欲がなく淡々と起こる事実に真摯に対応する この映画は、淡々と目の前のことに打ち込む主人公フォレストの人生が中央に据えられています。 フォレスト自身は、お金にも名誉にも恵まれて行きますが、彼はそういった事実とは関係なく、それにうぬぼれることもなく、淡々と人生を生きる姿が、それとは対照的に描かれています。 アメリカ現代史に大きくかかわり、代々の大統領とも面会する機会があるのですが、そんなのに関心は全くありません。 また、フォレストの周辺を取り囲む、ジェニーやダン大尉のような人たちが、自分自身の欲に人生を振り回されることが、フォレストの生き方とは対称的に描かれて、コントラストをこれも強くしています。 ただ、フォレストにとっては、ジェニーが近くにいないことだけが気がかり。 ジェニーの身勝手さにもかかわらず、自分の立ち位置を変えようとしないフォレスト。 これにもフォレストの純朴さと力強さがコントラストとして映えます。 そこまで、演出されたフォレストの純粋と、彼の淡々と生きる姿ゆえに、見る人に感動を与えるのでしょう。 欲がなく淡々と起こる事実に真摯に対応する人生の美しさが描かれた映画です。 フォレストはなぜ「知恵おくれ」として描かれているのか? フォレストは、感情を普通の人のようにストレートに表現することや、論理的に話すことも苦手としているようで、知恵おくれ的に描写されています。 一般人による純粋な生き方より、ハンディを背負った人の生き方のほうがごちゃごちゃ功利的に考える姑息な生き方よりも、優先順位の高いこと1つだけに絞って馬鹿みたいに純粋にそれを追い求めることの素晴らしさがかえって伝わってくると思います。 実際にごちゃごちゃ考えたり、欲望に振り回されることで、多くの人は人生の遠回りどころか、ゴールへたどり着けない道を選んでいることが我々は多いですからね。 フォレストが普通の人であったらなら、もっとジェニーが逃げた原因を考えるでしょうし、追跡もするでしょうし、もっともてるために見栄もはらないと、人間らしさが伝わってきません。 ですが、それが出てしまうと、フォレストの純粋さが失われてしまいます。 淡々とジェニーを追っかけるのは「愛」がゆえか? 映画全編を通じて一貫して書かれていること。 それはフォレストのジェニーに対する態度です。 ずっと一緒にいたくて、ずっと待ち続け、ずっと追いかけ続けるシーンが続きます。 それに対してジェーンは感動しつつも、フォレストとは距離をいつも取ろうとします。 それゆえに、フォレストの純愛が強調されるわけですが、フォレストの純愛はホントに純愛なのでしょうか?フォレストは常に、母から肯定されて生きてきました。 下半身がうまく動かなくても、知恵おくれでも、それをどうのこうのいわず、彼の自信を築き上げています。 それであなたはOK! フォレストはフォレストであることを許され、それに対して自信を持つように育てられています。 そう考えると、母親の愛情不足による反動とは考えにくいです。 話の設定から考えると、フォレストは知恵遅れがゆえに純粋であり、シンプルな指針で複雑なことを考えずに正しことができる人です。 ジェニーはフォレストにとって、本当に存在意義を満たされず迷いに迷っている女性と見えたのでしょう。 母親と同じことをフォレストもジェニーにしたかったのではないでしょうか? ジェニーはどうしたかったのか? 貧乏の家に育ち、親がアルコール中毒。 廃墟となった自分の家に向かって石を怒りで投げつける姿から、両親にたいしての恨みを持った女性であることがわかる。 政治運動に心酔し、そのリーダーとの恋人になるなど、功名心もプライドも高いのは、そういった生育環境での自己嫌悪感を払拭するためだろう。 そうなると、自己の存在を肯定的に受け止め、いるだけでいい、いまのジェーンがいい、なんにも変わる必要もいらない、それだけであなたは素敵だというフォレストの態度は、自己尊重感を喪失した際にジェーンにとっては必要だったのだろう。 だから人生がうまくいかない節目において、フォレストをジェーンは求める。 ではなぜまたすぐいなくなってしまうのか?