チャイコフスキー 弦楽 セレナーデ。 チャイコフスキー:弦楽セレナード、モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク 小澤征爾&サイトウ・キネン・オーケストラ : チャイコフスキー(1840

弦楽セレナーデ (チャイコフスキー)

チャイコフスキー 弦楽 セレナーデ

クラシックの100枚 チャイコフスキー&ドヴォルザーク:弦楽セレナード ヘルベルト・フォン・カラヤン 【生産限定盤】 ロマン的な情感を表出させつつバロックや古典的形式への接近も見られる、モーツァルトへのオマージュとして書かれたチャイコフスキー、素朴なメロディに溢れ穏やかな気分とノスタルジーをかき立てる、ブラームスを範としたドヴォルザーク。 19世紀後半に作曲された弦楽セレナードの名作2曲を収録した一枚です。 カラヤンとベルリン・フィルハーモニーによる、洗練を究め尽くし弦楽合奏の機能美を徹底的に追求した演奏です。 (メーカー資料より) チャイコフスキー: 1. 弦楽セレナード ハ長調 作品48 ドヴォルザーク: 2. 弦楽セレナード ホ長調 作品22 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン 録音:1980年 ベルリン 久しぶりにチャイコフスキーとドヴォルザークの弦楽セレナードを聞きたいと思い、評論家も含めて評価の高いカラヤン 1980 を聴いたが正直ガッカリだった。 何方も演奏が雑で勢いで弾きまくっている感じ。 音程も酷い。 チャイコフスキーはアンサンブルが所々崩壊していて第4楽章などは団子状態。 ドヴォルザークは特に第2楽章は明らかに数箇所で1st Vnの誰かが半音弾き間違っている。 何故晩年のカラヤンがこの出来で発売をOKしたのか分からない。 かと言ってアンサンブルは完璧だが無機的なオルフェウスの演奏もどうかと思うが。 チャイコフスキーの演奏はカラヤンのうまさが出ていてどれも出来が良いのであるが、弦楽セレナードは同じカラヤンでも演奏・録音とも明らかに1966年録音の方が良い。 1960年代のカラヤンはフルトヴェングラー亡き後、ベルリン・フィルの常任になり良くも悪しくもカラヤンらしさ=フルトヴェングラーとの違いを徹底的に出していたように思う。 練習ではくどいように「音を切らないように…」と言っているがこれがカラヤン音楽の一つの特徴になっていると思う。 ベートーヴェンやブラームスの交響曲でもその特徴は良く出ている。 少々技術的になるがベルリン・フィルの重厚さのもとである低弦のテクニック(即ち、共鳴箱が大きいため遅れるのを防ぐため高弦より早めに音出しすることなど)、明らかに1960年代の方が勝っている。 また緊張感も同じ指揮者かと思うくらい全然違う。 特にこの曲の白眉である第3楽章エレジーのチェロ、ビオラの響き、歌わせ方など圧倒的に1966年盤の方が良い。 このチェロの響きだけでもこの1966年録音のCDを買う価値がある。 演奏時間を見ると第1,2,4楽章は1980年盤の方が遅いのであるが第3楽章だけ1966年盤の方33秒長い。 これをみてもその違いが良く分かる。 1960年代は録音場所がベルリン、ダーレムのイエス・キリスト教会ということもあり、後のフィルハーモニー・ホールでの録音より残響が長く音場感が広いのであるがこれもこの曲にあっているように思う。 1980年盤も良いが是非1966年盤を聴いてほしいと思う。

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弦楽セレナーデ (チャイコフスキー)

