久しぶりの再会に緊張してるのかもしれない、ハルたんの情熱さと比べて、俺の反応はあんまりにもぎこちなさ過ぎだった。 ハルたんはよく俺の気持ちを見透かして、両手で俺の顔を揉み始めた。 乱暴には見えるけど、ホントは暖かくて優しかった。 「どうしたの瞠〜もしかしたら緊張してる?」 「きゅんじゅしてぬぇえよ…(緊張してねえよ)」 「うっそう〜頬とっても固いよ、はいはい、リラックスリラックス!」 「わっとわっと、手う離す!(わったわった、手え離せ)」 俺はただ口で彼を止めようとする、だって本当はこうして彼とじゃれ合うの心の底から楽しんてる。 ハルたんはまっすぐ俺の目を見つめた。 「じゃあ、手を離したら笑顔を見せてくれる?」 俺は頷いた、そしたら頬への圧迫は消えていた。 さっそく口端をあげようと思ってる時、やはり涙の方が先に素直で溢れ出した。 視界は霞んで彼の顔がよく見えない、多分今頃仕方がなくて首を振って苦笑いしているだろう。 「まったく、せっかく俺らの学校が合併して、一緒に最後一年の高校生活を送れることができたのに。 」 「それが嬉しくって…ひく…」 ハルたんは自分のハンカチを出して、優しくびしょ濡れの俺の頬を拭りつつながら、気長に俺が泣き止むのを待っていた。 こんな光景が他の生徒の目に映ると、きっと俺らが思ったような美しいワンシーンではないだろう。 なにせよ、芸能校の生徒が不良校の生徒を泣かすのはおかしというより、むしろもう恐ろしいとしか思えない。 こんなのを見て、まだ勇気を出せる、俺らと話し掛けるのやつはむしろ勇者だ… 「やあ春人、ここで何をしてるんだ?」 ーー勇者が出た!! 「カイン。 今友達と話してる。 」 「不良校の生徒がおまえの友達、しかも泣いてる。 なんか面白いな、俺に紹介してよ。 」 「えっ前君言ってたじゃない、不良校が嫌いって。 目の前の男子は俺らよりちょっと身長が高く、片目を覆って、広い肩まで伸びたその長い赤髪は炎のように燃えている。 彼はハルたんと同じレベルの美型だ。 俺は少しもやもやして、ぎゅっとハルたんのコートの裾を掴んだ。 「誰?」 その質問はもちろんハルたん向け。 ……正直、俺は自分のあまりにも女々しい仕草に驚いた。 答えてくれたのは赤髪の男子だった。 「初めまして、俺はカイン、芸能校の三年生、春人と同じ寝室、ミュージシャンになりたいんだ。 よろしく。 」 彼は行儀よくちょっとだけ腰をかがめて、目を輝かして俺に手を伸ばしたーーただそれだけなのに。 やっべぇ、かっこいいなこいつ。 けっこういいやつじゃねえか。 いやハルたんの友達の中いいやつしかいねえじゃん。 何やってんだ俺。 俺は誠意を込めて、男らしく(そう思うのは多分俺だけ)彼の手を握りしめた。 「俺久保谷瞠、不良校三年生、やりたいことは…まだ居ねえ。 よろしくな、カイ…カ…うん?」 彼のあだ名、なかなかいいもん湧いてこねえな… 「カインと呼んでくれ。 」 「いや忘れたわけじゃないんっすけど…」 「瞠は友達をあだ名で呼ぶのが好きだからね。 」 さすが我が親友、ナイスフォロー! 「でも珍しいね、君がちゃっちゃっとあだ名を出せないのは。 」 「そういう名は初めてだからっすかね…」 考えるのにたぶん時間がかかりそうだから、しばらくはカイン(仮)にしよう。 カイン(仮)の目は少し上へ移して、何か考えてるようだ。 「俺は人にあだ名で呼ばれた覚えはないな…つけてくれるのか?なんだか楽しみだな。 ちなみに、春人はどんなの?」 「ハルたん。 」 「ハルたんかあ…いい響きだな。 ますます俺のあだ名が楽しみだ。 」 カイン(仮)はそっと目を閉じ、指を空で踊らせて、その調子に乗って聞いたことのない歌を口ずさんた。 ちょっと照れながら嬉しい感じが伝わってくる、うまく言葉でできないけど、とっても優しい曲だった。 歌終わった後、ハルたんから始め、俺を含めて、カイン(仮)の周りのみんなが手を叩いて歓声を上げた。 まさかこんな大袈裟になるとは思えないだろう、ハルたんは俺に目をやった、俺が頷いたの確認した後、慌てて人に囲まれたカイン(仮)の腕を掴んで、謝りながら人の少ないどころへ走り出した。 「はあーここまで来たら大丈夫だろう…」 校舎の中へ逃げ込んだ俺らはひとまず休憩することになった。 「本当、君の才能が羨ましいよ…」 ハルたんはちょっと肩をすぼめた。 カイン(仮)の笑い方も声もとっても爽やかだった。 でも、二人のはしゃぎ声はまるで俺の耳には入らなかった。 「みみみみみみみみみはるんって俺っすか?」 「もちろん、どう…うわってか顔真っ赤じゃないか、どうしたの?突然熱でもあったのか?」 俺はブンブン頭を振った。 はじめてあだ名が貰ったから、すごく嬉しい…… そう言いたいのに、つい涙を堪えなくて、ひくひくと泣きはじめてはもう止められなくて、うまく声が出さなかった。 「もう瞠、今日泣くばかりだな。 」と言いながら、ハルたんはまたハンカチを取り出した。 「あ、あっ、俺はどうすればいい…わかった!よしようし、痛くないよ、大丈夫だよ、みはるんはいい子だから…」とカイン(仮)慌てて俺の頭を撫で撫でする。 本当はみっともないと自分もわかってる、でもこうして新しい学校生活を迎えるの、結構いいと思ってた。 昼間に色々あったな。 夜になったらいつまでも眠れない、ちょっと携帯を見ようか。 