グアム 無 差別 殺傷 事件 動機。 野原遥、グアム事件の真相とは?支えになったのは元カレ?【バチェラー3】

グアム無差別殺傷事件の動機を容疑者からの供述で得ようとすることの愚・・・。: 大空

グアム 無 差別 殺傷 事件 動機

「日本に一番近く、一番早く陽が昇るアメリカ」はどこか、ご存知であろうか?その答えはアメリカ合衆国の準州、 グアムである。 尤もサイパンの方が少し近いが、 北マリアナ連邦に属する米国の自治領で、ステイタス的にグアムとは若干異なる。 太平洋に浮かぶ平和なトロピカル・アイランドは、成田から飛べばわずか3時間半で着く。 グアムまでの距離はおよそ2500kmと我が国から比較的近く、時差も1時間(日本より1時間早い)とほとんど無いため、観光客は日本人が圧倒的に多い。 因みに、2012年にグアムを訪れた観光客は約130万人だが、その7割りは我が同胞だ。 最近は世界各地で、しかも思いも寄らぬ所で残忍な事件が続き、不確実性時代の到来を懸念する。 一昨日(2月12日)は一見平和そうな米軍基地とリゾートの島グアムで無差別殺傷事件が起き、我が邦人3人が死亡した。 81歳の老母と28歳と若いママのお孫さんの家族、そして51歳の働き盛りで旅行好きの男性たちである。 中でも一層哀れを誘うのは、若ママが8ヵ月の女の赤ちゃんをかばって息絶えたことであろう。 また、老母はひ孫にあたる乳児の写真を肌身離さず持ち歩き、成長する姿を知人に見せていたとか。 一番上は高校生になるが、5人の孫を持つ身として万感迫るものを感じてやるせない。 事件現場は筆者も熟知するので驚いた。 グアム島のほぼ中央部、北海岸沿いにある タモン地区で、元々治安の良いところである。 美しいビーチ、高級・大型ホテル、ショッピング街やレストランなどが集まる島の中心地で、活気があり楽しくなるエリアだ。 (グアム全島図) (Weekly Guam Shinbun 2006年7月21日号より転用・加工) 一方、事件後直ぐに逮捕された容疑者チャド・ライアン・デソト(21歳)は、暴走した車で通行人をはね、さらに食料雑貨チェーン「ABCストア」に突っ込んだ上に店内の観光客など次々と刃物で刺した由。 このストアも何度も買い物をしているので懐かしいと同時に、馴染みの店だけに恐ろしくもなる。 現時点では犯行の動機などは不明だが、顔写真などからフィリピン系アメリカ人であるのは確かなようだ。 因みに、グアムの人種構成は先住民のチャモロ人 ルーツはインドネシアやマレーシア系など)が半数を占め、フィリピン系の25%が続き、残りはその他のアジア系が占める。 意外に多いのがフィリピン系で、地図を広げて見ると、首都マニラのちょうど東2300kmほどに位置するのがグアムである。 山がちな狭い国土に人口が多い上に、貧しいこともあり、フィリピン人は世界各地へ出稼ぎのため渡航する出稼ぎ大国として知られる。 特に目立つのが近場の太平洋の島々で、グアムにフィリピン系が多いのも成るほどと肯ける。 世界の隅々まで旅した私こと は、グアムは4回も訪れている。 また、島内観光のほかに、グアムをベースにして太平洋に浮かぶ島々を巡るアイランド・ホッピングを楽しんだ。 グアムを中心にした周遊の模様などを紹介する。 妻などと一緒に出かけたが、何故か妻が女友達と一緒に回りたいと言い出したので、 ほとんど単独で回るハプニングがあった。 しかし、写真嫌いな妻と違い、写真が大好きでもあり、自分の好きな所が観光でき思う存分写真撮影出来た。 それなりにエンジョイできたメリットもあり、狭い島内にも拘らず米軍基地を除く各地を回った。 美しいタモンベイ・ビーチ サンセット・クルーズ 見晴らしの良いセッティ湾 に参加の筆者 展望台より太平洋をを望む グアムの概要を紹介しよう。 太平洋にあるマリアナ諸島の南端にある島で、1898年の米西戦争後に米国の領土になった。 700万年前の火山爆発で誕生した島はリーフという珊瑚礁に囲まれ、エメラルドグリーンの美しい浅瀬の海・ラグーンが島を縁取る。 面積は549k㎡と淡路島より少し小さく、南北約48km、幅は約14〜20kmと細長いが、中央部が少し狭く括れている。 人口は約16万人。 島の北部は断崖が続く壮大な景観が広がり、広大な米軍のアンダーソン空軍基地がある。 島の中央部はジャングルに覆われた400m前後の山々が連なり、南部では小さな湾が多く海岸線が風光明媚である。 年間平均気温は27度の常夏で、グアムの島花は筆者が大好きなブーゲンビリアだ。 年間平均雨量は290mmと意外に少なく、雨季は4月〜9月、乾季は10月〜3月。 沖合いで白い波頭を立てるリーフ、宝石がキラキラと輝くようなエメラルドグリーンのラグーン、広い白砂のタモンビーチから眺めるロマンチックな悲恋物語で知られる恋人岬、スペイン統治時代の面影を今も残す首都ハガニアの歴史地区、うっそうたる熱帯雨林のジャングルに溶け込むように佇む滝、太平洋戦争の傷跡が残る元日本兵が隠れていた洞窟、先住民チャモロの料理などに舌鼓を打ったグルメ、サンセット・クルーズや潜水艦ツアーのアクティビティ、マカオ以来久し振りに賭け負けたドッグレースなど、狭いながらも多岐にわたり楽しめる南の島の旅を満喫した。 2度目の訪問は1999年6月の個人旅行であった。 