チャゲ。 本当は凄かった!CHAGEがもっと評価されるべき5つの理由

MOON LIGHT BLUES CHAGE&ASKA 歌詞情報

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世の中には圧倒的な実力を持ちながらも、イマイチ世間的には目立たない存在があるものだ。 球界では野村克也。 アーティストでは… そう、CHAGE ち RT 尋ね人]首都圏にお住まいの方、通勤通学で首都圏の駅を利用される方、Chage を見かけませんでした?『かくれんぼ』してるみたいです。 見つけた方は情報をお寄せ下さい。 証拠の ブツを写真でおさえてもOKです。 彼らの楽曲をまったく聞いたことが無い人は、日本にはほぼ存在しないだろう。 同様にASKAの名前を知らない人はいない… いない… 最近余計にいなくなった。 色々な意味でASKAよりも地味な存在となってしまっているCHAGE。 今日は知られざるCHAGEの真実5つをお伝えしよう。 CHAGEのここがスゴい!『コンテストではASKAに勝っている!』 デビュー前、ASKAに誘われて出場した『第15回ヤマハポピュラーソングコンテスト福岡大会』 それぞれソロのアーティストとして出場した彼らの成績は、 CHAGEが 「グランプリ」ASKAが 「最優秀歌唱賞」 つまりCHAGEがナンバー1だった。 この曲は沖縄をイメージしたJALのCMソングとして使われた。 この曲がCHAGEの実力を世に知らしめる!なんと44万枚弱を売り上げ、その夏最大のヒット曲! ASKAのソロデビューは、1987年発表の「MY Mr. ちなみに沖縄にココナッツは無い。 デビュー曲 「SOME DAY」はCHAGEがMULTI MAXのために存分に暖めていた名曲。 これを聴いたASKAがその楽曲の完成度に嫉妬したというのは、ファンの間では有名な話。 CHAGEのここがスゴい!『楽曲提供の相手がハンパない!』 ASKAと同様に、CHAGEもさまざまなアーティストに楽曲を提供している。 国際的俳優 レスリー・チャンをはじめ、 ・明石家さんま ・とんねるず ・光GENJI Bigなアーティストばかりだ! 色々アレだが、酒井のノリピーさんにも提供している。 CHAGEのここがスゴい!『澄んだ高音と、圧巻の歌唱力』 昔っから澄んだ高音は有名だったが、50歳を過ぎCHAGEの歌唱力は未だ向上している。 そして独特の世界観は他の追随を許さない。 今のCHAGEを知るならこの3曲を聴くのだ! あなたは必ず衝撃を受けるだろう。 堪能せよ!震えよ!泣け! ステイ・ウィズ・ミー ~そばにいてほしい 日本語version 自分涙いいっすか… どうだ!これが真の実力者だ!! CHAGEさん まとめ このようにCHAGEは稀有な実力を持った、日本を代表するアーティストなのである。 そして、CHAGE and ASKAは、ASKAメインボーカル、CHAGEハモりではなくツインボーカルのデュオなのだ。 世間はASKAの横でハモっているの帽子のオジさんという誤ったイメージを持っている。 この記事のその誤りを正していただければ本望だ。 そして、この恐ろしい程までの実力を持ったCHAGEが、小室哲哉に国宝級の声とまで言わしめた怪物ASKAと再合体すると…夢は尽きない。 また…日本全国一億二千万人のCHAGEファンの皆様、まだまだCHAGEの魅力はあるぜ〜!!という方はご連絡ください。 喜んで追記します! そして… 早く… CHAGE and ASKA が見たい… 追記〜 新曲「もうひとつのLOVE SONG」がまた素晴らしい 8月10日に1年ぶりのミニアルバム 『Another Love Song』が発売されました。 これがまた、とても良い仕上がりで、 新曲の 「もうひとつのLOVE SONG」がホント素晴らしい。 ドロドロした部分が皆無な、すっきりと聴ける歌詞と曲調で、chageらしいラブソングです。 セルフカバー曲 「NとLの野球帽」も収録。 この曲もchageの代表曲と言って良いほどの名曲ですからね。 最高のアルバムです。 旅は台湾、ワインはカリフォルニア、ウィスキーはアイラモルト、チーズはミモレット、珈琲はピーベリー、葉巻はHabanos Punch、Romeo Y Julieta。 基本ダブルコロナ、チャーチル、ランセロなどの長いビトラが大好き。 できることならコイーバランセロを毎日吸いたい。 』 日本テレビ『シューイチ』 日本テレビ『諸事情により』 日本テレビ『スッキリ!!』 日本テレビ『Oha! 4 NEWS LIVE』 日本テレビ『news every.