電気が付けると、ちょうど3月31日から4月1日に変わった、二通のメールがその瞬間で届いた。 俺は先にハルたんからのメールを読んだ。 「お誕生日おめでとう、瞠くん。 」 これで終わりだと思ったが、スペースがちょっと異常に多いなー 「……君の学校がほかのと合併した後、毎日君に会えないの、ちょっと寂しいかな。 」 ………… 急にあいつと電話したくなった。 指は俺の考えより先に動いた、気がついたらもう繋がった。 「もしもし、瞠くん?まだ寝てないの、どうしたの?あ、もうメールはしたけど、ここでももう一回言おう。 」 「誕生日おめでとう。 」 やっば誠ちゃんの声に一番落ち着く、その同時に一番俺の胸を踊らせる。 「どうしたの、瞠くん。 」 誠ちゃんまたそう俺に聞く。 「いや、あんたの声が聞きたくなっただけ…」 彼の笑い声は耳のそばで響く、とってもくすぐったい。 「寂しがり屋だね、瞠くんは。 」 「ま、俺もそうだけどな。 」 「新たな学校はどんな感じ?瞠くんの声も聞かせてよ。 」 「…うん。 」 新しい校舎、新しい友達、新しい先生。 変わらないもの、変わらない人々。 夜はまだ長い、たくさんたくさん話がしたい。 昼間にまだ授業があるのは、もう少し忘れたふりをすっか。
次の「ストップストップ!ちょっと待ってくださいミスラ!」 咄嗟にあげた晶の声は掠れていた。 これでも精一杯勇気を出して吠えたのだが、悪名高い北の魔法使いは止まらない。 晶はジリジリと窓際にまで追い詰められて、もうこれが最後の抵抗とばかりにカーテンの陰に体を隠した。 背中に夜の冷たい空気と、この世界独特の月の重たい気配を感じる。 「どうして逃げるのかわかりません」 「同意もなしにあんなことされたら、誰だって普通は逃げ出します!」 「はぁ。 あんなこと」 ミスラが思案げに手を首にやる。 見慣れた姿も色めいて見えて、晶は無理に視線をそらした。 床に落ちた影がまた一歩近づいてきて、晶の呼吸を苦しくさせる。 「正直な話、そこまで嫌がられるとは思いませんでした。 毎晩のんきに隣で寝ているじゃないですか」 「それは傷のせいですし、一緒に寝ない日だってあるじゃないですか!ミスラだって大人しくしてくれています」 「別に今夜だって暴れたつもりはありません」 「暴れてはいませんけど、でも」 カーテンの端を掴む手に力が入る。 「……キスしてきたじゃないですか」 蚊の鳴くような晶の声を拾おうとしてか、ミスラの端正な顔が寄ってくる。 月とミスラに挟まれて、晶にはもう逃げ場がない。 魔法を使わず、体格差にものを言わせることもしない。 まるで普通の男のように迫ってくる。 晶はどうしてこんな時だけ、と心で深い溜息を吐いた。 もっと卑怯になってくれたら、オズの名前を出せるのに。 「それで、朝までそこにいるつもりですか?冷えません?」 「風邪をひいたらミスラのせいです」 「では看病してさしあげますよ、賢者様」 ミスラは蕾を剥くように、カーテンの隙間から晶の頬をすくい上げる。 ミスラの指が冷たいのか、自分の頬が熱いのか、晶にはどちらかわからない。 ただ久しぶりに正面から見たミスラの瞳に、真っ赤な自分が映っていた。 「こ、こういうことは!」 「はぁ」 「好きな人とするべきだと思います!」 「合ってるじゃないですか」 「え、あの、好きな人とですよ?」 「はい」 「……え?ミスラ、私のことが好きだったんですか?」 「まぁ。 はい」 ポカンと呆けている間に、簡単に二度目を奪われる。 腰を引かれてよろめくと、そのままベッドに投げられた。 「ミスラ!」 「今日はここまでにしておきます。 早く寝ないと襲いますよ」 「言いながら入ってこないでください!」 「は?俺に寝るなって言うんですか?」 「そういう問題じゃ……!」 ミスラに他意はないのかもしれない。 それでも抱きすくめられて、晶の声は喉で詰まった。 たとえ抱き枕の扱いだとしても、胸が鳴るのを止められない。 好きだとか嫌いだとかの前に、緊張で身じろぎさえ出来なくなった。 「寝にくいですね。 肩の力抜けませんか??」 「……誰のせいだと思ってるんですか」 それでもほとんど日課になっている軽口と、さっきまでの冷たい窓際から一転、暖かい布団と二人分の温もりに、ゆるゆると気持ちが解けていく。 閉めそびれたカーテンの隙間から、月が静かに照らしていた。 [newpage] 私の為に淹れてくれる、特別なココアが好きだった。 数が採れない貴重なものを使っているからと、二人きりでいる時にだけ淹れてくれた。 それはネロが出し惜しみをするのも納得の、他では絶対に御目にかかれない美味しさだった。 悪い夢を見て起きた夜、足音を忍ばせてネロを訪ねると笑ってくれた。 「またか賢者さん」なんて口先ばかりで呆れてみせても、一度も追い払われたことはない。 ココアをねだると飲み終わるまで居てくれるので、子供みたいにゆっくり飲んだ。 疲れて食欲が無い時や、気分が落ち込んでいる時は部屋まで持って来てくれた。 特別は、何度重ねても特別なまま。 明日もとの世界に帰るという今夜、私は絶対にこれが飲みたかった。 「ありがとうございます、ネロ。 いただきます」 夜も更けて、静まり返った魔法舎の食堂に声が響く。 正面の椅子に掛けたネロと、私の二人きりだった。 ココアの入ったマグを持ち上げて口元に寄せる。 傾けると、ぐっと濃いカカオの香りが鼻から抜けた。 