初めまして。 家にいるときはうるさいくらいおしゃべり、ということですが、 例えば、ご両親のお客さんとかが、家に来たら、しゃべれますか? 場面緘黙症という病名が浸透してきていますが、要するに 「誰といるかで話せるか話せないかが決まる」ということですよね? 人間誰しも、内面(うちづら)外面(そとづら)を両方持っています。 場面緘黙の方は、うちづらしか持っていない人のように感じます。 場面緘黙に関しては、緘黙ネットという団体が有名ですが、専門家に 相談されるのもいいでしょう。 ご自身で治したいのであれば、いくつかアドバイスがあります。 無理やり喋ろうとしないほうがいいです。 疲れますし空回りしたら ふんだりけったりです。 お母様とは一緒に買い物とか行く機会はありますか? そういう機会があるときは、お母様が他の人とどういう会話をしている のか耳を傾けて観察するんです。 ひたすら観察です。 観察、観察、観察。 余裕があったら、他人同士の会話も観察してみましょう。 そうすると、何が起こるか。 これは、実証データでもなんでもありません。 単なる一個人のアドバイスですので、その点ご了承ください。 そとづらの言葉、を観察していくことで、段々と覚えていきます。 いろいろな場面でどういう言葉が適切なのかわかるようになって いきます。 そして、あるとき不意に言葉が口をつく瞬間に出会います。 要するに赤ちゃんが、父母の言葉を真似て自然に覚えるように、 緘黙のかたは、そとづらの言葉をひたすら聞いて聞いて聞きまくる ことで、たくさんの言葉、使い方、を自然と学習します。 簡単ですよね? ただ、何もしゃべらなくてもいいんです。 それは今までと同様。 違うのは、意識して他人の会話に耳を傾ける、ということです。 どうですか?できそうですか? 私も中学二年生の女です。 私はまだ場面緘黙症が完全に治ったわけではありませんが、小学生のころは本当に何も喋れなく音読さえ読むことができませんでした。 でも、中学生になってから自分から挙手など話す機会はつくらないものの強制の場では話すことができるようになりました。 でも、場面緘黙症を克服した人はたくさんいます。 そのままでは高校も行けませんし将来職につけるかも分からないですよ。 今の中学校で話すのが無理なら転校して別の中学校で話すようにするか、高校は最底辺になってしまうかも知れませんが、新しい高校で頑張って見ては? でも、そんな簡単ではないことは分かっています。 自分のペースでいいんです。 まずは逃げないで立ち向かわないと、私も不登校になりたいと思ったことは何回も何十回もあります。
次の教員の場面緘黙児への対応 当然のことのように、「なんでしゃべんないの?喋りなさい」なんて言う先生もいれば、私の喋れないという欠点を特に重要視せず、他の児童と公平に接してくれる先生もいました。 そういう先生は一人一人の得意分野を見抜き、高めることに長けていたと思います。 「なんで喋らないんだ?」 と訊いてくる先生は、 場面緘黙児が喋らないことを自分で選択しているとでも思っているのでしょうか。 いやいや、そこまで深くは考えていないのかもしれません。 おそらく、 「今日朝ご飯なに食べた?」 くらいの軽~い気持ちで発しているのでしょう。 場面緘黙児はこのセリフを浴びせかけられるのを毎日毎日恐れながら生活しているんです。 「なんで喋らないのか?」 という質問の裏に、 「喋らないなんて恥ずかしいヤツだね。 お前はみんなと同じことが出来ないんだから、すごく恥ずかしい生きかたをしているんだよ」 というニュアンスを感じ取ってしまうのです。 普段見ないようにしている劣等感を、無理矢理引っ張り出されるような感覚とでも言いましょうか。 問題なのは、このセリフを吐いた教育者が、場面緘黙児が答えるまでじっと待っているパターンです。 いったい彼ら(彼女ら)はどんな答えを聞きたいのでしょう? 「喋りたいんだけど恥ずかしくて喋れないんです」 「喋ろうとは思うんですけど、言葉がうまく出てこなくて」 「喋ることが怖いんです」 仮に場面緘黙児がこんな答えを返したとしたら、彼ら(彼女ら)はおそらくまたこう尋ねてくると思います。 「 なんで?」 …… ……。 