チャイコフスキー 弦楽 セレナーデ

名曲においても絶妙な解釈が光る、デイヴィスの至芸! BBC響との世界初CD化2曲も収録。 バイエルン放送響との一連の録音もまた、レーベルを跨いで素晴らしい仕事を数多くデイヴィスは残しました。 名曲として定着しているこれらの曲においても、絶妙なデイヴィスの解釈で、数あるライヴァル盤を押しのけて多くの支持を得てきたのが当盤です。 定盤として販売されてきましたが、この名盤も例に漏れずここ最近は廃盤でした。 情感をセーブすることなく吐露するこれらの解釈は聴く者を感動させ、スケールの大きい表現には圧倒すら覚える名演です。 尚、ドヴォルザークは再録音でした。 今回の再発では同じく発売します「展覧会の絵」 PROC1347 とのカップリングで収録していた3曲と同じオリジナル・アルバムに収録されていた、1970年のBBC響との小品2曲を新規で併録しました。 この2曲は世界初CD化です。 小品においても充実した解釈を見せており、これらも必聴です。

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チャイコフスキー/弦楽セレナード

チャイコフスキー 弦楽 セレナーデ

チャイコフスキー/弦楽セレナード 概観 モーツァルトの傾倒していたチャイコフスキーが、古典的なスタイルで書いた作品の一つ。 とはいっても、彼らしいメランコリックな情緒と旋律美に溢れた、魅力的な曲になっています。 出だしの部分がCMやドラマにもよく使われる他、サイトウ・キネン・オーケストラや、佐渡裕率いるスーパー・キッズ・オーケストラの定番曲でもあるので、日本人には馴染み深い作品と言えるかもしれません。 弦楽セクションのみの演奏になるせいかディスクはあまり多くありませんが、同じく魅力的なドヴォルザークの同名曲とよくカップリングされたりして、素晴らしい演奏が多いです。 個人的にはカラヤン、ストコフスキー、小澤盤がものすごい名演と感じますが、他のディスクもそれぞれに魅力あり。 編成が小さめで、解像度の高い室内アンサンブル風の響き。 残響もさほど多くないので、音像も小ぢんまりとまとまっています。 第1楽章は、一音ずつ明確に音を切った語調が独特。 造形を肥大させず、モーツァルト風にタイトなシェイプが好印象です。 音色は艶っぽく、旋律線がよく歌いますが、ひなびた味わいもあるのが面白い所。 規模を拡大しすぎず、落ち着いたテンポで丁寧にアンサンブルを構築する誠実さが好ましいです。 スタッカートの切れ味も爽快。 ルバートを効果的に使った、優美な第2楽章も素敵です。 第3楽章はテンポが遅すぎて旋律が引き延ばされる演奏が多い中、ドラティは推進力のあるテンポで、美しいメロディ・ラインを明快に抽出しているのがさすが。 序奏部と後奏も、冗長になる事がありません。 第4楽章もきびきびとした軽快な進行で、古典的なフォルムを維持。 コーダに向けての加速、緊密な合奏の一体感も迫力があります。 ストコフスキーのフィリップス録音は珍しいですが、同時期にもう一枚、ロンドン・フィルと《くるみ割り人形》他のチャイコフスキー・アルバムも録音しています。 私もストコフスキーには少し偏見がありますが、そういう人にぜひ聴いて欲しいのがこの演奏。 彼には時々あるのですが(失礼!)、カップリング曲と共に超ド級のものすごい名演なので、指揮者の名前を見て敬遠してしまうのは惜しいディスクです。 第1楽章はかなり速めのテンポで開始。 思ったほどドロドロした調子ではなく、音圧の強調もなくて爽快です。 主部も流麗で、リズムもテンポも軽快。 たっぷりと響きながらみずみずしいサウンドが心地よい一方、表情付けが細かく、語り口が変化に富むのはストコフスキー流です。 