ラム酒のような誘惑の味。 舌にまとわりつく柔らかな甘さと、喉を落ちていく幸福感に目を瞑る。 ネロ特製のココアをおさめた私の胃は、撫でられたみたいに温かくなった。 この味とも、今夜でさよなら。 「ありがとうはこっちの方だろ。 あんたのおかげで無事に終わった。 ありがとうな、賢者さん」 賢者さん。 そう呼ばれる、最後の一回はどれだろう?ココアみたいにはっきりしていないからわからない。 わからないから、しっかり全部を聞いていなくちゃ。 魔法使いの賢者と呼ばれて、恐ろしいことや難しいこと、悲しいことがたくさんあった。 だけどそのどれからも逃げずに立ち向かって、世界を救って。 その為に長い時間をかけたのに、私が覚えた我儘は、ココアをねだることだけだった。 「そんなこと。 みんなが頑張ってくれたからです。 ……美味しいです。 ネロ」 もう一度マグを傾ける。 もとの世界戻りたくないと、言えるほどには私の恋は実らなかった。 貰えなかったキスの味。 投げられなかった愛の言葉。 他人行儀な優しさも、すべてをこれで誤魔化してきた。 私だけに淹れてくれる、この特別なココアで。 「あ」 油断した。 ポロ、と涙が一粒落ちる。 いいよいいよと湯気が言うので、次から次へとポロポロ泣いてしまった。 感無量でとか、これまでを思い出してついとか、取り繕う暇も無い。 明日から会えないのが寂しくて、失恋したのがつらくって。 行くなと言って貰えないのが悲しくて、私の涙は止まらなかった。 「おいおい、大丈夫か?」 大丈夫です、と言葉にしようとしても出来ない。 せめてみっともなくしゃくりあげるのだけは避けたいと、必死に息を詰めてこらえた。 ネロが渡してくれたナプキンの模様も涙で見えない。 「あー、あのな」 向かいから伸びてきたネロの手が、私の頭にポンと触れた。 撫でてくれるわけじゃない。 置かれただけの心地良い重みが、不思議と涙の栓を閉める。 「俺はあんたを忘れると思う」 閉まった栓がまた開いた。 「ひ、ひどいですネロ!なんでそんなこと……!」 「あー泣くな泣くな!ちょっと最後まで聞いてくれ」 ネロは柄にもなく咳払いなんかして、それから真っ直ぐ私の目を見た。 琥珀の虹彩に光る青色が美しい。 この瞳に似た宝石は、あちらの世界でも見つかるだろうか。 「賢者さん。 あんたが厄災を払ってくれたから、俺はあんたを忘れることが出来るんだ」 優しい声だった。 「あんたが救ってくれた世界で、忘れるまで長く生きられる。 百年でも、二百年でもさ」 頭が軽くなって、ネロの指先が目尻を撫でて離れていく。 不思議なもので、しょっぱかった私の口が、ココアの味を取り戻していた。 飲みたてのように甘くて柔らかい。 泣くのをやめて考えてみる。 ずっとずっと、人間の私が想像も及ばないほど先の未来を。 きっと今生きている人達は誰も死んでしまって、魔法使いのみんなだって、そろっているとは限らない。 私という賢者の存在なんて、御伽話にも出ないだろう。 「……あの、ネロ」 おず、とマグを差し出すと、ネロは意を汲んでくれたようで私の飲みかけのココアを含んだ。 この動く喉を、一生覚えていようと思った。 私は人間なんだから、最期まで覚えていることが出来る。 マグが返ってきたので、私も追ってココアを飲んだ。 すっかりぬるくなっていたけれど、なぜか体が温まる気がした。 私とネロは、今同じもので胃を満たしている。 失恋の為の、必要な儀式のようだった。 「美味しいです」 笑って言えた。 「私の分まで、一生飲んでくださいね」 二人で過ごした夜の色を、甘さをどうか傍に置かせて。 それだけでいいと、やっと思える恋だった。 向こうの世界に戻った私は、ココアを飲んで泣くだろう。 これじゃないこれでもないと繰り返し飲んでは、遠くのネロに想いを馳せる。 彼の傍らには今も、そして百年先の未来も、変わらないあの味があるのだろうかと。 ネロが頷いて、瞬きをした私のまつ毛の先が光る。 最後に残った涙が落ちて、すべて終わったことがわかった。 「ごちそうさまでした、ネロ」 「お粗末様でした、賢者さん」 私が死んでも。 私を忘れてしまっても。 千年生きて。 魔法使い。 [newpage] 南の異変を調べに行って、左足首を痛めてしまった。 元々は少し捻った程度だったのに、冷やそうと足を浸した水が悪かった。 厄災の影響を受けて呪われた森の湧き水は、私の怪我を永遠のものにしてしまった。 欠けたものを欠けたまま、治らず腐らず完結させる。 そういう質の呪いだったらしい。 とはいえもちろん、私は賢者だ。 賢者には魔法使いがついている。 森の呪いはファウストが見事に解いてくれたし、箒の後ろにはシャイロックが乗せてくれた。 天気が悪くて空を飛べなくなってしまうと、空間魔法でミスラと一緒に魔法舎へ戻った。 レノックスの大きな背中でフィガロの部屋まで運ばれて、そこで待っていた先生は、困った顔をしてこう言った。 「ごめんね賢者様。 この怪我は俺には治せないみたい」 「……って。 言われた時には、まさか一生このままかと思いましたけど」 外から雨の音が聞こえる。 朝から降り続いてる雨は、少し前から勢いを増しているような気がした。 「ごめんごめん。 怖がらせるつもりはなかったんだけどね」 私の足は、触られるとまだ痛む。 包帯を替えてくれるフィガロの手は、繊細で優しくて手際がいい。 