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蒼き狼と白き牝鹿4 steam

モンゴル文化圏 有能な国王と優秀なモンゴル騎兵を擁するからか比較的初心者向けの国家が多い。 13世紀にモンゴル高原を統一したチンギス=ハーンは金朝攻略や大西征で勢力を拡大。 第4代ハーン・モンケの没時の版図は東は華北・朝鮮、西はルーシ・シリアに及んだ。 ジャダラン族はモンゴル王家の庶流との伝承がある。 12世紀中期に一旦衰退。 ジャムカの代にて強大になり反チンギス勢力の旗頭となったがケレイト・モンゴルの連合軍に敗れた。 12世紀中期のモンゴル高原における最大勢力の1つ。 キリスト教を信仰していたのでヨーロッパのプレスタージョン伝説と結び付けられた。 1203年、モンゴルに破れ吸収される。 モンゴル第5代ハーン・フビライは1271年に国号を「大元」とした。 チャガタイ・オゴタイ家の反抗で中央アジアを失うも南宋を滅ぼし中国を統一、海上交易のネットワークを確立した。 西アジア遠征中のフラグが、モンケの死後に自らの征服地に拠って建国した。 元朝と良好な関係を保つ一方でシリアをめぐりマムルーク朝と激戦を繰り広げた。 ヨーロッパ遠征で大功を立てたバトゥがキプチャク平原・ルーシ地方を支配下に収めて建国。 イル=ハン国との対立を機にモンゴル宗家から自立する。 14世紀末にティムールに敗れる。 チンギス=ハーンの次男・チャガタイがトルキスタンを所領したのが起源。 度々モンゴル宗家から家督相続の介入を受け一時はハイドゥに支配される。 14世紀中期に東西に分裂した。 オゴタイの孫・ハイドゥはモンケ没後の混乱を突いて自立。 フビライに対抗しつつ中央アジアに勢力圏を確立した。 ハイドゥ没後にチャガタイ家のドゥアに滅ぼされた。 イル=ハン国末期の混乱を制した同国の部将が興したイスラム王朝。 第2代のウワイスはイラク・イラン西部を支配した。 後にティムールの侵攻に敗退し、黒羊朝に滅ぼされる。 中央アジアを制圧したティムールが1369年に建国、15世紀初頭までに西アジア・インド・キプチャク=ハン国に遠征して連戦連勝するも、彼の死後その帝国は分裂した。 日本・東アジア文化圏 日本でプレイする場合は大陸からの攻撃に備えた大宰府の防衛強化が欠かせない。 中国系は文化レベルの高い都市が多いので初心者向けといえる。 12世紀末に源頼朝が興した最初の武家政権。 頼朝没後は有力御家人の連合政権を経て彼らの政争を制した北条氏が独裁。 モンゴルには終始武断的態度で接し、元寇を撃退。 奥州藤原氏は11世紀末からほぼ100年に亘って東北地方を支配、3代秀衡の時代に最盛期を迎えた。 莫大な金の産出を背景に独自の平泉文化が確立される。 足利尊氏が創始した武家政権。 守護大名による連合政権の性格が強く政権は不安定、絶え間ない紛争に苦しんだ。 3代将軍義満の時代は比較的安定し、北山文化が興った。 12世紀末に武臣のクーデターが相次ぎ弱体化。 その後50年に及ぶモンゴルの攻撃により臣従、日本遠征に協力させられた。 元が衰えると自立するも親元派と親明派が対立する。 11世紀中期に女真族が建国、宋から華北を奪うも中国文化の影響で尚武の気風を失い、13世紀には新興のモンゴル軍に連戦連敗して領土を削られた。 1234年に滅亡。 11世紀前半にタングート族が建国。 仏教を保護し、シルクロードの中継貿易で繁栄する。 13世紀にチンギス=ハーンの数度にわたる攻撃で滅亡した。 靖康の難により南遷した宋王朝の呼称。 江南開発が進み経済・文化の充実は北宋以上のものがあったが、権力闘争が絶えず対外情勢にも疎かったことが亡国の一因となった。 1368年に朱元璋が建国した漢人王朝。 皇帝による強力な独裁政治が敷かれた。 第3代永楽帝の時代に積極的な対外進出が行われ最盛期を迎えるもその後は北虜南倭に苦しんだ。 本来は7世紀初期に成立したチベットの統一王国の事だが、9世紀中期に分裂、宋・元の時代にはチベット地方を指す中国側からの地理的名称にすぎなかった。 11世紀初頭に成立したベトナム最初の長期統一政権で、初めて国号を「大越」と定め現在のベトナム国家の基礎を固めた。 12世紀末には内紛が相次ぎ外戚の陳氏に滅ぼされた。 李朝の外戚・陳守度がその甥に王位を継承させて成立。 度重なるモンゴルの攻撃をゲリラ戦で撃退。 李朝滅亡の原因を考慮してか近親婚が多く、王朝前期は上皇制度を採用した。 東南・南アジア文化圏 象兵を編成可能なのがこの地域の特徴。 敵との距離が離れているためじっくり内政を行える国が多い。 ネックは台風対策か? 9世紀初頭にクメール人がカンボジア南部に建国。 首都アンコールの拡張と共に発展、13世紀初期にジャヤバルマン7世の治世下で仏教文化が栄え全盛期を迎えた。 11世紀中期に成立したミャンマー最初の統一王朝。 小乗仏教が栄え寺院建設が積極的に行われた事から「建寺王朝」と呼ばれる。 