前田日明と高田延彦は不仲なのか? 前田日明の盟友と言えば、 昔からのプロレスファンにとっては、 新日本プロレス時代からUWF時代と、 行動を共にした高田延彦です。 高田延彦と言えば、 現在タレントでテレビでもよく見かけますね。 元プロレスラーで一番芸能界で成功した人という印象を受けますね。 そんな前田日明と高田延彦は、 同じ団体で盟友として活躍していたが、 不仲で今では交流はないそうです。 何故そんな事になったのか。 かつては兄弟の様な間柄だった二人、 UWF時代は、前田、高田、山崎という三本柱で頑張っていましたが、 別々の道を歩みました。 という事で、 今日は前田日明と高田延彦がどうして不仲になったのか? という事をお伝えします。 どうやら、ここが二人の決別のポイントという事になっています。 実は、高田が前田日明に対して言及する事はありませんが、 前田日明は雑誌のインタビューなどで高田について語っています。 出典:goo. 前田日明のインタビュー記事や対談イベントなどを紐解いていきますと、 UWF解散前から、 UWFインターの立ち上げは決まっていた。 (高田のクーデター説) からの、 自分が戦うはずだった ヒクソンとの試合をPRIDEに取られた。 これが決定的となり、 絶縁状態になったと思われます。 UWFの解散が決まってから3つに分かれたというのが認識だったのですが、 前田はそうではないと言っています。 UWFインターの立ち上げにかかわった人に、 前田が話を聞く機会があったのですが、 どうしても時系列で整理していくと、 辻褄が合わないと思っているとの事です。 また、藤原喜明との対談時「人生で一番辛かった事は?」という質問に対して、 前田はUWFの解散をあげていて、 UWFインターの立ち上げのタイミングに言及しています。 (スポンサーリンク) 前田と高田のトラブルの数々 前田はある媒体で、 高田との関係修復について尋ねられた時、こう答えている。 「自分は人間関係で相手がおかしな事をしても、 3回までは我慢する様にしているけど、 高田はそれを軽く超えている、謝罪もない」と。 そして、先ほどの結論で書いた内容を喋っています。 ただし、インタビューにも、 ネット上にも無い事が二人の間にはあったかもしれませんが、 それ以上は分かりません(笑) 色々あった中で決定的になったのは、 これじゃないか?という事で結論とさせていただきました。 (前田談) 当時、前田と高田が所属していたUWFは大人気のプロレス団体だったが、 フロントの不正な経理に不信感を持った前田日明はフロントを批判、 前田は出場停止になり試合が出来なくなる。 前田は新しい団体設立の為に、奔走していた。 高田は、お金を作ったり、団体の立ち上げなどには力が及ばないから、 道場をまとめときますから、 安心して奔走して下さいという意味の事を言った。 しかし、かなり後に、色々関係者に話を聞くと、 その前田が奔走していた時期からUWFインターの設立に高田は動いていて、 UWFインターの会社の登記や旗揚げ戦(後楽園ホール)を押さえるなど、 UWF解散前から動いていないと実質不可能である事を知った。 安生は元前田の付き人。 (高田は安生を批判) UFC-Jの会場で、安生は後ろから前田に近づき、 不意打ちで顎にパンチをくらわせた。 前田はその場に倒れて失神した。 1でヒクソンに高田が敗北、 前田は「どうするんだ?」と高田に聞くと、 高田は先の事はわかりません、 引退するかもしれませんと前田に言っていた。 前田はじゃあ俺がヒクソンとやろうという事で、 前田がヒクソンと試合する為に交渉をし、 殆ど話が決まっていたが、直前でPRIDEが高田との第2戦を発表した。 ヒクソン戦をさらわれた。 前田はPRIDE崩壊時にざまあみろと言った。 などなど、二人には色々因縁がある様です。 話をおさらいすると 1998年(平成10年)に二人は対談しています。 高田がヒクソンに敗れた、 PRIDE. 1が1997年(平成9年)です、 ヒクソン戦の翌年に対談で仲良く話しています。 この時久しぶりに会って直接話した。 対談は終始和やかで、二人は再会を喜んだ。 そして、同じ年の1998年8月に行われた、 山本喧一のジム開きのパーティーにも仲良く出ています。 この時点までは二人の仲は悪くなかったのです。 が、ここから交流が無くなります。 