バスティーユの見取り図 国内に3箇所あった国立の一つで、の東側を守る要塞としてに建設された。 地区にあるので、バスティーユ・サンタントワーヌ(Bastille Saint-Antoine)とも言う。 中世のパリ市は全周をで囲まれたであり、バスティーユはその内郭の一つにあたる。 約30mの垂直の城壁と8基の塔を有し、周囲を堀で囲まれ、入口は2箇所のだけであった。 その後、パリは人口が増加して城壁の外にも市街地が広がったことと、中世の構造物のためにバスティーユそのものがの時代には軍事的価値を持たなくなったが、この侵入が困難で出入口が制限される構造が刑務所に向いていると判断された。 ここを国事犯の収容所としたのはのであり、これ以降バスティーユには国王が自由に発行できる「勅命逮捕状」によって捕らえられた者(主に謀反を起こそうとした高官たち)が収容されるようになった。 の時代に、王政を批判した学者なども収容されるようになり、またこの頃から収容者の名前を公表しなくなったため、市民たちにいろいろと邪推されるようになった。 囚人がバスティーユに連行される際、馬車の窓にはカーテンがかけられ外から覗くことは不可能であり、さらに出所する際には監獄内でのことは一切しゃべらないと宣誓させられた。 バスティーユは人間だけを収容するわけではなく、危険視された物は勅命逮捕状によっていかなる物でも収容された。 有名な例としては「」が押収保管された事がある。 1776年から最後の要塞の司令官は侯爵 ()であった。 バスティーユ襲撃後、要塞は解体処分された。 実態 [ ] アンリ・ガリ公園にあるバスティーユ要塞の基盤遺構 一般に、バスティーユは残虐非道な監獄であると誤解されているが、実情はかなり異なる。 部屋は5m四方であり、天井までは8mある。 窓は7mの高さにあり、がはまっているものの、外の光は十分に入り込む。 また囚人は、愛用の家具を持ち込むこともでき、専属のコックや使用人を雇うことすら可能だった。 食事も豪勢なものであり、昼食に3皿、夕食には5皿が出され、嫌いなものがあれば別のものを注文することができた。 牢獄内ではどのような服装をしようが自由であり、好きな生地、好きなデザインで服をオーダーできた。 また図書館、遊戯室なども完備されており、監獄内の囚人が病気などになった場合は国王のが診察した。 このため、他の監獄で病人が出たとき、病院ではなくバスティーユに搬送することがあった。 このように環境が整っているため、出所期限が訪れても出所しなかったり、何ら罪を犯したわけでもない者が債権者から逃れるために入所したこともある。 の即位からバスティーユ襲撃のまで、収容された人数は合計288人であるが、このうち12人が自ら望んで入所している。 要塞は革命後に解体が決定された。 解体作業中はその石材で作ったバスティーユ牢獄のミニチュアを土産物として売る業者が横行し、やがその様子を記録した。 に解体は完了した。 現在はとなっており、広場中央には1830年7月革命の記念柱 ()が立っている。 広場に面しては、かつて郊外線のがあったが、廃止後に解体され(1859年開業、1969年廃止、1984年解体)、1989年よりが建てられている。 現在は・の5号線行きホームに、この要塞の壁の遺構の一部を見ることが出来る。 またバスティーユ広場より少し離れたセーヌ川沿いの () に、丸型の基盤の遺構の一部が移され保存されている。 ギャラリー [ ]•
次の超上から目線! 荷造り中見つかる子供からの手紙にうるうるした😭これは娘が幼稚園の時に誕生日にくれた手紙💕「かあかへ!誕生日おめでとう、いつもけんかしてごめんなさい、これからはいい子にして仲良くして暮らしたあげる」って上からwwww 今も変わらない上から目線www 中学の卒業時手紙も上からwww 面白すぎる娘w — ピト kakatan0206 引用:Twitter 子どもからのお手紙は、思わずぷっと吹き出してしまうような上から目線のお手紙もありますよね。 