13世紀後半にモンゴル軍の攻撃を受けて屈服。 1350年に成立したタイの王朝。 15世紀にアンコール朝を滅ぼし、その後はビルマと交戦する。 17世紀にはヨーロッパ・中国・日本とも外交・通商関係があった。 13世紀初頭にアイバクがデリーで自立して以来、ここを拠点とした5つのイスラム王朝の総称。 ハルジー朝は一時期ほぼインド全土を制圧した。 14世紀末にティムールの攻撃を受ける。 インド北部ではラージプート族のヒンドゥー国家が割拠していたが13世紀初期までにイスラム教徒に征服された。 ヒンドゥー教徒は南インドに拠って対立する。 イスラム文化圏 中世の先進地域だけあって文化レベルの高い国が多い。 勢力拡張においては使い勝手のいい兵科が少ないのがネックだが人材の質でカバーしよう。 金に滅ぼされた遼王朝の皇族がトルキスタンに拠って建国。 第3代のチルクの代にナイマン族のクチュルクに簒奪された。 クチュルクもまた宗教政策の失敗から自滅する… ヘラート南東部の遊牧民が興したイスラム王朝。 12世紀後半にギヤース・ゴーリー兄弟の下でガズニ朝を滅ぼしホラーサーン・北西インドに勢力を拡大するもゴーリー没後に分裂。 11世紀に興った中央アジアのトルコ族王朝。 12世紀末〜13世紀初期に大セルジューク朝・ゴール朝を滅ぼし西遼を撃破、最大領土に達するが新興勢力・モンゴルの前に粉砕された。 ウマイヤ朝を継いだイスラム地域の統一王朝も9世紀後半から分裂が進み、12世紀には宗教的権威を保つのみであった。 13世紀中期にフラグ率いるモンゴル軍により完全に滅亡。 12世紀後半にサラディンが建国。 エジプト・シリアを支配しエルサレムを奪回、度重なる十字軍の攻撃を撃退した。 王族間の抗争で弱体化した末マムルークの簒奪を許すこととなる。 シャジャル=アッドゥツルが配下の奴隷軍人(マムルーク)に推戴されたのが始まり。 十字軍との抗争に勝利しエジプトを中心に繁栄。 スルタンの地位は殆どが実力本位で決まった。 12世紀前半にイブン=トゥマールトを信奉するベルベル族が建国した。 別名アルモハード帝国。 モロッコを本拠とし最大版図はエジプト国境・イベリア南部に及んだ。 13世紀前半にチュニスの代官がムワッヒド朝から自立して成立。 第2代ムンタシルの時代に全盛期を迎え、オスマン帝国に滅ぼされるまでアルジェに君臨した。 半遊牧民のベルベル族が建設したイスラム王朝。 13世紀後半にムワッヒド朝を滅ぼしモロッコを制圧、一時はカスチラ王国の内乱にも介入した。 13世紀末に小アジアで興ったトルコ族の帝国。 常備軍イェニチェリを駆使してバルカンに進出、ティムールには敗れたがビザンツ帝国・マムルーク朝を滅ぼし東地中海をも制圧した。 東欧文化圏 ビザンツ系の国家以外は文化レベルが低くて苦労する。 ノルウェーもバイキングの使い勝手が今ひとつで大変だ。 12世紀後半以降は政変が絶えず、その挙句第4回十字軍により一旦滅亡。 ミカエル8世により復興するもトルコの圧迫に苦しみ西欧諸国の支援も得られずオスマン帝国に滅ぼされた。 コンスタンチノープルを占領した第4回十字軍によって成立したが、建国直後からブルガリア・ビザンツ残党の圧迫に苦しみ、僅か半世紀で滅亡。 実態はベネチアの傀儡国家だった。 ビザンツの有力貴族・ラスカリス家がその遺領・ニケーアを拠点に建設。 小アジアのイスラム勢力や他のビザンツ残党との勢力争いを制してコンスタンチノープル奪回を達成した。 12世紀中期以降はその中心であったキエフの求心力が弱まって統一が失われていた。 13世紀にモンゴル軍に各個撃破され長らく「タタールのくびき」に苦しむ事となる。 13世紀末期まで国王不在で諸侯が割拠する状態が続き、モンゴル侵攻で壊滅的打撃を受けた。 14世紀にカジミェシ3世・ヴラディスラフら英主が登場し東欧屈指の強国に成長。 13世紀はエンドレ2世の失政やモンゴル侵攻による国土荒廃で停滞したが、アンジュー朝の支配下で復興。 15世紀中期にマーチャーシュ王の下で全盛期を迎える。 西欧文化圏 弓騎兵を擁する国がなくイタリア以外は文化レベルが低め。 しかし良質の文化アイテムを所持する都市が多いのでこの地域を統一すればハイレベルな国家に成長するだろう。 フィリップ2世・ルイ9世ら英主が相次いで登場した13世紀に王権が飛躍的に強化される。 カペー朝断絶後はイギリスとの百年戦争で国土が荒廃したが、最終的に勝利を収めた。 12〜13世紀前半の諸皇帝はイタリア政策に執着し教皇庁と激しく対立。 一時はシチリア王国を併せるも結局イタリアでの覇権を失ったばかりか本国・ドイツでも領邦化が進んだ。 アンジュー伯が王位を継承した事で一時はフランスの西半分をも支配するもジョン王の代でその大半を失う。 彼とヘンリー3世の失政を通じて王権に対する議会の力が強まる。 13世紀初頭に十字軍を利用し商業上のライバル・ビザンツ帝国を滅ぼし東地中海の交易を独占。 14世紀後半にはジェノヴァとの抗争に勝利しヨーロッパ最強の海洋国家となった。 