マントウの起源については「」を参照 日本の饅頭の起源には2つの系統がある。 ひとつは臨済宗の僧が(:4年、:5年)に帰朝した際、その俗弟子として随伴してきたが伝えたとするものである。 当初林は禅宗のと食べる菓子として饅頭を用いる事を考えたものの、従来の饅頭は肉を入れるため、代わりにを入れた饅頭を考案されたと言われている。 その後、のの近くに住居して塩瀬という店を立てたことから、漢國神社内のと呼ばれる饅頭の神社で、菓祖神として祀られている。 もうひとつの系統は、林が伝えたとされる年より100年ほど遡る(2年)にに渡り学を修めたがのでその製法を伝えたと言われる。 円爾は辻堂(つじのどう=現・前一丁目)に・を創建し博多の西、荒津山一帯を托鉢に回っていた際、いつも親切にしてくれていた茶屋の主人に饅頭の作り方を伝授したと言われる。 このときに茶屋の主人に書いて与えた「御饅頭所」という看板が、今では東京・赤坂の虎屋黒川にある。 奈良に伝わった饅頭は を使う「薬饅頭」で、博多の方はを使う「酒饅頭」とされる。 伝来当時は現在の饅頭につながる甘い饅頭と、主として野菜を餡とした 菜饅頭の二種類が存在していた。 後者は現在の肉まんに近い物と考えられているが、仏教の影響もあって、近在以前の日本ではもっぱら野菜が餡として用いられた。 仏教寺院ではいわゆる(ここでは軽食や夜食)の一種類とみなされ、軽食として用いられていた。 しかし、米飯や麺類が主食として存在し、とくに麺類(、、など)が早くから軽食として存在した一般社会では、製法の煩雑さなどからほとんど定着せず、甘い饅頭や麺類のように菜饅頭を専門の業者が製造する事もなかった。 ただ、寺院における食事の記録には記載されている事が多く、江戸時代に入っても『』に「菜饅頭」として製法が記載されている事から、寺院等では軽食として長い間食べられていたようである。 また、直接的な饅頭の由来ではないものの、江戸時代以降に南蛮菓子や中国菓子の製法として焼き菓子の製造技術が日本に伝播した。 この技術が饅頭にも応用され、焼き饅頭と呼ばれる日本独特のジャンルが生まれた。 日本に定着した後、餡や皮の製法にさまざまな工夫が凝らされ種々の饅頭が作られるようになった。 しかし、肉まんや餡まんなど、従来の饅頭(マントウ)を起源とした厚めでふわっとした皮の中華風の饅頭(、パオズ)は、甘いものであっても一般的にとして区別されている(特殊な事例として愛媛県のがあり、これもマントウを起源とするが(同項参照)、こちらは和菓子の分類に入れられる事が多い)。 中にはカレーまん、ピザまん、バナナまんなど、中国には存在しない中華まんもある。 日本風の焼いて作る饅頭はでも「饅頭」、「日本饅頭」と称して製造されている。 和菓子としての饅頭 [ ] 生地の種類 [ ] 茶饅頭 基本は小麦粉、黒砂糖、膨張剤を用いた生地に餡子を包んだ饅頭だが、各地にさまざまなバリエーションがある。 (大島饅頭)、温泉饅頭、などとも呼ばれ、観光地(特に温泉街)でのやお土産にも好んで用いられる。 薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう) すりおろした薯蕷(漢語でをさす)の粘りを利用して粉(薯蕷粉、上新粉)を練り上げ、その生地で餡等を包んでしっとりと蒸し上げた饅頭。 上用饅頭とも当て字され、十五世紀に日本に饅頭を伝えた林浄因からとられた名の訛りだとも伝わる。 茶席で使われる主菓子(おもがし)のひとつである。 『』に当時近年、京大阪で作られ始めたヤマノイモを皮に使った饅頭とある。 現代の商品もヤマノイモを使うと表示されるが、じっさい使われる薯蕷にはつくね芋()、大和芋() 、()などの栽培種である。 