突然ですが皆さん、現在の関西ジャニーズJr. をどのぐらい知っていますか? in大阪が放送されわくわくきゃーきゃーするTLに、正直あんまりついていけてない方もきっといるはず。 ということで、とてもとても関ジュにわかな私が、「本当にざっくり来週までに覚える関西ジャニーズJr. 」まとめを作ってみました。 来週、もう一度in大阪の放送があるので、その時までにはぜひ「この子はかっこいいな」と思える子に出会ってほしい…だけではなく、圧倒的に 覚えたほうが楽しいです。 関西ジャニーズJr. の わちゃわちゃっとした一体感は、それこそ東京のJr. たちではあまり見られないものなので、顔と名前が一致している子が一人でも多ければ多いほど楽しい…! 関西ジャニーズJr. とは 関西のジャニーズJr.。 嘆かわしいかな、世間一般はもちろん、先輩タレントさんにさえ そもそもそんなものがいるという認知度がとても低い。 そして現在関西ジャニーズJr. にはユニットがない。 ユニットがない。 (二度目)全員東京でいう無所ジュニア…… ただし、上記ポスターをよく見ると分かるとおり、グループというかユニットというか、ある程度のくくりはある。 それを基準に覚えていくと覚えやすい。 注意点 2週間でだいたいのメンバーを頭にいれた私の知識で書いてます。 ほぼ私の、「私はこう覚えたよー」ぐらいの覚え書きでメモです。 多分間違ってることも多々あります。 ざっっっっっっっくり一週間で覚えられる程度の知識と画像しかついてないです。 間違いがありましたらお手数ですが教えてください!!!(コメントありがとうございます!) 恥ずかしいので!!! 分からなくなったらお友達・知り合いに躊躇せずに聞きましょう。 なんとなくフォロワさんを見ていてのイメージですが、関西Jr. を好きな方は基本「みんなを関ジュ沼に囲いこみたい欲」がすごいです。 聞けばほぼ確実に懇切丁寧な解説つきで教えてくれます。 新しいグループを覚えるときもそうだけど、比にならない人数なので、ある程度は雰囲気で覚えていきましょう。 たまにっぽい表情をする。 過去画像見ると比較的坊主・短髪時期が多い。 ジャニーズJr. 陸上に関西から一人でるわ、あるわ、あさが来たでるわ、来年二本映画(亀梨くんと二宮くんと共演)はあるわのどセンター。 すごい。 ボケたがり。 パーマ、大きいお鼻、大きいお耳。 というボケ集団をたった一人でまとめて突っ込む苦労人お兄ちゃん。 声が特徴的。 アイドル、かっこいいというよりかわいい。 だいたいふわふわ明るめの髪色。 ㉘の風雅くんが大好き。 ㉝の小柴くんも好き。 ちびりゅと呼ばれる(が関ジュにいた頃の名残)。 前の方にいるちっちゃいこ。 お顔が綺麗。 肌が白い。 圧倒的歌唱力をもっている。 ミュージカルや舞台の仕事が忙しく(秋〜冬は初主演舞台あり)松竹座に立つことが少なくはなっているが、たった時は最年長として関ジュを引き締めてくれる人。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 次、未来ある3人組(?)が二組。 背が高く完成度がぐんぐんあがっている。 お顔が綺麗な今流行のイケメン。 「見たことある」という方も多いのでは?ダンスがこの3人のなかで一番しゃかりき。 めっちゃめちゃ踊る。 眉毛と目が笑い泣きのようでかわいい。 高橋くんより背が低い。 (バンドに回る事が増えたことの是否はこの際問わないこととする)今年のin大阪では4人で同じ衣装を着て、同時に抜かれていることが多い。 基本的にこのユニット(?)は顔が覚えやすいと思う。 割とみんなキャラが立ってる。 特徴はちょっと猫目と眉毛、歌うときの表情。 実は昨年東ジュの集まりの中ふらっとMステに出ている。 昨年のin大阪でコーナーに出ている。 