93 所属部屋 得意技 右四つ、寄り、下手投げ 成績 現在の番付 引退 最高位 西 生涯戦歴 387勝329敗86休(68場所) 幕内戦歴 111勝125敗64休(20場所) 優勝 十両優勝5回 賞 2回 2回 1回 データ 初土俵 3月場所 入幕 9月場所 引退 7月場所 引退後 ・12代 他の活動 日本相撲協会理事(1期) 2018年3月 - 2019年9月 備考 2個(1個、1個) 現在 目次• 来歴 [ ] 角界入り [ ] 元々は兄と同じ警察官を志望していたが、親方(元・)に説得されて地元のを2年生終了の時点で中退して押尾川部屋に入門し、3月場所において17歳でを踏んだ。 後の・やらと同期である。 当初のは本名の「手島」であったが、読みは「てじま」と濁っていた。 新弟子時代から午前2時に起きて相撲教習所で稽古に励み、同様の稽古を行うやと共に鍛え合ったという過分なほどの稽古熱心さで実力を伸ばし 、1983年7月場所に22歳で新へ昇進し、同時に「益荒雄」と四股名を改める。 その後は一時「手島」の名に戻していた時期もあったが、3月場所において「益荒雄」に再改名してからは引退までそのまま通した。 同年9月場所に24歳で新入幕を果たしたものの、しばらくは幕内と十両を往復する状況が続いた。 「白いウルフ」 [ ] 11月場所において4回目の入幕を果たすと、差し身の鋭い速攻相撲を武器に活躍し、その11月場所で西前頭13枚目の位置で11勝4敗の好成績を挙げて初の敢闘賞を獲得し、続く1987年1月場所でも東前頭4枚目の位置で横綱・を破るを挙げて8勝7敗と勝ち越して初の技能賞を獲得した。 初の三役となる東に昇進した3月場所では、2横綱(千代の富士・双羽黒)・4大関(・・・)を破る大活躍で「益荒雄旋風」を巻き起こした。 一時は優勝も期待されたが終盤5連敗し、最終的には9勝6敗の成績で終えたものの初のを獲得した。 後に益荒雄の弟子となったが9月場所の優勝争いに加わった際には、益荒雄と同時代を幕内で過ごした(現・井筒)が相撲雑誌のコラムで「あのときは"益荒雄旋風""白いウルフ"と言われましたが、阿武咲も一敗で中日まで突っ走りました。 つくづく師弟というのはどこかでつながっているんだなと思います」としみじみ語っている。 この時期には、横綱・のニックネーム「ウルフ」になぞらえて一般からの公募により付けられた「白いウルフ」というニックネームでも知られるようになった。 また、益荒雄が白星を挙げると地元である糸田町で花火が打ち上げられるようになり、益荒雄の人気はますます過熱していった。 東小結に番付を据え置かれた1987年5月場所でも2横綱(千代の富士・双羽黒)・2大関(朝潮・若嶋津)を破り、9日目には西関脇のに勝利し、10日目には大関取りが懸かった東関脇のを2度突っ掛けた後に一閃ので破るという大活躍を見せて10勝5敗の成績を挙げ、4場所連続での受賞となる2回目の殊勲賞を獲得した。 続く7月場所では自己最高位となる西関脇に昇進したものの、周囲の期待から大きくかけ離れた4勝11敗の成績に終わった。 1987年9月場所で大乃国に寄り倒しで敗れた際に右膝のを痛めて途中休場し、この場所から怪我との戦いが続いた。 翌11月場所は公傷が認められ、1月場所において再起して2場所連続して9勝6敗の成績を挙げたものの、西前頭筆頭の位置で迎えた同年5月場所において小錦に押し倒しで敗れた際に再び右膝の靱帯を痛めて途中休場し、強行出場してさらに故障箇所を悪化させたために、以後は勢いも下降してしまった。 その後は1989年3月場所に2回目の敢闘賞を獲得したものの、三役への復帰は果たせず、十両で大敗を喫して幕下陥落が濃厚となった7月場所を最後に29歳で引退した。 