それは、自己の存在感が満たされることと、好きになるというのは異なることで、単純に好きでなかったのではないかと思う。 好きでなかったから、彼の無償の愛(存在をどこまでも肯定して受容してくれる態度)に対して、返報性の義務感に耐えられなかったのだと思います。 (好きならこういうことを感じない)。 好きでない人と一緒にいることは、相手を利用することになると思い、去って行ったのではないでしょうかね。 性交渉をその後持ったのは、返報性の義務感(このセックスしている間は愛があったのかも)で、避妊しなかったのは、ジェニー自身が自虐的な人生を送っているから(途中で自殺しようとしたりしていますし)で、どうにでもなれという気持ちがあったから。 結婚したのは、子供の幸せを考えて。 映画を通して、フォレストに対する尊敬の念や彼の優しさに感動する彼女は存在しますが、彼に対しての愛は瞬時ではあっても、冷静な彼女にそれは一貫してなかったのだと思います。 最後に再会しても「フォレスト、私は死ぬの」といいます。 「勝手に一方的にあなたを頼る(使う)私を許して」「私のお願いを断らないで」「私を助けて」と聞こえますが、愛ゆえになら苦しまずに言えたでしょう。 ジェニーの思いが一貫しているがゆえに、フォレストの純愛が一層引き立ちますね。 この映画好きな人多いですね。。。 ジェニーとフォレストのもつ自分への自信と母親との関係は、ボルビーがわかりやすいと思います。 ウィニコットもおすすめです。
次の本作は、 第67回アカデミー賞作品賞と第52回ゴールデングローブ賞ドラマ部門作品賞 を受賞しました。 また、主人公フォレストを演じたトム・ハンクスは、 一見浮世離れしたこのキャラクターを説得力のある存在感で演じきり、2度目のアカデミー賞主演男優賞を受賞しました。 アラバマ州の方言では、フォレストの名字「ガンプ」には「うすのろ」「間抜け」といった意味があるそうです。 そんな 「うすのろフォレスト」 ですが、映画化にあたっては不器用ながらやりたいことに真っ直ぐに向かって、時代を駆けていく姿がより活き活きと伝わるよう脚色されています。 生まれた時から背骨が歪んでいたフォレストですが、本編前半で彼が身につけていた脚装具は、映画にしか登場しません。 そのため、ジェニーの応援でいじめっ子から逃げ、フォレストが脚装具をはじき飛ばして爆走する場面も、実は映画だけのものなのです。 あの場面でフォレストが、この先も激動の時代を、そして人生を走り抜けていくであろうと印象づけられたのではないでしょうか。 また、フォレストの父親の存在について、劇中ではミセス・ガンプが父親は「旅に出ている」とだけ言いますが、原作では父親が湾港労働者で、500キロのバナナの下敷きになって死んだことが明らかにされています。 フォレストが小学校への登校初日に、スクールバスの中で優しくしてくれたジェニーと初めて出会って仲良くなる印象的なシーンも、小説には登場しません。 また、原作にジェニーの父親は登場しませんが、映画では幼少期に父親からの虐待があったことがほのめかされています。 大人になってから一時的にフォレストのいるアラバマに戻った時も、昔住んでいた家の跡に石を投げるなど、彼女の波乱の人生の原因が父親にあったことが推測しやすくなっています。 他にも、映画と原作ではいくつかの相違があります。 これらのシーンを引き立たせる脚色が、この作品を、フォレストが走るようにテンポよく見せているのかもしれません。 アラバマ州に生まれたフォレストは、生まれつき背骨が曲がっており、脚装具がなければ歩けなかった。 また彼はIQ75の知能しかなかったため、学校の先生にも養護学校への入学を進められていた。 しかし、フォレストを女手一つで育てるミセス・ガンプ(サリー・フィールド)は、彼を普通の子として育てるため公立学校へ進学させた。 登校初日、スクールバスで他の子からいじわるされるフォレストを同じ座席に座らせたのは、心優しい女の子ジェニー(ハンナ・ホール)だった。 2人は仲良くなり、ある日いじめっ子から逃げるためジェニーが「走って、フォレスト」と呼びかけたことを機に、フォレストは脚装具をはじき飛ばして走り出した。 