ケーキとか刺繍とか綿毛とか、そういう何か大切なものに、私を錯覚させてくれる。 「でもそうだなぁ。 このまま歩けない賢者様っていうのも、正直なかなかそそるよね」 「フィガロ、充分怖いです……」 「あはは、冗談だよ。 冗談」 フィガロが治せないと言った私の足は、たしかに彼の魔法では癒すことが出来なかった。 不治と不変の呪いがかけられた森と水は、ファウストに解かれた今もその毒を多くの場所に残している。 変わらないことを望んだ呪いは魔法の強制力を受け付けず、治す為には時間の経過を待つしかなかった。 医療の発展がそこまでではないこの世界で、かつ魔法も効かないのであれば、私に出来ることも、フィガロに出来ることも限られていた。 よく寝て食べて、休むこと。 そんなわけで私は今、ベッドの上で絶対安静の身なのだった。 「さて、今日の治療はこれでおしまいだね。 包帯はどう?キツくないかい?」 「はい。 ハーブがすーっとして気持ちいいです」 「それは良かった。 ルチルが聞いたら喜ぶよ」 広げた道具を畳むフィガロの、普段は見えないつむじが見える。 外見が美しい人は、こんなところにまで清潔感があるものだ。 悪戯心に指先がムズムズしたけれど、手を伸ばす前にフィガロの瞳がこちらを向いた。 「ん?どうかした?」 「いえ!」 慌ててそっぽを向いた先では、雨粒が窓を叩いている。 私の目線を追いかけて、フィガロも同じものを見た。 「こんな天気じゃ退屈だね。 なにか暇を潰せそうな物でも持ってこようか」 「ありがとうございます。 でも大丈夫だと思います」 「そう?」 「はい。 怪我をしてから何日か経ちますけど、毎日誰かしらが遊びに来てくれるんです。 今日はクロエとラスティカが、新しいカーテンを持ってきてくれる予定なんですよ」 しばらくここで過ごすなら、もっと明るくて華やかな内装の方がいいんじゃない? そう言ってくれたクロエの言葉に甘えると、そこからの二人の盛り上がりようはすごかった。 クロエが何か提案すればラスティカがそれに乗っかって、ラスティカが壁や床まで替えようと言うとクロエが色を合わせ始める。 とりあえず今回はカーテンだけで!とお願いをしたものの、買い物にはムルやシャイロックも行くという。 西の魔法使い達は四人でいると、いつもよりずっとマイペースで暴走がちだ。 どんなカーテンが来るんだろうかと、今からちょっとドキドキしている。 「うん、それは素晴らしいことだね。 みんな賢者様のことが大好きなんだ」 「嬉しいですけど、そういうのとは少し違うような……。 ブラッドリーなんて、つまみ食いをした後でネロから逃げる為に来たりしますよ?」 「誰も嫌いな相手の所に逃げてきたりはしないさ。 ネロも君の前だとあまり怖い顔もできないだろうし、ブラッドリーも考えたね」 他には?と促されるまま、これまでのことをつらつらと喋る。 ミチルとリケからは毎日シュガーが届くこと。 シノとヒースが摘んできてくれたシャーウッドの花は、今も枕元で香っている。 オズは何も用が無いような時に来ては顔を見て帰っていくし、アーサーは今は忙しいみたいだけど、カインがカードと中央のお菓子を届けてくれた。 スノウとホワイトはお祭り騒ぎで、オーエンは私の部屋を甘味処とでも思ってるみたい。 勝手に来て、好きに食べて、文句を言って帰っていく。 たまに気に入るものがあると、思いの外長くお喋りしてくれる。 ミスラはなにも変わらない。 夜になるとやってきて、朝まで二人で一緒に眠る。 「こんなところですけど……フィガロ?」 請われて話し出したのに、話せば話すほどフィガロの顔が曇っていった。 こんなことは珍しいので、私の方が弱ってしまう。 笑顔が翳ることよりも、それを私に隠せないことが珍しい。 「まいったね。 不甲斐ないよ」 フィガロの目線を、今度は私が逆に追う。 包帯を巻き直したばかりの足は、やっぱり痛々しく見えた。 「……あの」 「俺だけが君に何も出来ない」 遮られる。 フィガロは多分、共感されることが嫌いだ。 フィガロの痛みや葛藤に、わかったフリをしたら嫌われる。 だからといって私には、きっと永遠に理解できない。 私は人で、すぐに死ぬから。 「……包帯を、毎日替えてくれるじゃないですか」 「誰にでも出来るんじゃないかな、こんなこと。 なんなら次はレノにでも頼もうか」 「でもしてくれたのはフィガロです」 「明日からも?」 「はい。 えっと……多分?」 フィガロは笑ってくれたけど、それは暗くなりがちな雰囲気を壊す為だった。 「いやぁ、ごめんね。 少し拗ねてみせたくなっちゃって」 「ルチルやミチルにも見せてあげたかったです」 「うーん、それが一番堪えるなぁ」 私の左足首の、痛むところに手を重ねる。 フィガロは彼だけの短い呪文を唱えた。 じんわりと熱を持つ感覚があって、すぐにそれが萎むのがわかる。 もう何度も試したように、私の足は治らなかった。 「やっぱり駄目か」 他の二十人に出来ないことを、フィガロだけが責任に感じることはない。 他のみんなと同じように、気軽に部屋を訪ねてほしい。 それを伝えるうまい言葉もまだ持たず、魔法使いほども生きられない。 フィガロから見たら私なんて、赤ちゃんと変わらないだろう。 「フィガロが気にしてくれるのは……」 「うん?」 フィガロと話すのは緊張する。 でも、ちょっと気持ちいい時もある。 「私のことが好きだからですか?」 