鶴太郎 劇団ひとり。 片岡鶴太郎の悪評と薄情な素顔…ビートたけしから毛嫌い、弟子から死ぬまで憎まれ

ヒム子で幕開けマジ歌ライブ! 鶴太郎の壮大なステージでハプニング!?:ゴッドタン|テレ東プラス

鶴太郎 劇団ひとり

受賞 第12回 最優秀助演男優賞 『』() 『』() その他の賞 第62回 助演男優賞 第43回 助演男優賞 第31回 助演男優賞 第13回 助演男優賞 第10回 助演男優賞 片岡 鶴太郎 本名 荻野繁雄 (おぎの しげお) ニックネーム 鶴ちゃん 生年月日 1954-12-21 (65歳) 出身地 ・ 言語 日本語 方言 最終学歴 師匠 、隼ジュン 芸風 声帯模写・漫談 事務所 活動時期 - 現在 他の活動 配偶者 独身(離婚歴あり) 親族 荻野良乙(弟) 弟子 、片岡つるはし、江戸一など 公式サイト 受賞歴 流行語部門・大衆賞 第15回奨励賞 第4回新人賞 第5回・第6回花王名人大賞名人賞 第10回賞(書道) 片岡 鶴太郎(かたおか つるたろう、 - )は、の、、、、、、。 本名は荻野 繁雄(おぎの しげお)。 愛称は「 鶴ちゃん」。 絵を描くときのみ左利き。 弟は太田プロダクション社員(バラエティマネージメント1部部長)の荻野良乙(よしお)。 この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2008年7月) 生い立ち 実家の荻野家はの農家であり 、父方の祖父はでを営んでいた。 鶴太郎の父は長男だったため、彼の母は彼の弟だけを引き取り所沢のに置いて行かれた。 戦後、職を求めての金属加工場に就職して鶴太郎の母と出会う。 母方の祖父は職人だったが、ので家と職業道具全てを失ってこれを機に廃業し 、戦後はを売る屋台を営んでいた。 父親は祖父の死後、祖父の実家がある所沢で育ち。 戦後は東京の金属加工工場で働いた。 結婚後は西日暮里の妻の家族の近所で暮らし始め 、1954年に鶴太郎が生まれた。 鶴太郎は父親に連れられて、寄席や演芸場へ通っていた。 物心づいた頃から芸人を志し 、10歳の時、動物の物真似でフジテレビの素人参加番組『』にテレビ出演。 その時のが後に『』のとなるだった。 早くから芸人を志し、高校進学に際しては中学3年時の初めには成績が下から2、3番だったが、夏休みの1か月間で小学校6年生の教科書からやり直し上位10番に入り、に入学。 演劇部に所属し、3年次には部長を務めた。 デビュー 後、を目指しての自宅へ何のあてもないままいきなり訪問し弟子入りを志願したが清川には会えず、清川の付き人から「男の付き人は採らない」と断られ、最後にはを呼ぶと言われ断念。 粘れば弟子入りを許してもらえるだろうと思っていた目論見が崩れてしまった鶴太郎は、生活の為しばらく土木作業員などの仕事を経験した後、にのに弟子入りし、声帯模写でやなどの舞台に出演するようになる。 師匠である片岡鶴八は、「声帯は人によって違うから、君に僕の芸はそのまま教えられない」と、芸を教えてくれなかったが、そば屋に連れて行ってもらってそばの食べ方の手ほどきを受けたり、「芸人として売れるまで、そば屋ではしか食べてはいけない」など芸人としての「粋」を教えてもらったと語る。 鶴八は、盛りそばを食べる鶴太郎の目の前で江戸前の天丼を食べていたが、これは「君も早く売れる芸人になりなさい」という師匠なりの激励であった。 鶴太郎は師匠の懐の深さを知り、「いつかは師匠と一緒に天丼を食べたい! 」と決意するが、売れ出した頃に師匠は亡くなってしまい、その願いは叶うことがなかった。 頃に大阪で(後の隼ブラザーズ)の元で修行、岡鶴太郎(デビュー当初は「片」がない)の芸名でトランポリンの地方興行を行う。 このままで終わってしまうことに不安を感じ2年ほどで一座を脱退。 知人の紹介でので劇団に所属して司会やものまねの仕事に就き修行を重ねる。 温泉旅館での宿泊客の老人には持ち芸であるの真似はウケなかったが、鶴太郎の才能を理解してくれた座長の娘と半年後に上京、結婚した [ ]。 夫人との間には3人の息子をもうけたが [ ]、テレビ番組では30歳の頃から別居状態であると明かしており 、に離婚している。 一部週刊誌は離婚の原因を若い頃からの浮気癖としているが 、本人はヨガに熱中してストイックな生活に没頭したため妻とのすれ違いが生じたと真相を語っている。 全国区の人気 24歳で実質的なテレビデビューとなるフジテレビ系『』に出演、ここで後に、の仕掛け人の一人となった横澤彪と再会。 片岡鶴太郎の芸名でに進出するが漫才ブームには乗れず。 その後として『』で披露したのにより一躍脚光を浴び、九官鳥の「キューちゃん」や、等の真似で人気を博した。 当時は小太りの体型で、熱いを無理矢理食べさせられて大げさなリアクションを繰り出す など、被虐的なだった。 そのため、鶴太郎こそがいわゆる「」の元祖だとの声もある [ ]。 「アブラギッシュな男No. 1」という不名誉な称号を得たのもこの頃である(は、鶴太郎の芸風に影響を受け全裸ネタを使うようになったと語っている)。 また、『オールナイトフジ』でと「」を歌った際には、萩原にズボンを脱がされてパンツとワイシャツだけの姿になってしまった。 お茶の間に定着して以降、物真似ではとりわけ老けキャラの開拓を得意とし(・・など多数)、後年にも、(城南電機社長)や(の最初の)ら、話題の人物を好んで演じてみせた。 持ち前の器用さからバラエティ番組の司会やトークも数多くこなし、1986年には鶴太郎の造語「」(たとえとして脳の血管や堪忍袋の緒、あるいは緊張の糸が切れて突飛な行動を取ること。 