旦那さんは、6歳年下の一般男性で、名前は「ソウ」さんと言うそうです。 旦那さんは日本人ですが、ケニア生まれのケニア育ち。 アメリカの大学を出て、ゴルフのツアープロとして、カナダと南アフリカを回っていました。 しかし、ハートが優しすぎて選手向きじゃなかったため、今は教える立場で生き生きと仕事をしています。 そんな旦那さんとの出会いは、杉山さんがテニスを引退して2週間後のことでした。 三井住友VISA太平洋マスターズのプロアマ大会に出場することになった杉山さん。 スキルを上げるためにゴルフを教えてくれる人をコーチとして紹介してもらいましたが、それが旦那さんだったのです。 出会ってすぐに交際をスタートさせた2人は、テニスデートやゴルフデートで愛を育みます。 言われたとおりにすると、杉山愛さんの手には、杉山さんが欲しかったマグカップが置かれました。 《イメージ》 「素敵…」と喜ぶ杉山さんに、「もう一個あるから」と囁く旦那さん。 結婚から約4年、年齢にして40歳と3日目の出産となりました。 実は、もっと早くから子供が欲しかった杉山さん。 実際に、結婚してすぐに妊娠していますが、その時は流産しています。 気持ちを切り替えて妊活に取り組んだ杉山さんでしたが、その後はなかなか子供を授かりません。 人工授精に4度トライするも撃沈。 体外受精まではやる気が起こらず、病院に行くのも止めてしまった杉山さんは、自分のお母さんにすべてを話しました。 最後までトライすれば、たとえ妊娠できなくても、きっとうまく気持ちを切り替えられると思う。 「確かにそうかも?」と思った杉山さんは、体外受精の準備をスタート。 その結果、体外受精1回目で、幸運にも妊娠することができたのです。 もちろん、妊活を経て、気持ちは随分変わっていることと思います。 2人目の子供がどうなるかは、神のみぞ知る…と言った感じでしょうね。 名前は、杉山芙沙子(すぎやま・ふさこ)さんと言います。 母・芙沙子さんは、2000年から2009年の9年間、杉山さんのコーチを務めました。 現在は、神奈川県茅ケ崎市の総合型地域スポーツクラブにおいて、ジュニア向けテニススクールの校長を務めています。 実はテニスの経験はないという母・芙沙子さん。 それでも、こういう経歴を送れるということは、何かを持っているのでしょう。 杉山さんが引退した後は、錦織圭選手のコーチングを請け負ったこともあるそうです。 母・芙沙子さんのスポーツ歴は、中学・高校とバスケで鍛え、大学ではスキー部の主将を務めました。 学歴は、聖心女子大学文学部心理学科を卒業し、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科を修了、順天堂大学大学院医学研究科医学専攻博士課程も修了。 父・忠正さんの職業は歯科医師で、神奈川県藤沢市で歯科医院を経営しています。 年齢は、6歳年下になります。 杉山さんのコーチを母親が務めていた時代、母親との距離が近過ぎてストレスを抱えたことがありました。 そんな時、2人の間に入り穏やかな空気を作ったのが、妹さんの存在。 妹さんが試合の応援に駆けつけると、杉山さんはリラックスが出来て、成績も伸びたといいます。 杉山さんにとって妹・舞さんは「勝利の女神」だったのですね。 《こちらの記事も読まれています》•