誰も追いつけない走りの才能が開花したフォレストは、やがてその才能を見出されて大学に入学。 フォレストはアメフトの試合で大活躍し、全米代表チームに選ばれ、時の大統領ジョン・F・ケネディとホワイトハウスで面会した。 誘われるまま入隊したフォレストは、実家がエビ漁を営むバッバ・ブルー(ミケルティ・ウィリアムソン)と出会って親友になる。 やがてベトナムに出征するフォレストは、偶然訪れた場末の酒場で、歌を歌うジェニー(ロビン・ライト)を見かける。 久々の再会だったが、フォレストはジェニーにベトナム戦争に出兵することを伝えて別れた。 ベトナムの地で、小隊長ダン・テイラー中尉(ゲイリー・シニーズ)の指揮下戦場を進むフォレスト達。 ある時敵の激しい襲撃を受けて次々と仲間たちが負傷。 はぐれたバッバを探すため戦場を走ったフォレストは、次々と負傷した仲間たちを助け出すが、バッバは致命傷を負って戦死した。 フォレストはベトナムで仲間たちを救ったため、帰国後ジョンソン大統領から栄誉勲章を与えられた。 そんな折、彼はヒッピー達の集団に交じって反戦運動に参加するジェニーと再会する。 フォレストは戦時中も彼女を想い続けていたが、ジェニーは素行の悪い男とつき合っていた。 つかの間二人は一緒にいたものの、またいつものように別々の道を進む。 そしてフォレストはニューヨークで、退役後すっかり落ちぶれてしまったダン中尉と再会する。 彼はバッバが亡くなった戦場でフォレストに助け出されたものの、両足を失って軍人としても死ねずに自暴自棄な生活を送っていた。 フォレストは退役後、バッバとの約束を果たすため、彼の故郷でエビ漁師の仕事を始める。 やがて彼の船にダン中尉も加わり、2人で漁をする。 はじめは収穫がなかったものの、ハリケーン・カルメンに襲われた直後から大漁に恵まれ、フォレスト達はやがてバッバ・ガンプ・シュリンプという会社を立ち上げる。 事業が軌道に乗った頃、フォレストの元にミセス・ガンプが病に倒れたという知らせが入る。 フォレストはアラバマの母の元へ帰るが、彼女は癌でまもなく世を去る。 生前彼女は息子にこう言い残した。 「人生はチョコレートの箱みたい。 食べるまで分からない」。 昔と同じように故郷アラバマでジェニーと一緒に過ごすようになるフォレスト。 フォレストはある時、ジェニーに想いを伝える。 彼女は何も答えないが、その夜フォレストの部屋にジェニーが現れ、初めて二人は結ばれる。 しかし翌朝には、ジェニーはフォレストの家から姿を消してしまった。 不安に苛まれたフォレストは、ある日ジェニーがくれたシューズを履いて、理由もなく走り出した。 アラバマ州からやがてアメリカ中を走るようになったフォレストのあとには気づけば何人もの人々が続き、メディアも彼を「平和のために走る人」と取り上げ、すっかり有名人に。 いつの間にか3年以上走っていたフォレストはある時ふっと足を止め、「疲れたので帰る」と言って故郷のアラバマへ帰った。 しかし、そんなフォレストの様子をジェニーがテレビで見ていた。 フォレストはこの手紙を受け取ってアラバマを飛び出し、冒頭のバス停まで来たのだ。 ジェニーのアパートを訪ねるフォレスト。 ジェニーは喜んでフォレストを招き入れ、自分の子供を紹介する。 男の子の名前は、父親の名をとって、フォレスト。 フォレストはその時初めて、自分が父親になっていたことを知る。 さらにジェニーは自分が病でもう長くないことを伝えた上で、フォレストに結婚を申し込む。 故郷アラバマで、フォレストはジェニーと結婚した。 家族3人短い幸せな生活の後、ジェニーは亡くなった。 一人で息子を育てることになったフォレスト。 そしてその日フォレストは、かつて自分が乗ったスクールバスに息子を乗せて見送るのだった。 かつてジェニーと出会ったそのバスに、今度は自分の息子を乗せて見送るフォレスト。 出典: 『フォレストガンプ』の実力派キャスト紹介 フォレスト・ガンプ/トム・ハンクス 出典: 主人公フォレストを演じたのは、日本でもお馴染みのトム・ハンクスです。 コメディアンとして活躍し、映画界に進出しました。 