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次の明大グラウンドに通い、選手一人ひとりをしっかり応援 京王線「府中駅」北口から徒歩1分。 オレンジで「肉!」と書かれた看板が見えたら、そこが ホルモンなかむらだ。 通常は夕方5時から翌1時までの夜のみで、日曜日も営業している(不定休)。 現在は東京都からの緊急事態宣言を受け、20時までの時短営業に切り替えている。 「リーグ戦開催期間はみんな野球に集中しているから、なかなか(お店で)顔を見られなくなるけど、ならせば週1くらいのペースで通ってくれることになるかも」。 そう語るのは、同店店主の中村友和さん(43)。 ホルモン酒場 焼酎家「わ」で修業を積んだ後、この地で独立した。 「ホルモンなかむら」の看板は「肉!」の看板と一体化 学生たちは平日の練習後や週末に来店する。 2~3人の少人数のこともあれば5人以上のこともあるというが、中村さんはそれぞれの選手の顔だけでなくプレーまで把握している。 一人ひとりにもっとも響くよう言葉を選びながら、「こないだのあのヒットはよかったね」などと声をかけるのだとか。 見ていて感じたことは、直接選手たちに伝えるようにしている。 「練習試合となると見ている人も少ないけど、声をかけられたことで『見てくれている人がいるんだ』って分かるだけでも、モチベーションが上がる選手はいると思うんですよね。 僕は学生時代に野球をやっていたとはいえ素人だけど、それでも、『あの場面ではよく仕留めたな!』とか『いい肩しているな』とか感じることはたくさんあるから、褒(ほ)められるところはできるだけ褒めてあげたいんですよ」 シーズンが終わるころ、中村さんは地域の商店街の仲間でチームを組み、ソフトボールの大会を明大野球部としている。 昨年、そのメンバーと作ったのがこのTシャツ。 赤色なのは森下暢仁がカープに決まったから 令和初の全日本選手権、明治の優勝を信じての秘策 お店を訪れたらぜひ、トイレにも行っていただきたい。 明大野球ファンにはたまらない空間になっているからだ。 その一つが、 昨年6月の全日本大学選手権で明大が1981年以来38年ぶり6度目の優勝を果たした瞬間の写真だ。 この写真は中村さんが撮ったもの。 神宮球場に行ける日は数える程度だが、この日だけは運よく立ち会えた。 「この写真は誰も撮ってないと思うんですよ」と中村さん。 明大スタンドにいる選手も全員入る構図で胴上げの瞬間を撮りたくて、あえて相手チームの佛教大スタンドにいた。 周りはみな、佛教大を熱烈に応援する人たち。 中村さんは明大の勝利を信じ、静かにその瞬間を待っていた。 パネルにした写真には昨シーズンのメンバーたちのサインが並ぶ。 真っ先にサインをしたのが、この大会で最高殊勲選手賞と最優秀投手賞に選ばれた森下暢仁(まさと、現・広島東洋カープ)だった。 「明大スタンドも一緒に優勝の瞬間を」と、中村さんが狙って撮った一枚 撮影を始めたのは4年ほど前。 「柳(裕也、現・中日ドラゴンズ)のころから撮っていたよ」と中村さん。 最近では明大グラウンドでやるオープン戦などでも、撮影しては選手たちにLINEなどで写真を送っている。 メニューはほぼすべて500円! キャンプに差し入れも 店内のメニューのほとんどは500円(税別)となっている。 学生には「ハラミ」と「豚ロース」がとくに人気で、新鮮なホルモンを堪能できる「ハツ刺し」もオススメだ。 このお店ならではなのが「スペ玉ごはん(スペシャル卵かけご飯)」。 ご飯に卵と見た目はシンプルながら、ふわっと香ってくるゴマ油がなんともにくい。 「いい卵を使っています。 この味を家で再現するってのがなかなかできないんですよね」と中村さん。 シメにもってこいのメニューではあるが、このスペ玉ごはんを片手に焼き肉をほおばるというのもいい組み合わせだ。 「スペ玉ごはん」は特注の卵とゴマ油がポイント 明大野球部は年に2度、キャンプをしている。 いまから5年前、当時は明大の学生だった宮内和也(現・NTT東日本)と石井元(現・Honda熊本)が「キャンプ中も スペ玉ごはんを食べたい!」と熱望。 だったらと、中村さんはふたりの希望に応え、スペ玉ごはんの特注卵をいまもキャンプに差し入れしている。 そんな親しさもあってか、過去には「ここでバイトをしたい」と願い出る野球部員もいた。 「みんなを応援したい気持ちが大きかったから、一時は採用したい人数を超過したこともあったけど、それでも『明治枠』は死守していたね」と笑顔を見せる。 