若い人はあまり知らないでしょうが、7月7日に処刑された麻原彰晃には、妻の松本知子以外にも女性信者の中にたくさんの愛人がいて、教団内でハーレムを作っていました。 「修行」の名目で麻原と関係を持った女性信者はそれこそ100人をくだらないと言われましたが、その中で、特に有名になった女性信者を紹介します。 昨日の記事では麻原の家族について書きましたが、妻の松本知子のほかに複数の愛人がいたので、そちらの方について書きたいと思います。 もともと文武両道の才女で大学進学を希望していましたが、女性であることを理由に両親に反対され大学に行けず、短大に進学しました。 卒業後は保険会社で働いて結婚もしていましたが、1984年に入信、1986年の26歳の時に娘一人を連れて出家、その後離婚しました。 教団内では熱心に活動し、早い段階で正悟師の位につきました。 写真のとおり、ロングヘアの綺麗な人で、麻原の「化粧っけのないロングヘアの美人」という好みにビンゴ。 妻の松本知子は郵政大臣 出版物・ビデオ編集担当 で、愛人が大蔵大臣ですよ。 組織のお金を全部愛人にまかせてるんですよ。 妻より権力握らせたってことです。 そりゃー険悪になりますよね。 麻原最低だ。 もちろん松本知子はふたりの仲を知っていました。 国家転覆を企てているのではないかと危険視された原因の一つです。 麻原から組織のカネに関する全権を委任されたことで、麻原の寵愛を後ろ盾に、実質教団のNo.2の地位に就き、「女帝」として君臨しました。 坂本堤弁護士一家殺害事件で遺体の処理に参加、そのほかにも逆さ吊り死亡事件、サリン事件実行犯の犯人隠避容疑で逮捕され、懲役4年の実刑判決を受けた後は教団を離脱するも、出所後は一時、精神を病んでしまった時期もありました。 2007年、元幹部の上祐史浩らがアレフから独立して『ひかりの輪』を立ち上げた際、一緒に来ないかと声を掛けたがあっさり断ったそう。 もう完全に教団とは無関係のようです。 石井久子は麻原の子供を93年(双子)と95年に産んでますので、2018年にはそれぞれ25歳と23歳。 オウム脱退後、石井久子の私生児として届けられました。 公安関係者によると、石井久子は訪問介護の仕事をしながら、マンションで父親と2人暮らしをしており、麻原の子とは一緒には住んでおりません。 石井久子は、教団との縁はきっぱり切っています。 木田裕貴子(子供1人) 生年月日:不明 ホーリーネーム:スメーダ 階級:正悟師 麻原彰晃の子供を18歳の時1人(女の子)出産しています。 実母と麻原の子(娘・高校生)と3人で群馬県に住み、娘は乗馬クラブに通っているという証言があります。 うーん、このお金の出処……教団とはほんとにもう関わりがないのかなあ。 スポンサーリンク その他、母親のわからない子供が少なくとも2人 麻原の血を引く子供は、俗説では「12~15人」と言われてますので、まだ他にも麻原の子供がいると思います。 親はどうあれ、子供には何の罪もありませんので、願わくはオウムに関係のないところで、健やかに育っていて欲しいと願います。 蛇足ですが、オウム教団には「ダーキニー」と呼ばれる女性たちがいました。 本来は「天女」という意味ですが、麻原と側近の幹部たちにとっては「麻原の愛人」を意味したのです。 このダーキニーはホーリーネームの一部にもなっていて、ダーキニーの名がつく女性信者が、なんと25人もいたというのです。 教団の施設内には麻原の愛人たちが暮らす専用住居もあり、この「大奥」で暮らさずとも、時折、ここに呼び出される女性信者もいました。 麻原による「性のイニシエーション」に指名された女性です。 指名された女性は麻原の居室がある建物の最上階の、40畳はあるだだっ広い部屋に連れて行かれ、その片隅に敷かれているマットレスで麻原の相手をするというのです。 なんつー味気のない行為でしょうか。 そうした人数を含めれば、麻原の愛人は、私が知る範囲でも30人以上いたといいます。 