北海道 ドレス メーカー 学院。 ドレスメーカー学院

浅井洋子の部屋

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あなただけの「色」を見つけ、世界を彩ってください。 理事長 浅井洋子 色に原色があるように、ファッションにも「描く」「縫う」「見立てる」などの基本スキルがあります。 まずはそのすべてを一通り学びましょう。 それらを色のように掛け合わせていくことで、個性的なスキルを持ったあなたが立ち現れてくるのです。 こうした学びを効果的に進められるようにデザインされたのが、ドレメの「ファッション総合学科」。 1年次に幅広く基礎を学び、そこで発見したオンリーワンの自分を、2年次から磨いていくことができます。 これからは平均的な人材ではなく、ある能力に秀でた人材が求められる時代。 あなたのスペシャリティで、世界を明るく彩りましょう! 1939年 浅井淑子先生の情熱と理念により札幌市南1条西5丁目の自宅2階に「北海ドレスメーカー女学園」創立。 わずか5坪の教室に、生徒数は昼間部・夜間部合わせて20名。 教師は淑子先生ただひとり、22歳のささやかなスタートだった。 1940年 その情熱的な校風は共感を呼び、生徒数は増加。 授業内容と施設を整備し、北海道長官の認可を得て、校名を「北海ドレスメーカー女学院」と改称。 1941年 太平洋戦争勃発。 学院は時局の影響を受け「北海洋裁専門学院」に改称するが、激動の時代にあっても創立当時の理念は揺らぐことはなかった。 1945年 第二次世界大戦終戦。 ふたたび校名を「北海ドレスメーカー女学院」に。 1947年 記念すべき第1回ファッションショー開催。 時代を映すように、更生服が主体のショーだった。 1949年 創立10周年記念式典挙行。 1950年 札幌市南4条西16丁目に第1期校舎が完成。 1951年 私立学校法に基づき、北海道知事の認可を得て学校法人組織に改める。 理事長に浅井猛先生就任。 校名も「北海道ドレスメーカー女学院」と改める。 1957年 法人名称を学校法人浅井学園と改める。 1975年 プロフェッション科を新設。 高等師範科をデザイナー科と変更する。 今の校名である「北海道ドレスメーカー学院」に改称し、男女共学となる。 1976年 学校教育法の改正にともない、服飾専門課程の専門学校に昇格する。 1980年 創立者浅井淑子先生逝去(享年62歳)。 「北海道開発功労賞」および「正六位・勲五等宝冠章」を賜る。 教育理念を受け継ぎ、第2代院長に浅井洋子先生(29歳)が就任。 1989年 浅井学園創立50周年記念式典を挙行。 1991年 初代理事長浅井猛先生逝去(享年71歳)。 「正五位・勲三等瑞宝章」を賜る 1993年 学科を大幅に改編「オートクチュール科」「アパレル科」「コーディネーター科」「デザイナー専攻科」の3学科1専攻科制とする。 衛星通信設備を導入。 1994年 浅井洋子院長、パリでファッションショーを開催し、好評を博する。 1999年 創立60周年同窓会開催。 「森 英恵」トークショーを併催。 創立60周年記念展示会を開催。 2002年 大幅な改組転換に伴う学科再編成を行い「総合企画科」「生産技術科」「販売企画科」「装飾表現科」「服装技術科(夜間課程)」「時装専攻科(3コース)」の5学科1専攻科体制となる。 2005年 学科再編成を行う。 「デザイン科」「総合科(3コース)」「造形科」「専攻科(2コース)」「ソワレ科」の4学科1専攻科体制となる。 2008年 浅井洋子院長 学校法人北海道浅井学園第4代理事長に就任。 浅井洋子院長 「服飾教育功労章」受章。 4月より学科再編成の実施を決定。 「ファッションデザイン科」「ファッションテクニーク科」「ファッションプランニング科」「夜間科」「専攻科」の4学科1専攻科とする。 2009年 創立70周年記念式典を挙行。 創立70周年記念誌発行。 2011年 浅井洋子院長 北海道学校法人立専修学校協会理事に就任。 コレクション名が「北海道ドレスメーカー学院モード・コレクション」となる。 北海道職業能力開発協会より、「技能検定実施功労団体」の表彰を賜る。 2013年 本学院の校舎を北方圏学術情報センターポルトへ移転。 2014年 創立75周年記念イベントを開催。 アラモードコレクション並びに、モードコレクション時にトークショーを併催。 創立75周年記念歴史DVD制作。 2015年 改組転換に伴う学科再編成を行い「ファッション総合学科(2年次より3コース)」「夜間科」「専攻科(4コース)」の2学科1専攻科体制となる。 2016年 浅井洋子院長 北海道私立専修学校各種学校連合会常任理事に就任。 2018年 文部化学大臣認定 職業実践専門課程「ファッション総合学科」が認定される。 2019年 学校法人北海道浅井学園へ設置者の変更を行う。 学校法人浅井学園は学校法人北翔大学へ、学校法人北海道浅井学園は学校法人浅井学園へ法人名の変更を行う。 第3代院長に浅井学が就任。