ミラノはかつてロンバルディア同盟の盟主格の自治都市であったが、13世紀後半から僭主による専制化が進み、14世紀後半にジャン=ガレアッツオの下で公国となった。 12世紀中期にノルマン王朝の下で全盛期を迎えたが、神聖ローマ帝国やアンジュー家の征服により疲弊。 シチリアの晩鐘事件の後シチリアとナポリに分裂した。 イスラム勢力に対するレコンキスタで一進一退の攻防を続けていたが、13世紀前期にフェルナンド3世の下でイベリア半島の大半を奪回。 英仏百年戦争ではフランスを支援した。 スヴェレ王・ホーコン4世による王権強化で強盛を誇り一時はアイスランドを併合。 後にデンマーク・スウェーデンの干渉に苦しみ14世紀末にカルマル同盟の下デンマークに支配された。

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蒼き狼と白き牝鹿・ジンギスカン

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発売日一覧• PC98 1987121987年12月 PC88 1988011988年1月 MSX2(サウンドウェア同梱版) 198805141988年5月14日 MSX2(FD版) 198806211988年6月21日 MSX,MSX2(ロムカセット版) 1988071988年7月 DOS 1988121988年12月 1990年 X68 198903101989年3月10日 FC 198904201989年4月20日 1990031990年3月 Amiga 1991年 Win98 200507292005年7月29日 iアプリ 200702052007年2月5日 S! アプリ 200704022007年4月2日 EZアプリ 200706072007年6月7日 Win7 201701252017年1月25日 その他 型式:NFKN11012 NFKN14008 『 蒼き狼と白き牝鹿・ジンギスカン』(あおきおおかみとしろきめじか・ジンギスカン)は、に日本のから発売された用。 とをメインにからのを舞台とし、その統一を目指すゲームである。 オルドシステムと呼ばれる子作りや血縁将軍の重要性が加味されている事などを特徴としている。 開発は光栄が行い、プロデューサーは、音楽は同社の『』()、『』()などを手掛けたが担当している 『』は、にPC-9801用ソフト『蒼き狼と白き牝鹿』 サブタイトル無し というタイトルで発売されたものが第1作である。 そのため、本項で記述される『蒼き狼と白き牝鹿・ジンギスカン』(以下『ジンギスカン』と略す)は厳密にはシリーズ2作目となるが、前作をリニューアルして発売したものなので、事実上、同シリーズの第1作と同様のものとして扱われている。 本項目では初代と第2作とをまとめて扱う。 なお、1作目と2作目の違いについてはにて後述するが、特記無き場合ば2作目『ジンギスカン』の内容に従って記述する。 『ジンギスカン』は、日本国内において各種パソコンやに移植された他、欧米においてやなどの機種に移植された。 では版と版が別々に発売された。 では、2005年にの一つとして復刻版が発売されている。 これは、もとは2003年に発売されたのVol. 3に収録されていたものを単独で発売したものである。 にはとして配信された他、にはにてが行われた。 概要 [ ] 本作では、オルドシステムでの子作りや絶対に裏切らない血縁将軍の重要性(非血縁将軍は反乱を起こす可能性を持っている)などが搭載され、「蒼き狼と白き牝鹿」シリーズの基本方針が定まった作品である。 さらに人材捜索など、のちに『三國志』で重要になるシステムも初搭載されているが、本作では1国につき1人の将軍しか配置できず、発見される在野の人材の能力も概して高いものではない。 選択できる国王が49 - 59歳と 異例の高齢者ばかりなので、後継者への引継ぎが前提とされているのも珍しいといえる(もちろん、後継なしに初期国王1代での世界制覇も十分可能である。 ちなみに国王が71歳以上になると寿命による死の可能性がある )。 選択できる国王が4人と少ないため、「統一」「滅亡」に合わせて、国ごとに独自のエンディングのグラフィックがある。 「山」「砂漠」「海」などの難地を行軍すると、兵士が次々「脱落(減少)」してゆく。 また、「弓矢隊」の間接攻撃、「歩兵隊」の伏兵などといった攻撃バリエーションや、森では「狩猟」による兵糧調達も出来る。 こういった特徴のため、「防衛側」がかなり有利で、 「歴史三部作」中、もっとも難易度が高いともいわれた [ ]。 ゲーム内容 [ ] コマンド [ ] 本作では、1年は春夏秋冬の4ターン。 各ターンに本拠地では3回のコマンドを連続で実行でき、直轄地に指定している国では1回のコマンドを実行できる。 コマンドを実行するたびに統率力・判断力・説得力・企画力・体力・武力といった、国王の各能力値を消費することになっている。 