植松麻里 ホラー漫画家、顔写真は?過去に猫で近所トラブル?絵本も描いてた?【植松聖の母親か?】 相模原障害者施設殺傷事件の犯人植松聖の母親がホラー漫画家である植松麻里ではないか?との話がある。 そこで植松麻里にまつわる噂顔写真や過去... 高校までは、 特に問題のない普通の子のようです。 津久井高等学校に通い バスケ部で活動し、 将来は学校の先生を目指す少年だったようですね。 学校の先生を目指したのは 父親の影響でしょうか? 高校卒業後、 大学は帝京大学に通っていたようですが、 この頃から、 悪い人と関わったり 整形したり、脱法ハーブや大麻にも手を出していた という情報もあります。 大学卒業後は、 教員にはなれず、 2012年の春から清涼飲料水の運輸関係 自販機に関わる仕事をしていたようですが、 半年で辞めることになり… 2012年の冬、 事件のあった福祉施設 「津久井やまゆり園」で働きはじめます。 2013年4月~ 同施設で常勤として働いていたようですが… 入れ墨を非難する親との関係性の問題か? 母親が猫にあげていたことで 近隣との関係性が悪くなった問題か? 2013年の冬に両親は別の場所へ移住。 植松聖の一人暮らしが始まった。 この後も近所からの評判は悪くなかった しかし、 2016年2月19日に やまゆり園を自主退職。 2016年7月26日に 事件を起こしています。 ちなみに、 植松聖は 「在日」じゃないか? 「韓国人」じゃないか? という話もありますが、 根拠は見つかりませんでした。 Twitterでそういっている人はいますが… スクショありました。 — 悠希🇯🇵いつでも破棄してね🤣 1994yuki1207 Twitterの情報なんで 正確性に欠けますね。 大手ニュースサイトなどの 根拠のありそうな情報はないですね。 絵・漫画 植松聖さんは 大量殺人を犯した犯罪者です。 ですが、 アートという面でみると そういう人たちの普通でない絵に 惹かれる部分を感じないこともない。 植松聖も 絵の腕前はかなりのもので、 普通に上手いです! 母親(植松麻里)が漫画家 ということもあり 美術の才能を受け継いでいるのかもですね。 鳥山明と村上隆と山野一などが混ざり合った混沌感。 殺人者を許すことは 個人的には出来ないですが、 こっち方面に努力すれば、 また違った未来があったかもしれませんね。 ヤクザ 植松聖は 入れ墨をいれていたり、 脱法ハーブや大麻を使用していたり、 ヤクザとの関係も疑われているが… 本人は明らかな関わりは示唆していないですね。 植松被告は、昨年の事件を最初は10月頃敢行する予定だったが、 ヤクザに狙われるかもしれないので計画を前倒ししたと供述したとされている。 これも背後に黒幕組織があったのではないかなどと憶測を呼ぶ一因になっているのだが、接見の時に聞いてみると、「そういうこともあり得ると思っただけで、 深い意味はありません」とのことだった。 ただ、 本人が言ってないだけで、 関わりがあってもおかしくはないですよね。 大麻の入手経路… どこなんでしょうね? 事件の経緯 植松聖は 津久井やまゆり園で働き始めたころは 入居者を「かわいい」と言っていたり、 仕事にやりがいも感じていたようですが 次第に 仕事の不満を口にするようになり、 施設内でも 暴力を行ったりするようになり… 2016年2月15日 事件の前には 大島理森・衆院議長に 犯行文ともとれる文章を渡しています。 — 芸能情報. com com20402607 この文章がきっかけとなったのか 2016年2月19日に 施設「やまゆり園」を自主退職。 危険視された植松聖は 北里大学東病院に入院させられてます。 尿からは 大麻の反応が出ていたようです。 また、その時は二人の医師から診断を受けているのですが、 意見が二つに分かれていたようですね。 ・「大麻精神病と自己愛性パーソナリティ障害」 ・「妄想性障害と薬物性精神病性障害」 その後、 2016年の3月2日に退院。 一ヵ月も経たずに退院しています。 ここも問題になった部分ですが、 関わっていた 精神科医の一人は 資格の不正取得していたようですね。 植松聖の措置入院に関わった精神科医の1名が、精神保健指定医資格の不正取得を行っていたことが発覚しました。 さらに植松を退院させる際、病院側が退位後に必要なケアや復帰プログラムを検討していなかったことが明らかとなり大バッシングを受けました。 事件はその後起こりました。 2016年7月26日 2:00過ぎ 知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に 警備員のいない裏口から侵入し、 東居住棟の1階の窓ガラスを割って 居住者に近寄り、用意していた 数個の刃物で凶行に及び逃亡。 2:38に 職員に通報され 3:00に 津久井警察署に 出頭したようです。 ちなみに 2018年9月4日に再度 精神病の診察を受けた時は 「自己愛性パーソナリティ障害」 と診断されたようです。 