そして、同じ年のPRIDE. 4(10月11日)で高田はヒクソンと再戦しますが、 敗れてしまいます。 なので、仲が悪くなったのは、 1998年の8月以降にUWFインターの立ち上げに不信感を持ち、 そして10月の高田とヒクソンの再戦で決定的になったと思われます。 前田は翌年の1999年2月22日アレクサンダー・カレリンと戦い引退した。 そして同じ年の11月に安生洋二から、 不意打ちのパンチを受ける襲撃を受ける。 という流れになります。 最後に という事で、今日は前田日明と高田延彦について書きましたが、 もう一度この二人のツーショットを見てみたいですね。 我々の世代のプロレス好き、格闘技好きにとって、 前田と高田というのは、まさにカリスマ、ヒーローだったのです。 事実は分かりませんが前田日明は、UWFインター立ち上げは、 UWF解散前から密かに動いていたクーデターだと思っている様です。 この二人が再び手を組めば、 低迷している日本の格闘技の世界も、 また盛り返すんじゃないか? なんて思ってしまいますので仲直りして欲しいですね。 (スポンサーリンク) カテゴリー•
次の前田日明と高田延彦は不仲なのか? 前田日明の盟友と言えば、 昔からのプロレスファンにとっては、 新日本プロレス時代からUWF時代と、 行動を共にした高田延彦です。 高田延彦と言えば、 現在タレントでテレビでもよく見かけますね。 元プロレスラーで一番芸能界で成功した人という印象を受けますね。 そんな前田日明と高田延彦は、 同じ団体で盟友として活躍していたが、 不仲で今では交流はないそうです。 何故そんな事になったのか。 かつては兄弟の様な間柄だった二人、 UWF時代は、前田、高田、山崎という三本柱で頑張っていましたが、 別々の道を歩みました。 という事で、 今日は前田日明と高田延彦がどうして不仲になったのか? という事をお伝えします。 どうやら、ここが二人の決別のポイントという事になっています。 実は、高田が前田日明に対して言及する事はありませんが、 前田日明は雑誌のインタビューなどで高田について語っています。 出典:goo. 前田日明のインタビュー記事や対談イベントなどを紐解いていきますと、 UWF解散前から、 UWFインターの立ち上げは決まっていた。 (高田のクーデター説) からの、 自分が戦うはずだった ヒクソンとの試合をPRIDEに取られた。 これが決定的となり、 絶縁状態になったと思われます。 UWFの解散が決まってから3つに分かれたというのが認識だったのですが、 前田はそうではないと言っています。 UWFインターの立ち上げにかかわった人に、 前田が話を聞く機会があったのですが、 どうしても時系列で整理していくと、 辻褄が合わないと思っているとの事です。 また、藤原喜明との対談時「人生で一番辛かった事は?」という質問に対して、 前田はUWFの解散をあげていて、 UWFインターの立ち上げのタイミングに言及しています。 (スポンサーリンク) 前田と高田のトラブルの数々 前田はある媒体で、 高田との関係修復について尋ねられた時、こう答えている。 「自分は人間関係で相手がおかしな事をしても、 3回までは我慢する様にしているけど、 高田はそれを軽く超えている、謝罪もない」と。 そして、先ほどの結論で書いた内容を喋っています。 ただし、インタビューにも、 ネット上にも無い事が二人の間にはあったかもしれませんが、 それ以上は分かりません(笑) 色々あった中で決定的になったのは、 これじゃないか?という事で結論とさせていただきました。 (前田談) 当時、前田と高田が所属していたUWFは大人気のプロレス団体だったが、 フロントの不正な経理に不信感を持った前田日明はフロントを批判、 前田は出場停止になり試合が出来なくなる。 前田は新しい団体設立の為に、奔走していた。 高田は、お金を作ったり、団体の立ち上げなどには力が及ばないから、 道場をまとめときますから、 安心して奔走して下さいという意味の事を言った。 しかし、かなり後に、色々関係者に話を聞くと、 その前田が奔走していた時期からUWFインターの設立に高田は動いていて、 UWFインターの会社の登記や旗揚げ戦(後楽園ホール)を押さえるなど、 UWF解散前から動いていないと実質不可能である事を知った。 安生は元前田の付き人。 (高田は安生を批判) UFC-Jの会場で、安生は後ろから前田に近づき、 不意打ちで顎にパンチをくらわせた。 前田はその場に倒れて失神した。 1でヒクソンに高田が敗北、 前田は「どうするんだ?」と高田に聞くと、 高田は先の事はわかりません、 引退するかもしれませんと前田に言っていた。 前田はじゃあ俺がヒクソンとやろうという事で、 前田がヒクソンと試合する為に交渉をし、 殆ど話が決まっていたが、直前でPRIDEが高田との第2戦を発表した。 ヒクソン戦をさらわれた。 前田はPRIDE崩壊時にざまあみろと言った。 などなど、二人には色々因縁がある様です。 話をおさらいすると 1998年(平成10年)に二人は対談しています。 高田がヒクソンに敗れた、 PRIDE. 1が1997年(平成9年)です、 ヒクソン戦の翌年に対談で仲良く話しています。 この時久しぶりに会って直接話した。 対談は終始和やかで、二人は再会を喜んだ。 そして、同じ年の1998年8月に行われた、 山本喧一のジム開きのパーティーにも仲良く出ています。 この時点までは二人の仲は悪くなかったのです。 が、ここから交流が無くなります。 そして、同じ年のPRIDE. 4(10月11日)で高田はヒクソンと再戦しますが、 敗れてしまいます。 なので、仲が悪くなったのは、 1998年の8月以降にUWFインターの立ち上げに不信感を持ち、 そして10月の高田とヒクソンの再戦で決定的になったと思われます。 前田は翌年の1999年2月22日アレクサンダー・カレリンと戦い引退した。 そして同じ年の11月に安生洋二から、 不意打ちのパンチを受ける襲撃を受ける。 という流れになります。 最後に という事で、今日は前田日明と高田延彦について書きましたが、 もう一度この二人のツーショットを見てみたいですね。 我々の世代のプロレス好き、格闘技好きにとって、 前田と高田というのは、まさにカリスマ、ヒーローだったのです。 事実は分かりませんが前田日明は、UWFインター立ち上げは、 UWF解散前から密かに動いていたクーデターだと思っている様です。 この二人が再び手を組めば、 低迷している日本の格闘技の世界も、 また盛り返すんじゃないか? なんて思ってしまいますので仲直りして欲しいですね。 (スポンサーリンク) カテゴリー•
次の緊急出版! 安生洋二引退記念! あの伝説のヒクソン・グレイシー事件、 前田日明との確執と殴打事件、200%発言、 一億円トーナメントetcの真実とは?! 旧UWF、新生UWF、UWFインターナショナル、新日本プロレス(UWF軍)、キングダム、UFC-J、全日本プロレス、 K-1、ハッスルなどに参戦した格闘家・安生洋二の30年間のプロレス人生は様々な事件とともにあった。 本書は様々な団体が群雄割拠す1980年代後半からの激動の格闘技界で中心選手として活躍した 安生洋二の一代記であり、事件の渦中にいた生き証人でもある安生洋二のインサイドレポートであり、 またこれまでどこでも明かしていなかった事件の「真相」と「真実」が初めて明かされる衝撃の書である。 安生洋二(あんじょう・ようじ) 1967年3月28日、東京都杉並区出身。 1985年7月8日、旧UWF=広島県立体育館での星名治戦でデビュー。 旧UWF解散後は、前田日明、高田延彦らとともに新日本プロレスに参戦。 1988年、プロレス界に一大ムーブメントを起こした新生UWF旗揚げに参加。 89年11月の東京ドーム大会ではムエタイ王者のチャンプア・ゲッソンリットと対戦し、その実力を証明。 新生UWF解散後は、高田をエースとするUWFインターナショナルの旗揚げに参加。 高田の右腕として活躍する。 94年12月、LAのヒクソン・グレイシーの道場に試合の交渉に赴いた際、その場でヒクソンと対戦することになり、 惨敗を喫するも、この行動がのちの高田VSヒクソンにつながっていった。 95年からは新日本プロレスとの全面対抗戦がメインになり、同年10月の長州力とのシングルス戦で完敗を喫したものの、 次の蝶野正洋とのシングルス戦にはコスチュームを一新。 ミスター200%としてUWFの枠を超えたプロレス色の強いファイトスタイルとなる。 その過程で誕生したのが、当時若手だった高山喜廣、山本健一を従えてのユニット、ゴールデンカップス。 プロレスの枠さえも超えたハチャメチャな戦いを繰り広げ、一気に時の人となった。 