風柱・不死川実弥の誕生秘話を描く 小説『鬼滅の刃 風の道しるべ』7・3発売
不死川実弥にとって、初めての柱合会議を終えた直後のことだった。 「不死川くんって、ご兄弟がいるの？」 「……あァ？」 胡蝶カナエに呼び止められた実弥は、不機嫌を顕にしながら彼女の方を向いた。 「さっきの話を聞いて、もしかしてって思ったの」 カナエの言う「さっきの話」とは、実弥が先程産屋敷耀哉から受け取った粂野匡近の遺書のことだろう。 「……いた。 けど殺されたァ」 「！……そう」 ここまですんなりとした答えを想定していなかったのだろう。 カナエは少し目を見張って実弥の言葉を待った。 「一人だけ、弟が生き残ったぜ。 今は普通に暮らしてんだろうなァ。 ……知らねェけど」 普段の実弥ならば、出会ったばかりの人間に自らの核心に迫る話などしない。 しかし、そんな些末なことなどどうでも良くなってしまう程、今の実弥は放心状態に近かった。 産屋敷耀哉。 実弥にとって、母を思い起こさせる不思議な人物だった。 そんな耀哉と言葉を交わしたせいだろうか。 実弥は調子が狂って仕方がなかった。 「不死川くんは、すごいわね」 波一つ立たぬ池に水滴を落とすように、カナエが静かに呟いた。 「弟さんに普通の暮らしをさせてあげられてるなんて、すごいわ」 「はァ？俺は」 「私ね、鬼に両親を殺されたの。 ここじゃよくある話だけれど」 実弥は言葉を失った。 目の前で花のような笑みを浮かべる彼女も、鬼に家族を殺されたのか。 確かに、鬼殺隊の人間は鬼に家族を殺された者が多い。 しかし、それは決して「よくある話」で終わらせていいことではないのだ。 問題は全体の数などではない。 「よくある話」の中には、それぞれに守りたかった日常がある。 守りたかった人がいる。 そのことを他でもない、実弥はよく知っていた。 「悲鳴嶼さんに助けられて、私と妹は助かった。 妹も鬼殺隊に入ってるわ。 両親を殺されて間もない頃、二人で一体でも多く鬼を倒そうって、私たちと同じ思いを他の人には絶対させないって、約束して…………。 でもね、最近思うの。 その選択は間違いだったんじゃないかって。 だって私、できればあの子には普通の、幸せな生活を送ってほしい。 皺くちゃのお婆ちゃんになっても笑っていて欲しい。 たとえその隣に、私がいなくても……」 カナエは俯くと、尚も言葉を絞り出した。 「本当にあの子の……しのぶの幸せを願うなら、突き放してでもそうするべきだったのよ。 でも私にはできなかった。 だから、不死川くんはすごい。 貴方は弟さんを守った。 そして貴方は今、ここにいる。 それってすごいことよ」 「……俺はたまたま、そうなっただけだァ」 「ううん、すごいわ」 実弥が否定しても、カナエは自分の意見を譲らなかった。 そんな彼女の真っ直ぐな声音に反抗するのも馬鹿らしくなって、実弥は否定するのをやめた。 「……アンタの妹、鬼殺隊にいるのか」 「ええ」 実弥は想像した。 もしかしたら実弥にも、弟と共に鬼殺隊に入る未来があったかもしれない。 しかし、実際にはそうならなかった。 実弥が一人で、鬼と戦う道を選んだからだ。 過去を振り返っても仕方が無い。 考えるな。 目の前の彼女と自分は違うのだ。 実弥はそう自分に言い聞かせた。 「そりゃアンタの妹が選んだことだろォ。 妹が決めたことを、姉だろうが何だろうがとやかく言う資格ねェよ」 カナエは驚いたように目をぱちくりとさせると、少し間を置いて、目じりを下げながら微笑んだ。 「ありがとう。 不死川くんて、とっても優しいのね」 「……意味分かんねェこと言うなァ」 実弥に素っ気ない態度を取られてなお、カナエは優しげな笑みを浮かべている。 そんな彼女に背を向けて、実弥は産屋敷邸を後にした。 ＊＊＊ 「胡蝶ォ。 俺、お前に言ったよなァ。 妹が決めたことをとやかく言うなって」 『ええ、言ったわ』 「謝らせろ。 悪ィ」 『……不死川くん、弟さんに死なれてしまったの？』 「……あァ」 『でもそれは弟さんの選択だった？』 「……あァ」 上弦の壱との戦いで、実弥の弟、不死川玄弥は死んだ。 腕を切られ、胴体を切り離され、最後は真っ二つにされて、死んだ。 実弥は、柱として宛てがわれた自身の屋敷の縁側に腰掛けていた。 手入れをしている訳でもない庭に、名前も知らない花が嘲笑うようにして鮮やかに咲いている。 「不死川くん、私たち、おんなじね。 だめなお兄ちゃんとお姉ちゃんね」 実弥の耳元ではっきりと、今は亡き胡蝶カナエの声が聞こえた。 その声音はひどく優しく、実弥を責めるものでは決してなかった。 名も知らぬ花の元へ、一羽の蝶がひらりと舞う。
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