最近急に短髪になったり、見るたびに踊りや演技がうまくなっていたりするので何年か前の映像を見ると探せなくてびっくりするよ。 ドラム担当。 親しみ持てるかっこよさ。 リア恋みある。 ギターを持たせると本当に男前。 キーボード担当。 この子も顔が覚えやすいと思う。 まっすぐなお目目が特徴。 ここまでの11人を覚えれば、今週や来週のin大阪で、前の方にいて比較的キラキラな衣装を着て踊ってる子はだいたい分かるかと思う。 「あれ、でもTLで見たあの子がいない…」という方は下へ。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 以下はFunky8と呼ばれる8人組。 兄組Jr. みたいな扱いを受けがちだが、個人的にまったくもって納得してない。 平均年齢21歳だよ! 今年のFunky8はとにかく皆がビジュアル最高点をたたき出している。 最近推されてる。 しゃべるために生まれてきた芸人。 踊るときは目見開きがち真顔になりがち、お口が大きい。 だいたい濃い茶髪。 今年は沢山マイクを持っているし、立ち位置が前であったりコーナー出演が多かったりと何かと目立つ急速推され株。 今週のダンスコーナーにもいたね。 体の柔らかさをいかしたしなやかで大きいダンス。 基本かわいい。 めちゃめちゃかわいい。 顔は比較的覚えやすいと思う。 私は関西の有岡っぽい子って覚えた。 顔が薄い系。 困り気味の眉毛と輪郭で覚えると覚えやすい。 バックについている誰かがカメラを見据えてきていていい笑顔だったらそれはだいたい真鳥くん。 スーパーハイパーアイドル。 今週のダンスコーナーをまだ見ていなかったらみてね。 過去映像を見るときは、前髪を下ろしているときとあげているときがあることを念頭にいれると探しやすい。 上をむいて踊りがち。 全体を引きでみたとき、顔の角度がみんなと違う。 正面って今江くんにとっては斜め45度ぐらい上。 背低くてまあまあ上むいてたら今江くん。 笑顔にへらあってしてたら今江くん。 宣材などでは笑顔が多いため、たまに真顔で踊ると誰か分からなくなりはじめは困惑した。 あと顔のパーツが真ん中によっている(他の子比べ)。 ジャニオタ。 楽しそうに笑顔で踊る(たまに目は泳いでいる)今週はクイズコーナーにいた。 最近自分のかっこよさをわきまえてきてますますキラキラになっていく…リア恋をこじらせている人が多い。 苦しい。 好きで苦しい。 ビジュアルアップダウン…というか髪型の変化が激しいので静止画で覚えるより動画で覚えたほうがいい。 儚い顔。 メイクが映える顔。 背が低いので探しやすい。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 以下はメインとして踊る曲などはほぼ無いが、一度気になってしまえば底なし沼に誘われる子たち。 沼は深い。 笑顔と目が特徴、そしてぐんぐんのびる身長と大きくなっていく体…!動きが大きいタイプなので、全体で踊っていても踊りが派手で探しやすい。 めちゃかん(TV誌関西版の関西Jrコーナー)や関ジュ日誌(7月)で生存確認されているよ!お歌がうまい!!!(照史が認めてるうまさ)お顔まあまあ特徴的、あんまりジャニーズにいない顔、覚え易いと思う。 眉毛と輪郭。 ㉒(おおたに じ) この子の顔もまあまあ覚えやすいと思う。 ちょっとハーフよりのお顔。 私はこの子と㉕の毛利くんを覚え分けるのに少し手こずった。 ベースを弾く人。 ボクシング大好き吉岡廉。 髪型が特徴だと思う。 割とこの髪型固定。 でも気づくと髪染めてたりする。 ㉔吉野伊織(よしの いおり) つり目、顔長め、浅黒肌。 (比較的すぐ覚えられた) ㉕毛利柊和(もうり とおわ) ジャニオタはこの子の顔が好きだと思う。 比較的王道をいくジャニーズ顔。 ア、ハーフ顔のマッチョ。 ㉖石澤晴太郎(い しざわ せいたろう) この子も歌によって表情結構変わるから静止画よりも動画を見たほうが分かりやすい。 目がたれててちょっと知念っぽい子。 比較的平均身長の低い関西ジャニーズJr. の中で背が高くスタイル抜群。 顔が濃い。 眉毛と彫りの深さとつり目が特徴。 正直ここまでいくと私が彼らの動きとか踊りの特徴を全く捉えきれていないので、 詳しい人に聞いてください! ーーーーーーーーーーーーーーーー ここ以下はちびジュ!(中学生) 割と前(推され)が入れ替わりがちのような気がして、私の認識ではちょっと誰が推されてるのかがよく分からない… ㉘大西風雅(おおにし ふうが) しゃべってるの見ると5しゃいかな?って感じの超絶かわいい風雅くん〜!顔濃いめ。 タイプの女の子はメガネが似合う子。 好きだわ。 群を抜いて小さくて、ダンスが発達途上。 ㉙山本琉輝(やまもと りゅうき) 皇室みたいな顔してるって覚えた。 バレエが出来る子。 お鼻が特徴的、背高いし見つけやすいと思う。 ㉚奥村颯太(おくむら そうた) しゃべるのがうまい。 イメージとしてはさんの声。 音読をネタにする。 すっごい面白い。 顔濃い。 背が比較的低い。 ㉛辻本良(つじもと りょう) お顔特徴的、目、鼻、髪型で結構覚えやすいと思う。 ぬいぐるみと一緒に寝る系アイドル。 かわいい。 ㉜川北翔(かわきた しょう) しゃべるのが上手!マジックしがち(in大阪でもしてる)ダンスが大胆で大きい、見つけやすい。 踊るときは割とまゆをしかめてにかっと笑う表情をする。 ㉝小柴陸(こしば りく) バックにつく歌で口パクしてる意識高い系。 割とちびの中ではセンターに近い位置で踊ってる。 ほっぺたぷくっとした子。 龍太くん尊敬してるらしい(ちょっと塩対応?) ㉞岡佑吏(おか ゆうり) 髪型が特徴。 髪型とヨーヨーで覚えてる。 目をひく踊りをする子。 腹筋ばっきばきだった子。 「おかゆ」と呼ばれる(っぽい) ㉟西村拓哉(にしむら たくや) お目目が大きいがゆえちょっと疲れて見える(目が大きい子あるある)で探すと分かる。 一番最後に覚えた子。 踊りがき! ㊱河下楽(かわした がく) 「らく」くんじゃなくて「がく」くん。 短めの前髪と眉毛、優しそうな笑顔が特徴。 最近ぐんぐん大きくなっている。 この辺はもう名前見て「関ジュなんだな」ってわかる程度であれば大丈夫です。 (正直私も顔と名前がギリギリ一致しているレベルで彼らの特徴をそこまで把握していない) 今はこのメンバーの中に、2016年に新たに関ジュとして加入し先日までのANOTHER公演に参加していた5人の男の子たち(名前は気になったら調べれば出てきます)で約40人といったところ。 私が途中で力尽きた感じしかしませんでしたがありがとうございました。 大幅に間違ってたら言ってください…ほんとごめんなさい… niseri1012.
次の「ナンセンス」という看板は1964年(昭和39年)のトリオ結成から始まり、1979年からはコンビに形態を変えて長らく活動してきたが、2018年をもってコンビを解消し、看板が消滅した。 長きにわたる活動に敬意を表し、ここで少しナンセンス、ナンセンストリオについて整理してみたい。 まずは山下武『大正テレビ寄席の芸人たち』(2001発行 東京堂出版)より、ナンセンストリオの項を引用させていただく。 年月日の数字表記のみ手直しさせていただいた。 このトリオ、リーダーはなく、江口明(本名=斉藤清)、岸野猛(本名=伊東正弘)、前田燐(本名=中沢永一郎)ら三人の立場は平等、というのも珍しい。 トリオの結成こそ昭和39年(1964)11月(於・浅草常盤座)だが、じつは江口の前にもう一人いて、前田、岸野とともに「ナンセンス・トリオ」と名乗っていたから、正確には二代目のチームとも言える。 もっとも、それ以前にも岸野と前田の二人で「コミック・ジャイアンツ」というコンビを組んだこともあった。 