グアムをベースにしてミクロネシア連邦のポンペイ島とチューク諸島、世界のダイバー憧れの聖地パラオの島巡りをした後、グアムでは南端の沖合いに浮かぶココス島などを訪れた。 ポンペイ島では謎のムー大陸の遺跡が残ると言われる海上都市遺跡ナン・マドールの不可解な大遺跡、チューク諸島の巨大なラグーンの海底に眠る第二次世界大戦時の沈船などを巡るユニークな海底戦跡ツアー、パラオでは日本の松島を上回るスケールのロック・アイランズのマッシュルーム型の小島群と初体験のスキューバダイビング、グアムでは透明度の高いラグーンに囲まれたココス島などが印象的であった。 3度目も個人旅行で、2002年10月〜11月に出かけた。 今度はグアムのほかに、世界一早い朝を迎えるキリバスや国民の約半分がインド系住民のフィジーをベースにし、石貨の島ヤップ、「太平洋の真珠の首飾り」と呼ばれるマーシャル諸島、、国の資源(リン鉱石)が底を尽いたナウル、地球温暖化で国土がなくなりつつあるツバルを訪ねるアイランド・ホッピングを堪能した。 この旅の模様はブログ「 」で紹介済みだ。 伝統的な生活習慣が残るヤップは直径が3mもあろうか巨大なストーンマネーや迫力あるヤップ・ダンス、マーシャル諸島では数多くの小島が真珠のように連なるマジュロ環礁、フィジーでは映画「青い珊瑚礁」のロケ地にもなったヤサワ諸島、ツバルではフナフティ・ラグーンに点在する美しい島々、ナウルでは奇岩のように林立するサンゴの柱群、キリバスではタラワ環礁の太平洋戦争の戦跡、そしてアメリカ本土の9・11同時多発テロ以降観光客が激減して不景気だったグアムなどが印象に残った。 チューク:サラト水道 パラオ:カープ・アイランズ ヤップ: ガギールトミ の 無人島ビーチで でスキューバ・ダイビング ール島の大石貨を背にし 最後にグアム島を旅行したのは2006年7月。 4回目の訪問は過去3度の旅より想い出深いものとなった。 と言うのは、妻や次男の嫁のほかに、2人の愛すべき孫たち(10歳になる元気な男児と愛嬌のある5歳の女児)を引率したからである。 嫁と孫のファミリーが楽しみにしていたマリーンスポーツとショッピングを念頭に、盛りたくさんなツアープログラムを組んだ。 マリーンスポーツではタモンビーチやココス島、ショッピングでは代表的な大型免税店やショッピングモールなどを訪れた。 ほかに孫たちの社会勉強のためにと思い、スペイン統治時代の面影を今も残す首都ハガニアの歴史地区巡りや、久し振りにレンタカーで嫁と一緒にグアム島内のほぼ3分の2を回るドライブをエンジョイした。 また、折角の機会と思い、かなりの出費を奮発して「フルーツ・アイランド」と呼ばれる北マリアナ連邦のロタ島へ飛行機で日帰り旅行もした。 街を歩くと実弾射撃場の看板が目立ち米軍基地色が強い反面、溢れんばかりの自然も残るグアム島では、何回訪れても変わらぬ美しさを見せる白砂のタモンビーチから眺める恋人岬、その岬やアプガン砦からの素晴らしいパノラマ、濃淡のあるブルーが美しいラグーンで孫たちとマリーンスポーツなどを堪能したココス島、うっそうたる熱帯雨林のジャングルに溶け込むように佇む滝、世界有数の透明度の高い海に囲まれ手つかずの大自然が残るロタ島、両島の先住民チャモロの料理や各国料理に舌鼓を打ったグルメなど、想い出満載の孫たちとの旅は終生忘れ難い。 また、素朴さとノンビリとした風情が変らないロタ島に比べ、初回訪問から14年経ったグアム島は、種々大きな変貌が見られた。 例えば、観光客は以前は韓国人が多かったが、今は日本人が圧倒的に多い。 人種構成では依然として先住民のチャモロ人が最大だが、フィリピン人が約4分の1を占めどこでも目立つ。 旧日本兵が終戦を知らずにグアム島の密林で28年間過ごした横井ケーブも、今やメインの観光コースから外れ移り行く時の流れを実感した。 グアム:恋人岬の展望台 グアム:ココス島で孫達と ロタ島:日本三景松島 からタモンビーチを望む シュノーケリングを楽しむ に少し似たロタ松島 過日のアルジェリア人質事件、今回のグアム通り魔殺傷事件ともに最多の犠牲者・被害者は日本人である。 単なる偶然とも思えぬものがありそうな気がしてならない。 このような事件続発が気になり過ぎ、日本人が海外に目を向けなくなるようでは困りる。 特に、若い世代の内向き志向に一層拍車がかかることを極めて憂慮する。 日本の真の国際化推進のために、これからを背負う若人が外向き志向を持ち、どんどん海外雄飛のためにチャレンジして頂きたい。 三流或いは五流とも揶揄され、ひょっとすれば諸外国から内心馬鹿にされているかも知れない日本外交。 その立て直しのためにも、是非とも次代の皆さんにお願いしたい。 筆者のような後期高齢者の用済みの老兵ですら、性懲りも無く今も現役の として頑張っているのだからーーー。 ご希望があれば、ご連絡下さい。 慈善活動のため、謝礼は不要です。 但し、ご希望の趣旨が筆者の理念などに反する場合は、お断りすることもあり、予めお含み置き下さい。 ご興味ある方はご遠慮なく、お気軽にご来館下さい。 慈善活動につき、入館料は無料です。 但し、セキュリティなどのため、下記要領で必ず予約をお願いします。 All Rights Reserved• It's Sho-Time!