能力値の消費は、本拠地だけではなく、直轄地での命令でも消費することになる。 したがって、こまめな自己訓練でこれらの能力の回復などを行う必要があるとともに、 血縁 将軍に国を委任統治させる必要も出てくる。 本作が、当時の他のコーエーの歴史シミュレーションゲーム作品と最も異なる点は内政の概念である。 他のシリーズでは「」「」などのコマンドがあり、それを選択しない限り、国力は上昇しないが、本作品では住民を「町造り」「城造り」「食料作り」「特産品作り」に配分するだけで自動的に基本的な国力が向上していく。 住民配分システムは、次の『元朝秘史』にも継承された。 また、住民配分の中には兵士も含まれるため、全ての住民を兵士にしたり、逆に兵士を0にして全て内政関係に振り分けることもでき、さらに金銭で傭兵を雇い 、それを内政に回すなど、柔軟な国家運営が行える。 通商 [ ] 上述の通り、本作では各国で「特産品」を生産することができる。 これは「毛皮」、「貴金属」、「絹」など10種類あり、各国で産出するものが異なっており、基礎的な価格も異なっている。 これらを売買する相手である商人はウイグル商人、イスラム商人、中国商人の3種類。 それぞれ基本相場が違うため、中国商人から買った絹は倍額程度で売却が可能、など、うまく使えば大もうけが可能であるが、商人は常駐している訳ではなくその滞在確率は各国によって異なり、で中国商人と取引できる機会は限られ、でイスラム商人と出会えることも、やはり比較的希である。 ハンドブックに曰く「絹の道」 である。 部隊は機動力は高い、遠距離攻撃の可能な 、伏兵の可能なの3種類。 ヘックスは城、町、平地のほか山、森、砂漠、海と言った地形が存在し、城・町・山・森についてはそのヘックスにいるユニットに平地と比較してプラスの防御効果がもたらされ戦闘が有利になるが、砂漠と海については逆にマイナスの防御効果がもたらされ、不利となる。 さらに騎馬は森と山も苦手としており、防御効果はマイナスとなっている。 また山、森、砂漠、海についてはこれに進入したとき、部隊の兵士が脱落し、損害を被る。 ただし守備側は全体的に脱落の度合いが少なく、森に関しては兵士が脱落する心配はなくなっている。 また、部隊編成は基本的に平時において事前に行っておくべきものであるが、同種の兵については戦闘中に任意に分散・合流も可能となっている。 一騎打ち [ ] 本ゲームでは第1部隊を総大将が率いているが、双方の第1部隊が隣接すると「」の可能性がある。 どちらかの第1部隊が一騎打ちを申し込み、相手方が受諾すれば総大将同士の一騎打ちが成立し、双方の総大将の「武力」・「体力」・「判断力」で勝敗が自動判定で争われる(ただし申し込んだ側には判定にある程度のハンデが課される)。 決着はいずれかの総大将が捕縛される場合と打ち負かされるだけの場合があり、総大将が捕縛された側はそれまでの戦況に関係なくその時点で戦争そのものの敗北となる。 このため一騎打ちは非常にハイリスク・ハイリターンな作戦である。 一騎打ちの申し込みは双方ともに1度の戦争中に1回しかできず、プレイヤー側から申し込む場合、相対的にプレイヤー側総大将が強すぎると一騎打ちを断られたり、「弱すぎて相手になりません」とメッセージが表示されて 一騎打ちが申し込めないようになっている。 工作 [ ] その他「降伏勧告」、隣接する味方国に助けを求める「援軍要求」、町から物資を得る「略奪」、森で食料を調達する「狩猟」、そして「退却」と言った「工作」が行える。 設定 [ ] シナリオ [ ] 『ジンギスカン』のシナリオは「モンゴル編(1174年冬スタート。 コマンド開始は1175年春から)」と「世界編(1205年冬スタート。 コマンド開始は1206年春から)」の2本である。 選択できる主人公はモンゴル編が(ジンギスカンの本名)()のみで1人プレイ専用、世界編ではジンギスカン(モンゴル帝国)、()、()、()の4人を選択することができ、4人同時プレイが可能である。 史実上は源頼朝・リチャード1世はシナリオ開始の1205年にはすでに死亡しており、アレクシオスは存命ではあるがビザンツ帝国()は滅亡している。 これは、世界史に馴染みの薄いユーザーに配慮し、史実とは違っていても比較的有名な人物・国家を選んだための設定と思われる (選択不可能な国王では、()も同様の事例である)。 ちなみに1205年は史実上でジンギスカンがモンゴル高原を統一したとされる年である。 また、モンゴル編を1205年冬までにクリアした場合、金・食料・住民・特産品総数の10分の1と将軍候補(統治を行っていない)5人、子供5人、全ての后を持ち越して世界編をプレイすることができる(キャンペーン・プレイ)。 その場合、プレーヤーはジンギスカンとしてプレイを継続することになる。 また、モンゴル編クリアの年代にかかわらず世界編のスタートは1205年冬からとなる。 