夕食は、麻原を中心に、その愛人たち全員の数十人がずらーーーーっとテーブルを囲んで食事をしていました。 麻原の好みの「ロングヘア」にしていれば、「私は愛人志望です」という女性信者側からの合図です。 逆に、麻原の愛人になりたくない信者は、髪を短くしていました。 施設内で妊娠した女性信者達は皆、出産してます。 その子たちは「オウムの子」と呼ばれていました。 薄暗いサティアンの中でヘッドギアを付け、素っ裸で動物のように、垂れ流しの犬食い状態で放し飼い状態にされていました。 もちろん教育らしい教育など受けられず、ほったらかしでダンボールの上で寝起きしていたそうな。 1995年の警察の一斉捜査により発見・保護された子供の数は60人くらいいたと思います。 全員が麻原の子供ではなく、信者が施設内で産んだ子や、連れてきた子もいるのでしょう。 児童施設に収用されたものの、親だと言う信者達が施設周辺に押し掛けて、子供を返せ~!などと抗議してましたっけ おとといきやがれって感じですよね。 子供はトイレで排泄出来ない、食器を使ってものを食べられないという悲惨な状態だったっ子供たちも今はもう成人しています。 名前を替えて戸籍を作り、日常生活を送っているのでしょう。 まとめ ここには麻原の子供を生んだ女性たちのみを挙げましたが、他にも数人の愛人がいました。 中にはすでに死亡したり、末期ガンに侵されていたり、行方知れずになっている人もいるのでもうここでは挙げませんが、 ………… てゆーかほんと男見る目ないよねこの人たち。 イケメンに騙されるパターンはわからないでもありませんが、 顔以前に、どうしてよりによってあんな 不潔な男を選んだんだ。 オウム事件の時代のモテ男の条件は顔、金、学歴の三高でしたが、それ以前の問題だと思いませんか、基本的な人としての最低限のマナーだと考えなかったのでしょうか 清潔感というのは。 妻の松本知子はまあ仕方ありませんよ、まだちゃんと 散髪していた時代の麻原と結婚しましたからね。 宗教に入るのは、不安だったり不満があったり、心が弱っていたと思いますし、教団の中でしか「居場所」を見つけられなかった人たちなのでしょう。 その前にやっぱり人を見る目がなかっただけなのでしょう、 抜本的に。 【関連記事】 スポンサーリンク.
次のオウム真理教の教祖・麻原彰晃の性癖が異常… 愛人に強要したプレイがエグすぎる… 麻原彰晃の性癖が異常だった オウム真理教の教祖としてたくさんの事件を起こし、 被害者を出した麻原彰晃は教団の中で 自分の愛人軍団・ダーキニーなるものを30人以上作り、 大奥のようなハーレムを作っていたようです。 麻原彰晃はダーキニーとの性行為を左道イニシエーションと呼び、 「若い女性を高い次元に導いてやるために 最終解脱者の自分が義務として施さなければならない」 との理由で行っていたそうです。 そこから知れる麻原彰晃の性癖が異常でした。 麻原彰晃のタイプは若い女性!? 麻原彰晃の好みのタイプは女優の秋吉久美子さんのような人で 若く、丸顔で髪の長い女性がタイプだったようです。 若いというと20代前半と思いがちですが、 なんと10代の未成年の美女を好んでダーキニーにしていたそうです。 麻原彰晃は若い女性を求める理由をこのように言っていたようです。 「仙道の教えには房中術というのがある。 つまり、若い女からエネルギーをもらうことだ。 あの毛沢東も若い女を常に傍らに置いていた。 私も人類を救済するために、つねにエネルギーを満たしていなければならない。 だから若い女性が必要なので。 25歳以上はダメだぞ。 逆にエネルギーを吸い取られてしまう」 しかも、ダーキニーになる為には 麻原彰晃に抱かれた際に処女である必要があったそうです。 10代の少女たちが麻原彰晃に抱かれていたと思うと胸が痛いですよね。 しかし、ロリコンで処女への執着も十分に異常ですが、 麻原彰晃にはさらに変態的な性癖がありました。 ダーキニーにエッチな下着を強要していた? 麻原彰晃はダーキニーたちにとんでもない奉仕を強要していました。 