なお《江口の前にもう一人》というのは青空球児のことらしい。 ナンセンスが所属していた漫才協会のサイトには、2019年1月の段階ではまだナンセンスの紹介ページが残っていた。 トリオ時代とコンビ時代では岸野以外のメンバーが違っている。 いつ頃メンバーが入れ替わったのか。 メンバー遍歴を見る前に、まずは『大正テレビ寄席の芸人たち』から岸野の経歴について引用させていただく。 岸野猛は、昭和10年(1935)5月、東京・世田谷の生まれ。 中央大学商科を中退してエノケンの門に入り、昭和34年(1959)秋の新宿コマ劇場「エノケンのお染久松」が初舞台。 新宿コマ、浅草フランス座に出演、フランキー堺プロにいたこともある。 この『大正テレビ寄席の芸人たち』は、「大正テレビ寄席」という番組のプロデューサーであった山下氏(柳家金語楼のご子息でもある)が番組で活躍した出演者達について綴った本だが、番組以外の記録に関しては若干違っているところが少々ある。 公演記録は大丈夫だと思いたい。 2015年9月にJ-COMで放送された『漫才大行進ゲロゲーロ』 102にて岸野猛と原田健二が自身の経歴を語っていたので岸野猛の経歴を抜き出してみる。 (以下、テレビ画像は全て『漫才大行進ゲロゲーロ 102』より) 19歳でエノケン学校(榎本健一映画演劇研究所)に入る。 (恐らく、浅草の)フランス座改築半年前に入座。 当時の主役は長門勇。 フランス座改築時に新宿ミュージックホール入り。 当時の主役は三波伸介。 新宿では三波と一緒に5年コントをしていた。 24歳からトリオを始める、とあるが、1935年生まれの岸野の24歳時は1959年。 浅草フランス座が改築したのも1959年なので、東洋興業に入ってからトリオコントを始めたということか。 また、三波伸介はてんぷくトリオ結成(1961)の前に1年ほど大阪にいた時期があるので、三波伸介と「だけ」コントをしていた訳ではなさそうだ。 司会者として長らく活躍された故・町田陽介氏のブログ(閉鎖)に岸野の名前があった。 勝手ながら引用させていただく。 (東洋劇場の)更なる充実を計る為に、ロック座から東八郎(今は故人となりましたが後にトリオ・スカイラインのリーダーとして活躍)、池袋フランス座から松美はじめ・文部おさむ、新宿ミュージックホールから岸野柳助(現、ナンセンスの岸野猛で、この当時は柳助と名乗っていた。 )が補強されて、一層充実した布陣となった。 「浅草新喜劇」と銘打って、大坂の「番頭はんと丁稚どん」の向こうを張って「東京丁稚どん」という芝居をしたのだ。 池信一・石田映二・東八郎が丁稚に扮し、私もかなり良い役を貰った記憶があります。 この「池信一・石田映二・東八郎が丁稚に扮し」ていた時代というのは萩本欽一が浅草フランス座に入った1960年にあたる。 引き続き『漫才大行進ゲロゲーロ 102』より。 若い頃は落語で放送局荒らしをしていた。 当時の仲間は牧伸二と名和美代治(本名・石崎美代治)。 岸野は「ニッポン放送の素人演芸会とか」と言っていたが、牧と名和に共通しているのはラジオ東京(TBS)の『しろうと寄席』の名人位。 名和が所属する東京演芸協会によると、岸野より2歳年下の名和は1959年に初舞台、1962年にプロ転向とある。 またによると、岸野より2歳年上の牧は1957年に『しろうと寄席』で7週連続で名人位を獲得し牧野周一に入門したそうだ。 岸野の初舞台の時期と併せて鑑みると、岸野の素人荒らし時代は1957年頃あたりになるのだろう。 以上の事柄から年齢に合わせて年表を作るとこうなる。 1954年 19歳でエノケン学校入り 1957年頃 素人ラジオ番組に出て放送局荒らしをしていた 1958年7月 新宿コマ劇場「エノケンのお染久松」で初舞台 1959年 浅草フランス座改築の半年前(5月頃?)