ちなみに、初めて「明治枠」で採用されたのは田中勇次(現・JR西日本)。 今年1月に監督に就任した田中武宏さんの息子だ。 いまでもお店の常連さんからは、当時の明治枠の学生は礼儀正しく好青年ばっかりだったという話になるそうだ。 その他にも記憶に残っている選手は多い。 店内の壁には所狭しと歴代部員のサインが並んでいる。 誰のサインかを一つひとつ教えてくれる中村さんも、なんだかうれしそうに見えた。 店内にはたくさんのサイン。 明大卒の野球選手が多い中、よく見るとラグビーのリーチマイケルのサインもある ドラフト会議の当日、21時からは明大指定席に ドラフト会議の日には明大野球部のために席を確保するのが当たり前。 早い時間に来店したお客さんには対応するものの、「今日だけ、ボックス席は21時まででお願いします」と頭を下げる。 昨年は森下と伊勢大夢(ひろむ)の運命がかかっていた。 お店にはプロ行きが決まっても決まらなくても、例年、監督とともに来てくれる。 いつもは料理を提供するだけだったが、このときはサプライズとしてふたりのためにケーキを用意。 「でも無事に指名されるかは分からないから」と、ケーキはユニフォーム姿のふたりをデザインしたものをオーダー。 「今日1日お疲れ様。 」のメッセージを添えておいた。 森下は広島東洋カープから1位指名を、伊勢は横浜DeNAベイスターズから3位指名を受け、新しい道が開けた。 ふたりの喜ぶ姿が忘れられない中村さんは、今年もサプライズを用意するつもりだと言う。 森下(右)と伊勢、運命のドラフト会議を終え、中村さんからのサプライズケーキを前にして(写真は中村さん提供) 今シーズンは新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れ、春季リーグは5月下旬に開幕日を延期し、1試合総当たりの方式に変更となった。 選手たちはいま、練習ができない状況となっているが、中村さんは今シーズンに向けて動き始めたときからずっと選手たち見守っている。 お店には田中監督たちをはじめとしたコーチ陣も訪れる。 「もちろん冗談ですけど、田中監督は『中村さん、どんなメンバーでいくのがいいと思う?』などと声をかけてくれることもありました。 だから『僕だったら……』と答えたりもして(笑)。 でもほんと、ずっと見てきていますからね。 スタメンの8割ぐらい当たる自信はありますよ」とにやり。 あふれんばかりの愛情を選手たちに注いできた。 そんな中村さんもまた、今シーズンの開幕を心待ちにしている。 4years. は大学スポーツに関する総合情報サイトです。 陸上・駅伝、アメフト、野球、ラグビー、サッカー、バスケ、バレー、ラクロスをはじめ、あらゆる競技について全力で独自取材したヒューマンストーリーをお届けしています。 そのほか、全国大学選手権(インカレ)などのビッグイベントに関する特集や、東京オリンピック・パラリンピック出場を目指す学生アスリートたちの特集、理系学部で学ぶアスリートの文武両道についての連載など、さまざまな視点から大学スポーツをとらえていきます。 大学スポーツに取り組める「4年間」という限られた時間に情熱を注ぐ彼ら、彼女らには、数限りないドラマがあります。 そのドラマに一つでも多く寄り添い、いつか大学スポーツの会場をお客さんで埋めたい。 そんな思いで運営しています。
次の経歴 [ ] 高校時代 [ ] では2年生の時、エース兼四番打者としての秋季関東大会決勝に進み、のと投げ合うが完封を喫し準優勝にとどまる。 しかし翌に開催されたに出場を決めた。 選抜では、前年の秋季大会ベスト8の実力を有するのと1回戦で対戦。 下馬評では比叡山高校有利と見られていたが、キレのあると抜群の制球力、さらには一人もランナーを出せずに焦り始めた相手打線の淡白な攻めにも助けられ、投球数78、奪三振5、外野への打球に至っては僅かに3という完璧な内容で高校野球の全国大会史上初めてを達成した。 27人目の打者を迎えた時に実況の三宅定雄アナウンサー(毎日放送)が松本を「あまりにも淡々としております」と評し、初球のピッチャーゴロを無難に処理し大記録を達成した際も、最後に捕球した一塁手が喜びを爆発させる中で松本は笑顔を浮かべただけですぐに整列へと向かった。 勝利後のインタビューでは「相手に申し訳ないことをしてしまいました」と述べ、「史上初のパーフェクトだよ」と問われても落ち着いた様子で「ああ、そうですか…」と答え、その知的なコメントと立ち振る舞いが世間の感心を得た。 