UWFインター解散後は、キングダム、UFC-J、全日本プロレス、K-1、WJプロレスなどに参戦。 2004年からはハッスルに参加し、高田モンスター軍のアン・ジョー司令官としても活躍。 2015年3月19日、 東京・後楽園ホールでの6人タッグ=安生洋二&高山善廣&山本健一VS船木誠勝&鈴木みのる&菊田早苗で 30年間の現役生活にピリオドを打つ。 著者略歴 「BOOK著者紹介情報」より UWF関連の内幕を記した本はおもしろいが、安生さんの本もまた面白い。 確執のある前田日明氏との事や、Uインター時代の一連の騒動の内幕も本音で書かれている。 暴露本というより当事者としての苦悩や会社と宮戸さんに振りまわされる様が 描かれているのが興味深い。 グレイシー道場に一人で乗り込んだいきさつも当時は知り得なかったものだ。 総合参戦やハッスルのことなど今だから語れるものだろう。 ちょっと物足りなさを感じたのがタレント事務所の経営に関わっていた時代のことが 一切なく、あくまでもプロレスラーとしての話だけということ。 でもプロレスファンには十分に満足してもらえる内容だと思う。 スポーツライクなプロフェッショナルレスリングを目指していたはずの団体の レスラーの本音というのも面白い。 他のUWF関連の本でも記されていたりするが、若手時代に新日本に残って新UWFに参加しなかったら 安生さんのレスラー人生も大きく変わっていただろう。 そんなことも想像しながら噛み締めて読むと新UWFに参加してからの波乱のレスラー人生が いかに凄いものだったかがわかる。 巻末のヤマケンとの対談も楽しいものだった。 「焼き鳥屋」独立開業を目指しているという安生さん。 このあとの人生にもエールを送りつつ、レスラー生活の引退に「お疲れ様でした。 」との言葉を贈りたい。 UWFをめぐる暴露本的な書籍は既に出そろっている感はある。 前田日明、高田延彦、宮戸優光、船木誠勝、鈴木健といった当事者らの証言も書籍化されているし、 この五月に出版された『証言UWF 最後の真実』も、相当に穿った多角的な検証による内容である。 それでも「U」に関して、今なお残された謎は数多い。 そういった中で、本書で明かされている新しい事実とは何か。 結論から言ってしまうと、本書は知られざるUWFの真実、というよりも、 レスラー安生洋二自身の真実、であり回想記という色彩が強い。 彼の目を通して知り得た範囲の事実は描かれているものの、 既刊のものから大きく逸脱して何か新しい証言がなされている訳ではない。 どちらかというと、安生洋二のファンが楽しんで読むための内容といえる。 それでも既刊本にはない新しい「U」にまつわる証言をまとめると以下のようになるだろう。 ・「200%発言」と前田日明を襲撃した経緯 (これまで安生の一連の行動は一億円トーナメントの失敗から話題を逸らすためとされていたが、覆されている) ・ヒクソングレイシーへの挑戦の経緯とファイトの詳細 ・新生UWF分裂の要因 (『証言UWF 最後の真実』でも同内容を証言している。 なお、新生UWF崩壊に関する経緯はよく分からなかったとしている。 ) ・キングダムとPRIDEが提携できなかった経緯 ・ハッスルに参加した経緯 ・宮戸優光、Uインター退団の真実 (山本喧一との対談による) こんなところだろうか。 なお個人的には非常に楽しめた一冊であった。 正直がっかりな内容でした。 ・チャンプア・ゲッソンリット戦の真実 最初から「リアルファイト」としてマッチメイクされていたのか等 ・山崎一夫に対する感情 他誌では「何でこの人はここにいるんだろう、と思っていた」と語っていたので、もっと踏み込んだ事が聞けると思っていた。 ・長州力戦について あそこまで一方的にやられる打ち合わせだったのか、聞いてみたかった。 などもっと深く掘り下げ、本音をさらけ出していると思っていたのに。 唯一、宮戸優光に対する思いだけはしっかり書いてあって面白かった。 それ以外はぬるい内容で、文字数自体も非常に少なかったので2時間弱で読み終えてしまいました。 宮戸の本のように、あくまでも「プロレス」に徹するのか。 高田、船木の本のように全てをぶちまけるのか。 この本はどちらでもないので、非常に中途半端でつまらないものになっている。 冒頭、巻末に書いてあるとおりプロレスへの未練が未だ断ち切れていないので、このような内容になってしまったのではないかと思いました。
次の