上目遣いに悪戯めいて、ありえないとわかっているからこそ言える。 お互いにきっと、心を預け合わないことを知っている。 フィガロは自分の為に笑って、私も私の為に笑った。 「それは少し違うけど、そうだね。 それでも、俺が治せなくちゃいけなかったんだと思うよ」 それがお医者さんで、俺っていうことなんだ。 最後にそう言ってフィガロは部屋を出た。 私は特にすることもなく、それと同じくらい出来ることもなくなってしまって、ぼんやり床や、天井を見る。 やっぱりクロエとラスティカに、改装を頼めば良かったかもしれない。 友達になりたいと誓ったのに、私こそ誰にも何も出来ない。 それなのにこんな寂しい部屋にいたら、外みたいに泣いてしまうかもしれなかった。 [newpage] 「きゃっ……!」 ぁああああああああ!! と続くはずだった晶の悲鳴を抑えたのは、魔法ではなくブラッドリーの大きな手だった。 ブラッドリーは必死だった。 大いに慌てた。 晶の声が響き渡れば、オズが駆けつけて来て稲光を落とすだろう。 遅れてやって来た双子は魔法舎中に吹聴してまわり、ネロの耳に入れば美味い食事にありつけなくなる。 ブラッドリーとしては絶対に避けたい事態だった。 同じくらい、よりもっとひどく晶は必死だった。 口を塞ぐブラッドリーの手の中で、更に叫ぼうとしてシルバーリングが歯に当たった。 「ブ、ブブ、ブラッドリー、な、なんで」 晶は裸だった。 入浴の後で体を拭いているところに、ブラッドリーがくしゃみで突然飛ばされてきたのだ。 裸の晶の口を塞いで、騒がないように人差し指を立てている。 シーッと蛇のような吐息で牽制する姿は、強姦魔にしか見えなかった。 「悪ぃ!違うんだってこいつは……不可抗力ってやつだ!な!?だから騒がないでくれ!」 「わかりましたから離れてください!向こうを向いて!」 おっとすまねぇ!とようやく手を離す。 ブラッドリーが背中を向けると、晶は勢いよくしゃがんで自分の体を守った。 「ブラッドリーの馬鹿!」 「だから悪かったって!俺様だって好きで飛んで来たんじゃねぇよ!」 「当たり前です!傷のせいじゃなかったらこんな…!」 「おい、頼むから大声出すなって!」 「ブラッドリーこそ声が大きいです!こんなところ、私だって誰かに見られたら死んじゃいます!」 「ンなことで死ぬかよ!」 「死にます!現に今だって死ぬほど恥ずかしいんですから!」 言い合う内に熱くなってくる。 ブラッドリーはそもそも歯向かわれる事が好きではないし、自分だって奇妙な傷にはほとほと困らされているのに、晶ばかりが被害者面をするのが気に食わない。 文句を言うなら、枕に胡椒を仕込んだオーエンに言ってもらいたい。 ブラッドリーはクソッと吐き捨てた。 「何百年と生きてる俺様が、今更女の裸を見たところでどうにも思わねぇから安心しろや。 見たくて見たわけでもねぇんだし、ましてやそんな貧相な……」 言い過ぎたことに気付いた時にはもう遅い。 晶の「出て行ってくださいーーーー!」の絶叫から、文字通りオズが飛んでくるまでは少しの時間もかからなかった。 「ってことがあってよぉ。 俺様が悪いと思うか?ミスラ」 オズには半殺しの目に合わされ、ネロには茄子のへたさえ貰えずに、カナリアまで敵に回してしまったブラッドリーは、ここ数日まともな食事をとれていなかった。 その上誰からも同情して貰えないので腐ってしまい、ミスラ相手に愚痴をこぼした。 まるで興味ありません、という顔で聞いていたミスラが、晶の名前に眉を顰める。 「見たんですか?」 「あ?」 「賢者様の裸」 ブラッドリーは大袈裟なジェスチャーで肩を落とした。 もう百遍はされた質問だ。 答えるのにも飽きている。 「だーっから!見たくて見たわけじゃねぇんだって!」 「はぁ。 見たんですね」 ミスラはそれから何も言わずに、腕を組んでしばらく静かに考えていた。 やがて何事かを決めたのか、ブラッドリーに向き直る。 「むらっとしました。 あなたを殺してもいいですか?」 「なんっでだよ!」 あまりにもボロボロにされてしまったブラッドリーを見て、晶からのお許しが出たのは翌日だった。
次のオズと私がそれぞれ本のページをめくる音以外響かない、静かな空間。 心地よい空気の中、指先にピリッとした熱が走り思わず、 「痛ッ」 と、小さな声をあげてしまった。 「どうした?」 「あ、すみません、オズ。 本のページで指先を少し切ってしまったんです」 静寂を切り裂いて彼の邪魔をしてしまったことが申し訳なくて、私は眉根を寄せた。 「そうか、《ヴォク「わっ!大丈夫です!」 彼の呪文が唱えられるのを反射的に遮って、私は大声を上げてしまった。 オズは少し驚いたような顔をしている。 「ごめんなさい、大きな声を出したりして。 魔法を使ってもらうような傷じゃありませんから!オズが眠ってしまう方が心配です」 厄災の傷のせいで、夜魔法が使えない彼にこんな小さな傷ごときで魔法を使わせたくない。 魔法を使ったら眠ってしまう。 そこだけ聞けば平和に聞こえるかもしれないけど、私は眠ってしまうことはとても怖いと思っているから。 「フィガロに診てもらうか?」 「いえ、少し血が滲んでいるだけですし、放っておけば塞がりますから」 「そうか」 オズは本当に優しいな、と思う。 私が人間だからというのもあるかもしれないけど、いつも気にかけてくれる。 