自殺したことを非難することや意志の弱さをあげつらうことはできてもね。 李成『砧をうつ女』 より引用• たぶんかれは宇宙飛行士だったんだろう。 ぼくはかれのあやしげな話をあげつらうことはしなかったし、そんなつもりもなかうだ。 … ハインライン『愛に時間を1』 より引用• かくてぼくは口を閉じ、これに関しては、それきり、二度とあげつらうことをやめた。 結局ぼくは技術者なのだ。 … ハインライン『夏への扉』 より引用• 読書には人間教養のためのものと、社会において分担すべき職能のためのものとある。 後者に関してはその種類が多様であるのと、技術知の習得に関するので、特に挙げてあげつらうことができない。 ただこの場合において一、二の注意を述べるなら、職能に関する読書はその部門の全般にわたる鳥瞰が欠くべからざるものであるが、そのあいだにもおのずと自分の特に関心し、選ぶ種目への集注的傾向が必要である。 … 倉田百三『学生と読書』 より引用• コシヒカリかササニシキかあきたこまちか、そういやひとめぼれなんてのも出ているらしいが、どれも一緒だね、私にとっては。 相違点をあげつらうことすらしたくない。 くだらんよ、まったく。 … 山田詠美『快楽の動詞』 より引用• 異変はだれにも予想が出来ないし、一旦、異変が起きると、これに対処することは極めて困難である。 異変について、後からあげつらうことは易しいが、異変への対策は難しい。 記録のよいもの必ずしも早く泳げるとは限らない。 … 豊田穣『海兵四号生徒』 より引用• もっともマラルメの作品は、青年時代に書かれたからと言って軽々しく扱うわけにはいかない。 この恋愛詩はボードレールの影響があちらこちらに見られて、それをあげつらうことは簡単である。 そのためにこの詩の評価が低いということはあるが、私はそうは思わない。 … 福永武彦『第五随筆集 書物の心』 より引用• 抽象的であって何等の具体性もないというのも嘘で、世間がいやという程知っている具体的な内容を、単に抽象的な多少拙劣な文章で表現したに過ぎない。 声明そのものというような外面的なものでこの政府の政策政綱をあげつらうことは、出来ない。 ただ声明の内に含まれているらしい矛盾だけは少し困るので、声明が矛盾している時は心事にも何か矛盾がある時だが、併し自分の矛盾を気づかない体系も大いに存在し得るものなのだから、例の準戦時的体制という体系の首尾一貫には少しもさしさわりはないわけだ。 … 戸坂潤『社会時評』 より引用• 過去、なんども「可愛いね」と誉められたことのあるセルフィーなのに、この少女の前では自分など、月と太陽ほどに差がありそうな気がする。 どれほどの 麗人 れいじんでも、その気になれば次々と欠点をあげつらうことが可能なものだが、この子に関してはお手上げだった。 まさに完璧である。 … 吉野匠『レイン2 招かれざる帰還』 より引用• そのため、「カースト」は歴史的に脈々と存在したというよりも、植民地時代後期の特に20世紀において「構築」または「捏造されたもの」ともいわれる。 植民地の支配層のイギリス人は、インド土着の制度が悪しき野蛮な慣習であるとあげつらうことで、文明化による植民地支配を正当化しようとした。 ベテイユは「インド社会が確たる階層社会だという議論は、帝国支配の絶頂期に確立された」と指摘している。 ヤン提督は何かというと、ラインハルト・フォン・ローエングラムは比類を絶した天才だというけど、ヤン提督だって天才ではないかと思う。 だから、他の人みたいに、ローエングラム侯の短所をあげつらうことをせず、すなおに相手を天才だと認めることができるのだと思うのだけど。 提督本人は、自分が天才だなんて思っていないのだ。 … 田中芳樹『銀河英雄伝説外伝 02 ユリアンのイゼルローン日記』 より引用• 力が人並み外れて強く、武芸に非常に優れていた。 性格は清廉で、他人の短所をあげつらうことがなかった。 容赦のない口調で聞いた。 営業の許認可権を握る銀行局長にそう追及されては、もはや、架空の名前をあげつらうことは出来なかった。 … 山崎豊子『華麗なる一族 中』 より引用• 彼女は、人が広げた絨緞の模様をほめるように、ジャーゲンの一挙手一投足を見つめているようだった。 