またはその人物)がの流行語部門・大衆賞に選ばれた。 多方面での活動 『』に出演の際には、と「 キューちゃん」のマネを必ず行っていた。 『』に登場したがモデルとなっている。 もともと歌が上手く(の第一期生でもあった)、歌唱力の高さを活かして半ば頃まではコンスタントにシングルを発売していた。 『』などで歌わせてもらうもなぜかヒットせず逆にお世辞にも上手とは言えないが「真赤なウソ」や人気コーナー「」の挿入歌「アミダばばあの唄」、CMで話題となった「幸せってなんだっけ」をヒットさせたことで、なぜさんまより歌の上手い自分の曲がヒットしないのかとぼやいていたという。 鶴太郎は当時『ひょうきん族』の収録日である水曜日に生放送されていた『』にも歌手として2度ほど出演実績を持っている。 一方さんまは飛び入りの応援ゲストとしての登場はあったが、歌手としての出演実績はない。 『』にもランクイン記録はないが1989年7月27日放送のスポットライトのコーナーに「思いの丈で…」で出演したことがある。 には、「今までの自分が嫌になり、それを否定したかった」という理由からテストを受験。 当時のプロテストの受験資格年齢は29歳までであったため、33歳(当時)の鶴太郎には本来受験資格がなかったが、(JBC)に懸命に頼み込み、「合格しても試合には出場できない」という条件で特別に受験が叶い合格した。 受験にあたって前年から減量を始め、それまでの小太りから急激にシャープな体型に変わった。 プロテスト後はやのマネージャーとして、タイトルマッチではセコンドを務めるなど両人の世界王座奪取に大きく貢献。 後に、芸能活動において鬼塚や畑山などの元プロボクサーが鶴太郎と同じ太田プロに所属する切っ掛けとなった。 からに放送された『』では主役の高村圭介を演じると同時に、鬼塚勝也との共演も果たした。 1990年にTBS『』で放送された『昭和のチャンプ〜たこ八郎物語〜』では、かつて『オレたちひょうきん族』で物まねをしたを、彼の前半生でのボクサーとしての視点を主体にシリアスに演じている。 、映画『』の監督・にを気に入られ主人公の父親役に抜擢されると評判を呼び、多くの映画賞を受賞、活動の軸足をに移す。 そしての『』の役を演じたことで役者としての決定的評価を得ることになる。 後年、大河ドラマでは『』(1999年)で役を演じた。 『』(2014年)では役を演じたが、『』におけるのイメージというオファー があったことから、芸人色の濃い演技となっている。 には原作一連の推理ドラマに、主人公の探偵・役で毎年出演(計9本)し、やらと並んで金田一役の代表的俳優の一角を占めることになった。 以降も『』では植物を愛し人間の本質を見抜く暖かみのある桑田判事役を、『』ではどこか虚無的な雰囲気のある刑事を演じるなど、コンスタントに活躍を見せている。 近年は2時間サスペンスドラマの主役として活躍する機会が多く、特にから引き継いだ『』での牛尾正直刑事役は当たり役の1つ。 同シリーズの2007年9月22日放送『〜悪の条件』では1985年にフジテレビ系列で放送された『』以来約22年ぶりにと共演した。 『』では久々にと共演し、『オレたちひょうきん族』のコントを 髣髴 ( ほうふつ )とさせるやりとりを見せた。 だが以前、お笑い路線から離れ、ドラマ出演などでかっこいい路線へ転向しようとする鶴太郎を、かつてのお笑い仲間、などに、自分ひとりだけ格好つけようとしていると激しく非難バッシングされトラウマを抱える。 飲み友達であるの著書によると、鶴太郎は酒の席で「自分は物まねも中途半端だし、お笑いではたけしさんやさんまさんにはかなわない。 コントには志村さんがいる。 だから、俳優に行くしかない」と語ったとされている。 後に「ひょうきん族は天才の集まり、芸人として限界を感じた。 さん、ビートたけしさん、さんまさん、山田邦子ちゃん。 毎週ガチンコで勝負していると自分の力量がわかってくる。 たけしさんとさんまさんがトークしている時入っていけなかった。 」とも語っていた。 俳優への転身は自身の評価にもつながっており、 映画『』の二代目寅さん役最有力候補とされていたこともある(の死去後すぐ報道された)。 [ ] テレビでを見た際、彼女の芸を気に入った鶴太郎は既に太田プロダクションにも入っている同僚であることを知らずに「スカウトして来い」と言ったことがある。 近年ではお笑い以外の多方面での活動が強調されており、本来の「芸人」としての活動からは遠のいているように見られがちであるが、『』や『』に審査員として参加したり、時には上述のお約束芸を披露するなどしており、完全に第一線から身を引いたというわけではない。 には『』にて、かつてのひょうきん族のキャラクターである「マイ爺さん」や「ピヨコ隊」をひさびさに演じた。 2000年、あるドラマに父親役で出演した際、息子役の当時無名だったとのケンカのシーンで、小栗が本気でのしかかり鶴太郎は腰骨が外れるというケガを負った。 多忙だった鶴太郎はこのことをすっかり忘れていたが、10年後の2010年、小栗が鶴太郎の楽屋にあいさつに来てこのことを言うと鶴太郎は非常に驚いたという。 2012年から、への関心をきっかけとして、毎朝起きると4時間を実践し、5年目の2017年にはインド政府公認「プロフェッショナルヨガ検定・インストラクター」の全4段階中の難関のレベル1に合格した。 芸術家として 草津町にある片岡鶴太郎美術館 に影響を受け、挿絵を描くことを始める。 コメディアンとしての仕事から距離を置くにつれ、1989年にドラマ『志功の青春記 おらあゴッホだ』で若き頃のを演じたことをきっかけに、を描くことや陶芸など美術方面へ傾倒していく。 