Q 週休2日制(土日休み)の仕事をしており、金曜日が来ると「よし、この2日はこんなことしよう!」と色々計画を立てるのですが、何一つ実行できません。 まず、朝、起きることができません。 昼、なんとか起きて食事を作るものの食べたら、次の行動を起こせないんです。 例えば、友達と約束をしていても外出することができません。 休みなんだから無理しない』と考えて、ベットに横たわると、夜になっています。 つまり、土日はまるまる2日、ほとんど寝ているんです。 熱はないし、食欲がない、いくらでも眠れる・・・という感じで、とにかく衰弱してるんです。 今日も20時間ほど、トイレもいかずに寝ていました。 月曜日になると、朝6時に起きて、始業時刻の1時間前には出勤し、12時間以上働いて帰宅します。 平日はこの調子で金曜まで元気いっぱいです。 でも、この土日になると、とたんに無気力になり何にもできないんです。 世間には、私のような人はいらっしゃらないでしょうか?ほんとに怖いくらい無気力になってしまうんですが、これって、病気ではないでしょうか? 週休2日制(土日休み)の仕事をしており、金曜日が来ると「よし、この2日はこんなことしよう!」と色々計画を立てるのですが、何一つ実行できません。 まず、朝、起きることができません。 昼、なんとか起きて食事を作るものの食べたら、次の行動を起こせないんです。 例えば、友達と約束をしていても外出することができません。 休みなんだから無理しない』と考えて、ベットに横たわると、夜になっています。 A ベストアンサー 「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。 普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。 パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。 残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。 当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。 従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。 ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。 それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。 例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。 これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。 風に抵抗できない。 いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。 しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。 しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。 少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。 人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。 自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。 そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。 ……このような意味の比喩ではなかったかと思います。 この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。 パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。 彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。 パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。 暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。 弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。 パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。 「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。 普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。 パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し... Q 当方、生肉が大の好物でして、生肉を食べるときが至福の瞬間です。 飲食店などのユッケはもちろん、スーパーのお肉や焼肉食べ放題店の肉も生で食す事があります。 このような性癖に目覚めたのは5年ほど前なのですが、生まれてこの方生肉によってお腹を壊したことがありません。 食す頻度は週に3,4回です。 食す肉は鶏、豚、牛、ホルモン、などなど種類は豊富です。 鶏のササミが一番頻度が高いです。 しかし、鶏レバーなどはさすがに表面だけ軽く焼きます。 自分では「腹の菌が強いのかな」と考えているのですが、体質ゆえに生肉が平気などということは人間にはありえるのでしょうか? はたまた、この5年間、運が良すぎてことごとく菌を回避していたとでもいうのでしょうか? ご回答、よろしくお願いいたします。 