林浄因の子孫が創業した「」も現在「志ほせ」という薯蕷饅頭を売り物とするが 、江戸時代の塩瀬饅頭は、小麦粉に"ふくらし粉"を混ぜたものだとされている。 ただし塩瀬当家の家伝によれば、林浄因の孫の林紹絆が中国に渡来し薯蕷饅頭の製法を学んで持ち帰ったとしている。 織部饅頭は、大阪屋の十七代当主が考案したという薯蕷饅頭の一種。 紅白饅頭も薯蕷饅頭でこしらえるのが常とされる [ ]。 酒饅頭 酒母(酒種、にを繁殖させたもの)を使って小麦粉の生地を発酵させ、中に餡を入れた饅頭。 虎屋饅頭とも呼ばれる。 「酒饅頭」は、新潟県ではあんまんのようなものであり、富山県や福井県では形状は平たくなり焼き印を入れてあり、岐阜県のものは茶饅頭のようなものであるなど地域によって形状、味覚、製法が異なる。 酒饅頭を氷水で浸したものをと形容する場合もある 後述。 のアイデアの基になった。 群馬県ののように、菓子店ばかりでなく、軽食として一般家庭で作られる事もあった。 近年は、野菜の煮物や漬物などを餡として酒饅頭の生地で包んだ、かつての菜饅頭のような甘くないタイプの饅頭も登場している。 ソーダ饅頭 小麦粉に()を用いて膨らました饅頭。 菓子店の製品では 炭酸饅頭と呼ばれる事もある。 酒饅頭に較べて製法や重曹の入手が簡易である事から、明治時代以降に主に家庭で作られる事が多かった。 黒糖を用いた物は、茶饅頭やに似た風味となる。 塩饅頭 焼饅頭 主にカステラ風の生地で餡を包んだ焼き菓子の一種。 、、、(福岡県)、乳菓、、、などがこれにあたる。 や中華菓子()の影響を受けて時代以降に発達したとされる。 カステラ生地の饅頭については、を考案した銀座のの近所にあった毛利商店がアンパンの皮を変えて「ぱんじゅう」として売り出したのが最初と言われる。 オーブンで焼く物(オーブン物)、鉄板で焼く物(平鍋物、平物)などがある。 さらに皮や生地、生地を用いたより洋菓子に近い物(宮崎県のなど)がある。 また、長崎県のや北海道ののように独特の製法の物もある。 皮に卵黄を塗って焼き、栗の皮の色に似せたもの。 中身は白あんだが甘味にの甘露煮で用いた蜜を使ったり、栗そのものを混ぜ込んだりしている。 葛饅頭 を用いて作った透明の生地で餡を包んだ夏季の生菓子。 葛桜、水仙饅頭とも言う。 そのまま器に盛って食べるのが一般的だが、冷水に浸して食べるものもある。 水饅頭 葛饅頭と似ているが、生地に適量の糊を混ぜて作る。 岐阜県のものなどが知られるが、奈良県でも初夏の祭りに合わせて販売される。 小麦粉の皮の代わりに生で餡を包んだ生菓子。 の葉で巻く事が多い。 単に生麩とも。 小麦粉に味噌を練りこんで蒸したもの。 山梨県で製造販売されているがこの部類にあたる。 餡の甘みと味噌の辛味がうまく合っている。 静岡県のから近辺では、黒糖を用いた小麦粉の皮で黒餡を包んだ茶饅頭の一種を、色が味噌に似ているため「みそまんじゅう」(あるいは「 みそまん」)と呼ぶ。 その他 生地を用いた物(福岡県の)、生地の物(大分県中津市のういろう饅頭など)、湯で練った生地を用いた物(鹿児島県の伊集院饅頭、岩手県のぶちょうほう饅頭など)、、生地の物(兵庫県赤穂市のなど)、の生地の物(福島県の)などがある。 (もなか) 現在の最中は、に煎餅の一種として存在していた最中を、皮として用いた「最中饅頭」が始まりとされる。 行事で配るもの [ ] 揚げ饅頭• 揚げ饅頭 饅頭をそのまま、もしくはのように衣を付けて揚げた二次製品。 酒饅頭が多いがもみじ饅頭、茶饅頭なども揚げる事がある。 固くなった饅頭を再びおいしく食べるために家庭で揚げる事もある。 