過去90回のうち、入選者はわずか5名という超難関を突破したのが、 おぎぬまXだ。 とにかくが好きだったんですけど、20年くらい前ってそれだけで扱いだったんですよ。 『(の奇妙な冒険)』を読んでるだけで、全身の関節を曲げられるを受けたり。 夜中に50kmくらい歩くナイトハイクの間、ずっとについて語ったり、とにかく熱量がすごくて。 そのときにになりたいと打ち明けたら、彼らも「俺も」と。 おぎぬま それからは1ヵ月に1本を作って、のときにテントの中で誰が一番うまいとか構成力があるかとか、朝まで作品を批評し合ってました。 中学時代は好きというだけで肩身が狭かったという。 でも、当時はなんなら僕が一番落ちこぼれで、ふたりは天才肌だったんですよ。 あ、天才肌といえばとは全然関係ないんですけど、僕も派なんですが、派の人って天才肌だと思ってるんです。 そのことを話すとみんな笑うけど、帰りの電車で「実は俺も...... 」とカミングするやつもいたりして。 やっぱみんな隠すんですよね、それが悔しくて。 結局フタを開けたら、だってやってるかもしれないのに、隠してたら証明できないじゃん!と。 おぎぬま そうです。 高校時代、出版社への初めての持ち込みも3人で行きました。 その後、大学時代もいろいろ賞に応募したり持ち込みました。 『』の逆みたいな、小人がで人間にお湯をかけられて全滅みたいな。 大学卒業後、養成所に行ったんですけど、親もそのほいという雰囲気でした。 でも、さんとさんが「」で優勝してノリに乗ってたんです。 もうには見切りをつけていた? おぎぬま いえ、誰にも言っていなかったけど、芸人として売れてを描くつもりでした。 芸人ってが大事だから、元志望というのは言ってましたけどね。 出演のほか、裸で新店に並ぶなど、体を張っていた芸人時代。 おぎぬま 最初はそのつもりでした。 でも毎日が刺激的でめっちゃ楽しかったです。 月収600円とか、特番で朝5時から延々待たされてギャラがお餅1個だったときは、さすがに「地獄!」と思いましたけど。 に出るのがホントに楽しかったし、僕自身、画力はなかったけど、なら絵を描かず表現できるので。 やってることはと変わらなかったし、相性もよかったんです。 ネタの時間も3~5分で、にするとちょうど15ページくと同じだから親和性もあって。 元志望がウリなのに? おぎぬま 芸人時代に何を一番得たかって、そこなんですよ。 ユルいと思ってたのに、はやりの芸や芸をから禁止されていたんです。 だから当時はインテリジェントな人が多くて、複雑な世界観のネタが多かったんですよね。 から学みたいなものを、周りの芸人からは構成力を学べて、今でも感謝しています。 を目指しているのにここでくすぶって死ぬのか。 なら、せめてで死のうと腹をくくりました。 おぎぬま それが、ふたつ後悔があって......。 実はに僕のネタ動画がひとつだけ上がってるんですけど、超つまんないんですよ。 なんの練習もせず急に会議室でやらされて、これがおぎぬまXだって思ってほしくないです。 もうひとつが「夢の」っていうネタがあるんです。 それがすこぶる評判悪くて、悔しいからにもしたんです。 『』に掲載されているんですけど、今回の赤塚賞でも人くらいしか読んでなくて......。 おぎぬま 芸人の道も捨ててだ、1年以内にできなかったらもう終わりだと思ってて、その年だけで17回くらい賞に応募しました。 2ヵ月で60ページ描いたり。 そのときも、先でを目指す仲間に出会えて助けられました。 今考えると、学生時代からみたいに仲間が増えていった気がします。 おぎぬま それが全然。 一応1次選考を通ったりはして、泣きの1年と決めて翌年はをやろうと決めました。 ただそれが、それまでで一番の地獄でしたね。 そもそも絵がヘタで全然雇ってもらえず、やっと漢気 (おとこぎ)のある先生に出会えたんですけど、やっぱり絵がヘタすぎて役に立たず。 