A ベストアンサー こんにちは。 じつは、私もここ最近、鶏肉なんかを生のままで食べることがあります。 でも、変な食中毒という感じはなかったです。 美味しいと思って、好んで食してあるようなので、とくにそれをやめる必要は ないと思います。 (…って、私も人のことは言えませんが。 若年齢、高年齢、抵抗力の弱い者については食べないように…」と、ありました。 まぁ、お互い、ニュースに出ることがないように、気をつけて食しましょうね。 (これは、胃の中に寄生します。 ) なので、避けた方がいいですよ。 これは、インフルエンザウィルスに汚染されていることがあるので、 特にご注意を…。 余談ですが、ワサビや酢には、殺菌、消毒効果があるといいますので、生肉を食べるときは 新鮮な肉で、ワサビや酢を用いて食べることをお勧めします。 (~ちなみに、 わたしはかなりのワサビ好きです 笑) まぁ、しつこいと思われるかもしれませんが、お互い、自己管理のもとで、なるべく ニュース沙汰にならないようにしましょうね…。 あ、ひとつ教えてください。 ホルモンを生で食べるときは、どんな風にして食べるんですか…? こんにちは。 じつは、私もここ最近、鶏肉なんかを生のままで食べることがあります。 でも、変な食中毒という感じはなかったです。 あなたの場合は、5年間、大きなトラブルに遭わなかったとのこと... Q 人に嫌なことうを言われた時や、ばかにされた事を言われたときなど、頭にわくるのですが、何も言い返すことができず、冗談にしたり、聞かない振りをしたり、話を変えたりしてしまいます。 このような、態度でいるとあの子には何を言っても平気と思われてしまうみたいで、他の人にはひどいことやひどい行動をとらないのに、私にだけなんで!! と、思うことがよくあります。 もともと、短気のせいか何か言われると頭にはくるのですが、なにもうまく言い返す言葉がみつからず、それなら怒ればいいのですがそんな勇気もなく・・・。 特に会社ではしったぱのせいか何かわからない事があった時に、教えてもらえなくなると、と、思ってしまうと、頭にくるようなことを言われても、何も言葉が思いつかず黙ってしまうことが多いいです。 そのせいか、会社ではなめられっぱなしです。 こんな時、その人との仲が終わらず、うまく言い返す方法はないでしょうか? A ベストアンサー 私は、人のことをバカにしたような言葉を吐く人を信用してないし、不快です。 ひどいことを言われたときは頭にカッと血が上って、言葉を無くしてしまいます。 なめた口をきかれたときははっきりと「あんたと話してると気分悪くなるから黙っててくれない!!」と言ってしまいますし、明らかに態度と顔にでてしまいます。 そういう私ですから、広く浅いつきあいの友達はいません。 もっと密で私を解ってくれる人が友人としてつきあってくれます。 態度に出すことによって、「あいつは下手に何か言うとかみついてくるからな」と周りの人は私に対してバカにした態度はとらなくなりました。 >その人との中が終わらず、うまく言い返す方法は・・・ うまく言い返す必要はありませんよ。 それよりあなたがいかに不愉快かを、態度でも顔でも「うるさい」の一言でもいいから示すべきです。 そしてそんなことをあなたに対して言う人との中を終わらせてしまいましょう。 あなたの人生からそんな人たちは一人残らず追い出してしまって下さい。 人に暴言を面白がって吐く人は、信用のかけらも無い人です。 ・・・ちょと興奮してしまいました・・・済みません あなたの曖昧な態度で、相手はあなたの心の傷をかすり傷くらいにしか感じていないのかも。 あなたの本心が分かれば、相手の態度もきっと変わります。 負けないでね。 私は、人のことをバカにしたような言葉を吐く人を信用してないし、不快です。 ひどいことを言われたときは頭にカッと血が上って、言葉を無くしてしまいます。 なめた口をきかれたときははっきりと「あんたと話してると気分悪くなるから黙っててくれない!!」と言ってしまいますし、明らかに態度と顔にでてしまいます。 そういう私ですから、広く浅いつきあいの友達はいません。 もっと密で私を解ってくれる人が友人としてつきあってくれます。 態度に出すことによって、「あいつは下手に何か言うと... A ベストアンサー 中傷だけで終わるのも何なので補足します。 Nagatosさんは、英米人なら絶対しないような間違いと、する間違いの区別ができてないようです。 質問者さんは、「Can you celebrate? 」はどっちですか?と聞いているみたいですが、それを理解されてないので、議論が平行線になってるみたいですね。 例えば日本の黒板消しの商品名で「Clean Elaser」というのがありました。 これは明らかに米英人はしない間違いです。 意味不明です(「きれいに消せる黒板消し」と言いたいのだろうが、「黒板消し自体がきれい」という意味にしか聞こえない)。 こんな間違いは英語の歌詞にもないでしょう。 結論を言うと、「Can you celebrate? 」は微妙なところだと思います。 「Clean Elaser」ほどひどくはないけど、英米人は言わないでしょう。 でも、歌詞になら使ってもおかしくはない・・かな??という感じです。 聞くひとも、意味はかろうじて推測できるかなという程度だと思います。 賢いひとなら、こんな詩は書かないでしょうね。 慣用だからとあきらめずに、正しい英語を使おうと努力する姿勢を評価したいですね。 中傷だけで終わるのも何なので補足します。 Nagatosさんは、英米人なら絶対しないような間違いと、する間違いの区別ができてないようです。 質問者さんは、「Can you celebrate? 」はどっちですか?と聞いているみたいですが、それを理解されてないので、議論が平行線になってるみたいですね。 