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グアム無差別殺傷事件、邦人男性も死亡 日本人犠牲者3人に 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

グアム 無 差別 殺傷 事件 動機

『6年前の家族旅行である事件に巻き込まれてしまって…。 』 『怪我もすごくて今も傷がちょっと残っている。 』 『家族も巻き込まれてしまって、叔父が帰らぬ人に。 』 『グアムから日本の病院に運ばれても起き上がれない状態だった。 』 ショッキングな内容とともに、日本の病院に転院した当時の写真を見せてくれました。 野原遥さんが巻き込まれた事件というのは、2013年2月12日に グアム島の繁華街モタン地区で起こった 通り魔事件。 現地在住の男が路上に居た6人を車ではね、コンビニエンスストアに車で突っ込みます。 更にその後、近くに居たツアーで訪れていた日本人観光客ら8名に次々と刃物で斬りつける行為にでた、 非常に痛ましい事件でした。 負傷者は11名。 その中には、ベビーカーに乗っていた生後8ヶ月の乳児や3歳児まで。 子どもたちは顔を負傷したものの命に別状はありませんでしたが、夫とともに2人の娘を守ろうとした28歳の女性とその母親が帰らぬ人となってしまいます。 その後、負傷して入院していた 野原遥さんの 叔父も帰らぬ人に…。 この事件の犠牲者は3名に。 グアムの通り魔無差別事件。 今日の朝のニュース見てたら、泣けた。 ほんとに最悪な事件。 悲しい。。 — カロリ a8pan10 グアム無差別事件、3歳の子供を抱いた母親を刺すって理解できない。 目の前で突然ママを奪われたこの子たちのことを思うと涙止まらない。 ぜったい許せない。 — ミユキ CoMiyuki ニュースでグアムの無差別事件の真っ只中の動画が流れてた。 亡くなった人の名前を泣きながら叫んで「頑張れ」って励ましてる声がはっきりと聞こえた。 それが耳から離れない…。 何でこんな事件が起きるのだろう?知り合いとかではないけど胸が苦しくなって涙が出た。 ご冥福を申し上げます。 — つる asamin619 この時の負傷者の一人が、今回バチェラーに参加している野原遥さんだったんです。 病院を退院してからも後遺症のため、 リハビリは 4ヶ月もの長期に渡るものでした。 『今後わたし野原遥が、どうやってアプローチしていくか作戦を練り直そうかなって思ってます。 』 そう!これは、バチェラーなんです。 自分が選ばれないと意味がないんです! グアムの事件は『家族』に軸を置いてバチェラー友永真也さんに話していましたが、こんな厳しい意見もありました。 グアム事件の件は、正直だしに使ったでしょ、としか思えなくて。。 ここではなすことかな。 — ゆかり yukaritennis もちろん、事件の件については 家族も支えになってくれたことでしょう。 それに結婚を本気で考えている相手なら、当然伝えておくべき内容だと思います。 でもね…。 ご実家は農業を営まれていていて、野原遥さんも つなぎの作業着でお手伝いすることもあるんですって。 広報のお仕事に従事しています。 今回、野原遥さんがバチェラー友永真也さんに告白したグアムでの事件。 まさか事件の被害者だとは思いませんでした。 でも辛い体験を乗り越えた人って、人間として強くなることが出来るんですね。 最近は、強い女だけでなく可愛さも見せてくれるようになった野原遥さん。