力不足を痛感し、それがツラすぎて半年で辞めて。 裸から一転、姿でに励んだ時期も。 おぎぬま 次の1年はお金も尽きてきたし、社会常識を身につけて引き出しを広げないとダメだと、働きながら描くことにしました。 2、3ヵ月かかってやっとの会社に入れたんですけど、それが『』のおかげなんですよ。 それを社長に話したら「こんな根性あるやついないぞ!」と採用されたんです。 普通、元芸人だとしゃべれるから営業に回されるところが「こんだけネタ出せるやつはいない」とも描かせてもらえたんです。 おぎぬま ただ、土日もに駆り出されたり、とにかく忙しくてを描く時間がなかったんです。 なので、唯一の自由時間だったに、駅ビルの屋上でを描き始めました。 通ったら会社に骨をる覚悟で。 でもダメでした。 があったけど、無理なら自分ですべてできるで旗を揚げようと、会社を辞め、結局また生活に逆戻りです。 ただ、何度目の泣きの一回なんだと、さすがに焦ってました。 だんだん出版社から相手にされなくなるし、だったら「もう俺は独自でいくぞ!」と思って、(4BT)を勝手に始めたんです。 ホントに僕が面白いのかわからなくなってたし、ほかのと対戦方式で戦って、自分が面白いことを証明しようと。 海や道場、各地方のなど、さまざまな場所でを開催。 これまで人以上と出会い、戦った。 おぎぬま そのときはまだ平気だったんですよ、でも去年、自我が崩壊したんです。 1年かけて4BTでいろんなと戦って、結果、優勝したんですよ。 ただ去年2回目の4BTを開催したら1回戦で惨敗。 出版社にも認められず、自分でつくった道も壊れ、最悪ですよ。 もう世の中からしてこもってやろうと、も断って消息不明になったんです。 それでもは離さないんですね。 おぎぬま そのときのに書いたんですが、「世を捨ての亡者と化すか... 今一度、正道を歩むか... 」で迷って、結局この世で誰よりもを描くと決めました。 令和になって、1年で本描くことを目標にしていて、今700本描いてるんですけど、樹海にこもって本描いたり。 もし僕が死んだら驚けとばかりに、誰にも言わず本当に突き詰めていました。 おぎぬま 山ごもりはたまにしていたんですよ、だったし。 ほかにも渋谷から5日間出ずにしたり、を本描くまで断食したり。 いろんな修行してきましたけど、やっぱりその環境でしか描けないものがあるんですよ。 もし砂漠で描いたらどうなるのかとかも気になるので。 おぎぬま めちゃくちゃうれしかったです。 代々木公園で知受けて、人前で転がってましたもん。 最初の計画では5年くらいは世に出ないと思ってたんです。 それどころか生前評価も諦めてました。 それでも描き続けて、とかでを抱きながら死んで、それが0作目とかだと面白いなって。 おぎぬま 何よりうれしかったのが、先生の「短編映画を見てるようだ」というです。 芸人時代も「化されるネタ」とか言って、映画を意識していたんです。 それを初めてわかってもらえた。 『』話に自身の考案した「マン」が登場。 おぎぬま あ~それ、一番うれしくて一番悔いが残ってるんですよ! 授賞式の日に「今週の『』が最高でした!」と言うつもりだったのに、実際お会いしたら感動しすぎて言い忘れちゃって。 ホント後悔しかない......。 本作はではなく15ページの短編仕立て。 ようやくですが、最後に今後の目標を。 おぎぬま 単行本化やなど、として希望はたくさんありますけど、やっぱりを描くを増やしたいですね。 さっと入ったとかで、ひとりは描いてるくらい、はたいなと思います。 誰もが知る「さんが転んだ」を題材に、な世界を生み、第91回赤塚賞入選を果たした傑作。 審査員を務めた麻生周一先生、先生、大石浩二先生、つの丸先生、増田こうすけ先生ら現役が大絶賛。 からを目指すも、芸人や、そして無職になったりと紆余曲折の末、日に世捨て人に。 しかし昨年、第91回赤塚賞で入選し、人生大逆転(?)。 その異色の経歴とは? 関連ニュース•