なお、松本は後年「完全試合はもう既に誰かが達成しているだろうという程度の知識だった。 (完全試合が達成されれば史上初という)情報が入っていたらダメだったかもしれない。 」と振り返っている。 続く2回戦ではと対戦。 初戦に続き9イニングを四死球0と抜群の制球力を見せ付けたが被安打17、14失点を喫した。 ただし、この試合は、松本が2回に初めてのヒットを打たれると、1回戦で完全試合をアシストした守備が乱れ、それがことごとく大量失点に繋がるという不運もあった(この試合の松本の自責点は4)。 結果的に野手は6つの失策を記録し、攻撃も3安打無得点に抑えられ敗退する。 しかし、一般的に投手力の高いチームが有利とされているセンバツにおいても完全試合は、のの江の川高校(現・)戦におけるのを含めて2人しか達成しておらず、夏のでは2018年の時点では未だに達成されていない。 この年の群馬県の高校野球界はセンバツにおける前橋高校との名門2校によるアベック出場に沸き、先述の完全試合や桐生高校のベスト4進出、さらに後の春季関東大会において両校が決勝で対戦(桐生高校が勝利)するなど「群馬県高校野球界の黄金期」と評された。 対する滋賀県は、同年夏のでもが桐生高校に0-18の大敗を喫するなど、「暗黒の時代」と言われている。 比叡山高校はでも初戦で当大会の優勝校となる群馬県代表のに1安打完封で惜敗。 群馬県勢に対する滋賀県勢の相性の悪さを示す形となってしまった。 同年夏は、準々決勝でを完封したものの、その試合で肘を痛めた影響もあり、準決勝でに6-2で敗れ、春夏連続の甲子園出場はならなかった。 なお、この試合で松本は本塁打を打っている。 大学・大学院時代 [ ] 一般受験で体育専門学群に進学した松本はで外野手に転向し、一番打者としてチームを牽引。 では秋季リーグから一部リーグに復帰。 優勝には届かなかったが春季リーグ、春秋季リーグとも3位と健闘した。 1年上のチームメートにのがいた。 のから本塁打を放ち高野にリーグ戦唯一の黒星をつけるなどの活躍が評価され、3年生の春にはベストナインとして表彰を受け、4年生の時には選手間投票で主将にも任命された。 最後は投手も務めるようになったものの、投手としてはこの先上では通用しないと感じたことから、大学卒業を機に野球選手から身をひいた。 ただ、内野手になればへの道も開けたかもしれないのに、その可能性にチャレンジしなかったことを悔やんでいるという。 結局は、当初の夢である高校の教師になることを目指し採用試験の願書まで出していたが、このまま教師になってよいものかとの疑問から直前に受験を取りやめ、筑波大学大学院体育研究科に進学した。 大学院時代は、意図的に野球と距離を置きクラブチームでに勤しみ、「あの二年間は(野球にはなかった充実感を味わえ)とても貴重な時間だった。 」と振り返っている。 指導者としての実績・人物評 [ ] 大学院修士課程修了に際して、地方公務員である群馬県公立高校教員として採用され、にに赴任。 2年後には夏の群馬県大会を制してに出場。 この時は、1回戦で・・・らを擁する代表のに2-7で敗退している。 に母校である前橋高校に赴任し、同年秋から硬式野球部監督として指導に当たる。 の夏の県大会では決勝まで進んだが、を擁するに敗退し、甲子園出場は成らなかった。 そして、の秋の関東大会で準決勝まで駒を進め、翌年春のに出場。 普段の練習では高校時代の経験を生かしても務めていたため、開会前に行われる甲子園練習で24年振りの「甲子園のマウンド登板」が期待されたが、本人の「スタンドプレーと思われたくない」という意向から実現しなかった。 なお試合は1回戦でのに1-2で惜敗している。 にはで日本代表のコーチを務め、準優勝に貢献した。 群馬県内有数の進学校である前橋高校からは、でのU-21日本代表に選出された現監督のやで六大学野球リーグ史上12人目となる2度の首位打者(2008年春・2009年秋)を獲得したを初めとして数多くの選手をなどの名門大学に輩出した。 また、の著書『四番、ピッチャー、背番号1』で、その歩みが取り上げられた。 4月より、かつて野球部を甲子園に導いた中央高校の後身のに赴任。 野球解説者としても例年甲子園大会の民放ラジオ中継で実況解説者を務めている。 下旬にで行われた主催の指導者講習会では、、と共に学生野球指導者の代表としてパネラーを務める。
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