかったのね。 原因が分からない謎の病気、として考えられていたものも多かった。 今でこそエントツから出る煙から工場排水まで厳しくチェックされているけど、 1960年代あたりは垂れ流し状態のトコも多数あったわけだ。 当然公害もそこかしこで起きるわけね。 その中でも多くの人に、重い被害を出した公害をまとめて「4大公害病」と呼ぶ。 具体的には、• イタイイタイ病• 新潟水俣病• 水俣病• 四日市ぜんそく この4つ。 じゃあそれぞれ詳しく見ていこうか。 あ、そうそう。 この4つの公害病の覚え方なんだけど、 「1342」で覚えると良いよ。 1= イタイイタイ病、3= みなまた病、4= よっかいちぜんそく、2= にいがた水俣病 てな具合だ。 1342、という並び順は、 公害病が発生した時期の古い順で並んでるから、この順番で覚えれば一石二鳥! イタイイタイ病• 発生した場所・・・富山県• 原因・・・ 岐阜県の工場が川に流した水に「カドミウム」が入っていた。 そのカドミウム入りの水や、それを使って作られた米や野菜を飲んだり食べたりした人がイタイイタイ病を発症した。 ( 食物連鎖で起きた公害病)• 症状・・・骨がスカスカになり骨折しやすくなったり、前身の骨が痛むようになったり、腎不全を起こしたりする。 この公害病の何がヒドイって、「この薬を飲めば治る!」みたいなものではなくて、せいぜい痛みを和らげるくらいしか対策できなかったこと。 イタイイタイ病にかかった人は「イタイ、イタイ」ということしかできなかったことから「イタイイタイ病」と名前が付けられたという。 ちなみにこの公害病は江戸時代から続いていて、4大公害病の中で一番古くからある公害だったりする。 水俣病• 場所・・・熊本県• 原因・・・化学工業を営んでいた 会社の工場から川に流された有機水銀が、川魚・海魚などに吸収された。 その魚を食べた住民が水俣病を発症した。 症状・・・主に脳にダメージがいく。 中枢神経系がやられてしまうので、 軽くて手足のしびれ、重くなると歩けなくなったり喋れなくなったりする。 最悪の場合は 死に至ることもある。 これは4大公害病の中でも一番有名な公害病だよね。 高度経済成長期ドンピシャで発生した公害病だし、一番被害者が多いしで「公害の代名詞」ともいえる。 なんと言っても水俣病の一番凶悪な点は「脳」にダメージを与えてしまうこと。 これ、後から直そうと思っても現代医学ですら直すことはできない。 一旦中枢神経系がやられて歩けなくなってしまったら、ずっとそのままになってしまうんだ。 本当に悲惨な公害だよね。 四日市ぜんそく• 場所・・・三重県• 原因・・・工場から出た 硫黄酸化物(有害物質)入りのガスが風に流されて 大気を汚染した。 症状・・・ 喘息(呼吸困難の発作を繰り返す病気)がほとんど。 重くなると肺にまで悪影響を及ぼす。 呼吸困難で死亡することもある。 他の公害病と異なる点としては、水の汚染ではなくて大気の汚染である点だよね。 「症状は喘息かあ・・・。 水俣病のがヒドイし大したことないな」なんて思ったら 大間違い。 これは大人もそうだけど特に 子供に大きな影響を及ぼした。 まだ子供は体が丈夫ではないから、喘息ひとつで命取りになることが多い。 赤ちゃんとかは特に。 実際四日市ぜんそくでは多くの子供が被害に遭い、死者も多数出たんだ。 さらにタチ悪いことに、公害が分かっていた四日市市側が工場に対して文句言うどころか、「もっと工場つくって良いよ~」と住民の反対を押し切ってまで許可したりしていた。 市の方が被害を拡大させるというとんでもない事してたんだよね。 新潟水俣病• 発生した場所・・・新潟• 原因・・・化学工業を営んでいた 会社の工場から川に流された有機水銀が、川の魚に吸収された。 その川の魚を食べた住民が新潟水俣病にかかった。 症状・・・主に脳にダメージがいく。 神経系がやられてしまうので、 軽くて手足のしびれ、重くなると歩けなくなったり喋れなくなったりする。 最悪の場合は 死に至ることもある。 これ 上で説明した水俣病と原因も症状も全く一緒って気づいた? 実はこの新潟水俣病、熊本の水俣病が起きた時点で国が急いで調査していれば、同じように水銀垂れ流しだった新潟の工場を全国的にストップさせられたはずなんだ。 でも政府はこれを怠ってしまったんだね。 その結果、水俣病とおんなじ公害病を発生させてしまった。 新潟水俣病については、 工場だけじゃなく政府もダメだったんじゃね?という批判もある。 以上、4大公害病のまとめ。 ちなみに現在は工場から出る排水、排気はちゃんと有害物質を取り除く処理をするよう定められている。

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日本4大公害病の特徴を解説!テストに出るポイントまとめ!