揚げまん棒 - 愛知県「納屋橋饅頭万松庵」の銘菓。 北海道・長崎県などでは、 中華まんじゅう、 中華饅頭として表記される。 小麦粉、砂糖、卵を原料とする状の生地( 中花種)でを挟んだを指す。 その由来は、中花種の 中花が転じて 中華となり、 中華まんじゅうと呼ばれるようになったと考えられている。 北海道では、冠婚葬祭の引き出物の定番として使われる。 月餅風の皮で小豆餡を包んだ内ローカルの焼菓子。 くまたぱん 福島県の菓子。 薄皮饅頭に似た小判形の饅頭のまわりに砂糖をまぶし固めたもの。 群馬県の。 酒饅頭(餡入りと餡無しがある)を竹串に刺し、甘い味噌だれを塗りながらのように焼いたもの。 群馬県の郷土菓子。 酒饅頭の一種である。 もみじ饅頭• 広島県の郷土菓子。 高知県の菓子。 福岡県の菓子。 実際はに近い。 福岡県の菓子。 焼いた饅頭で外側はボーロ状、千鳥の焼き印がある。 福岡県・東京都の菓子。 形に整形して焼いた饅頭。 東京のみやげ物でも有名。 福岡県の菓子。 博多に伝わる和菓子の伝統に、バターをはじめとする西洋菓子の素材を取り入れた博多の傑作まんじゅう。 じゃがいも饅頭 福岡県八女で作られているもので、を砂糖と醤油で煮たもの(あるいはそれを潰したもの)を、小麦粉に塩水を加えて練って寝かせた生地で包んで茹でたお菓子。 の収穫期には、茹でたサトイモの周りに甘く味付けした潰したジャガイモで包み、さらに前述の生地で包んで茹でたり蒸して食す。 佐賀県唐津市の菓子。 名前の由来は形がに似ていることから。 蜂楽饅頭(ほうらくまんじゅう) 熊本県の菓子でではと呼ばれる饅頭の一種。 丸い形の生地の中にを混ぜた白餡もしくは黒餡のいずれかが入っている。 蜂楽饅頭の本社は水俣市であるが、子会社が・福岡県・鹿児島県・宮崎県など九州各地に存在し同じブランド名で製造販売している。 千両饅頭 熊本県の菓子。 島根県でも作られている。 小判の形をしており、表面に千両の焼印が押され、中身は白餡である。 慶徳饅頭 熊本県の菓子。 長者饅頭 熊本県の菓子。 にしめ万十 熊本県の菓子。 やの煮物など、を餡として包んだ物。 の郷土菓子。 鹿児島県の郷土菓子。 鹿児島県の菓子。 米粉、砂糖を湯で練った生地を用いて、餡を包んだ物。 鶴饅頭 鹿児島県の菓子。 ベースのを使った、・表記である BANANAの文字が入った バナナ型のお菓子。 梁越饅頭(はりこしまんじゅう) そば粉ととととなどを混ぜ、丸く焼いたもの。 沖縄の饅頭 [ ] 那覇等で販売。 サンニン()を使って香り付けする。 本島では大小に関わらず、を使っていることが多い。 一般的には和菓子の饅頭より大きい。 漢國神社ホームページ• 井青蛙房、1966年、190頁。。 喜田川季荘、室松岩雄編 下巻 国学院大学出版部、1908年、444—446頁。。 田附きつ 『家政学雑誌』 36巻2号、93—101頁、1985年。 年、179頁。 松尾夜城 井上書房、1960年、104頁。。 全浴連(本書)編纂委員会編 全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会(全浴連)、1972年、78頁。。 川島英子 岩波書店、2006年、13, 176頁。。 年、187頁。 時事新報社経済部編、宝文館、1929年、70頁• 日穀製粉株式会社• 『隠居大名の江戸暮らし』 吉川弘文館、1999年、156頁。 参考文献.
