カテゴリ• 歌詞考察の前に 大人気アーティスト あいみょんさんから待望の新曲 『さよならの今日に』のvery short movieが公開されました(veryの割に1分以上流してくれた 喜) 1月7日0時(ユーチューブでは1月6日の表記)に公開されたにも関わらず、 僅か数時間で2万回もの再生回数が観察されました。 同曲は 日本テレビ 「news zero」テーマ曲となっており今年の1月6日に番組内で初オンエアされました。 今回MVを公開するタイミングに0時を選んだのにもタイアップ「zero」と重なっているように感じました。 「ニュースを『じぶんごと』に」というテーマをもとにあいみょんさんが書き下ろしました。 あいみょんさんご自身のツイッターでも 「大切に書き下ろしさせて頂きました。 」とコメントされていました。 あいみょんさんにとっての「ニュース」 「news zero」であいみょんさんは 「世の中で今何が起きているのかとか純粋に気になる。 すごい絶対毎日見ます」と述べていました。 同時に 「すべて過信しすぎてもあかん」という距離感で見ています」とバランスの取れた見方をされていました。 メディアリテラシーの必要性を伺わせるコメントでしたね。 筆者もニュースを見て自分で理解する力を養っていきたいと思います。 さらにコメントではニュースを通して 「自分の人生にまったく関係なかった人のことまでも自分の人生になってしまう」と語っていました。 曲制作以外のシーンでも考え深い方なのだと改めて感じ感化を受けました。 上記のコメントは考察する上で重要な点だと思います。 幅広い分野で活躍されている方であり、しゃべくりでも取り上げられ認知度もかなり高くなっていると思います。 あいみょんさんの作品の中でも大人気となった「マリーゴールド」のジャケットもデザインしている方です。 筆者のイメージの中では 渡辺直美さんと同級生ということとハムスターを飼っている(あと独特の絵を描いたり変なことして遊んだり 笑) MVの内容にも触れてみたいと思います。 今回の映像は 「逆再生」が用いられています。 壊れた物が再生しあいみょんさんの動作や表情が戻っていくのを観察できます。 現在1分ほどの映像なので多くを知ることはできません。 現段階でMVで伝えたいことを以下にまとめてみました。 ・終わったはずの出来事がニュースによって再現される ・終わってしまった出来事を惜しむ気持ち ニュース番組タイアップを強く意識した映像だと実感しました。 「ニュース」は すでに起きたこと、言い換えるなら 「終わった、結果」を伝達します。 終わったはずの出来事は ニュースを通じて「再生」になるでしょう。 そして重要なニュースは 何度も何度も再生されていきます。 例えば建物が崩れるシーンを1度見ても、2度目に見る時には建物がなおった状態からの映像になるでしょう。 さらにMVからあいみょんさんの 「終わってしまった出来事を惜しむ気持ち」が伝わってきました。 前作「生きていたんだよな」制作においても実際に見た飛び降り自殺のニュースが頭から離れなかったようです。 今作においても 胸を痛めるニュースを見て、巻き戻せたらという気持ちが込められているのだと筆者は考えました。 タイトル『さよならの今日に』とは 「さよなら」は別れの言葉であり 「終わり」をも伝える場合があります。 ですから 「終わっていく一日に」という感覚で理解し、一日が終わる前に今日起きたことやニュースで伝えられたことを 「自分がどのように受け止めるか」が強調されているように思えました。 またニュースを見て 「すでに終わった出来事」に対しなかなか 「手を振ってさよならできない」つまり気持ち的に受け入れられない様子も伝えていると解釈しました。 正確な表現でない点もあります。 参考程度にお願いします。 上記が現在確認できる歌詞です。 この部分の序盤では主人公が 「一日」また「時間」の性質について述べているようです。 一日という単位また時間は 「明日へと進み」ますが「昨日へと戻る」ことはありません。 主人公はその点を明確に理解していますが 「やり直したい」という後悔の気持ちも持ち合わせています。 さらに積極的な意見として 「切り捨てた何か」つまり 自分が犠牲にしたものが 「今」つまり現在の自分を構築しているのなら 「もう一度」つまり人生をリセットすることは望まないと述べています。 しかし続く部分には 「不滅のロックスター 永遠のキングは 明日をどう生きただろうか」と自問しています。 