このように『ジンギスカン』では2本のシナリオがあるが、初代では容量の関係のためか「世界編」はなく、「アジア編」と「ヨーロッパ編」の2つのシナリオに分けられていた。 そのため、3つのシナリオをプレイすることになる [ ]。 なお、この「一定範囲内の地域を制覇した後に更に広大な領地の制覇を目指す」という手法は、次回作『』や無双シリーズの『戦国無双2 Empires』にも引き継がれている。 オルド [ ] 本作は広大なユーラシア大陸の制覇を目標としており、プレイヤーの担当できる英雄の年齢が比較的高く、さらには血縁関係にない武将には常に裏切りの可能性があるという都合上、後継者作り、子作りは重要である。 后を口説いてし、子をもうける。 これが「オルド」システムである。 オルドではコマンドを実行すると、「体力」など、主人公の能力値は消耗する。 少なくとも4回は同衾しないと懐妊の可能性はなく、それもあくまで可能性があるのみである。 例外としてシリーズ通じてラッチという后がおり、捕虜とすると選択肢なく強制的にオルドに入り、2回で懐妊する。 誕生した子供は、男子の場合10歳になれば将軍候補とでき 、10歳を超えても子供の身分のままにしておけば国王が死亡した場合の後継者にできる。 女子の場合は8歳になれば配下の将軍候補に嫁がせてその将軍候補を血縁者にすることで、その将軍候補は絶対に裏切らなくなる。 他機種版 [ ] 一覧 [ ] No. タイトル 発売日 対応機種 開発元 発売元 メディア 型式 備考 Ref. 1 蒼き狼と白き牝鹿 1985071985年7月 光栄 光栄 フロッピーディスク NEKN12063 2 蒼き狼と白き牝鹿 1985111985年11月 光栄 光栄 フロッピーディスク SJKN12002 3 蒼き狼と白き牝鹿 1986021986年2月 光栄 光栄 MXKN11007 4 蒼き狼と白き牝鹿 1986031986年3月 光栄 光栄 フロッピーディスク FUKN13045 FUKN13046 5 蒼き狼と白き牝鹿 1986061986年6月 光栄 光栄 5インチフロッピーディスク SJKN11002 6 蒼き狼と白き牝鹿・ジンギスカン 1987121987年12月 PC-9801 光栄 光栄 5インチフロッピーディスク 3. またシナリオについても、モンゴル編と世界編を通してのプレイしか選択できず、ジンギスカンとしてのプレイのみ可能となっていた。 第1作Steam版および他の第1作版との違い [ ] 12月14日にに第1作がリリースされる。 しかし、第1作の別バージョン PC9801 では特産品の生産・売買を行うことがでるなど明らかな違いが存在し 、内容の異なる複数の版の存在を確認できる。 FM-7版の資料ではSteam版に近い画面を確認することができる。 携帯電話ゲーム版 [ ] 将軍の顔グラフィックは『』()のものを流用。 プレイヤーとして選択可能な族長・国王がオリジナル版よりも増えている(ジャムカやフィリップ2世など)。 からにかけて、本作をダウンロードする事で映画『』()の前売りチケットやポスターなどの懸賞商品が抽選で付与されるキャンペーンが行われた。 音楽 [ ] サウンドウェア [ ] ゲームの世界観を広げるため、ゲーム中のBGMを一つのメディアにまとめた音楽ソフトである「サウンドウェア」が初めて製作されたのがこの「蒼き狼と白き牝鹿 ジンギスカン」であった。 当作品ではカセットテープが採用されており、通常版であるゲームソフト本体のみのバージョンとは別バージョンとしてサウンドウェア同梱版の「蒼き狼と白き牝鹿 ジンギスカン Withサウンドウェア」が発売された。 通常版とWithサウンドウェア版とではパッケージの色が異なる。 サウンドトラック [ ] 前項のWithサウンドウェア版に同梱されていたものとは異なり、後になって単品発売されたものである。 蒼き狼と白き牝鹿 ジンギスカン H29E-20002• 光栄オリジナルBGM集Vol. 46点(満30点)となっている。 項目 キャラクタ 音楽 操作性 熱中度 お買得度 オリジナリティ 総合 得点 3. 81 3. 63 3. 46 3. 89 3. 02 3. 65 21. 初代「蒼き狼と白き牝鹿」にはオルドは搭載されていたが血縁武将の要素は搭載されていなかった。 [ ]• ちなみにこのゲームシステムのため、本作では例えでプレイした場合にもは絶対に裏切らない。 本作では住民配分のほか、自律的な外交や輸送など、各国の委任設定 命令書 については比較的細かく設定が可能である。 訓練度などの軍事関係やモラルなどの一部の内政ステータスを除く。 「武装度」によって、1回の戦闘で行える遠距離攻撃の回数に制限がある• 部隊の種類によって若干の相性がある。 PC版に付属のサブマニュアルにプレイ可能な4国家についての解説があり、ビザンツ帝国について「もし滅亡していなかったら」という架空の設定であることが記載されている。 