しかも彼女は、男がどれほど愚かで自分勝手で汚れたものになれるかということを、咎めだてもしなければことさらあげつらうこともせずに、ただ不思議に思っているようだった。 … 荒俣宏『別世界通信』 より引用• カリンには悪いけど、役者の格がちがうな、と、ユリアンは思わざるをえない。 その事実は、カリン自身も認識しているようで、最近、シェーンコップを手きびしくあげつらうことはしなくなった。 むしろ、彼にこだわって、平静でも寛大でもいられない自分自身を、腹だたしく思っているようにも見える。 … 田中芳樹『銀河英雄伝説 09 回天編』 より引用• だが吉本隆明にしても江藤淳にしても、杜撰さを恐れぬことで今日を築いて来たのだから、平岡氏のそれをあげつらうことはあまり意味のあることではない、ただ、ごく経験的次元での徹底した具体性の欠如こそが、平岡氏に問われねばならない。 たとえば彼は、「ひとつの語は一度にひとつの概念しか表わし得ないという言語の一面性を克服するため」に現代作家の多くが、「言語の二重化を基礎にして」その試みを展開していると想定する。 … 蓮實重彦『表層批評宣言』 より引用• つまり、弱みとは他者の痛みに共感できる因子であり、人情の機微につうじる水脈なのだ。 逆をいえば、他人の弱みを追いかけ、拡大鏡をあてるようにしてその弱みを人前であげつらうことのできる人間は、自分に弱みがあることを認めることのできない弱い人間であり、人間らしさを失った 驕慢 きようまんな存在といってよい。 また、そうした自分の弱みを認めない人間は、弱さを糊塗しようとして、つねに虚勢を張っているため、心が休まるということがない。 … 里中哲彦『鬼平犯科帳の人生論』 より引用• アンデス山中のこの事件には何の異常もなく不自然もなく残忍もない。 雪原のただなかに投げこまれてなおも生きのびたいと望み、その決意を固めた青年たちの行為はギリギリの当為であり、苦闘であったので、誰一人としてこれをあげつらうことはできるまい。 漂流、籠城、飢饉などで彼岸に追いやられた、あらゆる民族がこれまでにとったのとおなじ行動に青年たちはでたまでのことである。 … 開高健『最後の晩餐』 より引用• 映画は御存じのようにスタッフとキャストと、それに大勢の裏方の総力を結集して出来上るものだから、監督一人だけの個性をあげつらうことはむつかしい。 幾本かの同じ監督の作品を見た上で、最大公約数的に特徴を抽出して、その監督の個性がどうのこうのと批評家は論じるが、これは文学の上での作家論の悪しき摸倣で、本当は作品論しか出来ないのではあるまいか。 … 福永武彦『第二随筆集 遠くのこだま』 より引用• しかし、こんな徳目を並べたててもあまり意味はない。 たとえば「永遠のいま」という理念は、エマスンにもホイットマンにもあるし、ゲーテにも禅にもあるといった具合で、そういうことばをあげつらうことによってミラー独得のものが生まれるわけのものではない。 ミラーの独自性は、自己発見を自己実現に転化しようと試みることによって生まれる。 … ミラー/大久保康雄訳『南回帰線(下)』 より引用•
次の「論う」(あげつらう) 物事の理非、可否を論じ立てる。 また、ささいな非などを取り立てて大げさに言う。 語源を見ると、 あげ= 挙げ つらふ(つらう)= 動作や状態が強く長く続くこと。 「言いずらふ」「引こずらふ」などの「つらふ」 古語「引こづらふ」 強く引っ張る。 「あげつらう」には、 すっかり悪いイメージが付いてしまっています。 現在は「あげつらう」とひらがな表記ですからいいのですが、 「論」では違和感が大きいです。 「詰る」は読めます? 「つめる」じゃないですよ。 悪い点、不満な点をことさら取り立てて責めて問い詰める。 他にも会話に水を差す言い方を拾ってみました。 「半畳を入れる」(はんじょうをいれる) 他人の言動を茶化したり、野次ったりすること。 半畳を打つ。 半畳とも。 「半畳」は江戸時代の芝居小屋で敷く畳半分ほどの茣蓙(ござ)のこと。 現在の座席指定料のようなもので、昔の芝居小屋の客席は土間であったたため、観客が入場料として半畳を買い、これを敷いて見学していました。 