四 大 公害 病

イタイイタイ病 四大公害病のひとつ「イタイイタイ病」は、 富山県の 神通川流域で発生した公害による公害病です。 1910年代から 1970年代前半に発生。 病名の由来は、患者が病気の痛みに「痛い、痛い!」と泣き叫ぶことしかできなかったという話からきています。 神通川上流の流域では、江戸時代から銀や銅、鉛などを生産していました。 その川の水を使って農業をしたり、飲み水に使ったりしていたので、当時から被害は出ていました。 日露戦争をきっかけに、非鉄金属(鋼以外の金属)の生産が注目され、生産量が大きく増加。 さらに戦後の高度経済成長期を迎え、カドミウムを含んだ大量の廃物が川に流れ込んでしまいました。 そのため、工場周辺の地域だけでなく、神通川の下流地域に住んでいた人にも被害を与えてしまいました。 当時は公害病の原因となった物質のカドミウムについて、よくわかっておらず、病気とどう関連しているかもはっきりしていなかったため、対策をすぐにとることができず、公害を広めてしまう結果になりました。 腎機能障害は、貧血を起こしてしまったり、腎不全になったりしてしまいます。 そして、骨軟化症は、骨がもろくなってしまい、ちょっと動いただけでもすぐに骨折をしてしまうという症状が見られました。 被害者の多くは出産の経験がある中高年の女性でしたが、男性の被害者もいました。 被害者のほとんどが神通川流域の農地で農家を営んでいた人々でした。 被害者は、 1973年までに 194人がイタイイタイ病の患者として認定され、 2008年4月末までに、そのうちの188人が亡くなったとされています。 1973年 7月には、被害者に対する医療による救済が始まり、 1974年 9月には国からの救済も始まりました。 水俣病 四大公害病のひとつ「水俣病」は、 熊本県の 水俣湾で発生した公害による公害病です。 1953年頃に発生しました(正式に確認されたのは 1956年です)。 病名は、発生地でもある熊本県の水俣湾から「水俣」をとって名付けられました。 そこに含まれていた メチル水銀を魚や貝を介し、人のカラダに取り入れられました。 チッソ(会社の名前)はビニールづくりに必要な原料であるアセトアルデビドを生産する工場でした。 このアセトアルデビドを作るときに使用された硫酸水銀という物質から発生したのが、原因となった物質のメチル水銀です。 メチル水銀を含んだ工業廃水が、海に流され、物質はプランクトンなどに取り込まれます。 そのプランクトンを魚や貝が食べ、それをさらに人が食べてしまいます。 ( 食物連鎖)食物連鎖の過程でメチル水銀の濃度は高まってしまったことも原因のひとつです。 メチル水銀中毒症になってしまうと、脳にダメージを負ってしまいます。 その結果、手足の震えから耳が聞こえづらくなったり、うまく喋れなくなったり、目が見えなくなったり、ひどい時には意識不明や、死亡することもあります。 2008年の 5月までには、水俣病にかかったと認められた人は 2268人で、そのうち 1653人が亡くなったとされています。 しかし、この数はあくまで水俣病と認定された人の数で、実際に被害を受けたけど、認定されていない人を含めると、 患者数はおよそ10万人以上にのぼり、亡くなった人も4万人を超すとも言われています。 そして、有害物質が溜まってしまっていた水俣湾は、 485億円と 13年の歳月をもって、埋め立てられました。 1997年、当時の熊本県知事は「水俣湾の安全宣言」を行いました。 水俣湾で魚を釣って、その魚を食べることもできるし、水俣湾で泳ぐこともできるようになったのです。 