と『』で共演したことから知り合い、岡本によってその才能を評価され自信を持ったとされる。 、に美術館、、に工藝館がある。 右利きだが、絵は左手で描いている。 鶴太郎が鯛を描いた台紙を用いた「片岡鶴太郎めで鯛」が5月14日よりから販売されている。 台紙内部に格納された鯛と海老の絵は取り外してなどに利用できるようになっている。 で芸術論を担当。 NHK『』では、2003年7月から9月に「鶴太郎流墨彩画塾」、翌2004年4月から5月に続編となる「新鶴太郎流墨彩画塾」で講師を務める。 2003年、に天井画を揮毫し奉納。 2004年秋より、受章者や会員ら一流画家の作品にまじって、写仏道場の格天井に飾られている。 作品名は『天井より海を眺め』。 2007年には、絵画の視点でにも挑戦し、第24回に応募。 作品「骨」が話題を呼び、総数7575点の中から賞を受賞した。 また、女優でアイドルグループ「」の元メンバーだったになど絵画を教えており、田中にとって鶴太郎は絵画の師匠的な存在だった。 3月、書家として第10回賞を受賞した(作品「夜」)。 松村邦洋との出会い 鶴太郎は、の「」の中継で福岡にある(TNC)を訪れた際に、そこでをしていた中太りの青年と出会い、「君、のものまねをしているよね。 いいよ〜、面白いよ〜」と声をかけた。 その人物は、当時大学生のであった。 この出会いで、松村は大学を中退、上京して太田プロからデビューすることとなった。 現在は松村にこの出会いをものまねされている。 読字障害 2008年10月、『』第4回に出演。 このシリーズは取り上げるテーマの病に罹った俳優・タレントが案内人を務めており、第4回のテーマは「」。 そこで鶴太郎は、学生時代に教科書の音読などが苦手だったという経験を踏まえたうえで、自らも読字障害の疑いがあったのではないか、そのことが却って芸術家としても花開くきっかけになったのではないか、と告白した。 ものまねレパートリー• (『』の親分風)• のキューちゃん• (「ちょっちゅね」ものまねの元祖)• (「チェッ」ものまねの元祖)• (彼女の生前に多用していた。 没後、ものまねを封印すると宣言)• (「コンドーですっ」ものまねの元祖)• (「マッチでーす」ものまねの元祖。 現在でも、女子高生から言われて困ったらしい)• (「飛びます、飛びます」ものまねの元祖)• (頭に大きなかつらを被る)• (このものまねがエスカレートして、「ピヨコ隊」が誕生)• (「た…たこです」ものまねの元祖)• (「ナイスですね! 他多数 出演 テレビドラマ NHK• (1987年上半期)• (1994下半期 - 1995年上半期)• (2012年上半期) - 安岡幸吉• (2016年上半期) - 隈井栄太郎• (1991年) -• (1997年) -• (1999年) -• (2008年) -• (2014年) -• (2004年8月 - 9月) - 坪内謙介• (2008年4月 - 土曜時代劇) -• (2009年) - 鳥居耀蔵• (2009年11月29日 - ) -• NHK千葉放送局開局70周年記念ドラマ「」(2013年10月、)• (2016年) - 近藤高昭• (2016年) - 江村由貴彦• (2017年) - 池山幸雄• (2018年) - 日本テレビ系• (1987年10月 - 1988年3月)• (1989年) -• (制作、1992年7月 - 9月)• (1994年)• (2007年10月 - 12月) - 剣菱万作• (2014年8月30日) - 松永和則• (読売テレビ制作、2018年10月4日 -、) - 勅使河原友和 TBS系• (1985年8月 - 9月)• (1986年7月 - 9月)• (1987年10月 - 12月)• (1990年3月)• 「第2話パターンB(花のOL編)「義理チョコに御用心」)(1991年2月11日) - 光彦• (1991年7月 - 9月)• (1993年)• 金のたまご(1997年)• (2001年) - 下坂警部• (2007年) - 野島慎吉• (2011年) - 三宅隆史• (2015年) - 片丘支店長(友情出演)• (2016年4月 - ) - 黒田伝助• 「有馬温泉殺人事件」(2016年) - 志垣良雄 フジテレビ系• (1983年)• (1988年)• (1988年)• (1989年)• (1989年)• (1990年)• 季節はずれの海岸物語 1990 暑かった夏(1990年)• 季節はずれの海岸物語 '91冬 想い出は美しすぎて(1991年)• 季節はずれの海岸物語 '91秋 フィルムのなかの想い出(1991年)• 季節はずれの海岸物語 '92冬 恋は夢の彼方に(1992年)• 季節はずれの海岸物語 '92秋 通りすぎた夏(1992年)• 季節はずれの海岸物語 '93冬 ひとりぼっちの波(1993年)• 季節はずれの海岸物語 '93秋 愛に微笑みたくて(1993年)• 季節はずれの海岸物語 X'masスペシャル(1993年)• (1994年)• (1989年)• (1989年)• (1990年 - 1992年)• 「追いかけた男」• 冬の特別編「帰れない」• 「奇遇」(1992年) - 水野武• 「逆転」• 「夢のつづき」(1995年) - 武田治• (1990年)• (1991年)• (1992年)• (1993年)• (1994年)• (1995年)• (1996年)• (1997年)• (1998年)• (1994年4月 - 6月)• 鬼が来た・棟方志功(制作) -• (2009年) - 磯野波平• サザエさん2(2010年)• サザエさん3(2011年) - 波平の兄の磯野海平役の2役。 (制作、2012年) - 日向英次郎• (2012年) - 第5話ゲスト・青山誠人• 堂場瞬一サスペンス (2013年、) - 鬼塚修平• (2013年) - 第1話ゲスト・安達道則• (2014年) -• (2014年) - 第9話ゲスト・天枝史郎 テレビ朝日系• (1990年4月 - 9月) - 田中秀行刑事• - 浅倉守刑事• (1992年)• (1994年7月 - 9月)• (1995年)• 影武者・織田信長(1996年) -• 大江戸弁護人 走る! (1996年)• (1996年 - ) - 刑事• (1998年)• (2007年1月6、7日) -• (2008年3月15日) - 豊臣秀吉• (2012年) - 小暮茂雄• (2014年6月8日) - 清右衛門• (2015年3月29日) - 本願寺純 テレビ東京系• (制作、1992年3月)• なんでも屋大蔵の事件簿(2002年 - 2003年、)• シリーズ(2005年 - )• (2015年、) - 鎌田幹生• 4(2015年、水曜ミステリー9) - 三上健一• (2016年、) - 吉光全• THIRD SEASON(2018年7月20日 - 、テレビ東京) - 横山建夫 役 その他• 「」(2020年1月11日 - 2月29日、) - 鴨居厳 映画• (1986年、監督:) - ホスト• (1988年、監督:) - 原田英吉• (1988年、監督:) - 辰野吾郎• (1989年、監督:) - 正義の男• (1990年、監督:) - 山崎大介(デボラ)• (1994年、監督:) - 暴田豪(教習所指導員)• (1994年、監督:大林宣彦) - 大沼晩山• (1995年、監督:) -• (1995年、監督:) - 緒方• でべそ(1996年、監督:) -• (1998年、監督:大林宣彦) - 喜久本龍蔵• (2000年、監督:) - 安川半蔵• (2000年、監督:) - 広瀬道男• (2001年、監督:) - 絵師• (2004年、監督:) - 軍閥の将軍• (2004年、監督:大林宣彦) - 石田直澄の父 石田直隆• (2006年、監督:) - 佐伯聖一• (2007年、監督:) - 朝倉大吾• (2009年、監督:) - 浦部敦彦• (2012年、監督:大林宣彦) - 野瀬真• (2014年、監督:) - 本願寺純• (2015年、監督:柴崎貴行) - 本願寺純• (2015年、監督:柴崎貴行) - 本願寺純• (2015年、監督:) - 石丸広輝• (2016年、監督:) - 日下孝蔵• (2017年12月16日公開、監督:) - 文士• (2020年公開予定、監督:大林宣彦) - バラエティ NHK• 「和歌山・JRきのくに線」(2010年3月19日)• (2010年7月22日)• (2011年4月16日)• (不定期) 日本テレビ系• (1982年、本名の荻野繁雄名義で素人に混ざって毎週ネタを披露)• (1985年 - 1986年)• (1985年 - 1986年)• (1986年 - 1992年)• (1986年 - 1988年)• (1987年)(司会)• (1988年)• (坂上二郎のものまねで男性軍キャプテンを担当)• (パネラーとして不定期に出演)• (ゲスト出演・2007年8月4日放送分)• (2011年 - ) TBS系• (1984年 - 1985年) フジテレビ系• (1978年 - 1980年、この番組でものまね芸人としてのテレビでのデビューを果たす)• (の代役)• (1985年4月 - 9月)• (1985年10月 - 1993年3月・1994年4月 - 1995年9月)• (レポーターとして出演)• (関西テレビ制作、1986年 - 1987年)• (審査員として出演、・不在時は審査委員長)• (ゲスト出演・2006年3月25日放送分)• (関西テレビ・フジテレビ制作、コーナーレギュラー)• テレビ朝日• (1979年 - 1983年、番組後期のレギュラー、ハッ鶴マン)• (1983年)• (1984年 - 1985年)• 鶴ちゃんのいちごチャンネル(1985年 - 1986年)• (1986年)• (1986年 - 1987年)• (1987年)• 「ツルーライトゾーン」(1988年 - 1989年)・「ツルータス」(1989年 - 1990年)• (1988年)• (2011年) テレビ東京系• (1986年 - 1987年、の後任の二代目司会者)• (1995年 - 2003年)• Webで簡単予約! いい宿ナビ(2010年8月)• (2010年12月) 情報番組• (・・放送)• 風人の画布(、2009年まで)群馬県広報番組• 鶴太郎のぐんま一番(群馬テレビ)群馬県広報番組• 鶴ツル() ドキュメンタリー• JNN共同制作番組「穂高よ永遠なれ 北穂高小屋物語」(制作、TBS系、2003年4月29日)• (NHK総合・、2008年4月 - 8月)• 日曜特番「天空そそり立つ幻想の峰山〜中国張家界〜片岡鶴太郎世界遺産の旅」(、2012年7月8日)• (NHK総合)• 第4集 読字障害〜文字が生んだ病〜(2008年10月12日、NHK) - ナビゲーター• 遥かなる満州〜ラストエンペラーが見た夢の彼方(2015年12月13日、BS-TBS) - ナビゲーター 教養番組• 鶴太郎流墨彩画塾(2003年7月 - 9月)• 新鶴太郎流墨彩画塾(2004年4月 - 5月)• 