次の12月13日 師走 可も不可も 無くて 一とせ明け暮れぬ 富士 軸 無事 高峰秀海師 高野山金剛峰寺管長 花 下野照り葉 吉兆草 稽古 四ケ伝及び 立礼濃茶 過日、知人の個展を拝見した折、さまざまな表情のだるまさんのの絵を展示して有りました。 太い眉毛、何もかも見通す大きな目、怖い目、柔和な目、ひょうきんな目 真味只是淡。 洗心自ら新なり。 胸中大波。 仁ハ人の心義ハ人の道。 日々好日。 等など味のある賛を付けて書いてあり興味深く拝見しました。 そんな折,たまたま達磨さん に付いて書かれた貴重な記事を読みましたので魂を揺さぶられる様な深い修行僧で有っ事、大変難かしいお話でしたので解りやすい所を抜粋させていただきます。 ご存知でしょうが(達磨さんの心) 法輪寺住職 佐野泰典 「だるまさん だるまさん にらめっこしましょ わろたらだめよ あっぷっぷ」 「だるまさんがころんだ」 こども時分誰しも慣れ親しんだ遊びの中に、だるまさんは1500年の時空を越えて 生き続けて誰の心にもましませる。 お寺や仏壇に於いてはご本尊や開祖さまとして尊崇され、世界中の民芸品や道具の中に だるまさんのお姿あり。 選挙ともなれば、 あちらこちらから引っ張りだこで八面六臂大活躍される。 何ゆえこれほどまでに皆に愛されるのであろうか だるまさんの御一生ハ忍苦の御一生であられた 正法をお伝えになる為嵩山での九年に及ぶ面壁座禅、他宗からの弾圧、インドから唐土に 渡られる命がけの航海など等。 たおれても、転んでも、踏まれても起き上がり、起き上がり 七転八起される。 そのお姿に誰もが敬愛し我が心中の師として来た所以である。 今日自分を見失い、真実の心を忘れ去り人生行路をボタンを掛け違えたまま歩いている 人が多い。
次の12月13日 師走 可も不可も 無くて 一とせ明け暮れぬ 富士 軸 無事 高峰秀海師 高野山金剛峰寺管長 花 下野照り葉 吉兆草 稽古 四ケ伝及び 立礼濃茶 過日、知人の個展を拝見した折、さまざまな表情のだるまさんのの絵を展示して有りました。 太い眉毛、何もかも見通す大きな目、怖い目、柔和な目、ひょうきんな目 真味只是淡。 洗心自ら新なり。 胸中大波。 仁ハ人の心義ハ人の道。 日々好日。 等など味のある賛を付けて書いてあり興味深く拝見しました。 そんな折,たまたま達磨さん に付いて書かれた貴重な記事を読みましたので魂を揺さぶられる様な深い修行僧で有っ事、大変難かしいお話でしたので解りやすい所を抜粋させていただきます。 ご存知でしょうが(達磨さんの心) 法輪寺住職 佐野泰典 「だるまさん だるまさん にらめっこしましょ わろたらだめよ あっぷっぷ」 「だるまさんがころんだ」 こども時分誰しも慣れ親しんだ遊びの中に、だるまさんは1500年の時空を越えて 生き続けて誰の心にもましませる。 お寺や仏壇に於いてはご本尊や開祖さまとして尊崇され、世界中の民芸品や道具の中に だるまさんのお姿あり。 選挙ともなれば、 あちらこちらから引っ張りだこで八面六臂大活躍される。 何ゆえこれほどまでに皆に愛されるのであろうか だるまさんの御一生ハ忍苦の御一生であられた 正法をお伝えになる為嵩山での九年に及ぶ面壁座禅、他宗からの弾圧、インドから唐土に 渡られる命がけの航海など等。 たおれても、転んでも、踏まれても起き上がり、起き上がり 七転八起される。 そのお姿に誰もが敬愛し我が心中の師として来た所以である。 今日自分を見失い、真実の心を忘れ去り人生行路をボタンを掛け違えたまま歩いている 人が多い。
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