これは主人公が 自分より凄い存在と比較し、彼らならもっと上手に生きたのではないかと考えているように思えます。 この考え方には 自分の生き方を向上させようとする姿勢を感じます。 この部分をニュースを見ているあいみょんさんの心情に重ねてみました。 胸を痛めるニュースには 「誰かがまた何かが失われること」が関係しているでしょう。 そうした場合に 「事件が起きる昨日に戻って欲しい」と感じるかもしれません。 私たちもそう感じることがあるでしょう。 それでも失われた状況から必死に這い上がろうとする人たちを見て 「人生を安易にリセットしたい」と口にしてはいけないと感じたのかもしれません。 同時にそのような人たちが 今後どのようにして生きて行くのかを黙想し、自分の今後の生き方の糧にしようとしていると解釈しました。 そう考えたのは前述のあいみょんさんのコメント「自分の人生にまったく関係なかった人のことまでも自分の人生になってしまう」という部分と重なったからです。 以上の点から今作では ニュースの情報を「じぶんのこと」として真摯に受け止め 今後の生き方と比較して向上していくことが伝えられていると考えました。 現段階での情報ですので、MV&歌詞フル公開されてから新たに考察しなおしたいと思っています。 筆者の個人的な予想と考えにお付き合い頂き感謝します。 次回の追記した記事も読んで頂ければ幸いです。
次の「さよならの今日に」の解釈 泥まみれの過去が 纏わりつく日々だ 鈍くなった足で ゴールのない山を登る 「泥まみれの過去」とは自分の過去を完全に引きずっている人がする表現だと感じます。 過去を悔やんでも意味がありません。 もしくは現実逃避をするため、全責任を過去に押し付けているように見えます。 後から振り返って、間違えた選択をしたと分かっても、その時楽しかったのであれば、それは正しい選択であっため「泥まみれの過去」ではありません。 責任を過去に押し付けてはいけません。 過去を咎(とが)めるほど簡単なことはありません。 「こうなることくらい分かっていたでしょ。 」と無責任に語る人ほど無責任な人はいません。 終わった後ならいくらでも難癖をつけられるわけですから。 私は後悔することを前提に、人生を送るべきだと思います。 「あの時もっと勉強しておけば…」とか考える必要はありません。 その時勉強しなかったことが、ある意味で正しかったのです。 そして過去を引きずりながら、「ゴールのない山」を登って行くわけです。 「ゴールのない山」は一種の比喩(ひゆ)表現だと思われます。 つまり「ゴールのない山」は「人生の山」だということです。 人生山あり谷ありです。 つまり、今この人は過去を引きずりながら、谷から這い上がっているのです。 恋い焦がれたこと 夢に起きてまた夢見たこと これまでを切り取るように 頭の中を巡る 「恋」。 なるほど、大失恋をしたということですか。 失恋した後は幻想を見ます。 相手の良い側面や楽しかった思い出などが頭に浮かんだりするものです。 これはある意味、過去へと引き戻そうとする幻想です。 「夢に起きた」=「現実を見た」、「また夢見た」=「理想を考えた」と解釈してみます。 例えば「夢または理想」は結婚すること。 そして「現実」は破局という感じでしょうか。 「理想が高い人は結婚できない」とはある意味、正しいと思います。 「現実」に引き戻されるにつれ、気持ちが冷めていきますから。 高い理想は持たない方が良いかもしれません。 「あの人のことが好きで好きでたまらなかったこと」、「現実を見て、また理想を見たこと」が頭に浮かんでいる状況だと思います。 寝て夢を見ると解釈するのは率直すぎる上に、そもそも夢の内容なんて覚えていないものです。 そのため、寝て夢を見るという解釈はしないでおきます。 明日が来ることは解る 昨日が戻らないのも知ってる できれば やり直したいけれど 「やり直したい」とか思わない方がいいです。 自分だけが良い思いをしたいと思っている人がする身勝手な発言です。 成功の裏には失敗があります。 つまり、成功した人がいれば、失敗した人もいます。 失敗した側の人は「やり直したい」と思うのが普通かもしれませんが、それは「やり直して成功者側に立ちたい」と思っていることに等しいです。 良い思いをしたいというわけです。 私の経験や見聞ですが、「もう一度やり直そう」と復縁をしても上手くいった試しがほとんどないように思われます。 多くの場合、同じ失敗を繰り返して破局の運命を辿ることになります。 続きを見ていきましょう。 例えば外食する時、何を食べるか悩むと思います。 