伊予路てくてく「砥部町」(NHK、2006年4月21日)• 片岡鶴太郎のにっぽん蕎麦紀行〜窮(きわ)められしそばの世界を求めて〜(、2009年2月 - )• 片岡鶴太郎のにっぽん発見(旅チャンネル、2009年4月-)• ステキな旅先散歩(旅チャンネル、2010年11月 - )• 「」(NHK教育、2010年12月6日 - 2011年1月31日)• (、2011年11月)• (、2012年4月2日 - 2015年3月30日) - 司会• (画、NHK教育) ラジオ• 片岡鶴太郎の土曜日は鶴日和()• (文化放送)• 片岡鶴太郎 今宵も神の雫(TBSラジオ、2014年9月30日 - 2015年3月)• 片岡鶴太郎 わいわいワイン(TBSラジオ、2015年3月30日 - 9月21日) CM• カップうどん(1984年)• ピップエレキバン(1980年代後半)• 救心(2016年 - ) 題字・メインビジュアル テレビ番組• 同窓会(テレビ東京) - 題字• (テレビ朝日) - 各回のテーマタイトルを担当• NHK千葉放送局開局70周年記念ドラマ「」(2013年10月、NHK BSプレミアム) - メインビジュアル(ドラマポスター・パンフレット等)を担当• (BS朝日) - 題字 ディスコグラフィー シングル• がんばれ!! ライパチくん!! (川口ひろし・・片岡鶴太郎・北口光彦のユニット「ものまねヨイショ軍団」名義、テイチク。 1980年発売。 B面は「凸凹ブルース」のカバー)• 哀愁DON JUAN(ドンファン)(「片岡つるたろー」名義、。 1982年発売)• しらすおろしをくれ! (「つるたろー」名義、ラジオシティレコード。 1982年発売)• ゴーストブスターズ(映画「」日本版主題歌、。 1984年発売)• 人生はコメディー(『もしも…学校が!? 』主題歌 三田村邦彦・片岡鶴太郎・山本コータローのユニット「THE SCHOOL」名義、日本コロムビア。 1985年発売)• バナナが好きだった(「人生はコメディ」B面、THE SCHOOL名義、日本コロムビア)• LOOKING FOR A FIGHT(プロデュースによる曲、キャニオン・レコード。 1985年発売)• IEKI吐くまで(キャニオン・レコード。 1986年発売)• 酔うほどに…(キャニオン・レコード。 1987年発売)• はなのにっぽん さのよいよい(フジテレビ系列『』挿入歌、ポニーキャニオン。 1989年5月3日発売)• 思いの丈で…(関西テレビ・フジテレビ系列『志功の青春紀より・夢を彫る男』主題歌、ポニーキャニオン。 1989年7月21日発売)• DREAMER(映画『Mr. レディー 夜明けのシンデレラ』主題歌、ポニーキャニオン。 1989年12月15日発売)• あんたが一番好きやねん(「好きやねん」CMソング、。 1994年11月21日発売)• 夢の背中(NHK『趣味悠々 秋元康の陶芸入門』テーマ曲、。 2002年11月20日発売)• たこちう。 2015年6月10日発売) アルバム• キスヲ、モット、キスヲ…(「つるたろー」名義、ラジオシティレコード。 1982年発売)• 豪華愛蔵盤 片岡鶴太郎ヒット大全集(ポニーキャニオン。 1987年11月21日発売) 著書・画集• 『変な顔』 1984• 『きびだんご 機微男子』太田出版 1987• 『鶴ちゃんのプッツン者! 』太田出版 1988• 『神経質な奴ら プッツン者2』太田出版 1989• 『真夜中のスパーリング』太田出版 1993• 『とんぼのように 片岡鶴太郎画集』 1995• 『心彩彩 片岡鶴太郎画集2』監修 近代映画社 1996• 『鶴のおんがえし 生かされて生きぬく』 1996• 『三番花 片岡鶴太郎画集3』浅井博司監修 近代映画社 1997• 『生涯素人 鶴が箱根に飛んできた 片岡鶴太郎画集』近代映画社 1997• 『鶴太郎絵日記』 1997• 『いれものがない両手で受ける』句 書画 1998• 『鶴のひとこゑ』絵と書 1998• 『枕を高くして 片岡鶴太郎のベッドサイドストーリー 明日を元気に生きるための8章』近代映画社 1998• 『門外漢 片岡鶴太郎画集4』近代映画社 1998• 『あしたは鶴日和』 1999• 『当意即妙』マイストロ 1999• 『そして風の旅はつづく 片岡鶴太郎アジアの旅と作品集。 』テレビ朝日事業局出版部 2000• 『龍聲 片岡鶴太郎画集5』近代映画社 2000• 『赤蜻蛉 片岡鶴太郎画集6』近代映画社 2001• 『夢画夢中』 2001• 『花音色 片岡鶴太郎画集7』近代映画社 2002• 『フルーツパフェ 片岡鶴太郎絵本』 2002• 『自伝・描きかけの自画像』講談社 2003• 『蝉時雨 片岡鶴太郎画集8』近代映画社 2003• 『流れ椿 片岡鶴太郎画集9』近代映画社 2004• 『片岡鶴太郎ガラス作品集』近代映画社 2005• 『筆のゆくまま、心のままに 片岡鶴太郎半生記』生活情報センター 2005• 『夜桜 片岡鶴太郎画集10』近代映画社 2005• 『癒しの禅語』佼成出版社 2006• 『ご縁をいただいて』 2006• 『鶴太郎流墨彩画入門』 2006• 『游鯉龍門 片岡鶴太郎画集11』近代映画社 2006• 『綿の湯 片岡鶴太郎画集12』近代映画社 2007• 『No rain,no rainbows 片岡鶴太郎画集13』近代映画社,2008• 『大人の墨遊び』 2008• 『小猫 片岡鶴太郎画集』 2008• 『しみ入る心の』 2008• 『墨戯彩花 片岡鶴太郎画集 14』近代映画社 2009• 『椿』佼成出版社 2009• 『艶葉樹 片岡鶴太郎画集 