言葉を失ってしまいますね。 『喋る=恥ずかしい、怖い』 という感覚が、まったくもって理解出来ないんですね。 理解出来ないことはこの上なく不愉快。 だから、どうしても知りたいんでしょう。 でも、こういう無神経な問いかけは子供の心を深く傷付けるだけです。 喋れないことは場面緘黙児にとって コンプレックスなんです。 自分が劣等意識を持っていることを、さらっとした口調で指摘されたらどうでしょう? 本人は努力しようとしているんです。 臆病な自分に嫌気がさし、そんな自分を変えたいと思っているんです。 だけど、声を出すということが怖くて仕方がない。 恐怖に打ち勝つには誰だって、相当の努力と勇気が必要ですよね。 場面緘黙児も一緒です。 喋れないことを重要視しない 質問したことにまともに返事をしないので苛立つこともあるかもしれません。 こいつみんなに甘えて現状に満足しているな。 ちょっと厳しく言ってやろうか、って思う瞬間もあるかもしれません。 けれど、どうか我慢してください。 誰かを深く苛立たせていることは本人が一番良く分かっています。 みんなに甘えているんだということも痛いくらい分かっています。 場面緘黙児は毎日毎日悩み苦しみ、自分の不甲斐なさに嫌気がさしています。 だから、どうか急かさないでください。 温かい目で見守っていてください。 そして、喋れないことをあまり重要視しないでください。 それよりも、 その子が頑張っていること、得意に思っていることを思いっきりほめてやってください。 自信を持たせてやるんです。 喋ることは出来ないけど、これだけは誰にも負けない。 そういう誇りみたいなものって、人間には必要だと思います。 私の小学5、6年時の担任だった男性教師は、自然とそういうことが出来る人でした。 休み時間に子供たちと雑談しているときでも、私がまともに返事をしないことを知っていても、必ず私にも話を振ってきました。 あの教室の中では、確かに私は存在価値を認められていました。 ちゃんとクラスの一員でした。 Sponsored Link 親の場面緘黙児への対処は 私の両親は、私が学校で喋れないことは知っていましたが、 「学校で喋れるようになった?」 という質問をすることはあっても、 「ちゃんと学校でも喋りな!」 と指摘するようなことはほとんどなかったと思います。 (ただ記憶がないだけかな…) 学校では不安感や恐怖心で萎縮していた私ですが、家では反動なのか、かなり落ち着きなくそこらじゅう駆け回っていました。 自由奔放という言葉がしっくりくるくらい開放的だったと思います。 そんな娘を見て、ちゃんとバランス取れているな、と判断していたのでしょうか? 実際のところは分かりませんが、喋れないことをいちいち指摘されなかったことは、私にとっては救いでした。 何度も言いますが、場面緘黙症を克服するのは本人です。 親子といえど、子供にもプライドってあるんですよね。 弱い部分は親に見せたくないっていう…。 だからプレッシャーになるような言葉は封印して、ただ子供の話に耳を傾けてやってください。 安らげる場所がなくなったら、場面緘黙児は一層自分を追い詰めることになってしまいます。 Sponsored Link 場面緘黙症を乗り越えても… 中学2年からは誰とでも話せるようになった私ですが、何年もまともな会話をしてこなかったので、言葉がすらすら出てこなかったり、人が三人四人と増えていくと話の内容が分からなくなったりということが頻繁にあるんです。 この後遺症のようなものにはいまだに苦しめられています。 というか、専業主婦になってからちょっと酷くなってきたような気がします。 ろれつも回らなくなってきているんで、かなりヤバイです。 世の中のママさんたちを見ていると、本当にみんなすらすらと言葉が出てくるので、すごいなーって思ってしまいます。 この世界で喋るのが下手くそなのって、もしや自分だけなんじゃないかと思うくらい(笑)。 でもきっとどこかにはいますよね。 私のように喋るのが苦手だったり下手くそだったりして悩んでいるママさんが…。 ということで、次回は場面緘黙症を克服してもつきまとう喋りづらさをテーマに綴っていきたいと思います。