引退後は寺尾が所有するを借りて年寄・を襲名して押尾川部屋の部屋付き親方となった。 引退後、独立 [ ] 親方となってから自ら部屋を持ちたいという思いが強くなり、外の元小結・ から名跡を買い、9月に年寄・12代阿武松を襲名した。 独立の意志や一門外からの年寄名跡取得については、師匠である押尾川に何の相談もなく行っていたため、師匠の逆鱗に触れてしまい事実上破門という憂き目に遭ったものの、同じの大鵬親方(元横綱・)から助け舟を受けてへと移籍して大鵬部屋の部屋付き親方となった。 10月には大鵬部屋から分家独立してを創設した。 1月に行われた理事選では、立候補した貴乃花親方(元横綱・)を支持したとの理由により、事実上、二所ノ関一門を破門された。 この影響で5月場所から約10年間にわたって務めてきたの役職からも退いた。 に発覚したでは、阿武松部屋から多数の関与力士を出し、さらに部屋で行われた賭博開帳の関与者4人が逮捕された責任を問われ、委員から平年寄への2階級降格と10年間昇格見送りの処分を受けたが、実際にはの役員改選と同時に行われた新たな職務分掌で委員に再昇格している。 日本相撲協会理事として [ ] 2月1日、相撲協会理事選にから立候補し、同月2日、理事に初当選した。 同選挙では一門の総帥である貴乃花が落選しており、阿武松は「仕事をさせていただく可能性ができたので相撲協会の一員として、ファンの皆さんに愛される、そして活力ある組織にしたい」と、事実上の所信表明を終始、引き締まった表情で口にした。 この役員改選による新たな職務分掌では審判部長(ドーピング防止委員長)、新弟子検査担当という要職を与えられた。 これは八角理事長(元横綱・)の再選に賛同し、一門の総帥であり渦中の人物である貴乃花と距離を置いたことからなる抜擢とされている。 審判部長として初めて臨んだ同年5月場所はの大関昇進を賭ける場所と重なり、千秋楽に八角理事長へ昇進の可否を審議する臨時理事会の開催を要請するという大事に携わった。 またこの千秋楽の表彰式では、5度目の優勝を果たした横綱・への授与も担当した。 9月場所は大相撲史上初の三賞すべて該当者なしという事態となったが、審判部長として「若手がはね返されたということ」と正当性を主張した。 2019年5月場所では、の際の場内説明の不正確さが問題となった。 11日目の - 戦では、阿武松が両力士のしこ名とつま先やかかとの部位が混同された説明を行ったことで混乱を招き、場内が騒然とした。 しどろもどろのアナウンスに一時はブーイングが起こったが 、最終的に正しいアナウンスを行ったことで場内は収まった。 しかし13日目の朝乃山 - 戦での物言いで6分にも及ぶ協議の後、ビデオ映像ではなく審判の目で見た判定内容と説明しなかったうえ「軍配差し違えで西方力士(栃ノ心)の勝ちと決定いたしました」と勝った力士を間違えて述べたことから、取組後に相撲協会に抗議電話が殺到しさらには誤審疑惑を招く事態となった。 千秋楽の - 戦でも両力士のしこ名を失念して口ごもったり、東西を逆に説明するなどで場内を騒がせた。 本来は横綱推薦や横綱に関する案件を扱うも、場所後の例会で委員長が「審判は絶対なので権威を確立させるためにも、指導をしっかりしてほしい」と一連のつじつまの合わない場内説明に異例の苦言を呈した。 この指摘を受け、阿武松は「私の修行不足。 言葉足らずなどの部分を反省し、次に向かっていきたい」とコメントしている。 6月25日、の症状で入院治療に専念するため7月場所は審判部長としての職務を全休することになった。 この場所では理事(部長) が審判部長代理として担当した。 