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専門学校北海道ドレスメーカー学院

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この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2014年12月) 公式ホームページ「建学の精神・沿革」 および『平成26年度 自己点検評価報告書』 を参照。 (14年)9月 - 北海ドレスメーカー女学園創立(北海道札幌市南1条西5丁目1番地)。 本科、夜間科を開設• (昭和15年)6月 - 北海ドレスメーカー女学院に改称• (昭和16年)2月 - 北海洋裁専門女学院に改称• (昭和20年)4月 - 北海ドレスメーカー女学院に改称• (昭和24年)4月 - 北海ドレスメーカー旭川分院設立• (昭和25年)4月 - 新校舎を建設(北海道札幌市南4条西16条2番5号)• (昭和26年)6月 - 学校法人化。 準学校法人北海道ドレスメーカー女学院設立。 校名も北海道ドレスメーカー女学院に改称。 初代理事長に浅井猛• (昭和29年)4月 - 高等師範科を新設• (昭和30年)12月 - 東校舎を建設(校地を北海道札幌市南4条西16丁目(現:中央区南4条西16丁目2-5。 東隣)に移転)• (昭和32年)1月 - 法人名を準学校法人浅井学園に改称。 浅井学園クッキングカレッジ開校• (昭和38年)4月 - 法人を学校法人浅井学園に改組。 西校舎建設• (昭和46年)4月 - 北海道ドレスメーカー女学院に服飾専攻科を設置• (昭和50年)• 4月 - 北海道ドレスメーカー女学院にプロフェッション科を設置。 高等師範科をデザイナー科に改称• 8月 - 北海道ドレスメーカー学院に改称• (昭和51年)4月 - 学校法人浅井学園北海道ドレスメーカー学院、北海道ドレスメーカー学院旭川分院を専門学校専門課程に昇格改組• (昭和55年)• 2月 - 第2代院長に浅井洋子が就任• 4月 - 北海道ドレスメーカー学院にコーディネーター科を設置。 デザイナー科にオートクチュール、アパレル産業、コーディネーターの各コースを設置• (2年)11月 - 学校法人浅井学園第2代理事長に浅井幹夫が就任• (平成4年)3月 - 北海道ドレスメーカー学院旭川分院を閉校• (平成5年)4月 - 北海道ドレスメーカー学院の各科、専攻科をオートクチュール科、アパレル科、コーディネーター科、デザイナー専攻科に改組• (平成13年)4月 - 北海道ドレスメーカー学院にファッション専攻科スタイリングコースを設置• (平成14年)4月 - 北海道ドレスメーカー学院の各科、専攻科を総合企画科、生産技術科、販売企画科、装飾表現科、服装技術科(夜間課程)、時装専攻科に改組• (平成16年)4月 - 北海道ドレスメーカー学院の時装専攻科をオートクチュール、デザイナー、スタイリングの各コースに改組• (平成17年)4月 - 北海道ドレスメーカー学院に造形科(ファッショングッズ、ペットグッズの各コース)を設置。 総合企画科をデザイン科に、服装技術科をソワレ科に、生産技術科、販売企画科、装飾表現科を総合科(製作技術、販売企画、装飾表現の各コース)に改組• (平成18年)2月 - 学校法人浅井学園第3代理事長に鈴木弘泰就任• (平成19年)4月 - 北海道ドレスメーカー学院の時装専攻科を専攻科に改称。 デザインコース、スタイリストコースをマーチャンダイジングコースに改組• (平成21年)4月 - 北海道ドレスメーカー学院のデザイン科をファッションデザイン科に、総合科の製作技術コースをファッションテクニーク科に、総合科の販売企画コース、装飾表現コースをファッションプランニング科に、ソワレ科を夜間科に改組• (平成23年)3月 - 学校法人浅井学園第4代理事長に鎌田昌市就任。 北海道ドレスメーカー学院の専攻科マーチャンダイジングコースをディレクションコースに改称• (平成25年)1月 - 北海道ドレスメーカー学院の校舎を北方圏学術情報センターPORTO内(北海道札幌市中央区南1条西22丁目1番1号)へ移転• (平成27年)4月 - 北海道ドレスメーカー学院のファッションデザイン科、ファッションテクニーク科、ファッションプランニング科をファッション総合学科に改組。 夜間科を1年制課程から2年制課程に変更 設置学科 [編集 ].