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チャゲアス崩壊、ヒット曲大半作曲のASKAに、Chageが「5:5」要求が原因か

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ASKA(61)は「チャゲアス」の解散を要求し続けているという。 しかしチャゲ(61)には二人でステージに立たなければならない理由があった。 「自分のなかで解散は考えたことはありません。 CHAGE and ASKAは俺の人生、そのものだから」 チャゲこと、柴田秀之が生まれたのは、北九州市小倉。 小6で博多に転居すると、近所に住む叔父の部屋に通ってはビートルズを聴き、洋楽に親しんだ。 中学生のころ、音楽界は、フォークソングブームのまっただなか。 地元出身の井上陽水やチューリップが東京で成功し、盛り上がる博多の街の空気に引っ張られるように、チャゲは音楽に傾倒していった。 高校生になり、バイト代で、自分のギターを購入すると、オリジナル曲を作り始める。 チャゲを名乗りだしたのもこのころだ。 「ヤンチャだったんで、不祥事を起こしまして(苦笑)。 丸刈りにさせられたんです」 周囲から「ハゲ」という声が飛んでくる。 そのとき、後輩の女のコが思いついた。 カッコいいばい」 そして、運命の出会いがやってくる。 高校3年のときだった。 学園祭に向けてバンドを組んだチャゲらは、放課後の教室にアンプを持ち込み、エレキやベースをガンガン鳴らした。 その大音量にも負けないドデカイ歌声が、隣の教室から響いてくる。 「そこにいたのが、宮崎重明(ASKAの本名)。 お父さんが自衛官で、北海道の千歳から隣のクラスに転校してきた。 剣道をやっていて、千歳では屈指の実力。 転校してきたときは『剣士が来た!』と、噂になったんですよ。 だから、存在は知っていたけど、しゃべったことはなくて。 歌っている姿を見て『おまえ、剣道やなかったのか?』と、思わず聞いてしまいました」 地元の大学に入るとチャゲは音楽部に入部。 同じ大学に進学したASKAは、音楽武者修行を始めた。 「ASKAは剣士なだけあって、道場破りのようにギター1本持って、いろんなところに演奏に行っていたんです。 人なつこくて、大人の懐ろに飛び込むのもうまく、どんどん世界を広げていました」 そんな二人が急接近したのが、大学2年のときだ。 部費を使い込んだ3~4年生が一斉に引退し、急きょ、部長に推されたチャゲ。 そのとき、「手伝っちゃる」と、週1回の音楽部のライブに出演してくれたのがASKAだった。 ヤマハのポプコン(ポピュラーソングコンテスト)に誘ってくれたのもASKAだ。 ポプコンといえば、中島みゆきや世良公則&ツイストなどを排出した名門のアマチュアコンテスト。 「チャゲ、出てみないか? つま恋の本選でグランプリ取ったら、下手したら武道館だぞ」 武道館といえばビートルズだ。 「それはよかね!」 すぐに、その気になった。 とはいえ、デュオを組んだわけではなく2人は別々にエントリー。 地区大会でASKAは最優秀歌唱賞、チャゲはグランプリを獲得する。 つま恋本選に向け、ヤマハのスタッフがアドバイスしてきた。 「パワーアップしろ。 チャゲとASKA二人で歌うんよ。 組むなら、スタジオ、タダで貸しちゃるけん」 手始めに、チャゲの受賞曲『夏は過ぎて』を二人で歌ってみた。 一緒に歌うのはそれが初めてだ。 ツインボーカルがユニゾンで響き合う。 2つの声が重なったとき、思わずお互い、顔を見つめ合っていた。 スタジオのスタッフたちも、声が出ない。 それから1カ月。 スタジオにこもりきりで練習し、つま恋に臨んだ。 しかし、本選のレベルは高く、グランプリを逃してしまう。 「人生でいちばん練習した時期です。 