また9月6日、9月場所の休場も発表され、理事(部長)が代理担当となった。 9月22日、同日の報道で高血圧など体調不良を理由に退職の意向を固めたことが関係者の話で分かった。 8月に退職の意向を協会に伝え、慰留を受けたが意思は変わらず、22日の阿武松部屋千秋楽パーティーで退職の意向を出席者に報告したという。 同月26日の理事会で、阿武松は阿武松部屋付きの21代音羽山(元幕内・大道)と名跡交換をし、阿武松部屋は21代音羽山改め13代阿武松が継承、22代音羽山となった自身は退職することが承認された(全て2019年9月26日付)。 引退後はしばらく、年寄名跡の「」は自身で所有していたが、2020年5月30日に弟子の阿武咲に譲渡した。 また、所属の元 が借株で襲名している。 記録 [ ] 益荒雄はその華々しい活躍によって関脇にまで昇進したが、その反面怪我が大変多く、幕内在位場所数は20場所に過ぎない。 これは1957年に大相撲が年6場所制に移行してから入幕した力士の中で、最高位が関脇の力士としては最も少ない(逆に最高位が関脇の力士で幕内在位場所数が最も多い力士はで99場所、の97場所がこれに次ぐ)。 参考までに、歴代における幕内在位場所数の少ない上位5人の力士は以下の通りである(カッコ内は関脇を務めた場所数、現役力士は除く)。 1位 益荒雄 20場所(1場所)• 2位 22場所(1場所)• 3位 23場所(1場所)• 4位 27場所(2場所)• 5位 28場所(5場所)• なお、上位5人の力士は全員が三賞を受賞しているが、5回も受賞している力士は益荒雄のみである(その他にを2個獲得している)。 実力がありながらも度重なる怪我のために十両で相撲を取ることも多かったものの、十両では実力的に突出していたこともあり、通算で全5回もの十両優勝を果たしている。 これは歴代における十両優勝回数の最多記録である。 主な戦績 [ ]• 通算成績:387勝329敗86休 勝率. 541• 幕内成績:111勝125敗64休 勝率. 470• 十両成績:163勝135敗2休• 現役在位:68場所• 幕内在位:20場所• 十両在位:21場所• 三役在位:3場所(関脇1場所、小結2場所)• 三賞:5回• 殊勲賞:2回(1987年3月場所、1987年5月場所)• 敢闘賞:2回(1986年11月場所、1989年3月場所)• 技能賞:1回(1987年1月場所)• :2個(双羽黒1個、北勝海1個)• 各段優勝• 手島 広生(てじま ひろお)1979年5月場所-1983年5月場所• 益荒雄 広生(ますらお -)1983年7月場所-1984年9月場所• 手島 広生(てじま -)1984年11月場所-1985年1月場所• 益荒雄 広生(ますらお -)1985年3月場所-1988年7月場所• 益荒雄 宏夫(- ひろお)1988年9月場所-1990年7月場所 年寄変遷 [ ]• 錣山 宏夫(しころやま ひろお) 1990年7月-1990年9月• 錣山 広生(- ひろお) 1990年9月-1992年9月• 阿武松 広生(おうのまつ -) 1992年9月-2019年9月• 音羽山 広生(おとわやま -) 2019年9月 脚注 [ ]• 時事ドットコム• WONDERLAND INTERVIEW• 『大相撲中継』2017年11月18日号 p65• 当時は年寄・11代阿武松としてに在籍していた。 日刊スポーツ 2018年2月3日• デイリースポーツ 2018. 29 株式会社デイリースポーツ、2018年4月4日閲覧• 2018年5月30日閲覧。 『相撲』2018年10月号 p. 