アーサーを育てたお父さんなだけあるな。 「…アーサーも小さな傷を度々作っては、お前と同じようなことを言っていた」 「ふふふ、アーサーもオズの手を煩わせたくないと思っていたんでしょうね」 「ああ」 ちょうどアーサーのことを考えていたところで、二人のエピソードが聞けて、私は思わず微笑んだ。 「オズは優しいですね」 「…」 オズは黙ってしまったけれど、「そうだろうか?」と顔に書いてある。 指先の傷を撫でながら、私は笑って、 「オズにはいつも助けてもらっています。 何かお返しが出来ればいいんですけど。 ただの人間の私に出来ることなんて限られてしまいますね」 賢者などと名ばかりで、特別な力もない非力な自分がとても小さな存在に思えてしまう。 「晶」 「はい」 「お前はよくやっている」 「え…」 指先に落としていた視線を、思わずオズに向ける。 彼は真剣な眼差しで私を見つめていた。 「あまり自分を卑下しないことだ。 お前はお前の務めをよく果たしている」 「…ありがとうございます」 「…いや」 先ほどまで冷えかけていた心が、ぽかぽかと温かくなる。 彼はやはり魔法使いだ。 その言葉にすら魔法がかかっているかのよう。 「もう遅い、そろそろ寝なさい」 いかにもお父さんみたいなその言葉に、思わず頬が緩んだ。 「はぁい、おやすみなさいオズ」 本を閉じて立ち上がりオズにぺこりと挨拶をすると、私は談話室を後にする。 『お前はよくやっている』 心に響く魔法の言葉に胸が熱くなる。 もっと彼の、彼らの役に立ちたいと、強くそう思った。 賢者さんがこの世界から居なくなって、数日で、俺は数えるのを止めた。 どうやら俺は今日もまだ、「約束」を守っていられたらしいと、ほっとする。 朝食に作ったスープは、彼女の好物だった筈だ…多分。 「今日も良い天気だよ、賢者さん」 彼女だったら、朝食を終えたあと庭に出て外の空気を吸った筈だ…おそらく。 俺は庭に出るとハーブの手入れをする。 「綺麗に育ったな」 まるで隣に彼女がいるかのように話しかけてしまう癖は、どうやら直りそうに無い。 もう、名前を思い出すことすら出来ないというのに。 昼食のパスタを茹でながら、彼女が火傷をしてしまった時があったことを思い出す…或いは、包丁で切り傷を作った時だったろうか?「これくらい平気です」と言う彼女を叱って、魔法で治療してやった筈だ…違っただろうか。 「なぁ、賢者さん」 昼食を終えて、俺は自分のマナエリアである黄金の小麦畑に向かう。 彼女が俺のためにと家の近くに作ってくれた、細やかなスペースに。 ここに来ると不思議と彼女を身近に感じられる気がして。 「愛してるよ、賢者さん。 …あんまり口にしてやれなくてごめんな」 居なくなった今なら口に出来る愛の言葉に、苦笑する。 身体で、行為で、何度も愛は伝えてきたけれど、「愛している」と言葉で伝えたことは数えるくらいしかなかった…かもしれない。 この場所で彼女について考える時間は、驚くほどあっという間に過ぎていく。 気づけば夕方、そして夜が来る。 「おやすみ、賢者さん」 彼女が今際の時にさえ「約束」はしなかった。 それをしてしまえば、この世を去り逝く彼女がきっと心配してしまうと思ったから。 だから、冷たくなった彼女の小さな手を握って、 「俺は生ある限り、あんたを愛すると約束するよ」 そう、呟いた。 きっと彼女なら「私のことは忘れて、永い人生を新しい人と生きて、また幸せになって下さいね、ネロ」そう言うだろうとわかっていたから。 俺は狡い男だと、自嘲する。 狡くて、悪い魔法使いだと。 「なぁ、あんたは幸せだったか…?」 寝る前に必ず問いかけてしまう、返事のない問い。 もう、その声を聞くことも、名前を呼んでやることも出来ない、愛しい愛しい彼女に。 「俺は…幸せだったし。 今でも幸せだよ」 頬を伝う温いものに気づかないフリをして、俺は目を瞑る。 明日も、明後日も…最期の時も、俺が魔法使いでいられることを願って。 俺は今日も、彼女の夢を見るだろう。 お気に入りの服を身にまとい、優しく俺に微笑みかける彼女の夢を。 その顔すら、ぼんやりと霞んでしまっていても。 そこには確かに愛があって、約束があって——確かに俺と彼女が居たのだから。 [newpage] 『年の初めのプロポーズ』カイ晶 新年の賑やかな夕飯を終えて、私は談話室でカインと談笑していた。 「へぇ、賢者様のいた世界ではそんな風に年始を過ごすんだな」 「そうなんです、私は祖母の家に親戚同士集まって、ワイワイ賑やかにおせちを食べて、お酒を飲んで…」 たった一年前のことなのに、なんだか遙か昔のことのように感じるのは、私がこの異世界に来てしまったからだろう。 「賢者様、大丈夫か?」 「え?」 カインの言葉に「何が?」と思い顔を上げると、頬を温いものが伝った。 嗚呼、私は泣いていたのか……。 ポケットからハンカチを取り出そうと、手を突っ込んだところで、優しい指先が私の頬を拭った。 「すまない、晶に辛い思いをさせてしまったな」 「あ!いえ!大丈夫です!」 心配そうに覗き込むカインに、私はわたわたと両手を振って否定する。 「本当に大丈夫なんです。 魔法舎で過ごした元旦は、私が毎年過ごしてきた元旦と同じくらい……いえ、それ以上に賑やかで、みんな仲が良くて、家族みたいで……って、勝手に家族なんて言ったら怒られちゃいますかね」 南の魔法使いたちなら喜んでくれるかもしれないが、北の魔法使いたちの呆れた顔が目に浮かぶ。 