いまでも練習するけど、二人とも19~20歳だったから、やればやった分だけうまくなる。 面白くってしょうがなかった」 翌年の第17回ポプコンには大きな自信を持って臨んだ。 ASKAが作った『ひとり咲き』の完成度は高く、周囲からもグランプリ候補と目されていたが、本番で進行を間違え、結果は入賞。 しかし、落ち込んでいるヒマはなかった。 グランプリ受賞者が契約するのとは別のレコード会社が、手を挙げてくれたのだ。 「『すごくいいよ、キミたち』と。 「デビューが決まってからは、敷かれたレールの上を走る暴走列車に乗り込んだようなものでした」 二人で上京し、渋谷区の同じマンションに住んだ。 レコード会社は破格のプロモーションをかけてくれた。 運も味方した。 大物歌手の出演キャンセルの穴埋めに、急きょ『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)に出演し、『ひとり咲き』を歌うと、翌日からレコード売り上げが跳ね上がった。 デビュー直後から、力を入れていたライブツアーも、大会場では空席ばかりが目立ったが、『夜ヒット』以降、その空席がみるみる埋まるようになっていった。 デビューは順調だったが、3枚目のシングル『万里の河』のあとは、ライブ動員は多いのに、レコード売り上げが伸びなかった。 ASKAはロンドンで本腰を入れて音楽を勉強したいと言いだした。 「ASKAは当時、光GENJIなどに音楽提供もしていましたが『ヒットメーカーという肩書に甘えちゃダメだ』と言ってね。 すごいもんですよ。 当時は英語も満足にできなかったのに。 俺は俺で、バンド活動をしたかった。 憧れていたのはビートルズですから」 1年後、ロンドンのASKAから連絡が入った。 「ブランクがあっても、お互い歌い始めれば、息は合います。 ASKAの肩の動きや息づかいを見れば、ピタッと歌を合わせられる。 ASKAも俺に合わせてくる」 そこには二人にしかわからない音楽世界が確固としてあった。 『SAY YES』『YAH YAH YAH』のダブルミリオン。 CHAGE and ASKAは頂点に立った。 1万人クラスのライブが次々に決まり、怒濤の日々が始まった。 「俺のなかでは、ベストライブ。 すべてを出し切ったし、有無を言わせないパフォーマンスで、お客さんを圧倒し切れた。 やり切った感があったんです」 デビュー30年になろうとしていた。 「どちらからともなく、ここらへんで、活動休止してもいいかもという雰囲気が出てきましたね」 ASKAとなら、いつでも元に戻れる。 チャゲはそう信じていた。 最小限の編成で、全国を回った。 とはいえ、音楽業界がチャゲアスを放っておくわけがない。 再開ライブの会場は、代々木体育館だ。 「代々木体育館で初めてライブをしたのは俺たちです。 その矢先、ASKAの覚せい剤使用疑惑が『週刊文春』などで報じられた。 チャゲアス活動再開も白紙に戻った。 「一連の報道が出たときは、なんだこれ。 フザけんなよ! って」 当時を振り返るチャゲの表情に、悔しさと情けなさがにじんだ。 「ASKAが逮捕されたよ」 逮捕のニュース速報が流れる数時間前だった。 「怒りとか、そういうもんじゃない。 『馬鹿野郎!』を通り越して、もう頭が真っ白ですよ」 それから5年の時が流れた。 年に1度、ASKAと顔を合わせる機会はある。 しかし、活動再開への道筋はいまだ見えていない。 ソロで音楽活動を再開したASKAのことを見続けてきたチャゲは、今、きっぱりこう語る。 「俺は彼をよく知っている。 俺よりまじめで音楽に純粋な男です。 俺はASKAがいなくては、いま、こうして音楽をやれていない。 きっとASKAも、俺がいたから、ここまできた。 二人だったからこそ、たどり着けた。 そう思っています。 解散は、俺のなかにはまったくない。 ファンとの約束は守る。 そこはブレずに、いまも思い続けています」.