次の場面緘黙症の原因 場面緘黙症の原因ははっきりわかっていないそうです。 本人の気質・性格や、生育環境などの要因が絡み合って、発症するのではないかと考えられています。 私が専門機関で相談したところ、うちの息子は「場面切替が苦手な子」ということでした。 新しい場面に不安を感じやすく、「満たされ感」が低いと言われました。 また自分だけの世界ができるとそれに満足し、そこに人が介入してくると迷惑に感じるタイプだということでした。 そんな気難しい気質が、我が子の場面緘黙症の原因の1つだったのかもしれません。 また、国際結婚をした家庭の子でを受けて育った子が、2つの言語や文化にうまく適応できないことが原因となり、場面緘黙症になることがあるとも聞きました。 アメリカ人の父を持つうちの息子は、生まれた時から英語と日本語がごちゃまぜになっている環境の中で育ちました。 そのことも、彼の場面緘黙症の原因だったのかもしれません。 場面緘黙症の始まり 場面緘黙症は、特定の場面で話ができないというものです。 そういう場面に出会うまで、症状は外には現れないことが多いそうです。 うちの子は3歳(年少)で保育園に行き始めました。 それまで専業主婦だった私が仕事を始めたからです。 集団生活がスタートして、初めて「家庭の外では話ができない」という症状が息子に現れ、とても戸惑い、不安になりました。 息子はそれまでずっと家庭にいて、私にくっついて離れないような子でした。 しかし急に朝から夕方まで知らない場所で過ごすことになり、新しい環境に適応できなかったのだろうと思います。 集団生活を始めるのが息子には早すぎたのだろうと、後になって後悔しました。 我が子の場面緘黙の様子 話さなくても遊べる 私の息子は保育園で一言もしゃべりませんでした。 話ができないなら、さぞ一人でポツンと過ごしているのではないかと心配でしたが、保育園の先生や、お友達や、本人の話によれば、話さなくても他の子達と遊べていたようです。 言葉を介さなくても、お友達とおもちゃで遊んだり、お絵かきをしたり、園庭で体を動かしたりして、一緒に遊ぶことができているようでした。 話すことを強要しないで、息子をそのままで受け入れてくれるお友達の存在を、とてもありがたいと思いました。 また、息子にしてみれば、話さないことで自分を守り、自分の居場所を作っていたのだと思います。 母が社会との接点 息子の場面緘黙は少し変わっていて、保育園の中でも、私に対してならしゃべることができました。 夕方迎えに行くと、近くに他の子ども達や先生がいても、私に普通に話をしました。 保育園で年に一度の親子遠足があった日のことです。 息子は私が一緒ですから、普通にいろんなお友達とたくさんおしゃべりをしました。 話せなくて粗相をすることも 話せないということは、どんなに必要なことでも決して口に出せないということです。 保育園にはお昼寝タイムがありますが、その時に「トイレ」の一言が先生に言えないで、息子は度々布団を汚しました。 「その瞬間まで必死に我慢していたのだろうな……」などと想像すると、とても不憫に思いました。 場面緘黙症を克服するまで 専門機関で治療法を相談 息子の問題が何であるか、最初は「場面緘黙」という言葉すら知らず、悩みました。 いつか治るのか、どうしたら治るのか、治療法を求めて専門機関で相談しました。 ある時は1人で、ある時は本人を連れていきました。 本人を連れて行くときは「お母さんが用事があるから、一緒に来てくれる?」などと言って、息子が病気であると私が思っているとは本人には気付かれないように、配慮しました。 場面緘黙症をなんとか克服したくて、私が相談に行った場所は、次の3カ所です。 1度だけでなく、経過を説明してさらなるアドバイスを受けるため、何度か足を運びました。 ・教育相談センター ・児童相談所 ・病院(小児専門の心療内科) 場面緘黙の子への接し方 専門機関に行って分かったことは、場面緘黙症には、確実な治療法があるわけではないということでした。 重要なのは、周囲の人の接し方だと教えていただきました。 場面緘黙の我が子に私がどう接していくべきか、専門機関で相談にのってもらうことでだいぶ心が落ち着きました。 