余命半年を宣告された大林宣彦監督が癌患者、映画作家、軍国少年、未来人として人生哲学を綴ったメッセージ集です。 「見上げれば、空に三本の虹がかかっていた。 一本の虹ならよく見るけれど、三本の虹なんてそう滅多にお目にかかれるものではない。 人生最高の虹。 とてもいいことがありそうだという予感がした。 」 本文抜粋 「映画が誕生して約百二十年。 いろんな個性を持った監督がさまざまな映画を製作してきた。 」 本文抜粋 ・チャールズ・チャップリン主演『担え銃』、原節子デビュー作『魂を投げろ』、ジョン・ウェイン主演『丘の静かなる男』など、CS局の番組「大林宣彦のいつか見た映画館」 衛星劇場 で紹介された幻のクラシックシネマ15作品をダイジェスト解説。 ・『万引き家族』で2018年の第71回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した是枝裕和監督が「あとがきにかえて・卒業と入学の季節に」を執筆。 大林監督の人物像と大林マジックに迫ります。 1938年1月9日、広島県尾道市生まれ。 映画作家。 幼少期より映像の世界に親しみ、CMディレクター、映画監督として活躍。 2004年に紫綬褒章を受章、2009年に旭日小授章を受章、2019年の文化功労者に選ばれている。 享年82歳。 『海辺の映画館~キネマの玉手箱』の公開が延期になっている中、大林宣彦監督が亡くなられて間もなく発売された、この『キネマの玉手箱』というタイトルの本に出会いました。 「ユニコ舎」さんという新しい出版社さんの本なのですが、ホームページも調べ、ちゃんとしている むしろキッチリしていると思います 出版社だという事も調べてから購入しました。 想像以上に真面目な?内容でしたが、大林宣彦監督の最後の著書という事もあり、何だかじーんとしました。 ホームページにブログ等がありますので、購入検討中の人は参考にしてみて下さい。 読み終えて、改めて「監督にお会いしてみたかったなぁ」という気持ちになりました。 そして、これから色んな映画を見てみよう!と思います。 オススメの一冊です。 新作『海辺の映画館ーキネマの玉手箱ー』の公開予定日にこの世を去った大林宣彦監督の最後のメッセージ。 手元に届いてその熱量に圧倒されました。 映画人として、がん患者として、敗戦少年として、そして未来人としての思いが書き綴られています。 映画に対する情熱はもちろんのこと、世界に生きる生命体への愛(がん細胞にまでも愛を持って接している!)がひしひしと伝わってきました。 大林監督へのメッセージを寄せた是枝裕和監督の「あとがきにかえて」も、大林監督から映画人としてのバトンを受け継いだ是枝監督の思いがうかがえます。 本書で、「今を受け入れるしかない」と説く大林監督。 コロナウィルスが蔓延する今こそ読みたい本です! 大林作品ファンのみならず、病と向き合っている方、現代社会に閉塞感を抱いている方にもおススメです! 肺がんで余命6ヶ月と宣告されてから、映画を2本も撮ってしまった著者。 実家にあったフィルムを10コマ毎に切ってしまい、その繋ぎ合わせから、編集を経験してしまったのが出発点。 独立系として映画を作り続けてきたことを知りました。 『時をかける少女』等の尾道三部作では、尾美としのりや原田知世はそのイメージを乗り越えるのに大変な思いをしたのだとか。 軍国少年だった戦前。 戦争翼賛映画を撮っていた監督たちがコロっと変わって、戦後も映画を撮っていた日本。 「正義」のいい加減さ、戦争の酷さの体験を、ずっと持ち続けて、最近の映画づくりをしてきたとのこと。 昔のサイレントやモノクロ映画でも今も通用すること、挿入された映画評でも訴えています。 リアルを撮るのではなく、虚構を撮ることでリアルを浮き立たせる。 絵画のような視覚芸術と、音楽のような時間芸術を合わせた映画。 フィロソフィー(幹)のある映画。 死を前にして書いたとは思えない、自由で明るい映画の本でした。
次の大林は1938年に広島県尾道市で、両親ともに代々医者の家系という家の長男として生まれた。 6歳の時から35ミリフィルムに手描きしたアニメーションを製作するなど、観る前に「自分で作る」ことから映画の世界に入り込んだ。 少年時代には、実家の持ち家の一つに住んでいた新藤兼人と一緒に映画を観に行ったり、小津安二郎の代表作『東京物語』の撮影を見学したりと、日本映画を代表する巨匠たちとの接点があった。 1955年に大学進学のため上京すると、当時はまだ珍しかった「8ミリカメラによる自主映画」をどんどん製作するようになる。 高林陽一ら他県の同志とも連携し、自主映画を着実に普及させていった。 大林は、日本の自主映画の先駆者だったのだ。 60年代中頃、まだ発展途上だったCM業界からの誘いを受け、CMディレクターとして活躍するようになる。 アラフィフ以上の世代にはお馴染みのマンダムのCMでのチャールズ・ブロンソンをはじめ、海外の有名スターを次々に起用、CM業界の地位向上にも貢献した。 1977年、『HOUSE』で商業映画監督デビューを果たす。 当時は、撮影所での助監督の経験もない、自主映画やCMディレクター出身の外部の人間が、大手の映画会社で監督を務めるということは前例がなかったが、大林が各方面を巻き込んだプロモーションを展開したことと、東宝内部でも営業部長だった松岡功(修造の父)や重鎮監督だった岡本喜八らの尽力で奇跡的に実現した。 これ以降、自主映画出身の監督が大手の映画会社の作品を手がけることが一気に増えていく。 その後も各社の映画からテレビの2時間サスペンスまでさまざまなフィールドで作品を発表し続けて、一躍トップ監督としての地位を築き上げた。 特に、1980年代前半から中盤にかけて発表した、故郷・尾道を舞台にした『転校生』、『時をかける少女』、『さびしんぼう』はいずれも大ヒット、ファンによって「尾道三部作」と名付けられた。 アイドル映画、文学作品、大人向けのファンタジー、重厚な人間ドラマ…と、多彩なジャンルの作品をコンスタントに発表し続け、2010年代に入っても創作のペースは落ちなかった。 映画だけでなくAKB48のミュージックビデオの演出など、活躍の場も広かった。
次の大林監督は病… 2020年6月10日 14:30 原田知世の映画初主演作『時をかける少女』 83 がNHKBSプレミアムで放送され、改めて話題を呼んでいる。 「僕は大人の男だから、少女に惹かれるんだよ」。 今春逝去した同監督の最新作…• 2020年4月14日 20:30• 2020年4月14日 18:32• 2020年4月11日 05:00• 2020年3月28日 10:00• 2020年3月14日 12:00• 2020年3月3日 11:00• 2020年2月29日 16:00• 2020年2月13日 07:00.
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