「そんなことないさ。 晶と家族になれるなら、俺は嬉しい」 「……え?」 カインのその言葉に思わず私は固まって、かぁぁっと顔を赤くした。 彼にそんなつもりは無いんだろうけど、まるでそれは「俺と家族になってくれ」と言われたみたいで、 「も、もう、カイン!そういうことを女の子に言うのは反則ですよ。 勘違いしちゃうじゃないですか」 私が困ったような顔でそう咎めると、カインはきょとんとした顔をした後、満面の笑みで、 「俺は本気だよ、晶」 「へ」 戸惑う私の目の前で、カインは膝を着くと、私の手をそっと取って、その手の甲に口付けた。 「あ……」 言葉が出てこない。 「賢者様…いや、晶。 どうか俺と家族になってくれませんか?」 じわりと涙腺がゆるんで、視界が滲む。 「……っ、カイン」 口元を押さえて、感極まっている私を、立ち上がったカインが優しく抱きしめてくれる。 「晶の口から、返事が聞きたい」 こつんと額を合わせて、綺麗なオッドアイが真剣に私を見つめる。 吸い込まれそうなその瞳を見返して、私はそっと彼の唇に自分のそれを重ねた。 そして、ゆっくりと離すと、 「はい、喜んで……」 と呟いた。 すると、カインはいつものように快活に笑って、私を軽々抱き上げる。 「きゃっ」 「ありがとう、絶対に幸せにする。 必ず、俺が生涯かけてあんたを守って、世界で一番幸せな花嫁にするよ」 嬉しくて、声を出すことが出来なくて、彼の首元に顔を埋めて、私は泣きながら何度も頷いた。 「そうと決まれば、まずは指輪か?ドレスも必要だな、クロエに頼もう、それから……」 カインはまるで冒険に出る時のワクワクした少年のような面持ちで、喜びを隠すことなく語り始める。 彼らしいそんな姿に、私は思わず涙を流したまま笑ってしまった。 私の愛する騎士様、どうか貴方と幸せな家族になれますように。 異世界で迎えた新しい年の幕開けは、人生で一番幸せなものになりました。 オズと私がそれぞれ本のページをめくる音以外響かない、静かな空間。 心地よい空気の中、指先にピリッとした熱が走り思わず、 「痛ッ」 と、小さな声をあげてしまった。 「どうした?」 「あ、すみません、オズ。 本のページで指先を少し切ってしまったんです」 静寂を切り裂いて彼の邪魔をしてしまったことが申し訳なくて、私は眉根を寄せた。 「そうか、《ヴォク「わっ!大丈夫です!」 彼の呪文が唱えられるのを反射的に遮って、私は大声を上げてしまった。 オズは少し驚いたような顔をしている。 「ごめんなさい、大きな声を出したりして。 魔法を使ってもらうような傷じゃありませんから!オズが眠ってしまう方が心配です」 厄災の傷のせいで、夜魔法が使えない彼にこんな小さな傷ごときで魔法を使わせたくない。 魔法を使ったら眠ってしまう。 そこだけ聞けば平和に聞こえるかもしれないけど、私は眠ってしまうことはとても怖いと思っているから。 「フィガロに診てもらうか?」 「いえ、少し血が滲んでいるだけですし、放っておけば塞がりますから」 「そうか」 オズは本当に優しいな、と思う。 私が人間だからというのもあるかもしれないけど、いつも気にかけてくれる。 アーサーを育てたお父さんなだけあるな。 「…アーサーも小さな傷を度々作っては、お前と同じようなことを言っていた」 「ふふふ、アーサーもオズの手を煩わせたくないと思っていたんでしょうね」 「ああ」 ちょうどアーサーのことを考えていたところで、二人のエピソードが聞けて、私は思わず微笑んだ。 「オズは優しいですね」 「…」 オズは黙ってしまったけれど、「そうだろうか?」と顔に書いてある。 指先の傷を撫でながら、私は笑って、 「オズにはいつも助けてもらっています。 何かお返しが出来ればいいんですけど。 ただの人間の私に出来ることなんて限られてしまいますね」 賢者などと名ばかりで、特別な力もない非力な自分がとても小さな存在に思えてしまう。 「晶」 「はい」 「お前はよくやっている」 「え…」 指先に落としていた視線を、思わずオズに向ける。 彼は真剣な眼差しで私を見つめていた。 「あまり自分を卑下しないことだ。 お前はお前の務めをよく果たしている」 「…ありがとうございます」 「…いや」 先ほどまで冷えかけていた心が、ぽかぽかと温かくなる。 彼はやはり魔法使いだ。 その言葉にすら魔法がかかっているかのよう。 「もう遅い、そろそろ寝なさい」 いかにもお父さんみたいなその言葉に、思わず頬が緩んだ。 「はぁい、おやすみなさいオズ」 本を閉じて立ち上がりオズにぺこりと挨拶をすると、私は談話室を後にする。 『お前はよくやっている』 心に響く魔法の言葉に胸が熱くなる。 もっと彼の、彼らの役に立ちたいと、強くそう思った。 賢者さんがこの世界から居なくなって、数日で、俺は数えるのを止めた。 どうやら俺は今日もまだ、「約束」を守っていられたらしいと、ほっとする。 朝食に作ったスープは、彼女の好物だった筈だ…多分。 「今日も良い天気だよ、賢者さん」 彼女だったら、朝食を終えたあと庭に出て外の空気を吸った筈だ…おそらく。 俺は庭に出るとハーブの手入れをする。 「綺麗に育ったな」 まるで隣に彼女がいるかのように話しかけてしまう癖は、どうやら直りそうに無い。 もう、名前を思い出すことすら出来ないというのに。 