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チャゲ(Chage)…元嫁・山崎志津代との馴れ初めから結婚まで

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スポンサーリンク ASKAさんがチャゲアスを脱退する本当の理由はCHAGEさん チャゲ が原因?心境コメントや1207の意味とは? ASKAさんがチャゲアス脱退を発表! 8月25日にチャゲアスから脱退したことを発表したASKAさん。 なぜこの日を選んだのかというと、今から40年前がデビュー日だったからです。 そして脱退を発表した際のコメントがブログに掲載されています。 その内容がコチラ。 本日、「デビュー40周年」となります。 その「デビュー40周年」をもちまして、 私、「ASKA」は、「CHAGE and ASKA」から、脱退を表明いたします。 一部の音楽業界の方々、そして我々をよく知る仲間たちには、 すでに知られていた事実だったかと思います。 2009年2月、私たち「CHAGE and ASKA」は「無期限活動停止」を発表いたしました。 「解散」を決意した私が、当時のマネージメント会社から、半ば、説得されるような形になり、 「無期限活動停止」となりました。 「解散」にしても「無期限活動停止」にしても、 そう決断しなくてはならなくなった「理由」と、いうものがあります。 しかし、その「理由」は、片方だけが語ることではありません。 「もっと本音で、心から語り合うことができてたら」と思わざるを得ません。 私は社会から痛烈に非難を浴びる事件を起こしてしまいましたので、 本日の発表が、全て、それに結びつけられる立場にあります。 それでも構わないと思っています。 私が多くを語ってはならない。 私を応援してくださる会員「Fellows」の方々には、 昨夜、すでにお伝えしてあります。 「Fellows」には、業界関係者の方々もおられます。 本日、この時間まで「発表を控えてください」という約束を守っていただきましたことを、 深く感謝いたします。 私たち二人の間に「奇聞」となるような話はありません。 すっかり、環境が変わってしまった。 それにより、音楽活動が変色してしまいました。 世の中へは、これを理由にすることが、いちばん綺麗(きれい)でしょうね。 私は、今後の彼の活動を、嘘偽りなく応援します。 彼にも、同じような気持ちを持って欲しいかな。 中国の諺(ことわざ)に、 「長い旅をする二人には、やがて、いつか分かれ道が訪れる」 と、いうのがあります。 また、武士道には、 「守破離(しゅはり)」 と、いう言葉があります。 これは、師に教えを被(こうむ)る弟子が、独り立ちをするときに使います。 「守」 師の教えを守る 「破」 教えにより身についた基となるものからの脱皮。 つまり、己を見出すために殻を破る。 「離」 師の元を離れ、我の進む道を行く。 私たちは「自分流」で、やってきましたので、明確に「師」となるものはありませんが、 お互いが「CHAGE and ASKA」という強靭(きょうじん)な傘の柄を掴(つか)みながら歩いてきました。 その活動による「気づき」がたくさんありました。 「教え」による「気づき」ではなく、 「気づき」が「教え」になったと言えるかもしれません。 そんな「教え」から離れて、個の道を行く時がきたのだと思っています。 今回の「脱退」を感じ取った彼から、彼の弁護士を通じて、 「できれば、ふたりで会いたい」 と、連絡がありました。 そうなんだ。 ずっとそうだった・・・。 そんな大事な言葉さえ弁護士を通して伝えてきた・・・。 私の時間は、彼が思う時間よりも早く進んでいます。 この年齢になると、「時間は過ぎてゆく」ではなく「時間は消えてゆく」ですからね。 もう「脱退」のレールを敷いて、私たちは随分遠くを走っています。 今ここで立ち止まれば、「新たな出会いに」に、大きな迷惑をかけてしまうことになる。 お伝えいたします「話」が、長くなりますと、ただの「能書き」になってしまいますね。 理由は私たち二人だけが知っていればいい。 最後に、私は、 「守破離」の、後に「環」をつけていたいと思っています。 