役者の演技が気に入らないと野次を飛ばし、この茣蓙を投げ入れたことから。 「言葉尻を捕らえる」 他人の適切さを欠いた言い方につけこんで、 皮肉を言ったり批判したりする。 「言葉尻」(ことばじり) 1、言葉の終わりの方。 2、言い損じの部分。 また、言葉のはしばし。 「茶々を入れる」 邪魔をする。 水を差す。 「揚げ足を取る」(あげあしをとる) 人の言いまちがいや言葉じりをとらえて非難したり、からかったりする。 「揚げ足」(あげあし) 相撲や柔道などで、 相手が技をかけようとして揚げた足を意味する。 なぜ「揚げ足」という疑問が浮かびました。 Webの回答によれば、 「上げ足」や「挙げ足」では単に足を上げることも意味するので、「あげあしを取る」の場合は、区別する意味で「揚げ足」と書かれることが多いということ。 特に「揚」である必要はないようです。
次の自殺したことを非難することや意志の弱さをあげつらうことはできてもね。 李成『砧をうつ女』 より引用• たぶんかれは宇宙飛行士だったんだろう。 ぼくはかれのあやしげな話をあげつらうことはしなかったし、そんなつもりもなかうだ。 … ハインライン『愛に時間を1』 より引用• かくてぼくは口を閉じ、これに関しては、それきり、二度とあげつらうことをやめた。 結局ぼくは技術者なのだ。 … ハインライン『夏への扉』 より引用• 読書には人間教養のためのものと、社会において分担すべき職能のためのものとある。 後者に関してはその種類が多様であるのと、技術知の習得に関するので、特に挙げてあげつらうことができない。 ただこの場合において一、二の注意を述べるなら、職能に関する読書はその部門の全般にわたる鳥瞰が欠くべからざるものであるが、そのあいだにもおのずと自分の特に関心し、選ぶ種目への集注的傾向が必要である。 … 倉田百三『学生と読書』 より引用• コシヒカリかササニシキかあきたこまちか、そういやひとめぼれなんてのも出ているらしいが、どれも一緒だね、私にとっては。 相違点をあげつらうことすらしたくない。 くだらんよ、まったく。 … 山田詠美『快楽の動詞』 より引用• 異変はだれにも予想が出来ないし、一旦、異変が起きると、これに対処することは極めて困難である。 異変について、後からあげつらうことは易しいが、異変への対策は難しい。 記録のよいもの必ずしも早く泳げるとは限らない。 … 豊田穣『海兵四号生徒』 より引用• もっともマラルメの作品は、青年時代に書かれたからと言って軽々しく扱うわけにはいかない。 この恋愛詩はボードレールの影響があちらこちらに見られて、それをあげつらうことは簡単である。 そのためにこの詩の評価が低いということはあるが、私はそうは思わない。 … 福永武彦『第五随筆集 書物の心』 より引用• 抽象的であって何等の具体性もないというのも嘘で、世間がいやという程知っている具体的な内容を、単に抽象的な多少拙劣な文章で表現したに過ぎない。 声明そのものというような外面的なものでこの政府の政策政綱をあげつらうことは、出来ない。 ただ声明の内に含まれているらしい矛盾だけは少し困るので、声明が矛盾している時は心事にも何か矛盾がある時だが、併し自分の矛盾を気づかない体系も大いに存在し得るものなのだから、例の準戦時的体制という体系の首尾一貫には少しもさしさわりはないわけだ。 … 戸坂潤『社会時評』 より引用• 過去、なんども「可愛いね」と誉められたことのあるセルフィーなのに、この少女の前では自分など、月と太陽ほどに差がありそうな気がする。 どれほどの 麗人 れいじんでも、その気になれば次々と欠点をあげつらうことが可能なものだが、この子に関してはお手上げだった。 まさに完璧である。 … 吉野匠『レイン2 招かれざる帰還』 より引用• そのため、「カースト」は歴史的に脈々と存在したというよりも、植民地時代後期の特に20世紀において「構築」または「捏造されたもの」ともいわれる。 植民地の支配層のイギリス人は、インド土着の制度が悪しき野蛮な慣習であるとあげつらうことで、文明化による植民地支配を正当化しようとした。 ベテイユは「インド社会が確たる階層社会だという議論は、帝国支配の絶頂期に確立された」と指摘している。 