どうやら麻原彰晃はエッチな下着が好きらしく、 ダーキニーになると麻原彰晃からエッチな下着の買い物を 命じられるんだそうです。 東京にはダーキニーご用達のランジェリーショップまであったんだとか…。 特権により運転手付きのベンツのリムジンの乗車を許されたダーキニーたちは 彼女たちはリムジンで東京に赴き、麻原彰晃から指示された 下着を買い漁っていたそうです。 実際にその下着を見た幹部は 「浴室の物干し場に下着が干してあったんだよ。 それがな、相当に性欲をそそるようなスケベパンティなんだ」 と話していたそうです。 麻原彰晃の身の毛もよだつ性癖 それだけでなく麻原彰晃の異常な性癖には 女性の陰毛をコレクションにするという驚愕なものもあったようです。 女性信者の陰毛を名前のラベルを付けた小瓶に入れて保管していたようです。 押収された小瓶は100本近くあったとされており、 麻原彰晃の異常さを感じますね。 さらに、神の血液を与える神聖な儀式として、 ダーキニーに精子を飲ませていたようです。 愛人同士で麻原の精液を口移しさせるなどの変態プレイも強要してたようです。 正直可哀想だなとも思いますが、 憧れの教祖様にお近づきになれるとダーキニーたちは 自分たちが愛人である事を誇りに思い、 他の女性信者に対して優越感すら感じているようだったそうです。 娘をダーキニーにされた親は何を思っていたのでしょうか。 娘が麻原彰晃に犯されることすら喜びだと思ってしまうほどに 洗脳されていたのでしょうね。 このような宗教が今後発足しないことを祈ります。
次の若い人はあまり知らないでしょうが、7月7日に処刑された麻原彰晃には、妻の松本知子以外にも女性信者の中にたくさんの愛人がいて、教団内でハーレムを作っていました。 「修行」の名目で麻原と関係を持った女性信者はそれこそ100人をくだらないと言われましたが、その中で、特に有名になった女性信者を紹介します。 昨日の記事では麻原の家族について書きましたが、妻の松本知子のほかに複数の愛人がいたので、そちらの方について書きたいと思います。 もともと文武両道の才女で大学進学を希望していましたが、女性であることを理由に両親に反対され大学に行けず、短大に進学しました。 卒業後は保険会社で働いて結婚もしていましたが、1984年に入信、1986年の26歳の時に娘一人を連れて出家、その後離婚しました。 教団内では熱心に活動し、早い段階で正悟師の位につきました。 写真のとおり、ロングヘアの綺麗な人で、麻原の「化粧っけのないロングヘアの美人」という好みにビンゴ。 妻の松本知子は郵政大臣 出版物・ビデオ編集担当 で、愛人が大蔵大臣ですよ。 組織のお金を全部愛人にまかせてるんですよ。 妻より権力握らせたってことです。 そりゃー険悪になりますよね。 麻原最低だ。 もちろん松本知子はふたりの仲を知っていました。 国家転覆を企てているのではないかと危険視された原因の一つです。 麻原から組織のカネに関する全権を委任されたことで、麻原の寵愛を後ろ盾に、実質教団のNo.2の地位に就き、「女帝」として君臨しました。 坂本堤弁護士一家殺害事件で遺体の処理に参加、そのほかにも逆さ吊り死亡事件、サリン事件実行犯の犯人隠避容疑で逮捕され、懲役4年の実刑判決を受けた後は教団を離脱するも、出所後は一時、精神を病んでしまった時期もありました。 2007年、元幹部の上祐史浩らがアレフから独立して『ひかりの輪』を立ち上げた際、一緒に来ないかと声を掛けたがあっさり断ったそう。 もう完全に教団とは無関係のようです。 石井久子は麻原の子供を93年(双子)と95年に産んでますので、2018年にはそれぞれ25歳と23歳。 オウム脱退後、石井久子の私生児として届けられました。 公安関係者によると、石井久子は訪問介護の仕事をしながら、マンションで父親と2人暮らしをしており、麻原の子とは一緒には住んでおりません。 石井久子は、教団との縁はきっぱり切っています。 