あの世行きのバスに乗ってさらば 解釈。 あの世行きのバスに乗ってさらば。 歌詞『ツユ』

あの世行きのバスに乗ってさらば。 歌詞『ツユ』

あの世行きのバスに乗ってさらば 解釈

以前、2010年9月26日 日 に書いたものですが、2012年2月29日の東京事変の解散ライブで、やっと本来の英語Versionの生実演を体験できた!ということで、再掲載してみました。 修正したい箇所もあるけど、まぁ、そのままで。 -------------------------------------------------------------------------- 時効警察~帰ってきた時効警察を楽しく観ていて、また栗山千明の大ファンでもある私が、家族で夢中になったドラマ「熱海の?捜査官」が終わってしまいました。 大変残念です。 キーワードの「2」に因んでパート2が製作されるのでは?と言う可能性が無いわけではないですが、正直あまり期待はできそうもありません 内容が、と言う意味ではなく製作されること自体が期待できないのではないか、という意味:もし作られるのなら、勿論毎週録画&Blu-rayだって欲しい。 映画になるなら、家族で絶対映画館にも行きますし、Blu-rayも買います! 以下、決定的なものは 残念ながら ありませんが、ネタバレというか「何かのヒント?」になるかもしれないコネタを列挙してみます。 ネット上で良く出てくるコネタは、それらを目にする前に自分 達 で気付いていても再度掲載はしません。 でも、私もネット上情報はオフィシャルの掲示板ですら情報量の多さにくじけて一通り目を通すことすらできていないので、結局下に書いたものもどこかしらで言及されていそうでもあります。 「自分だけが気付く事が出来る」なんて大それたことは思えませんし。 これを本来書いた目的は、主題歌「天国へようこそ」の解釈を現時点で書きとめておくことなので、興味のある方は、間をすっ飛ばして、そちらだけでも気が向いたらどうぞです。 【コネタ】 コネタ満載の凝った創り&謎を残すエンディング。 ・ バス失踪後に新宮寺を発見した際に、白い病院服みたいなものを脱ぎ捨てていたことが気に掛かり、最終回で倒れた看護婦の横で起き上がっていた平坂が似たような服を着ていた事に気付いたので、バス失踪後の新宮寺もここから逃げ出したのでは?【この倒れていた看護婦が北島ではないか?という説もネット上で散見されましたが、栗山千明ファンの私からすると、北島には見えません・・・】 ・ ちょいちょいヒント、あるいは「流れを変える」役として出てくる「四十万新也」が「指示マシンや!」 私 とか四十万新也君「指示マシン役 ん 」 息子 と掛けているのではないか。 ・ 第五話で四十万新也が試験管などを持って場所を移動していた時、別の部屋に入る際に何故か鏡像映像で撮影されており、天井に掛かっている肌色と白色のボード? のバランスが対照的ではないように見えなくもない。 ・ 同じく第五話でねっころがっている星崎の目に痣があるように見える。 ・ 第六話で、桂東のモップでダメージをくらった坂善が帰る際、桂東が「坂善さん、まだいたいのかな。 」が「まだ痛い」と「 南熱海に まだ居たい」とを掛けているような気がした。 ・ かなり明確な謎: Mr. 2の「我々はラインを越えようとしている。 解けなかった謎の答えが導き出されるだろう。 」と言う言葉をわざわざ女子高生変装までして明確に聞いたはずの北島が、何故か星崎を含む皆に「入学式までに月代が戻らない時は東雲を教祖の代わりにする。 」と言うのが新宮寺の啓示だと言い、それ以外は特に何も、と伝えてしまっている。 ・ 最終回で、星崎を探して夜中に走り回る北島が南熱海警察署に立ち寄った際、犬飼が持っている蒸気を上げて音をたてているヤカン、何故か最初のカットのみ音はしているのに蒸気が上がっていない。 普通、ヤカンや火から外したら蒸気や音はすぐ止むものだし、外した直後に蒸気が出ていないのに 音だけしておりしかも 後の方になって蒸気が出始めるのも変。 ・ 美術室に置いてあったデッサン人形? が、平坂の小部屋 最後にニャアが出て来た小部屋 のも置いてあった 因みに、前に星崎や北島が「美術室」を尋ねたとき、同タイプの人形がそれぞれ二人を模したポーズをしていた---後ろで腕組み 星崎 &レレレのポーズ 北島 ってのは初見の時に笑いました ・ そうそう、WAIDのWを上下ひっくり返すと、MAID=冥途?なんてのは見直す前から思ったりしました。 とりあえず、コネタはこの辺で… 【本題「天国へようこそ」】 ドラマを楽しむ上で、とても興味深い内容で、かなり気合入っています。 椎名林檎は以前「さくらん」で映画音楽を担当していましたが、既存の曲のアレンジを主体としていました。 アレンジや選曲は秀逸で、映画感とも非常に合っており、完成度も高いものでしたが「作品とがっぷり向かい合って創造性を反映させた」というアーティスト性の発揮振り、という点ではこの作品は大変やりがいがあったものと感じられました。 結果として形となったものは1曲 ただし、興味深いアレンジが複数作られている でしたが、関連アルバムまで出た「さくらん」に勝るとも劣らない作品だと感じました。 そして、この曲の歌詞に触れて色々と考えた時、曲中は全く違うのに心に浮んだ曲がありました。 1989年のジャネット・ジャクソンのアルバム「RHYTHM NATION 1814」に収録され、アルバムから数枚目のシングルにも関わらず全米No. 1の大ヒットなった「Love Will Never Do Without You 」です。 力強いダンスナンバーで曲調は「天国へようこそ」とは趣を異にしたもので、歌詞の内容は他人に自分とパートナーのことを「どうせ続きっこない」などと、とやかく言われても、自分達の揺るぎの無い愛を信じて高らかに歌った曲でした。 そしてこの曲の歌いだしはジャネットの低音ボーカルで始まり、次のヴァースでは多重ボーカルによるフック、続くヴァースでは馴染みのあるジャネットの高音ボーカルとなります。 この曲を当時激聴していた時、ふと「これって擬似デュエットなのでは?」と思ったのです。 つまり、愛し合う二人について書いていることには変わりありませんが、低音ボーカルは男性目線、二人で歌うフックに続き、入れ替わって今度は女性目線という展開です。 最初の部分以外はソロは高音で構成されているので、結局最初に登場した低音ボーカル 男性目線 は最初しか出番が無いのでフィーチャリングやデュエットとする後半に男性の出番がなくなってしまい、最終的にはジャネットのみによる作品としてレコーディングされたようですが、内容的には充分デュエットで通じるものでした。 長い前振りでしたが、この「擬似デュエット」が「天国にようこそ」にも言えるのではないか?ということです。 キーワード「2」は、この曲に関しても言えるのでは?ということですね。 そこで、その仮説を前提に考えてみました。 「天国へようこそ」 作詞・作曲 椎名林檎 There's only one truth if you say still I'm dreaming 星崎: 僕が未だ夢を観ていると云うのなら そっちが真実なのか You're acting in a play you call your life 星崎 or素子: 君 貴方 こそ "わが人生"とか言う大芝居を打っているくせに The sketch of flowers on paper - Can you smell them? 星崎: 机上のそのまた紙の上に描かれた花を 君は嗅げるの? Well, I would rather bloom for eternity 素子: そうだな、僕 そうね、私 だったら永久に芳しいものを選ぶだろう でしょう Don't talk to me 素子: 話し掛けないで I'm gonna suck and dring your life right from you 素子: 僕 私 は君 貴方 を吸い取って飲み干してしまう No life in me 素子: お粗末ないのち 私に命は宿っていない I've got no time for changeless thing and useless things 素子: 永遠に憧れるほど莫迦じゃないけれど 変わらず役に立たない物に費やしている時間は無いの Which ones's the real face of the sky, day or night 星崎: 空に本当の顔が有るなら昼と夜と果たしてどっち? How do you think? 青字が星崎、赤字が結局一度も本人の映像が登場しなかった素子さんを仮定して色分けしました。 紫字は私が追記したもので、一部言葉の置き換え 前提となっている男言葉を女言葉に や別解釈を書いています。 一部にはまだ私も、どちら側の言葉とすべきか迷っている箇所もあります。 この仮定の基では、素子さんはラインの向こう側 天国 に居ます。 攻略本で栗山千明も触れている「既に死んでいるのではないか」説です。 全編を通して明解に、ではありませんが、歌と併せて読むと、椎名林檎が声色を男と女で使い分けているのでは?と勘ぐらせるような箇所はあると思いまし、元々ジャネットの曲を思い出したのも椎名林檎の歌い方ありきでした。 ミュージック・ステーションの和訳を椎名林檎自身が提出したのか、あるいは原曲の英詞のみが提出され番組側で訳したものかは不明です。 また、椎名林檎自身の訳だったとしても、この曲が多くの謎を含むテレビドラマの主題歌として重要な役割を示していることは明らかですので、極端にぶっちゃけた訳はせずに含みやミスリードの余地も残して和訳している可能性も勿論あります。 そして勿論、私の解釈がとんちんかんである可能性も勿論あります。 まぁ、素敵なドラマの一視聴者として「だいたいわかったようなこと」を書いてみるのも面白いかな、と思い公開してみました。 素子さんがドラマ中で星崎に提供してくれた情報の数々のことを思うと「天国に居るとか、考えすぎかな」と言う気もしますが、まぁ、いいじゃないですか。 」ってのも軽いかな? Hell-Oh! それでは。