第2楽章は、適度に弾むリズムとやや強調されたルバートが、ワルツらしさをうまく表出。 ニュアンスは実に豊かで、旋律の美しさがよく出ています。 第3楽章は、冗長になりがちな導入部を停滞させず、流れるような調子でさらっと切り上げているのはさすが。 主部もメロディの輪郭がよく分かる速めのテンポで、旋律を甘美に歌わせています。 デュナーミク、アゴーギクの演出も入念で、ある種の熱気を孕んでいて感動的。 艶やかな弦の音色も、耳に残ります。 第4楽章は曲の性格を的確に掴んだ見事な表現。 緩急巧みな音楽運びで、最後まで聴き手の注意を惹き付けて放しません。 リズムも鋭敏で、軽妙かつ精緻なアンサンブルも痛快。 弾力に富んだアタックが、溌剌とした生気を演出しています。 コーダへ持ってゆく呼吸も心憎いほどに巧緻で、その名人芸に思わず脱帽。 演奏が終った途端、思わずブラヴォーを叫んでしまいました。 第1楽章は思ったほど厚塗りにならず、さっぱりした響きで開始。 速めのテンポと、一音一音アクセントを付けて末尾をきちんと切ったフレージングも気持ちが良いです。 主部も流れるような快速調で、軽やかなタッチ。 やや音圧が高いのはベルリン・フィルらしいですが、アクセントは要所要所に絞り、力みを抑えて端正な造形感覚を優先させているのは、モーツァルトを敬愛していた作曲者の本質を衝く解釈と言えます。 弾むような調子と流麗なフォルムは魅力的。 第2楽章は、優しい手触りがとにかく素敵。 強弱のニュアンスが細やかで、表情が雄弁なのも耳を惹きますが、しなやかなカンタービレや柔和な語り口は、他では聴けない名調子です。 第3楽章はあまり粘らず、さらっと流した序奏部が好印象。 主部も流れの良いテンポで音楽を弛緩させず、カラヤンらしい見事なカンタービレでリスナーを魅了します。 ベルリン・フィルの艶やかな弦の音色も言う事なしで、正に至福の音楽体験。 第4楽章も大きく構えず、タイトなサイズ感で軽妙に造形。 快適な運動性とフットワークを確保した主部では、オケの上手さも手伝って、生き生きとした合奏を構築しています。 フレーズの連結もスムーズで、楽想の対比も巧み。 オケの響きもどぎつくならず、爽快で柔らかな手触りもあって素晴らしいです。 コーダも規模を拡大せず、古典的な枠組みと様式感を守っている点はさすが。 同曲ディスクの中では、トップにお薦めしたい名盤です。 交響曲全集をはじめチャイコフスキーには積極的に取り組んでいるムーティの録音。 このオケの弦楽合奏の威力と、艶やかな音色は生かされていますが、かなり端正な造形で、オーソドックスな解釈に感じられます。 第1楽章は直截な表現で粘り気がなく、颯爽とした出だし。 音色も明るいです。 音圧が高く、フレーズの隈取りが常にくっきりしているのは、ムーティの指揮の特徴。 合奏のまとまりが良いので、重厚に聴こえすぎないのは美点です。 主部は速いテンポで推進力が強く、アタックに勢いがあって、一音一音にただならぬ力感が漲ります。 表情の付け方は大変細かく、強弱やリズムに敏感に反応するのは、スコアを古典音楽寄りに解釈した結果とも言えます。 第2楽章はストレートな歌い回しながら、意外に優美な造形。 どことなく生硬で、さらに自在な呼吸が欲しい印象もありますが、テンポを揺らしたり、ちょっとした間を挟むなど、ワルツのマナーは守る態度がみられます。 みずみずしい音色やデリケートな弱音、しなやかなカンタービレなども美点として挙げたい所。 第3楽章は、旋律美を抽出する才に長けたムーティの、面目躍如たるパフォーマンス。 アゴーギクを感覚的に操作して旋律を存分に歌わせながら、不思議と甘ったるくならないのが彼の良さです。 むしろ爽やかな清潔感すらあり、フォルムを崩すような陶酔に陥らないのも好印象。 響きが明晰なので、対位法の効果もくっきりと出ています。 