例えば日本の黒板消しの商品名で「Clean Elaser」というのがありました。 これは明らかに米英人はしない間違いです。 意味不明です(「きれいに消せる黒板消し」と言いたいのだろうが、「黒板消し自体がきれい」という... Q 舌を噛んだり傷つけたわけでないわけではない時に、時々舌の先等に、小さい見えるか見えないか程度のプツッとした凄く痛いできものができます。 あれはなんですか? よく、食べ過ぎたりして胃が悪い時に出来る、と祖父母なんかに聞かされた気がしますが・・・。 実際、出来たときは、疲労時というか、心身どちらか一方でも過度に疲労したかな?少し食べ過ぎ?と思い当たることもあります、が、毎回ではありません。 あれは何で、どんな時に出きやすくなりますか? また、予防策、出来てからの対処法など教えて下さい。 病院に行くほどひどくならないので、これまでそれで病院に行ったことはなく、だいたい1週間程度で治りますが、出来るととても痛いです。 A ベストアンサー 口内炎が舌にできたものだと思いますよ。 私も子供のころからしょっちゅうできます。 私はできてしまったら薬を塗って早めに就寝して睡眠を十分にとること、食事後や口の中が痛いときなどとにかくうがいをして口の中を清潔に保つこと、ビタミンBを取ることを心がけています。 よくできるならひどくないと思ってても一度医者に行ったほうがいいかもしれません。 薬をくれるので次にできたときにも便利ですし原因もわかるかもしれませんよ。
次の礼儀とは知ってるものの、あまりreligious mindedでない方でも 素直に口からそうでますか?私はエチケット知らずだと思われるのはいやだから言いますけどね。 くしゃみしてそういわれた場合はThank you!と結構自然に口からでます。 でも親しくなった人にはGod bless you! といわれてて Buddha Bless you! と言ってくれなんて悪ふざけします 仏教徒というわけでもないのですけど)。 私みたいに考えすぎの人間が他にもいるからかどうか知りませんが、ズンタック!とかグンヅンサイ(音で覚えているので不確か)なんてNon-religious 多分)の言葉を使う人もいます。 ところでなぜこういう慣習が出来たかご存知ですか?(私は知ってるんですけど) まぁ、普通ドイツ系の米人に対してなら、私なら迷わず"Gesundheit! "と怒鳴り、"Merci! "と返してもらうのが乙でしょう。 とにかく大切なことは、早く何かを言ってあげないと、被害者(?)は繰り返しくしゃみをせざるを得なくなり、ちょっと可哀想になります。 その時に、いかにウィットに富んだ一言が言えるかが勝負です。 でも私は最近変わりました。 そのような状況に遭遇した場合、反射神経的に"Are you OK? "とは言えず、必ず、心配そうな眼差しで、"Oh, Black Death is it? "とか、"Oh dear, a touch of the bubonic plague, perhaps? "と励ますつもりで一言を差し上げるように勤めております。 まぁ、殆ど受けませんがね。 と言う事で、その習慣ができた歴史的な理由は存じ上げておりますので、ご安心ください。 " "Bless you! " "Chick show!
次の「街から仄かに春の匂いがした」そして春の匂いがしたと実際に表現しています。 「結局何処へも行けやしない僕らは」の「何処へも行けやしない」って、何処からか?というと、 小さな惑星(地球)からってことですよね。 そしてまた日常に戻される表現として、、、 「冬の風に思わず くしゃみをした」 が最後に来ます。。。。 春を感じさせておいて 「冬」という季語を持ってくる常田が憎いです。 笑 しかも「くしゃみ」って人間共通の日常的な経験ですよね! サビの最大の魅力は、幻想的で春っぽい雰囲気から始まり、最後に一気に 「くしゃみ」という言葉で現実に引き戻されるわけです。 スポンサーリンク 実はオマージュ(パクリ)だった!? 実は、こんなTwitterを見かけました。 キングヌーの小さな惑星の歌詞で、くしゃみをしたって連発してるのは、二十億光年の孤独のオマージュなん? — MNulたすきっち mmtsgp2 キングヌー聴いてて耳に留まった「思わずくしゃみをした」というフレーズ。 知らずに使ったということはさすがに考えられないし引用なんやろうけど。 オマージュにしては弱い気もするけど。 — ヤマ yamashing オマージュというのは簡単にいうと、 「ある人から影響を受けて尊敬の意味も込めて 真似(参考)する」ことです。 「二十億光年の孤独」 のオマージュ?と言われていますが「二十億光年の孤独」とは何なのでしょうか? 二十億光年の孤独とは 詩人である 「谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう)」が21歳の時に出した詩集の1作品のことです。 この詩の最後に「くしゃみをした」という詩が出て来るのです! こちらの動画は、歌詞付きで 「二十億光年の孤独」の詩を合唱している音声動画です。 「僕は思わずくしゃみをした」というこの 「 谷川 俊太郎」の詩は宇宙の壮大でシュールな詩が続く中(火星人とか出てきます)、最後に現実的な「くしゃみ」という詩を持ってきています。 「 谷川 俊太郎」は、あの鉄腕アトムの主題歌 「 Astro Boy Theme Song(アトムのマーチ)」 の作詞をした人でもあるんです。 仮に常田の作詞が「谷川」の詩に影響されていたとしても何も問題はなさそうです。 そして歌詞が 全く被らない曲は、逆に作る方が難しいと思いませんか? まとめ いかがでしたか? あの、、こんなに真剣に長々と書いておいてなんなんですが、、 歌詞の意味やオマージュなんてどうでもよくないですか?(個人的意見です) いい曲は良い!それで良いのかなと思います。 それでは、くしゃみして終わります。
次の