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あの世行きのバスに乗ってさらば。 歌詞『ツユ』

あの世行きのバスに乗ってさらば 解釈

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。 1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。 LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。 するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。 Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr. Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it. ベイスターズは完全に失速中でありますが、これはゴールデンウィーク前にセ・リーグを混乱させ面白くさせて、皆様をワクワクさせる為ににわざと負けている作戦だと思われます。 「ベイ死んだふり作戦」こそ今年のテーマなのであります。 プロ野球ファンのことを考えた、極めて高等で奥深いベイ死んだふり作戦の中、ついに横浜DeNAベイスターズXMQQNEYESの2018年度版コラボグッズ第一弾が発売となりました!!! 今年のコラボ企画はですね、何と3回に分けての発売予定で、この後は6月、9月とプロ野球シーズンまっただ中に新しいコラボグッズの発売が予定されております。 つまりですねクライマックスシリーズと日本シリーズにも合わせて新しいグッズを身に着けて応援に行けるという訳なのであります、素晴らし過ぎです!! エッ、日本シリーズですって? そうですよ、今年は横浜DeNAベイスターズ20年振りの優勝が待ち受けているのは確定的でありますので、ベイファンの皆様は10月末から11月の予定は空けておくようお願い致します、ああ忙しい。 まあ、優勝出来なくても3位に入ればクライマックスシリーズを勝ち上がるなんてちょろいもんなので、日本シリーズには必ず行けるのです!! 今年のデザインは、熱く燃えるFlamesと横浜スタジアム、MQQNEYESロゴを組み合わせたデザインになっておりまして第一弾は刺繍Tシャツ、ロングスリーブTシャツ、ジャージスタジャン、フラットバイザーキャップ、フェイスタオルが今回、春の発売分となります。 ベイ死んだふり作戦の中、これらを身にまとって横浜スタジアムに応援に行きましょう。 Win! with MQQNEYESであります!!! ということで、ミニカーのお話となります。 前回はナゼかプラモデルのお話になってしまいましたが、やっぱりWildmanといえばミニカーなのであります。 今まであまり考えたことが無かったのですが、自分の持っているミニカーの中で一体何がお気に入りなのか? どれが一番好きなのか? そうだコレクションベスト10を決めてみましょう! と犬の散歩をしながら思いついてしまいました。 といっても推定2000台? のコレクションの中ではどれもこれもお気に入りなので、そこでベスト10を決めるのは難しいのですが、そこはコレクション43周年、苦渋の? ランク付けをしたいと思います、ハイ。 思い起こせばついこの前の1975年(昭和50年)少年Wildmanは大好きだったミニカーを買いに横浜は伊勢佐木町、おもちゃのマリヤに出撃しておりました。 今では全く興味のカケラも無いトミカなる物体を購入し、お会計を済ませるとレジのお姉さんが一冊の小冊子を手渡してくれました。 「なんじゃこりゃ、タダでもらえるの? 」と不思議に思う少年Wildman、ときに11歳、小学5年生でありました。 これこそが私の人生を完全に狂わせてしまった本「月刊ミニチュアカー」誌1975年4月号でありました。 ミニカーを大人が集めるという事を正当化している変態本は11歳の少年の心をわし掴みにして変態の道へのレールを敷いてくれたのでした。 これを読まなかったら全く違う人生を歩んでいたことは間違えありませぬ・・・ 月刊ミニチュアカーは可堂玩具 カドー玩具 というミニカーメインの玩具問屋が発行していた物なのですが、ミニカーを売るための啓蒙活動としてNMCC 日本ミニチュアカークラブ なるものを主宰してそのクラブの会報誌というような位置付けでした。 クラブに入っていなくてもミニカーを卸している専門店や玩具店にも配布して、ミニカーお買い上げのお客様に渡していました、そこで私ももらったのです。 こちらはNMCCのWildman最後の会員証と、ピンバッヂになります。 本の内容は当時のトップクラスのコレクター様が執筆したミニカーブランド別の解説やコレクションの仕方、ニューモデル紹介や個人売買欄等、小さな冊子にはとっても濃い内容があふれておりました、まさに昭和の変態の世界でした。 インターネットのない時代に、日本でミニカーの情報や知識を提供してくれる唯一無二の存在だったのです。 おかげでこんな立派な変態に育ちました・・・ 既に存在していたミニカー専門店の広告を見て、横浜元町の千代田ママストア、鶴見のチェッカー、八丁堀のコジマ、浅草のテラオ、自由が丘のえびすや等々、横浜、東京のお店に片っ端から出撃して行きました。 当時デパートでも定期的にミニカーフェアが開催されていて、小田急や西武、東武等、都内のデパートにも遠征しておりました。 昭和の時代はミニカーは玩具売り場の花形商品でありました。 いきなりミニカーの知識を詰め込まれた少年Wildmanはそれまでただ単に車が好きだから集めていたミニカーを「コレクション」という物に格上げし、ミニカーが好きだからその実車に対して興味を持つという逆転の発想が生まれてしまい「初めにミニカーありき」という理論が目出度く成立となったのです。 なので実車よりミニカーの方が断然カッコいいという感情が強くなってしまいました。 何を言っているのかさっぱり分からないという方は大勢いらしゃると思いますが、私には実車の方がカッコいいという理論の方がさっぱり分からないのです・・・・ そしてミニカーというのは実車が製造されていたのと同じ時期に作られていなければならないという絶対に変えることの出来ない感情も生まれてしまったのです。 例えば1964年型クラウンのミニカーは同時期の1964年に実車と同じ空気と技術の元に造られていなければならず、2015年に2015年の技術を使って作られた1964年型クラウンのミニカーはもう存在自体がどうでもいいのです。 逆に2015年に造られた2015年型クラウンのミニカーは全く問題ありません。 なので「当時物ミニカー」という事に拘って集め続けておりますので、コレクションは必然的にビンテージが中心となってしまいました。 又、ミニカーを先に見て興味を持ち、その実車が好きになってミニカーとセットでウンチクを学びコレクションして行くので、ト〇カコレクターさんのように実車の事やディティールがどうこうではなく、やれこの色やホイールがレアだとか単なる二次加工品の特注品とやらを勝手に価値を付けて間抜けな法外価格で取引している現在隆盛を極めているト〇カコレクションとは考え方が全く違いますので、私にはミニカー友達があまりいません・・・・なので43年間も勝手な理論でミニカーコレクションを展開している訳であります!! という事でやっと話が元に戻りコレクションベスト10 お気に入りベスト10 を発表させて頂きます。 今回はWildmanお気に入りランキング第10位で1960年代イタリアはPolitoys ポリトーイ 製のBRE サムライ 日野サムライ を紹介致します。 