わらの犬 2011。 【わらの犬】オリジナルも絡めてリメイク映画の感想~諸悪の根源は女なのか!?

映画【わらの犬(2011)】感想

わらの犬 2011

原題は straw dogs で、2011年の作品です。 1971年ダスティン・ホフマン主演の「わらの犬」のリメイク版です。 主演はケイト・ボズワースと、Xメンシリーズのスコット役を演じるジェームズ・マースデン。 映画【わらの犬】リメイク版のあらすじ ハリウッドの脚本家デビッドは、妻エイミーの故郷であるアメリカ南部ミシシッピーに引っ越してきます。 エイミーの元彼氏チャーリーとも再会し、チャーリーの仲間や町の人々に会う二人。 しかし都会人デビッドと町の人々の間の小さなひずみは、だんだん大きくなっていきます。 妻のエイミーにも悲劇が起き、地元のアメフトコーチのトムやその15歳の娘ジャニス、知的障害のあるジェレミーも巻き込んで、亀裂は互いへの憎悪に変わります。 デビッドはついに忍耐の限界に達し… というストーリーです。 内容はオリジナルとほぼ同じですが、オリジナルの舞台はイギリスでした。 リメイク版はミシシッピー州でした。 キャラの名前も同じです。 セリフも酷似しています。 映画【わらの犬】リメイク版の感想(ネタバレ注意) キャスト 主演のデビッドはXメンシリーズでスコットを演じているジェームズ・マースデンです。 1973年生まれですが、童顔なので、いつまでも青年ぽい顔立ちですね。 個人的には、嫌いな顔の系統です。 クリス・パインの顔も嫌いなので、こういった系統の顔が苦手なようです。 イケメンなのにね。 デビッドの嫁エイミーの役にケイト・ボズワース。 一時期、摂食障害で激やせしてしまって心配でしたが、本作でもまだ痩せてますね~ガリガリです。 二人はまあまあ良かったと思います。 エイミーの元カレで、対立する相手のチャーリー役のアレクサンダー・スカルスガルドさんは、スウェーデン人です。 さすがスウェーデン人、英語は完璧ですね。 そしてイケメンで長身、ナイスボディで、憎むべき相手であるのに、その屈強な上半身に何度かウットリしてしまったのは、きっと私だけではあるまい。 彼の演技も、とても良かったです。 元カノのエイミーへのレイプ、そのあとエイミーが自分の仲間ノーマンに襲われてしまった時の複雑な心境の表情などが上手でした。 ノーマン役にはライズ・コイロというイタリア系の男優。 この方、たまに映画で見かけますが、けっこう好み。 本作では、あまり言葉を発することなく、エイミーの体を舐め回すように凝視するゲスいクズ役が似合ってました。 そしてアメフトのコーチのトム役にジェームズ・ウッズです。 ジェームズ・ウッズはいい俳優だけど、この映画のコーチ役は、ちょっとうるさかったですね。 トムの15歳のチアリーダー娘ジャニスにウィラ・ホーランドです。 実はウィラ・ホーランドが大嫌いでして。 OCや、ゴシップ・ガール、レギオン、アローなどに出演していますが、顔を見るたびにゲッとなってしまいます。 なんでかは分かりません。 顔も演技も嫌いなんだと思う。 どうしても好きになれないんですよね。 最後にでリンカーンを演じているドミニク・パーセルです。 ドミニクが出ていてビックリしましたね。 軽い知的障害があるジェイミーという男性の役ですが、好演していました。 感想 さて感想ですが、わたしの評価はフツーというところです。 まず、嫁エイミーに非常にイライラさせられました。 なんなんでしょうか、この女性は。 先日見たでもちょっと触れたんですが、若い作業員の男たちがウロウロしている中でも、常にノーブラで肌を最大限に露出しています。 ノーブラで裸足でその辺をランニングしているんです。 で、男たちがその体を舐め回すように見ています。 エイミーはそのことをデビッドに言いますが、デビッドからは「ブラしたら」みたいな返答が返ってきます。 