「守破離環」 いつか、一回りして、 「あの時のお前は大嫌いだった」 と、笑いながら話せる日が来ればいい。 相棒は、まだ「解散」を受け入れていません。 ましてや、この「脱退」も受け入れられないでしょう。 私にも受け入れられないことがあります。 「『CHAGE and ASKA』であれば、永遠にソロ活動でいい」 これは「解散」と、同じです。 「CHAGE and ASKA」の再始動を、ひたすら待ってくれている多くのファンの方々の気持ちを前にして、 私には、それはできません。 手を替え、品を替えで、ただ延命するより、いっそ解体して、 新しく積み上げることの方が建設的だと思うのです。 手を繋(つな)ぎ合った複合体は、どれだけ長く手を繋いでいられるかが重要ではありません。 手を繋いだ時に、何ができるかだと思うのです。 何もできない複合体であるならば、複合体の意味がありません。 私は、相棒の「電話番号」も「メールアドレス」も知りません。 彼の弁護士を通してしか、連絡の方法がありません。 もちろん共通の友人をたどれば、連絡することは可能でしょう。 しかし、それは違う。 本人の了解を得ずして、連絡はできません。 振り返れば、「CHAGE and ASKA」は、40年の活動の中で、誰にもできなかったことをやってきました。 これは、我らの勲章です。 私は、その勲章を首から外し、壁にかけ、 今後の音楽人生を歩んでいきたいと思っています。 その上で、お伝えしたいことは、 「オレは、別にアイツが嫌いなわけではないよ」 です。 長い文章になってしまいました。 私「ASKA」は、「2019/8/25 12:07」をもちまして、 活動40周年となります本日、「CHAGE and ASKA」からの「脱退」を表明いたします。 長文、お付き合いくださいましたことを感謝いたします。 ありがとうございました。 ASKA(2019/8/25 12:07) Chageへ。 1207 ASKAさんの心境がかなり重いことがブログで伝わってきますね。 ASKAさんはソロで活動するならチャゲアスである必要がないという考えであり、CHAGEさんの考えは全くの逆ということでしょう。 つまりソロ活動をするにしても、「CHAGE and ASKA」でありたいということですね。 CHAGEさんにとって「チャゲアス」は形だけでも残したいほど大きな存在なのでしょう。 しかしASKAさんはファンの為にも、再活動の見込みがないままチャゲアスである必要はないと言ってるわけですね。 考え方から見ればASKAさんの方が正論な気がしますけど…。 スポンサーリンク ASKAさんがチャゲアスを脱退する本当の理由はCHAGEさん チャゲ が原因? ASKAさんのブログを見る限り、直接2人が話合った感じはありませんでした。 公式サイトでは、今回の脱退はASKAさんとスタッフで話し合ったとされており、そこにCHAGEさんの名前はありませんでした。 なのでCHAGEさんは話し合いをしていないと思われます。 ASKAさんはCHAGEさんの弁護士を通じて2人で話したいと言われたようですが、実際に話し合ったとは言ってなかったので、断ったのかもしれませんね。 確かに長年共に歩んできた相棒が弁護士を通じて話したいって言ってきたら…。 考えただけでも悲しくなりますよね。 ASKAさんはCHAGEさんにとって自分はどういった存在なのか?ということを深く考えたことでしょうね。 そもそもCHAGEさんはなぜ弁護士を通しているのか? ここから察するに2人間に何かしらのトラブルがあったのは確かでしょうね。 でなければ普通弁護士に相談なんてしませんから。 25日に発表された内容の前に、先行でファンに綴った内容には、こういった行動を取るCHAGEさんとの信頼関係は築けないとおコメントしていました。 確かにそうですよね…。 相棒と連絡を取る手段が弁護士を通じてって聞いたことないですから。 ASKAさんの選択は間違いでなかったのかもしれません。 しかも最近のことのようです。 その理由はCHAGEさんが女性誌で語ったコメントだったのさようです。 スポニチ本紙の取材では、決定的な亀裂となったのが、7月に女性誌に掲載されたCHAGEのインタビュー。 ASKAに近い関係者によると「2人が合意に至ってない状況なのに、軽々しくデュオの今後に言及されていた。 