ドアーやボンネット開閉のアクションを持ち、マフラーやドライブシャフトもプラスチックの別パーツで表現する等、凝りに凝ったミニカーとして有名でした。 開閉アクションも減らし、別パーツの構成も少なくし販売価格を下げた物でした。 日本でもブリスターパックに入れられて駅の売店なんかにもぶる下がってました。 このエクスポートシリーズでなぜかBREサムライが造られていたのです、全く持って不思議な事でした。 当時の日本車が外国製のミニカーになるなんてことはまずなく トヨタ2000GT除く よりによってまともに走ることが無かった世界的にはほぼ無名のレーシングカーである日野サムライをイタリアのミニカー会社が突然モデル化したのは理解に苦しみます。 Wildman的には史上最も美しいレーシングカーと認定しているクルマなので、当時モデル化されたのは嬉しい事でした、ああ美しい!! 名前もかっこいいSamurai サムライ だって! これが将軍や武士、落ち武者や大名だったらちっともカッコ良くありません・・・・ ミニカーは車高が超絶低いサムライのプロポーションを見事に表現し、コクピットや日野コンテッサ用のエンジンもそつなく出来ております。 サムライ最大の特徴であるエアロフォイルと呼ばれた、BREのデザイナーであるピート・ブロックお得意のリアのウィングも実車と同じく可変システムとなってます。 水貼りデカールは自分で貼るようになっていてウィンドウパッケージには日本の国旗や背景も描かれています。 最初のファーストタイプはダイキャスト製の出来の良いホイールを履いていましたが、後期生産のセカンドタイプは最低なスピードホイールに変更され、フロントのプラスチック製別パーツだったフォグランプも省略されてしまいました、ああ残念!! しかし当初白色しかなかったボディカラーはセカンドタイプになって実車と同じ赤色が追加されました。 こちら赤色は数が少なく手に入れにくくなっています。 そしてポリトーイは余程サムライが好きだったのか、プラ製スロットレーシング車両でもナゼかサムライを作っていて、このグレーのがそれになります。 スロットはコースを走って破壊されてしまうので、今となっては中々見つかりませんね。 1967年日本グランプリの為にBREのピート・ブロックがアメリカより持ち込んだBRE 日野)サムライは日本グランプリではTeam SAMURAIとしてエントリーし、三船敏郎がチーム監督を務めて話題性抜群でしたが、結果色々あって三船監督の抗議もむなしく車検落ちとなり、レースを走らないままひっそりとアメリカに戻ってしまいました。 そんな不思議な歴史のクルマを当時遠く離れたイタリアのミニカーメーカーがひっそりとモデル化していた事に驚きと感動を覚えた少年Wildmanなのでした。 このポリトーイ製サムライのミニカーは好き過ぎて画像以外にも計6台が手元にございます。 という事で次回はベスト10の第9位の発表となりますので、宜しくお願い致します。 皆様、こんにちは。 大嫌いな存在自体意味不明の冬がやっと終わりましてポカポカと暖かい春がやって来ました。 そしてプロ野球も開幕となり、我が横浜DeNAベイスターズはいきなり連敗でずっこけたと思わせといて皆を油断させ、破竹の8連勝 17年振り をかまして優勝に向かって突き進んでおります。 今年は本当に優勝させて頂きますので宜しくお願い致します。 昨年は3位滑り込みセーフとなり、クライマックスシリーズでは阪神、広島を撃破し世間の批判をたっぷり浴びながらも19年振りの日本シリーズ進出という偉業を達成してしまいました。 やることなすこと十何年振りというのがベイスターズらしくて良いのです! 全てついこの前の出来事なのですが・・・ そしてベイスターズファンお待ちかねのWildman書下ろしデザインの2018年度横浜DeNA Baystars X MQQNEYESのコラボグッズはもう少しで発売となりますのでご期待くださいませ!! ということで、先日部屋のレイアウトを少し変えてみたところ(物が右から左に移動しただけですが 沢山のプラモデルが埋蔵されておりました。 私はミニカーは趣味で40年以上集めておりますが、プラモデルを作るという高貴な趣味はございませんので、本当は家に有ってはいけない物なのですが、ビンテージなプラモは何と言ってもボックスアート 箱絵 が素晴らしい芸術作品なのでついつい気に入った物を手元に置いてしまいます・・・・ 一生作ることのないプラモデルたちなのですが、箱絵を見ながら完成した姿を想像するだけで昇天してしまいます。 だって日本製のビンテージプラモデルさんたちは箱絵は芸術、中身はもっと芸術で良くもこれだけ実車のイメージとかけ離れた物を作ったもんだという感じで、きっと当時数枚の写真を頼りに「こんな感じかな? 」というノリで作ったところに芸術性を感じます。 箱も中身もヘタウマイラストというジャンルのアートなのです。 という訳で私の頭の中でしか完成した姿は見れない空想模型のプラモさんたちを紹介させて頂きます。 まずはアサヒ模型というプラモデル門外漢の私にはさっぱり分からないブランドのフェラーリ・スーパーファストIIです。 といってもフェラーリの表記は無いのですが、このイラストは間違えなくフェラーリ・スーパーファストIIです。 が、箱にはスーパーファスト11と描いてあります、IIでなく11です。 きっと当時雑誌を見てイラストを描いた際にキャプションに書いてあったIIというのを見間違えて数字の11と思い込んで描いてしまったのでしょう、まさにイタリアンカスタムカーなのです、横浜いれぶん 木之内みどり?? 羽田空港と思しきバックのイラストにはレシプロ旅客機のダグラスDC7も描かれ昭和感満載となっております。 中身はもっと凄くてフェラーリというよりもさつま芋のような赤い物体が入っておりますが何とモールドは4ドア!! どこがフェラーリなのかという感じです。 ポルシェ356にも、プリンス・スプリントにも見える不思議なヘタウマ芸術プラモなのです・・・ お次はオータキのマツダR360クーペになります。 実車は今見ても素晴らしいデザインですが、もちろんこれは実車を超えていて、独自の解釈のR360クーペが展開されております。 こちらは箱絵が秀逸でして、これが欲しくて入手致しました。 このプラモはけっこう長い間販売されていて3種類の箱絵が存在しているようですが、このイラストのヤツが最高なのです。 お次は中村産業のダイハツ フェローバギーになります。 実車はフェローのピックアップをベースにFRPのボディを架装したユニークな車両で1970年に100台程が作られました。 中身のボディは一応メタルフレーク塗装となっていてサーフボードなんかも付いています。 Buggyの唇デザインのデカールも泣かせてくれるのです。 ダイハツ工業監修となっているので、中々の出来栄えのようです 空想 今度はベスト化学というブランドのマツダキャロル360になります。 ベスト化学というのは1966年からプラモを造っていた宮内製作所というC級プラモの会社がブランド名を1971年に変更したものになるそうです。 このプラモデルは大変に珍しい物だそうで、現存はかなり少なくなっているみたいです。 箱絵がまた素晴らしくてかなり真面目に描いたキャロルのイラストに乗っているのは苦虫をかみつぶしたような表情のおじ様(推定33歳)が疾走するキャロルのバックの夜空には稲妻が走っているという全くどういった状況を表現したのか理解に苦しむ芸術イラストになっております・・・ 中身は言われてみればキャロルなのかしらという出来具合ですがイエローのモールド色とフラワーパワーのデカールがほのぼのさせてくれるのです。 箱の横には軽四シリーズと名打って、フェローマックスやミニカ71、ホンダZらのイラストが描かれていますが、これらが当時販売されたかどうかは不明です。 持っている方がいたら教えてくださいませ。 お次は同じく宮内製作所のシャパラル2Hになります。 当時の日本での言い方ですと箱に描いてある「チャパラル」のほうが馴染みがありましたね。 このモデルも中々珍しいキットになると思います。 独創的なカンナムレーシングカーを造っていたテキサスの石油王ジム・ホールさんでしたが、暴走は止まらずついにこの2Hに至っては空気抵抗を減らす為、前高を極力抑えてペッタンコにしドライバーは殆ど寝そべって運転するという曲芸のようなクルマを作り上げてしまいました。 ドライバーは前が見えなかったそうです・・・・・ 宮内のモデルは2H自体が独創的な形なのでそれらしく仕上がっていますが、何といってもピットマンフィギュア3名とレーシングジャッキが付属するところが子供心を掻き立てます。 箱絵にはジョン・サーティースとジャッキー・スチュアートと思しき2人のレーサーのヘタウマイラストが気分を盛り上げてくれるのです、素晴らしい!! そしてここらでお口直しにアメリカ製のキットをご紹介致します。 1960年代当時では日本製とアメリカ製のプラモデルではその技術の差は歴然ですが、今となっては両方を並べて芸術として共に楽しめる時代になったのです。 