子供が持って来た制作物見てたらこれが間に挟まってたんだけど、お母さんへだからきっと私にくれる手紙だと思うんだけど…渡す気配がない息子 寝た 見てないふりしてたほうがいいよね?存在忘れてる?それにしても、そだてることをがんばってね。 子供からオットへの手紙。 それが、子どもから上から目線のお手紙です。 あくまで、子どもはまじめに書いていて、笑わせようとする意図がまったくありません。 だからこそ、余計に笑えてしまいますし、ちょっと失礼なことが書いてあっても、なぜか笑いに変わってしまいます。 今日息子の机の引き出しから 面白い手紙を発見した😁 小学校で書いた親宛ての手紙らしい💦 見て爆笑🤣 気遣ってくれてるのはわかるけど、 時々お金下さいだって😅 めっちゃウケる🤩 — とみー nissytommy98 引用:Twitter 子どもの発想というものは、大人の考え方とは異なり、制限もなく斬新です。 今日は父の日。 子供たちが手紙を書いてくれましたよ。 なのに泣ける! 5歳の息子から「父の日」でプレゼントされたストラップ(?)と手紙。 鏡像文字の時期なので「と」も「さ」も「も」ミラー(笑)。 — 古賀学(Manabu Koga) manabukoga 引用:Twitter 読むのに苦労してしまうような誤字や、文字になっていない文字、鏡文字が多いのも、子どもからのお手紙あるあるです。 成長にともなって、上手な文章、上手な文字で書いてくれるようになります。 誤字がたくさんのお手紙は、大切な成長の証です。 息子が手紙をくれた。 これは誰?何て書いてあるのって聞いたら、「え?分からないの?…おじさんよ!ハロー人生這いつくばってぃのおじさんよ!」…??解読出来ずに悪かった(笑) — おきゃん twinsmamami 引用:Twitter ママにとっても、子どもにとっても、一生ものの思い出の品となりそうですね。 「もらったことがあるよ!」というママも多くいることでしょう。 お手伝い券や肩もみ券をもらったものの、「もったいなくて使えない!」「気持ちだけ大切に受け取っておこう」というママもいるのではないでしょうか? 子どもたちが全員成人式を過ぎたので、少しずつ思い出の品を整理中。 次男7歳時の母へのプレゼントの肩たたき券発見。 一生懸命 上手な文字 パパ なんでも頑張れるよ。 ありがとう。 — Hiroyuki Kinoshita HiroyukiKinosh3 引用:Twitter 子育てには、楽しいことや幸せなことがたくさんあります。 ですが、ついイライラしてしまったり、ストレスがたまったり、大変なことも多いのもまた事実。 そんな中、子どもから「ありがとう」というお手紙をもらったら、出産してから今日までの大変だったことを思い出して感激してしまいますね。 幼稚園最後のお弁当。 娘に何を入れてほしいか聞いたところ、ほぼいつものメニュー。 まあいいか。 最後なので「いつもきれいにたべてくれてありがとう。 ママはうれしいよ」とメッセージカードつきのお弁当を持たす。 帰宅後、空のお弁当箱と手紙と手作りの花を受け取る。 涙でちゃった、ありがとうね。 — ぽんた ほんだみほ usamimisunu 引用:Twitter 寝顔を見ながら、「イライラしながら怒ってしまって、悪いことをしたな」と反省することもある毎日。 子どもからの「ありがとうと」いうたったひとことで、パパもママは明日からも元気にがんばれます! わ〜〜い。 子供達がお花と手紙をくれました。 昨日ほっぺに「早く寝なさい〜」って言った時に描いていたのはこれだったのかー。 ありがとう〜〜。 — おかざき真里 cafemari 引用:Twitter 今までの苦労や疲れも一瞬で吹き飛ばしてしまうのが、子どもからの感謝のお手紙です。 深夜、仕事が終わって風呂に入ろうとしたら娘の張り紙が。 「宮川おんせん あいています。 どんな内容の手紙であっても、子どもからのお手紙はパパとママにとっては大切な宝物。 笑える内容でも感激する内容でも、疲れが一気に吹き飛んでしまう魔法のようなアイテムです。 いつの日か、成長したお子さんと一緒に、笑いながら読み返す日もあることでしょう。
