丸岡いずみのうつ病の原因について 現在で活動中している丸岡いずみアナ。 日本テレビに勤めていた頃はテレビで見ない日はないと言っていいほどの多忙を極めていた丸岡いずみアナですが、体調不良を訴えた時期があり、その理由がうつ病と言われているんですよね〜。 いったい丸岡いずみアナは、 何が原因でうつ病になったのか? 調べてみました。 大きな原因としては、2011年3月11日に起きた「東日本大地震」での取材だったようです。 アナウンサーである丸岡いずみさんは、当時地震直後から現地に入り取材を重ねていたそうで、その時の惨劇が頭から離れず頭に発疹ができるほどのショックを受けました。 中でも海上自衛隊の護衛艦に乗船し、無数の水死体を見たときは相当だったようですね。 まぁアナウンサーとはいえ女性ですし、震災の取材などは相当精神的ダメージを受けたことでしょう。 丸岡アナは当時を振り返り 「人の不幸を報道してきたことの報いで苦しんでいる」 と考えていたようで、どれだけ追い込まれていたかが伺えますよね〜。 他にも丸岡アナが日本テレビ退社を発表してからは、会社内でも色々とあったようで、ある関係者に話によると 「まだ正式に退社をしていないのに、報道局にあった丸岡のデスクには別の者が座っていた。 地方の局アナから日テレに入社し、さらには報道番組のキャスターにまで出世したから嫉妬も多かったようです」 と語っていました。 やはりアナウンサーの世界というのは、人気商売だと思いますし、ましてや女性の多い職場なので妬み嫉みがたくさんありそうなイメージですよね〜。 こういった色々な要因が重なり、丸岡アナは精神的ダメージからうつ病へなったそうです。 うつ病だった当時は、 「このまま東京に居たら飛び降り自殺をしそうで怖かった」 と言っていて、東京を離れ実家の徳島県へ帰郷をしています。 それでも実家では「母親から食事の時に毒を盛られ毒殺される」と思い込むほど、病状は悪化していたそうなんですが、旦那さんに励まし支えられ回復へと向かったそうです。 うつ病という病気は、今や10〜15人に1人が経験する病気と言われていて、こういった有名人が経験し、克服すると周りの人達も勇気付けられますね! 顔変わった?若い頃の画像と比較 うつ病を克服し、順風満帆な丸岡いずみアナですが、 「顔が変わった?」と話題になっているので、若い頃の画像と比較してみました。 20歳の頃 こちらが23歳 こちらがアナウンサー時代の若かりし丸岡いずみアナウンサー。 キリッとしていて綺麗ですよね〜。 当時は「奇跡の38歳」と言われていて、38歳とは思えない美貌で話題になっていました。 そして、こちらが 現在の丸岡いずみアナの画像です。 少し女優の佐藤仁美さんに似てたり、顔立ちは女優のいとうまい子さんに近いような気もします。 確かに昔の画像と比べると顔が丸くなった感じはしますが、その辺りが顔が変わったと噂になったのでしょうね。 なんでもうつ病になったときの薬の影響とか言われていますが、単純に結婚して順風満帆な幸せ太りだと思います。 というよりも40代半ばでここまで若くみえる女性はそういませんよね。 変に激ヤセして劣化する著名人も多いので、丸岡アナの場合は健康的に見えて何よりです! 旦那と子供について 丸岡いずみアナの 旦那と 子供についてなのですが、前述の通り子供は代理出産されています。 今更ではありますが、丸岡アナは2012年に映画評論家の有村昆さんと結婚されています。 有村昆さんは丸岡アナの5歳下で、なんでもお家はとても裕福な家庭だったようです。 キッカケになったのが、ミヤネ屋に出演していた丸岡アナを見て、有村さんが一目惚れをし、猛アタック! 中でも丸岡アナがうつ病だった時に、とても献身的に支え、毎日のように会いに行っていたそうで、その優しさが結婚の決めてとなったのでしょうね。 ただ、丸岡アナは「ストーカーだと思った」と言っていて、そういった冗談の言える良い関係であることが伺えますね。 そして、話題となったのが、有村丸岡夫妻の子供の話。 2018年1月3日に夫婦待望の赤ちゃんが誕生したのですが、その出産方法と言うのが 代理出産ということ。 