次のゆっくりしていってね!!!とは、東方Projectから派生した独特の表情で表現されるAA、イラストである。 ゆっくり概要をみてね!!! 謎の生首が「ゆっくりしていってね!!! 」と叫んでいるAAが元ネタ。 恐らく元となったキャラクターや作品とは一切関係ない。 また「ゆっくりしていってね!!! 」という謎の決め台詞? を放つが、もちろん原作ではこのような台詞は存在しない。 しかし、その汎用性と中毒性により2chの掲示板各所で頻用されることとなり、次第に流行の一端を担っていく。 その功が成したおかげか、未来検索ブラジルの「ネット流行語大賞2008」において銅賞を受賞をするに至った。 ゆっくり発祥をみてね!!! 2008年1月頃から「2ちゃんねる」のゲーム関連のスレで書き込みが出始め、その後全板に飛び火する中でガイドライン板にスレが立ち、また無数の改変バージョンが生まれることとなった。 (同人用語の基礎知識より) 長年の間、謎に包まれた存在であったが、有志の探索によってついに判明。 同人作家であるDプ竹崎氏によって2003年に元となった霊夢のAAが誕生。 また2007年に魔理沙も生まれる。 それらを改造し合わせ、更にゆっくりしていってね!!! のセリフを付け足したものが起源の模様。 ゆっくり名前を憶えてね!!! 愛称や略称として「ゆっくり」と呼ばれているが、左側が「ゆっくり魔理沙」右側が「ゆっくり霊夢」とされている。 また類似の派生、改変されたキャラも同様に「ゆっくり~~」と称される。 (うどんげなど、固有名称の場合もあり) なお海外タグでは「take it easy!!! 」とつけられる事が多い? らしい。 エキサイト翻訳では「気楽にやってください」と出るが、ニュアンス的には「ゆっくりしていってね!!! 」で合ってる模様。 ゆっくり姿を見ていってね!!! その姿は創作者によって様々であり、手乗りサイズから人物の頭部と同サイズ、大きいものだとビル並になる。 動く時もぼよんぼよんと跳ねたり、空中を滑ったり、台車のようなものに乗ってスィーと移動したりと多種多様である。 時たまーに体が生えている場合もあるが、元キャラと差別化を図るためか基本的には生首の状態で活動してる。 現在、ニコニコ動画でよく見かけられるイラストは2ch全AAイラスト化計画のまそ氏によるものが原型。 余談ですが氏のHPにてゆっくり魔理沙のイラストが全体的に修正された新バージョンに置き換わっています。 ゆっくりニコニコ動画で扱ってね!!! 既に単独のタグが付くほど独立した人気勢力であり、最早東方Projectとは離れ独自の歩みを進めている。 手書きPVでは東方キャラとの絡みもよく見られ、ゲームでの改変MODやMMDで踊っている場面も多々あり。 特にMUGENのキャラクターとなってからはその存在感からサムネに釣られて観戦に来た人も数多くいた。 MUGENのキャラクターに使われたことにより、音声にはSofTalkやAquesTalKが宛てがわれるようになる。 これらの読み上げソフトを使った実況動画は「ゆっくり実況プレイ」と呼ばれ、実況プレイの一角を担っている。 また、読み上げ音声を使って歌を歌唱させた、VOCALOIDならぬ「棒歌ロイド」としても人気を呼んでいる。 この中でも技術を駆使して歌唱力を発揮しているものは「本気で歌うゆっくりシリーズ」として一目置かれています。 ゆっくり注意していってね!!! ゆっくりに興味がない人や苦手な人もいますので、ところ構わずゆっくりを愛でることを主張するのは自重しよう! また「ゆっくりしていってね!!! 」と「東方Project」を混同してしまうと両方のファンから怒られてしまうかも… マナーに気をつけて、みんなで楽しくゆっくりしていってね!!!
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