アメリカのCOXは1960年代にスロットレーシングで一世を風靡しましたが、ブームが終わるころにはスロットのボディを使いプラモデルに転用していました。 こちらのシャパラルはCOX自体がシャパラルのスポンサーにもなっていたので御大ジム・ホールさん公認となっております。 このクーポンと1ドルを送ればCOXロゴ入りシャツがもらえるよ!といったクーポン券も入っています。 今となってはそれなりの出来のキットですが、古き良き時代の雰囲気はプンプン伝わってくる物になっています、ああこれ空想じゃなくって作ってみたいな!? と思っていると、ハイ出来上がり! となりました?? そうです、当時スロットカーのメーカー完成品スロットカーとしてこちらのシャパラルが出ていたのです。 マグネシウムのホイールがたまりませんな! RTR Ready To Race と呼ばれ素敵な台座の上に鎮座されるこのシャパラルは一生コースを走ることのないスロットカーとして私を楽しませてくれるのです、走っている姿も空想するのです、ああ楽しいな!? このようにプラモデルは作らなくても完成形は自分の頭の中で空想出来るので、こういった形で未組み立てのプラモデルは後世に伝えて行かなければならないのです。 空想模型最高なのです!! 雨ばかりの夏も終わって季節はすでに秋・・・・それなのにナゼか未だプロ野球を心から楽しめているというこの幸せは一体何なのでしょうか。 そう、我が横浜DeNAベイスターズが2年連続クライマックスシリーズ出場という快挙を成し遂げたのであります!!!! 昨年初出場を遂げるまで、ベイスターズのみクライマックスシリーズに出たことが無かったのです つまり万年Bクラス たったセ・リーグ6球団しかないのにナゼ毎年こうなるのか、どこかで誰かが操作しているのではないかと本気で思っておりました・・・ 2012年にDeNAベイスターズになってから6,5,5,6位と順調に下位を低迷し これはこれで楽しかったけど)ついに昨年3位となりクライマックスに初出場し、今年も見事3位でゴールしました まあ、また3位ですけどね 1970年代、川崎の大洋ホエールズ時代より応援しているWildmanとしましてはこれはまさに黄金期なのであります、強い、強すぎる!! 大洋時代より長年の応援で「弱くても楽しめる方法」を見出していた私としましてはこの2年間の「あまりの強さ」に戸惑いを隠せません。 1998年の38年ぶりの優勝時は「これで今後20年は感慨に耽れるな」と思っていたら本当に20年経ってしまいました、ついこの前の出来事なのですが・・・・ そんなこんなで今年は横浜スタジアムに5回足を運び、4勝1敗という中々の好成績を収めることが出来たのであります!! 今年もWildmanデザインの横浜DeNAベイスターズ X MQQNEYESのコラボグッズがありましたので、それを身にまとい横浜スタジアムに参戦致しました。 真夏の首位広島カープ3連戦はベイファンにとって永遠に語り継がれるであろう「伝説の3試合連続サヨナラ勝ち」という奇跡を目の当たりに致しました!! Area-1元カリスマ店長の成田 芸人〇川の従弟です、ホントだってば! と静岡の謎の友人親子と行った試合では劣勢の9回裏、3者連続ホームランでサヨナラ勝利という漫画でもあり得ないような壮絶な幕切れとなり、一生の思い出となりました、この試合については死ぬまで語らせて下さい。 そしてMQQNEYES Staff全員で参戦した試合は 一人のみカープファン 名手菊池の前で物凄いスピンのかかった凡打でサヨナラポテンヒットというこれも漫画並みの幕切れとなり、カープファンの恨みを買うような試合となりました、Go! with MQQN 他にもヤクルト戦、ドラゴンズ戦とWildmanの参戦試合は順当に勝利致しましたが、最大の楽しみの試合が最悪の結果となってしまいました。 毎年8月に行われるスターナイトというビッグイベントがありましてそちらのスポンサーにMQQNEYESは協賛しているのですが、その特典として「横浜スタジアムVIPルーム」での観戦という夢のような企画がございました。 雨でゲームが流れたりしまして、最終的に観戦出来たのは9月も末となった阪神戦となりました。 これが大事なゲームとなりまして、まさにクライマックス出場を掛けた大一番となりました。 が、結果はボロ負けの2-11という一方的なスコアになってしまいました、何でこうなるの・・・・・ でもですね、VIPルームはしっかりと堪能させて頂きました!! バックネット裏の室内にあるそちらは昔の放送席を改装した空調完備の個室となっておりまして、一般開場前の練習時間より入室が出来ましたので、 阪神の練習時間も含めて、素晴らしい眺望にて観戦出来ました。 電話一本で飲み物から食事まで届けて頂けるので、こんな試合内容ではそちらに夢中になってしまいます。 アイスクリームからワインまで野球を 見ながら楽しめるという夢のような時間を過ごすことが出来ました、うお〜贅沢だぜ!! 過去にないくらいワインを飲んでしまい、酔っ払いWildmanは夢心地であります、試合結果も夢だと良かったのですが・・・ こちらがVIPパスとなるのですが、何とか一生使いまわせない物なのでしょうか、40年以上応援していますので宜しくお願い致します。 そんなこんなで3年前までだったら10月のDeNAベイスターズは「ハイ、今期はもうおしまい」という流れだったのですが、ついに「強豪」となってしまったので、この後もクライマックスシリーズ その先には日本シリーズ?? が楽しめるというとっても嬉しい秋が待っているのであります、横浜で何かが起こるかもしれませんよ、フフフ・・・・ この夏はですね7月から1ヶ月に渡ってあっちこっちに出掛けておりまして、ベイスターズ同様何が何だか分からない内に日々が過ぎて行くのであります。 いまだ3位のベイスターズ、MQQNEYESStaff総出で応援に行く今月末までこの順位をキープしてほしい物なのであります。 で、私はと言いますと7月の2週目はArea-1 Staffの駆け出しPinstriperこと、Mitch Shinotsuka 茨城出身 と一緒にMQQNEYES USAにて開催された毎年恒例のOpen Houseに行って参りました。 40度の気温の元、Pinstripeデモを行って来ましたが、暑過ぎてよく覚えておりませんので、詳しくはこちらの をご覧くださいませ。 Nash氏がDetroit Junkを立ち上げてから今年で25周年に当たりその記念としてKK ProのArtistや私らが集まり、さらにHCSでもおなじみのスティーブ・キャバレロも来日し、Art Showを開催しました。 各地から多数のお客様が集まってくれてNash氏も喜ばれておりましたが、26周年記念もやると言っておりますので、それだけは阻止しようと思っております・・・・ そして月末から8月に掛けては灼熱の? マレーシアに出張して来ました。 横浜元町で盛業中のKustom Style So. Calの左近君も招待されていて、自慢のFordも日本から持ち込まれて大人気でした。 夜も楽しそうでした。 タンクに文字入れをさせて頂きました。 素敵過ぎて涙が出て来ます、しかもちょっぴりMQQN仕様になってます。 WildmanのBest of Showに決定させて頂きます! そしてマレーシアといえば街並み同様カラフルなカラーリングのハデハデカスタムカーが今年も沢山並んでおりました、ハデ過ぎます・・・ もう実物大のプラモデルにしか見えないようなクルマばかりでして、やりたい放題はさらにエスカレートしておりました。 70カローラにレクサスV8を突っ込んでみたり、マルイのRX-3を実物大で表現してみたり、鯉のぼりや牛の角でカスタムしてみたりと自分が想像したことをプラモじゃなくって本当に実物大で表現してることに関心させられます・・・・来年以降もますますパワーアップしそうなイベントなのです。 そして8月に入ってからは6年振りにスイスに行って参りました。 事前にこのイベントのポスターも描かさせて頂いておりまして、久々にお邪魔しました。 Shopの前で週末2日間に渡って行われるイベントで今回もNash氏とKK ProのMakoto君やMr,G君のTean Nashも一緒に参加し、ヨーロッパの他国のArtistも来られていました。 スイスでは沢山のPinstripeの仕事を頂き忙しい2日間でした。 見事に雨は降らさせてしまいましたが・・・・ 来ているクルマたちもご覧のようにQualityの高いTraditionalなHot Rodが多数集まり、仕上がりも綺麗でスイスのカスタムカーのレベルの高さに関心させられます。 各国を回るとその国々の色が感じられますね。 こんな素敵なクジラ・クラウンのワゴンがありましたが、このようにクラウン・クラシックスのステッカーが貼って嬉しくなります。 