『トイ・ストーリー』シリーズのウッディの吹き替えでも知られており、『プライベート・ライアン』(1998)、『グリーン・マイル』(1999)、『ダ・ヴィンチ・コード』(2006)など話題作へ出演しています。 今作でタッグを組んだロバート・ゼメキス監督作では、『キャスト・アウェイ』(2000)、3Dアニメ映画『ポーラー・エクスプレス』(2004)に出演しています。 ジェニー/ロビン・ライト 出典: フォレストが生涯想いを寄せる女性・ジェニーを演じたのは、ロビン・ライトです。 14歳からモデルとして活躍した後、女優を志します。 近年は『ドラゴン・タトゥーの女』(2011)、『ワンダー・ウーマン』(2017)、『ブレード・ランナー 2049』(2017)等話題作に出演しています。 2013年公開のテレビドラマシリーズ『ハウス・オブ・カード 野望の階段』にレギュラー出演し、ゴールデングローブ賞(テレビ部門)で主演女優賞を受賞しました。 ミセス・ガンプ/サリー・フィールド 出典: フォレストを女手一つで育てるミセス・ガンプ役はサリー・フィールドです。 『ノーマ・レイ』(1979)、『プレイス・イン・ザ・ハート』(1984)で2度のアカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞主演女優賞を受賞しています。 最近では、『アメイジング・スパイダーマン』シリーズ、『リンカーン』(2012)でも印象深い演技を見せました。 2001年に『ER緊急救命室』にゲスト出演し、エミー賞ゲスト女優賞(ドラマシリーズ部門)、また2007年にも『ブラザーズ&シスターズ』で同賞の主演女優賞(ドラマシリーズ部門)を受賞するなど、映画だけでなくテレビでも活躍しています。 ダン中尉/ゲイリー・シニーズ 出典: ベトナム戦争からフォレストの人生に関わっていくダン中尉を演じるのは、ゲイリー・シニーズです。 10代のころから舞台に立っており、1988年には、『マイルズ・フロム・ホーム』で監督デビューし、作品はカンヌ国際映画祭グランプリにノミネートされ高い評価を受けました。 フォレスト役を演じたトム・ハンクスとは『アポロ13』(1995)、『グリーン・マイル』(1999)で、再共演しています。 また昨今は、テレビドラマシリーズ『CSI:ニューヨーク』、『クリミナル・マインド 国際捜査班』の主演等テレビドラマでの活躍も増えています。 フォレストJr/ハーレイ・ジョエル・オスメント 出典: クライマックスで登場する、フォレストとジェニーの息子を演じたのは、ハーレイ・ジョエル・オスメントです。 4歳で子役としてデビューし、本作で映画デビューを果たしました。 『シックス・センス』(1999)で子役でありながらアカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、その後も、『ペイ・フォワード 可能の王国』(1999)、『A. I』(2001)、『ぼくの神様』(2001)で大人顔負けの演技を見せます。 近年では、スーパー・ヒーローの腐敗を描くドラマ『ザ・ボーイズ』に出演しています。 スポンサーリンク 『フォレストガンプ』に登場する現代米国史ネタ 『フォレスト・ガンプ』に登場する主人公は架空のキャラクターですが、劇中に登場するアメリカの出来事は実話が殆ど。 ここでは、歴史好きならニヤッとしたくなる史実ネタをご紹介していきます! 米国史にあまり詳しくない方も、作品の名シーンと共に歴史を振り返っていきましょう! ベトナム戦争と反戦運動 出典: ベトナムは19世紀後半からフランスの植民地でしたが、第二次世界大戦後、指導者ホー・チ・ミンが中心となってベトナム北部が独立、ベトナム民主主義共和国(北ベトナム)を樹立しました。 しかし当時は、 アメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義側陣営 と ソヴィエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義義陣営の対立 による緊張状態が続いていました。 