オケの艶やかなカンタービレも聴きもの。 第4楽章は、高弦の清澄な音色が耳に残るイントロと、きびきびと鋭利なリズムを刻む主部の対比が見事。 この辺りは光と影の芸術をもってする国の指揮者らしい、彫りの深い造形感覚と言えるでしょう。 弱音部であっても音の立ち上がりがスピーディなので、常に意識が覚醒して敏感な感じに聴こえます。 一音一音の角が峻厳なまでに屹立しているのも、ヴィルトオーゾ風の表現でスリリング。 デイヴィスのチャイコフスキー録音は非常に珍しく、協奏曲の伴奏を除けばコヴェント・ガーデン王立歌劇場管とのオペラ・バレエ音楽集と、ボストン響との《1812年》《ロメオとジュリエット》しかありません。 第1楽章はデイヴィスらしい、シンフォニックな造形美を打ち出した演奏。 暖かみがあって優しいオケの響きは魅力的ですが、叙情には傾かない方向。 落ち着いたテンポで精確にリズムを刻んでゆく格調高いスタイルは、作曲者の意向通りスコアをモーツァルトの延長線上に解釈したものと思えます。 肩の力を抜きながらも、細部を丹念に描写し尽くすデイヴィスの棒は練達の技を思わせ、優美なシェイプとほのかに漂う気品が素晴らしいです。 第2楽章も全く気負いがなく、典雅なパフォーマンス。 これみよがしな所は全くないにも関わらず、表現の抽き出しが多いというのか、ちょっとした間の挟み方やアゴーギクの操作、強弱のニュアンスに深い味わいを感じさせる所が凄いです。 第3楽章は優しい風合いが心に沁みる一方、不思議なほどセンティメンタルな感傷を表さない演奏。 指揮者自身に、感情的没入を避けて純粋に音楽の美しさを追求する意思が強いのかもしれません。 しっとりとした艶と潤いを持ちながら、外面的な華美さに陥らないバイエルンの弦楽セクションは、ずっと聴いていたい美しさ。 第4楽章もゆったりとしたテンポで折目正しくリズムを刻んでゆく辺り、やはり彼のハイドンやモーツァルト演奏との共通点を感じさせます。 構成力も卓抜で、後半のアゴーギクは殊のほか見事。 第1楽章は、冒頭からふわっと柔らかい入り方をするのと、ソステヌートのフレーズ解釈、やや雑味のある不均等な響きが、西欧の演奏と様相を異にしています。 主部もユニゾンこそ艶やかな光沢はありますが、和音は粗削りな印象で、ブレンドさせて一つの音色を作り上げる合奏ではありません。 そのため編成が大きく聴こえるのと、響きが混濁してそれがまた野趣というか、ローカル色にも繋がっています。 テンポは落ち着いていて、合奏も整っていますが、リズムの弾力や切れ味とはほぼ無縁。 第2楽章は、洗練されていないというよりは、むしろ全く違う方角を向いている感じ。 ゆったりしたテンポで歌われるワルツ主題は、さりとて濃厚な表情が付与されている訳でもなく、自然体のままで出自と共感は十分に表されるはずだという、自信の裏返しとも取れます。 第3楽章も落ち着いた構えで、神経質に表情を作り込む事のない大らかな歌い回し。 それでいて、暖かみのある音色と語り口で、旋律線を魅力的に聴かせてしまうのは不思議です。 素朴だけれど心のこもった手仕事に、はっとして胸を打たれる感覚と言えばいいでしょうか。 第4楽章も決して洗練されてはいないし、響きにはざらついた質感もありますが、朴訥とした語り口にそこはかとない共感が漂います。 鋭いアタックや歯切れの良いスタッカートも効果的で、合奏も整っています。 後半部も感動的。 当コンビのチャイコフスキー録音には、バレエ《くるみ割り人形》全曲もあります。 フィリップスには珍しく、かつてドイツ・グラモフォンが使用していたベルリンのイエス・キリスト教会で収録。 第1楽章は冒頭から流れが良く、句読点を明確に付けた表現。 音圧を強調せず、妙な溜めを用いないでさっぱりと歌う一方、弱音部に漂うやるせない表情はなんとも切なくて、胸を打たれます。 