丸岡アナは結婚後2度の流産を経験し、その後も妊活をしていたのですが、丸岡アナが高齢出産になることもあり、今回の代理母出産を決意しました。 代理母はロシアの方で、 費用が約1000万円かかっています。 そして、日本では法律上代理母が母親となってしまうので、養子縁組などをして家族となるようです。 この代理出産と言うのが日本では認知が少なく賛否両論があるようで、マスコミなどの取材が過激になっています。 まぁやはり子供が欲しくても授かれない方もいるので、こういった出産方法があっても良いのかなぁとは思いますが、難しいところでしょうね。 それでも有村丸岡夫妻の笑顔や感動の涙を見ていると、夫婦にとっては素晴らしいことだと思うので、マスコミの皆さんも静かに見守ってあげてほしいものですね。 まとめ ここまで丸岡いずみアナウンサーについて色々と書いてきましたがどうでしたか? 遅咲きのアナウンサーではありましたが、「奇跡の38歳」と言われ、テレビ業界から引っ張りだこだった丸岡アナ。 しかし、東日本大地震などキャスターとして色々な取材を重ね、精神的に弱ってしまい「うつ病」になってしまうのですが、強い精神力で復活をします。 2018年には子供を代理出産で授かり、これまた賛否両論いろんな意見があり話題となりましたね。 それだけ注目されているって事だとは思うのですが、苦労をしている丸岡アナだけにこれからも幸せになってほしいものですね。
次の様々な困難を旦那 夫 の有村昆さんと乗り越え、2018年1月23日ロシアの地で代理出産 代理母 で 3400gの念願の男児の子供を胸に抱くことができました。 丸岡いずみと有村昆の夫婦の子供の写真、画像は? 丸岡いずみさんの公式サイトで代理母出産で授かった子供と 夫婦の温かい家族写真、画像が公開されていました。 とても幸せそうで、可愛らしい子供さんの画像です。 いまでこそ、ズバズバ物を言う明るいイメージの丸岡さんですが、うつ発症の間、とても苦しい時期が続いたようですね。 この時妊娠していたと言います。 しかし、また流産。 子宮の内膜に問題あり、内膜を治す治療を始めたそうです。 赤ちゃんのベッドを整える治療。 年齢と体力、精神、金銭的な面で辛かったそうです。 そんな日々に夫の有村昆さんは 「いずみの気持ちを考えるともう子供はダメだよ、、」 先の見えない不妊治療の日々。 これはうつの時と同じ。 一歩手前に来ている感じだったほど、追い詰められていました。 お二人の経済能力にしても、こんなに悩む妊活の苦しさ。 不妊治療で同じ問題を抱えている多くの方々は、これ以上に精神がうつ状態に犯されているはずです。 【スポンサードリンク】 丸岡いずみ 先進国のアメリカではなくロシアでの代理母出産を実現 2016年、丸岡いずみさんが 45歳のとき、はじめて代理出産(代理母出産)を提案されたようです。 それまで、うつになるほど、妊活に没頭していたようですね。 その時、有村昆さんは子供を授かる手段として「養子縁組」の方法を考えていたそうなので、この時の丸岡いずみの提案に初めはとても驚いたようです。 しかし、丸岡さんの熱い熱意に応えるため、代理出産を決意。 海外での代理出産。 この選択は理解を得られるものなのか。 ここの決意に至るには、 丸岡さんの5年に渡る不妊治療、2度の流産を経験。 夫婦にとってはとても辛く長い年月だったと思います。 有村さんは、「子供はもういいから、丸岡さんの体調を優先しようとしていました。 それでも母になりたいという、丸岡さんの強い気持ち。 代理出産はアメリカが先進国。 しかし先進国なだけに、規制がかかっている諸外国の人が殺到していて実現が難しい。 そして実現可能なロシアで代理出産を決意。 代理出産にはばかる、様々な「大きな壁」に半ば諦めかけていたそうですが、 みごと代理出産を成功、念願の2人の子供を授かることができました。 出典元:ミヤネ屋 代理出産の母の方となんどもやりとりを交わし、やっと出産できたということです。 