思想や出版「開けられたパンドラの箱」 植松聖は 獄中で 出版社「創」と懇意にしているようで、 そこでの対談や それを元にした本 「開けられたパンドラの箱」 を出版しております。 今日、読了した本。 開けられたパンドラの箱 月刊『創』編集部編 『創』 — 利根川越えて tonegawakoe その思想は以下に記します。 「事件を起こしたことは、今でも間違っていなかったと思います。 心失者は人の幸せを奪い、不幸をばら撒く存在です」 「正しいことは、誰かがやらなければならないんです。 たとえ僕が死刑になったとしても、何かが伝われば有意義だと思っています」 私としては、 「他人の宗教や考えは自由だと思っているので、 どのような考えでも別にいいとは思います。 ただし、 それが 他人に危害を及ばさない範囲であれば」 ですが。 その点で どんな考えを持っていようが、 植松聖を許すことはできないです。 「面会は今日で最後にさせていただきたいと思っています。 正直、つらいんです。 自分はどう書かれるのかビクビクしているんです。 弱音を吐いちゃいましたけど、こうやってお話をすることはすごいストレスなんです。 自分の考えには共感してもらえないだろうし、世の中で思われているのとは違って、私は批判されることに平気な人間ではないんです」 こういう 自分の意見をもった犯罪者は メンタル的に強いのかな? と思っていたのですが、 植松聖は 意外と 批判されることは苦手なようですね。 しかし、 その後、 暴れたため 裁判は一時中断。 植松被告は罪状認否後、口元を両手で押さえようとして刑務官に制止されたが、暴れたため一時休廷となった。 弁護人の方からは 責任能力の有無を判断に入れて欲しいといった旨の コメントがあったようです。 検察側は、 残虐な犯行や 責任能力はある といった点から 「死刑」を求刑している。 大麻を崇拝してる? 植松聖の考えた 「多くの人が幸せになるための秩序」 7項目はあるその秩序の中の 第2項目になると 植松聖被告は 大麻の栽培や使用を認めるべきだと息巻いた。 植松聖被告は 過去に使っていた脱法ハーブでは 考える力が低下する一方で 大麻ではそれがなかったこと 海外では合法な国もあることなどを 根拠に大麻を使用すべきという論理を展開。 弁護士側は 「 大麻精神病により別人格となった」ことを主張するも 検察側は 「正常心理の範囲内」と責任能力があることを主張 当の植松聖被告は 「禁断症状ではない」 「責任能力はある」 と主張している。 判決は? 植松聖被告の判決は 2020年3月16日 求刑通り 「 死刑」となりましたね。 弁護人は責任能力の有無を論点にしていましたが、 当の植松聖自身は責任能力が有ると供述していたこと。 19人を殺害するという凶悪性 などから当然の判決ですね。 相模原市の知的障害者施設で入所者19人を殺害した罪などに問われた元職員の植松聖被告(30)に対し、横浜地方裁判所は検察の求刑どおり死刑を言い渡した。 裁判長は冒頭で結論にあたる主文を述べず、判決の理由を先に読み上げていた。 しかし、 2020年3月27日 弁護人の方が控訴をしましたね!? 被告と弁護人の意見がチグハグになっているのですが、 どういうことなんでしょうか? 2020年3月31日、 控訴取り下げましたね。 これによって 「死刑」ということで、 確定しましたね。 まとめ 植松聖は 〇2016年7月26日、相模原障害者施設殺傷事件を起こした犯人 〇2020年1月8日 11:00頃~初公判 〇図工教師の父、ホラー漫画家の母(植松麻里)の元に産まれた 〇獄中で独特な絵・漫画を描いている 〇ヤクザとの関わりは本人は否定している 〇大麻の常習犯 〇判決は「死刑」 ということですね。
次のContents• 事件 神奈川県相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月26日午前1時半頃、刃物を持った男が侵入しました。 入居者らに刃物で襲い掛かり、現在分かっているうちでは19人が死亡、20人以上のケガ人とのことです。 消防によると、男性が9人、女性が10人亡くなりました。 全員意識を取り戻したものの、予断を許さない方も数人居られるとのこと。 首を刺されており、かなり深い傷だと伝えられています。 事件の状況が明らかになってきました。 侵入した際、東の居住棟1階の窓ガラスをハンマーで割って入り裏口から侵入。 止めに入った職員を縛ったり、 女性職員を鈍器で殴って鍵を奪ったとのこと。 午前3時すぎに「私がやりました」と男が津久井警察署に出頭。 出頭時は持っていたバッグに血の付いた刃物を所持。 黒のTシャツにズボン姿だったとのことです。 警察は男を殺人未遂と建造物侵入容疑で緊急逮捕しました。 殺人の容疑を認めたため、今後は容疑を殺人に切り替えて捜査されます。 男は元職員だと話しています。 1938年(昭和13年)に起きた津山三十人殺しと言われる「 津山事件」を連想させる事件となりました。 日本のみならず、海外でも報道されています。 動機 なぜこんな事件を起こしてしまったのでしょうか。 元職員、であることから「 怨恨」「 報復」の可能性も出てきました。 