昼食のパスタを茹でながら、彼女が火傷をしてしまった時があったことを思い出す…或いは、包丁で切り傷を作った時だったろうか?「これくらい平気です」と言う彼女を叱って、魔法で治療してやった筈だ…違っただろうか。 「なぁ、賢者さん」 昼食を終えて、俺は自分のマナエリアである黄金の小麦畑に向かう。 彼女が俺のためにと家の近くに作ってくれた、細やかなスペースに。 ここに来ると不思議と彼女を身近に感じられる気がして。 「愛してるよ、賢者さん。 …あんまり口にしてやれなくてごめんな」 居なくなった今なら口に出来る愛の言葉に、苦笑する。 身体で、行為で、何度も愛は伝えてきたけれど、「愛している」と言葉で伝えたことは数えるくらいしかなかった…かもしれない。 この場所で彼女について考える時間は、驚くほどあっという間に過ぎていく。 気づけば夕方、そして夜が来る。 「おやすみ、賢者さん」 彼女が今際の時にさえ「約束」はしなかった。 それをしてしまえば、この世を去り逝く彼女がきっと心配してしまうと思ったから。 だから、冷たくなった彼女の小さな手を握って、 「俺は生ある限り、あんたを愛すると約束するよ」 そう、呟いた。 きっと彼女なら「私のことは忘れて、永い人生を新しい人と生きて、また幸せになって下さいね、ネロ」そう言うだろうとわかっていたから。 俺は狡い男だと、自嘲する。 狡くて、悪い魔法使いだと。 「なぁ、あんたは幸せだったか…?」 寝る前に必ず問いかけてしまう、返事のない問い。 もう、その声を聞くことも、名前を呼んでやることも出来ない、愛しい愛しい彼女に。 「俺は…幸せだったし。 今でも幸せだよ」 頬を伝う温いものに気づかないフリをして、俺は目を瞑る。 明日も、明後日も…最期の時も、俺が魔法使いでいられることを願って。 俺は今日も、彼女の夢を見るだろう。 お気に入りの服を身にまとい、優しく俺に微笑みかける彼女の夢を。 その顔すら、ぼんやりと霞んでしまっていても。 そこには確かに愛があって、約束があって——確かに俺と彼女が居たのだから。 [newpage] 『年の初めのプロポーズ』カイ晶 新年の賑やかな夕飯を終えて、私は談話室でカインと談笑していた。 「へぇ、賢者様のいた世界ではそんな風に年始を過ごすんだな」 「そうなんです、私は祖母の家に親戚同士集まって、ワイワイ賑やかにおせちを食べて、お酒を飲んで…」 たった一年前のことなのに、なんだか遙か昔のことのように感じるのは、私がこの異世界に来てしまったからだろう。 「賢者様、大丈夫か?」 「え?」 カインの言葉に「何が?」と思い顔を上げると、頬を温いものが伝った。 嗚呼、私は泣いていたのか……。 ポケットからハンカチを取り出そうと、手を突っ込んだところで、優しい指先が私の頬を拭った。 「すまない、晶に辛い思いをさせてしまったな」 「あ!いえ!大丈夫です!」 心配そうに覗き込むカインに、私はわたわたと両手を振って否定する。 「本当に大丈夫なんです。 魔法舎で過ごした元旦は、私が毎年過ごしてきた元旦と同じくらい……いえ、それ以上に賑やかで、みんな仲が良くて、家族みたいで……って、勝手に家族なんて言ったら怒られちゃいますかね」 南の魔法使いたちなら喜んでくれるかもしれないが、北の魔法使いたちの呆れた顔が目に浮かぶ。 「そんなことないさ。 晶と家族になれるなら、俺は嬉しい」 「……え?」 カインのその言葉に思わず私は固まって、かぁぁっと顔を赤くした。 彼にそんなつもりは無いんだろうけど、まるでそれは「俺と家族になってくれ」と言われたみたいで、 「も、もう、カイン!そういうことを女の子に言うのは反則ですよ。 勘違いしちゃうじゃないですか」 私が困ったような顔でそう咎めると、カインはきょとんとした顔をした後、満面の笑みで、 「俺は本気だよ、晶」 「へ」 戸惑う私の目の前で、カインは膝を着くと、私の手をそっと取って、その手の甲に口付けた。 「あ……」 言葉が出てこない。 「賢者様…いや、晶。 どうか俺と家族になってくれませんか?」 じわりと涙腺がゆるんで、視界が滲む。 「……っ、カイン」 口元を押さえて、感極まっている私を、立ち上がったカインが優しく抱きしめてくれる。 「晶の口から、返事が聞きたい」 こつんと額を合わせて、綺麗なオッドアイが真剣に私を見つめる。 吸い込まれそうなその瞳を見返して、私はそっと彼の唇に自分のそれを重ねた。 そして、ゆっくりと離すと、 「はい、喜んで……」 と呟いた。 すると、カインはいつものように快活に笑って、私を軽々抱き上げる。 「きゃっ」 「ありがとう、絶対に幸せにする。 必ず、俺が生涯かけてあんたを守って、世界で一番幸せな花嫁にするよ」 嬉しくて、声を出すことが出来なくて、彼の首元に顔を埋めて、私は泣きながら何度も頷いた。 「そうと決まれば、まずは指輪か?ドレスも必要だな、クロエに頼もう、それから……」 カインはまるで冒険に出る時のワクワクした少年のような面持ちで、喜びを隠すことなく語り始める。 彼らしいそんな姿に、私は思わず涙を流したまま笑ってしまった。 私の愛する騎士様、どうか貴方と幸せな家族になれますように。 異世界で迎えた新しい年の幕開けは、人生で一番幸せなものになりました。
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