ヤン提督は何かというと、ラインハルト・フォン・ローエングラムは比類を絶した天才だというけど、ヤン提督だって天才ではないかと思う。 だから、他の人みたいに、ローエングラム侯の短所をあげつらうことをせず、すなおに相手を天才だと認めることができるのだと思うのだけど。 提督本人は、自分が天才だなんて思っていないのだ。 … 田中芳樹『銀河英雄伝説外伝 02 ユリアンのイゼルローン日記』 より引用• 力が人並み外れて強く、武芸に非常に優れていた。 性格は清廉で、他人の短所をあげつらうことがなかった。 容赦のない口調で聞いた。 営業の許認可権を握る銀行局長にそう追及されては、もはや、架空の名前をあげつらうことは出来なかった。 … 山崎豊子『華麗なる一族 中』 より引用• 彼女は、人が広げた絨緞の模様をほめるように、ジャーゲンの一挙手一投足を見つめているようだった。 しかも彼女は、男がどれほど愚かで自分勝手で汚れたものになれるかということを、咎めだてもしなければことさらあげつらうこともせずに、ただ不思議に思っているようだった。 … 荒俣宏『別世界通信』 より引用• カリンには悪いけど、役者の格がちがうな、と、ユリアンは思わざるをえない。 その事実は、カリン自身も認識しているようで、最近、シェーンコップを手きびしくあげつらうことはしなくなった。 むしろ、彼にこだわって、平静でも寛大でもいられない自分自身を、腹だたしく思っているようにも見える。 … 田中芳樹『銀河英雄伝説 09 回天編』 より引用• だが吉本隆明にしても江藤淳にしても、杜撰さを恐れぬことで今日を築いて来たのだから、平岡氏のそれをあげつらうことはあまり意味のあることではない、ただ、ごく経験的次元での徹底した具体性の欠如こそが、平岡氏に問われねばならない。 たとえば彼は、「ひとつの語は一度にひとつの概念しか表わし得ないという言語の一面性を克服するため」に現代作家の多くが、「言語の二重化を基礎にして」その試みを展開していると想定する。 … 蓮實重彦『表層批評宣言』 より引用• つまり、弱みとは他者の痛みに共感できる因子であり、人情の機微につうじる水脈なのだ。 逆をいえば、他人の弱みを追いかけ、拡大鏡をあてるようにしてその弱みを人前であげつらうことのできる人間は、自分に弱みがあることを認めることのできない弱い人間であり、人間らしさを失った 驕慢 きようまんな存在といってよい。 また、そうした自分の弱みを認めない人間は、弱さを糊塗しようとして、つねに虚勢を張っているため、心が休まるということがない。 … 里中哲彦『鬼平犯科帳の人生論』 より引用• アンデス山中のこの事件には何の異常もなく不自然もなく残忍もない。 雪原のただなかに投げこまれてなおも生きのびたいと望み、その決意を固めた青年たちの行為はギリギリの当為であり、苦闘であったので、誰一人としてこれをあげつらうことはできるまい。 漂流、籠城、飢饉などで彼岸に追いやられた、あらゆる民族がこれまでにとったのとおなじ行動に青年たちはでたまでのことである。 … 開高健『最後の晩餐』 より引用• 映画は御存じのようにスタッフとキャストと、それに大勢の裏方の総力を結集して出来上るものだから、監督一人だけの個性をあげつらうことはむつかしい。 幾本かの同じ監督の作品を見た上で、最大公約数的に特徴を抽出して、その監督の個性がどうのこうのと批評家は論じるが、これは文学の上での作家論の悪しき摸倣で、本当は作品論しか出来ないのではあるまいか。 … 福永武彦『第二随筆集 遠くのこだま』 より引用• しかし、こんな徳目を並べたててもあまり意味はない。 たとえば「永遠のいま」という理念は、エマスンにもホイットマンにもあるし、ゲーテにも禅にもあるといった具合で、そういうことばをあげつらうことによってミラー独得のものが生まれるわけのものではない。 ミラーの独自性は、自己発見を自己実現に転化しようと試みることによって生まれる。 … ミラー/大久保康雄訳『南回帰線(下)』 より引用•
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