在職中は、 重度の障害者を殺すと発言したこともあり、警察にも報告されていました。 その後警察署員と面談した際、「重度障害者の大量殺人は、日本国の指示があればいつでも実行する」と発言しており、その際受診した医療機関から そう病と診断されていました。 その後すぐ緊急入院措置となり、その日付で退職処分になりました。 続報によると「 施設を辞めさせられ、恨んでいた」と話しているとのことです。 「 障害者なんていなくなればいい」「 やつをやった 」という趣旨の供述をしていることから、犯人の心の闇が垣間見えます。 犯行が入居者が寝静まる深夜ということもあり、計画的に犯行に及んだのではないでしょうか。 施設には知的障害者、身体障害者の方が入居されていました。 犯人 犯人は出頭してきた26歳の男、植松聖容疑者です。 「津久井やまゆり園」の 元職員とのことです。 現在は無職だったようです。 事件のあった施設では、2012年冬から非常勤職員として、2013年~2016年2月まで常勤職員として働いていたとの情報です。 事件後の目撃者によると金髪で痩せ型であったとのことです。 現場となった施設の近くの一軒家に1人で暮らしていました。 ご近所とのトラブルもなく、好青年であったといいます。 こんな話も 植松容疑者は今年2月14日に東京・千代田区永田町の衆議院議長公邸に、ある手紙を持って訪れました。 しかし、受付でその手紙は受け取ってもらえず、翌日の15日に再び公邸を訪れ、手紙を渡したとのこと。 その手紙はA4サイズのレポート用紙数枚に手書きで 「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活および社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」 「障害者を安楽死させる法案を出せ」 などと書かれていたとのことです。 ある一種の間違った、身勝手な正義感を持っていたのだと考えられます。 退職処分となったあと、再診察を受けた際には「大麻精神病」「妄想性障害」と診断され、改めて措置入院となっています。 その後は診察の結果、措置入院の必要が無くなったとのことで、退院していました。 色々と明らかになっていく中、この事件は防げたのではないか、と議論されそうです。 犯人のTwitterアカウントと見られるものも発見されました。 犯行直後に自撮り写真がアップさらており、狂気すら感じます。 亡くなられた方々のことを思うと本当に残念でなりません。 心よりお悔やみ申し上げます。 関連記事.
次の相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で利用者ら45人を殺傷したとして、殺人罪などに問われた元同園職員の植松聖(さとし)被告(29)に対する裁判員裁判の第2回公判が10日、横浜地裁で行われ、事件当日に勤務していた職員の供述調書などから詳細な犯行状況が明らかになった。 暴れて退廷を命じられ、被告不在で行われた初公判とは一転、植松被告は時折目を伏せ、静かに着席していた。 検察側が読み上げた調書によると、植松被告に拘束された女性職員は利用者の女性が就寝していた部屋に連れ込まれ、「こいつは話せるか」と聞かれた。 その女性はダウン症で話すことが困難で、「しゃべれない」と答えると、被告はその女性の首付近を3回刺した。 職員は「しゃべれない人を狙っている」と気付き、その後は、各部屋に連れ回されて被告に問われる度に「しゃべれます」と答え続けた。 ところが、「しゃべれます」と答えても、被告は「しゃべれないじゃん」と刺すようになる。 職員が「みんなしゃべれます」と泣き叫ぶと、被告は「面倒なやつだ」と言い、廊下の手すりに縛り付け、去った。 その後、警察が到着して解放された職員は、襲撃された利用者に駆け寄ってほおを触ったが、既に冷たかったと回想。 調書の中で「被害にあった利用者に申し訳なく、自分を責める日々が続いている」と語った。 審理では、被害者の死因やけがの状況も説明された。 説明は人数の多さから1時間以上が費やされた。 多くの被害者の傷は首付近の上半身に集中していた。 また、別の職員の調書により、唯一実名で臨んでいる被害者の尾野一矢さん(46)が負傷しながらも、拘束された職員に携帯電話を渡し、110番通報につながったことが明らかになった。 審理終了後に取材に応じた父剛志さん(76)は「よく頑張ったと思う。 息子を本当に褒めてやりたい」と話した。 初公判に続き傍聴した津久井やまゆり園の入倉かおる園長も取材に応じ、「息が詰まりそうな一日だった」と振り返った。 被告の様子について「最初は神妙な感じがあったが、途中からは落ち着きがない仕草が目立った。 罪の深さをちゃんと重ね合わせて聞けているのか、全く分からない」と述べた。 また時折言葉を詰まらせながら、「夜勤職員も大変だったと改めて思った」と語った。 【国本愛、樋口淳也】.
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