ソ連の支援で共産主義国家となった北ベトナムの影響が隣国に及ぶことを恐れた米国は、自由主義国家のベトナム共和国(南ベトナム)を支援しました。 1961年には当時の大統領ジョン・F・ケネディが南ベトナムに軍事顧問団を派遣し、64年北ベトナム軍が米駆逐艦を攻撃したトンキン湾事件をきっかけに、米国が本格的に軍事介入を始めました。 さらに、65年には米軍が北ベトナムを爆撃し、戦争は壮絶さを増しました。 戦争が泥沼化するにつれて米国内では反戦の機運が高まり、1973年米軍はベトナムから完全撤退しました。 その後75年4月に、北ベトナム軍によりベトナム共和国の首都サイゴンが陥落し、15年以上に及ぶ戦争がようやく終結したのです。 泥沼化するベトナム戦争を背景に、米国内では 「現体制に対する反対」 を共通項としてアフリカ系アメリカ人による公民権運動、学生運動、反戦運動が盛んになりました。 人種差別の歴史 19世紀アフリカ大陸から大勢の黒人が、 奴隷 としてアメリカ大陸に連れてこられます。 特に米国南部では、広大な農業の働き手として多数買い入れられました。 一方米国北部には奴隷制反対派が多く、米国内で南北対立が起き、1860年には 南北戦争が勃発 しました。 戦争は北軍の勝利に終わり、憲法上は奴隷制が廃止されましたが、その後も人種差別は残ります。 1963年当時の アラバマ州知事ジョージ・ウォレス が、2人の黒人学生のアラバマ大学入学を阻止するために大学周辺を州兵で固め、自らも大学の門の前に立ちはだかる事件が起きました。 また、フォレストの名前が南部連合の退役軍人ネイサン・ベッドフォード・フォレストに由来するというくだりが、劇中にあります。 、ネイサン・ベッドフォード・フォレストはクー・クラックス・クラン( KKK )の設立者とされ、このKKKは有色人種や移民に対して、暴力を伴った過激な差別行為を行う白人至上主義団体です。 この組織はこれまで幾度か消滅と再生を繰り返しながら、現在も存続しています。 もちろんこうした動きにアフリカ系アメリカ人たちも黙っているはずがなく、1960年代の後半から1970年代にかけては、黒人民族主義運動・黒人解放主義闘争を展開する ブラック・パンサー党 が活動し、アフリカ系アメリカ人に武装蜂起を呼びかけました。 米国歴代大統領と重大事件 出典: フォレストが大学に上がった1960年代初頭、米大統領を務めていたのは、ジョン・F・ケネディ氏です。 ケネディ大統領の時代には、ピッグス湾事件、キューバ危機、ベルリンの壁建設、公民権運動の高まりなど、米国史において重要な出来事が頻発しました。 一方南ベトナムの情勢も悪化しました。 そして、ケネディ大統領も1961年、テキサス州ダラスでパレード中に暗殺されてしまいます。 次期大統領にはリンドン・ジョンソン氏が選ばれました。 劇中で、帰国したフォレストに栄誉勲章を授け、お尻の弾痕を見せられたのはジョンソン大統領でしたね。 ジョンソン政権は社会改革、教育制度改革、人権擁護改革を推進し、1964年には公民権法が制定されます。 しかし外交政策については、ジョンソン政権時に北ベトナムへの大規模な空爆攻撃(北爆)が行われるなど、 ベトナム戦争が泥沼化 します。 続くリチャード・ニクソン大統領は、米軍のベトナム完全撤退を実現させ、敵対していたソ連との緊張緩和、中華人民共和国訪問など積極的な外交政策を行いました。 しかし1972年の大統領選の最中、ニクソン共和党政権の野党・民主党本部があるウォーターゲートビルに、何者かが盗聴器を仕かけようとして警察に捕まります。 この事件のもみ消しにホワイトハウスが関与していたことが世論の反発を生み、大統領が任期中に退陣に追い込まれる 「ウォーターゲート事件」 が起こりました。 ポップカルチャー アラバマの実家で過ごしたフォレストの少年時代、彼の家に泊まり、フォレスト少年を部屋に招いてギターを弾いていたのは、かの エルヴィス・プレスリー です。 ロックン・ロールの誕生と普及に大きく貢献した彼は、後代の多くのアーティストたちに影響を与えました。 ヒップを揺らす独特の振りが一大ムーブメントになりましたが、劇中ではこの振りが、実は脚装具をつけたフォレストの独特な歩き方から着想を得たことになっています。 