有村昆さんは、過去の苦労を振り返って、生出演のテレビの中でも号泣。 代理出産までの、不妊治療の妊活期間がどれだけ辛かったかが想像できます。 丸岡いずみさんらの膨大であろう夫婦の貯金は、ほとんどこれに費やしたそうです。 有村昆さんの趣味で有名な「デロリアン」、もう二度と買わない、そうです 代理母出産の問題点、デメリット 出典元:ミヤネ屋 代理母出産は高額で海外で行うことなので、トラブルに見舞われることもあるようです。 代理母出産に一番多いのが、依頼者と代理母との間のトラブルです。 具体的には、妊娠が進むにつれ胎児に障害がみつかるなど代理母と依頼人との間で引き取る引き取らないなどという問題です。 また依頼者と代理母とをつなぐ、仲介業者も最後まで付き添ってくれる信頼できる業者を選ぶ必要があります。 また、産まれた子どもにとっては、本当の母親は誰なのかという心の問題もあります。 代理母出産の契約内容は、しっかりと。 トラブルを避けるため、宗教のことなどエージェントを通して綿密にしっかり行う必要があるとのことです。 代理母の方々は、どうしても恵まれない夫婦のために、 「奉仕の精神」で代理の母の役目を選んでいるようでした。 代理母出産にかかる費用は? 現在、日本では規制されているため アメリカでおよそ1000万~2500万円 ロシアやウクライナでおよそ500万~1000万円 と高額になっています。 代理母出産にかかる期間 仲介業者との面談や代理母探しに至るまで、準備から出産まで 1年以上かかる。 また、丸岡いずみさんと有村昆さんの夫婦の場合は、ロシアでの代理出産となりますから、渡航費用や、弁護士との打ち合わせ等、様々な困難の末、子供を授かることができたようです。 まとめ 代理母出産は日本では法的に禁止されてはいませんが、 倫理的な問題もあり、日本産科婦人科学会などの方針で原則認められていないそうです。 代理母出産を望む日本人夫婦は、国内の仲介業者を通じてアメリカやロシア、 東南アジアなど代理母出産を認める国に行って、念願の子供を持つことができるようです。 倫理的な問題がありますが、少子高齢化の日本の現状の中で、 代理母出産の問題点を乗り越え、不妊治療に悩む夫婦のために実現可能な社会になることを望みます。 丸岡いずみ代理出産で子供、夫 旦那 有村昆との現在は? 現在は男児の子供を授かり、子育てに苦労しつつも、そんなことでさえ、幸せな日々を送られているのではないでしょうか。 【スポンサードリンク】.
次の丸岡いずみさんは自然豊かな徳島県美馬市で生まれ、共に高校の教師だった両親の元でのびのびと育ちました。 同居していた祖母からもよく面倒を見てもらったそうです。 幼いころのエピソードとして、3歳からクラシックバレエを習っていたそうなのですが、当時流行っていた聖子ちゃんカットにしたかったため、小学5年生の時に髪型に決まりのあるバレエを辞めてしまったそうです。 そのことで両親とは大喧嘩。 丸岡さんがちょっとした家出をするぐらいの騒ぎとなりました。 コレッ!と決めたら自分の意思を曲げない、気の強い丸岡さんらしいエピソードではないでしょうか。 現役時代は報道記者・キャスターとしてバリバリ働いていた丸岡さんですが、報道の仕事を目指そうと思ったのは大学に進学して就職を考え始めたころ。 教師じゃなかったら寿司屋かアナウンサーになりたかったというお父さんの言葉が影響したようです。 その後誘いがあった北海道文化放送でアナウンサーに。 5年間北海道で局アナを務めました。 丸岡さんの局アナ時代に、大好きだった祖母が亡くなってしまいます。 仕事が忙しくて祖母の最期に立ち会うことができなかった彼女は、その後悔と、一人っ子であったこともあり、少しでも両親の近くにいることを決め、北海道文化放送を退社して上京します。 日本テレビの中途試験に合格し、報道記者やキャスターとして働きました。 『情報ライブ ミヤネ屋』内での宮根誠司さんとのスリリング(?)なクロストークは定番になっていて、宮根さんに「奇跡の38歳」と称されたことがあります。 マレーシア生まれ。 