に入座 1959年 浅草フランス座改築時(11月)に新宿ミュージックホールに移籍 1960年 東洋劇場に移籍 1964年 ナンセンストリオ結成 1979年 トリオからコンビとなりナンセンスと改名 2018年 コンビを解消 そして、岸野猛は2020年1月現在の今も現役で舞台に立ち続けている。 そして『漫才大行進ゲロゲーロ 102』より。 18歳で劇団若草入り。 その頃映画にも出演経験がある。 年齢的に大人の役と子供(青年?)の役のどっちつかずの時、浅草の劇場(東洋劇場)の開場(1959年)を知る。 東洋興行がヌードをやってない時(=1959年)に東洋興業に入座した。 原田の東洋劇場入座のことも町田陽介氏のブログに書いてあった。 引用させていただく。 そして、いよいよ待ちこがれた浅草の東洋劇場が華々しく開場した。 こけら落としの当時の出演者は、池信一・石田映二・水島一郎の3本柱に佐藤久雄さんや北川国彦(後に声優、北川米彦)さん等がいて、私達研究生がいたのだ。 同期に現在お笑いのナンセンスの原田研二(健二)もいた。 コントトリオブーム時代の原田は、東八郎率いるトリオスカイラインにほぼ結成時から1971年3月末の解散まで所属していた。 【日本タレント名鑑HISTORY】「トリオ・スカイライン」の 元メンバーで「ナンセンス」の原田健二さんが2019年3月16日に 死去されました。 日本タレント名鑑には1970年度版から 掲載されていました。 (写真左) ご冥福をお祈りいたします。 詳しくは1974年2月の浅草松竹演芸場での『東八郎お笑い生活20周年記念公演 お笑い浅草まつり』のパンフに書いてあるが、東と、で知られる久里みのる(栗実)、そしてここでも青空球児の3人で結成したものの、仕事をする前に久里が抜けたそうだ。 それが恐らく1964年の終わり頃なのだろう。 日本タレント名鑑に1965年2月1日結成とあるのは恐らく東、原田、球児の3人で事務所(太田プロダクション)と契約が成立した日付なのだと思う。 そして程なくして(遅くとも1968年までに)球児が小島三児と入れ替わった。 1973年発売のナンセンストリオのレコード「ざんざ恋唄」のジャケット写真には、原田、岸野、前田が載っている。 (画像は拾い画像) ということは、原田はトリオスカイライン解散の1971年から1973年の間に江口と入れ替わりでナンセンストリオに参加しているということになる。 原田の経歴も年表化してみる。 1953年18歳で劇団若草入り 1959年 東洋開場劇場、東洋興行入座 1964年 トリオスカイラインに参加 1971年 トリオスカイライン解散 1973年頃 ナンセンストリオに参加 1979年 トリオからコンビとなりナンセンスと改名 2018年 コンビを解消 2019年 死去 ナンセンストリオに話を戻す。 『大正テレビ寄席の芸人たち』から江口明と前田燐の経歴についても引用させていただく。 トリオにあとから参加した年長の江口明は、昭和2年(1927)5月の生まれで、東京・浅草のカバン屋の息子。 戦争に駆り出され、復員してみれば生家は空襲で跡形もなく、上野駅の地下道暮らしを経験している。 かつての戦友・八波むと志と浅草劇団で初舞台を踏んだのが昭和22年(1947)。 その後、菊田一夫の創作座、入江たか子一座、森川信一座、旅回りの役者稼業を転々とする間に、板前修業や吉原でラーメン屋を開業するという回り道を経て、芸界へ復帰。 藤島恒夫や春日八郎の司会をやったこともある。 前田燐は、昭和11年(1936)4月、東京・品川の生まれ。 立正高校を経て、軽演劇の池袋アバン座を振り出しに、旅回りの一座にも加われば、一時、「コロムビアトップ・ライト」の弟子となって「青空あれや・これや」の名で漫才をやったこともある。 その後、浅草の東洋劇場やフランス座でストリップショーのコメディアンとなった。 江口とはフランス座時代の仲間。 