今、場面緘黙症で悩んでいらっしゃる方の参考になるかもしれませんので、当時の手帳を見ながら、先生方にアドバイスされた接し方などを紹介します。 絵本読み、ままごとなど、言葉(日本語)を使った遊びを家でもっとする。 本人が混乱しないように、「家ではこれから日本語を使う」と本人に説明する。 でもあの子は~~~という事情でそうしたんだよ」と言葉にして説明してあげる。 本人が行きたがるなら習い事をさせるなど。 親がゆとりをもつことは、 子供に安心感を与えることになる。 自分が話さないことで親が困っていると感じると、子供にとってプレッシャーになってしまう。 病院による治療 病院(小児専門の心療内科)では、場面緘黙症の決定的な治療薬はないと教えてもらいました。 効果があると保証はできないが、ダメ元で服用してみようかという医師のアドバイスで、アナフラニールという処方薬を1週間ほど服用しました。 子供のおねしょ治療にも処方されることがある抗うつ剤だそうです。 しかし便秘、食欲低下、夜中に目を覚ましトイレに行くなど副作用が強かったので、服用を止めました。 残念ですが、場面緘黙症を薬で治療するのは難しいようです。 環境を変えることで治った 上記のような接し方をしつつ様子を見てきたのですが、場面緘黙症を克服することはできませんでした。 場面緘黙症は子供の年齢が上がれば上がるほど、治りにくいそうです。 また自然に治ることは少なく、治るには、何かのきっかけが必要だと言われています。 例えば小学校から中学校に進学する際、自分が話さないことを知っている人が誰もいない中学校に行くことで、話すことができるようになる場合があるそうです。 そこで専門機関の先生達のアドバイスもあり、迷いに迷った結果、保育園に行き始めて1年半ほど経った頃、思い切って息子の環境を変えてみることにしました。 前述の通り、幸い息子は私がいればお友達と話すことができました。 そこで近くに保護者が頻繁に出入りする幼稚園があったので、私が園内にいることを許可して頂き、息子をそちらに転園させることにしたのです。 私が園内にいれることに加えて、幼稚園なら保育園よりも保育時間が短いので、息子の負担も少なくてよいのではないかと考えました。 私は仕事を辞め、息子にとことん付き合うことにしたのです。 幼稚園の先生は、私が幼稚園にいることが自然に見えるように、簡単な雑用を与えてくださいました。 息子のすぐ隣にいるのではなく、ちょっと距離を置き、幼稚園のお手伝いをするふりをしながら、少し遠くから見守るという感じです。 「息子の横にべったりいるのではなく、離れても大丈夫そうなら離れるようにする」というのは相談所の先生のアドバイスによるものです。 私が遠くでもいいからいることで、息子の心に満足感を得させるのが目的だと言われました。 相談所の先生のアドバイス通り、息子の心は満足したのでしょう。 初日から普通に他の子達と話して、よく遊ぶようになりました。 私は少しずつ幼稚園にいる時間を短くして、やがて全く私がいなくても、息子はお友達と楽しく話をして過ごせるようになっていきました。 環境を変えることで、息子の場面緘黙症は治ったのでした。 場面緘黙症を克服して思うこと 幼い時の社会体験が大切 息子の場合、保育園に入る前の社会体験が不足していたと思います。 公園で近所のお友達と遊ぶことはよくしたのですが、大人と触れ合うことが少なかったです。 保育園に行っていた頃、「先生が嫌い」と私に言ったことがありましたので、どうも大人が苦手だったようです。 幼い時に、おばあちゃん、おじいちゃんや、近所の大人など、色々な人と触れ合っておくことがとても大切だと思います。 早い対応が大切 場面緘黙症は、初めのうちは「ただ内気なだけでは?」と思い、「ちゃんとお話ししなさいよ」などと叱ってしまいがちです。 しかし話すことを強要することで、子供はますます「自分は話せない人だ」と認識し、追い詰められ、症状から脱け出せなくなるそうです。 場面緘黙症が疑われたら、早めに専門機関で相談し、どう対応すべきかアドバイスを受けることをお勧めします。
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