そうすると、フェミニスト魂が叫ぶのか、デビッドにふくれっ面をして「私はあなたのために着ているのに」とか、よく分からないことを言います。 そして2階の窓から、作業員たちにむかって洋服を脱ぎ、裸体を披露するんです。 ごめんけど、まったくこの行動の意図がわからなかった。 「そんなに見たいなら見せてやるわ、さあとくと拝みやがれ」 という心境なのでしょうか。 そんなエイミーですが、元カレのチャーリーにレイプされてしまいます。 その後、すぐにノーマンにもレイプされてしまいます。 エイミー、警察呼べよ。 でも警察呼ばないんです。 デビッドにも言わず、それどころか、なぜかアメフトの試合にデビッドを誘って行くという、わけのわからない行動をとります。 アメフト試合の途中でレイプがフラッシュバックして帰ろうとするも、わざわざチャーリーの目の前を通り、チャーリーの顔の前にお尻を見せながら帰って行きます。 そらないだろ… 被害者の心情としては、加害者にはどんなことがあっても会いたくありません。 顔も見たくないし、同じ空間にいれば、顔を背け、自分から距離を詰めるようなことは絶対にあり得ません。 こうした矛盾もあって、エイミーの気持ちもよく分からず、共感することがまったくできませんでした。 オリジナル版のエイミーは、本作リメイクのエイミーのように露出はあまりしていませんが、男性の前でスカートをまくってパンティを見せたり、カーテンを閉めずに裸になって男性に見せるといった行為はしています。 またチャーリーが家に来た時も、オリジナル版では家の中に入れて、酒をすすめ、チャーリーが「イヤなら帰るよ」と言ったのに「いえ、酒を飲んで」なんて言って、チャーリーがキスをすると抵抗しないんで、なんなんだ!とか思ってしまいました。 つまり、ティーズしている(じらせている)ように感じました。 さらにはチャーリーの顔や頭を手で抱きかかえたりしているので、レイプされているのかメイクラブしているのか、よく分からなくなってしまう状況です。 リメイクでは家に入るのを拒否していますが、やはりチャーリーとキスを交わしたり、嫌なんだけど複雑な心境で感じてきてしまった、みたいな描写も見受けられた気がします。 オリジナルではエイミーは猫をかわいがり、仕事で忙しいデビッドの邪魔をしたりイタズラをしたりするので、天真爛漫な性格ということなのかもしれません。 そしてジェイミーを誘い続ける15歳のジャニス。 お前が諸悪の根源か、と言いたくなるほどトラブルメーカー。 エイミーもジャニスもトリガー的な要素が満載でした。 次に、人間関係のいざこざがよく整理されていない点がこの映画の問題点でした。 デビッド&エイミー vs 町の人 という割には、その対立構造がいまいち納得しがたいものでした。 コーチが腹を立てていたのは娘ジャニスが気に入ってちょっかいを出しているジェイミーで、デビッドとエイミーに対しては特になんの憎しみもなかったはずなんです。 コーチがジェイミーを殴ろうとするのをエイミーが止めに入ったことはありましたが、いまいち説得力不足です。 ジェイミーを匿ったことで怒るのは分かりますが、あの時点ではジャニスが殺されてしまったことも知らないわけですから。 おそらく、デビッドとエイミーにチャーリーたちを仕向けるための扇動者として、コーチという激昂しやすい短気な人物像が必要だったのでしょう。 デビッドとエイミーはたまたまジェイミーを助けただけなので、デビッド達の家まで破壊するには説得力が足らない。 ジェイミーをデビッドたちともっと仲良くさせておくとかの根回しが明らかに欠けていました。 また、デビッドとチャーリー達の対立も不十分だったように思います。 終盤、ジェイミーを匿ったあたりから事態は加速しますが、デビッドが途中で強気になったきっかけがよく分からなかった。 嫁がレイプされたことを知って、復讐心に火がついた、とかなら分かるんですが。 でもチャーリー達との戦いは、想像力豊かな戦いで楽しむことができました。 むしょうにワナオトコが見たくなりましたね。