15』近代映画社 2010• 『墨牡丹 片岡鶴太郎画集 16』近代映画社 2011• 『鶴太郎流心で描く絵だより入門』 趣味入門 2011• 『精霊椿 片岡鶴太郎画集』近代映画社 2012• 『今日も日暮里』 2013• 『夕暮此糸 むらさき 片岡鶴太郎画集』近代映画社 2013• 『還暦紅 画業20周年 片岡鶴太郎画集』近代映画社 2014• 『50代から本気で遊べば人生は愉しくなる』 2017 共著• 『絵心あれば墨心 対談画文集』共著 成星出版 1998• 『を書く 筆に魂をこめて』対話 毎日新聞社 2007 受賞歴• - 第43回 スポニチグランプリ新人賞 『』• 1988年 - 第62回ベスト・テン 助演男優賞 『異人たちとの夏』• 1988年 - 第31回 助演男優賞 『異人たちとの夏』• 1988年 - 第13回 助演男優賞 『異人たちとの夏』• 1988年 - 第10回 助演男優賞 『異人たちとの夏』• - 最優秀助演男優賞 『異人たちとの夏』『』 脚注 []• 2015年3月13日放送. インタビュアー:江坂裕子. 荒川ゆうネットアーカイブ,. 2018年2月2日閲覧。 スペシャルドラマ 坂の上の雲. 2010年11月17日時点の [ ]よりアーカイブ。 2018年2月2日閲覧。 以上、ゲスト出演した『』でのインタビューによる• 『』より• 『』2017年9月5日号、、 [ ]。 2017年8月18日. 2018年2月2日閲覧。 佐々木博之 2017年8月19日. 週刊女性PRIME. 主婦と生活社. 2017年8月22日閲覧。 2017年8月18日. 2017年8月22日閲覧。 おでんはネタとして行ったものではなく、1984年3月17日に放送されたひょうきん族のコント(鶴太郎は浦辺粂子役)で夕食のシーンに出てきたおでんがあまりにも熱く、氷水を飲んで流し込もうとしたが喉につっかえて噴きだしてしまった。 その様があまりにも面白かったため定番のネタとなった。 『』(2007年11月11日放送、片岡鶴太郎、ダチョウ倶楽部、がゲストの回)より• 2013年5月11日. 2016年9月4日閲覧。 『』2017年9月14日号、文藝春秋、 135頁。 2010年4月9日. 2016年5月24日閲覧。 ORICON NEWS. 2017年7月7日閲覧。 エキサイトニュース. 2017年7月7日閲覧。 Sponichi Annex. 2011年4月25日. 2016年5月24日閲覧。 Sponichi Annex. 2015年3月1日. 2016年9月4日閲覧。 ORICON STYLE. 2015年11月6日. 2015年11月6日閲覧。 リアルサウンド映画部. 2018年9月11日. 2018年9月12日閲覧。 ORICON STYLE 2016年3月3日. 2016年3月3日閲覧。 2016年9月4日閲覧。 あいテレビ. 2016年5月4日閲覧。 関連項目• 外部リンク• - (英語)• ・・・ (ゲスト)() ・・・・・・・・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・(声)・ (ゲスト)() ・・ (ゲスト)・・ (ゲスト)・ (ゲスト)() ・・・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)() ・・・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)( ・・・・・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)() ・(声)・(声)・ (ゲスト)・ (ゲスト)(声)・ (ゲスト)(声)・ (ゲスト)・ (ゲスト)() ・・・・・・・・ (ゲスト)() ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)(声)・ (ゲスト)(声)・ (ゲスト)(声)・ (ゲスト)(声)・ (ゲスト)(声)() 第2期 ・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)() ・・ (ゲスト)・ (ゲスト)(声)() ・ (ゲスト)() ・・・・(声)・・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)() ・・・・ (ゲスト)・・・・・・・ (ゲスト)(声)・ (ゲスト)・ (ゲスト) ・(ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)(声)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)() ・・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)(声)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)() ・・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)() ・・・・・・・ (ゲスト)() ・・・・・・(声)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)(声)() ・・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)・ (ゲスト)(声)・ (ゲスト)(声)().