木田裕貴子(子供1人) 生年月日:不明 ホーリーネーム:スメーダ 階級:正悟師 麻原彰晃の子供を18歳の時1人(女の子)出産しています。 実母と麻原の子(娘・高校生)と3人で群馬県に住み、娘は乗馬クラブに通っているという証言があります。 うーん、このお金の出処……教団とはほんとにもう関わりがないのかなあ。 スポンサーリンク その他、母親のわからない子供が少なくとも2人 麻原の血を引く子供は、俗説では「12~15人」と言われてますので、まだ他にも麻原の子供がいると思います。 親はどうあれ、子供には何の罪もありませんので、願わくはオウムに関係のないところで、健やかに育っていて欲しいと願います。 蛇足ですが、オウム教団には「ダーキニー」と呼ばれる女性たちがいました。 本来は「天女」という意味ですが、麻原と側近の幹部たちにとっては「麻原の愛人」を意味したのです。 このダーキニーはホーリーネームの一部にもなっていて、ダーキニーの名がつく女性信者が、なんと25人もいたというのです。 教団の施設内には麻原の愛人たちが暮らす専用住居もあり、この「大奥」で暮らさずとも、時折、ここに呼び出される女性信者もいました。 麻原による「性のイニシエーション」に指名された女性です。 指名された女性は麻原の居室がある建物の最上階の、40畳はあるだだっ広い部屋に連れて行かれ、その片隅に敷かれているマットレスで麻原の相手をするというのです。 なんつー味気のない行為でしょうか。 そうした人数を含めれば、麻原の愛人は、私が知る範囲でも30人以上いたといいます。 夕食は、麻原を中心に、その愛人たち全員の数十人がずらーーーーっとテーブルを囲んで食事をしていました。 麻原の好みの「ロングヘア」にしていれば、「私は愛人志望です」という女性信者側からの合図です。 逆に、麻原の愛人になりたくない信者は、髪を短くしていました。 施設内で妊娠した女性信者達は皆、出産してます。 その子たちは「オウムの子」と呼ばれていました。 薄暗いサティアンの中でヘッドギアを付け、素っ裸で動物のように、垂れ流しの犬食い状態で放し飼い状態にされていました。 もちろん教育らしい教育など受けられず、ほったらかしでダンボールの上で寝起きしていたそうな。 1995年の警察の一斉捜査により発見・保護された子供の数は60人くらいいたと思います。 全員が麻原の子供ではなく、信者が施設内で産んだ子や、連れてきた子もいるのでしょう。 児童施設に収用されたものの、親だと言う信者達が施設周辺に押し掛けて、子供を返せ~!などと抗議してましたっけ おとといきやがれって感じですよね。 子供はトイレで排泄出来ない、食器を使ってものを食べられないという悲惨な状態だったっ子供たちも今はもう成人しています。 名前を替えて戸籍を作り、日常生活を送っているのでしょう。 まとめ ここには麻原の子供を生んだ女性たちのみを挙げましたが、他にも数人の愛人がいました。 中にはすでに死亡したり、末期ガンに侵されていたり、行方知れずになっている人もいるのでもうここでは挙げませんが、 ………… てゆーかほんと男見る目ないよねこの人たち。 イケメンに騙されるパターンはわからないでもありませんが、 顔以前に、どうしてよりによってあんな 不潔な男を選んだんだ。 オウム事件の時代のモテ男の条件は顔、金、学歴の三高でしたが、それ以前の問題だと思いませんか、基本的な人としての最低限のマナーだと考えなかったのでしょうか 清潔感というのは。 妻の松本知子はまあ仕方ありませんよ、まだちゃんと 散髪していた時代の麻原と結婚しましたからね。 宗教に入るのは、不安だったり不満があったり、心が弱っていたと思いますし、教団の中でしか「居場所」を見つけられなかった人たちなのでしょう。 その前にやっぱり人を見る目がなかっただけなのでしょう、 抜本的に。 【関連記事】 スポンサーリンク.
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