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建学の精神・沿革

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この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2014年12月) 公式ホームページ「建学の精神・沿革」 および『平成26年度 自己点検評価報告書』 を参照。 (14年)9月 - 北海ドレスメーカー女学園創立(北海道札幌市南1条西5丁目1番地)。 本科、夜間科を開設• (昭和15年)6月 - 北海ドレスメーカー女学院に改称• (昭和16年)2月 - 北海洋裁専門女学院に改称• (昭和20年)4月 - 北海ドレスメーカー女学院に改称• (昭和24年)4月 - 北海ドレスメーカー旭川分院設立• (昭和25年)4月 - 新校舎を建設(北海道札幌市南4条西16条2番5号)• (昭和26年)6月 - 学校法人化。 準学校法人北海道ドレスメーカー女学院設立。 校名も北海道ドレスメーカー女学院に改称。 初代理事長に浅井猛• (昭和29年)4月 - 高等師範科を新設• (昭和30年)12月 - 東校舎を建設(校地を北海道札幌市南4条西16丁目(現:中央区南4条西16丁目2-5。 東隣)に移転)• (昭和32年)1月 - 法人名を準学校法人浅井学園に改称。 浅井学園クッキングカレッジ開校• (昭和38年)4月 - 法人を学校法人浅井学園に改組。 西校舎建設• (昭和46年)4月 - 北海道ドレスメーカー女学院に服飾専攻科を設置• (昭和50年)• 4月 - 北海道ドレスメーカー女学院にプロフェッション科を設置。 高等師範科をデザイナー科に改称• 8月 - 北海道ドレスメーカー学院に改称• (昭和51年)4月 - 学校法人浅井学園北海道ドレスメーカー学院、北海道ドレスメーカー学院旭川分院を専門学校専門課程に昇格改組• (昭和55年)• 2月 - 第2代院長に浅井洋子が就任• 4月 - 北海道ドレスメーカー学院にコーディネーター科を設置。 デザイナー科にオートクチュール、アパレル産業、コーディネーターの各コースを設置• (2年)11月 - 学校法人浅井学園第2代理事長に浅井幹夫が就任• (平成4年)3月 - 北海道ドレスメーカー学院旭川分院を閉校• (平成5年)4月 - 北海道ドレスメーカー学院の各科、専攻科をオートクチュール科、アパレル科、コーディネーター科、デザイナー専攻科に改組• (平成13年)4月 - 北海道ドレスメーカー学院にファッション専攻科スタイリングコースを設置• (平成14年)4月 - 北海道ドレスメーカー学院の各科、専攻科を総合企画科、生産技術科、販売企画科、装飾表現科、服装技術科(夜間課程)、時装専攻科に改組• (平成16年)4月 - 北海道ドレスメーカー学院の時装専攻科をオートクチュール、デザイナー、スタイリングの各コースに改組• (平成17年)4月 - 北海道ドレスメーカー学院に造形科(ファッショングッズ、ペットグッズの各コース)を設置。 総合企画科をデザイン科に、服装技術科をソワレ科に、生産技術科、販売企画科、装飾表現科を総合科(製作技術、販売企画、装飾表現の各コース)に改組• (平成18年)2月 - 学校法人浅井学園第3代理事長に鈴木弘泰就任• (平成19年)4月 - 北海道ドレスメーカー学院の時装専攻科を専攻科に改称。 デザインコース、スタイリストコースをマーチャンダイジングコースに改組• (平成21年)4月 - 北海道ドレスメーカー学院のデザイン科をファッションデザイン科に、総合科の製作技術コースをファッションテクニーク科に、総合科の販売企画コース、装飾表現コースをファッションプランニング科に、ソワレ科を夜間科に改組• (平成23年)3月 - 学校法人浅井学園第4代理事長に鎌田昌市就任。 北海道ドレスメーカー学院の専攻科マーチャンダイジングコースをディレクションコースに改称• (平成25年)1月 - 北海道ドレスメーカー学院の校舎を北方圏学術情報センターPORTO内(北海道札幌市中央区南1条西22丁目1番1号)へ移転• (平成27年)4月 - 北海道ドレスメーカー学院のファッションデザイン科、ファッションテクニーク科、ファッションプランニング科をファッション総合学科に改組。 夜間科を1年制課程から2年制課程に変更 設置学科 [編集 ].

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