こちらはカッコいいカラーリングのHarley- Davidson XLT125であります、2ストロークですぜ! やっぱりAMF時代のカラーリングは素敵ですよね、メーターパネルの色まで70年代しています、欲しくなっちゃいました! そしてこのイベントも無事に終わり、Team Nashの面々はドイツツアーがあるのでそのまま残って、私は一人帰途につきました。 今回はロシアのアエロフロート航空に初めて乗ったのですが、参っちゃいました・・・・・行きは良かったのですが帰りに地獄が待っておりました。 スイスのチューリッヒ空港からモスクワ空港まで行き、そこで乗り換えて東京に戻る便なのでしたが、いきなりモスクワ空港に遅れて到着し しかも端っこのターミナル そこでは数百人に対して3人のスタッフでパスポートコントロールをしていてとんでもない時間が掛かっているのです、意味わかりません。 「この飛行機に乗りたいのですが大丈夫ですか?」と小心者のWildmanが聞くと「大丈夫だ」というのでそのまま信用して並ぶとそこを脱出したのは東京行きが出発する22分前!! そしてその搭乗口は正反対のターミナルで地図によると徒歩15分と書いてあるじゃありませんか!! 小心者の不安はMAXに達し、カバンを抱えて全速力で走りました。 ここ数年この距離をこんなスピードで走った記憶はありません、有難うNike Air Soleよ!! ゼエゼエいいながら5番ゲートにたどり着くと時計はすでに出発10分前を切っていました。 そこには他の搭乗客は誰もおらず、バスではなくミニバンが迎えに来てくれて一人でそれに乗って飛行機まで案内され、何とか搭乗出来ました。 もう少しでモスクワ空港に一泊という珍現象が起きる所でした。 飛行機は無事成田までたどり着き、荷物が出て来るのを待っていると一向に出て来ません。 おかしいなと思って見てみると「イシイタカヒロ様」と書いた札がくるくる回っておりました。 アエロフロートのカウンターにお越しくださいと書いて有ったので行ってみると「モスクワでのトランジット時間が短く荷物を載せることが出来ませんでした、明日の便で着くので宅配便で届けます」と事務的に言われました。 「こっちもトランジット時間が短くてWildman危機一髪だったんだ、ふざけるな!! 」と言おうと思いましたが小心者なのでやめました。 で私がPinstripeデモを行います。 両日ともに11am〜18pmの開催となりますので、どうぞお見逃しなく!! 皆様、関東地方の梅雨もやっと明けまして 全然雨が降りませんでしたが・・・)本格的な夏がやってまいりました。 我が仕事場のMQQN Garage内は毎日40度に迫る気温となりまして「Pinstripeというのはスポーツなんだ! 」と解釈し、毎日が体力勝負のPisntriperと化しております。 Area-1 Garageにお越しの際は、お気軽にSports Pinstriperの私に声を掛けてくださいませ。 で、夏といえばプロ野球、我が横浜DeNAベイスターズは7月の4週目の時点で3位につけておりまして、2位も目の前に迫って来ている勢いで快進撃を続けております。 昨年も夏から3位につけてそのまま何とかフィニッシュし、初のクライマックスシリーズ進出を果たしました。 今年はカープがブッチぎりの強さを見せつけておりますので、優勝ははるか彼方に行ってしまいましたが、何とか2位でフィニッシュし、 横浜スタジアムでのクライマックスシリーズ開催を夢見ております。 という事で今年も横浜DeNAベイスターズXMQQNEYESのコラボレーション商品が発売となりました。 横浜スタジアムの試合途中でバズーカ砲をぶっ放している、BAYSTARS SUPER BAZOOKA(Chevy S-10)をモチーフとしたデザインで、一部刺繍を使った商品もありますよ。 今年の夏もこれらコラボグッズを身にまとい横浜スタジアムへベイスターズの応援に行って下さい。 地域密着型MQQNEYESなのであります。 こちらMQQNEYESネーム入りのベイスターズユニフォームを身にまとって応援しておりますので、見つけたら声を掛けて下さい。 応援団長のWildmanが目印です。 Win with MQQNEYES!!! 過去ログ•

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あの世行きのバスに乗ってさらば。 歌詞『ツユ』

あの世行きのバスに乗ってさらば 解釈

1990年、Pinstriperとなって1年が経った頃、初めてアメリカを訪れユタ州のEd Rothの元へ行く事になりました。 1989年の日本の3rd. Annual Mooneyes Street Car NationalsでRoth本人に会ってそのパフォーマンスをライブで見て感動し、Pro Pinstriperになる事を決意しましたが、今度はアメリカで再会し新たにRothよりPinstripeについて学びたく思っていました。 LAXにてRothと落ち合い、クルマで遠くユタ州の彼の家に向かう訳ですが、狭い室内の彼の愛車Mazda Pick upの助手席に乗ろうとすると、「何、やってんだHiroが運転していってくれよ」ととんでもない一言が!初めて来たアメリカで初めての運転でそんな距離を走らされるとは思ってもいなかったので正直焦りましたが、フラフラとFreewayを走り、朝だか夜だか分らない時間に何とかユタのRoth宅に到着しました。 するとそれまで殆ど眠っていたRothが言いました、「いや〜初めてのアメリカでよくこんな所まで運転してきたな!おまえをWildman と呼ぼう!」の一言でRothより"Wildman石井"という名前を命名していただきました。 Here is a story for people who are not familiar about why Pinstriper Mr. Ishii is called "Wildman" Ishii. He was named "Wildman" by ED "Big Daddy" Roth. It was when Mr. Ishii traveled to Utah to be trained as Pinstriper by Ed "Big Daddy" Roth at his home. Ed "Big Daddy" Roth was only expecting Mr. Ishii to drive from airport in Utah but when Ed Roth found out that Mr. Ishii actually drove all the way from LAX airport in California, Ed "Big Daddy" Roth had to say "Oh! You are Wildman!. Let's make your name "Wildman" So his name "Wildman" has been called since then. Good story isn't it. ベイスターズは完全に失速中でありますが、これはゴールデンウィーク前にセ・リーグを混乱させ面白くさせて、皆様をワクワクさせる為ににわざと負けている作戦だと思われます。 「ベイ死んだふり作戦」こそ今年のテーマなのであります。 プロ野球ファンのことを考えた、極めて高等で奥深いベイ死んだふり作戦の中、ついに横浜DeNAベイスターズXMQQNEYESの2018年度版コラボグッズ第一弾が発売となりました!!! 今年のコラボ企画はですね、何と3回に分けての発売予定で、この後は6月、9月とプロ野球シーズンまっただ中に新しいコラボグッズの発売が予定されております。 つまりですねクライマックスシリーズと日本シリーズにも合わせて新しいグッズを身に着けて応援に行けるという訳なのであります、素晴らし過ぎです!! エッ、日本シリーズですって? そうですよ、今年は横浜DeNAベイスターズ20年振りの優勝が待ち受けているのは確定的でありますので、ベイファンの皆様は10月末から11月の予定は空けておくようお願い致します、ああ忙しい。 まあ、優勝出来なくても3位に入ればクライマックスシリーズを勝ち上がるなんてちょろいもんなので、日本シリーズには必ず行けるのです!! 今年のデザインは、熱く燃えるFlamesと横浜スタジアム、MQQNEYESロゴを組み合わせたデザインになっておりまして第一弾は刺繍Tシャツ、ロングスリーブTシャツ、ジャージスタジャン、フラットバイザーキャップ、フェイスタオルが今回、春の発売分となります。 ベイ死んだふり作戦の中、これらを身にまとって横浜スタジアムに応援に行きましょう。 Win! with MQQNEYESであります!!! ということで、ミニカーのお話となります。 前回はナゼかプラモデルのお話になってしまいましたが、やっぱりWildmanといえばミニカーなのであります。 今まであまり考えたことが無かったのですが、自分の持っているミニカーの中で一体何がお気に入りなのか? どれが一番好きなのか? そうだコレクションベスト10を決めてみましょう! と犬の散歩をしながら思いついてしまいました。 