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わらの犬(2011年版)

わらの犬 2011

この項目では、1971年の映画について説明しています。 2011年公開のリメイク版については「」をご覧ください。 のシングル曲については「」をご覧ください。 監督は。 日本では4月公開。 『』などの西部劇で知られるペキンパーの、長編映画としては初の現代劇で、原作はの作家ゴードン・M・ウィリアムズの『トレンチャー農場の包囲』である。 主演は。 概要 [編集 ] タイトルは「天地不仁、以万物為芻狗」という『』の言葉に由来する。 天地にとって万物は芻狗(祭儀に用いるわらの犬)のようなものでしかないという意味である。 ペキンパーはの(度受賞者)に脚本執筆を打診したが、過激な内容に嫌悪感を覚えたピンターは断ったという。 1970年代には、被害者が加害者に対して過激な暴力で復讐する映画が多数製作された。 映画評論家のS・S・ブラウラーはその状況を「わらの犬症候群」と呼んでいる。 ストーリー [編集 ] 数学者のデイヴィッド・サムナーと妻エイミーは物騒な都会生活から逃れるため、妻の故郷でもあるイギリスの片田舎に引っ越してきた。 だが、いざ蓋を開ければ村の若者たちから嘲笑を浴び、嫌がらせを受ける毎日。 彼らにひとこと言うようにエイミーからけし掛けられても、気弱なデイヴィッドは取り合おうとしない。 ある日、精神薄弱者のヘンリーを家に匿ったことから、彼をリンチにかけようとする若者たちの総攻撃を受ける。 知人であるスコット少佐が仲裁に入るも、揉み合った挙句に撃ち殺されてしまう。 それを見たデイヴィッドの中で、何かがはじけた。 恐怖に脅えるエイミーが止めようとするのにも構わず、デイヴィッドは次第に暴力の渦に飲み込まれていくのだった。 デイヴィッド・サムナー - ()• エイミー・サムナー - (来路史圃)• ヘンリー・ナイルズ - ()• チャーリー・ヴェナー - デル・ヘニー()• トム・ヘッデン - ()• ジョン・ナイルズ - ピーター・アーン• スコット少佐 - T・P・マッケンナ 本作のファンや日本での反響など [編集 ]• はペキンパーを敬愛している監督の一人にあげ、を好きな役者の一人にあげており、本作を絶賛し著書でもとりあげ、本作のヒロイン役のがヒロインを務めた主演『』も絶賛している。 『』の特別企画でのは邦画では『』や『』など、洋画では『』や『』、『』、『』、『』、『暗黒街のふたり』と共にペキンパー『』と本作を選んだ。 ラジオ番組『』にコメント出演したは自身の「映画ベスト3」を選ぶ企画で、『』『』と共に本作を自身の映画ベスト3に選んだ。 脚注 [編集 ] 出典は列挙するだけでなく、などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。 ( 2013年6月)• ガーナー・シモンズ著、遠藤壽美子・鈴木玲子訳『サム・ペキンパー』 、1998年6月、ISBN 4-309-26340-2• 原著: Garner Simmons, "Peckinpah: A Portrait in Montage", University of Texas Press, 1982, ISBN 087910273X• 10 サム・ペキンパー』 エスクァイア・マガジン・ジャパン、2001年9月、ISBN 4-87295-078-X 外部リンク [編集 ]• - (英語)• - (英語).

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わらの犬 (2011年の映画)とは

わらの犬 2011

この項目では、1971年の映画について説明しています。 2011年公開のリメイク版については「」をご覧ください。 のシングル曲については「」をご覧ください。 監督は。 日本では4月公開。 『』などの西部劇で知られるペキンパーの、長編映画としては初の現代劇で、原作はの作家ゴードン・M・ウィリアムズの『トレンチャー農場の包囲』である。 主演は。 概要 [ ] タイトルは「天地不仁、以万物為芻狗」という『』の言葉に由来する。 天地にとって万物は芻狗(祭儀に用いるわらの犬)のようなものでしかないという意味である。 ペキンパーはの(度受賞者)に脚本執筆を打診したが、過激な内容に嫌悪感を覚えたピンターは断ったという。 1970年代には、被害者が加害者に対して過激な暴力で復讐する映画が多数製作された。 映画評論家のS・S・ブラウラーはその状況を「わらの犬症候群」と呼んでいる。 ストーリー [ ] 数学者のデイヴィッド・サムナーと妻エイミーは物騒な都会生活から逃れるため、妻の故郷でもあるイギリスの片田舎に引っ越してきた。 だが、いざ蓋を開ければ村の若者たちから嘲笑を浴び、嫌がらせを受ける毎日。 彼らにひとこと言うようにエイミーからけし掛けられても、気弱なデイヴィッドは取り合おうとしない。 ある日、精神薄弱者のヘンリーを家に匿ったことから、彼をリンチにかけようとする若者たちの総攻撃を受ける。 知人であるスコット少佐が仲裁に入るも、揉み合った挙句に撃ち殺されてしまう。 それを見たデイヴィッドの中で、何かがはじけた。 恐怖に脅えるエイミーが止めようとするのにも構わず、デイヴィッドは次第に暴力の渦に飲み込まれていくのだった。 デイヴィッド・サムナー - ()• エイミー・サムナー - ()• ヘンリー・ナイルズ - ()• チャーリー・ヴェナー - デル・ヘニー()• トム・ヘッデン - ()• ジョン・ナイルズ - ピーター・アーン• スコット少佐 - T・P・マッケンナ 本作のファンや日本での反響など [ ]• はペキンパーを敬愛している監督の一人にあげ、を好きな役者の一人にあげており、本作を絶賛し著書でもとりあげ、本作のヒロイン役のがヒロインを務めた主演『』も絶賛している。 『』の特別企画でのは邦画では『』や『』など、洋画では『』や『』、『』、『』、『』、『』と共にペキンパー『』と本作を選んだ。 ラジオ番組『』にコメント出演したは自身の「映画ベスト3」を選ぶ企画で、『』『』と共に本作を自身の映画ベスト3に選んだ。 脚注 [ ].

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