次の暴力ではなく精神の力でインドを独立に導いた指導者 マハトマ・ガンディー(1869~1948)。 「インド独立の父」とも呼ばれ、彼が身をもって実践した「非暴力不服従主義」の思想は、今も多くの人に巨大な影響を与え続けています。 とりわけヤラヴァーダー中央刑務所に収監中に、弟子たちに宛てて一週間ごと書き送られた「獄中からの手紙」には、ガンディーの思想の精髄が込められているといわれています。 「100分de名著」では、この「獄中からの手紙」に新たな視点から光を当て、現代に通じるメッセージを読み解いていきます。 ガンディーは、グジャラート地方で裕福な家庭に生まれ知的エリートとして育てられました。 イギリス留学後、商社の弁護士として南アフリカに赴任した際、いわれなき人種差別にさらされ、社会活動の道を歩み始めます。 約20年にわたって人種差別撤廃運動を行ったガンディーは、1915年にインドに帰国。 これまでに経験を糧にインド独立運動を開始します。 国産品を愛用する「スワデーシー」、塩税法への市民的不服従を示した「塩の行進」、「ハルタール」という名の仕事の一斉放棄など、イギリスへの非暴力不服従運動を次々に指導していきました。 それらの運動によって全国民的なうねりが巻き起こり、ついに1947年、インドは独立を勝ち取ったのです。 彼の行動や思想がここまで多くの人々を突き動かしたのはなぜでしょうか? 政治学者の中島岳志さんは、ガンディーが「思弁的で難解な宗教思想を、誰にでもわかる、そして誰の心にも響くような行為によって実践したこと」にあるといいます。 たとえば、「塩の行進」にみられる「炎天下を歩き続ける」という行為は、ヒンドゥー、ムスリム、仏教といった宗教の違いを超えて共有できる「宗教的行為」といえます。 自分たちと同じような粗末な格好で炎天下を歩き続けるガンディーの行為は、同じような日常をすごす庶民たちの想像力を喚起し、文字すら読めないような人々の「内発的な力」を呼び起こしました。 その結果、わずか数人で始まった「塩の行進」は数千人という巨大なうねりとなっていたのです。 「歩く」「食べない」「糸紡ぎ車を回す」といった日常的行為を通して、政治の中に宗教を取り戻そうとしたガンディー。 彼の人生は「宗教的な対立や抑圧を起こすことなく、政治と宗教の有機的なつながりをつくるにはどうしたらよいか」「すべての生命の意味を問い、近代社会の問題や人間の欲望と対峙しながら、具体的な政治課題を解決していくことは果たして可能か」といった壮大な課題に取り組み続けた人生でした。 その精髄が込められた「獄中からの手紙」を読み解くことで、「宗教と政治の本来の関係とは?」「自分の欲望とどう向き合うのか?」「非暴力は現実に立ち向かえるのか?」といった現代にも通じるテーマを深く考えていきます。 その代表的な実践が「塩の行進」だった。 わずか数人の行進が数千人もの人々を巻き込むまでのうねりとなったのはなぜか。 それは「政治の中に宗教を取り戻す」というガンディーの思想の根幹に関わっている。 特定の宗教を政治の中に取り込むのではなく、あらゆる宗教が違いを超えて共有できる象徴的な行為を見出し、それを政治行為に転換したガンディーの思想は、私たちの既存の「宗教観」「政治観」を大きく揺るがす。 第一回は、歴史の転換点となった「塩の行進」の意味を読み解き、近代人が回避してきた「政治と宗教の本来の関係」を見つめなおしていく。 しかし、ガンディーは生まれながらの聖者ではない。 様々な欲望にまみれ、人の何十倍もの反省を繰り返しながら、ゆっくりゆっくりと自分の思想を練り上げていったのがガンディーという人間だった。 いわば、誰よりも人間の「弱さ」「愚かさ」を知り抜いた人間だといっていい。 自分には欲望があって、悟りなど開いていないという自覚があったからこそ、ガンディーは、自分自身の欲望と向き合う様々な「実験」を続けたのだ。 第二回は、「獄中からの手紙」にも描かれたガンディーの生き方を通して、「人間は欲望とどう向き合っていけばよいか」を見つめていく。 憎悪の反復は、最終的には何も生み出さない。 怒りを超えた「赦し」によってこそ、次の平和に向かって進むことができるというのだ。 