といっても推定2000台? のコレクションの中ではどれもこれもお気に入りなので、そこでベスト10を決めるのは難しいのですが、そこはコレクション43周年、苦渋の? ランク付けをしたいと思います、ハイ。 思い起こせばついこの前の1975年(昭和50年)少年Wildmanは大好きだったミニカーを買いに横浜は伊勢佐木町、おもちゃのマリヤに出撃しておりました。 今では全く興味のカケラも無いトミカなる物体を購入し、お会計を済ませるとレジのお姉さんが一冊の小冊子を手渡してくれました。 「なんじゃこりゃ、タダでもらえるの? 」と不思議に思う少年Wildman、ときに11歳、小学5年生でありました。 これこそが私の人生を完全に狂わせてしまった本「月刊ミニチュアカー」誌1975年4月号でありました。 ミニカーを大人が集めるという事を正当化している変態本は11歳の少年の心をわし掴みにして変態の道へのレールを敷いてくれたのでした。 これを読まなかったら全く違う人生を歩んでいたことは間違えありませぬ・・・ 月刊ミニチュアカーは可堂玩具 カドー玩具 というミニカーメインの玩具問屋が発行していた物なのですが、ミニカーを売るための啓蒙活動としてNMCC 日本ミニチュアカークラブ なるものを主宰してそのクラブの会報誌というような位置付けでした。 クラブに入っていなくてもミニカーを卸している専門店や玩具店にも配布して、ミニカーお買い上げのお客様に渡していました、そこで私ももらったのです。 こちらはNMCCのWildman最後の会員証と、ピンバッヂになります。 本の内容は当時のトップクラスのコレクター様が執筆したミニカーブランド別の解説やコレクションの仕方、ニューモデル紹介や個人売買欄等、小さな冊子にはとっても濃い内容があふれておりました、まさに昭和の変態の世界でした。 インターネットのない時代に、日本でミニカーの情報や知識を提供してくれる唯一無二の存在だったのです。 おかげでこんな立派な変態に育ちました・・・ 既に存在していたミニカー専門店の広告を見て、横浜元町の千代田ママストア、鶴見のチェッカー、八丁堀のコジマ、浅草のテラオ、自由が丘のえびすや等々、横浜、東京のお店に片っ端から出撃して行きました。 当時デパートでも定期的にミニカーフェアが開催されていて、小田急や西武、東武等、都内のデパートにも遠征しておりました。 昭和の時代はミニカーは玩具売り場の花形商品でありました。 いきなりミニカーの知識を詰め込まれた少年Wildmanはそれまでただ単に車が好きだから集めていたミニカーを「コレクション」という物に格上げし、ミニカーが好きだからその実車に対して興味を持つという逆転の発想が生まれてしまい「初めにミニカーありき」という理論が目出度く成立となったのです。 なので実車よりミニカーの方が断然カッコいいという感情が強くなってしまいました。 何を言っているのかさっぱり分からないという方は大勢いらしゃると思いますが、私には実車の方がカッコいいという理論の方がさっぱり分からないのです・・・・ そしてミニカーというのは実車が製造されていたのと同じ時期に作られていなければならないという絶対に変えることの出来ない感情も生まれてしまったのです。 例えば1964年型クラウンのミニカーは同時期の1964年に実車と同じ空気と技術の元に造られていなければならず、2015年に2015年の技術を使って作られた1964年型クラウンのミニカーはもう存在自体がどうでもいいのです。 逆に2015年に造られた2015年型クラウンのミニカーは全く問題ありません。 なので「当時物ミニカー」という事に拘って集め続けておりますので、コレクションは必然的にビンテージが中心となってしまいました。 又、ミニカーを先に見て興味を持ち、その実車が好きになってミニカーとセットでウンチクを学びコレクションして行くので、ト〇カコレクターさんのように実車の事やディティールがどうこうではなく、やれこの色やホイールがレアだとか単なる二次加工品の特注品とやらを勝手に価値を付けて間抜けな法外価格で取引している現在隆盛を極めているト〇カコレクションとは考え方が全く違いますので、私にはミニカー友達があまりいません・・・・なので43年間も勝手な理論でミニカーコレクションを展開している訳であります!! という事でやっと話が元に戻りコレクションベスト10 お気に入りベスト10 を発表させて頂きます。 今回はWildmanお気に入りランキング第10位で1960年代イタリアはPolitoys ポリトーイ 製のBRE サムライ 日野サムライ を紹介致します。 ドアーやボンネット開閉のアクションを持ち、マフラーやドライブシャフトもプラスチックの別パーツで表現する等、凝りに凝ったミニカーとして有名でした。 開閉アクションも減らし、別パーツの構成も少なくし販売価格を下げた物でした。 日本でもブリスターパックに入れられて駅の売店なんかにもぶる下がってました。 このエクスポートシリーズでなぜかBREサムライが造られていたのです、全く持って不思議な事でした。 当時の日本車が外国製のミニカーになるなんてことはまずなく トヨタ2000GT除く よりによってまともに走ることが無かった世界的にはほぼ無名のレーシングカーである日野サムライをイタリアのミニカー会社が突然モデル化したのは理解に苦しみます。 Wildman的には史上最も美しいレーシングカーと認定しているクルマなので、当時モデル化されたのは嬉しい事でした、ああ美しい!! 名前もかっこいいSamurai サムライ だって! これが将軍や武士、落ち武者や大名だったらちっともカッコ良くありません・・・・ ミニカーは車高が超絶低いサムライのプロポーションを見事に表現し、コクピットや日野コンテッサ用のエンジンもそつなく出来ております。 サムライ最大の特徴であるエアロフォイルと呼ばれた、BREのデザイナーであるピート・ブロックお得意のリアのウィングも実車と同じく可変システムとなってます。 水貼りデカールは自分で貼るようになっていてウィンドウパッケージには日本の国旗や背景も描かれています。 最初のファーストタイプはダイキャスト製の出来の良いホイールを履いていましたが、後期生産のセカンドタイプは最低なスピードホイールに変更され、フロントのプラスチック製別パーツだったフォグランプも省略されてしまいました、ああ残念!! しかし当初白色しかなかったボディカラーはセカンドタイプになって実車と同じ赤色が追加されました。 こちら赤色は数が少なく手に入れにくくなっています。 そしてポリトーイは余程サムライが好きだったのか、プラ製スロットレーシング車両でもナゼかサムライを作っていて、このグレーのがそれになります。 スロットはコースを走って破壊されてしまうので、今となっては中々見つかりませんね。 1967年日本グランプリの為にBREのピート・ブロックがアメリカより持ち込んだBRE 日野)サムライは日本グランプリではTeam SAMURAIとしてエントリーし、三船敏郎がチーム監督を務めて話題性抜群でしたが、結果色々あって三船監督の抗議もむなしく車検落ちとなり、レースを走らないままひっそりとアメリカに戻ってしまいました。 そんな不思議な歴史のクルマを当時遠く離れたイタリアのミニカーメーカーがひっそりとモデル化していた事に驚きと感動を覚えた少年Wildmanなのでした。 このポリトーイ製サムライのミニカーは好き過ぎて画像以外にも計6台が手元にございます。 という事で次回はベスト10の第9位の発表となりますので、宜しくお願い致します。 皆様、こんにちは。 大嫌いな存在自体意味不明の冬がやっと終わりましてポカポカと暖かい春がやって来ました。 そしてプロ野球も開幕となり、我が横浜DeNAベイスターズはいきなり連敗でずっこけたと思わせといて皆を油断させ、破竹の8連勝 17年振り をかまして優勝に向かって突き進んでおります。 今年は本当に優勝させて頂きますので宜しくお願い致します。 昨年は3位滑り込みセーフとなり、クライマックスシリーズでは阪神、広島を撃破し世間の批判をたっぷり浴びながらも19年振りの日本シリーズ進出という偉業を達成してしまいました。 やることなすこと十何年振りというのがベイスターズらしくて良いのです! 全てついこの前の出来事なのですが・・・ そしてベイスターズファンお待ちかねのWildman書下ろしデザインの2018年度横浜DeNA Baystars X MQQNEYESのコラボグッズはもう少しで発売となりますのでご期待くださいませ!! ということで、先日部屋のレイアウトを少し変えてみたところ(物が右から左に移動しただけですが 沢山のプラモデルが埋蔵されておりました。 