また、中国へのピンポン外交で一躍有名になったフォレストがテレビ番組でゲスト共演したのは、 ジョン・レノン です。 彼は、1960年代には20世紀を代表するロックバンド・ビートルズとして世界中を席巻し、ビートルズ解散後は、米国を主な拠点としてソロ活動を始め、また平和運動家としても活動しました。 ジョンは1980年に殺害されて短い生涯を終えましたが、彼の音楽は同性代・次世代のミュージシャンに大きな影響を与えました。 ビジネスチャンス フォレストがなにげなく出会う人々の中には、その後大きなビジネスチャンスを掴む者もいます。 例えば、アラバマに帰ったフォレストのために、ダン中尉が投資していた「果物会社」は「iPhone」で有名な アップル社 です。 インターネット関連製品、デジタル家電製品などを販売する、アメリカの主要なIT企業ですね。 その後、ジェニーに去られてから3年以上にわってアメリカ中を走り続けたフォレストの後ろには、様々な人々が続きます。 中には、突飛な行動を貫く彼にビジネスチャンスを見出す人々も。 この出来事から男性は 「Shit happens(不運は起きる)」 ステッカーを作成します。 また、同じくアメリカ横断中のフォレストがトラックに泥水をひっかけられる場面で、横を走っていた男性が、タオル代わりに自社の売れ残りTシャツを渡す場面があります。 フォレストが顔の泥をTシャツで拭って男性に返すと、黄色いTシャツにはスマイリーフェイスが写っていました。 このスマイリーフェイス自体は、1963年にマサチューセッツ州のある保険会社のキャンペーン用に商業美術家ハーベイ・ボール氏が生み出しました。 スマイリーフェイスはポップカルチャーに進出したのです。 アメリカの闇を反映するジェニーの生き様 心優しい性格に反して、報われない人生を転がっていくジェニー。 出典: 障がいを抱えながらも自分にできることを一生懸命にこなし、アメフト選手、栄誉勲章、事業の成功と、華々しく成功していくフォレストの姿は、アメリカン・ドリームの象徴のように見えます。 しかし、フォレストがアメリカの「光」であるとすれば、彼が生涯想い続けた ジェニーの人生はまさに「影」 でした。 彼女はフォレストと結婚してつかの間の幸せな日々を送るまで、壮絶な人生を歩みます。 フォレストと知り合って間もない幼少期に父親から虐待を受け、学生時代にはグラビアに載ったために大学を退学させられます。 彼女は歌手をめざして活動を始めますが、彼女の夢はトントン拍子には進まず、場末の酒場で男性客に嫌がらせされながら歌うことしかできません。 次にフォレストと再会した時は反戦運動に加わり、素性のよくない男と一緒になっていました。 ヒッピーたちとつきあってドラッグを覚えたジェニーは、自暴自棄になって自殺を考えるまでになります。 一度は故郷アラバマのフォレストの元に身を寄せながらまもなく出ていきますが、一夜の関係でフォレストとの間に子供が生まれたので、3年後に結婚を切り出します。 しかしこのとき、ジェニーは不治の病に侵されていました。 この病については、劇中においてウィルスとしか明言されていませんが、ジェニーがドラッグを乱用していたことから、エイズではないかとも言われています。 父親から虐待を受けていた頃 「遠くへ行きたいから、鳥になりたい」 と祈ったジェニーは、生涯を通して自分を抑圧する環境から抜け出すために、変化する時代の流れに積極的に乗ろうとしてきました。 しかし、彼女はフォレストのようにアメリカン・ドリームを掴めず、その人生は変化する時代の恩恵を得るどころか 、新しい時代の闇の側面に毒されてしまうのです。 特にジョン・トラヴォルタはこのオファーを断ったことを後で悔やんだのだとか。 レストランではシュリンプ・カクテルやエビのビール蒸しなど、劇中でもバッバがこだわった、エビをとことん使用したメニューが豊富です。 さらにこのレストランは、 日本にも 支店があります。 東京には後楽園駅近くの東京店と、ららぽーと豊洲店、大阪にはユニバーサル・シティ・ウォーク内に大阪店があります。 