カルボナーラにするか、ペペロンチーノにするか。 大食いの人なら好きな料理を好きなだけ食べられますが、普通の人は一食で満腹になるケースがほとんどです。 例外は無視します。 もしカルボナーラを選んだら、その時ペペロンチーノは食べられないわけです。 つまり取捨選択をしているのです。 そのため、「なら」ではなく「から」にしなければなりません。 ここでも逆接を用いています。 そして、これが「どこかで今も求めているものがある」に繋がります。 要するに「やり直したいけれど、もう一度やり直したいなんて我儘を言わないでおく。 でも、やっぱり求めているものがある(やり直したい)。 」ということです。 何かを切り捨てる必要がなく、永遠に滅びることのない彼らは、この先どう生きるつもりなのだろうか。 傷だらけの空が やけに染みていく今日 鈍くなった足で 河川敷をなぞり歩く ここは分かりませんでした。 これは一体全体何を表現しているのでしょうか。 自分の心理状態を空に映しているように感じます。 あいみょんさんがここに何を仕掛けたのか後で確認してみます。 涙がでることは解る 気持ちが戻らないのも知ってる それなら 辞めてしまいたいけれど 好きでいることを「辞めてしまいたい」と解釈してしまうと、「気持ちが戻らない」という内容と矛盾してしまいます。 好きという「気持ちが戻らない」つまり、もう好きじゃないわけですから。 恋人関係を「辞めてしまいたい」と解釈すれば、整合性がとれそうです。 ですがこの解釈が合っていると断定できません。 「涙がでることが解っているなら」別れを告げない方が良いですから。 ですがこれは完全に私の主観です。 ここでは恋人関係を「辞めてしまいたい」とします。 次に繋がれば、この解釈で良さそうです。 確かめてみます。 残された何かで今が変わるなら 「もう一度」だなんて そんな情けは言わないでおくけどな それでもどこか 今も望んでいる事がある 伝説のプロボクサー 謎に満ちたあいつは 明日をどう乗り越えたかな 残された何かとは自分の友人になります。 恋人と別れるという一つ目の変化、友人との関係がより濃密になるという二つ目の変化が訪れます。 このように誰かと決別したら必ず何が変わります。 と一応は解釈できます。 つまり復縁したいなんて言いたくないけど、それを望んでしまっている部分があるということです。 「謎に満ちたあいつ」というのはよく分かりません。 そして踊り終えたら、空を眺めろ!ということだと思います。 綺麗なカクテル色の空が広がっています。 切り捨てた何かを拾い集めても もう二度と戻る事はないと 解っているのにな 切り捨てたものを拾い集めるほど虚しいことはありません。 切り捨てた何かで今があるなら 「もう一度」だなんて そんな我儘 言わないでおくけどな それでもどこかで今も求めているものがある 不滅のロックスター 永遠のキングは 明日をどう生きただろうか 伝説のプロボクサー 謎に満ちたあいつは 明日をどう乗り越えたかな.
次の2月14日のバレンタインデー。 世間は意中の相手に告白する女子が浮き足立ってたり、非モテ男子は始まる前から悲壮感と絶望感に包まれていたり、バレンタインデー?そんなものは知らんな、と開き直って無きものにする人もいたりと、全国各地で感情が大きく揺れ動くイベントの一つであります。 みなさんはどう過ごされましたか。 2020年のバレンタインデーはあいみょんからチョコではないけれど、素敵なミュージックビデオが届きました。 チョコなんてものは一旦忘れましょう。 いいんですそんなものは。 チョコで血の争いを見るのはもうこりごり。 時代はあいみょんです。 届いた曲は『さよならの今日に』。 『news zero』のテーマソングとして書き下ろされた配信限定シングル。 「さよならの今日に」 MUSIC VIDEOが公開になりました。 配信も始まってます。 是非聴いて欲しいな。 宜しくお願いします。 — あいみょん aimyonGtter ほら、あいみょんが「是非聴いて欲しいな」って言ってるんだから、聴くしかないじゃないですか。 別にそんなこと言わなくても聴く以外の選択肢はないんですけどね、待ってましたよフルバージョン。 「泥まみれの過去が纏わりつく日々だ 鈍くなった足でゴールのない山を登る」 「明日が来ることはわかる 昨日が戻らないのも知ってる できればやり直したいけれど」 明日への生き方がわからない、どこに向かっているのかもわからない、過去には戻れない、戻ってやり直したくても戻れない。 そんな重たい空気を纏って始まる。 