私はミニカーは趣味で40年以上集めておりますが、プラモデルを作るという高貴な趣味はございませんので、本当は家に有ってはいけない物なのですが、ビンテージなプラモは何と言ってもボックスアート 箱絵 が素晴らしい芸術作品なのでついつい気に入った物を手元に置いてしまいます・・・・ 一生作ることのないプラモデルたちなのですが、箱絵を見ながら完成した姿を想像するだけで昇天してしまいます。 だって日本製のビンテージプラモデルさんたちは箱絵は芸術、中身はもっと芸術で良くもこれだけ実車のイメージとかけ離れた物を作ったもんだという感じで、きっと当時数枚の写真を頼りに「こんな感じかな? 」というノリで作ったところに芸術性を感じます。 箱も中身もヘタウマイラストというジャンルのアートなのです。 という訳で私の頭の中でしか完成した姿は見れない空想模型のプラモさんたちを紹介させて頂きます。 まずはアサヒ模型というプラモデル門外漢の私にはさっぱり分からないブランドのフェラーリ・スーパーファストIIです。 といってもフェラーリの表記は無いのですが、このイラストは間違えなくフェラーリ・スーパーファストIIです。 が、箱にはスーパーファスト11と描いてあります、IIでなく11です。 きっと当時雑誌を見てイラストを描いた際にキャプションに書いてあったIIというのを見間違えて数字の11と思い込んで描いてしまったのでしょう、まさにイタリアンカスタムカーなのです、横浜いれぶん 木之内みどり?? 羽田空港と思しきバックのイラストにはレシプロ旅客機のダグラスDC7も描かれ昭和感満載となっております。 中身はもっと凄くてフェラーリというよりもさつま芋のような赤い物体が入っておりますが何とモールドは4ドア!! どこがフェラーリなのかという感じです。 ポルシェ356にも、プリンス・スプリントにも見える不思議なヘタウマ芸術プラモなのです・・・ お次はオータキのマツダR360クーペになります。 実車は今見ても素晴らしいデザインですが、もちろんこれは実車を超えていて、独自の解釈のR360クーペが展開されております。 こちらは箱絵が秀逸でして、これが欲しくて入手致しました。 このプラモはけっこう長い間販売されていて3種類の箱絵が存在しているようですが、このイラストのヤツが最高なのです。 お次は中村産業のダイハツ フェローバギーになります。 実車はフェローのピックアップをベースにFRPのボディを架装したユニークな車両で1970年に100台程が作られました。 中身のボディは一応メタルフレーク塗装となっていてサーフボードなんかも付いています。 Buggyの唇デザインのデカールも泣かせてくれるのです。 ダイハツ工業監修となっているので、中々の出来栄えのようです 空想 今度はベスト化学というブランドのマツダキャロル360になります。 ベスト化学というのは1966年からプラモを造っていた宮内製作所というC級プラモの会社がブランド名を1971年に変更したものになるそうです。 このプラモデルは大変に珍しい物だそうで、現存はかなり少なくなっているみたいです。 箱絵がまた素晴らしくてかなり真面目に描いたキャロルのイラストに乗っているのは苦虫をかみつぶしたような表情のおじ様(推定33歳)が疾走するキャロルのバックの夜空には稲妻が走っているという全くどういった状況を表現したのか理解に苦しむ芸術イラストになっております・・・ 中身は言われてみればキャロルなのかしらという出来具合ですがイエローのモールド色とフラワーパワーのデカールがほのぼのさせてくれるのです。 箱の横には軽四シリーズと名打って、フェローマックスやミニカ71、ホンダZらのイラストが描かれていますが、これらが当時販売されたかどうかは不明です。 持っている方がいたら教えてくださいませ。 お次は同じく宮内製作所のシャパラル2Hになります。 当時の日本での言い方ですと箱に描いてある「チャパラル」のほうが馴染みがありましたね。 このモデルも中々珍しいキットになると思います。 独創的なカンナムレーシングカーを造っていたテキサスの石油王ジム・ホールさんでしたが、暴走は止まらずついにこの2Hに至っては空気抵抗を減らす為、前高を極力抑えてペッタンコにしドライバーは殆ど寝そべって運転するという曲芸のようなクルマを作り上げてしまいました。 ドライバーは前が見えなかったそうです・・・・・ 宮内のモデルは2H自体が独創的な形なのでそれらしく仕上がっていますが、何といってもピットマンフィギュア3名とレーシングジャッキが付属するところが子供心を掻き立てます。 箱絵にはジョン・サーティースとジャッキー・スチュアートと思しき2人のレーサーのヘタウマイラストが気分を盛り上げてくれるのです、素晴らしい!! そしてここらでお口直しにアメリカ製のキットをご紹介致します。 1960年代当時では日本製とアメリカ製のプラモデルではその技術の差は歴然ですが、今となっては両方を並べて芸術として共に楽しめる時代になったのです。 アメリカのCOXは1960年代にスロットレーシングで一世を風靡しましたが、ブームが終わるころにはスロットのボディを使いプラモデルに転用していました。 こちらのシャパラルはCOX自体がシャパラルのスポンサーにもなっていたので御大ジム・ホールさん公認となっております。 このクーポンと1ドルを送ればCOXロゴ入りシャツがもらえるよ!といったクーポン券も入っています。 今となってはそれなりの出来のキットですが、古き良き時代の雰囲気はプンプン伝わってくる物になっています、ああこれ空想じゃなくって作ってみたいな!? と思っていると、ハイ出来上がり! となりました?? そうです、当時スロットカーのメーカー完成品スロットカーとしてこちらのシャパラルが出ていたのです。 マグネシウムのホイールがたまりませんな! RTR Ready To Race と呼ばれ素敵な台座の上に鎮座されるこのシャパラルは一生コースを走ることのないスロットカーとして私を楽しませてくれるのです、走っている姿も空想するのです、ああ楽しいな!? このようにプラモデルは作らなくても完成形は自分の頭の中で空想出来るので、こういった形で未組み立てのプラモデルは後世に伝えて行かなければならないのです。 空想模型最高なのです!! 雨ばかりの夏も終わって季節はすでに秋・・・・それなのにナゼか未だプロ野球を心から楽しめているというこの幸せは一体何なのでしょうか。 そう、我が横浜DeNAベイスターズが2年連続クライマックスシリーズ出場という快挙を成し遂げたのであります!!!! 昨年初出場を遂げるまで、ベイスターズのみクライマックスシリーズに出たことが無かったのです つまり万年Bクラス たったセ・リーグ6球団しかないのにナゼ毎年こうなるのか、どこかで誰かが操作しているのではないかと本気で思っておりました・・・ 2012年にDeNAベイスターズになってから6,5,5,6位と順調に下位を低迷し これはこれで楽しかったけど)ついに昨年3位となりクライマックスに初出場し、今年も見事3位でゴールしました まあ、また3位ですけどね 1970年代、川崎の大洋ホエールズ時代より応援しているWildmanとしましてはこれはまさに黄金期なのであります、強い、強すぎる!! 大洋時代より長年の応援で「弱くても楽しめる方法」を見出していた私としましてはこの2年間の「あまりの強さ」に戸惑いを隠せません。 1998年の38年ぶりの優勝時は「これで今後20年は感慨に耽れるな」と思っていたら本当に20年経ってしまいました、ついこの前の出来事なのですが・・・・ そんなこんなで今年は横浜スタジアムに5回足を運び、4勝1敗という中々の好成績を収めることが出来たのであります!! 今年もWildmanデザインの横浜DeNAベイスターズ X MQQNEYESのコラボグッズがありましたので、それを身にまとい横浜スタジアムに参戦致しました。 真夏の首位広島カープ3連戦はベイファンにとって永遠に語り継がれるであろう「伝説の3試合連続サヨナラ勝ち」という奇跡を目の当たりに致しました!! Area-1元カリスマ店長の成田 芸人〇川の従弟です、ホントだってば! と静岡の謎の友人親子と行った試合では劣勢の9回裏、3者連続ホームランでサヨナラ勝利という漫画でもあり得ないような壮絶な幕切れとなり、一生の思い出となりました、この試合については死ぬまで語らせて下さい。 そしてMQQNEYES Staff全員で参戦した試合は 一人のみカープファン 名手菊池の前で物凄いスピンのかかった凡打でサヨナラポテンヒットというこれも漫画並みの幕切れとなり、カープファンの恨みを買うような試合となりました、Go! with MQQN 他にもヤクルト戦、ドラゴンズ戦とWildmanの参戦試合は順当に勝利致しましたが、最大の楽しみの試合が最悪の結果となってしまいました。 毎年8月に行われるスターナイトというビッグイベントがありましてそちらのスポンサーにMQQNEYESは協賛しているのですが、その特典として「横浜スタジアムVIPルーム」での観戦という夢のような企画がございました。 雨でゲームが流れたりしまして、最終的に観戦出来たのは9月も末となった阪神戦となりました。 