一本気なASKAさんはCHAGEさんに全く信頼がおけなくなったようだ」という。 CHAGEさんがどんなコメントをしたのかは、分かっていませんが、7月の女性誌というのは、おそらくコチラのことを言ってるのかな?って気がしました。 心からありがとうございます!…」との題名で自身のインスタをアップしていました。 ASKAさんの脱退に関してのコメントは、現時点で見受けられませんでした。 あともう一つ気になるのが、2009年の活動休止。 当時の活動休止時に報道された内容がコチラ。 本日1月30日付けで掲載された「今後の活動に関するお知らせ」によると、<2008年、ふたりはソロ活動を行なうなか、ソロとしての意識がさらに高まってきました。 そして一度は、CHAGE and ASKAとしての次の約束が出来ないのであればグループを解散し、CHAGE、ASKAとして活動していく、という決定がなされました。 > <しかし、発表を目前にしたふたりが最終的に選んだ答えは、自分たちの母体はやはりCHAGE and ASKAである、ということでした。 >と、一度は解散を決定したが、最終決定はそうではなく、<今後もCHAGE and ASKAを母体とする、CHAGEとASKAの活動であることに変わりはありません。 >としている。 先程のASKAさんのブログから読み取るに、ASKAさんはこの時点でチャゲアスの解散を望んでいたのでしょう。 また遡ること1996年の時にも活動休止し、お互いソロ活動していた時期がありました。 この時は1999年にまた始動していました。 1996年の活動休止、そして2009年の無期限活動休止。 このどちらもがソロ活動の為としていました。 どちらがソロ活動を重視していたのかは分かりませんが、今回の脱退発表よりもっと遠い時期から、ASKAさんはCHAGEさんを見る目が変わっていたのかもしれません。 そして2014年に起きたASKAさんの不祥事で、CHAGEさんもまたASKAさんを見る目が変わってしまったのかもしれません。 こればっかりはどちらかが真相を語ってくれない限り、明かされることはありませんが、ASKAさんのブログの最後にある、 Chageへ。 1207 という意味深なメッセージがネットで話題になっていました。 この度はASKAのblogでASKA自身の言葉でCHAGE and ASKAからの脱退が綴られました。 僕に対して『脱退します』との書面が彼から届いたのは8月23日でした 皆様を悲しませてしまった事に責任を感じると共に率直にとても残念な思いです 彼が理由に挙げている事に、ここで意見することはありません。 彼の思いは『彼の考え』である事に間違いありません。 そして誰が何を言っても『覆る』事はないのでしょう 僕の意思に関わらずこのような状況になったことすらも前向きに捉え、ソロ活動に邁進出来る今の環境を僕自身も真摯に受け入れようと思います 僕自身、二人で活動して来た事を後悔しないためにも、そして今でも僕らの音楽を愛してくれている人の為にも、歌い続けたいと思います スポンサーリンク ASKAさんのブログの1207の意味とは? では最後にASKAさんの意味深な数字に関するツイッター民の意見を見てみましょう。 独り飯しながら、ASKAのブログ読んだ。 ASKAのブログを読んでて心の中のどこかで覚悟はしていたけど、正式に発表されるとやはりショックがデカい。 でも、今日のブログの「Chageへ 1207」に泣いた。 そして、やっぱりいつかはまた二人でを思ってしまう。 — h. karl UKarl1020 やはり気になっている人が多いですね。 でももしかしたら分かる人には分かるのかな?とも思いました。 ツイッターにもあったように、個人的にも 「いづれな」って気がしました。 この歌のように、いつかまたあの頃の2人みたいにめぐり逢ってほしいですね。 まとめ コンビというのは少なからず不仲説があります。 特に今回のASKAさんの脱退の流れを見て不仲だったのかな?と思ってしまう人もいるでしょう。 でも40年 厳密にはもっと短い? もの間一緒にいれば、音楽に対する方向性だったり、価値観に違いが出てきてもおかしくはないですよね。

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