次の元女子テニスダブルス世界ランク1位の杉山愛さんが、28日に自身のインスタグラムを更新し、息子である悠くんとの親子テニスレッスンの様子を公開した。 「4歳児の真剣な表情。 私も4歳の頃にテニスを始めました。 私が同じ年だった頃より、彼の方がずっと上手いです」(原文は英語)というコメントと共に投稿されたのは、テニス選手さながらの真剣な表情でラケットを握る悠くんの数枚の写真と、実際にボールを打つ動画。 過去の投稿を見ると、悠くんはどうやらバックハンドが苦手なようだが、動画では杉山さんからの球出しのボールをしっかりラケットで捉えて、両手バックハンドで力強く打ち返している。 これには杉山さんも幾度となく「ナイス!」と声をかけていた。 この微笑ましい動画には、ファンからも多くの反響が集まり「上手い!」「良い顔ですね!」「テニスの王子様」といったコメントが寄せられていた。 日本人最多となるグランドスラム複4度の優勝を誇る杉山さんの息子だけあって、中には悠くんのテニス選手としての将来に期待するようなコメントも見られたが、杉山さんはあくまで「テニスを好きになってもらえたらそれだけでいい」というスタンスのようだ。 杉山さんも幼少期には、テニス以外に体操、ピアノ、フィギュアスケートなど、様々なことに挑戦していたという。 悠くんも彼女と同じように、多くのチャレンジを経験しながらのびのびと育っていくのだろう。
次の今回は、元テニスプレーヤーとして有名な杉山愛さんについてです。 杉山愛さんは、1975年7月5日に横浜市で生まれました。 誕生したちょうど同じ日に、沢松和子選手がウィンブルドンの女子ダブルスで 日本人選手として初の優勝を達成した日だそうです。 ちょっと運命みたいなものを感じますね。。。 杉山さんの父は歯科医院の開業医で、母の芙紗子さんは愛さんに体操やフィギュアスケート等いろいろな習い事をさせていたそうですが、テニススクールでの入れ込み方が明らかに違ったんだとか。 自分に合ったものが見つかった瞬間ということですね。 中学1年生の時に、杉山さんは全国選抜ジュニアテニス大会の14歳以下の部で初優勝し、15歳の時には全日本ジュニアの18歳以下の部で年上もいる中で準優勝を成し遂げました。 その後もトントン拍子に、高校総体シングルスで優勝、1991年全豪オープン、1991年全米オープン、1992年ウィンブルドンで、それぞれシングルス・ジュニアの部でベスト8入りを果たしました。 プロ入り後、1993年にはウィンブルドン初本戦出場し、1994年にはシングルス・ダブルス共に世界ランキング100位以内を達成、1995年には全日本テニス選手権の女子シングルスで悲願の初優勝を果たしました。 1997年のシングルスのランキング20位入り、1998年の全豪オープンで初のシードでの出場と活躍し、1999年に混合ダブルスで念願の全米オープン優勝を果たし、グランドスラムタイトルを獲得しました。 2000年に入っても、全米オープンの女子ダブルス優勝を果たし順風満帆に思われましたが、シングルスでの1,2回戦負けが続き、杉山愛さん自身で初となる スランプに陥ったそうです。 母:芙沙子さんがコーチへ就任 スランプ状態に陥った杉山さんは 「テニスを辞めたい」と電話で母:芙沙子さんに弱音をはく程に落ち込んだそうです。 その電話をきっかけに話し合いをした結果、2001年に杉山さんの母:芙沙子(写真右)さんがコーチへ就任しました。 就任当初は、お互いにいろいろ葛藤があり結果が伸び悩んだそうですが、2003年のアメリカで行われてたステートファームクラシックで、過酷な日程の中でシングルスとダブルスで2冠を果たし、シングルスの世界ランキング10位を達成し見事な活躍を遂げました。 2009年に引退した杉山愛さんの主な戦績は、女子ダブルスでのグランドスラム優勝3回、準優勝7回、混合ダブルスでの優勝1回、また4大大会シングルスで62回連続出場の ギネス認定記録もあります。 引退から結婚へ 引退後、杉山愛さんはテレビ番組「スッキリ!! 」に出演し、2011年11月3日に 結婚したことを発表したそうです。 お相手は、会社員の一般男性の方だそうで、サッカー選手の長谷部誠選手に似ているそうです。 ちなみに本物の長谷部選手はこんな感じの人。 あくまで、この人に似ている方なのでご注意を。 (笑).
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