このようにガンディーの「非暴力」思想は、単に暴力を否定するだけのものではない。 「怒りや敵意を超えろ」というメッセージが込められている。 攻撃的な言葉で敵を攻撃し、声を荒げることも暴力にほからなない。 ガンディーは敵対する人々に対しても、「祈り」「断食」といった自己変革を伴う運動によって、相手の心を動かし、高次の対話につなげていこうとするのだ。 第三回は、ガンディーの非暴力思想に込められた深い意味を読み解いていく。 安価な海外製品を買うよりも、手作業で作った自国産品を作り使おうという「スワデーシー」はその代表例だ。 それは「隣人に対する義務」「もともと流れていた豊かな時間」を取り戻す宗教的な行為でもあるというガンディー。 機械文明の対極にある手作業、支配の対極にある非暴力、人工性の対極にある身体的な自然……ガンディーの思想には、西洋近代の歪みを是正する東洋的な叡知が確かに存在している。 そして、「受動的抵抗」とも呼ばれたその運動の数々は、暴力を伴う前のめりな運動よりも、はるかに大きなうねりを巻き起こしたのだ。 第四回は、ガンディー思想の根底に流れている宗教観や労働観など、奥深い思想を読み解いていく。 テクストは生きている 「社会の行く末を左右するような決定が、丁寧に議論されないまま、いつの間にか決まってしまっている」「大きな不祥事が生じても誰も責任をとろうとしない」「それどころか不都合な事実については誰もが口を閉ざし、隠蔽されてしまう」……世界で今、起こっている出来事をみていると、暗澹たる思いに沈んでしまいます。 何かがおかしいと思いながらも「どうせ世の中は変わらない」と無力感に襲われそうになります。 イギリスによる過酷な統治、当たり前のことができない不自由さ、にもかかわらず宗教や階層の違いで憎しみあい、決して一つにまとまることができない民衆たち。 ガンディーは、こんな厳しい状況に対して、いわば「素手」で立ち向かった思想家であり、政治家です。 そして、彼は、確かに、一つの巨大なうねりを巻き起こし、インド独立という偉業を成し遂げる大きなきっかけを作ったのです。 しかし、ガンディーの思想は、生半可なことでは読み解けない、独特な言い回しにあふれています。 一見すると理解が困難な、ヒンドゥー教の経典のような厳格さ、独自の宗教用語がちりばめられていて、たやすく近づくことができませんでした。 番組を企画するきっかけについては、すでにというコラムに記したので省略しますが、中島さんの「読み」のすばらしさは、絶妙な補助線の入れ方にあります。 特に、ガンディーの思想の中で、もっともハードルの高い「欲望」の捉え方については、カントの「統整的理念」「構成的理念」の考え方を補助線として、見事に解きほぐしてくれました。 ここには、現代において、さまざまな局面で行き詰まりをみせている「近代文明」の限界とその乗り越え方のヒントが、この時点ですでに明確に指し示されているのです。 最近たまたまみたドキュメンタリー映画のインタビューの一節が不意に頭をよぎりました。 文章が自ら動き出す。 それは突然起こる。 何度も目を通した文章なのに、不意に未知のものが見えてくる。 汲めども尽きぬ言葉の織物。 そのような文章はすでに訳したことがあっても、汲み尽くせない。 おそらくそれこそが最高の価値を持った文章である証拠。 ガンディーのテクストを読む体験は、まさにスヴェトラーナさんが感じたのと同じような体験でした。 ガンディーの言葉は、今も私の心の中で「動き続けて」います。 そう、ガンディーのテクストは、わずか100分では到底汲み尽くせない豊かさを秘めているのです。 みなさんも、ぜひこの番組をきっかけに、ガンディー自身の言葉に直接触れていただけたらと、願ってやみません。 ガンディーは「よいものはカタツムリのように進む」という言葉で、私たちを鼓舞しれくれます。 番組制作を終えたこれからも、ガンディーの思想に学び続けたいと心に誓っています。
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