后は戦争で新たな国を奪うことで増やせる。 その中にはどんなに回数を重ねても同衾でにない后もいる。 ただし男子であっても将軍候補にしてしまうと国王の後継者にはなれなくなる。 ただし、国王の寿命による死の場合または国王が他国へ攻め込んで捕らえられ処刑された場合に限る。 本拠地に攻め込まれて国王が捕らえられ処刑された場合には本拠地以外に属国が残っていてもゲームオーバーとなる。 また、モンゴル編ではテムジンが死亡するといかなる場合でもゲームオーバーとなる。 出典 [ ]• 『ハンドブック』 p. 172,176,180,184• 『ハンドブック』に源頼朝は1218年から寿命による死の可能性がある旨の記述がある。 『ハンドブック』 p. 『ハンドブック』 pp. 98-99• 34-47• 『ハンドブック』 p. 47, pp. 65-89「絹の道」• 115-129• 『ゲーム十字軍 vol. 1』p. 『ハンドブック』 pp. 171-172• 『ハンドブック』 pp. 38-39, 61, 97, 170• 2003年7月3日. 2020年6月6日閲覧。 アイティメディア 2005年6月10日. 2020年6月6日閲覧。 2005年6月10日. 2020年6月6日閲覧。 2005年6月10日. 2020年6月6日閲覧。 石田賀津男 2007年2月2日. 2020年6月6日閲覧。 2007年3月29日. 2020年6月6日閲覧。 階堂綾野 2007年6月1日. 2020年6月6日閲覧。 2007年6月1日. 2020年6月6日閲覧。 宮本章弘(クラフル) 2016年12月14日. 2020年5月31日閲覧。 Arkblade 2016年12月14日. 2020年5月31日閲覧。 Gueed 2016年12月14日. 2020年5月31日閲覧。 田沢 2016年12月15日. 2020年5月31日閲覧。 ONO 2017年1月25日. 2020年6月6日閲覧。 田沢 2017年1月25日. 2020年6月6日閲覧。 『SLG入門2』に掲載されている画面写真による。 しかもp. 84では、時間がかかるばかりであまり面白いものではないと評されている。 変更点については概説は『SLG入門3』 p9, pp. 148-149を。 戦闘についてはpp. 155-156を参照• Steam版第1作の動作および、Steam版説明書 PDF 2016年12月15日ダウンロード• 当時の資料に特産品の記載のある写真が存在する 2017年3月22日閲覧• 2017年3月22日閲覧• 2008年4月11日. 2020年6月6日閲覧。 2020年6月6日閲覧。 Blue Flame Labs. 2020年5月31日閲覧。 Blue Flame Labs. 2020年6月6日閲覧。 参考文献 [ ]• 徳間書店インターメディア(編)、1988、『ゲーム十字軍』1、 徳間書店 - 雑誌のコーナーを中心とした別冊。 マイクロデザイン 奥山浩幸ほか 、1987、『シミュレーションゲーム入門 2 テクニック編』、JICC出版局• TABASCO 奥山浩幸ほか 、1988、『シミュレーションゲーム入門 3 実践編』、JICC出版局• 、1988、『蒼き狼と白き牝鹿 ジンギスカンハンドブック』、光栄 基本的なルール・システムについて。 関連項目 [ ]• - の小説。 作中にてジンギスカンとクランの間にできた子という設定のガラウンという人物が登場するが、本作の世界編においてもジンギスカンが統治しているモンゴル帝国に同名の人材が登場する。 また、MSX版などに付属していた資料の小冊子の内容(クランの最期など)にもかなりの影響を与えている。 外部リンク [ ]• コーエー定番シリーズの1本として発売• もともとはに収録• - (英語)• - (英語).

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蒼き狼と白き牝鹿4・国家事典

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モンゴル文化圏 有能な国王と優秀なモンゴル騎兵を擁するからか比較的初心者向けの国家が多い。 13世紀にモンゴル高原を統一したチンギス=ハーンは金朝攻略や大西征で勢力を拡大。 第4代ハーン・モンケの没時の版図は東は華北・朝鮮、西はルーシ・シリアに及んだ。 ジャダラン族はモンゴル王家の庶流との伝承がある。 12世紀中期に一旦衰退。 ジャムカの代にて強大になり反チンギス勢力の旗頭となったがケレイト・モンゴルの連合軍に敗れた。 12世紀中期のモンゴル高原における最大勢力の1つ。 キリスト教を信仰していたのでヨーロッパのプレスタージョン伝説と結び付けられた。 1203年、モンゴルに破れ吸収される。 モンゴル第5代ハーン・フビライは1271年に国号を「大元」とした。 