日刊スポーツ 2019年5月22日20時56分(日刊スポーツ新聞社、2019年5月23日閲覧)• 日刊スポーツ 2019年5月22日20時26分(日刊スポーツ新聞社、2019年5月23日閲覧)• デイリースポーツ online 2019年5月25日. 2019年5月29日閲覧。 Infoseekニュース 2019年5月26日. 2019年5月29日閲覧。 Infoseekニュース 2019年5月25日. 2019年5月29日閲覧。 すもちゃん〜大相撲チャンネル〜 2019-05-26 , , 2019年5月31日閲覧。 nikkansports. com 2019年5月27日. 2019年5月29日閲覧。 zakzak 2019年5月28日. 2019年5月29日閲覧。 時事ドットコム 2019年5月29日. 2019年5月29日閲覧。 共同通信 2019年6月25日. 共同通信. 2019年6月25日閲覧。 2018年8月21日閲覧。 日刊スポーツ. 2018年9月6日. 2019年9月6日閲覧。 日刊スポーツ 2019年9月22日22時22分(2019年9月22日閲覧)• デイリースポーツ online 2019年9月23日. 2019年9月23日閲覧。 「」『日刊スポーツ』、2019年9月26日。 2019年9月26日閲覧。 現役引退後、所有のを借株で襲名し、2020年2月に音羽山へ名跡変更。 右膝外側半月板及び右膝側副靱帯損傷により12日目から途中休場• 右膝外側側副靱帯損傷により4日目から途中休場• 右膝外側側副靱帯損傷により5日目から途中休場、10日目から再出場、12日目から再度途中休場• 右膝外側側副靱帯損傷により2日目から途中休場• 右足親指第 2趾剥脱創のため全休 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - 日本相撲協会•
次のHYPER 高砂部屋 Last modified 2020,6,12 UP4. 27 UP3. 9 現在親方3名・力士23名・行司2名・呼出し2名・床山1名・若者頭1名・マネージャー2名 いらっしゃいませ、 番目のお客様。 ご意見・ご質問のメールは、こちらまでお送りください。 7000000番目のお客様はメールを下さい。 高砂部屋チャンコご招待&粗品を進呈致します。 件名(タイトル)がないとメールがとどきません。 必ず件名を入れて下さい。 今日の高砂部屋 令和2年6月12日 大関(関取すべて)が土俵に入るときには、箒が入る。 周りに出た砂を土俵内へ掃き入れ、土俵にこびりついた砂をはがすため小さな円を描くように箒を回し、最後に大きく半円形に均す。 本場所の土俵で箒を入れるのは呼び出しさんの仕事だが、稽古場では若い力士が竹ぼうきで行う。 竹ぼうきで行う分ムラができやすく、ある程度兄弟子になって回数をこなさないと、うまく均せない。 きれいに掃き清められた土俵へ、大関が塩をまいて入る。 稽古場にピンとした厳粛な空気が張りつめる。 令和2年6月11日 稽古は、番付が下の者から順番に行われていく。 初めに朝勝令が朝ノ島の胸を借りて何回もぶつかり突き放され転がされたあと、そのままぶつかり稽古で仕上げ。 次に、朝翔、朝東、朝童子、朝阪神、朝心誠による序二段申し合いとぶつかり稽古。 そして朝大門、朝鬼神、朝天舞による三段目申し合いとぶつかり稽古。 土俵の砂を均して寺沢、村田、朝興貴、朝玉勢による幕下申し合い。 幕下力士がある程度番数をこなしたところへ、大関登場。 大関が幕下相手に汗を流したあとぶつかり稽古で仕上げ。 ぶつかりが終わった後、四股と腕立て伏せで稽古終了となる。 令和2年6月10日 若松部屋と高砂部屋が合併してすぐの平成14年5月場所は、茨城県出身力士が8人もいた(34人中)。 