これが大事なゲームとなりまして、まさにクライマックス出場を掛けた大一番となりました。 が、結果はボロ負けの2-11という一方的なスコアになってしまいました、何でこうなるの・・・・・ でもですね、VIPルームはしっかりと堪能させて頂きました!! バックネット裏の室内にあるそちらは昔の放送席を改装した空調完備の個室となっておりまして、一般開場前の練習時間より入室が出来ましたので、 阪神の練習時間も含めて、素晴らしい眺望にて観戦出来ました。 電話一本で飲み物から食事まで届けて頂けるので、こんな試合内容ではそちらに夢中になってしまいます。 アイスクリームからワインまで野球を 見ながら楽しめるという夢のような時間を過ごすことが出来ました、うお〜贅沢だぜ!! 過去にないくらいワインを飲んでしまい、酔っ払いWildmanは夢心地であります、試合結果も夢だと良かったのですが・・・ こちらがVIPパスとなるのですが、何とか一生使いまわせない物なのでしょうか、40年以上応援していますので宜しくお願い致します。 そんなこんなで3年前までだったら10月のDeNAベイスターズは「ハイ、今期はもうおしまい」という流れだったのですが、ついに「強豪」となってしまったので、この後もクライマックスシリーズ その先には日本シリーズ?? が楽しめるというとっても嬉しい秋が待っているのであります、横浜で何かが起こるかもしれませんよ、フフフ・・・・ この夏はですね7月から1ヶ月に渡ってあっちこっちに出掛けておりまして、ベイスターズ同様何が何だか分からない内に日々が過ぎて行くのであります。 いまだ3位のベイスターズ、MQQNEYESStaff総出で応援に行く今月末までこの順位をキープしてほしい物なのであります。 で、私はと言いますと7月の2週目はArea-1 Staffの駆け出しPinstriperこと、Mitch Shinotsuka 茨城出身 と一緒にMQQNEYES USAにて開催された毎年恒例のOpen Houseに行って参りました。 40度の気温の元、Pinstripeデモを行って来ましたが、暑過ぎてよく覚えておりませんので、詳しくはこちらの をご覧くださいませ。 Nash氏がDetroit Junkを立ち上げてから今年で25周年に当たりその記念としてKK ProのArtistや私らが集まり、さらにHCSでもおなじみのスティーブ・キャバレロも来日し、Art Showを開催しました。 各地から多数のお客様が集まってくれてNash氏も喜ばれておりましたが、26周年記念もやると言っておりますので、それだけは阻止しようと思っております・・・・ そして月末から8月に掛けては灼熱の? マレーシアに出張して来ました。 横浜元町で盛業中のKustom Style So. Calの左近君も招待されていて、自慢のFordも日本から持ち込まれて大人気でした。 夜も楽しそうでした。 タンクに文字入れをさせて頂きました。 素敵過ぎて涙が出て来ます、しかもちょっぴりMQQN仕様になってます。 WildmanのBest of Showに決定させて頂きます! そしてマレーシアといえば街並み同様カラフルなカラーリングのハデハデカスタムカーが今年も沢山並んでおりました、ハデ過ぎます・・・ もう実物大のプラモデルにしか見えないようなクルマばかりでして、やりたい放題はさらにエスカレートしておりました。 70カローラにレクサスV8を突っ込んでみたり、マルイのRX-3を実物大で表現してみたり、鯉のぼりや牛の角でカスタムしてみたりと自分が想像したことをプラモじゃなくって本当に実物大で表現してることに関心させられます・・・・来年以降もますますパワーアップしそうなイベントなのです。 そして8月に入ってからは6年振りにスイスに行って参りました。 事前にこのイベントのポスターも描かさせて頂いておりまして、久々にお邪魔しました。 Shopの前で週末2日間に渡って行われるイベントで今回もNash氏とKK ProのMakoto君やMr,G君のTean Nashも一緒に参加し、ヨーロッパの他国のArtistも来られていました。 スイスでは沢山のPinstripeの仕事を頂き忙しい2日間でした。 見事に雨は降らさせてしまいましたが・・・・ 来ているクルマたちもご覧のようにQualityの高いTraditionalなHot Rodが多数集まり、仕上がりも綺麗でスイスのカスタムカーのレベルの高さに関心させられます。 各国を回るとその国々の色が感じられますね。 こんな素敵なクジラ・クラウンのワゴンがありましたが、このようにクラウン・クラシックスのステッカーが貼って嬉しくなります。 こちらはカッコいいカラーリングのHarley- Davidson XLT125であります、2ストロークですぜ! やっぱりAMF時代のカラーリングは素敵ですよね、メーターパネルの色まで70年代しています、欲しくなっちゃいました! そしてこのイベントも無事に終わり、Team Nashの面々はドイツツアーがあるのでそのまま残って、私は一人帰途につきました。 今回はロシアのアエロフロート航空に初めて乗ったのですが、参っちゃいました・・・・・行きは良かったのですが帰りに地獄が待っておりました。 スイスのチューリッヒ空港からモスクワ空港まで行き、そこで乗り換えて東京に戻る便なのでしたが、いきなりモスクワ空港に遅れて到着し しかも端っこのターミナル そこでは数百人に対して3人のスタッフでパスポートコントロールをしていてとんでもない時間が掛かっているのです、意味わかりません。 「この飛行機に乗りたいのですが大丈夫ですか?」と小心者のWildmanが聞くと「大丈夫だ」というのでそのまま信用して並ぶとそこを脱出したのは東京行きが出発する22分前!! そしてその搭乗口は正反対のターミナルで地図によると徒歩15分と書いてあるじゃありませんか!! 小心者の不安はMAXに達し、カバンを抱えて全速力で走りました。 ここ数年この距離をこんなスピードで走った記憶はありません、有難うNike Air Soleよ!! ゼエゼエいいながら5番ゲートにたどり着くと時計はすでに出発10分前を切っていました。 そこには他の搭乗客は誰もおらず、バスではなくミニバンが迎えに来てくれて一人でそれに乗って飛行機まで案内され、何とか搭乗出来ました。 もう少しでモスクワ空港に一泊という珍現象が起きる所でした。 飛行機は無事成田までたどり着き、荷物が出て来るのを待っていると一向に出て来ません。 おかしいなと思って見てみると「イシイタカヒロ様」と書いた札がくるくる回っておりました。 アエロフロートのカウンターにお越しくださいと書いて有ったので行ってみると「モスクワでのトランジット時間が短く荷物を載せることが出来ませんでした、明日の便で着くので宅配便で届けます」と事務的に言われました。 「こっちもトランジット時間が短くてWildman危機一髪だったんだ、ふざけるな!! 」と言おうと思いましたが小心者なのでやめました。 で私がPinstripeデモを行います。 両日ともに11am〜18pmの開催となりますので、どうぞお見逃しなく!! 皆様、関東地方の梅雨もやっと明けまして 全然雨が降りませんでしたが・・・)本格的な夏がやってまいりました。 我が仕事場のMQQN Garage内は毎日40度に迫る気温となりまして「Pinstripeというのはスポーツなんだ! 」と解釈し、毎日が体力勝負のPisntriperと化しております。 Area-1 Garageにお越しの際は、お気軽にSports Pinstriperの私に声を掛けてくださいませ。 で、夏といえばプロ野球、我が横浜DeNAベイスターズは7月の4週目の時点で3位につけておりまして、2位も目の前に迫って来ている勢いで快進撃を続けております。 昨年も夏から3位につけてそのまま何とかフィニッシュし、初のクライマックスシリーズ進出を果たしました。 今年はカープがブッチぎりの強さを見せつけておりますので、優勝ははるか彼方に行ってしまいましたが、何とか2位でフィニッシュし、 横浜スタジアムでのクライマックスシリーズ開催を夢見ております。 という事で今年も横浜DeNAベイスターズXMQQNEYESのコラボレーション商品が発売となりました。 横浜スタジアムの試合途中でバズーカ砲をぶっ放している、BAYSTARS SUPER BAZOOKA(Chevy S-10)をモチーフとしたデザインで、一部刺繍を使った商品もありますよ。 今年の夏もこれらコラボグッズを身にまとい横浜スタジアムへベイスターズの応援に行って下さい。 地域密着型MQQNEYESなのであります。 こちらMQQNEYESネーム入りのベイスターズユニフォームを身にまとって応援しておりますので、見つけたら声を掛けて下さい。 応援団長のWildmanが目印です。 Win with MQQNEYES!!! 過去ログ•

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