有村昆さんは、アメリカに本社のあるホテル企業の副社長である父親と、シャンソン歌手の母親との間に生まれた、超セレブリティな家庭の息子さんです。 出生地のマレーシアでは、マレーシアの王族が昆さんの誕生を祝いに来たこともあるそうです。 現代でも王様がいるんだ、というのがまず驚きですが。 他に、中学時代のお弁当はうな重かビーフストロガノフであったというエピソードや、英語の成績が良かったら親にカナダ旅行をプレゼントされたというものなど、数え切れないセレブエピソードを持っています。 一般人の感覚としては、テストの成績が良かったら親にゲームソフトを一つ買ってもらえるという程度が関の山だと思いますね。 それでも相当運が良い場合ですが。 昆さんの家庭はとても穏やかな笑顔の絶えない家庭で、一人っ子の昆さんは両親に何事も包み隠さず話せる、仲の良い親子です。 「この親にしてこの子あり」と丸岡さんに言わしめるほど、昆さんは両親が持つ楽観性と優しさを受け継ぎました。 この昆さんのポジティブな面が、のちに丸岡さんの窮地を救うことになります。 昆さんは大の映画好きであることが知られていて、映画コメンテーターであったり、ラジオのパーソナリティとして活動しています。 生涯2万本の映画を観たという水野春郎さんをとても尊敬していて、水野さんに教わり3つのモニターで3本の映画を同時に観るという手法を採用しているそうです。 それぐらいのペースで観ていかないと追いつかないみたいですね。 近年はおしどり夫婦として、丸岡さんと一緒にバラエティ番組に出演する機会も多々あります。 昆さんの丸岡さんに対する溺愛ぶりは、常人の域をやや超えているようですね。 丸岡さんも厳しく突き放しているように見えて実は昆さんのことが大好きということが、観ていて窺えます。 有村昆さんと丸岡いずみさんの二人の出会いのきっかけは、昆さんの一目惚れです。 彼がジムでトレーニングを行っていた際、たまたま点いていたテレビで丸岡さんを目撃し、すぐに惚れ込んでしまいました。 昆さんは丸岡さんに好意があることを周りの人間に言って回り、ついに男女6人による丸岡さんとの食事会に漕ぎ着けます。 そこでも昆さんは積極的にアプローチをし、丸岡さんと連絡先を交換することに成功しました。 この一途さと行動力は、立派な両親に育てられた家庭から培ったものだと思います。 しかし昆さんと丸岡さんがすぐに真剣交際に発展することはありませんでした。 キャスターをしていた丸岡さんに鬱病の症状が表れ、休養を余儀なくされたからです。 仕事一筋で生きてきた丸岡さんは、仕事ができなくなった自分にショックを受け、自身の存在価値を見出せなくなっていました。 鬱の症状はなかなか回復せず、入退院を繰り返し、被害妄想が酷くなった時はお母さんに「ヒ素を盛られた」という考えに取りつかれたこともあったようです。 「死にたい」という考えすらよぎった鬱の症状。 そんな丸岡さんに対し、「休むことも生きること」と、お父さんが声をかけました。 前に進むことばかり考えていた丸岡さんに、焦らずに立ち止まってみることの重要性を説いたのです。 ちょうど丸岡さんに鬱の症状が表れ始めたころに出会った有村昆さん。 まだ交際にも発展していない二人でしたが、昆さんは丸岡さんのためにできることを必死で考えました。 たくさんの本を読んで鬱に関することを勉強し、メールを送って彼女を励まし続けました。 大阪で仕事が終わると昆さんはすぐに徳島まで丸岡さんに会いに行き、短い再会の後すぐに夜行バスで東京に戻りました。 昆さんはそうやって繰り返し丸岡さんに会いに行き、鬱で苦しむ彼女を見守り続けたのです。 なかなかできることではないでしょう。 昆さんはそれだけ丸岡さんのことを大切に想っていました。 薬の処方により丸岡さんの鬱の症状は徐々に回復し、彼女は昆さんとの交際を始めました。 出会いからわずか1年後、2012年に二人は結婚しました。 丸岡さんは休養中に自分を支え続けてくれた昆さんに信頼を寄せたのですね。 良い時ばかりでなく、自分がどん底にいる時もずっと傍に寄り添ってくれた。 上辺だけでなく、心から自分を大切に想ってくれた。 