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次のスポーツが戦争にまで発展したんっすか?試合の審判でもめたとか? 【雑学解説】サッカーから戦争に発展した経緯と理由とは? ともに中米に位置するホンジュラスとエルサルバドルの戦争を、通称 「サッカー戦争」という。 もちろん「クソ! サッカーに負けた…ならば戦争だ!」となったわけではない。 そんな短気な国には住みたくない…。 複雑な事情を説明するにあたって、時系列で出来事を紹介しよう。 1969年6月8日 ホンジュラスとエルサルバドルによる ワールドカップ予選・第1戦が行われる。 ホンジュラス代表の勝利で終わる。 この結果を受けて、 エルサルバドルの女性が自殺。 ある意味ではファンの鏡だが…日本では考えられない…。 しかし中南米の国々ではサッカーに熱狂的だからこそ、こういったことや暴動なんかはよくあるのだ…悲しいけどね。 1969年6月15日 ホンジュラスとエルサルバドルによる ワールドカップ予選・第2戦が行われる。 結果は エルサルバドル代表の快勝。 この時、 ホンジュラス代表サポーター二人が暴行により死亡。 だいぶキナ臭くなってきたが…まだ戦争にはならない。 熱狂的っていうのも本当に考えものだ…。 イライラを募らせてきた問題とは? そもそもホンジュラスとエルサルバドルの間には、さまざまな衝突があった。 たとえば、 移民問題。 エルサルバドルは、人口は多いが国土が狭い。 そのため生活の基盤をホンジュラスに求める人々が多くいた。 そういった人々にホンジュラス政府が立ち退きを求めて、緊張感が高まっていた。 他にも 貿易や国境問題など、試合が始まる前から、お互いにかなりイライラを募らせていたのだ。 その中で自国の女性が自殺してしまったり、暴動で二人も亡くなってしまったりで… もう我慢の限界! となってしまった。 そのため、サッカーは戦争の原因の一部であるけれども、 きっかけと考えるほうが本質的だ。 戦争はエルサルバドル軍優勢に進み、ホンジュラスの領土を次々と占領していく。 そんな中、以前より軍事衝突の回避や両国の停戦を目指していた 米州機構という国際機関の仲介により、 エルサルバドルはホンジュラス領土から撤退する。 明確な戦勝国は存在しないものの、犠牲者の多くはホンジュラスの農民であったり、エルサルバドル軍が国民的英雄として扱われていたことから考えると、 エルサルバドルに軍配が上がったというところか。 そんな至極まっとうな意見がもっと早い段階で出てこなかったのか…? なので、戦争の名がついているが 実際には戦っていないのだ。 先に攻撃させようと、相手軍の悪口をずっと言っていたそうで…。 騒動後はみんなで仲良くポークステーキを食べた…かどうかわからないが、冷静な人がいて本当に良かった! 1838年 お菓子戦争…フランスVSメキシコ メキシコに出店していたフランス人お菓子職人が、メキシコ軍にお店を壊されたという訴えを起こしたことが原因。 フランスがメキシコの湾を封鎖したり、中々大規模な戦争になろうとしていたが、 イギリスの外交面での仲介もあり、そこまで大きな戦いにはならなかった。 しかし、お菓子職人はきっちり賠償金をゲットしたので、実質フランスの言い分が通った形ではある。 そもそも個人が泣きついたくらいで、軍が動くなよと言いたい! 1925年 野良犬戦争…ギリシャVSブルガリア 野良犬を追いかけて遊んでいたギリシャの兵士がうっかり国境を越えて、 ブルガリア領土に入ってしまったことが原因の戦争。 気づかずに領土に入ったギリシャの兵士を撃ってしまったブルガリア政府はすぐに謝罪をしたのだが、ギリシャ政府はそれを受け入れなかった。 ブルガリアの領土を侵攻し、町を制圧してしまう。 ブルガリア政府もそれならば! と奪還作戦に乗り出して戦争開始。
