「悪いことをしたらバチが当たるよ!」 幼い頃にこのようなことを親から言われませんでしたか? ゴミのポイ捨てや 他人が不快に思う行動など…。 物事には因果応報があって、 自分の行いは自分に返ってくると言われています。 実際に 「バチが当たったな…」と感じた経験がある人は多いはず。 世の中はよくできていますよね。 笑 さて、ここで少し疑問に感じたことがあります。 なぜバチが当たるという現象が起こるのでしょうか? 先の因果応報に従えば、悪さをしたからです。 しかし、 誰がどのようにしてバチを与えているのでしょうか? 神様という考えが基本かと思います。 ただ、私はもう少し 論理的に考えられそうだなと感じてます。 今回は、 どうしてバチが当たるのか?を 人間心理から考察してみます。 重要なポイントは以下の2つです。 高いカーペットでも、バターをぬった面を下にして食パンが着地しなかった。 傘を持っていこうと思った日に雨が降ってことなきを得た。 満員の時、自分の立っている前の席だけが空いた。 予定時刻よりも早く着いた時に、いつもより早くバスが来た。 このような、 ポジティブな出来事も起きているはずです。 それなのに、なぜ人はネガティブなことしか覚えていないのか? 人間は、 小さな良かった記憶はあまり覚えていません。 しかし、 損をした記憶は小さなことでも印象に残りやすいです。 これは、 損失回避バイアスと呼ばれています。 「100万円もらえる」よりも 「100万円失う」の方が人間の心は動きやすいです。 このような理由から、マーフィーの法則を「あるある!」と感じてしまいます。 人間は 悪い記憶ほど頭に残ってしまう生き物なのです。 例を挙げて説明してみます。 家電や車、家、学校や職場など、何かしらの選択をした際に 「もっと良いもの(場所)があったのではないか?」と考えた経験はありませんか? この考えに至った時、人はどのような行動をとるか? 「良い商品(環境)だから選んだ」と自分を納得させるのです。 使っている人がたくさんいるから良い商品に違いない。 生徒の学力が高いから、自分の学校はレベルが高い。 給料が高いからハードワークでも良い会社なんだ。 このような思考になるのです。 なぜなら、 過去には戻れないから。 買った商品や環境を選んだ事実は、 なかったことにはできないのです。 過去の自分の行動と現在の気持ちを一致させるには、 現在の気持ちを変える以外に方法はありません。 そこで、 「自分の行動は正しかったんだ!」と思えるような 理由を探すのです。 この考え方は 認知的不協和と呼ばれます。 「好きでもない男性とデートを何度もしていると、自分はこの男性が好きなのかもしれない」と感じる話もあるでしょう。 これはまさしく認知的不協和の状態と言えます。 他には 酸っぱい葡萄の例が有名ですね。 少し長くなりましたが、 バチが当たるという話に戻ります。 冒頭で説明の通り、バチとは 自分が悪いことが悪い出来事として返ってくることをいいます。 紹介した2つの心理を掛け合わせると、ある程度の答えが見えてきませんか?• 人間は悪い出来事ほど印象に残る生きもの• 人間は自分の行動を正当化したい生きもの 詰まるところ、自分の行いを正当化するために、 悪い出来事と行動との間に因果関係を作っているのです。 私はこれが バチの正体だと思っています。 もちろん、神様がバチを与えている可能性もあります。 ただしバチは、 それが バチであると自分が認知しないことには始まりません。 バチが当たらない人と当たる人がいるという話を耳にします。 それは 性格の差が理由なのでしょう。 何かと物事を気にかける、 繊細な人ほどバチが当たりやすいのではないかと考えています。 どうにも世知辛い世の中ですね…。 まとめ 今回はちょっとした興味本位から、バチとは何か?を真剣に考えてみました。 笑 だからと言って、 自分が認知をしなければバチなど存在しない とは思ってません。 勧善懲悪という言葉があります。 スピリチュアルを信じているわけではありませんが、 極悪人には天罰(天誅)が下るケースもあるでしょう。 そうでもないと、も実際に起きています。 今回紹介したバチの正体は、1つの例と考えてください。 特に 「自分はちょっとしたことでよくバチに当たる…」という人は、今回紹介したマインドを持ってみてください。
次のバチが当たるのバチの意味とは? 子供のころ、耳にして未だに耳にすることがあるバチが当たる。 まずこの言葉の意味についてご紹介するとバチがあたるの意味は 悪い行いに対する神仏の懲らしめを受ける。 悪事に対する応報を被る。 「神罰が下る」や「仏罰を蒙る」などとも言う。 出典: になります。 簡単に言ってしまえば悪い行いをすれば神様から罰があたるよ!って感じですね。 バチが当たるの由来について バチが当たるの意味は予想通りでしたがなぜバチが当たるの 「バチ」は「罰」ではなくバチなのか? この語源の由来についてネット上で調査したところ• 太鼓のバチ• バチは呉音 といた説がいくつかあるようです。 昔からの言葉なのでどれが正解か?と言われると難しいところですが、利益 りえき がご利益 りやく という読むようなイメージではないかと感じています。 バチが当たりやすい人の特徴は? 子供のころから言い聞かせられ、大人になっても聞く事が多いバチが当たるですが、 具体的にバチが当たりやすい人とはどんな人なのか? というと ・人の意見を受け入れない人 ・人を傷つける人 ・神仏を侮辱する人 ・人に迷惑をかける人 等を指します。 簡単に言ってしまえば、 人に意地悪な人 がバチが当たりやすいと人といえますね。 もし周りに意地悪な人がいて、その人の身に不幸が起きたらそれはバチが当たったのかもしれません。 バチが当たるは本当なのか? 人から言われたら嬉しくない言葉「バチが当たる」ですが果たして バチが当たるは本当なのでしょうか? 気になるところですよね。 個人的な意見としては人の受け止め方次第と思っておりますが、あくまで個人的な意見にすぎないのでまずはSNS上でバチが当たるが本当なのか?チェックしてみることに。 食べ物を粗末にしたらバチが当たるって本当ですよ。 地球は少しずつ人類を追い詰めている事に気づいて下さい… — よしお CZpNauEdAmszCDF 結局悪はバレるようになってるしバチが当たるように世の中なってるとつくづく思いました。 👏👏👏…夜中の一人言😴 — 結紀 ゆづき -願いは叶う🙏 XwYjXvp6M1SNPNe わたしが何で日頃あんだけ恐れ、礼儀とかも大事にして、神仏に関する言葉も丁寧にすんのかやっとわかったかい。。。 なんでバチ当たる前に分かんなかったかなあ。。。 — 星アカリ akari20200301 結局自分の利益や地位を求めてしか動けないやつは、必ずバチが当たるから。 そうやって無理やり自然を壊して大きなスタジアム作って無理やり日本を発展させようとしたって絶対何かが見てるから。 宗教的かもしれんけど見られてるから。 もちろんバチが当たるに関しては受け止め方は個人の自由ですが日頃から感謝の気持ちを持ち、良い行いを心掛けていきたいところですね。 まとめ バチが当たるの意味や由来についてまとめてみましたがいかがでしたが。 内容を簡単にまとめると.