チャガタイ・オゴタイ家の反抗で中央アジアを失うも南宋を滅ぼし中国を統一、海上交易のネットワークを確立した。 西アジア遠征中のフラグが、モンケの死後に自らの征服地に拠って建国した。 元朝と良好な関係を保つ一方でシリアをめぐりマムルーク朝と激戦を繰り広げた。 ヨーロッパ遠征で大功を立てたバトゥがキプチャク平原・ルーシ地方を支配下に収めて建国。 イル=ハン国との対立を機にモンゴル宗家から自立する。 14世紀末にティムールに敗れる。 チンギス=ハーンの次男・チャガタイがトルキスタンを所領したのが起源。 度々モンゴル宗家から家督相続の介入を受け一時はハイドゥに支配される。 14世紀中期に東西に分裂した。 オゴタイの孫・ハイドゥはモンケ没後の混乱を突いて自立。 フビライに対抗しつつ中央アジアに勢力圏を確立した。 ハイドゥ没後にチャガタイ家のドゥアに滅ぼされた。 イル=ハン国末期の混乱を制した同国の部将が興したイスラム王朝。 第2代のウワイスはイラク・イラン西部を支配した。 後にティムールの侵攻に敗退し、黒羊朝に滅ぼされる。 中央アジアを制圧したティムールが1369年に建国、15世紀初頭までに西アジア・インド・キプチャク=ハン国に遠征して連戦連勝するも、彼の死後その帝国は分裂した。 日本・東アジア文化圏 日本でプレイする場合は大陸からの攻撃に備えた大宰府の防衛強化が欠かせない。 中国系は文化レベルの高い都市が多いので初心者向けといえる。 12世紀末に源頼朝が興した最初の武家政権。 頼朝没後は有力御家人の連合政権を経て彼らの政争を制した北条氏が独裁。 モンゴルには終始武断的態度で接し、元寇を撃退。 奥州藤原氏は11世紀末からほぼ100年に亘って東北地方を支配、3代秀衡の時代に最盛期を迎えた。 莫大な金の産出を背景に独自の平泉文化が確立される。 足利尊氏が創始した武家政権。 守護大名による連合政権の性格が強く政権は不安定、絶え間ない紛争に苦しんだ。 3代将軍義満の時代は比較的安定し、北山文化が興った。 12世紀末に武臣のクーデターが相次ぎ弱体化。 その後50年に及ぶモンゴルの攻撃により臣従、日本遠征に協力させられた。 元が衰えると自立するも親元派と親明派が対立する。 11世紀中期に女真族が建国、宋から華北を奪うも中国文化の影響で尚武の気風を失い、13世紀には新興のモンゴル軍に連戦連敗して領土を削られた。 1234年に滅亡。 11世紀前半にタングート族が建国。 仏教を保護し、シルクロードの中継貿易で繁栄する。 13世紀にチンギス=ハーンの数度にわたる攻撃で滅亡した。 靖康の難により南遷した宋王朝の呼称。 江南開発が進み経済・文化の充実は北宋以上のものがあったが、権力闘争が絶えず対外情勢にも疎かったことが亡国の一因となった。 1368年に朱元璋が建国した漢人王朝。 皇帝による強力な独裁政治が敷かれた。 第3代永楽帝の時代に積極的な対外進出が行われ最盛期を迎えるもその後は北虜南倭に苦しんだ。 本来は7世紀初期に成立したチベットの統一王国の事だが、9世紀中期に分裂、宋・元の時代にはチベット地方を指す中国側からの地理的名称にすぎなかった。 11世紀初頭に成立したベトナム最初の長期統一政権で、初めて国号を「大越」と定め現在のベトナム国家の基礎を固めた。 12世紀末には内紛が相次ぎ外戚の陳氏に滅ぼされた。 李朝の外戚・陳守度がその甥に王位を継承させて成立。 度重なるモンゴルの攻撃をゲリラ戦で撃退。 李朝滅亡の原因を考慮してか近親婚が多く、王朝前期は上皇制度を採用した。 東南・南アジア文化圏 象兵を編成可能なのがこの地域の特徴。 敵との距離が離れているためじっくり内政を行える国が多い。 ネックは台風対策か? 9世紀初頭にクメール人がカンボジア南部に建国。 首都アンコールの拡張と共に発展、13世紀初期にジャヤバルマン7世の治世下で仏教文化が栄え全盛期を迎えた。 11世紀中期に成立したミャンマー最初の統一王朝。 小乗仏教が栄え寺院建設が積極的に行われた事から「建寺王朝」と呼ばれる。 13世紀後半にモンゴル軍の攻撃を受けて屈服。 1350年に成立したタイの王朝。 15世紀にアンコール朝を滅ぼし、その後はビルマと交戦する。 17世紀にはヨーロッパ・中国・日本とも外交・通商関係があった。 13世紀初頭にアイバクがデリーで自立して以来、ここを拠点とした5つのイスラム王朝の総称。 ハルジー朝は一時期ほぼインド全土を制圧した。 14世紀末にティムールの攻撃を受ける。 インド北部ではラージプート族のヒンドゥー国家が割拠していたが13世紀初期までにイスラム教徒に征服された。 ヒンドゥー教徒は南インドに拠って対立する。 イスラム文化圏 中世の先進地域だけあって文化レベルの高い国が多い。 勢力拡張においては使い勝手のいい兵科が少ないのがネックだが人材の質でカバーしよう。 金に滅ぼされた遼王朝の皇族がトルキスタンに拠って建国。 第3代のチルクの代にナイマン族のクチュルクに簒奪された。 