次のスポーツが戦争にまで発展したんっすか?試合の審判でもめたとか? 【雑学解説】サッカーから戦争に発展した経緯と理由とは? ともに中米に位置するホンジュラスとエルサルバドルの戦争を、通称 「サッカー戦争」という。 もちろん「クソ! サッカーに負けた…ならば戦争だ!」となったわけではない。 そんな短気な国には住みたくない…。 複雑な事情を説明するにあたって、時系列で出来事を紹介しよう。 1969年6月8日 ホンジュラスとエルサルバドルによる ワールドカップ予選・第1戦が行われる。 ホンジュラス代表の勝利で終わる。 この結果を受けて、 エルサルバドルの女性が自殺。 ある意味ではファンの鏡だが…日本では考えられない…。 しかし中南米の国々ではサッカーに熱狂的だからこそ、こういったことや暴動なんかはよくあるのだ…悲しいけどね。 1969年6月15日 ホンジュラスとエルサルバドルによる ワールドカップ予選・第2戦が行われる。 結果は エルサルバドル代表の快勝。 この時、 ホンジュラス代表サポーター二人が暴行により死亡。 だいぶキナ臭くなってきたが…まだ戦争にはならない。 熱狂的っていうのも本当に考えものだ…。 イライラを募らせてきた問題とは? そもそもホンジュラスとエルサルバドルの間には、さまざまな衝突があった。 たとえば、 移民問題。 エルサルバドルは、人口は多いが国土が狭い。 そのため生活の基盤をホンジュラスに求める人々が多くいた。 そういった人々にホンジュラス政府が立ち退きを求めて、緊張感が高まっていた。 他にも 貿易や国境問題など、試合が始まる前から、お互いにかなりイライラを募らせていたのだ。 その中で自国の女性が自殺してしまったり、暴動で二人も亡くなってしまったりで… もう我慢の限界! となってしまった。 そのため、サッカーは戦争の原因の一部であるけれども、 きっかけと考えるほうが本質的だ。 戦争はエルサルバドル軍優勢に進み、ホンジュラスの領土を次々と占領していく。 そんな中、以前より軍事衝突の回避や両国の停戦を目指していた 米州機構という国際機関の仲介により、 エルサルバドルはホンジュラス領土から撤退する。 明確な戦勝国は存在しないものの、犠牲者の多くはホンジュラスの農民であったり、エルサルバドル軍が国民的英雄として扱われていたことから考えると、 エルサルバドルに軍配が上がったというところか。 そんな至極まっとうな意見がもっと早い段階で出てこなかったのか…? なので、戦争の名がついているが 実際には戦っていないのだ。 先に攻撃させようと、相手軍の悪口をずっと言っていたそうで…。 騒動後はみんなで仲良くポークステーキを食べた…かどうかわからないが、冷静な人がいて本当に良かった! 1838年 お菓子戦争…フランスVSメキシコ メキシコに出店していたフランス人お菓子職人が、メキシコ軍にお店を壊されたという訴えを起こしたことが原因。 フランスがメキシコの湾を封鎖したり、中々大規模な戦争になろうとしていたが、 イギリスの外交面での仲介もあり、そこまで大きな戦いにはならなかった。 しかし、お菓子職人はきっちり賠償金をゲットしたので、実質フランスの言い分が通った形ではある。 そもそも個人が泣きついたくらいで、軍が動くなよと言いたい! 1925年 野良犬戦争…ギリシャVSブルガリア 野良犬を追いかけて遊んでいたギリシャの兵士がうっかり国境を越えて、 ブルガリア領土に入ってしまったことが原因の戦争。 気づかずに領土に入ったギリシャの兵士を撃ってしまったブルガリア政府はすぐに謝罪をしたのだが、ギリシャ政府はそれを受け入れなかった。 ブルガリアの領土を侵攻し、町を制圧してしまう。 ブルガリア政府もそれならば! と奪還作戦に乗り出して戦争開始。
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