その後減っていき、現在残っているのは大子町出身の大子錦のみ。 茨城県勢最後の砦大子錦は、入門25年目を迎える最長老42歳。 得意技は、土俵際で力を抜き、あきらめたと思わせておいたところを逆転する「死んだふり」(決まり手にはない俗称)だったが、大病を患い本当に死にそうになったので、得意技欄から削除した。 ちゃんこの腕前は右に出るものがいないが、残した伝説(相撲以外の秘話)も数知れない。 令和2年6月9日 CSフジテレビ『大相撲いぶし銀列伝』は、やくみつる司会のコアな相撲ファンに人気の番組。 2015年4月から放送され、6周年記念スペシャル!第31話は「朝潮篇」で本日夕方高砂部屋にて収録。 心に残るベスト10番を見ながら、やくみつるさんとはリモートでのやりとり。 その後、ゲストに大関朝乃山が登場して話に加わる展開。 放送は、6月18日(木)21:00〜22:00.再放送は6月21日(日)11:00〜12:00とのことです。 乞うご期待。 令和2年6月8日 本来ならば、昨日今日と茨城県下妻市大宝八幡宮合宿の予定であったが、今年は大宝の皆さまにお会いできず寂しい限り。 大宝八幡宮での合宿は、若松部屋時代の平成13年から始まったから今年で20年目。 初めは若松部屋・東関部屋との合同合宿で、合併後は高砂部屋単独、その後力士数が減った頃は錦戸部屋との合同、28年からは再び高砂部屋単独と、東日本大震災の年以外は続けられてきた。 昨年は朝乃山初優勝後の凱旋合宿。 今年は、新大関としての凱旋合宿となるはずだったのだが、来年まで持ち越しとなった。 令和2年6月7日 稽古休みの日曜日。 部屋のすぐ近くに大横川親水公園という公園があり、休日は家族連れでにぎわっている。 もともとは大横川という運河であった。 江戸時代低湿地だった本所一帯を縦横に開削した運河の一つで、すべて人の手による大土木工事であり、水はけを良くし、土地をかさ上げ、物資の運搬にも役立った。 その運河が埋め立てられ水の流れを木々の緑が囲む2km足らずの細長い公園になっている。 散歩していると、周りの人よりも明らかに背が高いお相撲さんを遠目に発見。 何となく見覚えのある後姿だと思い近づくと、一本下駄を履き1m90cm近くにになった朝天舞(実際は172cm)であった。 令和2年6月6日 現役力士を出身高校別に分けると、一大勢力となるのが大関貴景勝を筆頭とする埼玉栄高校。 関取以上に限っても10人いて、幕下以下も含めると33人にも上る。 次に多いのが、鳥取城北高校と明徳義塾高校。 明徳出身の現役力士は、琴奨菊や栃煌山、志摩ノ海等がいるが、一番先輩なのが朝乃土佐。 そして一番後輩が朝東。 朝東が生まれて半年後には初土俵を踏んでいて力士生活も21年目となる。 大相撲界も昔ほど上下関係が厳しくなくなってきたが、部屋でも本場所の支度部屋でもにらみを利かせられる貴重な存在。 令和2年6月5日 都道府県別で出身力士の一番多いのは東京都の51人(2年3月場所時点)、以下大阪37人、愛知35人とつづく。 その後は、兵庫、福岡、神奈川までが30人台、鹿児島、千葉、埼玉と20人台でつづく。 高砂部屋で一番多いのが愛知県の4人。 以下高知と兵庫が3人、大阪、三重、神奈川が2人。 最多を誇る愛知県の長男が朝心誠、次男が朝翔、三男コンビに朝勝令と朝大洞。 ここ4年ほどで一大勢力県となった。 長男朝心誠、稽古熱心で評判だったが、ケガもあって最近稽古場で影が薄い。 研究熱心で、四股を踏みながら仕切ってみたりするが、四股のときは四股に没頭する集中力がほしい。 令和2年6月4日 注射というと、何年か前の病院での出来事を思い出す。 15歳の新弟子の付き添いで病院に行ったときのこと。 