でも 切り捨てた何かで今があるなら 「もう一度」だなんて そんな我儘 言わないでおくけどな と歌うんです。 そしてここが一番響いた。 過去から現在に、そして未来に繋がってく。 連続した過去を積み上げて今を生きてる。 生きてると後悔することばかり。 いつだって何かを切り捨てて、何かを選んで進んでる。 足取りは軽い日もあれば、重い日もある。 切り捨てた「何か」の重さは「何か」によって違う。 仕事、友人、恋人、家族、誰しもが人に言えない何かを抱えて、何かに悩んで、何かを切り捨てて生きている。 切り捨てるのは能動的な自分の意思だ。 そして切り捨てて今の自分がある、今がある、それを選んだのは自分だ。 だからやり直したいと後悔しても、「もう一度」だなんてのは、それは確かに我儘かもしれない。 戻れない昨日なら、じゃあ明日に進むしかない。 「明日が来ることはわか」っているのだから。 でもどう進んだらいいんだろう。 どう生きたらいいんだろう。 不滅のロックスター 永遠のキングは 明日をどう生きただろうか ニュースで流れるそんな偉大なロックスターもどこかのキングも、どのように生きたんだろう。 生き方を彷徨いながら、自分じゃない誰かはどのように生きていってるんだろう。 そんなあいみょんの声が聞こえる。 そして続く二番のサビの焦点は切り捨てた何かではなく、残された何か。 残された何かで今が変わるなら 「もう一度」だなんて そんな情けは言わないでおくけどな 切り捨てたのと対象に、残されたもの。 切り捨てたもので形成された今が、残されたものでまた変わってく。 さっきの「過去をもう一度」は我儘。 この二番で歌われる「今をもう一度」、それは情けなんだろうか? 情けは思いやりとか、人情とか、そう意味であるならば、ここで歌われる「今」はいい意味で使われている。 楽しい今をもう一度、でもそんなことは情けだから、言わないでおくけどな。 過去も今も、悲しくても苦しくても、あるいは楽しくても、「もう一度」はない。 ただ明日に進んでいくしかないんだよな。 吹く風にまかせ 目を閉じて踊れ 甘いカクテル色の空を仰げ そんな声が聞こえる もがいてる自分に言い聞かせるように、もっと自由に生きろよと笑いかけるように、そんなようにも見て取れる歌詞。 タイトルの『さよならの今日に』。 さよならとは「今日」に向かっての別れの言葉だろうか。 主題歌として流れるnews zeroは今日の最後の23:00〜23:59で放送される。 日本、あるいは世界で起きる喜怒哀楽のあらゆるニュース。 さよならの今日に、ニュースを見て明日への生き方を探し求めるのかな。 それとも自分に問うのかな。 どうあがいても明日はやってくるんだから、吹く風にまかせ、目を閉じて踊る日もあっていいと思う。 『さよならの今日に』ミュージックビデオ あいみょんの顔のアップから次第にカメラは遠ざかって全体がわかるようになる。 ここはどこかビルの屋上?背景はなにかの建築現場?と思いながら動画のコメントを見たら渋谷の再開発地域の中心で撮られたことがわかる。 あいみょんコメント この場所は日々変化していく場所で、 もう一度この景色で撮りたい!だなんて我儘言っても、もう撮れないです。 本当に貴重な経験をさせて頂きました。 いつか自分が歩いた土の上が恋しくなるほど ピカピカになってく渋谷の街に、 私は何を思うのかなぁと。 ふと考えてしまいます。 戻れないのは分かってるけど。 是非、沢山観て欲しいです。 宜しくお願いします。 高い所、怖かった。 s 2020年。 弾き語りツアーとアリーナツアーが決まりました。 あいみょんのライブに戻りたい!って思ってもらえるライブにしたいです。 山田智和監督コメント 2020年最初に撮るMVとして、渋谷駅再開発地域の中心、桜丘の再開発地区の敷地内で特別許可を得て撮影をさせて頂きました。 今しか撮影できないであろう現在の日本の中心地と、楽曲の現在性をもって、しっかりと今というものを記録し、後世に残したいと思いました。 楽曲の力強さから、自分の意志で生きることとは何かを感じ取って欲しいと願っています。 変化していく今を今まさに変化していく場所で撮ったミュージックビデオ。 曲のイメージにぴったり。 それにしてもあいみょんってスーツ似合うよなぁ。 コートを乱暴に脱ぎ捨てるとこ好きでした。 地下鉄であいみょんのアルバム爆音で聴いてて着いた駅がどこかわからなくなりとりあえず慌てて降りたけど違う駅だと気づき恥ずかしくてダッシュで隣の車両に乗り込んで、今。 いいんだよ、素敵な音楽で満たされてて今幸せだからいいんだよ。
次の