クチュルクもまた宗教政策の失敗から自滅する… ヘラート南東部の遊牧民が興したイスラム王朝。 12世紀後半にギヤース・ゴーリー兄弟の下でガズニ朝を滅ぼしホラーサーン・北西インドに勢力を拡大するもゴーリー没後に分裂。 11世紀に興った中央アジアのトルコ族王朝。 12世紀末〜13世紀初期に大セルジューク朝・ゴール朝を滅ぼし西遼を撃破、最大領土に達するが新興勢力・モンゴルの前に粉砕された。 ウマイヤ朝を継いだイスラム地域の統一王朝も9世紀後半から分裂が進み、12世紀には宗教的権威を保つのみであった。 13世紀中期にフラグ率いるモンゴル軍により完全に滅亡。 12世紀後半にサラディンが建国。 エジプト・シリアを支配しエルサレムを奪回、度重なる十字軍の攻撃を撃退した。 王族間の抗争で弱体化した末マムルークの簒奪を許すこととなる。 シャジャル=アッドゥツルが配下の奴隷軍人(マムルーク)に推戴されたのが始まり。 十字軍との抗争に勝利しエジプトを中心に繁栄。 スルタンの地位は殆どが実力本位で決まった。 12世紀前半にイブン=トゥマールトを信奉するベルベル族が建国した。 別名アルモハード帝国。 モロッコを本拠とし最大版図はエジプト国境・イベリア南部に及んだ。 13世紀前半にチュニスの代官がムワッヒド朝から自立して成立。 第2代ムンタシルの時代に全盛期を迎え、オスマン帝国に滅ぼされるまでアルジェに君臨した。 半遊牧民のベルベル族が建設したイスラム王朝。 13世紀後半にムワッヒド朝を滅ぼしモロッコを制圧、一時はカスチラ王国の内乱にも介入した。 13世紀末に小アジアで興ったトルコ族の帝国。 常備軍イェニチェリを駆使してバルカンに進出、ティムールには敗れたがビザンツ帝国・マムルーク朝を滅ぼし東地中海をも制圧した。 東欧文化圏 ビザンツ系の国家以外は文化レベルが低くて苦労する。 ノルウェーもバイキングの使い勝手が今ひとつで大変だ。 12世紀後半以降は政変が絶えず、その挙句第4回十字軍により一旦滅亡。 ミカエル8世により復興するもトルコの圧迫に苦しみ西欧諸国の支援も得られずオスマン帝国に滅ぼされた。 コンスタンチノープルを占領した第4回十字軍によって成立したが、建国直後からブルガリア・ビザンツ残党の圧迫に苦しみ、僅か半世紀で滅亡。 実態はベネチアの傀儡国家だった。 ビザンツの有力貴族・ラスカリス家がその遺領・ニケーアを拠点に建設。 小アジアのイスラム勢力や他のビザンツ残党との勢力争いを制してコンスタンチノープル奪回を達成した。 12世紀中期以降はその中心であったキエフの求心力が弱まって統一が失われていた。 13世紀にモンゴル軍に各個撃破され長らく「タタールのくびき」に苦しむ事となる。 13世紀末期まで国王不在で諸侯が割拠する状態が続き、モンゴル侵攻で壊滅的打撃を受けた。 14世紀にカジミェシ3世・ヴラディスラフら英主が登場し東欧屈指の強国に成長。 13世紀はエンドレ2世の失政やモンゴル侵攻による国土荒廃で停滞したが、アンジュー朝の支配下で復興。 15世紀中期にマーチャーシュ王の下で全盛期を迎える。 西欧文化圏 弓騎兵を擁する国がなくイタリア以外は文化レベルが低め。 しかし良質の文化アイテムを所持する都市が多いのでこの地域を統一すればハイレベルな国家に成長するだろう。 フィリップ2世・ルイ9世ら英主が相次いで登場した13世紀に王権が飛躍的に強化される。 カペー朝断絶後はイギリスとの百年戦争で国土が荒廃したが、最終的に勝利を収めた。 12〜13世紀前半の諸皇帝はイタリア政策に執着し教皇庁と激しく対立。 一時はシチリア王国を併せるも結局イタリアでの覇権を失ったばかりか本国・ドイツでも領邦化が進んだ。 アンジュー伯が王位を継承した事で一時はフランスの西半分をも支配するもジョン王の代でその大半を失う。 彼とヘンリー3世の失政を通じて王権に対する議会の力が強まる。 13世紀初頭に十字軍を利用し商業上のライバル・ビザンツ帝国を滅ぼし東地中海の交易を独占。 14世紀後半にはジェノヴァとの抗争に勝利しヨーロッパ最強の海洋国家となった。 ミラノはかつてロンバルディア同盟の盟主格の自治都市であったが、13世紀後半から僭主による専制化が進み、14世紀後半にジャン=ガレアッツオの下で公国となった。 12世紀中期にノルマン王朝の下で全盛期を迎えたが、神聖ローマ帝国やアンジュー家の征服により疲弊。 シチリアの晩鐘事件の後シチリアとナポリに分裂した。 イスラム勢力に対するレコンキスタで一進一退の攻防を続けていたが、13世紀前期にフェルナンド3世の下でイベリア半島の大半を奪回。 英仏百年戦争ではフランスを支援した。 スヴェレ王・ホーコン4世による王権強化で強盛を誇り一時はアイスランドを併合。 後にデンマーク・スウェーデンの干渉に苦しみ14世紀末にカルマル同盟の下デンマークに支配された。

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