診察室に入り、点滴することになり、廊下で待っていたのだが、1時間過ぎても出てこない。 「おかしいな?もう終わてもいいころだが・・・」と思っていると、看護師さんが出てきて、「注射を嫌がってまだできないんですよ」と困り果てた表情。 中に入り、「こらぁ!お前はお相撲さんなんだぞ!子供じゃなんだぞ!やってもらわんか!」と語気を荒げると、先生から「まだ子供ですから」とたしなめられた。 観念して終わったのは2時間後。 その新弟子君も大人になり、昨日は悲痛な表情ながらも抗うことなく腕を出していた。 令和2年6月3日 7月場所開催に向けて、抗体検査が実施される。 部屋住みでない裏方(行司、呼出し等)は自宅待機が続いているが、今日は裏方も全員集合で、久しぶりの家族との再会のような感じ。 稽古場の上がり座敷に長机とイスを並べ、はじめにスライドで、コロナや検査、研究、個人情報等についてのガイダンスを受け、血圧、体温測定のあと、採血してという流れ。 何人か採血がうまくいかず(血管が出てこず)、8か所も針を刺された可愛そうな力士もいたが、1時間半ほどで全員無事終了。 データが有効活用され、平常がもどってくることを願うばかり。 令和2年6月2日 稽古は四股で始まり、腕立て伏せや縄跳び、すり足等の基礎運動を1時間ほど行ってから、土俵の中の稽古に入る。 一番土俵に入るのは、新弟子の朝勝令。 当たって押す力をつけるため、朝ノ島の胸に何度もぶつかり、転がされる。 入門16年目の朝ノ島は、最近はもっぱら新弟子の胸出し担当。 胸を出すのも、しっかり当たらせることと同時に、突き放してやったり、巻いてやったり、リズムやテンポも大切になってくるから、自分の稽古にもなる。 30歳を過ぎたが、身長が低いこともあり、師匠からは未だに「ちびっ子」と呼ばれている。 令和2年6月1日 今日から6月。 雨で紫陽花がもりもり色づいてきた。 通常なら5月場所後の休みが終わり、名古屋場所へ向けての準備を始めるところ。 今週末には茨城県下妻市の大宝八幡宮での合宿が予定されていたが、今年は行けなくなってしまった。 朝乃山、今日から土俵の中に入っての稽古再開で、幕下相手に15,6番、大関としての初稽古。 久しぶりの実戦で、息の上りが早く、歯車がかみ合わないところもあったようだが、次の本場所へ向けてのスタートを切ることができた。 令和2年5月31日 四股は大地の邪気を祓い、邪悪なものを鎮めるという。 反閇(へんばい)からきているといい、さらにさかのぼると禹歩(うほ)からきているともいう。 力足を踏むともいう。 何れにせよ、本来足で地を踏む動作のことを指し、足を高く上げることではない。 踏むことで、大地を揺らし、自分の体を揺らす。 揺らすことで、邪気が祓われ、体が斉(ひと)しく均(なら)される。 脚の筋肉を鍛えるために踏むのではなく、体を斉しく均すために踏む。 双葉山の体は、斉しく均され、強く美しい。 無邪気な赤ん坊のようでさえある。 令和2年5月30日 土曜日の稽古は四股だけだが、四股は、ほんとうにむずかしい。 実際に踏むのはもちろんだが、四股の良さを実感すること、伝えることは尚更むずかしい。 スポーツ科学的な筋力や筋持久力という数字には表れにくいから効果が見えない。 しかし古来から踏み続けられ、双葉山も大鵬もその大切さを説いてきた。 効果が見えないから飽きやすく、その分、四股の踏み方に、相撲に対する取り組み方が出やすい。 3月場所が終わって2か月余り、次の場所まで2か月近く。 自粛疲れも相まって四股も中だるみ気味。 相撲の長い伝統を、先人の知恵を、双葉山・大鵬を、ひたすら信じて、踏み続けてほしい。 令和2年5月29日 一昔前のお相撲さんは、酒にまつわる話が多く実際酒豪も多かった。 