現在の水俣市は、世界の 環境モデル都市として、水俣病の悲劇を二度と繰り返さないために積極的な都市づくりを行っています。 四日市ぜんそく 四大公害病のひとつ「四日市ぜんそく」は、 三重県四日市市で発生した公害病です。 1959年頃に発生しました。 病名は、当初は塩浜ぜんそくと呼ばれていましたが、国会では発生地でもある三重県の四日市市から名前をとって「四日市ぜんそく」と呼ばれていたことから、こちらの名前が定着しました。 四日市市は、港を埋め立てた広い土地に、日本初の本格的な石油化学コンビナート(四日市コンビナート)を建設しました。 工場で石油を精製するときに亜硫酸ガスが煙と一緒に大気に流れ出ていたのです。 その頃ぜんそく患者が増えていたので、おかしいと思った専門家は調査を始めました。 そこで、ぜんそく患者が多い地域は、空気中に多くの工場から排出された有毒なガスが含まれていることがわかりました。 こうして、四日市コンビナートが公害病の原因と断定されたのです。 息苦しい、喉の痛み、激しい喘息の症状が特徴です。 症状がひどいと、呼吸困難になってしまい、最悪の場合死亡してしまうこともあります。 また、心臓や肺の病気も一緒に起きてしまうこともあります。 四日市ぜんそくの患者として認定された人数は、 1976年に 1140人がピーク。 そのうち亡くなった人はおよそ600人とされています。 しかし、認定されなかった人や、病気に苦しみ自殺してしまった人などもいて、明確な患者数・犠牲者数は把握されていません。 しかし、患者側の弁護団や科学者など、多くの人の支援もあって、 1972年に四日市公害裁判は、患者側の全面的な勝利に終わりました。 四日市ぜんそくの患者は、工場側と市・国から補償を受けることができました。 市から市のお金で公害患者に対して支援を行ったというのは、それまでに例がなかったので、この試みは全国初でした。 新潟水俣病(第二水俣病) 四大公害病のひとつ「新潟水俣病(第二水俣病)」は、 新潟県の 阿賀野川下流域で発生した公害病です。 1965年頃に発生しました。 病名は、熊本県で起きた水俣病と同じく、水銀による食物連鎖で起きた公害病のため、同じ水俣病とされています。 阿賀野川の下流域では川魚の漁が盛んで、患者は生物濃縮によってメチル水銀の濃度が高い川魚を食べていた下流域に住んでいる人が多かったと言われています。 脳にダメージを負い、手足の震えから、耳が聞こえづらくなったり、うまく喋れなくなったり、目が見えなくなったり、ひどい時には意識不明や死亡することもあります。 認定された患者数は、 2014年 3月末までに 702人います。 このうち、 およそ450人以上が亡くなったとされており、また認定されていない人などを含めると、患者数はおよそ 3800人にのぼると言われています。 しかし、新潟水俣病自体は、避けられるべき公害病だったとされています。 熊本県で起きた水俣病のときに、政府がすぐに対応と対策をして、全国的にも同じような工場の事業をやめさせるなど、未然に防ぐ対応をしていれば、新潟水俣病が起こることはなかったのです。 また、原因となった昭和電工は、自分たちにとって都合の悪い資料は破棄してしまいました。 そのため、新潟水俣病の本当の意味での解決は、ほぼ不可能だとされています。 四大公害病の覚え方 四大公害病の覚え方は様々なので、自分に合った覚え方で覚えると良いでしょう。 ・四日市ぜんそく…… 「妖怪みえるよ、アリさんが」 妖怪=四日市 みえるよ=三重県 アリさんが=亜硫酸ガス まとめ.

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