丸岡さんにとって昆さんは運命の人だったのではないでしょうか。 結婚式は、丸岡さんは当初司会を徳光和夫さんに頼むつもりでしたが、宮根さんが名乗り出たことで宮根さんが司会を務めることになりました。 宮根さんも丸岡さんが回復したことを喜んでいたでしょう。 結婚式は4時間にも及ぶ長丁場だったらしく、「ギャラに合わない結婚式だったな」と宮根さんが冗談めかしてぼやいたことがあります。 映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に出てくるタイムマシンでもある昆さんの愛車、デロリアンをバックにした二人の結婚式での姿が印象的でしたね。 丸岡さんはこれまでに二度、妊娠しています。 一回目の妊娠においても、当時41歳という高年齢の妊娠です。 念願の子供を授かったことに喜んだ夫妻ですが、残念ながら妊娠10週で流産してしまいました。 期待が大きかっただけに、相当なショックを受けたようです。 丸岡さんはその後不妊治療を開始。 おそらく問題は卵子や精子ではなく彼女の子宮にあるということで、子宮内膜を厚くするために強い薬を用いました。 激しい薬の副作用と闘う不妊治療の日々。 体外受精で冷凍保存した受精卵を丸岡さんの体に戻し、二度目の妊娠。 しかし二回目の妊娠も10週で流産。 丸岡さんは体だけでなく、精神的にもかなりまいってしまったようです。 鬱の症状がぶり返してきたような状態でした。 自身で子供をつくれない夫婦が子供を授かる方法として、まず養子縁組があります。 しかし丸岡さんの頭には養子縁組という選択肢はありませんでした。 どうしても自分たちのDNAを引き継いだ子供を授かりたかったのです。 自分たちの親に孫の姿を見せてあげたいという想いがありました。 そしていろいろな情報をあたっていくうちに、丸岡さんは代理母出産という手段を発見しました。 代理母出産とは、何らかの理由で妊娠できない女性に代わり、夫婦の受精卵を用いて他の女性に妊娠・出産をしてもらう方法です。 先に説明したように、現状日本ではまだ利用することのできない方法です。 代理母出産の手段が最も確立されているのはアメリカですが、そのぶん諸外国から代理母出産によって子供を授かることを望む人が多く訪れるため、丸岡さん夫妻は代理母が見つかったロシアで子供を授かることになりました。 当初、代理母出産さんという方法に、昆さんは難色を示したようでした。 しかし丸岡さんの子供を望む熱意、そして自分たちの子供を授かりたい希望が徐々に高まり、決意を固めます。 長期に及ぶ不妊治療、エージェントを雇い代理母を探してもらい代理母出産に踏み切ることで、丸岡さんの体や精神だけでなく、金銭的にもかなりの負担がありました。 それでもそこまでしても、二人は子供が欲しかったのです。 「デロリアンはもう二度と買えません」と冗談っぽく語る昆さん。 そして2018年1月、ロシアで代理母の方が出産をし、二人の長年の願いがようやく叶ったのです。 丸岡さん昆さん夫妻は、この代理母出産というまだ一般的ではない手段による出産を公表することにしました。 それはテレビに出る仕事をしている以上仕方のないことですが、こういう手段もあるということを同じような悩みを抱えている世の中の夫婦に伝える意味もありました。 丸岡夫妻は、ロシアで代わりに子供を産んでくれた代理母の方と実際に会ったようです。 出産後初めて面会した瞬間、代理母の方と丸岡さんは思い切り抱き合い、涙を流して喜びを噛みしめたようです。 ずっとずっと自分たちが望んでいた、でも叶わなかった、子供を授かるという夢を、代理母の女性が叶えてくれたのです。 きっととても感動的な瞬間だったでしょう。 代理母の方に対して金銭的な援助ももちろんありますが、丸岡夫妻は本当に心の底から代理母の方に感謝しているのではないでしょうか。 まだまだ日本では実践的ではない代理母出産という方法も、いずれ利用できる日が来るかもしれません。
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