恋人 類語。 vol.201 「恋人」の色々な言い方

恋人の類語・関連語

恋人 類語

「惚気」の読み方 「惚気」は 「のろけ」と読み名詞になります。 「惚気」とそのまま読む事もあれば、後ろに 「〜る」とつけて 「惚気る」 のろける などと動詞として使う事もあります。 まず 「惚気」の 「惚」という漢字には、心を奪われる・心がぼーっとする・ぼんやりするという意味があり、音読みで 「コツ」訓読みでは 「ほれる」 「ぼける」 「ほうける」 「とぼける」と読みます。 「惚」は意味と音を合わせた漢字で形成文字になり、部首は[りっしんべん]なので人の心を表し、右側の 「勿」には打ち消しの意味の 「〜ない」や 「〜してはいけない」などの意味があります。 また 「勿」の下にはもう一つ 「心」があるため、この漢字には部首の意味である心も合わせ"心"が失くなる、奪われてしまう意味や様子が強く表れた漢字になります。 「惚気」の意味 「惚気」とは男女間において、もしくは自分の大切な人やパートナー、恋人、配偶者の事を得意げに自慢したり褒めたりする事をいいます。 殆どの場合は 「聞かされる」側が何も質問していない場合が多く、何かキッカケを見つけては勝手に惚気出すパターンが多いといえるでしょう。 惚気られること自体は限度を超えなければ周りも話を聞いたり相手をしますが、やはりあまりいい印象を与えないようです。 それはおそらく、会話の主体や論点がズレている事にも気付かず話し続け、挙げ句の果てには呆れられている事に気付かずに勝手に 「羨ましいんだな」や 「僻んでるんだ」と勘違いするからではないでしょうか。 中には本当に羨ましくて素っ気ない人も居ますが、殆どの場合は、聞いてもいない事を勝手にペラペラ話された上に、質問と関係のない答えをされる事が面倒臭いと思っていりことが多いでしょう。 また 「惚気る」の 「のろ」は、速度が遅いという意味の 「鈍い」の 「のろ」と同じ語幹であり、 「惚気」は 「頭の動きや感情がのろくなった精神」という意味を持ちます。 つまり頭の中が恋愛でいっぱいになっていて、周りが見えず一人勘違いや空回りをしては盛り上がり、空気も読めないほど頭の回転が鈍っている状態を指すのが 「惚気る」という行為だと言われています。

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vol.201 「恋人」の色々な言い方

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「好き嫌い」という表現があるように、特定の物事に対して肯定的な「好き」と否定的な「嫌い」という言葉は対義語(反対語)の関係です。 「好き」という言葉には、以下のような意味があります。 (物事に) 心がひかれること。 気に入ること。 また、そのさま:「好きな人、好きな食べ物」など• 何かに偏った好み。 物好き:「彼は物好きな人だ、蓼食う虫も好き好き」など• (異性に対して) みだらな気持ちを抱くこと:「好き者、男好き」• 自分の思うままに振る舞うこと。 気ままなこと:「好きに遊ぶ、好きに行動する」など いずれの意味も、人が何かに魅力を感じるといったポジティブな思いが背景にあります。 そして、その物事を自分に引きつけたい、逆に、自分がそれに近づきたい、大事にしたいといった行動に結びつくのです。 【愛好】(あいこう) 好きな物事を趣味などにして楽しむことです。 特定の物事を愛好している人のことを「愛好家」と言い、愛好家が集まりを「愛好団体」など呼びます。 1だけでなく、2(ときには3)の意味の「好き」の類語です。 【首っ丈】(くびったけ) 誰かにすっかり夢中になることを、足の先から首まではまり込む様子にたとえた表現です。 おもに、恋愛について用いられます。 【目がない】 心を奪われて、思慮分別(しりょふんべつ)をなくすほど好きなことという意味を持っています。 おもに、食べ物や飲み物に対して用いられる言葉です。 [例文]• 織田信長が茶を愛好したので、当時の戦国武将はみな茶道を学んでいたそうだ。 彼女はアイドルのAくんにすっかり首っ丈だ。 父は日本酒には目がないのですが、肝臓が悪いのであまり勧めないでください。 【三昧】(ざんまい) 自分がやりたいことだけをやる状態を指しますが、おもに、「ギャンブル三昧」「旅行三昧」といった複合語として用いられます。 【出鱈目】(でたらめ) 振ったサイコロの「出たその目のままにする」というのが本来の意味で、「出鱈目」は当て字です。 いいかげんであること、後先考えずに勝手にすることを指します。 ただし、「好き」にはいいかげん、首尾一貫していないといった意味合いはありません。 【奔放】(ほんぽう) 常識や規則を逸して気ままに振る舞うという意味です。 「奔」という漢字には、好き勝手にする、勢い任せに行動するといった意味があります。 [例文]• 彼は会社経営が傾いても贅沢三昧な生活から抜け出せずにいる。 彼の出鱈目な行動には毎回振り回される。 私は娘に甘く、奔放に育てすぎたのかもしれない。