主部も速めのテンポで、きびきびとした進行。 ビシュコフは厚塗りの色彩を作る事もありますが、ここでは爽快な響きでみずみずしい歌を展開し、オケの艶やかな音色も目一杯生かしています。 編成は決して小さくないようですが、合奏の一体感が強く、見事に統率されている印象。 明確なアーティキュレーション描写を徹底させているため、感情に流れてしまわないのは美点です。 第2楽章も、丁寧な手仕事で造形されたデリケートな表現。 ディティールまで配慮が行き届く一方、プロポーション全体の流麗さも両立させている所に才気を感じます。 ベルリン・フィルも豊かなニュアンスで応えていて好印象。 第3楽章は、艶っぽい響きで甘美に歌い上げた魅力的な演奏。 ただしビシュコフの棒はコントロールが効いていて、音の垂れ流し状態にはなりません。 弱音部も繊細な表情付けで、しみじみとした情感が心に沁み入ります。 第4楽章も、爽快なサウンドと生き生き弾むリズムが素敵。 闊達な棒さばきで溌剌とした動感を表出する一方、しなやかな旋律線が美しく、その対比が聴いていて気持が良いです。 勢いにまかせず、細やかな演出で多彩な表情を付与しているのも素晴らしい点。 ビシュコフはロシアの指揮者には珍しく、情緒よりもまず造形を優先させる人で、その辺りがカラヤンに認められたのかもしれません。 鋭敏なリズム感できりりと引き締めたコーダも見事。 サイトウ・キネン・フェスティヴァルの初年度に、オランダのスタッフが日本までやってきて録音しており、レーベルが小澤征爾にかけていた期待と信頼を窺わせます。 第1楽章は序奏部から誇張がなく、自然体の佇まい。 音圧もさほど高くなく、濃厚さやしつこさがありません。 強弱のニュアンスは細かく付けられ、表情は豊か。 オケが高性能なので機動力が高く、しなやかにうねる旋律線にも、室内楽のような一体感があります。 爽やかな音色のせいか、流れるようなフレージングのせいか、快適なテンポ感ゆえか、清涼感があってすこぶる魅力的なチャイコフスキー解釈。 コーダのしみじみとした暖かい情感も素敵です。 第2楽章は、さりげない調子で開始しますが、旋律線の表情や音色の階調に豊かなニュアンスがあり、オケと指揮者双方の音楽性の高さが表れています。 第3楽章も、べとつかない叙情と艶やかな音色で、瑞々しいパフォーマンス。 フレージングに粘り気がなく、さらりとした感触が作品の感傷性を洗い流した印象です。 第4楽章も軽やかなタッチとよく弾むリズムで、スポーティーな動感を表出。 立ち上がりの速い、張りのあるアタックも、溌剌とした調子を生み出します。 音色には柔らかさもあり、角が立たないのは小澤の美質。 当コンビが野外コンサートを行っているグラフェネックでの収録ですが、ライヴではないようです。 カップリングのレスピーギ共々、スーパー・キッズ・オケでも演奏している佐渡裕お得意の作品ですが、ここではオケの音色美と演奏スタイルを生かし、ひたすら優美で上品な造形を志向しているのが面白い所。 通常は力強く、張りのあるアタックで演奏される第1楽章の冒頭も、句読点こそ明瞭ながら、優しく、柔らかいタッチで描写されています。 主部のカンタービレも艶っぽい表情。 第2楽章もワルツ主題のニュアンスが軽妙洒脱でデリカシー満点、音色も艶美です。 第3楽章も情緒面が濃厚になりすぎず、音楽の純粋の美しさを表す自然体の棒が爽やか。 ただ、フレージングには独特の粘性があり、旋律線の艶っぽさは魅力的です。 第4楽章もフットワークが軽快で、柔和な性格ながら生彩に富むパフォーマンスを展開。 響きの透明度も高く、音圧を抑えた合奏が耳に優しいです。

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