次の「悪いことをしたらバチが当たるよ!」 幼い頃にこのようなことを親から言われませんでしたか? ゴミのポイ捨てや 他人が不快に思う行動など…。 物事には因果応報があって、 自分の行いは自分に返ってくると言われています。 実際に 「バチが当たったな…」と感じた経験がある人は多いはず。 世の中はよくできていますよね。 笑 さて、ここで少し疑問に感じたことがあります。 なぜバチが当たるという現象が起こるのでしょうか? 先の因果応報に従えば、悪さをしたからです。 しかし、 誰がどのようにしてバチを与えているのでしょうか? 神様という考えが基本かと思います。 ただ、私はもう少し 論理的に考えられそうだなと感じてます。 今回は、 どうしてバチが当たるのか?を 人間心理から考察してみます。 重要なポイントは以下の2つです。 高いカーペットでも、バターをぬった面を下にして食パンが着地しなかった。 傘を持っていこうと思った日に雨が降ってことなきを得た。 満員の時、自分の立っている前の席だけが空いた。 予定時刻よりも早く着いた時に、いつもより早くバスが来た。 このような、 ポジティブな出来事も起きているはずです。 それなのに、なぜ人はネガティブなことしか覚えていないのか? 人間は、 小さな良かった記憶はあまり覚えていません。 しかし、 損をした記憶は小さなことでも印象に残りやすいです。 これは、 損失回避バイアスと呼ばれています。 「100万円もらえる」よりも 「100万円失う」の方が人間の心は動きやすいです。 このような理由から、マーフィーの法則を「あるある!」と感じてしまいます。 人間は 悪い記憶ほど頭に残ってしまう生き物なのです。 例を挙げて説明してみます。 家電や車、家、学校や職場など、何かしらの選択をした際に 「もっと良いもの(場所)があったのではないか?」と考えた経験はありませんか? この考えに至った時、人はどのような行動をとるか? 「良い商品(環境)だから選んだ」と自分を納得させるのです。 使っている人がたくさんいるから良い商品に違いない。 生徒の学力が高いから、自分の学校はレベルが高い。 給料が高いからハードワークでも良い会社なんだ。 このような思考になるのです。 なぜなら、 過去には戻れないから。 買った商品や環境を選んだ事実は、 なかったことにはできないのです。 過去の自分の行動と現在の気持ちを一致させるには、 現在の気持ちを変える以外に方法はありません。 そこで、 「自分の行動は正しかったんだ!」と思えるような 理由を探すのです。 この考え方は 認知的不協和と呼ばれます。 「好きでもない男性とデートを何度もしていると、自分はこの男性が好きなのかもしれない」と感じる話もあるでしょう。 これはまさしく認知的不協和の状態と言えます。 他には 酸っぱい葡萄の例が有名ですね。 少し長くなりましたが、 バチが当たるという話に戻ります。 冒頭で説明の通り、バチとは 自分が悪いことが悪い出来事として返ってくることをいいます。 紹介した2つの心理を掛け合わせると、ある程度の答えが見えてきませんか?• 人間は悪い出来事ほど印象に残る生きもの• 人間は自分の行動を正当化したい生きもの 詰まるところ、自分の行いを正当化するために、 悪い出来事と行動との間に因果関係を作っているのです。 私はこれが バチの正体だと思っています。 もちろん、神様がバチを与えている可能性もあります。 ただしバチは、 それが バチであると自分が認知しないことには始まりません。 バチが当たらない人と当たる人がいるという話を耳にします。 それは 性格の差が理由なのでしょう。 何かと物事を気にかける、 繊細な人ほどバチが当たりやすいのではないかと考えています。 どうにも世知辛い世の中ですね…。 まとめ 今回はちょっとした興味本位から、バチとは何か?を真剣に考えてみました。 笑 だからと言って、 自分が認知をしなければバチなど存在しない とは思ってません。 勧善懲悪という言葉があります。 スピリチュアルを信じているわけではありませんが、 極悪人には天罰(天誅)が下るケースもあるでしょう。 そうでもないと、も実際に起きています。 今回紹介したバチの正体は、1つの例と考えてください。 特に 「自分はちょっとしたことでよくバチに当たる…」という人は、今回紹介したマインドを持ってみてください。
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