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グアム無差別殺傷事件、邦人男性も死亡 日本人犠牲者3人に 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

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【仰天ニュース】グアム無差別事件とは? グアム無差別事件が起きたのは2013年の2月12日夜10時頃。 場所はグアム島の繁華街タモン地区。 1人の男が運転する車が暴走してABCストアに突っ込みます。 さらに犯人となるその男はナイフで次々に人を切りつけていったのです。 観光で訪れていたり、友人の結婚式で呼ばれてグアムを訪れていた日本人のうち3人もの人が命を奪われてしましました。 さらにその他10人もの負傷者がでたという大変残酷な事件であり、観光地での犯行のため後に被害者は1人以外全員日本人ということが判明します。 楽しいはずの観光や結婚式がとんでもない大惨事となってしまいましい、被害者はもちろん、結婚式に呼んだ人も浮かばれないとても心の痛む事件でした。 【仰天ニュース】グアム無差別事件の犯人チャドデソトの現在とその後 仰天ニュースでも取り上げられたグアム無差別事件の犯人の名前はデソトといいう人物。 事件当時チャドデソトは彼女と別れて自暴自棄になっていたために犯行した、という大変身勝手な理由によって、日本人が被害者となってしまいました。 その後の供述で 「できる限り多くの人を被害に合わせたかった」ということを言っているようです。 その後逮捕されたグアム無差別事件の犯人チャドデソトですが、終身刑を言い渡されていますので、現在も刑務所にいるようです。 グアムには極刑が無いようですので、犯人のチャドデソトには一番重い刑が与えられたということになります。 スポンサーリンク 【仰天ニュース】グアム無差別事件の被害者・野原遥の現在その後 そんなグアム無差別事件ですが、被害者の中に仰天ニュースで取り上げられている女性 「野原遥さん」がいます。 1月7日 火 よる7時「新春4時間SP」。 2013年2月、日本人観光客3人が命を奪われた「グアム無差別殺傷事件」。 1人の男が車で歩道を爆走、ナイフで次々と襲いかかった。 肉親を亡くし、死の淵をさまよった野原遥さん。 想像を絶する苦しみと事件の真実に迫ります。 残念ながら被害者の中には野原遥さんのおじさんがおられて亡くなられているようです。 そんな野原遥さんですが、グアム無差別事件のその後 ミスユニバースジャパン和歌山大会でグランプリを受賞されています! 美しい人だと思っていたら、とんでもない経歴をお持ちでしたね。 本日は仰天ニュースで取り上げられましたグアム無差別事件について見ていきました。 日本人が犯人の勝手な行動でたくさん犠牲となった悲しい事件ですが、本当に被害者の方の事を思うと心がいたくなります。 かといって心の傷は消えるものではないですし、犠牲になった人が戻ってくることもありません。 このような事件は二度と起きないで欲しいですね。 最後まで読んでいただいてありがとうございました。 それではまた次回お会いしましょう.

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