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劇団ひとりの本名は川島省吾?イケメン画像やキャンピングカー生活の噂まとめ

鶴太郎 劇団ひとり

「Thinkstock」より 「実はこの3月に離婚しましてね」と突然、熟年離婚をカミングアウトしたタレントの 片岡鶴太郎。 8月18日に放送された『 ダウンタウンなう』(フジテレビ系)に出演した際、「今までどこにも言ってないんですよ」として、24歳の時に結婚した妻との別れについて語った。 「鶴太郎の私生活はあまり知られていませんが、道後温泉の劇団で修業しているときにそこの座長の娘と結婚。 元俳優の長男ら3男を授かっています。 30歳の時から自宅とは別に勉強部屋と称した別宅を借りており、結婚生活5年目には別居生活に。 以来、30年間以上も妻と別々の生活を送っていたそうです」(芸能記者) 鶴太郎といえば、伝説のバラエティ番組『オレたちひょうきん族』(同)でブレイク。 お笑いから俳優業にシフトして、個性派役者として活躍している。 「若い人々は知らないでしょうが、当時は熱いおでんを熱がるリアクション芸で後輩のダチョウ倶楽部・上島竜兵がそれを継承したり、具志堅用高や小森和子などのものまねで、カリスマ的な人気を誇りました。 スキャンダルとしてはアイドルグループCoCoの宮前真樹と不倫疑惑を週刊誌『フライデー』(講談社)に報じられたこともありました」(テレビ局記者) 最近はインドの ヨガにハマっており、かつてぽっちゃりだった体型がウソのような体重43キログラムという細さになり、現在は日本に30人ほどしかいないというインド政府公認のヨガインストラクターの資格を持っていることが話題となっている。 「確かにストイックな鶴太郎さんらしいヨガへの傾倒ですが、また彼らしい独りよがりさが出ていますね」と語るのは、鶴太郎をよく知る芸能事務所関係者だ。 「鶴太郎さんはよく言えばまじめで自分に厳しい人なんですが、それを他人にも当てはめてしまう。 だから彼の周囲には人が集まらない。 『ひょうきん族』で共演し、かつては仲が良かったビートたけしも『アイツは薄情だ』と言って毛嫌いしています。 例を挙げれば2014年に亡くなった、アントニオ猪木の物まねでおなじみだった春一番さん。 彼は鶴太郎さんの弟子だったのですが、酒癖が悪かったため『二度と顔を見せるな!』と言われて破門。 所属していた太田プロを解雇されるのですが、生前の春さんは最後まで『許せない』と話していました。 どんなことがあっても弟子を見放さないたけしとは真逆の性格で、今回の離婚にしても彼の奥さんは相当我慢した上で夫のもとを去ったと思います。 今後、彼はますます孤独な人生を歩んでいくのではないでしょうか」 現在のヨガ活動も所属事務所は「誰も口を挟めない」(太田プロ関係者)という。 (文=編集部).

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劇団ひとり&松丸アナ、衝撃の“特殊メイク”&ダンスに反響「最高」「さすが」|ニフティニュース

鶴太郎 劇団ひとり

テレビ東京プロデューサー・佐久間宣行が語る、「天才」劇団ひとり ちょっと前に公開された、『ゴッドタン』や『キングちゃん』を手がけるテレビ東京・佐久間宣行プロデューサーのインタビュー記事が面白かった。 テーマは、 「天才」劇団ひとり。 だから「あの人天才なんだけど、恵まれなくて」みたいなことを言われる人は、あまり「天才」だと思わないです。 そういう意味で、劇団ひとりはパイオニア的なところがたくさんある。 天才ぶらないからわかりづらいだけで。 " 今をときめくキーパーソンに「誰を『天才』と思うか」を聞いていく新連載"とのことだが、その一発目に佐久間宣行と劇団ひとりを持ってくるあたり、この企画を考えた人エライ。 「お笑い風」という用語にちゃんと注釈が付いていたり、細かい部分も良かった。 - 5月 25, 2017 at 8:47午後 PDT (注:「お笑い風」とは『ゴッドタン』でハライチ・岩井勇気が提唱した概念。 バラエティー番組などにおいて、出演者の取るに足らないトークをあたかも面白い話のように受け止め、場を盛り上げる芸人の技術やスタンスを指す) 年末年始のテレビ番組を観てたら「 劇団ひとりはやっぱり天才だな」と思ったことがあったので、今回はそれについて書きたい。 2017〜2018年の年末年始特番での劇団ひとり 2017年から2018年にかけての年末年始特番でも大活躍だった劇団ひとり。 いくつか振り返ろう。 ダウンタウンのガキの使いやあらへんで 絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス 大晦日の年越し特番も12回目ということで完全にパッケージが出来上がっている『笑ってはいけない』。 マンネリという言い方もできるかもしれない。 別に年末感も年越し感も新春感もなんにもないので、録画して年明けにダラダラ観るのが好きだ。 今回はいろいろ批判されているが「そんなに真剣に観るものでもないのに」と思う。 『笑ってはいけない』で毎回楽しみなのが板尾創路と劇団ひとりのコーナー。 今回も一番面白かったのは劇団ひとりだった。 