レストランにはショップも併設されており、小物、キャップ、Tシャツなどオリジナリティーあふれるグッズが揃っています。 もちろん、フォレストやダン中尉にちなんだメニューもありますので、 機会があれば訪ねてみてはいかがでしょうか。 まとめ 自分のしたいことに真っ直ぐ取り組み、成功を掴んでいくフォレストは、次第に ダン中尉やジェニーなど周りの人々も巻き込んで、幸せを与えていきます。 激動の時代に、自分の成功に固執せず、 ママの教えとジェニーへの変わらぬ想いを軸に、ひたすら人生を走る 彼の姿を見ると、すがすがしい気持ちになれます。 一方で、そんなフォレストの想いに気づきつつ、彼の前から消えたり現れたりするジェニーは、あまのじゃくに見えるかもしれません。 しかし、時代の闇を一身に受ける彼女がいたからこそ、フォレストの成功が輝いて見えるのでしょう。 そして、 彼女がどんなに不幸な時も、フォレストだけはいつも彼女を想い続けていたことこそが、 この映画の最もロマンティックな魅力ではないでしょうか?.
次のこの映画、キャラは人間ではなくて 「シンボル」です。 何かその時代の「象徴」する事を人間で表してる。 ガンプは「未熟なアメリカ」で時代に流され、わけ分からないまま色々経験をする。 ダン大佐はアメリカの「愛国主義」を示し、最初を体張って戦争に行くが、最終的にはITバブルで大金持ち。 ガンプのママは「古いアメリカ」で、新しい流れに付いて行けないがガンプを立派に育てる。 ジェニーは「アメリカの非社会的」な面を示す。 70年代の「ラブ&ピース」でやりたい放題やってたら、怖い病気を広めてします。 正しいと思い、戦争に反発して運動を起こすが、逆にガンプを傷つけてしまい。 混乱を招き、自分を破滅に追い込みそうになる。 それでもガンプはジェニーを見捨てない。 本能だから。 当時のアメリカがそんな感じだったのを、ジェニーとガンプで表した。 だから、「嫌な女」の話じゃないらしい。 アメリカでの感動の理由は、愛国心が隠れテーマだったからでわる。 ま、こんな見方もあると思っていただければ。 同感 申し訳ないが(こういう表現は問題あるかもしれないが)IQの低い(という設定の)ガンプであるからこそ、一途に思いつづけ辛抱できたのではないでしょうか。 おっしゃるように、ガンプがいくら思いを告げ追いかけても、本人は夢と自立を楯にガンプを拒みつづけ、散々勝手し放題。 あまつさえガンプの目の前で他の男を選択するという非業も演じています。 で、何を開眼したのか知りませんが、自分は若くない、もう好き勝手も出来ないと悟ると、ガンプの目の前に現れ(当時はエイズが感染病という認識が希薄であったとしても)子種を儲け、(死期を悟り、ガンプに迷惑かけたくなかったと考えたのだとしても)彼の気持ちも考えず、独り善がりにその下を去る。 質問者おっしゃるように身勝手極まりないとしか言いようが無い。 物語や(ご都合主義では会っても)主人公の前向きな考え方には感動を覚えたけれども、正直この女性はむかついて仕方が無かった。 それでも一途に思いつづけるガンプが不憫で不憫で仕方ありませんでした。 ジェニーもフォレストの事はずっと好きだったんじゃないかなぁ・・ でもフォレストと一緒では将来も不安だし自分の夢があったしで 振り続けたんじゃないかな? 最後の最後にこの人が好きだったんだと気づいたととらえると感動するかと・・・ でもどうとるかは観る人の自由ですからね(^^) たしかに好きだといわれてもフォレストじゃ親友にはなれても恋人にはなれないと 思ってたようだし、ずっと違う人とばっかり付き合って自殺未遂やらで疲れて 故郷に帰ってきてフォレストが看病して立ち直ったのでお礼の気持ちをこめて 1回やっちゃったらできちゃってたんだけど病気で死んじゃうので子供をみて もらうために最後連絡した・・・ととる人もいるでしょう 私はフォレストの母親の愛情に感動して戦争時の友情に感動したかな 私もジェニーは少し自分勝手なところはあると思いました.
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