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恋人 類語

カードの意味 正位置の意味 誘惑と戦う、自分への信頼、価値観の確立、情熱、共感、選択、絆、深い結びつき、結婚、継続。 逆位置の意味 誘惑、不道徳、失恋、空回り、無視、集中力欠如、空虚、結婚生活の破綻、無干渉。 のにおける解説では「魅力・愛・美」を意味するとされる。 また「」の説ではビナーとティファレトのセフィラを結合する経に関連付けられている。 占星術との対応 以下のような諸説がある。 星座:説、説 、説、説、説• 惑星:説、説、説 寓画の解釈 15世紀頃の初期のタロットでは複数の男女が人生を謳歌する構図で、単純に恋愛そのものを表していたようにみえる。 に注目すると、2人の女性が1人の男性の両側に立ち、その頭上に天使らしき1匹(?)を確認できるがこれは(キューピッド、または)であり、(人間的な)生臭い男女の関係を表していると言える。 向かって左側に位置する女性は(頭の被り物から見て)ある種の権力を持っているようであり、我が物顔で男性の肩に手を置いている。 一方、向かって右側の女性は年も若く、アプローチも情熱的であろうことが男性の心臓に近い部分に当てられた手から窺い知ることができる。 どことなく、頭上の天使とこの女性は協力関係にあるように見える。 中心の若者は明らかに優柔不断であると見て取れるが、それは2人の女性両方が彼にとって大切な何かであることを表している。 具体的には、彼の頭は(彼自身から見て)右側(意識・理性)の威厳ある人物へと向けながら、残りの身体は(彼から見て)左側(本能・無意識)の金髪の人物へと向けられていることから、まるでに挟まれたかのように身動きすらままならないようである。 そこで「優柔不断」という解釈や「選択・決断」という意味がうまれる。 は無駄を省いて均衡の取れた1組の男女を書き表した。 に描かれている人物は、の(の聖典・のイブとリリス又は女神との王子・とも)がモチーフとされる。 クピドに代わる天使はをモチーフにしたものに変更されている。 イヴらしき女性の後ろには善悪を知るための知恵の樹、アダムらしき男性の後ろには永遠の命を司る生命の樹が描かれる。 知恵の樹には、のエピソードの中で、邪悪な物、人を惑わす存在として蛇が巻き付いている。 蛇は、においては地上を這う低俗なものであるが、そこに留まらず進化を遂げ、となって消化し、天に上がってに変成するとされている。 なお、この蛇は「10 」の札にも描かれており、「9 」のカードの一部には、杖に巻き付いている様子が描かれているものもある。 絵柄の男女の間の奥に映る山は、聖者が修行する場所、険しい岩山は神の峻厳と人の試練の象徴である。 アダムとイヴのエピソードによれば、2つの樹に生っている実は「死んでしまうから」食べてはいけないと神に命じられていたが、知恵の樹の蛇が「その実を食べると目が開け、神のように善悪を知ることができるから禁じているだけ」とイヴに唆すことで、共に盲目のイヴとアダムがその実を食べてしまい、目が見えて自身が裸であることを恥じ、イチジクの葉を綴り合せて身体を覆ったのだとされる。 後に2人は神の怒りを買い、エデンの園から追放されてしまうのである。 における人間の「原罪」の思想が描き出されたのはこの2人が犯した罪からであるといわれている。 脚注 [].

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