ちなみに次点は千鳥の漫才のバイク。 ワイヤーアクションで思いっきり天井に叩きつけられる劇団ひとり。 見たことのないタイプの体の張り方。 本来もう体を張る必要なんてないポジションにあるにもかかわらず、体を張ることを厭わない劇団ひとりの姿勢が清々しかった。 ゴッドタン マジ歌選手権 そして、『ゴッドタン マジ歌選手権』。 佐久間宣行プロデューサーのインタビューでも言及されていた田原俊彦「 トシムリン」、ゴールデンスペシャルでの波田陽区「 波田ニューヨーク」に続くリアルマスクネタは、片岡鶴太郎「 ウォーキング・鶴太郎」。 マジ歌ありがとうございました! — 劇団ひとり GekidanHitori 最近いろんな芸人がネタにしている片岡鶴太郎のヨガだが、自らが片岡鶴太郎に扮した上で、「ボクシングとか水墨画みたいにヨガもすぐ飽きるんだろ?」という誰もが薄々思っていたことをオブラートに包むこともなく剥き出しで歌うという、劇団ひとりならではの離れ業。 同じ太田プロだから出来たのだろうか。 ついでに書いておくと、ハライチ岩井のキュウソネコカミ風のマジ歌「忘れねえからな」も良かった。 2018年はぜひブレイクを果たしていただきたい。 年始に出題編を収録し、年末に生放送で答え合わせをするという大掛かりな番組。 関連記事: この番組での劇団ひとりが凄かった。 正確にはこの番組のあるクイズでの劇団ひとりが凄かった。 キンタロー。 に関するクイズである。 年始の収録で「キンタロー。 について問題が出されますよ」と宣言されていて、年末の生放送でキンタロー本人から自身にまつわる問題が出されるという流れ。 このクイズでの劇団ひとりが凄い。 飼いネコの名前や観光大使に就任した都市名といったキンタロー問題に正解しまくる劇団ひとり。 2時間の番組の中でここが一番面白かった。 クイズ」での劇団ひとり無双で決まりだ。 野性爆弾くっきーの「オダムド」や「ホタテオ」も面白かったけど。 クイズ」に正解できたのか。 何の事はない。 ブログを読み、ラジオを聞き、単独ライブに顔を出し、DVDを買う、という猛勉強の結果だ。 「正解しまくったら面白いだろうな」というのは誰でも思いつく。 ブログを読むのだってライブに行くのだって、やろうと思えば誰でもできる。 でも、それを実行する・実行できる人間はいない。 まさに佐久間宣行プロデューサーが天才の条件として挙げていた「 実行力」である。 小藪一豊やバカリズム、おぎやはぎなど錚々たる芸人が揃うなか、「キンタロー。 クイズ」に対して入念に準備してきて正解を連発したのは、劇団ひとりだけだった。 年末の特番とはいえ、たかだか5分くらいのコーナーのひとつのボケのために膨大な時間を費やすその姿勢に、劇団ひとりの凄まじい天才性を感じた。 天才の仕事術 自らが信じるもののために、時間という最も貴重なリソースさえも躊躇なく投入する。 これが天才の仕事術だ。 天才はコストパフォーマンスなんて気にしない。 コスパがどうとか言ってる奴は、プロフェッショナルではあるかもしれないが、天才ではない。 ほどほどの力で80点を取るのは天才の仕事ではないのだ。 …と、完全なる凡人であるワタクシが書いても何の説得力もないけど、きっとそうなのだと思う。 「天才」劇団ひとりの今後に期待 「天才」劇団ひとりの全身全霊を懸けた仕事をこれからも楽しみにしたい。 特に期待しているのが、Amazonプライムの松本人志プレゼンツ『ドキュメンタル』への参戦。 たぶん最強だと思う。 いつか出てほしいなあ。 年明けの『ゴッドタン』でもやっぱり天才 (2018年1月20日追記) 年明け早々、『ゴッドタン』(2018年1月13日深夜)での劇団ひとりもやっぱり天才だった。 内容は「 キングコング西野VS劇団ひとり完全決着SP」。 CMを抜いたら正味20分ちょっとの番組とは思えない濃密さだった。 最初の服の破き合いがちょっとしたウォーミングアップ感覚になっている時点で何かがおかしい。 普通の番組だったらこれがクライマックスでもいいくらいだ。 そして、「キンタロー。 クイズ」への猛勉強にも通ずる、キングコング西野『革命のファンファーレ』に対するあまりにも真摯な読書感想文、というか書評。 キンタローのラジオを聴いてブログを読むかたわら、『革命のファンファーレ』もしっかり読み込んでいた劇団ひとり。 これぞ天才の仕事術。 圧巻だったのが狂気の髪切り対決。 「スポンサーへの配慮に芸人魂が勝った瞬間」を目の当たりにして、大袈裟に言うのならば、カタルシスを感じた。 ジャンボ尾崎風・劇団ひとり。 - 1月 13, 2018 at 9:17午前 PST 最後は安定の泣き芸。 本当に濃密だった。 スペシャルでも何でもないレギュラー回でこの内容を見せつける『ゴッドタン』は恐ろしい番組だ。 年をまたいだ伏線回収。 ゴッドタンの「劇団ひとりvsキングコング西野」最高でしたね。 正解は一年後の有吉チーム楽屋で「これくらい髪型変わる時ってホントは事前にスポンサーに言わなきゃいけないんだって…」と仰ってました。 関連記事: 2018年も二人の番組から目が離せない。 もちろん、天才・劇団ひとりからも目が離せない。

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