お互い小屋はちがっても、あちこちの楽屋で顔を合わせていた仲なのである。 によると、 2005年5月22日 江口明 死去 80歳没。 2009年2月19日 前田隣 肝硬変のため死去 72歳没。 トリオスカイラインの2人も記しておく。 1988年7月6日 東八郎 脳溢血のため死去 52歳没。 2001年4月16日 小島三児 死去 62歳没。 最晩年まで芸能活動を続けた前田、東、小島と違い、江口は早々に引退して大田区のほうでラーメン屋を営んでいたとどこかで読んだ記憶があるのだが出典元が思い出せない。 判明したら追記する。 さて、先述の『東八郎お笑い生活20周年記念公演 お笑い浅草まつり』のパンフによると、1974年の時点でもナンセンストリオのメンバーは原田、岸野、前田の3人だ。 ところが名簿『芸友 浅草芸人演劇人の集り』には、ナンセンストリオは1976年4月20日現在で「岸野 猛、原田健二、泉わ助」となっている。 この泉わ助という人物は、いわゆる「和っちゃん先生」で知られる日劇のギャグマンこと泉和助ではない。 和っちゃん先生の弟子筋の人で、当初はいずみ太朗を名乗っていたが、師匠亡き後は、和泉和助、泉わ助、泉ワ助と、師匠の名前の音を貰った芸名を名乗っていた人物だ。 に《1979年、前田隣脱退後のメンバーだった和泉和助が脱退》とあるので、この3人がトリオ時代の最後の姿なのだろう。 (写真は笑芸人vol. 11より拝借 最後にナンセンストリオの体制遍歴を整理する。 1964年 ナンセンストリオ結成、11月浅草常磐座でトリオ初舞台(岸野、江口、球児) 1965年 牧伸二の大正テレビ寄席でTVデビュー(岸野、江口、前田) 1967年 NTV「ナンセンストリオの爆笑Wパンチ」のレギュラー番組を持つ 1969年 NET(現テレビ朝日)で「インスピレーションクイズ」のレギュラー番組を持つ 同時期ニッポン放送にもレギュラー番組を持つ 1973年 レコード「ざんざ恋唄」発売(岸野、前田、原田) 1976年 (岸野、原田、泉) 1979年 トリオの看板を外す(岸野、原田) 2018年 解散 には《解散後、岸野は元「トリオスカイライン」の原田健二と漫才「ナンセンス」を結成》なんて書いてあるが、実際には54年間も活動を続けてきた息の長いチームだった。
次のグループ名:Snow Man(すのーまん)• 活動期間:2012年5月3日• メンバー:深澤辰哉、佐久間大介、渡辺翔太、宮舘涼太、岩本照、阿部亮平、向井康二、目黒蓮、ラウール 2010年から『滝沢歌舞伎 -TAKIZAWA KABUKI-』などで本格的に活動してきたメンバーで結成されたSnowMan。 グループ名の名付け親もタッキーで、 滝沢社長1番のお気に入りグループとして知られています。 キャリアも長く、全員がアクロバットが得意なことから「職人集団」とも言われおり、先輩からバックについてほしいJr. として指名されることが多いそうです。 6人での活動が続いていましたが、2019年1月に、向井康二さんと目黒蓮さん、村上真都ラウールさんの3人が新たにメンバーとして加入。 現在は 9人体制での活動となっています。 そして、 2020年にSixTONESと同時のデビューが決定しています。 のグループで特徴的なのは、Hiレベルな女、美少女、姫など 女性向けのファン名が多いというところですね。 女性向けだとしても、もう少し気軽に名乗りやすい名前の方が受け入れやすいかもしれませんね…! ジャニーズJr. グループ人気投票はこちら! ただいま、当サイトでは ジャニーズJr. のグループ人気投票を行っています。 (期限なし) こちらの人気投票の結果は、票が集まり次第人気ランキングにも反映していきます。
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