ところが最近は、今どきの若者と変わらず酒飲みの力士もめっきり減り、力士のアスリート化といえる反面、お相撲さんらしさがなくなった寂しさもある。 そんな中、未だに昔のお相撲さん気質を残しているのが朝乃丈。 飲んでやらかしたこと数知れず、お相撲さんらしいお相撲さんといえる稀種な存在。 33歳にして上がった幕下から急降下中だが、そんなお相撲さん気質を愛する方々もいて、蔵前ビストロ「モンペリエ」のマスターを中心とした下町のおじさん連は、お店で幕下復帰祝をやろうと、その日を心待ちにしている。 幕下に復帰すると博多帯も締められる。 令和2年5月28日 りんご型、バナナ型、いちご型等、体型を果物に例えた性格判断もある。 典型的な洋ナシ体型なのが朝東。 下半身、とくにお尻が大きく、比べて上半身はそれほどでもない(胸は垂れ気味だが)。 洋ナシ体型は、まじめでがんこで芯が強い性格だそうで、確かにそういうところもある。 明徳の相撲部を卒業して3年目、1場所に1回くらい芯の強さを見せる稽古を行なうときがあり、それが週に2,3回出てくるようになれば三段目も近いのだが。 得意は二本差しての寄り。 2、3日前に足を痛め腕立て伏せを黙々とこなしている。 令和2年5月27日.
次のAdvertisement ・貴ノ花 今回は、大相撲九州場所で、貴乃花部屋の宿舎となる『 相撲茶屋 貴ノ花』を紹介しましょう。 角界のプリンスと呼ばれ、大相撲の歴史上屈指の人気を誇った名大関・貴ノ花関の四股名を屋号としている全国唯一のお店です。 さて、昨年の九州場所で相撲界に一波乱あった関係で、テレビでやたらと放送され、 お店の外観は一気に全国区になりました。 なんでも九州場所の千秋楽パーティーが行われた日には、約100人の報道陣が押し寄せたらしい……いやいやスゴイな。 きっと目印の「貴ノ花」と書かれた看板をテレビで見たという人も多いでしょう。 ・ランチメニューが豊富 それはさておき、相撲茶屋 貴ノ花といえば「ちゃんこ鍋」が有名なのですが、実はランチの種類も豊富です。 この日は店員さんにオススメされた「 生まぐろ鉄火丼(648円)」を注文してみました。 ちなみにメニューはこんな感じ。 そして待つこと数分、マジで最強のやつが運ばれてきました…… ご飯が見えないレベルでマグロが乗っています。 おいおいマジかよ 最高かよ。 思わず叫びそうになりました。 ご覧の通り、どの角度から見てもウマいと分かるビジュアルですが、いざ食べてみると…… はい予想通り、モチのロンで 最高です。 ボリュームがあってウマくて648円。 コスパも良いと断言できるでしょう。 また店内も広く、半個室状態のテーブル席も多いので、家族連れでも個人でも、かなりじっくりとランチタイムを過ごせるハズ。 ネタをください。 関連する記事• 2018. 16 ・伊田商店街にある食堂 伊田商店街の中にある『さのよい食堂』に行ってきました。 営業時間は10時~14 […][…]• 2018. 27 ・後藤寺商店街からスグ 田川後藤寺駅から徒歩約2分、走れば30秒もかからない場所に『そば屋 牧口』と […][…]• 2018. 02 ・谺うどん そういえばなんですけど、国道201号飯塚庄内田川バイパスの「筑豊烏尾トンネル」を含む3. […][…]• 2018. 21 ・本日の昼定食 子供の頃から「ステーキ」という響きが大好きです。 2018. 26 ・まるちゃん食堂 田川伊田駅から約800mの場所に『まるちゃん』という食堂があります。 「セブンイレブ […][…] コメント (4件)•
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